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衝動的にギターを買ってしまった。テイラーのアコースティック・ギターだ。家の近くにリニューアル・オープンしたアウトレットモールを見に行き、そこにあった楽器店に入ったのだ。入口にあったギタリスト=春畑道哉のCDを買うと抽選でTシャツが当たるという掲示につられて入店。春畑の最新のCD「Continue」を買ってくじを引くが、はずれ。どうってことない春畑のステッカーをもらう。そして店を出ようとした時、奥にずらっと並んだギターが目に入った。ウクレレ、アコースティック・ギター、エレキ・ギターが壁面いっぱいに並んでいた。アコギの中に、ニスを塗っていない白木のやや小ぶりなものを発見。テイラーのギターだった。最近のテイラーはエレアコが主流だが、このギターはフルアコ。へえ、珍しい。店員に聞くと、「アカデミー」というテイラーの新しい廉価シリーズとのこと。マーチン、ギブソンのアコギを持っている私としては、テイラーは以前から関心を持っていた。無性に音を出して見たくなった。店員が素早くチューニングしてくれた。そしてそのテイラーを抱える。最近はリサイクルショップに置いてある中古ギターを触ることが多かったので、きっちりチューニングされた新品ギターは新鮮だった。そして音を鳴らすと、乾いた荒々しい音が。小ぶりなボディーのわりに大きな音だ。これがテイラー・アカデミーの音なんだなあ・・・。いくつかのコードをかき鳴らしながら、頭の中ではすでにこのギターを買ってしまおうと決めていた。定価10万円が店のオープンセールで8万円だったのも買うのを決めた理由だった。チューナー、カポ、ギタークリーナーをおまけにもらってギターケースを抱えて店を出る。単身赴任をしてた地方都市で、10数年前にギブソンのサザンジャンボを3年ローンで買って以来だった。このギターが、私のこれからの音楽人生にどんな色どりを添えてくれるか楽しみだ。最後に一句。 「 紅葉散り 今年も母の 誕生日 」
2019.12.05
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マレク・ヤノフスキ率いるケルン放送交響楽団のコンサートに行った。会場は上野の東京文化会館。ヤノフスキのステージは去年暮れのN響とのベートーベン第9を聴いて以来だ。今回のオケはケルン放送交響楽団。どんな音を聴かせてくれるのだろう?まずは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。ピアニストは弱冠25歳のチョ・ソンジン。彼の若々しく溌剌としたピアノもいいが、ケルン放送交響楽団の弦の音が美しい。ヴァイオリン、ビオラ、チェロなどの音が溶け合って豊かな1つの音になって響いてくる。数年前に聴いたバーミンガム市交響楽団の弦楽器の音色を思い出した。ベートーヴェンのこのピアノ協奏曲4番は、交響曲第5番「運命」と、第6番「田園」と一緒に初演されている。どれも後世に残る名曲だ。第5番「運命」は古典音楽の最高峰、第6番「田園」はロマン派音楽の先駆けと位置付けられた名曲。これらを1つの演奏会でお披露目をしたのだから驚きだ。ベートーヴェンってすごい作曲家だよね。休憩の後のメインディッシュは、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」。・・・と会場で配られたパンフレットにはある。あれ、「ザ・グレイト」は第9番じゃなかったっけ?第8番は確か「未完成」のはず。ミスプリント?ま、それは置いといて演奏の感想を少々。我が青春に慣れ親しんだジョージ・セルとクリーブランド管、最近コンサートで聴いたアンドレア・バッティストーニと東京フィルハーモニーの2つの演奏と共通する躍動感溢れるハイ・テンポの演奏だった。マレク・ヤノフスキは、必要最低限のアクションでオケをぐいぐい引っ張っていく。オーバーアクションの情熱的なダンスで指揮するバッティストーニとは好対照だが、目指す演奏は共通しているように思った。ただ違うのは管楽器の音。クリーブランド管、東フィルは管楽器が咆哮していたが、ケルン放送交響楽団の管楽器は奥ゆかしく押さえた音で、上品な印象。指揮者ヤノフスキの個性を感じた。こういった違いが、クラシック音楽を聴く醍醐味だよね。第2ヴァイオリンの首席の位置に座った黒髪の女性奏者のアクションが目に止まる。曲に合わせて上半身を上下左右に揺さぶるオーバーアクション。テオドール・クルレンツィス率いるムジカ・エテルナを思い出す。このオケの楽員は、チェロ奏者以外は椅子に座らず全員立ちで曲に合わせて体を揺さぶりながら演奏するのだ。この女性奏者も立って演奏した方が似合っているように感じた。たぶんこうした動作を伴った方がいい演奏ができるのだろう。第4楽章に、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」の有名な「喜びの歌」のメロディーが出てくる。ウイーンでの初演を聴いて感激したシューベルトがベートーヴェンへのリスペクトを込めたんだろう。そして大盛り上がりのエンディング。私の時計で53分の演奏だった。ヴラヴォーと拍手に応えてのアンコール曲は、ベートーヴェンの交響曲第8番の第2楽章。ユーモラスで可愛らしい曲だ。こんなクールダウンもありだよなと思いながら家路を急いだ。最後に一句。 「 寒き朝 黄金絨毯 踏み走る 」
2019.11.26
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今年もベートーヴェン「第9交響曲」のシーズン到来。私はこのところ毎年暮れのNHK交響楽団の第9を聴いているのだが、私にとって第9は、やや苦手な曲。ベートーヴェンの交響曲だったら3番「英雄」や5番「運命」、7番の方が好きだ。何故だろう?演奏時間が長すぎる・・・、第4楽章の合唱形式が好きになれない・・・、「喜びの歌」のメロディーがあまりに単純・・・、シラーの「歓喜に寄す」の詩が理解できない・・・そんなこんなが積もり積もって苦手になったのだと思う。こうしたある意味ではぶっ飛んだ作品がいかにして生まれ、愛され、そしてその後今日にいたるまで、政治的プロパガンダなどにいかに利用されてきたかを著した本を読んだ。それが上掲写真の「第九 世界的賛歌となった交響曲の物語」だ。著者はディーター・ヒルデブラントというドイツ人著述だ。400ページを超える大著だが、「第9」の知られざるトリビア満載で一気に読んだ。今回はこの本の受け売りを少々。新しいことには批判がつきものだ。1824年のウィーンでの初演も然り。「全く新しい芸術作品」「まさに福音」といった絶賛の一方で、「荒々しい馬鹿騒ぎ」「野卑なワインの酩酊に似た印象」といった批判もあったという。このような賛否両論は、ベートーヴェンが亡くなった後もしばらく続く。そこに現れたのがワーグナー。彼は、聴覚を失った病人の妄言とまで批判されたこの作品を、新たな時代への幕開けを告げる曲と位置づけたのだ。そして1846年の慈善演奏会で第9を演奏取り上げた。300人を越える歌い手をかき集め、極度の恍惚状態で大声で歌い上げることを執拗に指導して・・・。こうした半ば自らの芸術上の目論見から発したワーグナーによる再評価によって「第9交響曲」は、その後さまざまな局面で利用される運命を辿ることになる。1905年、社会主義革命を目指す主催者によって、ドイツのビール工場でベルリンの労働者3000人を集め、団結を促すために演奏された。1942年4月19日、ヒトラーの誕生日の前日、ナチスの枢密顧問官に任命されたフルトヴェングラーがベルリン・フィルと演奏した。欧州議会は、委員会で歌詞抜きの「喜びの歌」を「ヨーロッパ賛歌」と定め、1972年、カラヤンが自ら編曲した吹奏楽曲としてレコード録音した。1989年、ベルリンの壁崩壊を記念して、バーンスタインが、歌詞の「歓喜」を「自由」に変えて演奏した。このように、この曲は、時代状況に応じて都合よく読み替えられ、時の政権や政治的プロパガンダに利用されながら200年あまりにわたって演奏されてきたのだ。また、この本には、ロンドンでの初演ではイタリア語の朗読がなされたこと、アメリカ初演の際は、ドイツ語を英語に訳して歌われたことなど、本筋とは違うトリビアも盛り込まれていて楽しく読める。ま、それにしても日本ほど「第9」を演奏する国はない。「チコちゃんに𠮟られる」でもやってたけど、師走の「第9」は、戦争直後、NHK交響楽団の団員の年越し資金を稼ぐために始まったのだそうだ。出演者が多いのでそれだけ客が集められるというのだ。「第9」の歴史の中では、ややさもしい主義主張のない利用のされ方のように見える。しかし、その方がいいのかもしれない。でも、「喜びの歌」の練習に余念のない全国のアマチュア合唱団の方々も、この本を読んで「第9」の基礎知識を学んでほしいとも思う。最後に一句。 「 行く年や CDショップの 第9かな 」
2019.11.24
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横浜マラソンを走った。11月10日。夜明け前に家を出て電車を乗り継いでパシフィコ横浜へ。6時半に到着。レインボーブリッジが朝焼けを背負い、シルエットを浮かび上がらせていた。手荷物を預けてトイレで用を足し、スタート地点のみなとみらい大橋へ。まだスタートまで1時間以上ある。寒さよけに家から持ってきた巨大ビニール袋を頭から被る。これまで北九州や松本、東京・板橋の大会で走ってきたが、このスタート前がしんどい!寒いのだ。今回は11月なのでまだ気温はさほど低くないが、真冬の大会は寒さが身に沁みる。この時間を乗り切って走り始めると、その時点で大きな関門を1つ突破した気分になる。スタート時刻直前に、ビニール袋を脱ぎ、ウサギの耳のついた被り物をかぶり、バンダナでしっかり固定する。マラソンを走る時の私の定番スタイルだ。それにウサギのイラストのTシャツ。仮装まではいかないが、このかっこうで走ると、沿道に人がけっこう声援してくれるのだ。私にとってフルマラソン大会は、お祭りなのだ。そしてスタート!28000人が巨大な列をなして初冬の横浜を走る。天気は快晴。横浜中央卸売市場、横浜市庁舎、横浜スタジアム、中華街、本牧。沿道の声援をもらいハマの景色を楽しみながら気持ちよく走る。ハマと言えば柳ジョージ。「本牧奇譚」や「フェンスの向こうのアメリカ」などを頭の中でリフレイン。気分が高揚する。そんな調子で25キロ地点までは快調だった。しかし、首都高湾岸線に入る上り坂にさしかかったところで左ひざの外側に痛みが。我慢できず坂の途中で歩く。そしてここから首都高を10キロ走る。マラソン前から首都高を走るのが楽しみだったが、いざ走り始めると、道路両側には高い壁があり景色もほとんど見えない。しかも膝の痛みは消えない。だめだ!走れない。仕方なく速足で歩く。首都高を降りると沿道の声援が復活。「ウサギの、がんばれ!」と声をかけられるとしばらく走るが、痛みに負けてまた歩く。そんな事を繰り返しながら、山下公園、赤レンガ倉庫を過ぎてパシフィコ横浜でゴールイン。目標にしていた5時間切りはかなわず5時間15分。前回の板橋シティマラソンの記録より12~3分下回ってしまった。でも、快晴のハマの景色をしっかり楽しめたので満足だった。完走メダルと大会オリジナルのスポーツタオルを受け取り、私の長いお祭りの日は終わった。残る楽しみは、もちろん酒。自宅最寄り駅前のコンビニで缶酎ハイを買って一人祝杯。うめ~!もしかすると、この瞬間を味わうために42キロも走っているのかも知れない。最後に一句。 「 ひた走る 28000人の冬 」
2019.11.16
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ピアニストであり指揮者のサー・アンドラーシュ・シフのコンサートに行った。ハンガリー生まれの66歳。2014年に英国エリザベス女王からナイト爵位を授与されたので、サーなのである。偉いのである。彼が率いるオーケストラはカペラ・アンドレア・バルカ。総勢40人あまり。シフが直々に依頼したそうそうたる演奏家の集団。ソリストや世界的な演奏家ばかりだ。シフの妻であるバイオリニスト塩川悠子さんもメンバーの一人。古楽系室内楽の演奏家が中心のようだ。サー・アンドラーシュ・シフを生で聴くのは初めてだった。上野の東京文化会館大ホールはほぼ満席。クラシック愛好家、特にバロック音楽、古典派音楽の好きな人が集まっているのだろう。演目は、まずノンストップで、バッハの「音楽の捧げ物」の6声のリチェルカーレとモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。事前の場内アナウンスは、バッハの後そのまま「ジュピター」を開始するので拍手は控えてほしいと告げた。ちょっと珍しい。どういう意図があって続けて演奏するのか、その意図をシフさんに聞いてみたかった。小規模オケなので、3階席の私の耳に届くのは割とおとなしい音量。でも大規模オケと違って楽器1つ1つの音色が粒だって生々しく聴こえ面白かった。そして休憩を挟んでのメインディッシュは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。サー・アンドラーシュ・シフが指揮とピアノの両方を担当。いわゆる「弾き振り」だ。そういえば、一度ダニエル・バレンボイムの弾き振りを聴いたことがある。9日に渡るブルックナーの交響曲全曲演奏会で、割と短い演奏時間の交響曲の演奏日に、前座的にモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏したのだ。その時のバレンボイムの弾き振りは、ピアノを弾きながら楽員を見て指揮もできるようにグランド・ピアノを通常の向きから時計反対回りに90度回転させて行なっていた。なのでバレンボイムは終始座ったままでよかった。しかしこの日のピアノは、指揮者とピアニストがいる協奏曲の通常の向きに置かれていた。さあ、シフさんはどのような弾き振りを見せてくれるのだろうか?ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第1楽章の冒頭は、オケとピアノがほぼ同時に演奏を始めるので、シフはピアノの前に座り、両手を上げて演奏開始を伝えると同時にピアノを弾き始めた。この調子でこのまま弾き振りをするのかと思っていたら、オケとピアノによる序奏が終わり、オケ演奏による旋律の提示部分に入ると同時に、シフさん、突然椅子から立ち上がってピアノから離れ、楽員に向き直ってオーバーアクションで指揮を始めた。へえ、こりゃ面白い。こんな弾き振りは初めて見た!ピアノ演奏が指揮者的になり、やや正しいリズムを強調しすぎている感が否めない部分もあったが、音だけでなく視覚的にも楽しめるコンサートだった。アンコールも弾き振り。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番の第2楽章だった。来年は、ベートーヴェンの生誕250年のメモリアル・イヤー。シフさんによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲弾き振りコンサートがあったら、行って聴いてみたいな。見てみたいな。最後に一句。 「 立冬や 横浜マラソン 迫りたり 」
2019.11.08
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台湾に行った。30年前に仕事で行って以来で、初の観光旅行だ。羽田空港から3時間あまりで台湾の松山機場に到着。入管が顔と両手の人差し指認証なのに驚きつつ、即地下鉄を乗り継いで地下鉄駅に直結したホテルへ。30分あまりで到着。近い!ここは台北一の繁華街で日本でいえば銀座のようなところ。大通りの風景はまるで東京。道行く人々も小奇麗な格好をしていて日本人と変わらない。30年目とは町のたたずまいも人々の雰囲気も全く違っていた。知り合いたちと現地で落ち合い、気ままな観光旅行をした。市内の中正紀念堂や龍山寺、國父記念館、台湾大学などを見学したり、台北近郊のレトロな街に足を延ばして映画のロケ地にもなっている金鉱跡や焼き物の里をうろついたりした。そして、台湾料理、飲茶、餃子などの店を巡って大いに食べ、飲んだ。そんな3~4日の台北滞在で感じたのは、食べ物が安くて美味しいこと。鉄道、地下鉄、バス、タクシーなどの公共交通がとても安くて便利だということ。そして、安全で日本人にやさしいということ。それなりに異国情緒もあるし時差はわずか1時間。にわかに台湾ファンになってしまった。唯一ちょっと戸惑ったのは、町中の通りをすっ飛ばすバイク軍団。これがおっかないのだ。青信号で横断歩道を渡っている我々に向かってあまりスピードをゆるめずに平気で左折してくる。仕方なく我々歩行者が足を止め、バイクに進路を譲らねばならないのだ。こんなバイク軍団が、ウイークデーも週末も昼も夜も町中を突っ走っている。(夜はいなかったかな)彼らは一体どこからどこに向かって走っているのだろうか?もちろん通勤・通学・業務のためにせっせと突っ走っているのだろうが・・・中には単に無目的にぐるぐる走り回っているバイクもあるんじゃないだろうかと疑いたくなるほどのボリューム感と頻度だった。さて、音楽はどうなっているのか?台湾の若者はどんな音楽に熱狂しているのだろうか?ホテル近くに「ブラウンシュガー」というライブハウスがあるのを「地球の歩き方 台北」で調べていたので、知り合いとの夕食の後、単独行動でそのライブハウスに向かった。もちろんローリングストーンズのTシャツを着て。地図を見ながら探す。しかしその店がある一角には巨大な高層オフィスビルが林立していて、「ブラウンシュガー」は見つからなかった。台北市が今も急速に都市化していることを実感させられた。ブックオフで300円で買った3年前の中古のガイドブック情報には、300円分の価値しかなかったのだ。今思い起こすと、台湾で聴いた曲で印象に残っているのは、五木ひろしの「千曲川」だ。台北郊外の観光地で、観光用に横笛を吹いているおじいさんがこの曲を奏でていた。そして、台北中心地のショッピングモール内でもこの曲が流れていた。どうも台湾では「千曲川」が広く親しまれているようだ。もう1つは、80~90年代のポップス。飲食街で夕食を終え、近くの公園のベンチでコンビニで買った缶ビールを飲んでいたら、30人ほどの高齢女性が公園にやってきて、ラジカセで再生する80~90年代ポップスに合わせて踊り始めた。ビージーズの「サタデーナイトフィーバー」などのディスコ調のポップスが大半だ。驚いたことに1曲1曲すべて「振り」が違うのだ。しかも、どれも一糸乱れぬ踊り。1つの芸の域に達していると思った。CDショップに行かなかったので、今どんなアーティストが売れているのかを知ることはできなかったが、たぶん日本の歌手やグループが多いんだろうな。そういう意味で、台湾は今も日本の文化の影響を受けているのだ。今度台湾に行く時は、最新のガイドブックを持って行こう。そしてライブハウスにも行こうと思う。最後に一句。 「 棕櫚並木を暴走! 台北バイク団 」
2019.11.03
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映画「イエスタデイ」を見た。ウイークデーの昼間にもかかわらずほぼ満席。私の隣は制服姿の高校生らしき男の子2人。ビートルズのファンなんだろうな。彼らにとってビートルズはクラシック・ミュージックのようなものなんだろう。最近公開されたロック・ミュージシャンの事実を取り上げた「ボヘミアン・ラプソディー」や「ロケットマン」などの映画と違って、世界大停電後に訪れたビートルズを知らない世界という絵空事の中で繰り広げられるラヴ・コメディー。ビートルズの名曲を味わいながら主役らの愛の行方やアメリカの音楽業界のうさん臭さ、役者としてのエド・シーラン・・・・など見どころがぎゅっと詰まった楽しい映画になっていた。主役の売れないミュージシャンが自宅のピアノで、両親に「レット・イット・ビー」を弾き語ろうとするが、途中で様々な邪魔が入りなかなか演奏出来ないシーンはよくできた笑えるシーンだった。そんな気の利いた魅力的なシーンが随所にあって飽きさせない。絵空事を忘れさせるのに効果的だったのが、本人役で登場したエド・シーラン。監督、脚本家の力量を感じさせるさすがの演出だった。「ヘイ・ジュード」のレコーディングのシーンで、エド・シーランが主役に、「ジュードってどういう意味?デュード(相棒)に変えた方がいいんじゃない?」と言い、それに沿ってレコーディングが進んでいくシーンは笑ってしまった。田舎で一人暮らしをするジョン・レノンに似た老人に会いに行くシーンも印象的だった。もしジョンが生きていたら79歳。ポールマッカートニーはいまだバリバリの現役ミュージシャンだが、ジョンはこのシーンのように音楽活動から足を洗って隠遁生活を送っているかもしれないな・・・そんなことを空想しながらしみじみとした気分になった。いずれにしても、ビートルズという20世紀の奇跡ともいえるバンドが存在しなければ、この映画は生まれなかった。改めてビートルズという存在の大きさを感じずにはいられなかった。エンドロールのBGMは「ヘイ・ジュード」。7分余りの曲が完奏された。この曲を最初から最後まで聴いたのは久しぶりだった。もちろん「ヘイ・デュード」ではなく・・・。隣の高校生はこの映画を見てどんな感想を持ったのだろう?聴いてみたかったが、エンドロールが終わって明るくなった客席にはもう姿はなかった。最後に一句。 「 ヘイ・ジュード レット・イット・ビー 秋の空 」
2019.10.22
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昨今、女性指揮者が話題を振りまいている。アントニア・ブリコという実在の女性指揮者の半生を描いた映画「レディ・マエストロ」を観た。コンサートホールの案内係やナイトクラブのピアノ弾きなどをしながら音楽学校に通い、自らの夢である指揮者を目指し、困難を1つ1つ乗り越えてそれを実現させていくアントニア・ブリコ。こんな女性がいたのは知らなかった。男のやってみたい仕事ベスト3は、総理大臣、プロ野球の監督、そして指揮者・・・・と言われてきた。どれもチームを率いるリーダーと言うイメージ。そんな独裁者のイメージのある指揮者の世界に、女性が進出しようとしたわけだからバッシングを受けるの当然。しかも時代は1920~30年代。にもかかわらず突進するブリコ。ついに世界最高峰のベルリン・フィルの指揮者になり、アメリカで女性だけのオーケストラまで結成し自ら指揮台に立つ。まさにパイオニアの人生。圧倒された。なぜそこまでしてまで指揮者になりたかったのか、そのモチベーションを臭わせるシーンがなかったことにやや不満が残ったが・・・。先月行われたブザンソン国際指揮者コンクールで、青森出身の沖澤のどかさんが優勝した。小澤征爾、佐渡裕らも優勝した若手指揮者の登竜門であるコンクールで、37年前の松尾葉子さん以来日本人女性としては2人目の快挙を成し遂げた。オーケストラ、観客がそれぞれ選ぶ「オーケストラ賞」、「観客賞」も含め、賞を総なめにしたというのだから大したものだ。新聞記事によると、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「死と変容」で、死の床にある芸術家の心の動きを細やかに表現。クライマックスを卓越した指揮で盛り上げて大きな高揚感を導き観客を引きつけた・・・とあった。う~む、どんな演奏だったのかは聴かないとわからん!ま、でも、とても魅力的な演奏だったのだろう。また、NHK交響楽団の年末恒例の第9演奏会には、初めて女性指揮者が登場する。オーストラリアはシドニー出身の女性指揮者=シモーネ・ヤングがその人だ。どんな演奏を聴かせてくれるか楽しみだ。また、どんな指揮者としての立ち居振る舞いを見せてくれるかも楽しみだ。というわけで、しばらく女性指揮者に注目が集まりそうだ。最後に一句。 「 マニキュアの 手にうまか棒 ハロウィーン 」
2019.10.19
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70歳の現役ロックシンガー矢沢永吉のニューアルバムを衝動的に購入。タイトルは「いつか、その日が来る日まで」。7年前の「Last Song」以来のアルバムだ。ジャケット写真の永ちゃんは、相変わらず野生動物のように精悍だ。ギンギンのロックンロールで始まると思いきや、1曲目「今を生きて」はミディアム・テンポの歌謡曲調。独特のこぶしがいい味出してる。歌詞をかみしめるように歌っている。続く2曲目「魅せてくれ」は、これぞYAZAWAロックンロール。びしっと決めている。3曲目「愛しているなら」は、「アイ・ラブ・ユー、OK」「時間よ止まれ」路線のYAZAWAラブバラードだ。70歳になってもこういう歌が歌えるのは偉大だ。4曲目は「ヨコハマUo・Uo・Uo」は、ミディアムテンポのマイナー・バラードで、5曲目の「海にかかる橋」は3曲目同様のラブバラード。そろそろロックンロールが聴きたいなと思ったところで6曲目「ラヴ・イン・ユー」。ドスの効いたヴォーカルは70歳でも健在。7曲目「SEASIDE ROAD」は、ビートルズの「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を思わせるメロディーから始まるポップ。なつかしいサウンドが中高年の心を震わせる。8曲目「稲妻」はハードロック系ナンバー。でもシンプルな伴奏で重々しさはなく爽快。9曲目「デジャブのように」はサックスの間奏も入るリズム&ブルース。そしてラストナンバーの10曲目は、アルバム・タイトルにもなっている「いつか、その日が来る日まで」。作詞は、なかにし礼。 ♪ どんな旅も 終わる時が 必ず来る 思いがけず 遠くにまで来たようだね ・・・・・・・ 歌はわが夢 愛は祈りだ 羽がなくても 翔べるさ いつかその日が 来る日まで 俺は いつかその日が 来る日まで 歌う70歳のロックシンガーの心境が切々と歌い込まれたバラードだ。 矢沢は、ニューアルバムについて、インタビューでこんなことを話している。「2012年の『Last Song』で打ち止めにしようと思った。でもメロディーは湧いてきますよね。7年間のうちにちょこちょこと。『ヨコハマUo・Uo・Uo』のメロディーが出来た時には、これアルバムにしなきゃいかんでしょ、みたいなところに行きましたね。『矢沢さん、フワッとエンジョイしてるな』っていう感じが出てたら、このアルバムはOK!これで人生最後とあるところで言いました。でもまた、73か、75で、『いやあ、棺桶に入る前にもい1枚作らせてくれ』って言うかも。・・・・まあ、これしか能がないし、それでいいんだよ。」いい話だよね。力みがなく自然体でカッコイイ。確かにこのアルバム、YAZAWA節満載だけど「重量感」を感じない。一貫して「軽み」みたいなものがある。70歳の永ちゃんの真骨頂だ。WOWOWで生中継ライブほ見たけど、ナマの永ちゃんを見たことがない。機会があったら、70歳の現役ロックシンガーを拝んでみたいな。最後に一句。 「 またひとつ 台風一過 ニュース漬け 」
2019.10.13
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韓国生まれの世界的ヴァイオリニスト=チョン・キョンファのソロ演奏会に行った。2年ほど前、弟のチョン・ミョンフン率いる東京フィルとの共演でブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴いて以来だ。今回は彼女のソロ演奏会。共演者はピアニスト=ケヴィン・ケナーだけだ。まず最初の曲は、彼女一人だけの演奏。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番。上手袖から現れたチョン・キョンファは、上野の東京文化会館大ホールの大きなステージの真ん中にゆっくりと移動。そして演奏開始。4階席から見下ろす彼女はとても小さく見えるが、ヴァイオリンの音は力強い。アクションも堂々としている。指の故障でやむなく活動を休止した6年間のブランクを乗り越えた精神力のようなものが漂う。休憩を入れず、ピアノがセッティングされるとすぐに、ピアニストのケヴィン・ケナーと共にステージに上がり、2曲目のブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」が始まる。ピアニストの脇には譜面をめくる女性が椅子に座っている。でも、譜面台に置かれているのは紙の楽譜ではなく、iPad様のモニターだ。そういえば、この前NHKの音楽番組「らららクラシック」を見ていたら、ピアニストが譜面台に置いているiPadを自分で画面をタッチしてめくりながら演奏していた。そういえばバンド仲間のギタリストもiPadを使ってギターを弾いていたな。ピアニスト脇の女性は、席を立ってモニターをタッチするそぶりが全くない。客席からは見えないが、リモコンを操作して楽譜をめくっているのだろうか・・・。それにしても、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ「雨の歌」ってこんな曲だっけ?冒頭にはもっと甘美なメロディーがあったんじゃなかったっけ?そんなこんなであまり曲に集中出来ぬまま終了。20分の休憩に入る。そこでこんな場内アナウンスが。「本日、急遽演奏者の都合で曲目が変更になりました。ただ今演奏したのは、予定していたブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番ではなく、第2番でした。ご了承ください。」う~む、やっぱり違う曲だった。これまでクラシック・コンサートを数十回は聴いてきたが、曲目が変更になったのは初めてだった。しかも演奏後に知らされると言う珍しいおまけ付きで。曲目変更の理由は何だったのか?知る由もないが、気心の知れたソロイスト2人だからこそ変更可能だったとも言える。そうでなければ音合わせやリハを無にすることなんてできないよね。気をとり直して休憩後のメインディッシュに集中する。曲はブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番。作曲当時ブラームスは、友人の病気や死に遭遇。そんな人生への諦念や寂寥をつのらせる体験が、そのまま曲ににじみ出ている。こうした寂しさと厳しさが同居する曲をチョン・キョンファが見事に弾いて見せた。70歳を越えたベテランだからこそ表現できた演奏だと思った。アンコールは、シューベルトのソナチネ第1番・第2楽章。ブラームスの重量感から我々を解き放つような、穏やかで明るい曲を選んでソロ演奏会を結んだ。曲目変更やiPad譜面にやや心が平常を失ったが、いい演奏会だったと思う。ソロ演奏会なので、もう少し小ぶりなホールでもう少し間近なで聴きたかったが・・・・。最後に一句。 「 台風で マラソンと飲み 流れたり 」
2019.10.12
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新宿シネマカリテで、音楽ものの映画をやっているのを発見。見に行く。お目当ては、2年前に亡くなったカントリー系ポップ・ミュージシャン=グレン・キャンベルが、アルツハイマー型認知症になった後ツアーに出た家族との感動のドキュメンタリー映画「アルツハイマーと僕」。上映時間に合わせて行ったのだが、行ってみるとありゃ?時間が違っていた。調べたのは前日だったので、開始時間が変わっていたのだ。でも、せっかく新宿まで行ったので、無駄な時間を使いたくない。チケット窓口の上映スケジュールを見ると、「ザ・ヒストリー・オブ・シカゴ」が上映寸前だった。70年代に一世を風靡したブラス・ロック・バンドの軌跡を追ったドキュメンタリー映画だ。う~む、これも面白そうだ。予定変更!(下掲写真の下の部分)節操ないな。「クエスチョン67&68」、「長い夜」、「メイク・ミー・スマイル」、「ダイアログ」、「サタデー・イン・ザ・パーク」、「ビギニングス」・・・・60年代末から70年代初頭にかけてヒットを連発するバンドだった。同じブラス・ロック・バンドの、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズやチェイスとは一味違った多彩さを備えた洒落たバンドといった印象を持って聴いていた。そんなバンドで今も現役のシカゴの、山あり谷ありの足跡をメンバーへのインタビューを軸に据えて描いている。結成50周年に当たる2017年にCNNが制作して全米で放送したTVドキュメンタリーだそうだ。売れっ子バンドにのし上がったシカゴの最初の谷は、78年にギタリストでありバンドの中枢だったテリー・キャスが銃の暴発によって死んでしまったこと。キーボードのロバート・ラムが語った言葉「テリー・キャスの激しいギター・ワークこそがバンドの神髄だった。」が印象的だった。その喪失を埋めるギタリスト=ドニー・デイカスを迎えて発表したアルバムに収められた曲「アライブ・アゲイン」は、躍動感のあるかっこいいロックだった。ドニーのオクターブ奏法的なリズミックはカッティングにブラスが通奏低音のように重なっていくイントロに、テリー亡き後もバンドを続けていく確固たる決意を感じた。でもドニーは1年で解雇されてしまう。映画でその理由についてトロンボーンのジェイムス・パンコウは「練習に遅刻したからさ。」と証言。バンドを維持運営していくのって大変なんだなあ・・・。次の谷は、その10年後。結成時からのオリジナル・メンバーであるドラムのダニエル・セラフィンを解雇。デビュー時からの仲間を切るというのはつらかったのではないだろうか。ロバート・ラムは証言する。「ドラムの基本はリズムを刻むこと。ダニーのドラミングは最初から最後まで”おかず”。イギリスにツアーで行った際、リハーサルもさぼり、妻と観光ばかりしていた。本番もさんざんだった。」いやあ、厳しい発言だ。ヒット曲が出なくなり、ポップな曲作りの名うてプロデューサー=デヴィッド・フォスターがアルバム制作に起用される。「サタデー・イン・ザ・パーク」などを作ったロバート・ラムは自作の新曲をプロデューサーのデヴィッドに持って行っても、その都度NG。ある時期引きこもりになってしまったそうだ。そんな中、ベースのピーター・セテラが作ったバラードが全米1位のヒット。シカゴらしいブラス・ロックとはかけ離れた甘ったるいポップ。でも仕方ないのだ、「ヒット曲とツアー」がバンドの生命なのだ。そんな中でピーター・セテラがバンドを脱退。そんなこんなで、いやはやなんともどっこい今も生きてるシカゴ。年間100回の公演を続けている。ヒット、長期ツアー、メンバーの死、入れ替え、解雇、低迷、路線変更・・・・バンド活動を続けていると色んな面倒なことが当然のように起こる。それでもバンドを止めないのは何故か?ジェイムス・パンコウは、「バンドが好きなんだよ。仲間と奏でるのがね。」なるほど、シンプルでよろしい!それがなきゃやってられないよね。でもそれだけのために人生の大半を過ごせたということは、これ以上の幸せはないよね。シカゴは単なるネアカヤンキーのバンドと思っていたが、バンドとして生き残るための戦略・戦術を実践するしたたかなバンドだったんだなあ。奥深い映画だった。見終わって明るくなった客席を見渡したら、客は10人。ウイークデーの昼間としてもちょっと寂しい人出。それでも上映してくれた新宿シネマカリテさん、ありがとう。また見に来まっせ!最後に一句。 「 踏みつぶせ! 走れ! 銀杏遊歩道 」
2019.10.05
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ギタリスト石田長生が亡くなって4年。Charが企画した彼のトリビュート・アルバム「SONGS OF Ishiyan」が出た。CharとのギターデュオBAHOをよく聴いた。特にライブ盤がよかった。荒々しく躍動感にあふれ、ブルージーでコミカルな2人のステージは魅力的だった。一度ナマで見ようと思いつつ果たせないまま石やんは逝ってしまった。CD2枚組のトリビュート・アルバムでは、ゆかりのミュージシャン20組が、石やんのオリジナル20曲を演奏している。ブルース、カントリー、フォーク、ロック・・・多彩な曲を、仲井戸麗一、押尾コータロー、山崎まさよし、甲本ヒロト、上田正樹などの個性派ミュージシャンがそれぞれの解釈・アレンジで演奏していて聴きごたえ十分。かつての盟友=Charが唄うは名曲「ラジカセ」。BAHOよりスローテンポでおとなしめ。石やんを思い浮かべながらギターをつま弾くCharの姿が思い浮かぶ。山崎まさよしがボサノヴァっぽくアレンジした「真夜中の歌姫」、しゃれている。山岸潤二と渡辺香津美のギター・インスト「Little R」のブルージーさに石やんのルーツを実感。オルガンをバックに歌う上田正樹の「Brothers & Sisters」に酔う。中でも、金子マリが唄う「Mother's Song」が感動的。BAHOで石やんが唄うこの曲も大好きだったが、ピアノをバックに静かに歌い上げる金子マリ・バージョンもいい。聴きながら思わずアコギを抱えてギター・コードを探る。A-B7-Bm7ーA・・・・やった!全曲のコード進行がわかったぞ。ギター弾き語りの持ち歌に加えるぞ!そんな風に楽しんで、アルバム最後に控えしは、BAHOのライブによる「HAPPINESS」。Charを煽りリードギターを弾かせ、聴衆を煽り立てて手拍子をさせ早口言葉をリフレインさせる石やん。このエネルギーはただものではない。もう少し長くこうしたステージを見せてほしかった。そしてナマで聴きたかったなあ・・・。10月にはBAHOのライブ盤も出るらしい。こっちも楽しみだぞ。最後に一句。 「 石やんの 絶叫響き 夏は逝く 」
2019.08.29
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目下、引退世界ツアーを慣行中のエルトン・ジョンの半生を描いた映画「ロケットマン」のロードショー初日。渋谷TOHOシネマに見に行った。エルトン絶頂期のファンとみられる中年、老年が続々と入ってくる。そんな中にちらほらと若者の姿。私の隣には20代の女性2人連れが座った。映画は、先ごろ大ヒットしたクイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディー」のドキュメント・タッチとは違ってミュージカル仕立て。しかも歌詞の中身を優先して各シーンに曲を配置しているので、えっ、この曲はこの時まだ作ってなかったよ……というシーンの連発。でもこの演出が私のような「エルトンなんでも知ってる人間」にとっては新鮮で面白く、純粋に楽曲の魅力を引き出していると感じた。親の離婚、覚せい剤やアルコールへの依存、同性愛・・・・などエルトンの陰の部分も知っている私にとって、それらを描いたシーンは想定内だっが、私の隣に座った若い女性はこうしたエルトンを知っていたのかなあ……、どんな印象を持ったのかなあ……。そういったシーン以上に興味深かったのは、エルトンの音楽的天才ぶりを表したシーン。『自宅のラジオから流れる曲を、そのままピアノでリフレインして弾いてしまう』『推薦入学で訪れた王立音楽院のホールで教師が弾いていたモーツァルトのトルコ行進曲を耳にして、その教師からエルトンに何かピアノで弾けと言われ、聴いたばかりのトルコ行進曲を弾き途中でやめてしまう。教師が何故途中でやめたのかと問われ、そこまでしか聴いてないので後は弾けないとエルトンが答える』この2つのシーンが強く印象に残った。この才能がエルトンを世界的ポップスターにしたのだ!この音楽的才能がなかったら、見出されなかったら、エルトン・ジョンは、いや本名レジナルド・ドワイトはどんな人生を送ったのだろう?彼にとってどっちの人生の方が幸せだったのだろう?確実に言えることは、レジナルド少年の音楽的才能が見出されたことで、70年代の多くの若者が幸せを感じ勇気を与えられ音楽の素晴らしさを実感したということだ。そしてその中の一人が私だったということだ。『ロケットマンのエンディングで、エルトンがロケットになって宇宙に打ちあがっていく』『クロコダイル・ロックを聴いている総立ちの聴衆が、エルトンと共に体を宙に浮かす』・・・こんな奇想天外なシーンなども楽しみながらも、改めてエルトン・ジョンの楽曲の特徴を再認識させられた。ビートルズの曲の特徴が、1曲の中にクラシックとブルースが同居していることだすると、エルトン・ジョンの曲の特徴は、1曲の中にクラシックとゴスペルとソウルとロックが混在しているということだと思う。映画で取り上げていた「人生の壁」、「アモリーナ」、「パイロットに連れていって」などを聴いてその感を強めた。それと独特の哀感。この哀感はどこから生まれてきたのか?親の愛情の希薄な中で孤独に生きた幼少期の体験なのだろうか……?エルトン役のタロン・エガートンの歌唱力、奇抜なステージ衣装の再現なども見どころ。そんなわけで、エルトン・ファンとして楽しい映画だった。引退ツアーで早く来日してくれないかなあ……。最後に一句。 「 ジーパンに エルトンの刺繡 夏祭り 」
2019.08.24
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猛暑!暑い!夜明け前の4時半に起き出して朝のランニング。15分もすると全身汗まみれ。それにもめげず走る。フルマラソンの大会出場という目標が出来たのだ。来る11月10日の横浜マラソンだ。目標というより楽しみといった方がいいかも。どんな仮装で走ろうかなあ・・・。その仮装に反応して沿道の人たちが声援してくれ、それを力に走り続ける。私にとってフルマラソンは祭りだ。非日常のカーニバル。5時半過ぎに走り終え帰宅。熱いシャワーと冷たいシャワーを浴び、キンキンに冷えた炭酸水を飲む。この瞬間が最高の快感!二日酔いも吹っ飛び全身が再生する。朝食前のひととき、エアコンを効かせた自室で録り貯めたTV番組を見るのが至福の時間だ。映画、ドキュメンタリー、旅番組、音楽ライブ、ドラマ・・・。渡辺貞夫のライブを収録した番組を再生する。今年の3月にニューヨークのブルーノートで行なったライブだ。アコースティック・ピアノ、ウッド・ベース、ドラムとのアコースティカルなカルテットだ。ひと汗かいて再生した体に心地よい。猛暑に吹く涼やかな風だ。86歳のナベサダの歌心は依然健在だ。ビバップとブラジル音楽を融合させた独自の音世界が展開する。静かに、内省的に、そして次第に熱く。ライブの合間に挟み込まれたインタビューで渡辺貞夫は、「1965年にセルジオ・メンデスに出会い、ブラジル音楽のサウダージ(郷愁)に共感した。」と話していた。これがナベサダ・ワールドの原点だったのだ。ライブのラス前は「Life Is All Like That ”人生そんなもんさ”」。いいタイトルだなあ。曲調もタイトルにぴったり。楽しげだがどこか物悲しさもある。そうなんだよ、この諦観が大事。早朝にしっかり1時間走ることが出来る肉体であることだけで幸せなんだよ、とりあえず。人生そんなもんさ。最後の曲は、意外にも東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」。ラッセル・フェランテのピアノ伴奏にナベサダの内省的なサックスが、静かにメロディーを奏でる。いかん、涙が・・・。汗も涙も放出。さわやかな朝だ。しかし外はピーカン。最高予想気温は37度。最後に一句。 「 夏の朝 ナベサダ聴くや サウダージ 」
2019.08.17
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5人目のビートルズと呼ばれ、ビートルズ・サウンドの要であったレコーディング・プロデューサーのジョージ・マーティンの自伝本を読んだ。ビートルズが解散して10年たった1980年にジョージ・マーティン自ら執筆して出版された本だ。なので、内容は、ビートルズとの創作活動と、レコーディング・プロデューサーとしての裏話という2つの要素を軸に書かれている。加えてEMIのプロデューサーになるまでの自らの生い立ちも興味深かった。面白かった記述を箇条書きで抜粋。〇私は海軍少尉候補生になり、飛行士として生きる決意をして高等訓練を受けた。作戦上の飛行中隊を組んで戦時下のヨーロッパに出陣するところだったが、原爆が日本に落とされ戦争が終結し、出陣はなくなった。〇戦後、結婚をし、私は曲を作ったりオーボエを吹いたりして、かろうじて生計を立てていた。〇私がレコーディング・プロデューサーになったばかりの頃は、モノラルでのみ録音していて、マイクを何本使おうと1つのトラックに収められた。その仕事が創造的、今日的な存在になったのは、”ステレオ録音の発明”からであった。〇デッカ・レーベルは、ビートルズに2回オーディションを受けさせた後すでにサジを投げていた。パイ・レコード、フィリップス・レコードも然り、EMIも主任3人のうち2人まではデッカのディック・ロウと同じくらい間が抜けていた。〇私はビートルズに一目ぼれだった。彼らの第一印象は、全員、清潔感に溢れているということだった。これは明らかにブライアン・エプスタインの影響だった。最も印象が強かったのは、人の注意を引く彼らのパーソナリティだった。一緒にいて魅力を感じる若者たちだったのだ。〇彼らは誰からも何からも自由で、人との間のつまらない束縛を嫌った。私が彼らを気に入った最大の理由だった。〇レノンとマッカートニーが優れたミュージシャンであることは疑う余地がなかった。非常に良い音楽的な勘を備えていて、考え方はすべて音楽の本質を捉えていた。特にポールは、オールラウンドな音楽の才能を持ち、おそらく最も優秀なベース・プレイヤーであり、第一級のドラマーであり、非常に光ったギタリストでもあり、手ごわいピアノ弾きでもあった。〇「愛こそすべて(オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ)」で私は、「ラ・マルセイエーズ」、「バッハの「二声インヴェンション」、「グリーン・スリーヴス」、そして「イン・ザ・ムード」の中から抜く出したフレーズを混ぜ合わせて1曲に仕上げた。どう?聴いたことがあるような話もあるけど、レコーディング・プロデューサーが書くと説得力があるよね。そして次の箇所は、まさにレコーディング・プロデューサーでなければ知りえない話。〇ジョン・レノンの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」は2回、アレンジを変えて録音した。ジョンは、「最初の録音の前半と、2回目の後半が気に入ってるんだ。この2つをくっつけてみたらどうだろう?」そこでキーの違う2つの録音を、テープのスピード・コントロール・マシンで一方をスピードアップし、もう一方をスローダウンし、ぴったりの場所を選んでテープをカットし、できるだけ正確に2つをつなぎ合わせたのである。「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」はこうして作られ発売され、そして今もそのまま残っている。へえ、知らなかった。こんな実験まがいのことまでやってたんだなあ。レコーディング・プロデューサー冥利に尽きるといったところだろうか。そして、アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」についてはこんなことを述べている。〇アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、良くできたおとぎ話のように最後にはすべてうまくいき、ビートルズ最高のベストセラーとなった。このアルバムでビートルズも単なる普通のロック・グループから、芸術作品の歴史への重要な貢献者になったと私は感じた。これは1つの大きなターニング・ポイントであり、レコードというものを単に楽しむための音を出すものから、正当な芸術形態として歴史の評価に耐えうるもの、音楽の彫刻のようなものに変えた分かれ目だったと言える。なるほど、いわゆるコンセプト・アルバムの誕生だ。ポピュラー音楽が芸術になった瞬間だったのだ。しかし今はどうだろう?音楽はネットで1曲1曲が切り売りされる時代になった。これは退化なのだろうか?半世紀前の天才ロック・グループのサウンドを作った男=ジョージ・マーティンがもし生きていたら、現代のポピュラー音楽業界をどう見るだろうか?最後に一句。 「 日焼けした 肌に負けじと ビートルズ 」
2019.08.12
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来日中のバルセロナ交響楽団の音楽監督=大野和士が、スペインゆかりの曲を演目にタクトを振った。場所は、上野の東京文化会館。まずは、バルセロナ生まれの若手作曲家=ファビア・サントコフスキーの「2つの三味線とオーケストラのための協奏曲」。大野和士が津軽三味線の名手の吉田兄弟の演奏を想定して作曲を依頼した曲。今年の5月にバルセロナで世界初演を行なったばかりの新作だ。三味線の新しい可能性を感じる曲だった。しかし、当然のように津軽三味線的なフレーズは一切ない。数年前に吉田兄弟のリサイタルに行った時は、彼らのハードロック的でリッチーブラックモア的なハイテク・フレーズが印象的だった。この日はこうした聴き所がなかったのがちょっと残念だった。そしてメインディッシュは、スペインの代表的な作曲家であるマヌエル・デ・ファリャのバレエ音楽「三角帽子」。レコードやCDで聴いたことはあったが、生演奏は初めてだった。2ケ所ほどメゾ・ソプラノの歌唱が入る。バレエの状況説明なのだろう。でも、あらかじめあらすじを観衆が理解していれば必要ないんじゃないかなあ・・・。せっかく歌手がいるのに出番が少ないので中途半端でもったいない。そんなことを大作曲家ファリャに物申しても仕方ないか・・・。しかし、全体的には躍動感、スウィング感たっぷりの名演奏だった。これぞバレエ音楽といったところか。ファリャのゴージャスなオーケストレーションに魅せられた。演奏が終わり、指揮者の大野が聴衆に向いて起立するよう楽団員に促したが、誰も立たず大野に向かって聴衆と同じように拍手をしていたのが印象的だった。楽団員が大野和士をリスペクトしている証だ。これから大野和士がバルセロナ響と共にどのような演奏活動をしていくか期待感が高まる。クラシック・ファンの底上げにつながる斬新な構成・演出のコンサートを実行していってほしいな。この日のアンコールは、スペインを題材にしたクラシックの中でも最もポピュラーな、ゼーの歌劇カルメンの前奏曲だった。いまだ行ったことのない情熱的なラテンの国スペインに思いを馳せることが出来たひとときだった。最後に一句。 「 百日紅 燃える赤の中 走る走る 」
2019.08.04
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来年2020年は、ベートーヴェンの生誕250年にあたるメモリアルイヤー。世界中のコンサートホールで今年から来年にかけて盛んにベートーヴェンの曲が演奏される。そんな予習も兼ねて、暇を見てはベートーヴェン本を読みベートーヴェンの交響曲などのCDを聴いている。先日、中古CD店のベートーヴェン・コーナーを見ていたら、「戦争交響曲 ウェリントンの勝利」を収録したCDを発見。ベートーヴェンは9つの交響曲以外に、もう1つ交響曲と銘打った曲を残していたのだ。ハインツ・ボンガルツという指揮者とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏のCDだ。興味本位に購入。この戦争交響曲は、交響曲第7番と一緒にウィーンで初演され大好評を博し、ベートーヴェンが国民的作曲家になるきっかけとなったと伝えられている。とは言っても、内容的には他の交響曲に比べ、ウェリントンでイギリス軍がナポレオン軍に勝利したのを音楽で描写しただけの浅薄なもの。そこには、「運命」や「合唱」のような、苦悩を越えた歓喜、カオスからコスモスへ、といったヘーゲル哲学を音楽で表現したような思想はなく、「田園」のようなロマン派音楽の先駆を思わせる新しい表現法もない。曲は1部「戦争」、2部「勝利」の2部形式で、オーケストラ楽器の他に、大砲、小銃、行進ラッパなどの戦争に用いる武器などを左右に配置してイギリス軍とフランス軍の戦いの模様を描写している。ま、戦争映画の音楽版といったところだろうか。こうしたわかりやすい演出が受けたのだろう。でも、当時のウィーン市民がナポレオン軍でなく、イギリス軍を応援していたのはちょっと解せない。だってその10年ほど前はフランス革命による王政打破と、ナポレオンの登場にヨーロッパは歓喜していたはずだ。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」もナポレオンの登場に触発されて作られた傑作ではないか。ベートーヴェン本人は、戦争交響曲をいやいや作ったのだそうだ。作曲を依頼したのはメトロノームの発明家で知られるメルツェル。自ら考案した機械仕掛けの自動演奏装置であるパンハルモニコンのための曲としてベートーヴェンに依頼したのだという。当時ベートーヴェンは、年金を受けていた侯爵が破産したり亡くなったりして経済的に窮乏状態。そんな中渋々この依頼を受けたのだそうだ。周りの人々の意見など聞く耳を持たず、自らの意思に忠実に作曲したベートーヴェンにもこんな経緯から作った曲があったんだなあ。それにしても、ベートーヴェンが生きた時代は、フランス革命、ナポレオン戦争、アメリカの独立革命といった疾風怒濤の激動期だったのだ。ベートーヴェンの音楽の革新性、ダイナミズムにはこうした時代背景も色濃く投影しているのだと思う。いささか解説的なブログになってしまったが、ベートーヴェンの予習になれば幸いです。最後に一句。 「 梅雨晴れ間 蝉の聞こえぬ 早朝ラン 」
2019.07.29
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来年は、ヴェートーベン生誕250年のメモリアル・イヤー。世界各地でベートーヴェンが演目のコンサートが盛んに行われる。その予習のためにこのところ、ベートーヴェン本を読み、交響曲や弦楽四重奏曲など、これまであまり聴かなかった曲も含めて聴き漁っている。よく見るベートーヴェンの肖像画(上記写真)は、晩年の大曲「ミサ・ソレムニス」を作曲している姿を描いているということをベートーヴェン本で知った。しかし、これまで一度もこの曲を聴いていなかった。さっそく中古CD店で450円で購入したのが上記写真のCDだ。デイヴィッド・ジンマン指揮トーンハレ管弦楽団、シュヴァイツァー室内合唱団の演奏だ。通常80分くらいかかるこの曲を65分57秒で演奏している。相当なハイテンポ。ネットで調べると、「フレッシュで軽妙なタッチの快演奏」とあった。いざ聴いてみる。カトリックの典礼文が歌われている宗教儀式のための曲には聴こえない。ま、カトリック教徒でもないし私に教会音楽の何たるかがわかるわけないけど・・・。交響曲第9番「合唱」のもう1つの楽章のように聴こえた。あの「歓喜の歌」のようなシンプルで親しみやすいメロディーと言うよりは、バッハの曲のような感じだが・・・。ワーグナーはこの曲について、「真正なベートーヴェン的精神を持つ純粋な交響曲的作品」と言っている。私の印象はあながち間違ってはいなかった。あるベートーヴェン本を読んでいたら、こんな記述があった。『「ミサ・ソレムニス」の青書を終えた全曲の総譜と下書きとをベートーヴェンは14日間も探し抜いたことがあった。それらは台所の隅の鍋の下敷きになっていて、危うく上から1枚1枚メイドの食料品買い出しの包み紙に使われてしまう一歩手前であった。』曲を作り始めたら寝食も忘れ、周囲の迷惑も顧みず大音声で歌いピアノを弾く・・・・そんな一般常識からかけ離れたベートーヴェンの生きざまの一端を垣間見るエピソードだ。でも見つかってよかったよ。体調不良の晩年の5年もの歳月をかけて作った曲がジャガイモの包み紙になって捨てられてしまったら悲劇だ。喜劇かもね。その4年後、ベートーヴェンは死の床で曰く。「諸君、喝采せよ。喜劇は終わった。」この大曲「ミサ・ソレムニス」のウィーンでの初演は、交響曲第9番と一緒に行われている。大曲2曲が立て続けに演奏されたわけだ。聴衆はこんな重量級の2曲をしかも初めて耳にしたわけだ。さぞヘビーだっただろう。でも来年のメモリアルイヤーには、あえてこの初演を再現するコンサートをやってほしいな。年末の第9演奏会の時期に。その方がより年の瀬を体感できるのではないだろうか。最後に一句。 「 待ってたよ 入梅鰯に 白ワイン 」
2019.06.26
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ワディム・レーピンのヴァイオリン・リサイタルに行った。神童と言われ、数々の名オケ、名ソロイストとの共演を重ねてきたレーピンもはや50前。最近は、故郷シベリアのノヴォシビルスクで音楽祭を立ち上げたそうだ。会場は上野の東京文化会館。大ホールの大きなステージには真ん中にグランド・ピアノがポツンとおかれているだけ。ここのホールで、演奏家2人だけのコンサートを見るのは初めてだ。開演定刻からやや遅れて2人が現れた。ピアノはアンドレイ・コロベイニコフ。レーピンど同郷の若手だ。それにしては頭髪が・・・・・。レーピンは黒の襟なしジャケットに黒のスリムパンツ。足が長くてカッコイイ。まずはヒンデミットのソナタ。構成は2楽章のみ。20世紀の作曲家の作品だけあって、わかりやすいメロディーやハーモニーはない。でも2人はいとも簡単そうに弾いていく。こういう曲を演奏するって演奏家にとってはどんな気分なのだろう?・・・と質問をしてみたくなった。続いて休憩なしで、ベートーヴェンのソナタ第7番。短調のソナタだ。作曲したのはベートーヴェンが耳の不調から「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた年。第1楽章は暗い曲だが、2楽章は優雅、3楽章はエネルギッシュ。そして第4楽章は再び暗い曲調。でも躍動感にあふれている。第5交響曲「運命」第1楽章を思わせる。レーピンのヴァイオリンは情熱的だ。コロベイニコフとの息もバッチリ合っている。長い音を弾き切って弓をヴァイオリンから離す瞬間の表情が男の色気を発散しているぞ。20分の休憩後、メインディッシュはフランクのソナタ。聴いたことがなかったので、中古CD(五嶋みどり)を聴いて予習した。いやあ、こりゃ名曲だ。五嶋みどりのヴァイオリンって凛々しくて腹が座っている感じがしていいなあ。さて、レーピンは?わりとハイ・テンポだ。でも曲の輪郭をくっきりと表現し我々聴く者をぐいぐいと引っ張っていく。この曲って、ヴァイオリン・ソナタだけど、ピアノの聴かせどころも随所にある。ピアノが単なる伴奏ではなく、ヴァイオリンとかけ合い、渡り合い、会話をする。特に第2楽章の丁々発止は圧巻だ。最終楽章では、第1楽章冒頭のメランコリーな旋律が再び現れ、ジ・エンド。芳醇なグラスワインを飲み干したような感覚になった。アンコールは、レーピンが曲の紹介をしたが、よくわからなかった。帰るとき掲示板で確認したら、チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」のレンスキーのアリアだった。同郷のチャイコフスキーに敬意を表しての選曲なのだろうか?フランクより拍手が大きかったような気が・・・。これでおしまいかと思ったら、もう1曲やってくれた。これがすごかった。まずは、レーピンがピアノ伴奏なしでの即興のような超絶技巧ソロを披露。そしてピアノが加わり熱い曲が展開。どこかで聴いたような・・・・掲示板にはラヴェルの「ツィガーヌ」とあった。あれ、「ツィガーヌ」ってオケ伴奏の曲じゃなかったっけ?曲が終わった瞬間にブラヴォーの嵐。この日一番盛り上がった瞬間だった。ソロ・リサイタルは、フル・オーケストラのコンサートで味わうような興奮の度合いは低いけど、演奏家の一挙手一投足を眺めながら聴くことで、音楽を奏でることの楽しさ、喜びを共有できるのがいいと思う。最後に一句。 「 ランニング 紫陽花が飛ぶ 汗が飛ぶ 」
2019.06.13
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シンガーソングライターの栗山龍太を知っていますか?来年のパラリンピック東京大会を控え、パラリンピアンへの応援歌「リアル・ビクトリー」を作り、関連イベントなどで各地で歌い続けている。いい曲だしタイムリーなので、新聞やテレビでもよく取り上げられている。8月には日テレの24時間テレビに出演する予定だ。私は、ある時元盲学校の先生だった人物から「リアル・ビクトリー」のCDをもらった。聴くといい曲なのでギター・コード譜がほしいと話したら、後日栗山さん本人からその譜面が送られてきた。そんな縁から、彼が歌う予定をいつも連絡してもらうようになった。で、先日、彼が弾き語るイベントに行ってきた。(上掲写真)場所は、紀伊国屋書店の新宿店9階のイベントスペース。先頃、ヨットでの大西洋横断を果たした盲目のヨットマン=岩本光弘さんの出版記念講演会にサプライズ・ゲストとして自作曲を披露したのだ。曲目は「ドリーム・ウィーバー」。訳すと『夢織り人』。栗山さんが岩本さんに捧げた曲だ。岩本さんは大西洋横断中の海の上で、気が滅入ったら聴いていてそうだ。私もこの場で初めて聴いたが、確かに元気が出るロック調の曲だ。「リアル・ビクトリー」もいいけど、この曲もいい!岩本光弘さんの大西洋横断の模様は、今月30日のNHK・BS1で放送する「BSドキュメンタリー」で放送されるそうだ。「ドリーム・ウィーバー」はその番組のテーマ曲として使われているそうだ。興味ある人はぜひ見てほしい。そしてこの曲を聴いてほしい。ポップなメロディーと力強いヴォーカルが持ち味のシンガーソングライター=栗山龍太。覚えておいてください。最後に一句。 「 梅雨入りて ドリーム・ウィーバー 蠢きぬ 」
2019.06.09
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今をときめく若手マエストロ=アンドリス・ネルソンス率いるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートに行った。ネルソンスは、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター(楽長/音楽監督兼首席指揮者)であると同時に、ボストン交響楽団の音楽監督でもあるという世界で最も注目される指揮者だ。数年前にバーミンガム市交響楽団と来日した時に初めてナマで見たが、全身で踊るように指揮するのを見て驚いたのを覚えている。2度も勢い余って指揮台から落ちたのも目撃した。さて今回はどんなオーバーアクションの指揮ぶりを見せてくれるか?270年以上もの歴史を持つ世界最古のオーケストラ=ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団はどんな響きを奏でるのか?美人ヴァイオリニスト=バイバ・クリスデはどんなショスタコーヴィチを聴かせてくれるのか?興味津々のコンサートの会場は、上野の東京文化会館。まずは、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番だ。ソリスト=バイバ・スクリデと、アンドリス・ネルソンスがステージに現れた。同じラトヴィア出身だ。二人とも大柄で存在感があるなあ。絶望感の漂う第1楽章が始まる。ストラディヴァリの音色はシャープだが堀が深い。難解な演奏を淡々と安々と奏でていく。やるなあ。一方ネルソンスは元気いっぱいの指揮ぶりだ。指揮台には頑丈そうな手すりがついている。態勢が崩れそうになるとすかさずその手すりを握る。なるほど、これなら指揮台から落ちることはない。考えましたな。ショスタコーヴィチの曲は第4楽章までずっと緊張感全開の楽曲だった。それをミスなく弾き終えたバイバ。カッコイイ!ファンになってしまった。アンコールはヴェストホフというバッハと同時代の作曲家の「鐘の模倣」という曲。お決まりのバッハの「G線上のアリア」ではないのがよかった。休憩後の後半は、ブラームスの交響曲第1番。ブラームスの交響曲をナマで聴くのは初めてだ。アンドリス・ネルソンスが再び登場。指揮台の手すりと共に目に止まったのが譜面台。よく見る譜面台より小ぶりで背丈が高い。長身のアンドリスに合わせた高さのようだ。彼専用のものなのだろう。手すり付きの指揮台と一緒にライプツィヒから持ってきたと見た。ブラームスの1番は、「ベートーヴェンの第10交響曲」と呼ばれるにふさわしい古典的な構成の名曲だ。ネルソンスとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏は、気負いも衒いもなく正攻法だ。自国ドイツの作曲家の曲なので自信満々なのだろう。弦も金管も打楽器もそれぞれにいい響きだが、とりわけ木管(クラリネット、オーボエ、ファゴットなど)の響きが重厚で力強いのが印象に残った。ネルソンスのオーバーアクションは数年前に比べるとややおとなしくなってはいたが、相変わらず視覚的に楽しませてくれた。そんな指揮ぶりをずっと見ていて、ネルソンスの音楽への愛を感じた。音楽の素晴らしさを十二分に聴衆に届けたいと指揮するとあのような無邪気なオーバーアクションになるのだろうな。前回のコンサートを見て、ネルソンスを「全身指揮者」と名付けた私だが、今回のコンサートを見て、私は彼に「朴訥なクマさん」と名付けることにする。なぜって?そう見えたから仕方ないのであります。感動的なブラームスを終えたアンコールは、メンデルスゾーンの序曲「ルイ・ブラス」。さすがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団ならではの選曲だ。メンデルスゾーンは、かつてのこのオーケストラのカぺルマイスターでもあり、世界的はオーケストラに押し上げた張本人。そんなメンデルスゾーンに敬意を表してのアンコールだ。去年、NHK交響楽団がヨーロッパ公演を行ったが、その時のアンコールって何だったのだろう・・・・とふと思った。日本的な曲、例えば、「花」「おぼろ月夜」「夏は来ぬ」「ふるさと」・・・などをメドレーで演奏したら受けるのでは・・・そんなことを思いながら、私の興味津々コンサートは幕を閉じたのでありました。最後に一句。 「 ネルソンス 音楽愛の 夏は来ぬ 」
2019.05.30
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先日、ケーブルテレビの音楽チャンネル=ミュージック・エアで、2005年の柳ジョージ&レイニーウッドの再結成ライブをやっていた。ジョーちゃんファンだった私は、当然のように24年ぶりの再結成コンサートのチケットを買い、勇んでライブ会場のゼップ東京に行った。しかし、初めからほとんど千鳥足状態のジョーちゃんは、声の出があまりよくなく、歌詞を間違えたり果てはステージ上で足がもつれて転んでしまったりと、散々なコンサートだったのを思い出した。後で聞いた話だが、楽屋にメンバーが日本酒を差し入れ、それをジョーちゃんは本番前に飲み干してしまったのがその原因だったのだそうだ。いやあ、豪快!豪快!名曲「酔って候」を地で行くジョーちゃん、憎めないよね。番組は、その散々なゼップ東京でのライブではなく、横浜でのステージの収録だった。そりゃそうだ。亡くなって7年余りたって醜態をさらした映像を放送するわけないよね。このステージがなかなかいいんだなあ。久しぶりに聴くジョーちゃんの声にしびれてしまった。「プリズナー」、「クロスアイド・ウーマン」、「本牧奇譚」、「ハーバー・フリーウェイ」、「フェンスの向こうのアメリカ」、「コペンハーゲン・パーク」、「娘よ・・・」、「ヘイ、ダーリン」、「雨に泣いてる」etc レイニーウッド時代の曲って名曲揃いだ。皆演奏が抜群にうまいし、ジョーちゃんのエレキギター・ソロがまた味わい深い。自室の書棚をひっくり返したら、再結成コンサートのプログラムが出てきた。再結成コンサートへ向けてのリハーサルの写真やジョーちゃんへのインタビュー、そして絶頂期の頃の懐かしの写真も載っていた。これもその1枚。いい写真だよなあ。見ただけでいいロック・バンドってわかる。みんなカッコイイ。そんな彼らの奏でるロックに心を揺すぶられ、自分たちもバンドを組んで、「雨に泣いてる」や「本牧奇譚」、「フェンスの向こうのアメリカ」などをコピーして息巻いていた自らの若き日々のことを思い出しながらしばし、亡き柳ジョージの歌声に浸る。ステージは、「さらばミシシッピー」で幕を閉じ、アンコールは、「ストーミー・マンデー」。確か、私が見たゼップ東京でのコンサートもアンコールはこの曲だった。歌声もギター・ソロも凄みのあるものだった。レイニーウッドの面々のアドリブ・ワークもグッド!やっぱりジョーちゃんの音楽のルーツはブルースなんだな。そしてラストは「青い瞳のステラ 1962年夏・・・」。いい曲だ。石井清人の12弦エレキギターの音色が郷愁を誘う。濃いめのバーボン・ハイボールが無性に飲みたくなった。ジョーちゃんが亡くなってしまったのが返す返すも残念至極。そんなことを思いながら録画番組を見終え、DVDにダビングし永久保存版にしたのでありました。音楽って本当にいいもんだよね。最後に一句。 「 ジョーちゃんの 歌と鰹で ハイボール 」
2019.05.25
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10連休の友として、フルトヴェングラーとアーノンクールのそれぞれCD5枚組セットを購入。フルトヴェングラーは、ウィーンフィルなどとのベートーヴェンの交響曲全曲(9曲)。アーノンクールは、ベルリンフィルとのブラームスの交響曲全曲(4曲)とピアノ協奏曲全曲(2曲)に小曲も。ピアニストはブッフビンダー。この2つのセットがなんと、どちらも1000円ちょっとしかしないのだ!CD10枚で2000円余り。いくらネットで音楽を聴く時代だとはいえ破格だ。フルトヴェングラーの方は1940~50年代の録音なので、曲によって音質はかなり劣悪。アーノンクールの方もピアノ協奏曲第1番だけはベルリンフィルではなくアムステルダム・コンセルトヘボウだったりと寄せ集めた感あり。それにしても、これだけのボリュームの名演奏を2000円余りで聴けるのだから、特に遠出の予定もない10連休を楽しむには抜群のコスパだ。ベートーヴェンの交響曲は、これまでカラヤン・ベルリンフィルの演奏を愛聴してきたので、フルトヴェングラーのゆったりとした、また時に狂ったようにアップテンポになる演奏が新鮮で面白かった。特に第9番「合唱」は、歴史的名演奏として聴き継がれている1951年のバイロイト祝祭管弦楽団とのライブレコーディングだったのが嬉しかった。演奏時間は75分。4年前に聴いたパーヴォ・ヤルヴィとN響の演奏は63分だったのに比べるとなんとゆったりしたことか。ヤルヴィはベートーヴェンの楽譜のテンポ指定を忠実に守って演奏していると言っているので、フルトヴェングラーの演奏は、楽譜の指示を無視して自らの解釈で演奏していることになる。私にとって、そのどちらも名演奏だった。こうした指揮者の解釈の違いがクラシック音楽の魅力なのだ!それにしても、合唱の第4楽章のど迫力には肝を抜かれた。アーノンクールのブラームスは、個性的だった。これまでブルーノ・ワルターや、クラウディオ・アバドのオーソドックスなブラームスを聴いてきたので、テンポが自在に緩急し、楽器の奏法や音量のバランスなどもこれまでに聴いたことがなくユニークだった。特に交響曲第1番の第4楽章ラストのたたみかけるようなアップテンポのエンディングが鮮烈だった。古楽を一大ムーブメントにした立役者アーノンクール。その1つ1つの演奏に彼の深い楽曲への解釈が現れているのだろうと思う。それが何なのかまではわからない。輸入盤のライナーノートにあった、自分とブラームスについて語ったアーノンクールのインタビュー(英・仏・独語)をちゃんと読んだら理解出来るのだろう。ひまを見て辞書を引きながら訳さなくては・・・。そんなこんなで、10連休は、ひまさえあれば今は亡き2大巨匠の演奏に聴き入っていた。朝のランニングの時も頭の中で2人の演奏が鳴っていた。こうしたクラシック音楽三昧で令和元年は幕を開けた。最後に一句。 「 10連休 どこにも行かず 10CD 」
2019.05.06
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読売日本交響楽団を初めてナマで聴いた。指揮は井上道義。会場は、神奈川県大和市のシリウス大ホール。シリウスはおととしオープンした図書館と音楽ホールや会議室などが合わさった公共施設。中でも図書館は、喫茶店や子どものための遊びのスペースもあり、漫画も借りれ、ビデオ視聴もできるので全国から注目を集めている。その一角にある音楽ホールはほぼ満席。天気が良く新緑がきらめく春の日にもかかわらずよく集まったものだ。最初の曲はモーツアルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」序曲。井上道義は長身だ。手も長い。聴衆にあいさつをしてオケの方を向いた瞬間に腕が振り下ろされた。指揮棒はない。しかも指揮台もない。長身で手も長いので2つとも不要ということか・・・。井上はオーバーアクションでオケを煽る。これまで見たアンドリス・ネルソンスやアンドレア・バッティストー二と同列だ。ネルソンスが「アジテーター」、バッティストー二が「ダンサー」だとしたら、井上道義は「道化師」といったところだろうか。2人に比べ、指揮する姿がどこか滑稽なのだ。そして、曲が終わった瞬間にスキンヘッドの顔を聴衆の方に向けニコッと笑う。かわいらしいな。「演奏どうだった?楽しかった?」と言っているようだ。こんな仕草をする指揮者は初めてだ。カッコつけないところが好感が持てる。続いて、神尾真由子を迎えて、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番。初めて聴く曲だったが、超絶技巧派ヴァイオリニストが作った曲だけあってオクターブ奏法や弦を押さえる左手によるピチカートなど聴いたことのないようなヴァイオリンの音色が披露される。そしてそれを神尾真由子がいとも簡単にやってのけるのだ。こりゃ、すごい!曲が終わるやいなやブラヴォーと拍手喝采。同じくパガニーニの曲をアンコール。普通ソリストのアンコールの時は、指揮者はステージにいないのが普通だが、井上はステージの下手の次の曲のためにスタンバイで重ねておかれていた椅子の上にどかっと座って聴いていた。カッコつけない指揮者・井上の面目躍如。メインディッシュはストラビンスキーのバレエ組曲「火の鳥」。演奏前に井上がマイクを持って登場。こんな天気のいい日にハイキングにも行かずに来てくれてありがとうと話し、最前列に座っている子供をいじったり・・・。カッコつけない井上さん、やるじゃない。そして、これから演奏するストラビンスキーの「火の鳥」の中の、「パントマイム」のⅠ、Ⅱ、Ⅲは演奏しないと説明した。この3曲はバレエがないとつまらない曲なので省くというのだ。ふ~ん、そんな演奏スタイルもありなのか・・・。カッコつけない井上道義の聴衆に楽しんでもらうための流儀なのかもしれない。この流儀を私は「ミチヨシズム」と名付けることにする。ストラビンスキーは、躍動感あふれる演奏だった。井上はそれに合わせてバレエ・ダンサーのように気持ちよく舞っていた。私は聴きながら開放感に浸っていた。クラシック・コンサートで開放感に浸ったのは初体験かも知れない。普通は「開放感」と言うより「感動」だ。10日前にスイス・ロマンド管弦楽団でマーラーの交響曲第6番を聴いたときなどは、このブログでも書いたけど「哲学的思惟」だったもんね。金管楽器が爆音を放ち、弦楽器が次第に音量を増していき最高潮に達して曲が終わった瞬間に、いつものように井上は聴衆に向いてニッコリとほほ笑んだ。私は思わずそれに応えて「イエイ!」と言って拍手した。ロック・コンサートに来ているような錯覚に陥っていた。開放感はロックやポップスのコンサートの専売特許ではない!クラシック・コンサートだって開放感を味わったっていいじゃないか・・・と井上が言っているように思った。そしてアンコールはストラビンスキーと同時代・同郷のハチャトゥリアンのバレエ組曲「ガイーヌ」から、小太鼓が小刻みなテンポを刻み続ける躍動感満点の曲「レズギンカ」。わたしの開放感はまたしても高まっていく。そうこうしていたら、井上は演奏途中に聴衆に向かって手拍子を要求した。なぬ?ここはロック・コンサート会場か???しかし気が付いたら聴衆全員が手拍子をしていた。ヴァイオリンという楽器の超絶技巧に驚き、ストラビンスキーやハチャトゥリアンの躍動感に酔う・・・・。こんなに理屈抜きに楽しいクラシック・コンサートは初めてだった。クラシック音楽に対する固定観念をぶち壊してくれた井上道義に感謝! 最後に一句。 「 緑燃え ミチヨシズムが 躍動す 」
2019.04.21
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スイス・ロマンド管弦楽団の来日公演を聴きに行った。創設100周年記念のアジア公演中なのだそうだ。スイス・ロマンド管弦楽団というと、エルネスト・アンセルメが初代指揮者として30年以上にわたってオケを育て上げ、デッカ・レーベルから幾多の名盤を残している。しかしアンセルメ亡き後は、ほとんど話題にも上らなくなった。でもスイス一の名オーケストラであることは間違いない。しかもイギリス生まれの熱血ジェントルマン=ジョナサン・ノットが音楽・芸術監督だ。しかも演目は私の大好きなマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。これは聴きに行くしかない!会場は上野の東京文化会館。ロビーで景気づけに白ワインを一杯。800円はちと高い。マーラーの前に、弱冠22歳のヴァイオリニスト=辻彩奈とのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ややチューニングがあってないような気もしたが、若々しくロマンティックな演奏だった。ソリストのアンコールは、定番のバッハの無伴奏曲だった。20分の休憩の後、いよいよマーラーだ。大ホールのステージには、大太鼓や銅鑼、チェレスタはハープまで所狭しと並んでいる。そしてハンマーが打ち下ろされる台も。交響曲第6番「悲劇的」をナマで聴くのは、3年前に横浜のみなとみらいホールでのパーヴォ・ヤルヴィとN響の演奏以来だ。この時のライブ録音はCDになって売られている。やっぱ、パーヴォって人気があってCD出しても売れるんだろうな。熱血ジェントルマン(私が勝手につけたネーミングです)=ジョナサン・ノットが、白い蝶ネクタイと燕尾服で登場。こんなフォーマルな服装の指揮者は今どき珍しい。そんな理由でジェントルマンなのです。独特のマーチで曲が始まる。木管、金管が野太い音だ。ジョナサン・ノットはスリムな全身を使って熱い指揮姿。いいぞ、いいぞ。不気味なマーチと対称的な甘い第2主題が奏でられる。妻アルマへの愛を表現していると言われているメロディーだ。うーむ、この起伏、アンビバレントな構成が魅力的だ。長大な第1楽章が終わると、ちょっと悲し気なスケルツォの第2楽章、深い叙情をたたえる第3楽章。そして曲のタイトル「悲劇的」を体現するかのような第4楽章だ。パーヴォ × N響の演奏に比べテンポはややゆったりしている。しかし縁取りがくっきりとした鮮明な演奏だ。楽器1つ1つの細かなニュアンスまで耳に届き、マーラー6番を再発見したような気分にさせられた。打ち下ろされるハンマー2発!決まった!そしてエンディングの破滅的な幕切れ。なんとユニークな終わり方なのだろう。この曲を作曲した当時のマーラーは、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任したり、愛妻アルマとの間に娘が生まれたりと人生の絶頂期だったはずだ。なのに何故こんな悲劇的に終わる曲を作ったのだろう?わが身の幸せは長く続くはずがないと考えていたのだろうか・・・・?でもその気持ち、わかるな。色即是空・空想是色。人生は諸行無常なのだよ。さすが人間の本質をわかってらっしゃるな、マーラーさんよ!ジョナサン・ノットとスイス・ロマンド管弦楽団のマーラーは、私を哲学的思惟に誘ってくれる名演奏だった。クラシック・コンサートで人間とは何かを考えるというのも悪くないな。そんなことを思い会場をあとにし、散り始めた上野の森の桜を眺めながら駅に向かった。最後に一句。 「 花冷えの夜や マーラー忍び寄り 」
2019.04.13
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ブックオフで、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」のCDを衝動的に4枚購入。3枚は、カラヤン指揮ベルリンフィルの62年、77年、82年にそれぞれ録音したもの。それと朝比奈隆が大阪フィルを指揮したもの。それぞれ1枚280円。安価だからこんな買い方が出来ちゃうんだよね。しかも、カラヤンの「運命」が3種類もあるなんて、CD店ではありえないよね。ブックオフ、偉い!クラシック少年だった私は、カラヤン・ファンだった。カラヤン・ベルリンフィルの62年録音のものはLPレコードとして買って愛聴していた。テンポは他の指揮者に比べ速い。その躍動感あふれるアップテンポの「運命」が大好きだった。ターンテーブルがなくずっと聴けなかったのでなつかしく聴いた。で、その62年録音以外の77年、82年のものも聴いてみると、アップテンポ感は同じだが、響きや表情がそれぞれ違うのが面白い。これがクラシック音楽鑑賞の面白さだ。その3枚に加えて朝比奈隆と大阪フィルを何故買ったのか、それはカラヤンと対称的に、テンポが遅いので、一度聴いてみたかったのだ。上記写真の右のカラヤンの77年録音の演奏時間は28分19秒。かたや左側の朝比奈隆は、なんと41分42秒。13分あまりも違う!これまでいろいろな「運命」を聴き、その演奏時間を調べたが、30分を切る演奏はトスカニーニとNBC交響楽団のものくらいしかないと思う。それも29分ちょっと。28分台の演奏は、カラヤンの77年録音しかない。(62年録音画は31分余り。82年録音は30分余り。)朝比奈隆のCDには録音日時の表記はない。1993年にリリースされたCDなので、たぶんその少し前の録音だと思われる。それにしても40分を越える「運命」は、わたしとしても初めて知った。興味津々で、CDを聴く。わき目もふらずゴールに向かって突っ走るカラヤンに対し、朝比奈は、悠然とゴーイング・マイ・ウェイ。カラヤンの「運命」とは別の曲を聴いている気分になる。こんなゆったりとした「運命」を初めて聴いた。これはこれとして名演奏ではないかとも思った。カラヤンと朝比奈隆は1908年生まれの同い年で親交もあり、互いに相談し合う中でもあったそうだ。それでも楽曲の解釈は全く違った。「運命」のCDがそのことを端的に物語っていた。どちらの「運命」が好きかはひとそれぞれの好みの問題だが、1つ言えることは、どちらの演奏を聴いてもベートーヴェンの「運命」は聴きごたえ抜群の名曲だということである。いやあ、クラシック音楽って面白いよね。最後に一句。 「 春うらら ベートーヴェンに 起される 」
2019.04.07
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世界が注目する若手指揮者ウラディーミル・ユロフスキー率いるベルリン放送交響楽団のコンサートに行った。ソリストはピアニスト=レイフ・オヴェ・アンスネス。難曲のブラームスのピアノ協奏曲第1番を演奏する予定だったが、右ひじの故障で急遽モーツァルトのピアノ協奏曲第21番に変更。やや拍子抜け。早朝の1時間のランニングの疲れからか、居眠りをしてしまう。ごめんよ、アンスネス。それだけ心地よい演奏だったともいえる。アンコールは、ショパンのノクターン第4番。ひじを治してリベンジ来日待ってまっせ。20分の休憩をはさんで、いよいよマーラーの交響曲第1番「巨人」。トイレから戻り席に着くと、ステージ最後列には所狭しと打楽器がズラリ。上手からティンパ2台、大太鼓2台、そして銅鑼。その前にはハープ。コントラバスはステージ下手に置かれていた。通常は下手だが・・・。そして楽員が登場。なんとホルンは7人。ん?トランペット奏者がいない。席はあるのに・・・。チューニングが終わり、ユロフスキーが颯爽と足早に登場。足が長い!しかもスリムでロン毛。カッコイイ。静かに第1楽章が始まる。緩やかな序奏に遠くからトランペットが響く。でもステージに奏者はいない。そうか、舞台の袖で演奏しているのだ。こんな効果まで考えてマーラーは曲を作っていたのだ。ご苦労様。心地よく凛々しい第1楽章が終わり、第2楽章へ。あれ?聴いたことがない曲だ。あわててプログラムを見ると、第2楽章「花の章」とある。そうか、マーラーが当初5楽章からなる交響詩として初演し、その後改訂して4楽章の交響曲第1番「巨人」とした時に省かれた曲なのだ。自宅にあるワルター、ショルティ、テンシュテットのCDにはない曲が聴けたぞ。得した気分になる。5分くらいのかわいらしい曲でした。そしてスケルツォの第3楽章。弦楽器の分厚くパワフルな音に驚く。第4楽章は葬送行進曲。コントラバスの独奏から始まった。え?ふつうは独奏じゃなく、コントラバス全員の合奏だよなあ。ユロフスキー独自の解釈?間髪入れずに最終楽章へ。居並ぶ打楽器が大爆発!そして金管楽器も暴発。大編成のオケがフル回転。こんな大音響のコンサートは、3年ほど前、バレンボイム指揮・ベルリン国立歌劇場管弦楽団で聴いたブルックナー交響曲全曲演奏会以来だ。クライマックスでは7人のホルン奏者が全員立ちあがって吹いた。視覚的演出なのか?それともより大きな音を出すための手法か?大団円はアップテンポでジ・エンド。63分におよぶ大交響曲はこうしてめでたく終了。いい演奏だった。マーラーの交響曲をナマで聴くのは、2年前にパーヴォ・ヤルヴィとN響による第6番以来だが、聴いて改めてそのユニークさに圧倒・感服・脱帽させられる。アンコールは、ユロフスキー自ら指揮台から客席に向かって「マーラー編曲によるバッハのG線上のアリアです。」と紹介し演奏された。ヴァイオリニストのアンコールなどでもよく演奏される曲だが、マーラーの個性的な大曲の後でも余韻をぶち壊すことなく無理なく聴ける不思議な曲だ。会場の東京文化会館を出て上野駅に向かう。外気の寒さを感じない。春到来だ。ぼちぼち花見の日程を考えねば・・・・。最後に一句。 「 上野の森 初めて聴いた 『花の章』 」
2019.03.21
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毎週見ているNHKの「らららクラシック」がビートルズの魅力をクラシック音楽の技法から解き明かしていた。非常に興味深かったので内容をご紹介。解き明かすのは、作曲家・宮川彬良、音楽学者・田村和紀夫、音楽プロデューサー・ジャイルズ・マーティンの3人。まず作曲家・宮川彬良の解明=『クラシックとロックの同居』このことは、以前NHKの別の番組で本人が話していた。「シー・ラブズ・ユー」「抱きしめたい」などのメロディーはモーツアルトに匹敵するようなものだが、その合いの手のギター・リフはロック。なるほどおっしゃる通りだ。メロディーも合いの手もロックのローリング・ストーンズとは大違いなのだ。次に音楽学者・田村和紀夫の解明=『クリシェの登用』クリシェとは、バロック音楽で、悲しみを表すために伴奏を1音ずつ下げていく手法。バッハの「G線上のアリア」が有名。当時は、「Ⅼamento Bass(悲しみの低音)」と呼んでいたそうだ。その手法を「ミッシェル」、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」などをはじめ、66年以降の楽曲の3割に使っているのだそうだ。なるほど、今やロック、ポップ、Jポップにもたくさん使われているこの手法をロックに初めて持ち込んだのが「ミッシェル」だったわけか。いやあ画期的なことをやってたんだなあ、ビートルズは!最後は音楽プロデューサー・ジャイルズ・マーティンの解明=『対位法』対位法もクリシェ同様、クラシック音楽の技法で、楽器によって違うメロディーを同時に演奏すること。例えば、シューベルトの交響曲「未完成」第1楽章のオーボエと弦楽器によるメロディーがそれ。それをビートルズは、「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド」のリンゴのボーカルとポールのベースで。また、「ヘルプ」のジョンのボーカルと、ポールらのコーラスでやってのけているのだ。これによって楽曲のクオリティーは格段に上がっている。やってくれますなあ。あ、この解明をしたジャイルズ・マーティンは、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンの息子さん。こうして見てくると、ビートルズの魅力とは、当時のロックにクラシック音楽の技法を取り入れたことだと言える。白人音楽と黒人音楽とのミクスチャーが魅力を生んだと言い換えることも出来ると思う。いずれにしてもプロデューサーだったジョージ・マーティンの功績が大きかったと言える。もちろん、それを吸収し受け入れ、曲を作り演奏したメンバー4人がいたからこそだが。ビートルズの出現は革命的な出来事として今後も音楽史に刻まれていくことは間違いない。最後に一句。 「 ギター出し 花見に備え ビートルズ 」
2019.03.16
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NHK・BSでエルトン・ジョンのライブ収録番組を見た。7年前にラスベガスのカジノ・ホテル内のホールで行ったもので、題して「100万ドルのピアノ ライブ・イン・ラスベガス」。100万ドルのピアノとは、ヤマハがエルトンのために製造したLEDを組み込んで映像を映し出すグランド・ピアノ。「フィラデルフィア・フリーダム」では星条旗、「ダニエル」の時は空を飛ぶ飛行機。「グッドバイ・イエロー・ブリック・ロード」には曲目・・・など曲に合わせた様々な映像が映し出される。こんなピアノを発注するなんて派手好きでサービス精神旺盛なエルトンならではだ。↓そんな派手なピアノとは裏腹に、ステージは、エルトンのこれまでの音楽生活を感謝と共に振り返る真摯な語りと、美しいバラードが心を打つ深みのあるものだった。もちろん、「クロコダイル・ロック」や「ビッチ・イズ・バック」、「土曜の夜は僕の生きがい」などのロックもちゃんとやっているけどね。話として面白かったのは、エルトンは世界各地に5台の特注ピアノを所有しているそうだが、そのピアノ1台1台にリスペクトする女性ミュージシャンのファースト・ネームを付けているのだそうだ。その顔ぶれが興味深い。アレサはアレサ・フランクリン。ダイアナはダイアナ妃ではなくダイアナ・クラール。ニーナはニーナ・シモン。ウィニフレッドは、ウィニフレッド・アトウェル・・・・。そして、この100万ドルのピアノには、ブロッサムと命名したという。それは、ブロッサム・ディアリーというジャズ・ピアニストの名前なのだそうだ。ダイアナ・クラールを除く4人は、活動年代から言って幼少の頃のエルトンが影響を受けたミュージシャンなのだと思う。面白いのは、ブロッサムを除く3人は、黒人女性なのだ。クラシック・ピアノを学校で習っていたエルトンだったが、実はその頃からジャズやソウル、ゴスペルなどの黒人音楽に関心を持ち親しんでいたのだ。なるほど、これでエルトンの楽曲の大きな特徴の謎が解けたぞ。エルトン・ジョンの作る曲の特徴とは、クラシカルなメロディーを持つ曲が次第にゴスペルやロックンロールに変容していくということ。ビートルズの曲が1つの曲の中にクラシックとリズム&ブルースが合体しているのと似ている。このライブで歌った「リーヴォン」は曲が進むにつれて、まずピアノがゴスペル調になり、エンディングではバック・バンドも加わって大ロックンロール大会と化した。また、多くのミュージシャンがカバーしている壮大なバラード「僕の瞳に小さな太陽」は、途中からピアノがホンキートンクになり、ゴスペル調の弾き語りになり、まるで黒人教会での礼拝のような雰囲気になった。この変容、このミクスチャーが私にとってのエルトン・ジョンの最大の魅力だ!そしてこれがエルトン・ジョンがロック・スターであり、同年代のカーペンターズがポップ・スターであるのとの違いだ!ロックとポップってどっちが偉いのかなあ。ま、どっちが好きかは人それぞれの好みだけど・・・。もちろん、「ユア・ソング」や「ロケット・マン」、「ダニエル」のように最後までクラシカルな美しいメロディーとアレンジで押し通す曲もある。もちろんそれもいい!エルトンはメロディーメイカーなのだ。知り合いがこの番組を見た後、私に送ってきたメールに、エルトンをして『1人ビートルズ』と称していた。なるほどそうかもしれない。でも、作詞家バーニー・トーピンという存在があったからこそエルトンはこうした曲を作ることができたのだ。ライブの中で「黄昏のインディアン」を歌う前にエルトンは、バーニーの詩を読んで先住民の滅亡をテーマにした2時間半の映画を見終えたような気分になり、それを6分半の曲に仕上げたと話していた。バーニーの生み出すストーリーに触発されて傑作を作り上げていったんだなあ・・・。いつものようにエルトン絶賛話になってしまった。悪しからず。エルトンは今月末に72歳。最後の世界ツアーを続行中だ。早く日本公演をブッキングしてほしいものだ。最後に一句。 「 エルトンと 蒸し蛤で 昼の酒 」
2019.03.10
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現代音楽の1つの潮流であるミニマル音楽をテーマにしたコンサートを生まれて初めて聴きに行った。場所は渋谷オーチャードホール。久しぶりのオーチャードホールだ。去年ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースを聴きに来た。その前はボブ・ディランで、その前はキング・クリムゾン。もっと前にはリー・リトナーとラリー・カールトンのデュオ・ライブも見た。オーケストラのコンサートをここで聴くのはなんと初めてだ。もともとクラシック音楽の音響ホールとして作られたと思うけど、昨今のホール不足でロックやポップスなどのライブにも頻繁に使われているんだなあ。話を元に戻して、ミニマル音楽だ。演奏曲目は、フィリップ・グラスのヴァイオリン協奏曲第2番「アメリカの四季」。マイケル・ナイマンのピアノ協奏曲。そして、ラフマニノフの交響曲第2番。ラフマニノフは別にして、あとの2曲はミニマル音楽の代表曲だそうだ。1つのコンサートでソリストが2人登場するというのは贅沢だ。しかも、ヴァイオリンの南紫音とピアノのアンナ・フェドロヴァという売り出し中の女性2人だし。まずはフィリップ・グラスのヴァイオリン協奏曲第2番「アメリカの四季」。コンサートでヴィヴァルディの「四季」と一緒に弾ける曲をとの依頼で作曲されたそうだ。ノンストップの40分に及ぶ大曲を南紫音が熱演。オケは神奈川フィル。指揮はこの曲もCD録音している湯浅卓雄。ヴィヴァルディのようないきいきとした四季が展開するのかと思ったら、どこか不気味で悲し気な雰囲気に終始する曲だった。やや疲れる。次はマイケル・ナイマンのピアノ協奏曲。この曲は1994年に公開された映画「ピアノ・レッスン」のために書かれた曲を再構成したもの。この映画は封切と共に見て強烈な印象を受けた。その曲をピアノ協奏曲として生で聴いた。触発されて映画のシーンが脳裏に蘇ったが、聴き終わって印象に残ったメロディーはない。そりゃそうだ。ミニマル音楽とは「音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽」なのだから。メロディーとハーモニーの魅力に取りつかれてひたすら音楽を聴き続けてきた私にとって、ミニマル音楽は違和感が残った。4~5分の曲ならユニークさとしての魅力にもつながると思うけど、それが30分、40分と続くと疲れてしまうのは私だけだろうか・・・。さて、最後はラフマニノフの交響曲第2番だ。この曲にもメロディーらしいメロディーがない。ミニマル音楽のコンサートの堂々のトリをとるにふさわしい曲なのだ。(???)でも第3楽章だけは別だ。のっけからバリバリメランコリックなメロディーが爆発する。私としてはこれまでこのメロディーはエリック・カルメンのヒット曲「ネバー・ゴナ・フォーリン・ラヴ・アゲイン」のものとして認識していた。人によってはジャズ・トランペッター=チェット・ベイカーの「ユー・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン」だと思っていたかも。別ジャンルの曲に転用されるくらいひとの胸にしみわたるメロディーなのだ。でも、15分にわたる楽章で別メロは一切なく、このメロディーの変奏らしきものもない。何か物足りない。エリック・カルメンの4~5分のポップスでさえ、このさびメロに至るまでの短調の別メロがありラフマニノフの15分より完成度が高い!と思う。(ごめんね、ラフマニノフ様)ま、そんなこんなで55分の大曲も終わり、3時間に及ぶミニマル音楽のコンサートは無事終了。単なる名曲コンサートでなく哲学のあるコンサートだった。クラシック音楽を新たに切り拓く<billboard classics>さん、いろいろ考えさせるコンサートを企画・主催いただき感謝します。これからもクラシック音楽を新たな切り口で魅力を抽出するコンサートをお願いしまーす。最後に一句。 「 春雨を 走るわが身や ミニマルか 」
2019.03.03
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マーラーの交響曲第9番を、チョン・ミョンフン指揮の東京フィルハーモニー交響楽団で聴いた。開場は東フィルのホームグラウンドの東京オペラシティ。席は、いつもの指揮者を対面で観察できる2階席。チョン・ミョンフンの指揮を聴くのは去年10月の姉チョン・キョンファとの共演以来だ。この日はマーラーの交響曲第9番の1曲のみ。開演の20~30分前に会場に着くと、当日券売り場に長い列ができていた。同じ曲を先週サントリーホール、オーチャードホールで演奏し、それが評判上々だったのを聞きつけたて来たのだろう。期待感が高まる。チョン・ミョンフンは、黒いTシャツに黒いスーツ上下。それにバックスキンの黒い靴といういつものいで立ちで指揮台に上がった。譜面台はない。暗譜でこの大曲を指揮するのだ。そして、マーラーが死ぬ前年に、娘の死や妻アルマの浮気、そして自らの心臓病などにさいなまれながら書き上げた大傑作の演奏が始まった。いつもの省エネ型のチョンの指揮棒のわずかな動きにもオケがきっちりと反応していく。マーラーが絶望の中で「死」に憧れているような音楽だ。これまでの生きてきた日々をいつくしんでいるようにも聴こえる。いやあ、素晴らしい。名曲はナマで聴くに限る。もちろんいい演奏でなきゃだめだけど。長大な第1楽章が終わり、チョンが楽員に笑顔を見せた。満足な演奏が出来ているという証の笑顔なのだろうか。ユーモラスな第2楽章から打って変わって厳しく激しい第3楽章。迫力のある見事な演奏だった。最終楽章に入る前、チョン・ミョンフンは痛そうな表情でしきりに左手の親指をさすっていた。どうしたのだろう?捻挫でもしたのかなあ・・・。第4楽章。ホルンやファゴット、チェロ、ビオラ、ヴァイオリンなどのソロ演奏が随所に出てくるが、すべての奏者が見事な演奏を披露していく。そしてマーラーが楽譜に「死にゆくように」と書き入れた最後の部分は、弦楽器が消え入るようにフェイドアウト。演奏が終わって30~40秒くらいたっただろうか、チョン・ミョンフンが指揮棒から力をゆるめ手を下げた瞬間、会場から拍手が湧き起こりブラヴォーの声が上がった。いやあ、素晴らしかった。演奏時間85分に及ぶ長大な傑作はこうしてジ・エンド。チョンはソロなどをノー・ミスで演奏した楽員人一人一人を立たせ聴衆に紹介した。そしてポーカーフェイスでステージから去った。カッコイイ。チョン・ミョンフンと東フィルのコンビが増々気に入った。そして天才マーラーに感謝。最後に一句。 「 春雨や 死にゆくように 止みにけり 」
2019.02.20
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ボズ・スキャッグスが来日する。大ベテランのソウルフル・ブルースを聴きに行こうか・・・ま、今更後期高齢者のステージを見てもしゃあないか・・・(失礼。)エリック・クラプトンがまた武道館にやってくる。何度も来日公演に行ったが、久しぶりに行ってみようか・・・でも、あと1ケ月で後期高齢者だしなあ・・・・(失礼。)そんな中で、クラシック界がにわかに面白さを増している。その張本人が、テオドール・クルレンツィス&ムジカ・エテルナだ。出すCDが立て続けに賞を受賞。タワーレコードに行くと、最新録音のマーラーの交響曲第6番を始め、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」や、大注目のヴァイオリニスト=コパチンスカヤと共演したチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲などが試聴コーナーを独占している。そのクルレンツィスやコパチンスカヤを始め、彼らの出身地や活動拠点である東欧の音楽についてのルポ(評論)を集めた本「東欧音楽綺譚」が面白かった。著者の伊東信宏氏は、バルトークをはじめとする東欧音楽を専門とする音楽学者。読むと、東欧を震源とするクラシック音楽の新しい潮流が既存の愛好家だけでなく広く音楽ファンを魅了し始めているということがわかる。伊東氏はクルレンツィスについて2年も前に注目していた。コパチンスカヤもだ。クルレンツィのコンサートを聴きに、彼のオーケストラ=ムジカ・エテルナのホームグラウンドであるモスクワから飛行機で2時間の街ペルミやドイツ・ケルンにまで足を運んでのルポが面白い。何が面白いかは読んでのお楽しみ。ロン毛でミステリアス、どこかX・JAPANのYOSHIKIに似たクルレンツィスがオーバーアクションでタクトを振り、古楽器の名手が集められクルレンツィスによって鍛え上げられたオケが全員立ち姿勢で一糸乱れぬ演奏をする。(チェロだけは座って演奏)そして、東欧モルドヴァ出身のコパチンスカヤは裸足でステージに上がり、このクルレンツィスのカリスマと渡り合って、まるでジプシー楽団の奏でる民謡のようなヴァイオリンを響かせる・・・。どうですか?聴いてみたくなったでしょ?私もCDやYouTubeで彼らの演奏を見て聴いたが、新鮮な魅力を感じた。単なる新手のパフォーマーではなく実力と演奏哲学を持った音楽家だった。クラシック界に新たなスターが生まれているのだ。ロックやポップ、ジャズ同様に、クラシックもスターがいなければ盛り上がらない。考えてみると、クラシック音楽だってたかだか300年くらいの歴史しかないジャンルだ。もっと大胆不敵な解釈やパフォーマンスがあってもいいはずだ。著書には、クルレンツィスとコパチンスカヤのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のCDについてこんな文章がある。『かつてグレン・グールドが《ゴルトベルク変奏曲》でデビューし、アーノンクールがコンツェントゥス・ムジクスを組織し始めた頃、演奏のパラダイムは大きな変化を経験したが、この録音はそれに匹敵するような変動が起こり始めていることを告げている。』なるほど、面白い時期に差し掛かっているのだ、クラシック音楽は。そんな新たな潮流を作りつつあるスターの追っかけをせねば・・・。最後に一句。 「 梅満開 何か始まる 予感あり 」
2019.02.11
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大晦日のベートーヴェン弦楽四重奏曲連続演奏会に続いて、今度はショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲演奏会へ。会場は、ティアラこうとう小ホール。上野の文化会館小ホールより一回り小さい。(上掲写真)開場と同時に入り、最前列に座る。演奏するのは、ストリング・アンサンブルKOHAKU。ずっとショスタコーヴィチの演奏会を続けている弦楽四重奏団だ。私は初めてだ。演奏するのは、第3、6、9、13番の4曲。自宅で予習にCDを聴いたが、どれも前衛的な難曲だ。リーダー以外はすべて女性のグループだった。かぶりつきの席なので、4つの弦楽器の音がミックスされるちょい前の生音として鼓膜を揺すぶる。レアでリアルな音だ。たった4つの弦楽器がこんなに迫力があるとは思わなかった。そんな音世界の合間に、楽譜をめくる音や、息を合わせるためにリーダーのヴァイオリニストが放つ鼻息まで聞こえてくる。ノイズというよりライブの臨場感を演出する効果音の役目を果たしているように感じる。臨場感満点!3番と6番を終えたところで休憩。後ろの客席を見渡すと、けっこう空席が多いのに気づいた。ざっと聴衆は40人ぐらい。ま、それはそうだよね。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を聴きに集まるのは、かなりマニアックな人間だと思う。私を含めて。入場料は3500円。会場費を除くと、演奏家にはどのくらいのギャラが残るのだろう・・・?要らぬ心配をしてしまった。そして後半。前半より一層のアヴァンギャルドな曲が演奏されていく。不協和音、ピチカート、ソロ演奏、変速、変拍子、しまいには、楽器を弓でたたいて打楽器にしてしまう場面も。情感に訴えるというより神経細胞を刺激する音楽だ。でも、この世界にはまってしまったらクセになるかも・・・。そんな曲を2時間にわたって一糸乱れぬ演奏に終始し、コンサート終了。ストリング・アンサンブルKOHASKU、やるな、お主ども。あっぱれ、あっぱれ!リーダーが最後に「これからもショスタコーヴィチに入れ込んで演奏を続けていきます。」とあいさつ。この世界にはまってしまった4人なのだ。また聴きに来ようかな。こんな弦楽四重奏団を作ってしまったショスタコーヴィチもあっぱれ!最後に一句。 「 ショスタコや 寒中に聴く 40人 」
2019.01.29
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ドキュメンタリー映画「私は、マリア・カラス」を見た。音楽史に残るオペラ歌手=マリア・カラス。だが、私がクラシック音楽狂になる前、というか私が生まれる前に頂点に立った人なので、彼女の絶頂期の大スターぶりをほとんど知らない。しかし、没後40年以上たってこのようなドキュメンタリー映画が製作されるのだから、よほど魅力的な存在なのだろう。たぶんそれは歌手としてのみならず、自由奔放に正直に生きたという生身の人間として放つ魅力もあるのだろう。映画には何か所か、絶頂期の歌う姿がノーカットで長めに挿入されている。歌唱力抜群だ。そこに派手な顔立ちや、痩身・長身の体つき、歌に没頭した表情が加わって、聴く者に鬼気迫る緊張感と感動を同時に与える。このシーンだけでも見るに値する映画だ。演目や演出などでスタッフと衝突することが多くなり所属していたニューヨークのメトロポリタン歌劇場をクビになった彼女が何年か後再びニューヨークでの公演を行った際に、チケットを買うために並んでいるファンへのインタビュー映像があった。それを見て意外だったのは、オペラ好きの紳士淑女ではなく若い男性がマリア・カラスへの熱烈なファンぶりを露わにしていたこと。しかもそんな男性ファンが多いのだ。当時のマリア・カラスは、単なるクラシック界のスターにとどまらず、世界の若者のアイドルのような存在だったのだろう。アイドルにはスキャンダルがつきものだ。ローマ歌劇場で、自らの声の不調からオペラの第一幕だけで出演放棄。離婚せぬまま、ギリシャの大富豪オナシス氏との不倫。そして歌手復帰をかけて猛練習の最中の突然の死。マリア・カラスは、オペラの舞台だけでなく自らの生きざまを通して悲劇的なオペラのヒロインを演じきってしまったのだろうか・・・・。そんなドラマチックな人生を知ることが出来る映画だった。オペラ界にはマリア・カラスがいなくなって以来、彼女に匹敵するアイドル的スターは現れていない。(と思う。)そんな歌手が現れたらオペラを聴いてみようかなと思うんだけど・・・・。最後に一句。 「 気がつけば カラスの餌食 冬桜 」
2019.01.27
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ピエタリ・インキネン率いるプラハ交響楽団のコンサートに行った。インキネンは、5年前に北九州で新日本フィルを振って感動的なシベリウスの交響曲第2番を聴いて以来だ。今回は、4年前から首席指揮者を務めるプラハ響と、地元出身の大作曲家であるドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」を演奏する。インキネンとプラハ響がどう料理するか興味津々だ。もう1つの興味は、ブラームスの協奏曲を演奏する樫本大進。彼も4年前に同じく北九州でソナタ演奏を聴いて以来だ。オケをバックにどんな演奏をするか楽しみ。まずは、ブラームスのヴァイオリン協奏曲。この曲は2~3ケ月前に、チョン・キョンファと東フィルで聴いたばかりだ。この時のブラームスに比べると、スマートで軽やか。インキネンとの若いコンビらしい音色だった。この曲の演奏後に面白いことが起こった。アンコールで、樫本とインキネンがヴァイオリン・デュオを披露したのだ。1つの譜面台を両脇から眺めながら、楽し気なアップテンポの小曲を2人で演奏。そうか、インキネンは音楽大学でヴァイオリンを学んでいたんだっけ。樫本以上にインキネンがオーバーアクションで熱演していたのが印象的だった。帰りがけにロビーでアンコール曲を確認したら、バルトークのヴァイオリンのための作品全集の「第14番ピロー・ダンス」だった。へえ、バルトークにもこんな明るい曲調の作品があるんだなあ・・・。休憩後にメインディッシュのドヴォルザーク。楽員がステージに集まってくる。最後列中央にティンパニ。その左横に大太鼓。え、「新世界より」って大太鼓の出番あったっけ?奏者はいない。ティンパニの奏者がかけもちするのかなあ?そんなことを考えていたらインキネンが指揮台にあがり、暗譜で演奏開始。やや早めのテンポ。恣意的な誇張もなく流れるようなナチュラルなドヴォルザークだ。5年前に聴いたシベリウスと指揮の方針は一緒だった。心地よい演奏だった。以前聴いたテンポを自在に変えながら熱く訴える小林研一郎のドヴォルザークもいいけど、その対極的なインキネンもいい。これも曲自体が名曲だということの成せるわざなのだろう。やはり大太鼓の出番はなかったぞ。ということはアンコール用なのだろう。大太鼓を使うとしたら、たぶんドヴォルザークのアンコールの定番であるスラブ舞曲第1番ではないだろうか・・・?予想通り拍手に応えてインキネンが指揮台に上がった。それと同時に奏者が2人ステージに。1人は大太鼓の席に。そしてもう1人はシンバルを持って大太鼓奏者の隣に座った。アンコールが始まった。スラブ舞曲のようだが聴いたことがない。しかもアンコールだけのためにやってきた2人の出番はなし。コンサート終了後にロビーで確認したところ、この曲は第10番だった。そしてアンコールの2曲目。インキネンは、聴衆に向かって「もう1曲だけやるよ。」と言って演奏を始めた。スラブ舞曲第8番だった。大太鼓とシンバルの2人の奏者はめでたく大過なく演奏をした。めでたしめでたし。アンコールだけのための奏者がいるなんて・・・。ま、この日はたまたまアンコールだけだったのかもしれないけど・・・。インキネンはヴァイオリンも弾く。バルトークには楽し気な曲もある。アンコールだけのための奏者もいる。・・・・・という演奏会の本筋でない発見があった夜でありました。最後に一句。 「 春を待つ スラブに響け 大太鼓 」
2019.01.20
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世界的ヴァイオリニスト=前橋汀子の演奏を初めてナマで聴いた。このところ、チョン・キョンファ、サラ・チャン、ヒラリー・ハーンと、女性ヴァイオリニストのステージをたてつづけに見てきたが、日本人の女性ヴァイオリニストだけはなかった。前橋さんのステージを以前から一度見てみたいと思っていた。最近、日経新聞の「私の履歴書」で連載していた。この連載で取り上げられるということは、すでに功成り名を遂げた人で内館牧子風に言うと「終わった人」。そんな御年は75歳の超ベテランはどんな演奏を聴かせてくれるのだろう?そんな興味深々のステージは、毎日新聞社が小児がんと闘う子供たちを支援するキャンペーンとして行っているイベントの1つである「生きるコンサート」。会場の横浜みなとみらいホールの1階の前から9列目中央という特等席に座り、前橋さんの登場を待つことに。コンサート前半は全日本学生音楽コンクール受賞者の小中学生の演奏だった。そして後半は売り出し中の若手ピアニスト=金子三勇士によるリストのピアノ協奏曲第1番。その後休憩をはさんでトリの前橋汀子の出番だ。神奈川フィルのチューニングも終わり、真っ赤なロングドレスの前橋汀子が現れた。裾を手でたくし上げてややぎこちない足取り。大丈夫?かなり高いハイヒールを履いているぞ。曲目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ポピュラーな名曲中の名曲だ。ほとんどオケの前奏もなくヴァイオリンのメロディーに突入。むむ、ヴァイオリンが泣いている。ゾクッときて目頭が熱くなる。存在感抜群のヴァイオリンだ。のっけから涙ぐんでしまうとは思わなかった。ああ、これが前橋汀子の音色なんだなあ・・・と何の根拠もないまま納得してしまった。テクニックというより、貫禄と迫力のある弾き姿で聴衆を引きつける力を持っている。たまにぎろっと指揮者のタクトを見る鋭い視線がりりしい。(そんなこと言ったら叱られるかなあ・・・もちろん演奏技術も素晴らしい)そんな弾き姿に見とれながら聴いていたら、あっという間に全3楽章を聴き終えてしまった。「終わった人」ではなかった。75歳にして現役バリバリの演奏家だった。アンコールは自ら得意とするバッハの無伴奏パルティータから「ガボット」。長年弾き続けてきた曲なのだろう。どこか包容力を感じさせる演奏だった。見に来てよかった。それにしても、最近聴いた女性ヴァイオリニストのアンコールはすべてバッハだった。無伴奏のヴァイオリン曲の名曲ってそうないのだろうな。というわけで、前橋汀子のヴァイオリンの年輪を重ねた芳醇な響きは、私の胸に深く刻み込まれたのでありました。最後に一句。 「 寒き日の 胸温める ヴァイオリン 」
2019.01.19
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映画「マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!」を見た。渋谷の上映館に行くと、隣の映写室では「私はマリア・カラス」をやっていた。ちょっと迷ったが、当初の予定通り「マイ・ジェネレーション」を見ることに。ザ・フーやビートルズ、ローリング・ストーンズの音楽や映像がふんだんに見れると思ったからだ。映画のタイトルがザ・フーのヒット曲のタイトルだし・・・。映画は、音楽やファッション、アートに及んだ若者文化の爆発的ムーブメント=『スウィンギング・ロンドン』を、その頃役者としてデビューしたマイケル・ケインがナビゲーターとなって綴ったドキュメンタリー映画だ。ミュージシャンのドキュメンタリーではないが、当時のロック音楽が随所にちりばめられていて飽きない。当時の映像に映し出されたポール・マッカートニー、ジョン・レノン、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ピート・タウンゼント、ロジャー・ダルトリー・・・・皆若く、ギラギラしていた。60年代のイギリスは20代の人口が一番多かったとのこと。そんな若い奴らが長髪でエレキギターをかき鳴らしたり、ツィギーのような超ミニスカートやメアリー・クワントがデザインしたホット・パンツを身に着けてロンドンの街を闊歩していたんだろうな。そんな時代にロンドンで暮らしてみたかったなあ・・・と思う。でも当時の中高年は彼らをうさん臭く眺めていたのだろう。そんな街頭インタビューの一コマも出てきた。そんな中でもイギリスのみならず世界に影響を与えたのがビートルズだ。ジョンとポールという2人の天才の出会いや、ブライアン・エプスタインというマネージャーとジョージ・マーティンというプロデューサーとのコンビ・・・などの偶然が重なってはじめて実現した「音楽革命」だったわけだけど、このバンドが世界の若者の意識を一変させた。好きなことをやり続けていいんだということを教えてくれたのだから・・・。その頃の日本の音楽状況はどうなっていたのだろうか?自室に時代ごとのヒット曲を年代順に載せているソングブックをペラペラめくって眺めていたら、60年代の日本は多様なスタイルのヒット曲が「百花斉放」状態だったということを発見した。森進一や水前寺清子、都はるみなどの演歌歌手が登場し、橋幸雄、舟木一夫、西郷輝彦などの「御三家」が人気者になり、坂本九、ザ・ピーナッツ、加山雄三などの洋楽的歌手が台頭し、ブルー・コメッツ、スパイダーズ、タイガース、ゴールデンカップス、テンプターズなどのグループサウンズが若者を引きつけ、岡林信康、森山良子、ビリー・バンバン、五つの赤い風船などのフォーク歌手もムーブメントを起こし始めた。う~む、この多様さはどうだ!70年代以降の大衆音楽の萌芽が一斉に始まってる感がある。この背景にはもちろんビートルズなどの影響も色濃くあったのだろう。高齢化社会に向かう日本をはじめとする国々では、今後『スウィンギング・ロンドン』のような若者文化の革新的な動きはもはや出現しないのだろうか?逆にマジョリティである高齢世代が一致団結して全く新しい文化運動を起こしてしまうなんてことはないかなあ・・・?そんなうさん臭い老人たちを若者が冷たく見たりして・・・・。最後に成人の日の若者たちに向けて一句。 「 新成人 右も左も ぶっとばせ! 」
2019.01.13
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正月休みは特に遠出の予定もなかったので、ショスタコーヴィチの交響曲全15曲を聴こうと決めた。1枚1000円程度の廉価CDをせっせと買って全15曲を揃えたが、これまできっちり、じっくり聴いたことがなかったのだ。ナビは上掲写真の解説本。ショスタコーヴィチの生い立ちから作曲家としての活動を当時のソ連の政治情勢などと対比しながら概観してくれている。加えて交響曲や弦楽四重奏曲、オペラなどの楽曲1曲1曲の成り立ちや音楽的な特徴を丁寧に解説してくれているのもありがたい。ショスタコーヴィチは、レニングラード音楽院の学生だった19歳の時に最初の第1番を作曲して以来、亡くなる4年前の65歳で最後の15番を作曲するまで、作曲家生活の大半に渡って断続的に交響曲を書き続けた。そしてその時代は、ロシア革命、ソヴィエト連邦成立、スターリン独裁、レニングラードで独軍に勝利、スターリン没後の「雪解け」、ブレジネフ時代,ソルジェニーツィン国外追放・・・と、政治的激動と期を一にしていたのだ。そんな中での作曲活動だったため、彼の楽曲は時の政権のプロパガンダに利用されたり逆に政権から「社会主義リアリズム」に反していると糾弾されたりもした。いちいち文化活動に口出しするんじゃねえよ!と言いたかっただろうが、それを口にすると命が危ないのだから困ったものだ。でも、ショスタコーヴィチはその国を離れようとしなかった。ヒトラーが大軍を率いてレニングラード殲滅にやってきた時も故郷レニングラードを離れようとしなかった。彼は愛国主義者だったのだ。ソ連という国が好きだったのではなく・・・。前置きが長くなった。でも仕方ない。こうした時代背景や個人的な情報がないと楽曲を理解できないんだよなあ。ま、それでも作曲意図がよくわからない曲もあるんだけど・・・。15曲聴き終えてまず思うのは、よくぞここまで様々な趣向や手練手管や創意工夫で我々をうならせ、笑わせ、呆気にとられさせ、熱中させてくれた!・・・ということだ。それだけ、1曲1曲がいい意味でバラエティーに富んでいる。広く知られ今でもコンサートで取り上げられるのは第5番くらいだ。楽曲構成のわかりやすさ、メロディーの良さが際立っている曲だ。でも、聴く者の気分で、他にもいい曲はある。若々しいリリシズムと疾走感あふれる第1番もいいし、マーラーの交響曲に影響された長大な絶対音楽となっている第4番も魅力的だし、第2次大戦時に国際的にプロパガンダに利用された第7番も聴きごたえのある曲だし、まるでコメディー・ドラマの挿入曲のようなコミカルであっけらかんとした第9番の明るさもいいし、自らの集大成と位置付けたショスタコーヴィチ版「大地の歌」とも言える第14番の寂寥感も胸に沁みる。一方で、第6番や第15番で、ロッシーニの「ウィリアムテル序曲」の有名なマーチを挿入するなどの皮肉やパロディを思わせる部分もある。ハイドンに始まり、モーツアルト、ベートーベン、そしてブルックナー、マーラーと連綿と絶対音楽としての歴史を歩んできた交響曲をおちょくってるのか?ん?どうなんだ?と、問い詰めたくなる時もあった。いずれにしても、こんなにバラエティーに富み、様々な話題や憶測や物議を提供してくれるショスタコーヴィチの交響曲は、今も健在だ。没後50年の2025年に、当時の時代背景の映像や解説を交えてショスタコーヴィチの交響曲全曲演奏会をやってくれないかなあ・・・。1週間か10日くらいかけて・・・。指揮者は誰がいいかなあ・・・?親交のあったムラヴィンスキーもロストロポーヴィチもいないので、同郷のゲルギエフかなあ、それともパーヴォ・ヤルヴィ・・・?最近ショスタコーヴィチの交響曲のCDで話題にアンドリス・ネルソンスがいいかも・・・。ま、妄想はこのくらいにして、ショスタコーヴィチを偲んで一句。 「 聴き初めや ソ連は遠く なりにけり 」
2019.01.06
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2年前の大晦日は、ベートーヴェンの交響曲全曲演奏会で年を越したが、2018年大晦日は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲9曲を連続演奏するコンサートを体験した。この9曲は、ベートーヴェンの中・後期の全曲だ。弦楽四重奏曲は交響曲と並びベートーヴェンの作品の中でもとりわけ高く評価され後世に大きな影響を与えた楽曲群だ。とは言っても、これまでほとんど聴いたことがなかった。室内楽にはそれほど興味もなく聴いてこなかった。特に最晩年に作曲した6曲は難解だと言われていることも手伝って敬遠していたのかもしれない。でも大晦日の連続演奏会があるのを知ったからには聴くしかないと心に決めた。会場は、上野の東京文化会館小ホール。同じ時間に大ホールでは、今年も交響曲全曲演奏会をやっていた。小ホールは初めてだった。客席とステージが程よく近く、室内楽にはちょうどいい規模だと感じた。午後2時に開演。まずは中期の第7番から9番=「ラズモフスキー」1番から3番の3曲だ。あらかじめCDを聴いて予習してきたが、実際に演奏する姿を見ながら聴くと曲の印象が大きく違う。ナマで聴くと曲の魅力が倍加するのだ。大オーケストラの曲なら大音声の迫力に気圧されてCDでも単純に感動してしまうのだが、室内楽だとそうもいかない。しかしナマで聴くと、演奏者の息づかいや細かなニュアンス、演奏者同士のかけあいなど視覚によって気づくことが多い。それによって曲の意図や魅力を新たに発見出来るのだ。室内楽は演奏会向きだと言えるのではないだろうか?ラズモフスキーの第3番(弦楽四重奏曲 第9番)が特に素晴らしかった。とりわけ最終楽章は交響曲のフィナーレのよう。パワフルでスピード感にあふれ、息を合わせて速弾きする4人の姿も手伝って感動的だった。そして、ベートーヴェンの最晩年の6曲だ1曲1曲それぞれに、これまでの弦楽四重奏にはなかった独自性・革新性を持っている。だからどの曲も面白い!聴いていて飽きない!ベートーヴェンがいかに前衛的な作曲家だったかということを改めて実感した。これらは、交響曲第9番「合唱」の後から没年前年までに書かれた晩年の作品群だ。交響曲第9番自体が当時としてはとてつもなく前衛的な作品だったが、その曲が熱狂的に受け入れられたのに味をしめ益々独自の道を突き進んだのだろうか?全7楽章をノンストップで演奏するという前代未聞のフリースタイルな第14番。第13番の最終楽章だけを独立させた、スリリングで超絶技巧全面展開の作品133『大フーガ』。のどかな民謡調のメロディーでしめくくられる最後の曲=第16番。・・・・など、どの曲も唯一無二だ。ベートーヴェンの交響曲が、完成度の高い外向けの曲だとすると、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、プライベートな実験曲といったところだろうか。でも、この実験性が晩年になればなるほど過激になっていたのは何故なのだろうか?誰か知っている人がいたら教えてください。最後の3曲(14~16番)を演奏したのは、東京芸大卒業生で結成された古典四重奏団。驚いたことにすべて暗譜で演奏した。クラシック奏者で暗譜で演奏するのは、コンチェルトやソナタを演奏するソリストだけだと思っていたのでビックリ。暗譜だから譜面に目をやったりページをめくったりする必要がないので、微妙なテンポの上げ下げなどをアイ・コンタクトで容易に出来る。それもあってか、完璧に息の合った演奏だった。休憩をはさみながらベートーヴェンの中身の濃い9曲を聴き終え、ブラヴォーに応える古典四重奏団がステージから消えるのを見届けたら夜10時になっていた。紅白歌合戦も佳境に入っている時間だ。ろくに食事もとらずに聴き続けたが、ベートーヴェンの栄養満点の楽曲で満腹。弦楽四重奏という室内楽編成の魅力を遅ればせながら発見した有意義な大晦日でありました。最後に一句。 「 弦楽に 驚き満ちる 大晦日 」
2019.01.01
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ブルース・ロックのギタリスト=ロベン・フォードがニュー・アルバム「パープル・ハウス」を出した。泥臭いブルースに、ジャズっぽいテンション・コードや都会的なコード進行をまぶして聴かせるギターが好きだ。リリースするアルバムはずっと聴き続けてきた。でも最近はややマンネリ化し低迷していたように思う。でもコンスタントにアルバムを発表し続けている。しかもオリジナル曲が中心だ。偉い!最近クラプトンは、ネタが尽きたのかクリスマス・ナンバーを集めたアルバムを出してしまった。それに比べたらまだまだやる気十分。御年67歳。いいなあ。このまま死ぬまでブルースし続けてほしいものだ。そんなロベンのニュー・アルバムは文句なくいい!「パープル・ハウス」と言うアルバム・タイトル通り、ジミ・ヘンの「パープル・ヘイズ」と「レッド・ハウス」のブルース・フレイバー満タンだ。曲は短くコンパクトで切れがいい。リフやリードギターもシンプルだがかっこいい。決まっている。裏ジャケットにはレスポールを弾く彼の姿。このアルバムに充満する野太いギター音はまさにこのレスポールの音色だ!渡辺香津美が黄色いレスポールを持って写っているジャケットのアルバム「TO CHI CA」を思い出した。重厚なレスポールの音ってロック魂を湧き立たせる音だなあ。「TANGLE WITH YA」:イントロがシンプルでカッコイイ。セブンス系の転しゃれている。「EMPTY HANDED」:幻想的なバラード。ロベンの艶やかなボーカルが印象的。「BREAK IN THE CHAIN」:アコースティック・ブルース。後半の女性ボーカルがソウルフル。「SOMEBODY’S FOOL」:ジミヘンの「パープル・ヘイズ」に似たブルース。 ・・・など、聴きごたえのあるいい曲がたくさんある。驚きは収録時間の短さ。レコードからCDになって50~60分くらいに延びたが、このアルバムは40分。レコード時代の収録時間だよね。でもこのコンパクトさが逆にいい。無駄な曲や間延びしたアドリブもなく、一気に聴いてしまう。皆さん、ロベンをお忘れなく。エリック・クラプトン、ラリー・カールトンもいいけど、ロベン・フォードのブルースも派手さはないけど味があるよ。カッコイイよ。乞う一聴。最後に一句。 「 至福なり 『パープル・ハウス』で 年忘れ 」
2018.12.28
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今年もNHK交響楽団の第9演奏会に行った。会場のNHKホールに通じるケヤキ通りは、イルミネーションを見に集まった群衆で大混雑。その人波をかき分けて入場。26日なのにロビーにはクリスマス・ツリーが残っていた。そして上掲写真のN響PRパネルも。オランダのコンセルトヘボウ・ホールだ。去年のN響ヨーロッパ公演の際に撮影したもの。風格があるなあ。NHKホールとは雲泥の差だ。今年タクトを振るのはポーランド出身のマレク・ヤノフスキ。全く知らない指揮者だ。去年はゆったりテンポのクリストフ・エッシェンバッハ。おととしはブロムシュテットで、その前の年はパーヴォ・ヤルヴィ。どちらもアップ・テンポだが抑揚、起伏のあるメリハリのある第9だった。さて今年のしめくくりのベートーヴェンは如何に?初体験のマレク・ヤノフスキがゆっくりとステージに登場。そして静かに棒を振り下ろす。しかしその静かなアクションとは裏腹に超高速テンポ!これまでに聴いたことのない速さだ。そのテンポにN響がしっかりと食らいついていく。さすがN響!あっぱれ!演奏会というより、格闘技戦を観戦しているような気分だ。その超高速テンポは第1楽章だけにとどまらず、第2楽章も、そして、当日配られたパンフレットのヤノフスキへのインタビューにあったこの曲の最も重要な第3楽章(緩徐楽章)も、そして合唱の入る最終楽章までぶれることなく一貫していた。私の時計では、演奏時間は63分だった。これまで聴いてきたどれよりも短い第9だった。やや素っ気なさも感じたが、こんな演奏もあるんだと思わせる新鮮さがあった。4人の歌手もよかったし、合唱の東京オペラシンガーズが圧倒的な声量で素晴らしかった。もう1つの初体験があった。最終楽章途中でビオラ奏者の1人が途中で楽器を持って席を立ち袖に消え戻って来ないというハプニングがあったのだ。団員が途中でいなくなるコンサートは初めてだった。何があったのだろう?楽器の故障?体調不良?これだけ大人数の休憩なしの生演奏なのだからこうしたアクシデントもあって当然ではあるよね。ソロ歌手やコンサートマスターではなかったのが不幸中の幸いだったと言えるかも。そんなこんなで今年の第9演奏会は終了。でも聴き納めではないのだ。大晦日に上野の東京文化会館小ホールでベートーベンの弦楽四重奏曲9曲の連続演奏会に行くのだ!ヤノフスキもパンフの中で、「ベートーベンは交響曲以外に目を向けると、晩年の弦楽四重奏曲に重要な価値がある。」と言ってたぞ。う~む、楽しみだ。最後に一句。 「 年の暮れ 超高速の 第九かな 」
2018.12.27
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ミュージシャンを扱った映画が目白押しだ。「ボヘミアンラプソディー」、「エリック・クラプトン 12小節の人生」に続いて、アルゼンチンタンゴの革命者=ピアソラの半生を描いたドキュメンタリー映画「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」を見た。それほどタンゴに詳しいわけではないけど、最近では上野の東京文化会館で、サラ・チャンらの演奏で、ピアソラの「アルゼンチンの四季」を聴いたし、その予習として彼の半生を紹介した本も読んだ。また、これまでに何回か彼の名曲「リベルタンゴ」をナマで聴いてきた。そんなアストル・ピアソラを、彼の息子のインタビューを軸にしたドキュメンタリーで描くという演出手法はリアリティーがあってよかった。でも、最大の関心事であった、彼が何故タンゴを革新する楽曲を作り演奏することになったのか?その才能とモチベーションがどこにあったのか・・・・?それは見終わっても回答は見い出せなかった。しかし、旧来のダンスのバックバンド・ミュージックとしてのタンゴを徹底して毛嫌いしていたことはよくわかったし、タンゴを踊りの伴奏曲ではなく絶対音楽に高めようとしたのが彼の終生のテーマだったということも知ることが出来た。ま、それだけがわかっただけでも見る価値はあったと思う。革新的なことが起こる時とは、ある人物の強烈かつ強引な牽引力によって突破されていくのだという事を証明していた。それと、もう1つ分からず終いだったのは、彼は何故離婚したのか、そして離婚後の元妻はどんな人生を送ったのか・・・そのへんの事情はほとんど触れられなかった。離婚前のプライベート・フィルムのような映像には仲睦まじい夫婦や家族の映像が映し出されていた。それもあって、元妻のその後を知りたいと思ったんだけど・・・。また、映画では彼のステージ映像が随所にが出てきた。どれも魅力的だった。それを見てわかったのは、曲の素晴らしさもさることながら、演奏するアストル・ピアソラがカッコいいということ。片足を台に乗せてその腿の上にバンドネオンを置き瞑想しているかのような表情で弾く。いい顔をしている。髭面のショーン・コネリーに似ている。こうした視覚的な要素が曲をバージョンアップさせていると感じた。というわけで、ピアソラの偉業に敬意をこめて一句。 「 枯葉舞い ピアソラが舞う 師走かな 」
2018.12.19
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世界が注目する室内オーケストラ=ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団を初めて聴いた。指揮は、オケの芸術監督を務めるパーヴォ・ヤルヴィ。会場は上野の東京文化会館。曲はシューベルトとハイドンの交響曲と、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲。しゃれた選曲だ。室内オーケストラだからこその選曲とも言える。ヤルヴィの指揮は、1年半前に横浜のみなとみらいホールでマーラーの交響曲第6番をN響で聴いて以来だ。古典派、初期ロマン派の演奏は初めてなので楽しみだ。まずは、シューベルトの交響曲第5番。美しく親しみやすい旋律からスタート。颯爽とした速めのテンポだ。ヤルヴィならではだ。チョン・ミョンフンとも共通するのだが、彼の指揮する姿は1つのパフォーミング・アートだ。古典形式でロマン派音楽の香りを放つ名作を、聴覚だけでなく視覚でも心地よく味わえた。次は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番。ソリストは、ヒラリー・ハーン。デビューして20年の人気ヴァイオリニストだそうだが、私はこの日初めて聴いた。最近、サラ・チャン、チョン・キョンファと続けて女性ヴァイオリニストを聴く機会があったが、その2人以上に素晴らしい演奏だった。(私好みの演奏だった)前述2人がパワフルさが特徴だとすると、ヒラリー・ハーンは、のびやかさと艶やかさに少しおっとりしたところのある演奏。若きモーツァルトのみずみずしさを堪能させてくれた。ブラヴォーを受けてアンコールを2曲演奏。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番の「ジーグ」と、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番の「アンダンテ」。これがまたよかった!このコンサートのハイライト言ってもいいような、心に染み入る名演奏だった。ちなみに私が聴いたチョン・キョンファのアンコールは、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番の「アダージョ」。サラ・チャンはバッハの「G線上のアリア」だったが、今回のアンコール2曲が一番印象に残った。機会があったらまた聴いてみたいヒラリー・ハーンだった。休憩後のメインディッシュは、ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」。ハイドンの交響曲をナマで聴くのは初めてだった。それくらい昨今のクラシック・コンサートで取り上げられる機会が少ないと思う。名曲だがメインディッシュにしてはやや軽めな曲なのだろう。でも聴いてみると、モーツァルトの後期交響曲に匹敵する聴きごたえを感じた。「交響曲の父」ハイドンの集大成ともいえる曲なのだ。交響曲好きの私としてはハイドンに感謝しなければならない。彼が交響曲という純粋音楽の枠組みを確立してくれなかったら、それ以降のモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、マーラーらの名曲が生まれていなかったのだから・・・。改めてありがとう!ハイドン。そして取り上げてくれたヤルヴィ&カンマーフィルにも感謝。これでコンサートはお開きと思いきや、なんとアンコール曲が用意されていた。最近のクラシック・コンサートは、途中のソリストによるアンコールはあっても、メインディッシュ後のアンコールはない。私がクラシック青年だった頃のコンサートでは必ずアンコール曲があった。誰もが知っているオペラの序曲や舞曲、マーチなどの楽しい曲をサービスしてくれた。でも今は違う。いくら拍手喝采してもアンコールはなし。確かにマーラーの交響曲を演奏した後に軽やかな小品を演奏したら、コンサートの余韻をぶち壊してしまうよね。でもこの日のヤルヴィ&カンマーフィルは違った。聴いたことのない曲だった。後で会場の出口に掲示板を確認すると、シューベルトの「イタリア風序曲第2番」とあった。ハイドンの交響曲の余韻を壊さないことに配慮した見事な選曲だったと思う。選曲の妙、ヒラリー・ハーンという逸材、最後のアンコール・・・など、色々に楽しめた夜だった。最後に一句。 「 ブラヴォーの 霜夜にうれし アンコール 」
2018.12.15
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ニューヨークで行われた、エルトン・ジョン グラミー・トリビュート・ライブをWOWOWで見た。改めてエルトン・ジョンの楽曲の素晴らしさに圧倒された。エルトン自身も歌うのだが、エルトンをリスペクトする今を時めくミュージシャンたちがエルトンの名曲をどのようにカバーするか興味津々だった。また、ほとんどの楽曲の作詞を担当した相棒=バーニー・トーピンも会場にいる。彼がどんな話をするかも楽しみだった。最近出たエルトンのカバー・アルバム「リヴァンプ」でも披露していたが、エド・シーランの「キャンドル・イン・ザ・ウィンドウ」や、サム・スミスの「ダニエル」もよかったけど、レディー・ガガの「ユア・ソング」がめっちゃよかった!エルトンばりの派手なサングラスをかけてのピアノの弾き語り。デイヴィー・ジョンストンやナイジェル・オルスン、レイ・パーカーなどのエルトン・バンドの面々がバックを勤める中、堂々とした歌声を披露した。エルトンのボーカルもいいけど、一味違う節回しで歌うガガもいいなあ。エルトンのカバー・ステージの半数以上が女性シンガーによるものだった。何故だろう?エルトンの歌って中性的なのだろうか?性別を越えた傑作なんだろうな。いずれにしてもこうして歌い継がれていくのは大歓迎だ。アレシアー・キャラの「ブルースはお好き?」、マレン・モリスの「モナ・リザ・アンド・マッドハッター」、ミランダ・ランバートの「マイ・ファーザーズ・ガン」といった女性シンガーによるカバーがそれぞれ素晴らしかった!昨今は、男性より女性にうまい歌い手が多いのだろうか・・・・?コンサートの中ほどで、エルトン・ジョンとバーニー・トーピンによるかけあいトークのコーナーがあった。バーニーは見事なスキンヘッド。かっこいい!初めて聴く裏話が多く面白かったが、中でも、名曲「ロケット・マン」の歌詞が、SF作家レイ・ブラッドベリの短編集「刺青の男」に納められている「ロケット・マン」と言う短編に触発されて作ったというバーニーの話も初めて聴く話だった。早速読まねば・・・・。カバー・ライブのトリは、ジョン・レジェンドによる「僕の瞳に小さな太陽」。アルバム「リヴァンプ」では、マイリー・サイラスという女性シンガーがカバーしていたが、トリビュート・ライブのトリは大物が登場。エルトン同様のピアノ弾き語りで圧倒的な説得力を持って聴衆を魅了。ジョン・レジェンドが素晴らしい歌手だということと、エルトン・ジョンの楽曲が今でも大きな魅力を放っているということを再認識させられた瞬間だった。ライブの最後にエルトン・ジョンがいつものハデハデな衣装とサングラス姿でステージに上がり、「ベニーとジェッツ」、「フィラデルフィア・フリーダム」、「アイム・スティル・スタンディング」の3曲を披露。元気いっぱいのパフォーマンスを見てうれしくなってしまった。目下エルトンは、引退前の最後のワールド・ツアー中だが、最近、耳の感染症でコンサートを急遽中止したそうだ。はやく回復してツアーを続け、日本でも元気な姿を見せてほしい。頼むよ、エルトン!最後に一句。 「 冬枯れて エルトン節の 夢舞台 」
2018.12.09
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映画「エリック・クラプトン 12小節の人生」を見た。場所は、渋谷シネクイント。ポスターがかっこいい!(上掲写真)ヘロイン中毒からよみがえった頃の写真だと思う。ちょうどその頃に初来日したエリックのライブに行ったなあ。なつかしい。映画館に入る。先日見たクイーンの「ボヘミアンラプソディー」がほぼ満席だったのに比べ、座席は半分以上空席。封切りしたばかりなのにちょっとさびしい入りだ。クイーンの方は若者も多かったがクラプトンは私と同年代の中年がほとんど。クイーンはそっくりさんらによる映画だが、こちらは本人や家族、ミュージシャン仲間のインタビューを軸にしたドキュメンタリー映画。自伝を読んでいたので彼の辿った半生は知っていたが、改めて関係者の証言と映像で見るエリックの波乱万丈の半生は、ずっしりと重い。エリックをイギリスに置き去りにして夫の故郷カナダに行ってしまった母親が、船に乗ってエリックのいるイギリスに弟を連れてやってきた際、エリックは母に「弟と一緒に暮らしていいの?」と問う。「そうしない方がいい。」と母は答えカナダに帰っていく・・・これはしんどいなあ。この体験がエリックを12小節=ブルースに没頭させていった発端だったのだろうな。母親の映像を初めて見たが、顔がエリックによく似ていたぞ。ヤードバーズで頭角を現しクリームでブルースギタリストとして頂点に。しかしその後ヘロイン中毒になり沈黙。ようやく立ち直り音楽活動を再開するもアルコール依存症に。同時進行で友人のジョージ・ハリスンの妻パティに惚れてしまい苦悩。結ばれるも破局。その後イタリア人女性との間に息子が出来る。ようやく掴んだ暖かな家族との暮らし。しかしその矢先に息子がマンションから転落死。いやはやなんとも・・・の連続だ。しかしエリックは這い上がる。亡くなった息子に捧げた曲「ティアーズ・イン・ヘブン」とともに。ここからのエリックの音楽活動は第2の収穫期を迎える。ブルース・スタンダード・ナンバーのカバー。B.B.キングとの共演。ロバート・ジョンソンのカバー。自叙伝的なアルバム・・・・。挑戦的なアルバムを次々に発表し世界をライブで回った。映画のラスト近くの関係者インタビューの言葉が心に残った。「彼は誰かから突き落とされたのではなく自ら奈落に落ちた。そして自力でそこから這い上がってきた。エリックは強い男なのだ。」なるほど、エリックは強い男だったのだ。70歳を過ぎても活動を続けているブルースやロックのミュージシャンはごくわずか。その生き残りの1人がエリック・クラプトンなのだ。エンド・スタッフ・ロールが始まると、なつかしいナンバーが聴こえてきた。「メインライン・フロリダ」。ヘロイン中毒から再起して出したアルバム「461オーシャン・ブールヴァード」(下掲写真)のラスト・ナンバーだ。レイドバックしたボーカルとボコーダーを使ったリードギターがいい味出してる。久々に聴いた。そんなエリック・クラプトンの最新アルバムは、なんと「クリスマス・ソング集」(上掲写真の中央)。え?ついにエリックはブルースを捨てて家庭の幸せを祈るポップ・シンガーになってしまったのか?でも幾多の苦難を乗り越えてきた強い男の今の声を聴かないわけにはいかない!タワーレコードで購入したクリスマス・アルバムを恐る恐る聴く。1曲目は「ホワイト・クリスマス」。ん?これブルースじゃん。原曲のムードは皆無。いつものブルース・ミュージシャンとしてのエリックがそこにあった。「ジングル・ベル」はなんと短調のロック・ナンバー。まるで「レイラ」のよう。「サイレント・ナイト」はレゲエ調。クリスマス・ソングはエリックの手によってブルース、ロック、ゴスペルに変わっていた。いつものクラプトン節が満載。いやはやなんとも・・・転んでもただは起きぬ強き男エリック、万歳!最後に一句。 「 ブルースや ただでは起きぬ 男あり 」
2018.11.29
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映画「ボヘミアン・ラプソディー」を見た。70~90年代に人気を博したイギリスのロックバンド=クイーンの、結成から85年のアフリカ救援のために行われた「ライブ・エイド」のステージ演奏までの軌跡をフレディー・マーキュリーを中心に追ったドキュメンタリー・ドラマだ。ウイークデーの昼間なのに上映館はほぼ満席。私と同年代でクイーンの同時進行ファンであろう中年サラリーマンもいるが若者が意外に多い。クイーンもロック・ジャンルのクラシックになって聴き継がれているということだろうか。バンド・メンバーを演ずる4人は皆そっくりさん。映画のハイライト・シーンである「ライブ・エイド」などは、まるでドキュメンタリーを見ているような錯覚を覚えるリアルさ。魅力あるクイーンの楽曲がふんだんに使われているのもファンにはうれしい演出だった。というわけで、フレディー・マーキュリーの多難な半生を軸にしていたが、意外とさわやかに楽しめる音楽映画だった。高校時代に、デビューしたてのクイーンが好きになりよく聴いたものだ。当時、ミュージック・ライフ誌に「ロック界の貴公子クイーン」というキャッチコピーで載った記事には、ギタリストのブライアン・メイは天文学の学位を持ち、ドラムのロジャー・テイラーは歯科技工士、ベースのディーコン・ジョンは電子工学を専攻し、ボーカルのフレディー・マーキュリーは卓球選手というエリート集団とあった。よくある不良ロック・バンドではないところもかっこいいと思った。私としては、フィレディーのクラシカルな歌い方や曲調より、ブライアン・メイのジミ・ヘンばりの豪快なブルース・ロック・ギターが好きだった。自室を探ったら、彼らの3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」のLPと、ベスト盤CDが出てきた。(上掲写真)ターンテーブルはないので、ベスト盤CDを聴き直して見る。当時はあまり好みではなかったフレディー・マーキュリーのロック的ではない曲とボーカルが、実はクイーンをクラシック・ロックに押し上げているんだということを認めざるを得なかった。「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」や「キラー・クイーン」、「愛にすべてを」、もちろん「ボヘミアン・ラプソディー」もユニークな名曲だ。フレディーの功績大だ。また、フレディーがエイズによる急性肺炎で亡くなる直前に録音された「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、今聴いても鬼気迫るボーカルだ。映画「ボヘミアン・ラプソディー」は、クイーンというロックバンドがいかにして世紀を越えて聴き継がれる唯一無二な存在になっていったのかをメンバーの個性と音楽性から証明するものとして一見に値するものだと思う。最後に一句。 「 枯葉踏み 走る夜明けや ボヘミアン 」
2018.11.17
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アンドレア・バッティストー二の指揮ぶりを初めてナマで見た。バッティストー二はイタリア・ヴェローナ出身の弱冠31歳。東京フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者。期待の大物新人だ。会場は、初台の東京オペラシティー。私の席は2階席のステージの真上。要するにバッティストー二くんを正面から見れる席だ。若いイタちゃんがどんな指揮ぶりを見せるか楽しみだ。いやあ、最近見たコンサートの中でも超おもしろステージだった。まずはロッシーニの歌劇の序曲3連発。「アルジェのイタリア女」、「チェネレントラ」、「セビリアの理髪師」。オペラを得意とする指揮者ならではの選曲だ。しかも同郷イタリアを代表する作曲家ロッシーニだ。まずは、バッティストー二の指揮する姿を観察。やや太めの体をギリシャの民族衣装のような黒い上着に包み、暗譜でオーバーアクションの身振り手振り。「踊る指揮者」といった感じ。何故かスマイリー小原を思い出した。東フィル音楽監督のチョン・ミョンフンの省エネ型指揮とは好対称だ。顔は晩年のマイケル・ジャクソンに似ている。勢い余って指揮台から観客席に落ちてしまわないか心配になる。たぶん客席まではかなり余裕があるのだろうが、私のアングルから見ると指揮台のすぐ下が観客席に見えるのだ。しかも柵なし。落ちないでくれよ、バッティストー二!さあ、このバッティストー二くんは、本日のメインディッシュである大曲=シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」をどう料理して聴かせてくれるだろう?私が持っているレコード、CDは、ジョージ・セル&クリーブランド管と、ギュンター・ヴァント&ミュンヘン・フィルのもの。どちらも名盤の誉れ高い演奏だ。そんな演奏を脳裏に置いて、いざバッティストー二&東フィルだ。憂愁を湛えるホルンの独奏から演奏開始。速い。ジョージ・セルよりテンポが速い。超高速と言っても過言ではない。でもたまに独特のアクセントを見せる。東フィルもその超高速にしっかりと対応し、指揮者の要求に応えている。偉い!これぞ指揮者の醍醐味。だから指揮者稼業はやめられないんだよね。それにしてもバッティストー二くんの指揮する姿は見ていて飽きない。これほどのオーバーアクションは、数年前に北九州で見たアンドリス・ネルソンス以来だ。指揮者と言うよりアジテーターと言った方があっているような凶暴ぶりだ。半面、ピエロのようなかわいらしい仕草を見せる時も。憎めないイタちゃん。ま、「全身指揮者」といったところか。でも、アクションだけではなかったのだ。雄たけびをあげながら指揮していたのだ。指揮者の後ろ姿を見ながら聴いている人にはそれほど聞こえなかったかもしれないが、私は2階席だけど彼の真正面。発する声がオケの演奏の合間にはっきり聞こえた。集中・没頭のあまり声を発していることを忘れてしまっているのか・・・?それとも自ら「ボイス打楽器奏者」として参画しているのか・・・?バッティストー二くんに、敬意をこめて勝手に『全身全霊・踊る指揮者』という称号を授与することとしよう。シューベルトの交響曲9番「ザ・グレイト」は、『全身全霊・踊る指揮者』の下で東フィルが大爆発!一貫した超高速の興奮ものに仕上がった。この超高速は、バッティストー二自身がかっこよく踊れるためのテンポなのでは・・・と疑ってしまった。それほど指揮者のアクションが曲の盛り上げに貢献していた。ローリングストーンズか、クイーンか何かのロック・コンサートを見終えた時のような興奮状態でオペラシティを出て駅に向かって歩く。11月半ばとは思えないような暖かな空気が流れていた。バッティストー二が、これから10年先、20年先にどんな演奏を聴かせてくれるか、見守っていきたいと思った。最後に一句。「 小春夜や バッティストー二 踊りけり 」
2018.11.13
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交響曲が好きだ。何故かわからない。名曲が多いからだろうか。純粋音楽として聴けるからだろうか。3~4楽章に分かれていてストーリー性があるからだろうか。ビートルズの「サージェント・ペパーズ・・・・」や、ピンク・フロイドの「狂気」のようなコンセプト・アルバム的な楽しみ方ができるからだろうか・・・。なので、たくさんの交響曲のCDを所有している。ハイドンの後期の数曲、モーツァルトのほとんど、ベートーヴェン全曲、シューベルト全曲、シューマン全曲、ブラームス全曲、シベリウス全曲、チャイコフスキー全曲、ドヴォルザーク全曲、ブルックナー全曲、ショスタコーヴィチ全曲、ニールセン全曲。そのほかに、サンサーンスやカリンニコフ、スクリアービン、ラフマニノフ、ショーソン、ラロ、ベルリオーズなど。それらを全部聴いたかは定かではない。ニールセンなんかは、ほとんど印象に残ってない。でもとりあえず所有すると安心なのだ。愛聴家というよりコレクター的な感覚が強いかも。この感覚は、昨今のネット配信で音楽を聴く人々には理解できないだろうな。『引き出して』聴くのと『所有して』聴くことの違いだ。そんな私が、またしてもマーラーの交響曲全集を衝動買いした。上掲写真の11枚組だ。クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の録音だ。すでに所有している9番がテンシュテット×ロンドン・フィルのもので、最近また聴き直して心打たれたのだ。で、たまたま立ち寄ったタワーレコードで、この全集を見つけてしまい「これは買わねば!」と思ってしまったのだ。3000円と破格の安さだったし・・・。今、毎日テンシュテットのマーラーを楽しみながら聴いている。今更ですが・・・。彼のマーラーの印象を一言でいうと、『なりふり構わぬ情動』といったところか。音楽の喜怒哀楽や天国と地獄の落差が激しく、その表現によって音量や緩急が大きく揺れ動く。その落差、揺れ動きが聴く者のこころを大きく揺さぶり興奮させる。言い方を変えると『エッジの効いた鋭角なマーラー』。ジョージ・ハリスンではなくキース・リチャーズのカッティングといった感じかな。(?)ブルーノ・ワルター、ギョルグ・ショルティー、ジョージ・セル、オットー・クレンペラー、レナード・バーンスタイン、クラウディオ・アバドなどの歴史的名盤を所有し聴いてきたが、テンシュテットの演奏は、彼らの演奏に比べ総じて演奏時間が長い。でも緩慢さは感じない。ここぞと言うときには気が狂ったようなアップ・テンポになることもしばしばなのだ。こうやって同じ曲を違う演奏家のものと聴き比べるというのもクラシック音楽の楽しみの1つだ。還暦を過ぎワクワクすることがめっきり減った日々に、大きなアクセントを与えてくれたテンシュテットとマーラーに感謝!最後に一句。 「 マーラーの 11枚で 冬支度 」
2018.11.01
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サラ・チャンとNHK交響楽団5人の弦楽合奏で、ヴィヴァルディとピアソラの「四季」を聴いた。会場は、上野の東京文化会館大ホール。私の席は4階。そこからステージを撮ると上のような写真になる。ステージ中央にこじんまりと椅子が並ぶ。6人の弦楽器の音は私の耳にまでちゃんと届くのだろうか?先日行った浜離宮朝日ホールでのベルリンフィル・アンサンブルは大音声で迫ってきたが、今回は大ホール。しかも演奏者から遠い3階席。ちゃんと私の耳まで音が届くのだろうか?案の定、かわいらしい音量だった。やっぱり大ホールでの5人の合奏には無理があったのでは・・・?ま、それは置くとして演奏内容の方は、なかなか興味深かった。ヴィヴァルディの「四季」と言えば、4~50年前にレコードが大ベストセラーになったイ・ムジチ合奏団の演奏を思い出す人が多いと思う。私もその世代だが、この日の演奏はそれに比べてアップ・テンポで、スタッカートでなくスラー。新鮮だった。ヴァイオリニスト・サラ・チャンの解釈なのだろう。彼女のことを知らなかったが、8歳でステージ・デビュー、10歳でCDデビューした天才ヴァイオリニストなのだそうだ。御年38歳。先日ナマで聴いたチョン・キョンファに比べ線の細い音だが、男性的なパワフルさは共通していると思った。休憩をはさんで後半はピアソラの「四季」。ピアソラと言えば、アルゼンチン・タンゴの新しい歴史を開いた作曲家兼バンド・ネオン奏者だ。そういえば、先日行ったベルリンフィル・アンサンブルも彼の「リベルタンゴ」を取り上げていた。数十年前の曲だが、すでにクラシック音楽として定着しているらしいぞ。18世紀のヴィヴァルディと20世紀のピアソラ。面白い取り合わせだ。あと10~20年したら、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」や、ジミ・ヘンドリクスの「紫の煙」なども、インスト曲にアレンジされてクラシック・コンサートで演奏されるんじゃないかなあ。20世紀の「四季」は18世紀のそれのエレガントさとは違い、熱情的だった。楽しい演奏だった。ピアソラは自らの五重奏団を持って演奏活動をしていた。なので、この日の編成は無理なくピタッとはまっていた。ピアソラの曲は、これからも弦楽合奏や室内楽規模のクラシック・コンサートに欠かせないコンテンツになっていくんだろうな。この日のコンサートは、バッハの「G線上のアリア」で幕を閉じた。う~ん、ピアソラの曲をアンコールで聴きたかったなあ・・・。最後に一句。 「 ヴェネチアと アルゼンチンで 秋惜しみ 」
2018.10.27
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ベルリンフィルのメンバー11人によるコンサートに行った。「ベルリンフィル・ヴァイオリン・アンサンブル」は、10人のヴァイオリン奏者とピアニスト1人という編成。室内楽と小編成の弦楽オーケストラの中間といった感じだろうか。曲目は、バッハ、ヴィヴァルディのバロックからビゼー、そしてショスタコーヴィチや現代音楽、タンゴまで多彩だ。さて、どんな音色を聴かせてくれるのだろう?ヨアヒム・ヨホヴの「パッヘルベルのタンゴ」という現代曲から始まった。11人の合奏とは思えないようなパワフルな演奏だ。ヴァイオリンって大きい音が出る楽器なんだなあと実感。オーケストラの中心楽器がヴァイオリンになる前はギターだったが、他の金管・木管・打楽器の音量に比べ音量が足りないため、音量の大きいヴァイオリンが中心楽器に代わったというのを何かの本で読んだのを思い出した。前半最後に、ヴィヴァルディの四季から「冬」の楽章が演奏された。ギターで言うところのハンマリング・オンとプリング・オフの奏法が駆使されている面白い曲だということをコンサートでの奏者の運指を見て初めて知った。休憩後の後半最初の曲は、ショスタコーヴィチの「6つの小品」。交響曲や弦楽四重奏曲のCDを愛聴している好きな作曲家の一人だが、こんなにメロディアスで情感豊かな曲を作っていたのは知らなかった。ピアソラの「組曲」、ビゼーの「カルメン組曲」も楽しく聴きごたえがあった。聴衆のブラヴォーに応えてアンコール。その1曲目は、作者不詳のルーマニア民謡「ひばり」。初めて聴く曲だ。ルーマニア出身のロン毛で長身の奏者がソリストとしてピアニストの横に進み出た。そしていきなり超絶速弾きを始めた。現代のパガニーニのようだ。ヘビメタのギタリストのようでもある。他のメンバーをしり目に速弾きのアドリブをこれでもかと言わんばかりにたっぷりと披露。会場はスタンディングオベーション状態になった。クラシック・コンサートでは珍しい光景だ。それに応えてアンコール2曲目。おなじみブラームスのハンガリー舞曲第5番。このアンサンブルのリーダーもルーマニア出身。東欧の民族音楽に近しさを感じているのだろうな。そしてまた大拍手。それに応えてアンコール3曲目。美しく凛々しいバラードだ。会場出口に掲示されたのを見るとスヴェトラーノフの「アダージョ」とあった。あのロシアの指揮者でもあるスヴェトラーノフだろうか?いい曲だった。大編成のオーケストラだと指揮者とソリストしか目立たない。名門ベルリンフィルでも然り。だが、こうしたアンサンブルだと奏者全員に光が当たる。そして選曲も奏者たちの意向が入れられる余地が大きいのではないだろうか。そんなところからこうしたアンサンブルが誕生し、オケから離れて活動しているのだろうな。いろんな発見のあるコンサートだった。最後に一句。 「 ヴァイオリンと 極上新酒 秋深し 」
2018.10.21
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