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今日、もらった感動へのお礼を綴りたい。
そう思って書いていると嬉しさがよみがえって
笑っているうちに楽しくなる。
読み返した時、また嬉しくなる。
だから、明日が楽しみ!
September 25, 2016
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カテゴリ: 歌舞伎に親しむ
もうじき芝翫さん襲名の橋之助さんのお話を伺いに
歌舞伎座3階にある「花籠」へ。

相当な倍率を勝ち抜いたクジ運の良い成駒屋ファンが
集まった昼下がり。
「橋さん」と呼べるのも、あとわずかなんだね、等と
囁く中に颯爽と橋さん登場。

襲名を目前に控え、お忙しいでしょうが、終始笑顔の橋さん、
進行の葛西さんの質問にひとつ、ひとつ丁寧に答えてくださった。

ヒトコトでも多く、橋さんの口から聞きたいと願う

少しも時間を無駄にすることなく、お父上、そして
兄と慕う役者さんの話も語ってくれました。

勘三郎さんの隣で
ニコニコしていた印象が強いのに、
兄弟の父であり、福助さんの復帰までは
成駒屋を牽引する立場の今、
頼もしい橋さんなのだ。

以下、走り書きのメモに書いた
キーワードを頼りに記憶をたどり、
書いた備忘録。

出来得る限り、誤字や聞き間違いがないようにと

それでも、誤りがあるやもしれませぬ。

ご容赦くださいませ。


ラスト、
花道で「十六年はひと昔」と終わるのは團十郎型。

今は團十郎型が一般的。

絵面で終わるのが芝翫型。

「熊谷陣屋」の時代は義経が世に出る前の頃。
お主(おしゅう)の為に熊谷は息子を討った。
大阪の平成中村座で「熊谷陣屋」がかかった時に
幕外で終わる團十郎型を演じたのは

「やってごらん」と
勘三郎さんの勧めから。
(橋さん、團十郎型もお好きのようです)
熊谷は本来、鳴神上人のような白綸子。
二代目松緑さんが
その衣装をお気に召さなかったようで
白と黒の法衣になった。
「初役の時は白綸子だったが、
この衣裳では哀れさがない(と思う)
細くて若い時はまだまだ、と言う感じだったが
ようやく似合う年頃になった。」と橋之助さん。

葛西さんが
親子四人連獅子のポスターの前で
歌之助になる宜生君を指して、
彼が敦盛や小次郎と同じ年ころですねと。



襲名のポスターを観て言っていましたが、

父芝翫と先代の雀右衛門さんの名舞台がたくさんあったが、
今度は自分が芝翫になって襲名されたばかりの雀右衛門さんと


昨年の納涼歌舞伎の表紙の絵を見て一目ぼれしたと橋さん。
偶然、隣家の方が楽屋を訪れた時に伴っていらしたのがその絵を描いた方でした。

日本画の若手ホープの朝倉さん(朝倉隆文さん38歳)。
口上の舞台面
(大道具の絵と葛西さんが注釈をつけていましたが、
背景のことでしょうか)をダメもとでお願いしたら、
25mも幅のある大作を描くことはなかなかない機会なので、
やり甲斐がある、うれしいと快諾をもらえた。

口上は20分。
よくある花鳥風月を描いたものではなく、橋さんもあ!と息をのむ斬新?
素晴らしい出来栄えで、20分だけの為、というのがモッタイナイ。

とおっしゃっていました。拝見するのが楽しみです。

そして、「番隨長兵衛」

小学校三年生の時初めて観て憧れた役。
白鷗のおじ様と松緑のおじ様だった。

「長兵衛が出来るような役者になったらいいわね」
母はいろいろな話をしてくれました。

自分が長兵衛をやるようになった時、当時と同じ席で見守る母がいた。

ああ、芝翫夫人。
素晴らしい役者に育ててくださってありがとうございます。

(続きはまた、のちほど)





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最終更新日  October 16, 2019 01:00:20 AM
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