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金や力がなくても、守るべきもののためにあがき続ける人間はいる。そういう人間は夢なんて語らない。 鷲津 政彦 夢をどうしても実現したいという企業の支援要請を、剛腕の投資家はこう言って撥(は)ねつける。まずは「他人任せの考え方を徹底して捨てろ」「話はそれからだ」と。夢を叶(かな)える困難を知る者は、夢を語る前にすべきことも知っている。テレビ朝日系のドラマ「ハゲタカ」(原作・真山仁、脚本・古屋和尚)第7話(8月30日放送)から。 (折々のことば1249・2018.10.6) 綾野剛演じる鷲津政彦…‥観た観た…… かつて企業の一員だった時、資金ショートが頻繁に起こった。手形ジャンプのお願いに幾度頭を下げに行ったことか。日常化していく給料遅配。再建計画を議論しても聞く耳を持たない会長以下役員連中。役員の末席を汚していた平取りの私ごときに出来ることは限界があった。 金や力を得てきた者が、会社や社員ではなく自分だけを守るためにあがく執念は半端ではない。反旗を表明して1期2年で辞職・退職したが後悔はしていない。 自力での再生は可能だったはずだが、辞めてすぐに100%子会社となった。 すべきことを熟考せずに夢を語り、己の考え・思いだけでことを進める経営者もいる。「他人任せ」ではないが、他人の意見は聞き入れない独断。結果がうまくいかなければ他人の責任にする経営者……そんな会社の社員も長続きしない。 会社は誰のものか? 株主のものです。社員のものではありません、と平然と答える経営者がいる。社員の給料は上げずに利益最優先で働かせ、己の配当を増やすことに専念する資本家。働き改革というが、働かせ改革が先じゃないの? なんて思ってしまう無職の私でありました。 さてさて、夢なんて大仰なものなど持ち合わせていないが「守るべきもののためにあがき続ける」……素敵な言葉です。守るべきものを持っている人間は幸せだと思いますが、高齢化社会において守るべきものは自分だけ、ということになるのでしょうか? 少しさみしいですが…… NHKの土曜ドラマで放送された「ハゲタカ」は2007年だったんですね。「そんなに前だっけ?」と少々驚いた私ですが、時の経つのがどんどん早くなっている証です。ちなみに、NHKの鷲津政彦役は大森南朋でした。連れ合いはファンです。 ハロウィン用なのでしょうか? 花屋の店先に置かれていました。 物をもらいに商店を巡り歩く変装した保護者とチビッ子たち。私のような高齢歩行者の邪魔だけはしないでね~ 傍若無人な広がり歩きは堪忍ね~ さーて、天気が良いから窓を全開にして掃除機かけよーっと!!
2018.10.17
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技術ってやつも坂道と同じに上るだけではなしに、下ることもできなくては 菊地 信義 SPレコードを古い蓄音機で聴くコンサートへ行こうと誘われた装幀(そうてい)家。1926年製の蓄音機から流れてくる歌声が体の隅まで沁(し)み込む。幼い頃、家の応接室でこっそり聴くうち奇妙な体感が「ツーン」と走り抜けた時と同じく、この日会場を後にする時も、遠くで蝉(せみ)の声がした。技術のレベルを下げたぶん、いのちのアンテナは逆に感度を増したか。『樹の花にて』から。 (朝日新聞・折々のことば1149・2018.6.25)『太陽光発電抑制 九電が検討』と朝刊にあった…… 九州電力は、太陽光などの再生可能エネルギー発電事業者に対し一時的な発電停止を求める「出力抑制」をこの土日13、14日に実施する可能性があると伝える。 2012年に始まった再生エネルギーの固定価格買い取り制度を受けて、太陽光発電の接続量は増えたらしい。だが、4基の原発が再稼働した現状においては、需要と供給のバランスが崩れると電気の周波数が乱れ、発電所が故障を防ぐために停止し、大規模停電につながる恐れがあるという。北海道でおきたブラックアウトと同じようなことだろうが、なぜ太陽光発電を第一に抑制するのか?理解に苦しむ私。 九州の電力需要のピークは1600万キロワット弱。太陽光は800万キロワットで原発4基が400万キロワットを発電している。残りは火力や風力なのだろうが、火力を抑制しても需給バランスの維持が難しいという。そこで、太陽光で約2万4千件、風力で約60件ある契約の中から発電を止める事業者を九電が選ぶそうだが…… そもそも、原発って発電量の調整ができないの? 完全に止めたら再稼働まで時間を要すかもしれないけど、出力調整のきかない代物ではないだろう。と怒っていたら、なんと「原発の発電を優先する」のが国のルールだそうだ。脱原発を掲げても、この状態ではいつ出力抑制されるかわからない再生エネルギーの入る余地は狭まってしまうだろう。 発電技術も新旧あるが、新しい物ができるときには振り返ったり見回したりすることが大事だろう。北海道での長期停電も経験したのだから、反省を踏まえて大手電力会社間での電気のやりとりの構築と実現を早期に行ってもらいたい。 溜めておけないというが蓄電技術にも力を入れてもらいたいし、世界には電気のない暮らしをしている地域がたくさんある。止めずとも、そんなところへ電気を届けられたらどんなにいいか、と夢のようなことを考えてしまう私でありました。 まぁ、「原発優先」なるそもそもの変なルールを早々に見直すべきではないのか? 勿論ルール変更に伴って起こりうるリスクヘッジを吟味した上でのことだが、四国電力の原発再稼動も目前。このままでは、四国でも出力抑制が起こる可能性は大きいと予測する。 折々のことばとは少々異なる内容になってしまったが、菊地氏は銀座に事務所を持ち「樹の花」で打合せをなさるようだ。「ジョン・レノンゆかりの喫茶店」とあったが、今もあるのかしら? 私はミーハーではないから、きっと行かないでしょうが…… 昨年末に立ち寄った銀座の喫茶店・パウリスタにも小野洋子と一緒にレノンが通ったと聞いた。あっちこっちで珈琲を飲んだのかもしれませんね。「たみとや」と言うそうですが、以前から気になっていました。 『みなさまのご寄附によって成り立つリサイクルショップ』だそうで『モノも、ヒトも、大切にされないこの世の中、しかもどんどんひどくなるばかり。その流れに「ちょっと待った!」と言いたくてこの店をひらきました』とHPにありました。 共謀罪ぶっとばせと危なそうな張り紙ですが『私たちがもっと知り合えたなら、一人ひとりがつながっていけたなら、戦争も差別も格差もない社会をつくっていけるはず!!』とも書かれていました。『宿題、勉強、応援します』と、ボランティアの無料子ども塾もなさっておいでの様子。毎週水曜日の夕方みたいですが、今度のぞいてみようかしら? 私には勉強のお手伝いはできませんが…… さてさて、今日は義母に付き添って連れ合いも出かけました。「紅茶いれて~」って頼めません。独り寂しく留守番なので、エッチングパーツの椅子でも曲げてみようかしらね~
2018.10.12
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人は生きていたように死んでいく。 島﨑 今日子 樹木希林の最後の1年を撮ったテレビ番組を観て、全身転移したガンの検査画像をみせたことと、映画で入れ歯を外して老婆を演じたことは、作品のためには全てさらけ出すという意味で「地続き」だったとライターは記す。死にゆく姿が生の一部なら、生きるその姿も死の一部。時折耳にする言葉だが、樹木さんの人生にぴたり。本紙大阪本社版のコラム「キュー」(3日朝刊)から。 (朝日新聞・折々のことば1252・2018.10.10) 申し訳ないのだが、樹木希林さんと言われて私の頭に出てくるのは沢田研二のポスターを眺め「ジュリーィィィ」と腰をクニャクニャさせる姿ぐらいだ。それも毎回見ていたわけではなく、極々たまにのこと。 寺内貫太郎一家で小林亜星の母親役を演じた頃は30代前半だったと……ドラマ中の指ぬき手袋は若く皺(しわ)のない綺麗な手を隠すためだったとか。 歳を重ねて入れ歯となった彼女にとっては、隠さずに演じらることの方が自然体であり楽だったのではないか?と私は考える。役者も私生活も同一線上のことだから、隠さず取り繕わずに生きることは気軽のような気がする。 松田優作氏は『野獣死すべし』の撮影にあたり、減量の上に頬がこけて見えるようにと奥歯を抜いたと聞いた。彼にとっては俳優がすべてだったのかもしれない。 松田優作の死も早すぎたが、享年75 樹木さんの死も早い。病気を抱えていたから余計そうだったのかもしれないが、彼女は「香典袋の中身は誰であっても3000円」と生前から決めていたという。「香典」文字通り霊前にお香を手向ける代わりにお供えするのだし、弔う気持ちがあればそれでよいと教えて去った樹木希林さん。まさに死にゆく姿に生の一部を感じた。 樹木希林さんが「ジュリーィィィ」と演じていた時代、型破りで「黄金の左」と呼ばれた第54代横綱・輪島さんも亡くなった。北の湖をはじめ、当時の横綱輪島の対戦は私も楽しませてくれた。 プロレス転向を決意し米国修行に渡った折は、電気ガマと米を担いでいったらしい。おかずは地元石川の糠(こんか)いわしだったと。きっと外食するのには英語が苦手だったのかもしれない。 もっとも、「猫舌なもので」と言うところを「猫背なもので」。「コレクトコール」のつもりが「コレステロール」……なんて迷語録を残した輪島さんだから、伝わらない英語だって平気だったと思われる。 横綱時代は銀座で浴びるほど酒を飲んだとも聞くが、享年70。晩年まで出身地石川県を訪れては、子どもたちに相撲の魅力を伝えてきたという。 栄枯盛衰を体現したような人生だったであろう輪島さんのこんな言葉も好きだ。『逆境という言葉は好きじゃない。人生なんてご飯と一緒。おいしい時もまずい時もあるんだからさ』 はてさて、次の世では相撲か?プロレスか?あるいはまったく違う生き方をされるのかもしれないが、ご冥福をお祈りします。 長い長い時間をかけてここまで大きくなりました。 近いうちに食べてみよ~っと! 何というのか知りません。しょっちゅう庭いじりをしているお袋です。 元気でいてくれればそれでいいです。くっついて回る連れ合いには申し訳なく思っていますが…
2018.10.11
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ボーっと生きてんじゃねーよ! チコちゃん NHKのクイズ番組「チコちゃんに叱られる!」。答えに窮する大人たちを、司会の着ぐるみの5歳児が、こんな基本もわきまえずに生きてきたのかと一喝する。「ボーっ」は注意散漫なこと。でも、予期せぬ事態にしかと対応できるよう、あえてふわっと身を漂わせておくのも時には大事だ。ただ、スマホに没入する傍(はた)迷惑な人には「ボーっと歩いてんじゃねーよ!」と言いたくもある。 (朝日新聞・折々のことば1246・2018.10.3) 目にしたことのある番組だが、大人に向かって「ボーっと生きてんじゃねーよ!」を連発するチコちゃん。「NHKもかわったものだ」と感心するが、クイズ番組だけでなく報道に関してももう少し突っ込んでもらいたと思う私だ。 7日だったか? 行われた加計学園理事長・加計孝太郎氏の記者会見……愛媛県の文書が公になってからずいぶんと時が経った。つじつまの合わない事が記された県文書の登場は、加計氏や安倍首相にとっては予期せぬ事態だったかもしれないが、説明を求められてきた記者会見は予期せぬ事態ではない。用意周到に準備できたはずであり、そうすることが当然の義務であるにもかかわらず、この期に及んでも愛媛県の文書は「見ていない(聞いただけ)」と心ない会見だった。 加計理事長と安倍首相との面会の事実はなく、学園の事務局長が県担当者と会った際に「勇み足」で作り話をし、それが文書に残ったと釈明したが、そもそも「勇み足」とは相撲で相手を土俵ぎわまで追い詰めながらも勢い余って自ら土俵外に足を出して負けになること。相撲なら負けなのだが、加計学園は愛媛県と今治市からの93億もの補助金を獲得することになる。「勇み足」のもう一つの意味は、勢いに乗ってやりすぎの失敗をすることを言うが、「作り話」=嘘をついてことが進められた事実に対する説明はなされなかったようだ。事実やデータに基づいて考え、真理を探究することを教えるのが大学教育だが、嘘をついた事務局長も同席させず事実をあいまいにする姿からは大学経営のトップとしての矜持・覚悟は見えてこない。 (本年5月の参考人招致で)元首相秘書官の柳瀬唯夫氏は、加計学園関係者と首相官邸で2015年に計3回面会したことを認めたが、面会の報告は安倍首相には上げていなかったという。安倍首相も「忙しいのでいちいち聞かない」とも答弁し、知らぬ存ぜぬを決め込んでいたが、加計氏も同じ。県や市、柳瀬氏らとの面会に関しても「全部任せていたから報告は一切聞いていなかった」と加計氏は語ったが、93億の補助金が出るプロジェクトを手放しで傍観できるほどの太っ腹なのだろうか? 事実だとすれば、ボーっと生きていても大学経営のトップが務まるということであり、さぞや優秀なスタッフが大勢おられるのだろう。 勇み足の加計学園事務局長……内閣にもいましたね柴山文科相……就任会見での「教育勅語」発言も勇み足だったのでしょう。 政治と経営とは違いがあるけれど、安倍政権と加計学園とがなぜか同じように見えてしまうのは私の偏見でしょうか? お友だちだから似ちゃうのかしらね…… 今日も気持ちのいい空です…12時35分 コスモスに小さな虫がとまっていました。 昔昔 営業車を走らせていた千葉県にあった自称「コスモス街道」は綺麗だった。 印西あたりだったか? 遠い記憶です。 屋外塗装をするには少々風がありますが、さぼっている私には吹くものはありません。散歩をするには心地よい風です。昨日は予防接種をしたから、今は疑似インフルエンザ状態の私……歩くぐらいはよいでしょう。
2018.10.10
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足並みそろうと全滅しちゃうので。 稲垣 栄洋(ひでひろ) 開花の時期をずらしたり、背丈を違えたり、植物はつねに多様性を拡(ひろ)げようとすると雑草学者は説く。環境のどんな変化にも対応できるよう、「とりあえず、たくさん用意しておきましょうね」というのが多様性。人はついバラつきを嫌い、標準化を図るが、生き延びる工夫はどうも植物のほうが上らしい。インタビュー≪弱い雑草の「戦わない強さ」≫(「コトノネ」第27号)から。 (朝日新聞・折々のことば1220・2018.9.6) 夜中に枕元で連れ合いの携帯がピコピコ鳴っていた。そのまま知らん顔をしていたが、朝テレビをつけたら北海道の地震……ひどいことになっていた。 午前3時8分のことだから朝刊には一行も載っていないが、折々のことばは予測でもしていたのだろうか? 『足並みそろうと全滅しちゃうので』……台風21号が去ったばかりのところでおきた震度6強の地震。直前の雨で地盤が緩んでいたのかもしれないが、土砂崩れ現場の救助作業もただでさえ大変なことになっている。 一刻をあらそう人命救助だが、道路が寸断されたようでヘリでの救出活動がなされている。もし台風と重なっていたら空からの助けも不可能だったろう。 2011年の東日本大震災、一昨年の熊本地震や例年起こる水害だが、経験を生かした対策・対応がどこまで検討されているのだろうか。 関西空港への唯一の出入り口である橋がタンカーにより壊されたことは確かに想定外のことかもしれないが、都度聞かされる想定外の言葉にむなしさを覚える。 水浸しになった空港も想定を上回る潮位だったというが、防災センターは冠水で使用不能、変電設備も役に立たないことからは設計段階での甘さを指摘されるだろう。また、それを認可した国の責任も重い。 日々 地盤沈下が進んでいる埋立空港そのものの安全性も根本的に見直した方がよいのではないか。24年間、護岸のかさ上げ工事やジャッキアップでしのいできたと聞く。関西エアは「永久に沈み続けることはない」と言うが、軟弱な地層の上にあることは事実であり、直下型地震が起きた場合に耐えられるのか、素人ながら大いに疑問と不安を覚える。 21号により停電した関西同様に、北海道でも全道で停電が起きている。電柱の倒壊による影響のみならず、一旦停止した火力発電所を復旧させるためには別電源を用意する必要があり、水力発電所を稼動させるのだと言う。 福島原発事故の際も電力がストップし、車のバッテリーでしのいだ。その後の原発再稼働には世界一といわれる安全基準を用いているようだが、原発のみならず電力や水など国民の命を守るライフラインの更なる強化と改善を求めたい。想定外ではなく、まさに「とりあえず、たくさん用意しておきましょう」と感じる。 福島第1原発の炉心冷却のために使われたトリチウムを含む汚染水が貯蔵タンク900基に達し、このままでは置き場がなくなるらしい。そこで、「薄めて海に流す」の方向が有力らしい話も耳にするが、もっとたくさんの考え・方法があるだろう。 全国の原発でも運転中に出るトリチウムを海に流しているという。法定基準に従ってとも言うが、誰が決めた基準なのか? 何十年、何百年先のことなど知ったことかと、怪しげな基準を盾に流されることを続けてはダメだろう。期間も費用も最少で済むからと、そんな理由で簡単に処理されて良いはずはない。 止めようと思っているブツブツをまた書いてしまった。自然災害は今後も確実にやってくる。経験を無駄にせず、少しでも安心と安全の対策に取り組んでくれることを切に期待する。 10時34分……お陰様で東京には大きな被害がなく、無事に過ごしていることを感謝します。台風や地震により被災された皆様には、早期の復旧・復興と健康回復をお祈り申し上げます。
2018.09.06
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職能がつながっていなければ、私たちの魚食はなかった。 濱田 武士「魚食」は本来、魚を獲(と)る、卸す、売る諸職の間、さらに魚屋と、彼らから魚の見分け方、捌(さば)き方を習う消費者の間の、濃(こま)やかなネットワークの中にある。が、巨大な流通システムがそのネットワークを切断し、数字だけの繋(つな)がりにしたと、漁業経済学者は憂う。「魚職」たちは牽制(けんせい)しあうばかり。誇らしく魚を手渡す歓(よろこ)びも目利きの矜持(きょうじ)も持ち難くなっていると。『魚と日本人』から。 (朝日新聞・折々のことば1217・2018.9.3) 朝、喫茶店に向かう途中で目にする開店準備の魚屋。イカが凍っている。帰るころには戻っているのだが、刺身用との表記はあるが「冷凍」の表記はない。私のような素人には食べて区別がつかないかもしれないが、シーズンにはやっぱり生を並べて欲しい。 築地の場内に行くとそこかしこでイカが目に入る。各店で色も大きさも違っていて素人目利きにチャレンジしてウロウロ。どこで買おうか?迷っているうちに目当ての店がどこだったか迷子になってしまう。楽しいが日々行かれるものではない。ましてや豊洲に引っ越したら遠のくばかりだ。 地元の有名割烹店の主が買い付ける魚屋を知っている。さすがに常連だけあって対応が違う。「これどうですか?」と中から別品を出して見せる。鰹は丸のままでは玄人にも目利きが難しい。かっさばいた色艶の良い所を主はゲットしていった。 スーパーではそんなことはできない。最近、美味しい食べ方も教えてくれるチェーン店らしい魚屋も目にするがどうだろうか? どこかわがままを聞いてくれる魚屋を探したいと思っているが、難しいかもしれない。『文化とはふぐを食うこと』と言ったのは、水産学者の末広泰雄氏だっただろうか? どこに毒があるのか分からず、食べては死人が出たというのにふぐを食べることを止めなかったかつての勇気ある人々。死ぬ間際のシビレが心地よかったのかもしれないが、そのお蔭で今では調理法が確立され美味しく食べられる。ありがたいことであります。 2011年7月……サラリーマン時代はよく鮨屋にお邪魔した。アオヤギ、カツオ、トリガイにタコ……仕入れと仕込に主の矜持が感じられる。立派なアオヤギはすっかり見なくなったな~ 行かないから当たり前か~ (12時7分) 朝刊の予報には太陽マークまで付いていたのに、パラパラ雨が降っています。気温は散歩に適しているのですが残念です。
2018.09.03
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読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。 皇后美智子さま 人の思いや立場が交錯する中、複雑さにたじろぎ呑(に)み込んだ息は、それに耐えうる知的な肺活量を鍛えもする。とくに幼時の読書は、人生の「根っこ」と想像の「翼」と「痛みを伴う愛」を育むと、皇后は20年前、インドで開かれた国際児童図書評議会世界大会でのビデオ講演で語った。「美智子」の名で刊行された『橋をかける』から。 (朝日新聞・折々のことば1211・2018.8.27)「想像の翼」はおろか、「人生の根っこ」や「痛みを伴う愛」までも読書が育むとは……幼時にそんなことが理解できるのかしら? と一瞬戸惑ったのだが、「育てる」ではなく「育む」と発した美智子さまならではの素晴しいお言葉だと気付いた私。「育てる」も「育む」もどちらも成長させるという意味だが、愛情を注ぎ、慈しみ大切に育てる保護者や子どもたちの成長にかかわる大人たちの役割も言われていると解釈するとすとんと落ちる。美智子さまが育んだ皇太子徳仁親王……どのような天皇陛下としてのお姿を見せてくださることか、楽しみです。 ちなみに幼時期はほとんど読書などしなかった私。夏休みの宿題で読書感想文を書くため、小学校時代に年1冊だけイヤイヤ読んだ。父親に何度もダメ出しされて書き直すのに四苦八苦したのだが、提出後に戻ってきたためしはない。そもそも「作文の書き方」なんて授業で習わなかったし、40人分の作文を読んで添削する時間など担任教師にはなかっただろう。「だったら宿題になんかするなよ」との思いもあるが、読書も作文もなにかしら育んでくれるものだろうと今は思う。 日々、就寝前には必ずなにがしか書物に目を落としてから布団にはいる連れ合い。固有名詞を中心に、彼女の記憶力には感服させられるのだが、嫌なことまで覚え続けているのは辛いかもしれない。私のようにすぐに忘れてしまう程度の記憶力の方が幸せかもしれない。 今日は薄曇り。それほど暑くはなさそうだ。 (11時25分) 散歩行ってこようかな~
2018.08.28
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夏の甲子園・全国高校野球選手権大会……いよいよ今日が決勝戦。 朝日新聞からひろった監督のことばを3つ載せてみる。 山あいの町の子供たちに一度でいいから大海を見せてやりたかったんじゃ 第53回大会(1971年)池田(徳島) 蔦文也監督 池田は徳島市内から西約80キロの山あいにある。就任20年目に甲子園出場の悲願を達成し、思いを吐露した。11人で出場した74年の選抜大会で準優勝し、「さわやかイレブン」と話題に。その後、強力な「やまびこ打線」を作り出し、82年夏に初優勝。「攻めダルマ」の異名をとった。(8月17日) 74年には「さわやかでも何でもない。ワシのしごきがきついけん、ついていけんようになっただけじゃ」との言葉を残したそうだ。「死ぬまでノックバットをはなさん」と高校野球を愛した蔦監督だが、無類の酒好きでもあったという。日頃から「ワシから野球と酒をとったら何も残らん」とも公言していたそうだ。 魔物がいたのなら、それは人の心に棲んどったのかもしれんな 第80回大会(1998年)明徳義塾(高知) 馬淵史郎監督 準決勝、明徳義塾は八回表まで0-6で横浜をリード。ところが、前日に延長17回250球を投げた横浜の松坂大輔が投球練習を始め、腕のテーピングを剥がして九回表に登場すると、場内は「松坂コール」の大歓声。明徳義塾ナインはその裏に逆転サヨナラ打を浴び、グラウンドにくずおれた。(8月21日) 決勝の京都成章戦ではノーヒットノーランを達成した松坂大輔は確かに魔物だが、6点差で1イニングを守りきれなかったのは明徳ナインの心にあった魔物が邪魔をしたのだろう。なにが起きるかわからないのが高校野球。今日も楽しみだ。 ちなみに、昔仕事で訪問した塾に若かりし頃の松坂大輔の写真が飾られていた。「へぇー野球しながら塾にも通ってたんだ」と思った私です。 孫の代まで自慢できっから、打っとけよ 第85回大会(2003年)常総学院(茨城) 木内幸男監督 ダルビッシュ有を擁する東北(宮城)との決勝戦で、選手に呼びかけた。序盤は高めの球に手を出していたが、2点を追う四回、カウントを稼ぐ変化球を捉え一気に逆転に成功。大会屈指の好投手を攻略した。全国優勝を成し遂げたこの夏、いったん監督の職をのいた。(8月18日)「私は何もしていませんよ。全部生徒たちが頑張った結果ですから」とインタビューで答える一方で、「やる気がないならやめちまえ」が口癖だったと聞く木内監督。勿論、部員の闘争心をあおっての言葉だろうが使い分けと気遣いがあっての監督業だと思う。昔昔、一度お会いする機会があったな~ と懐かしく思う私です。 (9時46分) ちょっと過ごしやすい日が続いたと思ったら、今日は日差しが強い。衛星画像を見る限り甲子園上空も雲はなさそうだ。金足農業VS大阪桐蔭……連投は辛いでしょうが良い試合になるでしょう。 個人的には金足農業の優勝を願っていますが、どっちも頑張れ~
2018.08.21
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師匠というものはまちがいのない基本を正しく教えれば、いい師匠だ。 高橋 竹山 師匠は、「筋」だけをきちんと教えればいい。弟子にとって師匠は「商売一代の飯の種をわけてもらうのだから、命の親、生活の親だ」と、人並みでない苦労を重ねた津軽三味線奏者は言う。習いは彼にとって、すべて生活の土台をなすものとしてのみ意味をもった。その土台を確実に身につけること。習いはそれにかかっていた。『津軽三味線ひとり旅』(聞き書き・佐藤貞樹)から。 (朝日新聞・折々のことば1201・2018.8.18) 高橋竹山の言う師匠は、誰を指すのかしら? 幼少期に視力を失い、門付けで生きるべく最初に教えを乞うた戸田重次郎のことだろうか。 太平洋戦争により三味線での生活が成り立たなくなった竹山は鍼灸・マッサージの資格取得をし進路変更を決意したようだが、津軽民謡の神様と呼ばれた成田雲竹の伴奏者として門付け・興行を再開する。竹山の名付け親は雲竹のようだが、彼を指しているのだろうか。雲竹とともにラジオ番組などに出演しだし、竹山の名が世に知れ渡ることとなったそうだ。 いずれにしても本当に人並み外れた苦労と努力を重ね、津軽三味線界に堂々たる名を残した高橋竹山は素晴らしいが、彼に「筋」を教え導いた戸田重次郎も成田雲竹、二人とも「いい師匠」だったと解釈しておこう。 なぜこんな話?かといえば、昨日「その道で生活をしていくことの難しさ」が知人と話題になったから。美大や音大を出た方は、私たちからすればとんでもなく素晴らしい絵を描き、みごとな演奏をされるが、飯の種となっている方はほんの一握りが現実だと。努力だけではなかなか花咲かず、運に左右されることもある。いつ訪れるかわからぬ運を待つなんてことはできないから、畑違いの重労働パートで生計を立てる方の辛さ悲しみを思うと、罪悪感におそわれた日々のん気な私でありました。 こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ (一握の砂・石川啄木)『日々職場で働いてはいるが、気持ちよくやり遂げる仕事が欲しい。その天職を得、仕遂げて死にたい。』そんな歌でしょうか。小説家になりたかったけれど、商工会議所の臨時雇いや代用教員、そして新聞社と満足ができなかった石川啄木の本音でしょう。同じような思いで現職に就いておられる方々は多いことでしょう。 1時間ほど、網戸にへばりついていました。近くに木はあるんだけどな~ しかし、汚い網戸ですね~ 掃除せなあかんな~ 今日の空・10時36分 昨日は高枝切り鋏でチョキチョキした。うっかりサンダルが脱げ、素足が地面に着いたら熱い熱い……火傷しそうなほどだった。今日もちょっとやろうかしら? 靴下履いてね~
2018.08.18
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夏の甲子園・全国高校野球選手権大会で連日熱戦が展開されている。たまたま拾った朝日新聞の小記事『甲子園のことば』を2つ…… 監督、ホームランを打ってきます! 第61回大会(1979年) 簑島(和歌山) 嶋田宗彦選手 3回戦の星陵(石川)戦は1対1で延長戦へ。十二回表に1点を勝ち越され、その裏の攻撃で2死に追い込まれた後、次打者の嶋田は尾藤公監督にこう言った。尾藤監督は「よっしゃ、狙え!」と送り出し、予告通りの同点ホームラン。延長18回の激戦の末に簑島が勝利した。 (8月7日朝刊)「星野君の二塁打」というのがある。 野球チームで監督から犠打を命じられた星野君。それに背いて二塁打を放ちチームは勝利するのだが、星野君は「チームの約束を破り、輪を乱した」として監督から次の試合での出場禁止を言い渡される、という話だ。 1950年代から小学校の国語の教科書に登場し、70年代からは道徳の副読本に使われてきた。今年から正式な教科となった道徳の教科書にも「規則の尊重」「集団生活の充実」などをテーマにした教材として収録した出版社もある。「学習指導案」には『きまりや規則を守ることで安心して生活できみんなで楽しくくらしていけることに気づき、自分たちで決めたきまりは進んで守ろうとする態度を育てる』とあるが、とても難しい題材を持ってきたものだ。「勝ったからいいだろう」ではなく「監督の命令違反はだめ」と解釈させるのだろうか? 確かに併殺(ダブルプレー)にでもなれば負けたかもしれない場面でバントは定石かもしれないが、物語に登場している選手たちの気持ちを、学習する小学生たちはどのように分析するのだろうか。おそらく賛否さまざまな意見が飛び交うはずだが、教師に義務付けられた「評価」が適切に行われるのか不安に感じる私だ。 指導する担任がスポーツの部活顧問だったりすれば、指示に従わせようとする方向の指導をしないだろうか? 日大アメフト部で違法なタックルをした学生は、監督の指示は絶対!と教え込まれてきたのだろう。当然作戦は監督がたてるのだが、選手はたんなる駒ではない。実際にプレーする選手の気持ちを大切にし、『やらせる』という意識を捨てることを監督という方々には推奨する。 蛇足ながら、第74回大会2回戦の明徳義塾と星陵戦……松井秀喜に対しての5打席連続敬遠を思い出した。ルールに則ってのことだから良し悪しは言わないが、ピッチャーもバッターも1打席だけでも勝負をしたかったことだろう。監督の命令は守らねばならなかったのだろうが「監督、三振とってきます!」と、明徳の投手には言ってほしかったな~ 京都軍万歳! 第1回大会(1915年) 秋田中学選手一同 大阪・豊中グラウンドであった第1回大会で決勝に進んだ秋田中(現秋田)。延長十三回裏、本塁送球の遅れで京都二中(現鳥羽)に1-2のサヨナラ負けを喫したが、選手たちは去り際、そろって声を張りあげ、相手の健闘をたたえた。 (8月11日朝刊) なぜに『軍』なのか? 第1次世界大戦の最中だからなのか? 私には定かではないが、相手の健闘をたたえる選手たちには拍手を送りたい。エラーを失点を、全員で取り返す高校球児の気概に励まされる私であります。 過去の大会では戦争のために数年間中止された期間があったけれど、ちょうど100年後に200回大会が開催できることを願っています。くれぐれも戦争で休みなんてことにはならぬよう。 黒毛和牛のすき焼風……ある日のやべさんの一品です。あまりたくさん食べない私。この日もこれとナスのワサビ漬けでハイボールを飲んで終了。牛肉は久~しぶりでしたが、美味しかった~
2018.08.11
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家はすごい大金持ちなの、白いピアノがあるの。そんな作り話もあったけど、誰も「嘘よ、そんなの」とは言わなかった。 与那原恵(よなはらけい) ノンフィクションライターは、小学生の頃、病弱な体質だったためしばらく養護学園に預けられた。後に思い立ってその学園を訪ねた時、互いを思いやる級友たちとの無邪気なおしゃべりをふと思い出す。児童たちの明るく屈託のない姿にもふれ、自分がそこで過ごした時間は幸福だったのだと確信する。随想集『帰る家もなく』から。 (朝日新聞・折々のことば1158・2018.7.4) 私の小学生時代も同じようなものだった。こうだったらいいな、ああだったらいいなと空想し、作り話を口にしたことがあったが誰も咎(とが)めなかった。信じる信じないは脇に置いて「嘘よ、そんなの」とは言わなかったのだが、互いを思いやれる級友たちがいたのだろう。 アメフト部に続いて日本大学は、応援リーダー部の女子部員が女性監督からパワハラを受けていたと報道されている。またかよ!! と思うが、指導者からのいじめだけでなくほかの部員にも責められていたということに憤りを感じる。大学生にもなっても仲間をいじめる女子大生たちはいったいどんな大人になるのだろう。2年も経てば18歳以上が成人とされるのだから、大学生たちはみな大人ということだ。思いやりのできない大人が増えるのだろう。 我々はただ一方の害ばかりを恐れて、急いでたくさんの花に咲く二葉を摘んでしまった 柳田 國男 イツワリとウソ、ゴマカシとデタラメは、かつて明確に区別されていた。一方は人を欺く虚言(きょごん)。もう一方は空言(そらごと)。それらを区別せず、子供の無邪気な作り話まで戒(いまし)めると、空想の力が奪われると民俗学者は言う。子供がつくウソに快く騙(だま)され「彼のいたいけな最初の智慧(ちえ)の冒険」を成功させることも必要だと。虚言がはびこると子供の育ちの機会まで奪われる。『不幸なる芸術』から。 (朝日新聞・折々のことば1125・2018.5.31) 虚言も空言もどちらも嘘には違いないが、人を欺(あざむ)く嘘はだめということだろう。日大応援リーダー部女性監督は「(被害女子部員が)大雪の日に事務員に頼んで練習をなくそうとした」と事実ではない叱責を全部員の前でしたというが、これこそ虚言だ。 アマチュアボクシングも国会も、日常的に聞かされる大人たちの虚言。子どもの育ちの機会まで奪わないよう願いたい。※「虚言」は「きょげん」と読むのが一般的なのでしょうが、原文のまま「きょごん」のルビとしました。 今日も良い天気……8時18分 冷たいビールが美味しいだろうな~ 柳田國男といわれても『遠野物語』しか浮かんでこない私……おまけに読みにくいとしか記憶にない情けない私です。連れ合いが持っていたら借りてみましょう。
2018.08.10
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そのわからなさを持ち帰って自分の中で時間をかけて咀嚼(そしゃく)してくれたらなと思います。 寺尾 次郎 映画「勝手にしやがれ」などゴダールの初期2作の新訳を手がけた翻訳家は、字幕は長くても6秒しか出ないのですぐにわかる言葉に置き換えればいいのだが、ここでそれをすると「監督を裏切ることになる」と言う。すぐに呑(の)み込めない引用もあって、観た後も「?」を引きずるのが映画の楽しみ。「カーサブルータス」オンライン版(2016年7月9日)のインタビューから。 (朝日新聞・折々のことば1166・2018.7.13) 私が若い頃(1970年代)、山下達郎や大貫妙子を中心としたバンドがありました。その名は「シュガー・ベイブ」……世の中的にはマイナーだったけれど、7thコードなんか使ったり、響きが心地よいバンドだと評価していた私です。なんでシュガー・ベイブ? かと言えば、聞き覚えのある名前だったので確認してみたら、寺尾次郎氏は中期から参加していたミュージシャンでありました。その後、翻訳に携わっていたとは存じなかった私であります。 文学では「行間を読む」と言われるように、文字では書かれていない筆者の想い・意向を読者が感じとるのですが、作家は削りと推敲(すいこう)作業により、あえて行間を作るのだと私は思っています。 映画製作においてもしかりでしょう。監督の思い・真意を丸出しにするのではなく、鑑賞者に判断をゆだねる工夫もあるのだろうと…。寺尾氏も制作者・監督の気持ちを推し量り、言葉を選んでおられたと理解します。 音楽作りにおいても同じなのでしょう。シュガー・ベイブのみならず数多くのミュージシャンと関わってこられた寺尾氏の経験と能力の成せる技なのだろうと、思った今日であります。 模型作りに咀嚼は不要ですが、推敲は必要です。 今後の作業を想定して機銃と先端を付けてみましたが、シルバーの格子にもドライブラシをあてないとダメだっと気付きました。ここだけは後でやらなくちゃ~ プロペラはオレンジクリアーなどは後回し……置いただけです。 主翼に差し込む支柱の穴が浅かったり狭かったりで、高さがなかなか合わないのでピンバイス(ドリル)で調整をしています。胴体のほぼセンター上部に付けるパーツの接点が浮いています。もう少し左右支柱の根元をさわって落とし込んでやらねばなりません。接着面積が極小なので、瞬間接着剤でも着くかどうか? ちなみに支柱はまだ接着していませんが、ギリギリの穴開けをしてあるので一応止まっています。 さてさて今日は、格子を含めて様子をみながら筆塗りの修正と翼の構築をしてみましょうか……
2018.08.03
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正しい大きさの感覚が、認識を正しくするのだ。 長田(おさだ) 弘 帽子にもクロッカスにも、一角獣という想像上の生きものにも、「正しい大きさ」がある。それに照らして人は自分の大きさを知るのだが、テレビカメラはものの像をズームで好きに調節して伝える。憂うべきは、そのことで「想像されたものの正しい大きさの感覚」まで損なわれたことだと詩人は言う。人の存在が大きくなりすぎている? 随想集「幼年の色、人生の色」から。 (朝日新聞・折々のことば743・2017.5.3) 長田弘さん……昔、大阪の安アパートでテレビ(NHK)から分かりやすい言葉で評論を語りかけてくれた姿を思いだした。ご存命であったなら、「会ってない」「言ってない」「記録ない」ばかりで、次々となかったことにしてしまう今の安倍首相や官邸、政府与党の不真面目さをどのように評論されただろうか。 朝刊に次の記事があった。 7月25日の夕方、首相秘書に案内された首相の地元・山口から訪れた県議ら30人ほどの姿を首相公邸のソファに見つけた新聞記者。その後、公務を終えた首相も公邸に入った。当然県議らは首相と面会すると考えた記者たちは面会が終わるのを待って取材を始めるが、代表して取材に応じた自民党山口県連・友田有幹事長は「首相は不在で、公邸を見学させてもらただけ。会っていない。」とくり返しての確認にも面会を認めなかったそうだ。他の県議も「私の口からは言えない」と口をつぐみ、官邸側の説明も「会っていない」だったと。 ところが、その後も粘り強く取材を続けた朝日新聞の記者に対して、首相は県議たちが座る4つのテーブルを順番にまわるなど「夕食を楽しんだ」と出席者の一部が面会を認めたという。「自民亭のことでたたかれたから、表に出したくないんでしょう」との見方もあるのだろうが、隠さなければならないことか? 事実を明かさないよう呼びかけたのは友田幹事長だったらしいが、不自然極まりない現象が続いている。 総裁選への立候補を見送った岸田文雄政調会長は、「(23日総理に)直接お会いして話をさせてもらった」と明言したのに、菅官房長官は「会ったことはない」と翌日に撤回説明。 6月には、ステーキを食べながらの安倍首相のことば「もう集中審議は勘弁してくれ」を記者に語った河村建夫予算委員長は、翌日に「間違いだった」と撤回したことも記憶に新しい。 加計学園に関して、安倍首相が2015年2月25日に加計氏と面会したかが問題視されてきた。愛媛県が提出した文書からも、この面会があった方が全て腑に落ちるのだが、加計学園職員によるウソとして処理した。国会での虚偽答弁を問われる首相は「ない」ことにしたいのだろうが、一連の「ないないづくし」連発から見えてくるのは「あった」ということだろう。 権力と言う衣を脱ぎ、正しい自分の大きさを見直してみてはいかがか… (今日の空・8時17分) ファーブルさん Ⅰ (長田弘) ファーブルさんは勲章や肩書をもらった、権威も。 ペコペコしたり無理を我慢したりは、真ツ平だった。 シルクハットは、逆さまにして、メボウキを植えた。 それから、一おもいに、足で踏みつぶした。 なくてはならないものは、自由と、静かな時間と、 清潔なリンネルのシャツと、ヒースでつくったパイプ。 毎日、青空の下で、おもいきり精神を動かすのだ。 じぶんの人生はじぶんできちんとつかわねばならない。 黒い大きなフェルトの帽子の下に、 しっかりすわった深く澄みきった目。 ファーブルさんは、怠けることを知らなかった。 黙って考え、黙って仕事をし、慎ましやかに生きた。 目を開けて、見るだけでよかった。 耳を澄ませて、聴くだけでよかった。 どこにでもない。この世の目ざましい真実は、 いつでも目のまえの、ありふれた光景のなかにある。 200名ほど在籍のようだが、内閣情報調査室職員からの報告ばかりに目を奪われず、自らの目を開け耳を澄まされることを一国の総理には望む。 またブツブツ書いてしまった~ 反省~
2018.08.02
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猫はあげして、じっと我々のことを見ちょーだろ。あれは人間が幸福かどうかを、観察しちょーとこだけん 水木 しげる 戦地で酷(ひど)い目にあったので、あとは好きな絵だけで生きると決めるが、稿料は雀の涙。やっと食えるようになれば、今度は「仕事中毒の妖怪」にとり憑(つ)かれる。幸か不幸か訳がわからなくなったと漫画家は言う。人を観察するうち、「好き」の力が強ければ何事もしのげると悟る。『水木サンの幸福論』の、娘・武良悦子による「解説」から。 (朝日新聞・折々のことば1010・2018.2.2) セクハラ福田淳一前財務次官 裏口入学の佐野太前学術政策局長 140万円の接待を受けたとされる川端和明前国際統括官 770万円横領で懲戒免職された職員 文科省にはおかしな妖怪にとり憑かれた官僚がたくさんいるようだ。財務省にも名前を挙げるのが面倒なぐらい、忖度妖怪にとり憑かれた官僚たちが居座る。 レスリングの強化本部長だった栄和人 日大アメフトの田中英寿理事長、内田正人前監督 ボクシング日本連盟の山根明会長 スポーツ界においても立て続けに不届き者たちが登場している。我慾妖怪・主我主義妖怪・身勝手妖怪なんかにとり憑かれたのだろうか。田中理事長と山根会長のツーショット写真が目についたが、お二人とも怖そうな妖怪顔をされていた。日大は山根氏に「4月1日から1年間客員教授を委嘱」しているそうだ。スポーツ科学部で特別講義をしているらしいが、いったいどんな講義なのか? 講義する側の者が抗議されているのだから、ろくな授業は成り立つまい。 (今日の空・10時20分) あどけない話 (智恵子抄・高村光太郎) 智恵子は東京に空が無いといふ、 ほんとの空が見たいといふ。 私は驚いて空を見る。 桜若葉の間に在るのは、 切つても切れない むかしなじみのきれいな空だ。 どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。 智恵子は遠くを見ながら言う。 阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとうの空だといふ。 あどけない空の話である。「空がない」と言うが、東京にもこんな空はある。 ただ、智恵子にとっての空とは両親や家族のこと。東京で暮らす智恵子には、自分を見守ってくれる見知った人がいない。大切に育んでくれた両親のいる故郷にこそ空のあった智恵子。満たされない寂しい心を高村光太郎はこう表現したのだろう。 使用人を多数抱えた酒造家に生まれ、東京の大学に進学。女性画家の道を選んで東京に住んだのだから裕福な実家だったのだろが、実家の破産を期に心の病が智恵子を襲う。光太郎とて手厚く療養に付き添うが、智恵子の病に効くのは故郷の空(両親、兄弟、ともだち)だったんだろう。 次官・局長・会長・理事長……本来アナタたちは上の方から見守り指導する立場の人でしょう。「ウミを出し切る」と総理は言うが、蔓延(はびこ)る悪い妖怪を撲滅し、国民にとっての空を取り戻されたし。
2018.08.01
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あゝ いとしくおもふものが / そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが / なんといふいゝことだらう 宮沢 賢治 人の苦界から遠く隔たった行き先だからこそ、想像は止(や)まねど理解は及ばない。そのことがむしろ救いだと詩人は思う。亡き妹を想いつつ記されたこの心象スケッチ「薤露青(かいろせい)」は、消しゴムで消された鉛筆書きの草稿を復元したもの。『春と修羅』第二集所収。ちなみに薤露はオオニラ(ラッキョウ)の葉に結ばれた露の消えやすいこと。 (朝日新聞・折々のことば1180・2018.7.27) かなしさは空明から降り 黒い鳥の鋭く過ぎるころ 秋の鮎のさびの模様が そらに白く数条わたる …と続く。 代表作にあるように、地上での生命ある人間が銀河鉄道に乗り、異次元の時空を旅して愛しい人と魂の交流をする。人はたとえ死んでも広大な宇宙の中では生き続けるという、宮沢賢治らしい崇高で美しい詩だと思う。 本作文中にある…… 南からまた電光がひらめけば さかなはアセチレンの匂をはく 水は銀河の投影のやうに地平線までながれ 灰いろはがねのそらの環 なんとも宮沢賢治らしく心地よく感じるのは私だけかしら? 薤露は生命・命のはかなさを表しているのだろうが、旅立ってもどこかで生き続けるのだという賢治の信念を感じる。生きている間は心の中に彼のいう宇宙を持っているのかもしれない、なんて考えたりもした今日でありました。 バンのモーニング……今日は、久しぶりに「メキシカン」にしてみました。 なんでメキシカンなのか分かりませんが、ミートソースのチョイ辛がはさんであります。本当はくし切りのトマトが乗っているのですが、私は食べにくいし好きでもないので抜いてもらいます。飾りのレタスも食べにくいので、指でつまんで先に食べちゃいます。 毎日 休まず通ってくる男性のお客さん……しばらく見かけなかったら入院しているようです。熱射病だったのかもしれませんが、きっと自力で救急車を呼んだのでしょう。出動回数が半端ではない救急隊員の方々もお疲れでしょう。助ける側がお倒れにならないように。そうそう、台風が接近中です。西日本の被害が拡大しないことを切に祈ります。
2018.07.27
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ムッシューイノクマ、きみの絵はうますぎる アンリ・マティス 画家の猪熊弦一郎は、パリでの修業時代、自作を携え、憧れのマティスを訪ねた。その時マティスにこう言われた。「対象を深く見つめることなく、ただテクニックだけで描いている」と。画家の修業は、恵まれた才能を押し殺し、世界にイニシアティヴを明け渡すことから始まる。画業に限らず、何ごとも小器用、小細工はいかん。『猪熊弦一郎のおもちゃ箱』(文・小宮山さくら)から。 (朝日新聞・折々のことば1176・2018.7.23)「色彩の魔術師」と謳われ彫刻や版画も手がけていたマティスだが、彼の絵は私にはよくわからない。たぶん おそらく彼のだったと思うが、昔々見た1作・田舎の風景画は好きだ。 猪熊弦一郎は全くもって知らなかった私。調べてみたら、30才代の頃に70才ほどのマティスに教えを乞うたみたいだ。「君の絵はうますぎる」と言われ、喜びとは反対に「自分の絵は画風ができていない」と受け止めたのだろう。ネットの画像には、ネコに始まり異なる画風の作品が並んでいた。憧れのマティスを目指しながらも、自らの新しい表現に挑戦し続けた証のようだ。 私の師匠も挑戦を続けておいでだ。鉛筆1本の絵から油彩etc…最近はコピックなる画材まで試されるし、切り絵もたくさん作られる。模型においても幅広い表現を追い求める姿勢にはいつも感服させられる。そう言えば、最近のコピック画は何となくマティスの匂いを感じるのは私の視覚障害かしら? さてさて、対象を深く見つめてみたいが目の前に飛行機はない。おまけにテクニックもないからどうしようもないので、いつも小細工に頼ってしまうのが私だ。まぁ、「業」暮らしの手立てではないから許されるだろう。ということで、ほんの少しだけ新しいことに挑戦です。 Fokkerにはなかったのに、Spadの機体にはこんなデコボコがあります。 スルーしようか迷った挙句、試しにエナメル黒でドライブラシをやってみました。肉眼ではもうちょっと墨がはっきりしているのですが、良さ気かも知れません。部分的に茶系を足してみるつもりです。(翼はまださわっていません。) 尾翼裏側・写真左半分だけ墨でドライブラシをしてみました。気持ちだけですが、筋がはっきりしました。触れたくないところにも筆があたってしまいますが、下手くそだからしょうがないです。 面積が広いから面倒ですが、主翼下面も同様に墨でよさそうです。主翼を含めて機体上面は墨とバフを使ってみようと考えていますが、暑いのでいつになることか。腰痛と腱鞘炎に留意しながらのんびりやりましょう。 ちなみに、こんなことに手間をかけて主翼が組めなかったらどうしよう……支柱が折れちゃったらどうしよう、なんて先のことを気にする臆病癖は抜けません。
2018.07.23
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考えることは雨乞いのようなものである。 野矢 茂樹 考えることは論理的な営みだと思われがちだが、論理は「考えるための下ごしらえ」に役立つだけ。考えるとは今の考え方ではうまく解けないもやもやを晴らすことだから、予(あらかじ)め従うべきどんなマニュアルもないと哲学研究者は言う。 問題をじっくり育て、あちこちにアンテナを張って、これまでにない発想が舞い降りてくるのを待つほかないと。エッセー集『哲学な日々』から。 (朝日新聞・折々のことば1124・2018.5.30) 毎度のことだけれど、新しい模型に着手するたびにあれこれ考えさせられる。それまで培ってきた薄っぺらな知識と経験からではなかなか晴れないもやもやが多々ある私。 車の窓周りを塗装する際のマスキングシートは、四隅を的確に合わせて貼るのはなかなか難儀だ。これでもかとばかりに粘着力の強力なアオシマのマスキングシートを、途中で剥がして貼り直すのは厳しい。タミヤは粘着力こそ適度だが、シートの厚みが薄めだからやり直すと歪む。シート自体の大きさも若干ではあるが適正ではない場合が多い。 でもってある時「なにも一度に貼る必要はないじゃん!!」という発想が舞い降りた。それ以降はシートをカットし、四分割して四隅から貼っている。シートが大きめなら中央で重なってくれるし、小さめならテープでふさいでやればことすむ。我ながらいいアイデアだと思ったが、もっと早くから気付けなかったことを情けなくも感じている。 さてさて、今回もSpadの仕上げ塗装でアドバイスを頂戴したが、考えてももやもやは晴れない。いつまで考えていても前に進まないので、暑かったけれど昨日、シゴーニュさんにお邪魔してあれこれ伺ってきた。 ラッカー系塗料での機体塗装の上から、最後に施すエナメル系塗料での仕上げは見事でした。数機、引っ張り出してくださり、汚しではなく仕上げ表現なんだと実感しました。オブラートで包んだような実機感のある機体色と細部のメリハリには只々ため息でありました。 不慣れな私にはハードルが高いですが、手を伸ばすかどうか?もうちょっとだけ考えます。さらなる発想が舞い降りてくるかもしれないし…無理だろうが。 全部1/72らしいですが、小さいにも関わらずどこまでもどこまでも丁寧に作っておられます。デジカメを忘れたので、古いスマホで撮ったためピンの甘い写真で申し訳ありません。特に近づけて撮るとブレる私です。 細部が撮れずに残念でしたが、翼の筋に入りこんだ塗料の具合も上手いものです。おそらく機体自体も加工されているのでしょうね~ 排気汚れを含めて仕上げの筆も素晴らしく、実機感たっぷりです。小さいのに風防も完璧でした。 複数の小パーツから成る脚部にも、ズレや手抜きは一切なし。 圧巻はピンと張られた線。センターの1本だけならまだ理解できますが、両サイドからの2本が1点で歪みなく止められていることには理解不能な私です。厚みのない尾翼に、先を潰して穴を開けた0.数ミリの金属棒を埋め込んであるそうですが正に職人技です。 40~50分程お話を伺い、お客さんがきたので失礼してきましたがもうちょっと聞きたかったな~ また秋風が吹き始めて涼しくなったらお邪魔しましょう。
2018.07.22
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政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。 マックス・ヴェーバー 奉仕へのひたむきな情熱と、距離を置いて状況を目測する冷徹な判断力。相反するこの二つは、起こりうるあらゆる責任を引き受ける強靭(きょうじん)な意志の中でのみ一つに結び合わされると、ドイツの社会学者は言う。逆に、外面(そとづら)ばかりを整える「空虚なジェスチュア」の背後には内的な脆(もろ)さしかないと。『職業としての政治』(脇圭平訳)から。 (朝日新聞・折々のことば1123・2018.5.29) 正しい判断ならドリルで穴を開けようがいっこうに構わないが、残念ながら現政権には起こした責任を引き受ける意志を持った政治家の姿は見当たらない。『国民投票法改正案 今国会成立見送り』の見出しが毎日新聞にあった。憲法改正の国民投票の詳細を公職選挙法に合わせる改正案だが、審議日程が窮屈になっている今国会を避け、次の臨時国会で成立を目指すことにしたようだ。こんな改正案など先送りしても構わないが動機が気に入らない。急遽出してきた参院定数を「6増」とする改正法案を大急ぎで成立させたい自民党の姿勢が透けて見える。これとてまともな審議は尽くされまい。 3年前に選挙区の「合区」を導入した際、抜本的な見直しは来年の参院選に向けて行うよう定めた。にもかかわらず3年間ほったらかしにしておいて、突如出されたものが定数6増とは開いた口が塞がらない。森友・加計・日報問題で1年以上国会を空転させた責任は誰にあるのか? 先の党首討論で「(6増は)臨時的な措置」と安倍晋三首相は答弁したが、またしても抜本改革を先送りにするのか? 1票の格差解消も課題ではあるが、定数減こそあっても増はありえない。 公明党も独自案を提出すると先日聞いた。最終的には自民党案に賛成すると推察するが、有権者に向けたポーズ、ジェスチュアでない真の政治姿勢を見せてもらいたい。 国民民主党も「2増2減」の対案を提出するようだが、時間切れで強行採決されるだろう。8本からなった働き方改革関連法案も審議不十分だった。裁量労働制こそ先送りとなったが、企業側にメリットがあるとされる高プロは、たった十数人の労働者のヒアリングのみで成立した。企業と党利党略に向けた情熱しか感じられないのは私だけだろうか? 安倍9条改憲ストップ!「戦争はイヤだ」の声を 1.憲法第9条を変えないでください。 2.憲法の平和・人権・民主主義が生かされる政治を実現してください。 を「請願事項」とした署名協力の葉書がポスティングされていた。 隠蔽、改ざん、虚偽答弁やセクハラで少しだけトーンダウンしているように思えるが、安倍首相は着々と改憲を狙っているだろう。「最後は国民が(投票で)決めること」と言うが、改憲して今以上の平和が保障されるのか? 投票にも多大な税金が使われることを再認識されたし。
2018.07.04
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あれこれ言う人が手伝ってくれるわけでなし、言う通りにしてもさらに上を求められるだけでお駄賃くれるわけでなし、きりもない 柴崎友香「自分のやり方でいいやん」と続く。乾燥きざみ揚げを買ったらこれが「めちゃめちゃ便利」、ほんと助かると作家は言う。世の中、どれだけ手をかけたかで「愛情」を測りすぎ。暮らしを上手に回すにも「完璧以外」のやり方があると。手抜きできないものは人それぞれに異なる。本紙大阪本社版6月18日夕刊の随想「季節の地図」から。 (朝日新聞・折々のことば1152・2018.6.28) 脳の劣化の自覚症状はあるものの、私にはなんとも理解し切れない、煮え切らない折々のことばだ。柴崎氏の随想全文が書かれていないのだから仕方はないが、切り取った文章とコメントからは本当に伝えたいことが見えてこない自分にガッカリした今日である。「どれだけ手をかけたかで愛情を測りすぎ」と言うが、乾燥きざみ揚げとやらを使うことを手抜きと言いたいのだろうか。たぶんおそらく「乾燥きざみ揚げ」とは、油揚げをきざんでフリーズドライにしたものなのだろうが、便利であり使い方によっては揚げたての油揚げよりも良い場合もあろうかと推察する。油揚げも熱湯で油分をカットして使う場合と、含んだ油をそのまま生かす場合もある。 海苔にしても全型をさっと炙りパリッとさせたのを好きな私だが、寿司は手巻きじゃなくてスダレで巻いて少々しっとりした方を好むへんな私。 手抜きか手抜きでないかは別として他人のコダワリに立ち入ってはいけない、余計なお世話は要らないよ、ということだろうか。 柴崎友香と言う作家は知らなかった。 どんなものを書くのかと思ったら「だんだんと強く、速くなるドラムの音が、わたしの足から頭へと突き抜けていって、その音によって前後に揺り動かされている頭を一瞬止めて目を開けると、深い青色の空が見えた。」と、短編小説・宇宙の日(文藝2008年冬号掲載)の書き出しが目に入った。なんとも一文の長いこと。より長い文もあるが、なんとなく面白そうな作家だ。読書家の連れ合いなら一冊ぐらいは持っているかもしれない……貸してちょ~ ミッキーマウス……連れ合いが教えてくれました。 楕円形の核果=実が熟して黒くなり、赤い花びらとあいまった姿からミッキーマウスと言うそうです。下の写真は身が黒くないからミッキーではないですね。 しかし、いったいいつまで続くのか? この風は……いいかげんにして頂戴!!!
2018.06.30
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拘置所で三食付、それも税金だと思うとやるせない思いで、出たら職場に戻って働きたいと強く思いました。 元厚生労働事務次官・村木厚子 厚労省局長時代に大阪地検特捜部の資料改竄(かいざん)による冤罪(えんざい)で拘留された村木氏は、釈放後得た賠償金を、知的障がいがあって犯罪をくり返す人を支援する社会福祉法人に寄付した。拘留中は娘を思って不屈を貫き、退職後も逆境にある人々の支援にあたる。母であり、公僕であること。それが彼女を支えた。「フィランソロピー」6月号から。 (朝日新聞・折々のことば1150・2018.6.26) あったな~ 郵便不正事件……偽の証明書発行に関与したとして2009年6月に逮捕、同年7月に虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴された村木厚子さん。逮捕から5か月程身柄が拘束され、保釈された後の裁判で無罪判決がだされたのが2010年9月。元検事が見立てに合わせるため、FDの記録を改ざんさせたようなことだったか? いずれにしても濡れ衣を着せられ冤罪をでっち上げたのは大阪地検特捜部だった。 森友学園問題で、財務省が大規模な決裁文書の書き替えを行ったことは明白だが、今回起訴しなかったのも大阪地検特捜部だ。 共産党が最近独自に入手した文書には、佐川前理財局長らの刑事処分について「官邸も早くということで、法務省に何度も巻をいれている」と記されていると言うが、安倍首相や政府は知らぬ存ぜぬの態度。 会期を延長してやりたいことは「働き方改革」「カジノ」と「議員定数増」など、喫緊の課題とも思えない法案を成立させること。法案に疑義があっても熟議せず、強行突破するのが現政権。素人ではあるが、私が見聞きししても充分な納得や理解のできないことばかり。森友や加計問題の根底にある疑問は解明されないまま政府の都合の良いように国は動かされていく。立ち止まり、修正を施すことが延長した政権の責任のはずなのだが。 折々のことば本文中では、障害を「障がい」と記して「害」の漢字を使っていない。「きずつける」「悪い状態にする」「わざわい」などを意味する「害」はあえて用いなかったのか。「凶害」「惨害」「災害」の単語に思い当たるからか? 試しに「障害者福祉センター」とたたいてみたら、板橋区と浦安市は「障がい」と表記されていた。数えればもっとたくさんあるのだろうが…この方が良いような気がした私だ。 今日の空・12時37分 風が強いので塗装は無理です。 明日はもっと強そうです。いやだな~
2018.06.26
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「ご飯論法」なる言葉がさかんに聞こえてくる。「朝ごはんを食べましたか」と質問されて、パンを食べていても、あたかも「ご飯(白米)」について聞かれたかのように論点をずらして「食べていない」と答える論法だという。法政大の上西充子教授のツイートから広まったそうだが、まさに安倍首相や官僚からはこのご飯論法による答弁が続く。 森友問題では「文書の破棄を確認した」と、存在を否定する答弁を繰り返した佐川元理財局長……先の証人喚問では「財務省の文書管理記録の取り扱いをもって答弁した」と答えた。文書が捨てられたことを調べたのではなく管理規則を確認したと、ご飯論法による鮮やかなすり替え。 首相と加計氏との面会が記された愛媛県の文書について、首相は「コメントする立場にない」と繰り返し、面会の有無を問われても「私から直接依頼や指示を受けた人はいないことは明らかになっている」「八田座長が、決定のプロセスには一点の曇りもないと主張している」と論点を変えて関与がないと安倍首相は強調する。 朝ごはんの話なのに、晩御飯の話をしているようなものだ。利害関係者の加計理事長が首相や秘書官と食事をしたり、食事代を支払うことは問題ではないか? と問われた安倍首相……「別に食事を私がご馳走してもらいたいから戦略特区で特別にやる、焼き肉をご馳走してもらいたいからそんなことするって考えられないですよ」と、これまたみごとなご飯論法を披露した。 ウミはどんどん出てくるが、真摯で丁寧な説明は果たされない。いつまでご飯論法を聞かされるのか? いいかげんにしてもらいたいものだが、まだまだ続きそうだ。「ご飯論法」……今年の流行語大賞になるかもね。 芦ノ牧温泉の緑と空 (2018.5.24・15:41) 宿の部屋からこんな景色を眺めて飲む日本酒は美味しかったな~ たまにだからでしょう。日常であったら飽きてしまうかもしれません。何をするにも便利な都会に住んでいる者の我がままです。
2018.05.29
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「人生なんて明日のことわかんないんだもん。先のこと知って逆算して芝居されても、いいことないのよ」 大石 静 (脚本) テレビ朝日系の帯ドラマ劇場「トットちゃん!」(昨年12月5日)から。劇中で、黒柳徹子に「そんなに書くのが遅いの?」と問われ、脚本家の向田邦子は「早く台本を渡すと役者さんが考えすぎるのよ」と答える。誰も未来を見通せないから、言葉に詰まったり、表情が曇ったり、行動に迷いが出たりする。人生のリアルはその不確定にある。 (朝日新聞・折々のことば1035・2018.2.28) 森友も加計も自衛隊日報も、1年以上に渡り議論されているが真相も原因も解明されない。共通していることは、「ない」とされていた文書や記録・記憶、新証言が小出しに公表されていることだ。そもそも、記録も記憶もなくて済まされる仕事をしてきたこと自体がおかしいのだが、一度に公になると困る方がおいでなのだろう。刑事ドラマでは、犯人と断定する要素・物証が徐々に積み上げられ、視聴者はその事実から犯人を推定したりして楽しむが、疑惑隠しと思える今の国会ドラマは「いかに国民に飽きてもらうか」の作りだ。早く証拠を渡すと野党の攻勢が強まる。だから小出しにする脚本を官邸や役人が書いているようにさえ思えてしまう。『農政局職員、入札情報漏らす』(朝日新聞1面・2018.5.16) 農林水産省東北農政局が発注した東日本大震災復興事業で、同局職員が入札前に、ゼネコンに再就職した農政局OBたちに情報を漏らしたと報じている。天下りしたOBに対し「農政局がどのような基準で業者の技術評価をするか」を教えたほか、別業者が過去に落札した際の技術評価の結果が分かる資料を渡したという。さらには、ゼネコンが提出する「技術提案書を事前に添削する」なんて便宜まで図っていたそうだ。加計学園と柳瀬氏との官邸での面会は、試験官が事前に試験問題を教えるようなものと指摘されているが、現職とOBの便宜供与は農水省に限ったことではないだろう。 (2018.5.16・13:48) 肉眼ではこれほど綺麗ではないけど、写真にすると青いですね~気持ちは良いけれど、暑い暑い…
2018.05.16
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若いウグイスは、声の良い成鳥から鳴き方を学ぶといいます。 内館 牧子 だからこそ「大人が良い声で鳴き続けないといけない」と脚本家は言う。表面を取り繕い、平然と嘘をつき、「敵」をでっち上げて罵詈雑言(ばりぞうごん)をあびせる、そんな大人の声は耳障りだ。それに自分がとうの昔に見果てた夢を子どもたちに押しつけた上で、今どきの子どもにはそれがないと嘆く。そんなお喋(しゃべ)りはもうやめたほうがいい。本紙3月27日朝刊の≪リレーおぴにおん≫から。 (朝日新聞・折々のことば1073・2018.4.7) 元首相秘書官や元理財局長を含めて、若くはない官僚たちはいったい誰から鳴き方を学んできたのだろう。「記憶の限り、官邸で面会したことはない」と昨年国会で答弁した柳瀬氏……先日の参考人招致でも県市職員との面会は記憶にないとした上で、加計学園関係者との面会を認めた。あの時言わずになぜ今になって? の質問に「愛媛県や今治市の面会と尋ねられたから」「加計学園とは聞かれていないから」だと、不誠実だが実にうまい逃げ口実を用意する。「文書は破棄した」と言い続けてきたが、森友学園の決裁文書は出てくるわ改ざんまで明らかになった佐川氏……「(当時は)文書の存在を確認したのではなく、保存期間規定を確認した」だと、柳瀬氏同様に過去の答弁との整合性を担保する論調はマニュアルでもあるかのごときだ。営々と受け継がれてきたのだろうが、美しくなく醜い鳴き方を伝授する役人や政治家が多いのだろう。 加計学園問題に関して「形式上は私が座長(議長)だが、実際は有識者が決める」「一点の曇りもないと(WG=ワーキンググループ)八田座長が答弁している」「(前川 前事務次官も含めて)私から指示あるいは依頼をされたという人は誰一人いない」と、責任逃れとも取れる発言や答弁からは、自ら潔白を証明しようとする姿勢は見受けられない。 WGのヒアリング議事録にしても、参加者として認められていない加計学園関係者の発言は記録されていない。なのにどうして一点の曇りもないと断言できるのか不思議でならない。 愛媛県が職員と柳瀬氏とが官邸で面会した記録文書を公開し、文科省にも面会予定のメールがあったとされたのは1か月程前。にもかかわらず、安倍首相は昨日「柳瀬氏が学園関係者と面会していたことを把握したのは先の大型連休中だった」と答弁した。今井尚哉秘書官からの報告だと説明したが、これまた口裏合わせでもしているように聞こえるのは私だけか? 柳瀬氏は問題発覚後の昨年7月に面会の事実を今井氏に伝えているとされる。柳瀬氏も今井氏も、問題になっていても首相に報告していないらしいが、ずいぶんと気楽な官僚たちだ。裏を返せば「安倍首相には仲良しの加計側から連絡・報告が入るはずだから不要だろう」との認識があったのかもしれない。 いずれにしても鳴き方を学んだ者たちが忖度し、教えた者はその鳴き声=忠誠心に絶大なる確信を持っているのだろう。忖度もいいが、「損託」損を託されることのない行政であってほしい。 週刊朝日(5月25日号)の新聞広告にこんなのがあった。安倍首相が逆ギレ発言!「妻を国会に呼ぶなら首相を辞める」ボロ泣きした昭恵夫人。いらだつ安倍首相が側近に発した言葉大阪府の”森友文書”に重大証言!「現首相の奥様が名誉校長。スルーすると大きな問題になる」 次から次へと新しい物証が登場するが、どんな言い訳答弁をするのか? 楽しみにしておく。 何の花か知りませんがきちんと一列に並んでいました。 (2018.4.24) 今日も天気は良いな~直射日光は辛いけれど、風があるか散歩しようか? 毎日 植木の剪定をしてくれる連れ合いに感謝しながら……
2018.05.15
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本当に叫びたいこと、一人一人の腹の底の、血の吹き出すような訴えに、社会は応えてくれない。だからひどくバラバラ。責任がない。 岡本 太郎「結局は疎外感だけが残る」と続く。一見何でもやれそうに見える社会だが、人はただ「許された範囲内でもがいている」だけ。息抜きや憂さ晴らしにかまけていないで、その孤立をもっと突きつめよと、前衛芸術家は檄を飛ばす。何ができるか、できないかではなく、何をしたいか、どうありたいかに重心を移せと。『原色の呪文』から。 (朝日新聞・折々のことば921・2017・11.2) 若い頃のフランス留学で、シュルレアリスム運動とも接触した岡本太郎氏らしい言葉だと解釈します。「自分の意識外の部分を描く表現方法」とされるのがシュルレアリスムらしいです。「芸術は爆発だ」の名言を残した岡本氏。難解ですが意識外=無意識の部分を表現することで、本当の自分はいかなる人間か? 自分が本当に思っていることは何か? を表現することのようですが、「火事場のばか力」と言うような無意識の時に発揮する力があるように、普段の意識下では隠れている潜在能力には爆発的な力があるのでしょう。「何をしたいか、どうありたいかに重心を移せ」……無意識のうちに息を吸い、食事をし眠る受動的な日常ではなく、表現方法を問わず能動的な生き方こそも芸術だと氏は言っているのでしょう。「守りたい」「変えたい」…賛否は別として、各地で憲法に関する集会が開かれ多くの人々が参加しています。「憲法改正の議論は大いに活性化し、具体化した。」と口にする安倍首相の言葉には到底及びませんが、能動的に行動する国民が増えていることは喜ばしい。誹謗中傷や暴力などがあってはなりませんが、応えてくれない政治に声を上げるのは国民の義務であり芸術でしょう。 似てはいるけれど、違う花みたいです。虫たちも出てきたし、春を通り越して初夏の蒸し暑さ。連日の強風には、人のみならず花たちにも迷惑しています。 今朝は「ここから(NHK)」を観た…というか布団の中で松本隆氏のインタビューに耳だけ傾けました。『…… 夜明けまで長電話して 受話器持つ手がしびれたね 耳もとに触れたささやきは 今も忘れない 思い出はモノクローム 色を点けてくれ もう一度 そばに来て はなやいで うるわしのColor Girl ……』 松本氏の作詞「君は天然色」……大瀧(滝)詠一のロング・バケーションでトップに収録されている名曲。レコートが擦り切れるほど回した1枚ですが、妹さんを亡くして書いたとのエピソードを初めて知りました。 現在は京都に住んでいるという東京生まれの松本氏……東京より、京都の人の方が「はっぴいえんど」を受け容れてくれたからだって。「最近、同世代で亡くなる人が多い。残りの人生が尽きるまで歌を作っていきたい」と語った松本氏ですが、大瀧さんも亡くなっていましたね。もう4年以上が経ちます。早いです。広告曲も含めて数多い楽曲を提供した大瀧氏……もし存命だったら、松本氏とそろって昨年は紫綬褒章を受賞されたかもしれません。 なんて思いを胸にモーニングに出ましたが、店に着くとシャッターは20cmしか上がっていません。7時半開店なのに……電話をしたら「8時から」ですって。仕方なく15分ほど商店街をブラブラ……開店前のオーディオ店のショーウインドウ越しにマークレビンソンの初期型プリアンプ JC-2を眺めて「中古なのに販売当時の値段と変わらないやんか~」とため息の私でありました。 さてさて、コーヒー屋は無事に開きましたが、何か事情があったみたいです。寝坊して掃除が間に合わなかったのかしらね~ 明日は定時にお願いしますよ~
2018.05.04
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「ここから先は他人には触れられたくない」というものを持っているのが、普通の人であり「生活者」です。 原 一男「ゆきゆきて、神軍」など、とんがった人ばかり撮ってきた映画監督は、アスベスト禍の裁判闘争を8年がかりで追うなか、内にしまい込まれた悲しみと、公にそれを語ることの間で揺れ動く住民のその苦渋から目を外せない。そして「感情のディテール」を描くのが映画だと改めて思う。「現代思想」3月臨時増刊号でのインタビューから。 (朝日新聞・折々のことば1084・2018.4.19) 辺野古移設をめぐり「抑止力」という言葉を前面に押し出す政府。誰のための抑止力なのか? 米軍基地が攻撃されれば、沖縄の人たちにとっては自分たちが攻撃されることとなり、海兵隊は抑止力どころかリスクになる。県内住民の賛否は二分されてきているように見受けるが、他人である政府になんぞ触れられたくないと思う生活者は少なくないだろう。 外国に居ても憲法改正のコメントを発信する安倍晋三首相。不祥事が次々と明らかになっても、憲法が定める統治の原理はないがしろにされたままなのに。 憲法9条の下では集団的自衛権の行使は認められないとの歴代政府解釈を、2014年、いとも簡単に覆した安倍政権。否定的だった内閣法制局長官を事実上更迭し、人事を入れ替えての解釈変更。 昨年の通常国会閉会後、森友学園など一連の問題に対応するため、野党が求めた臨時国会召集を開かず「疑惑隠し解散選挙」に走った安倍首相。「21世紀の日本の理想の姿を、私たち自身の手で描くという精神こそ、日本の未来を切りひらいていく」とのメッセージを出したが、「とにかく変えたい」という個人的願望としか聞こえない。精神という前に、生活者・国民の感情のディテールを推し量ることが先決ではないか。 5月1日「日本の歴史・文化・伝統の香り高い憲法をつくろう」と書かれた垂れ幕が、新憲法制定議員同盟の大会会場にかけられていたそうだ。異を唱えるつもりはまったくないが、香り高い憲法? 無知な私には想像も理解もできそうにない。改憲をしなければならない喫緊の課題はないはずだ。どうか焦らず議論を重ね、私たち生活者に分かりやすく説明されることを望む。 地植えのアジサイ……もうじき綺麗に咲きます。 しかし、昨日も今日も湿度が高い。じきに梅雨がやってくる。嫌だな~
2018.05.03
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「性格悪くていいよ」「どーしてお母さん」「だっていい子は自分のもの好きな人にみんなゆずるじゃない」 西原理恵子 そう、「幸せになるのもゆずっちゃう」。だから「人の犠牲になってまで幸せを逃さないでね」と母は子に言う。でもその母は覚えている。幼い頃、祖父母が、刺身ならトロを残し、美味しいと大喜びする孫を見て喜んでいたことを。だからこう続けた。「あなたが笑うとあなたの大切な人が笑うよ」。漫画『毎日かあさん』12から。 (朝日新聞・折々のことば1093・2018.4.28) 昨日の南北首脳会談で見せた金正恩委員長の笑顔…あの笑顔が朝鮮半島、延(ひ)いては世界中の人々の笑顔を生むことに必ずやつなげてくれるよう願っている。 お袋が好きで買ってきては植え、「腰が痛い」と言いながらも手入れをしている。2万種類以上あるというバラだが、家には何種類あるかしら? 色も花びらの具合もそれぞれ違うが、いずれも美しい。 南北会談は始まったばかり。初めの一歩。時間はかかるだろうが、可及的速やかに大輪の花を咲かせてくれるよう願っている。
2018.04.28
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決断というのには……未練がつきまとうものなんですよ。未練をもって決断するんですよ。 西田厚聰(あつとし) その名で雑誌「思想」に掲載された論文「フットサール現象学と相互主観性」はよく憶えている。私の卒論が同じテーマだったから。それが後に東芝の頂点に立つあの人だったとは。嘱望されていた学究の道を断ち、教授には「私のことはお忘れ下さい」と書き送った。理由については最後まで口を開かなかったという。児玉博の『テヘランからきた男 西田厚聰と東芝崩壊』から。 (朝日新聞・折々のことば999・2018.1.22) 女性問題で県政を混乱させた責任を取るとして、辞職願を提出した米山隆一新潟県知事……記者会見で見せた涙は、道半ばの原発施作への『未練』だったのだろか? 医師免許と弁護士資格を持つのだから頭は良いのだろうが、彼の行動には理解に苦しむ私だ。恋愛に歳の差は関係ないとは思うが、女子大学生にのめり込むのは常識ある大人、ましてや知事のやることではない。 援助交際の善悪は別として、付き合ったのは双方合意の上だろう。「私は好きでした」と米山氏が言う女子大生に週刊紙にちくられたのだから嫌な時代だ。文春も未読だしワイドショーも見ていないが、米山氏が未練を持って決断した別れ話のもつれの可能性が頭をよぎる私。どんな女性か知らないが、いずれにしても迂闊に手を出した米山氏の甘さに驚き呆れる私だが、素直に自ら辞意を示した点は評価してあげるとしよう。頭を冷やし、己に欠けるものは何かをじっくりお考えください。人生まだまだ時間はあるのだから。 『回心(えしん)というは 自力(じりき)の心(しん)を ひるがえし すつるをいうなり』 未練タラタラで辞意表明した福田淳一財務事務次官……彼は全くいただけない。「週刊紙の記事については事実と異なると考えており、裁判で争っていきたい」と……そこまで言うなら逃げずに正々堂々と訴えればいいだろう。自分の声かは分からないとしながら「書かれているような発言をしたことはない」「あんなひどい会話をした記憶はない」と明確に否定するのだから、胸を張って職務に励めばいいだろうがそうしなかった福田氏。結局は、全てが判明する前に退職金を受け取ってのサヨナラを選択した。先日もつぶやいたが、懲戒解雇にして退職金なんて払うな。平然と立場を悪用して女性記者を出張ホステスのように扱い、セクハラ言葉を連呼した大バカ者に使う税金などどこにもない。 そもそも、彼が用いた会話を『言葉遊び』とは言わない。東大じゃ教わらないのだろうが、彼の辞書には「改心」も「回心」もないだろう。 またつまらぬものを書いてしまった…… 地植えの紫陽花はまだまだですが、鉢植えはすでに満開です。
2018.04.19
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「至らない自分を消す」というところに、いわゆる渋好みの本来があるのではないかしら 岩下尚史 服選びについて作家はこう説く。渋味(しぶみ)というのは、弛(ゆる)んだまま凭(もた)れあう、そんな関係の甘さの否定である。でれでれし、ちまちました自分を消してゆく、その心の張りの中に艶がでてくる。その点でただの地味とは異なる。でもそれは大人の心得。「若いうちはどうせ何者でもない」のだから、見かけ倒しであっても「気障(きざ)なくらいがちょうどいい」とも。『大人のお作法』から。 (朝日新聞・折々のことば 1074・2018.4.8) 若いうちは気障なくらいがちょうどいい、とは云い得ている。私にとって、服、特にスーツはまさに自分を消してゆくアイテムだった。自然と一見渋めのスーツ選びだったが、Yシャツ・ネクタイなどどこかに気障心は捨てきれなかったようだ。大人になっても甘ちゃん気分が抜け切れなかったのだろう。 退職した今、スーツはほとんど着ない……洋服箪笥にぶら下がりっぱなし。 仕事には使えなかったが、派手な黄色い夏物ジャケットを作った甘ちゃんの私。ほとんど袖は通さなかったから、もう少ししたら着てみよう。アホちゃんに見られるかもね。 岩下尚史氏の著書は読んだことはないが、東京MXテレビでの彼の評論は好きだ。能、歌舞伎、浄瑠璃……私には無縁の世界に居る岩下氏からは、気障な渋味が窺える。 渋いホイール……VOSSENと言うらしいが、高そうだ。 連れ合いは郷里に出かけて行った。久しぶりだからゆっくりしてくればいいと思っているけれど、お袋の面倒をみるのが気重な私。トースターも電子レンジもよく分かっていない。鍋はしょっちゅう焦がすし、炊飯器は使えるがオカユみたいなご飯になってしまう。連れ合いが帰ってくるまで、忍忍辛抱しましょう。
2018.04.16
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どの数字にもストーリーがあります。 ある会社の営業部長 つねに数字を問われるこの部署の長は、業績が好調だったことをたたえる訓示でこう語った。大きな数字を残した社員だけでなく、付き合いのなかった企業に食い込んだり、取引先との信頼を深めるべく地道な努力を重ねたりした社員をもねぎらった。数字の大小でなくその意味を問う。こういう上司の下でなら、後ろで支える事務職も働きがいがある。知人から聞いた話。 (朝日新聞・折々のことば1042・2018.3.7) 業績が好調だったからこその言葉だろうが、数字の大小にかかわらず社員の働きは大きいもので、良き上司のような適切な評価・ねぎらいは組織運営には重要だろう。一見花形に見える営業職だが、その他セクションのバックアップがあってこそ作れる業績や信頼だ。 制作セクションには、顧客ニーズを満たし尚且つミスのない製品作りが要求される。製造・受発注部門においては、納期遅延や誤配は許されない。請求段階でも、漏れや二重請求は要注意だ。新規企業に食い込むには、自社に対する信頼をいかに与えられるか? だが、誠実な仕事をしていれば周囲から漏れ聞こえる評判が加勢をしてくれる。現役中はずっと営業を中心にやってきた私。振り返れば業績・数字を落としたことはないが、他部署のミスに関するお詫び行脚ばかりだった。新規受注を持ち込んでもどこかでミス……親会社のお粗末な失態が顧客に悪影響を及ぼしたこともあった。社員や会社を守るためのお詫びは役目と思い我慢はできたが、経営者との方針が合わずに最後は辞職した。 退職して早や3年……反旗の辞表であり上告だったが、経営者は意に介さなかったのだろう、毎年そうとう数の社員が退職していると聞く。職探しは大変だろうが、意にそぐわない指示に従って働き続けるよりよほど良いと思う。 さてさて、決裁文書を書き換えさせられた財務省職員、戦闘を衝突と言い替える答弁書を書かされた防衛省職員、あるものを無いと言わされた文科省職員、etc……上の顔色ばかりを窺っているから、国民からの信頼が地に落ちたんですよ。出世をしたい気持ちは十分理解しますが、公僕とは何かを今一度考え、正しい仕事に精進し、早期の信頼回復に注力なさいませ。 名前は知りませんが、紫の花がきれいです。今日は22℃くらいになるようです。<蛇足>『官邸に牙剥く「女特捜部長」の執念 (ぬるい野党追求よりはるかに鋭い)』と、週刊ポスト4.13の広告が朝刊にありました。特捜部長は女性のようです。野党のようにぬるくないとのことなので、バチバチやってくれることを期待します。
2018.04.02
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群れたり、慣れたり、頼ったりすると、迎合しなくてはなりません。力を抜いて心を空っぽにすることができなくなります。 掘 文子 だから、ほめられそうになれば逃げると、日本画家は言う。「誰かと一緒にいて感じるさびしさ」や「感性の違う人と過ごすつらさ」は、独りぼっちよりしんどいもの。つねにマニュアルなしの生き方を求め、70を前にイタリアにアトリエを構え、さらに中南米やヒマラヤを訪ね歩く。『99歳、ひとりを生きる。ケタ外れの好奇心で』から。 (朝日新聞・折々のことば1031・2018.2.24) 私の目にも優しく分かりやすい日本画を描かれる堀氏……今年で100歳を迎えられるようだ。 サラリーマン時代は「そうじゃないよね」と立場上、社員はおろか上司に対しても異議・異論を発してきたが、引退後の人とのかかわりでは迎合せざるえない場合が多い。他人との会話において面倒なゴタゴタを避けるために「だよね~」が増えた。元来私にとってはどうでもいい話題であったり、そもそも真剣になど聞いていないのだからかまわないのだが、自己主張ばかりする年配者や、さらには押し付ける輩には辟易(へきえき)させられる。「自分が自分であること」「独立した自分の個性」を確認することで孤独を楽しめるのだと思える孤独好きの私だが、人生100歳時代を迎えるにあたり『人間は歳を重ね「成熟」し、「孤独」だからこそ豊かに生きられる。』と五木寛之氏は著書「孤独のすすめ」で語っている。群れないこともすすめておられるが、偉人たちが相通じる生き方をされていることに改めて気付かされた。 堀氏の言葉を読んで頭に浮かんだのは、「幾山河さすらふよりもかなしきは都大路をひとり行くこと」(芥川龍之介) 自殺により35歳の短い人生であり、若い彼には孤独を楽しむことはできなかったのかもしれない。華やかにはしゃぐ周囲が疎ましくみえても不思議ではない。「将来に対するぼんやりした不安」が動機の自殺らしいが、彼が残した言葉どおりの生き方を真にできたなら、死ななくてもよかったのではないか? と、ふと思った今日でありました。「我鬼」(龍之介の俳号)の句を、もっともっと読みたかったな~ おまけ…「幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終(は)てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」(若山牧水) 同じように「幾山河」で始まるが、牧水のは「いくやまかわ」。いったい幾つの山川を越えて行ったら寂しさが尽き果てる国に着くのだろう、との思いを持って旅を続ける。 酒と旅と自然を愛した若山牧水……沼津に暮らした折、運営費捻出のために県が持ち出した松林伐採計画に、反対運動の先頭に立って中止に導いたとされている。 ペンネーム「牧水」は、母の名マキと、ふるさとの地を潤す水の二文字からつけられたそうだ。労多い人生だったが、どこに居ても母と故郷を忘れない彼の生き方を素敵に思う。43年のこれまた短い生涯は残念だ。 蛇足… リア、フロント共にアームの色はゴールドが指定されています。99%見えなくなっちゃうので無視しても良いのですが、やっぱりエアブラシしちゃいました。風も少々あったので、飛沫がかからないようマスキングの範囲も広めにしなければなりませんでした。筆塗りにすれば良いのに、テープの無駄使いでした。 下地を吹いてから嫌なラインを発見したので、仕方なくサンドペーパーで削ってやりました。気温が低いので、ボディー色塗装はまだまだ先になりそうです。 シャーシ、エンジン、室内の基本塗装は済ませたので、中側からボチボチやっつけていく予定です。
2018.02.26
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論破禁止 高橋 源一郎 明治学院大学・高橋ゼミの方針は何かと問われ、作家はこう答えた。「誰かを論破しようとしている時の人間の顔つきは、自分の正しさに酔ってるみたいで、すごく卑しい感じがするから」と。対話は、それをつうじて各人が自分を超えることを希(ねが)ってなされる。相手へのリスペクト(敬意)と自己へのサスペクト(疑念)がなければ成り立たない。1月15日のツイッターから。 (朝日新聞・折々のことば1026・2018.2.19) 論破するためには手段を選ばない政府と、時には資料を廃棄し時には不公正(インチキ)な資料を作る忖度役人達。敬意も疑念も持ち合わせていないようだ。 厚生労働省は昨朝の衆院予算委理事会で、首相の答弁の根拠となったデータが、裁量労働制で働く人より一般労働者の労働時間の方が長い集計結果がでやすい調査を元にしていたことを明らかにした。それぞれに質問そのものが異なる調査の結果を比較し、データを不適切に利用したと認めたのだが、国民をバカにしているとしか言いようのない呆れた仕事ぶりに驚かされる。 さらに、厚労省担当局長が問題を把握したのが2月2日……省内で加藤勝信厚労相に報告が上がったのが7日……そして加藤氏が首相官邸に伝えたのは14日、との答弁だが、どう考えてもおかしい。7日に不備を知りながら、重大な誤りを1週間も経って官邸に報告したなんて有り得ない。8日以降の審議でも「データを精査している」と説明はせず、時間稼ぎとしか思えない有様。隠そうとしたのか? 言い訳を考えていたのか? とにもかくにも恥を知らない輩ばかりだ。 答弁の中身は政府が責任を持つべきだが、またしても政権幹部は「あくまでも厚労省側のミス」との立場を強調する。安倍首相の擁護ばかりをし、民意を蚊帳の外に置く多くの物言わぬ自民党議員にもうんざりさせられるが、そもそも自民党に民主主義は存在するのだろうか? 2012年に作られた自民党改憲草案はそっちのけで、1項2項を維持した上で自衛隊明記を唐突にぶち上げる安倍首相。与野党で決議された消費増税の税収増の使い道を、これまたツルの一声でひっくり返す安倍首相。「憲法もそうだが、党内で積み上げたものを無視した形で、『自分はこうなんだ』とやるのが時々ある」と石破茂元幹事長は18日のラジオ番組で政治姿勢を批判したようだが、おかしいと感じない議員ばかりなのか? 裁量労働制拡大、教育無償化や改憲にしても賛否を含めて様々な考え方があるだろうから、しっかり審議すればよい。論破することに固執せず、他論に耳を傾け幅広い観点から熟考してもらいたい。「憲法9条に自衛隊を書き込んでも今までの解釈は変わらない」などとおかしなことを言う安倍首相……解釈が変わらないならなぜ国民投票までしようと言うのか? 850億円もかかると言う国民投票だが、それだけの価値がどこにあるのかは説明はなされていない。詰まる所、無理のあることだから頭のいい官僚にも作文ができないのかもしれない。指示された要件を満たせなければ外され、忖度して資料をねつ造すれば責任を被せられ、異論などけして口に出来ない官僚たちには少々同情もするが、そろそろ国民目線を大事にされることを期待する。 蛇足ながら、陸上自衛隊が今春から導入する新しい制服だが、全隊員に配布を終えるまで約10年もかかるそうだ。一括でそろえる生地の調達ができないと言うが、そもそも予算確保もできないと。29年度予算に42億円、30年度予算案には30億円の調達費を計上しているようだが、300億や400億なら国民投票にかかる費用よりずっと安い。もっと言えば、1年分の政党交付金でも賄える。国難国難と派手な高額装備品ばかり調達せず、制服を含めて隊員の処遇改善に力を入れなさい。 66星人……よしこ(左)・Pちゃん(右)と言うらしい… 村上隆氏デザインによる六本木ヒルズの公式キャラクターだそうです。たぶん、連れ合いが義母のお供をしたときに買ってきたのでしょう。ボールみたいなPちゃんを私が投げると、「苛めないで!」と連れ合いに叱られます。 66星人の仲間はもっといるようで、地球上に知の胞子を撒き、生き物たちを進化させたり、創造したりするんだって。辿り着いた星を幸せにするのが、彼ら、ロクロク星人たちの任務だそうです。頑張れ!! 66星人!!
2018.02.20
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未来があると信じているから怒るのである。 森村誠一 病気、失職、被災、事故、大切な人の死。思いもしなかった事態がそれまで描いていた可能性を突如封じる。そのときに強い憤りを感じるのは、それでも希望をつなげる「未知数」の可能性に必死で探りを入れているからだと、推理作家は言う。どうあがいても行きつく先は同じと思えば、人はきっと怒りすら表さずにどこかへ姿をくらますことだろう。随想『老いの希望論』から。 (朝日新聞・折々のことば1024・2018.2.17) 確定申告が始まった昨日、霞が関国税庁周辺には、佐川宣寿長官の罷免を求める抗議デモに1000人を超える人が集まったそうだ。その他全国各地の国税局や税務署周辺でも行われたと。 森友学園国有地格安売却問題で、「記録は破棄した」と証拠隠滅答弁を一貫して行ったが、音声データや財務省の交渉記録などが残っていたことが発覚。佐川バッシングは国民の当然の怒りだ。国税庁長官の任を適材適所だなんて、いいかげんな政府への怒りの表れでもある。あきらめずに希望をつなげる努力をさせている方々には頭がさがる。 ちなみに雲隠れ状態の佐川氏は、ホテル住まいのようだ。こそこそ、きょろきょろしながら公用車に乗り込み、遠回りまでして登下庁をしているって。指名手配の逃亡犯と書いた紙もあったが、逃げ隠れせず真実を語りなさい。それが、未知数の可能性を信じる国民への義務だ。 昨日は寒かったけれど、塗装準備をして、いざ始めたら風が吹き出しました。指定された調合色は、思った通りおかしかった。作り直しに時間もかかったし、疲れた。シャーシ関連が、メタルブラックとニュートラルグレーを1対1なんて変ですよ……ジャーマングレーならまだ分かるけど、アオシマさんの間違えじゃないのかしら? と少々怒りながらも頑張りました。 今日も風が吹き始める前にと、シルバー系とグレー系をちょこっとだけ塗装しましたが、やっつけ作業はダメですね~ やっぱり今後は落ち着いてやりましょう。
2018.02.17
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死と隣合せに生活している人には、生死の問題よりも、一輪の花の微笑みが身に染みる。 太宰治 いつすべてが止むかと心細い思いでいる人には、赤子の寝息だって、犬の遠吠えだって、蟻の行列だって、真夜中の竹林のそよぎだっていいのだ。何かいのちの弾みのようなものが伝わってくれば。いのちが明滅する気配にふれていられれば。寄せては去る、その微(かす)かな繰り返しが心を慰める。灰色の論は要らない。結核療養所を舞台にした書簡体の小説『パンドラの匣(はこ)』から。 (朝日新聞・折々のことば993・2018.1.16) 31日深夜、札幌市の自立支援施設「そしあるハイム」を襲った火災……11名の方が亡くなった。心よりお悔みを申し上げます。 高齢の生活保護受給者など心細い思いの方々を支えてきた施設……住家と暖かい食事が提供されるだけでなく、住人同士のふれあいの中で命の弾みを得ていたはずだ。自立支援施設ではお金がかけられないと聞く。新築の建物など使えないから古い建物を使用しているわけだが、部屋と食事を安く安く提供している施設にはスプリンクラーなど消火・防火設備を整える予算など出て来ない。全国他所で運営している施設も同様だろうが、国の支援は薄い。 住居を持てない人は高齢者ばかりではない。 インターネットカフェなどに泊まる「ネットカフェ難民」が都内で1日あたり4,000人に上るだろうと、都の実態調査で明かされたが、年齢別では30代の若者たちが38.6%と最も多い比率に私は愕然とした。 さらに、4,000人のうち7割超の3,000人が派遣労働者など不安定な働きをされているというが、その労働形態別でみても「派遣労働者」ではやはり30代が56.3%と半数を超えるのが実態だと示しされている。「有効求人倍率は過去最高」だと連呼し、「だから暮らしは楽になった」と豪語する現政権与党。なのになんでネットカフェ難民がこんなに多いのか? 有効求人倍率は様々な職業からなる求人倍率の平均値であることが一つの理由だ。建設関連での求人は大きく上昇したが、事務などを希望する人にとっての状況はそれほど改善されていないだろう。成立した平成29年度補正予算でも、1兆2,567億円が九州北部豪雨の災害復旧と防災・減災対策費に使われる。必要なことは十分理解する上で言うが、公共事業のための財政発動が進められ、2020オリ・パラや談合リニアを含めて建設関連職種を中心に求人が増加しただけだ。 もう一つの理由は、この求人倍率は正社員だけではなく、パートやアルバイト、契約社員や嘱託、契約期間の短い臨時・季節労働者、あるいは登録型派遣など非正規雇用も含まれるという点だ。パート、アルバイトや非正規での働きでは住家を確保して生活していくのは困難が多いと言うことだ。「最低賃金1,000円を目指し、毎年3%ずつ確実に引き上げている」と誇らしげな政権与党。確かに東京は全国トップの958円(2017年10月)となったが、全国平均は848円であり、福岡県を除く九州各県・高知県・沖縄県は737円と最低額であり、東京都と比較すると221円も違う。ちなみに、2002年に東京都が708円であったとき、沖縄県は604円で104円だった差が2倍になってしまっているのが現実だ。 働き方に裁量があることを理由として、「みなし労働時間」以上働いても残業代の支払いをしない「裁量労働制」には、制度上、どこにも年収の規定はない。東京都ハローワークに掲載されている中にもこの裁量労働の求人もあるそうだが、基本給10万円台が67%だという。全国平均の最低賃金848円を一般的な月の就業時間で計算すると約15万円となるが、これ以下の求人もある。なおかつ残業をしても支払われないときているからたちが悪い。 またブツブツ書いてしまったが、格差が拡大され弱者置き去りの施策にウンザリする。国民の生活や労働実態そのものを分かろうとせず、雇用情勢改善をうわべで語り金融政策の成果を大声で主張する安倍政権……前政権の高校無償化をバラマキと批判したはずなのに、ある日思いつきのように消費増税分を幼児教育無償化にあてると独断で決める。おまけに、さもその結果としてであるが如く「20年のPB黒字化は遅れる」と正当性をうったえる道具にまでする。「灰色の論は要りません」どうか真の国民の生活に目を向けてくださいませ。野党議員においてもより一層の努力を願います。
2018.02.02
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今日は気分がいいから、教えてあげよう。人生はな、冥土までの暇つぶしや。 だから、上等の暇つぶしをせにゃあかんのだ。 今東光「週刊プレイボーイ」の元編集長、島地勝彦は、若い頃、中尊寺貫主(かんす)でもある作家に、「大僧正。人生って、一言でいったら何なんですか?」と訊いた。戴いたこの答えに、以後すっかり「生きることが楽になった」と言う。貧しくとも凝りに凝って、納得のゆくまで?『プレイボーイの人生相談1969-2006』の島地によるまえがきから。 (朝日新聞・折々のことば936・2017.11.18) 冥土までの暇つぶしってことは、冥土では暇がないのかしら? 大僧正のお言葉だからもっと深い意味があるのだろうし、「上等な暇つぶし」を歩くことは凡人には難しいけれど、確かに生きることが楽になる気はする。「歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでいることはさみしいけれど、一人で歩き、一人で飲み、一人で作っていることはさみしくない」…種田山頭火のごとく、ひとりで暇つぶしを楽しませてもらっている私は幸せ者ですが、「上等な暇つぶし」に格上げできるよう考えてみないとダメかもしれませんね。 やべさんの焼鳥……ハイボールの日は、タレで食す私。ネギマ、皮とレバー……火がもったいないので他客のオーダーが無い時は最低2本お願いしていますが、1本でもOKなのがありがたいです。 日本酒を飲む日は塩でいただきます。ちょいとカラシをつけるのが私流。 サラリーマン時代のしびれるような緊張感とストレスもなく、裏道を散歩し、模型を作り、焼鳥で飲める日は幸せです。「一杯目は健康のため、二杯目は喜び、三杯目は心地よさ、四杯目は愚かさのため」などと言われます。痛飲も過ぎると「通院」の元凶ですね~ さてさて、今日は頑固なメッキパーツを1時間かけて剥離したし、散歩をしてから飲めるといいな~ 痛飲には留意しておきましょう。
2018.01.19
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元気出せ! ねえちゃん 道ですれ違ったおっちゃん 昔、劇団の稽古に通っていた主婦の田中昌代さん。演技にも人間関係にも行き詰まり、うつむき加減で歩いていた時、自転車に乗ったある男性からすれ違いざま声をかけられた。突然のこの声に生き返ったと懐かしむ。おっちゃんだってほんとはしょげていたのかも。見知らぬ人と人とのそんな遭遇がかつてあった。真宗大谷派東京区編『わたしの出会った大切なひと言』から。 (朝日新聞・折々のことば995・2018.1.18) 見知らぬ人に声をかけるのは勇気がいるものだが、「あっしには関わりのないことでござんす」が最近の主流なのだろう、そんな光景はまったく見かけなくなった。「知らない人に付いて行ってはダメ」と教えられているのだろうが、「おはよう」「おかえり」と声をかけても返事をしない子どもたちの多いことに将来の不安を覚えてしまう。 登下校の際、複数人で横に広がって歩く子どもたち……車が来ようが通行人がいようが一切お構いなし。「危ないよ」「ちょっと通して」と声をかけるが、無言で睨み返される有様。いったいどういう教育をしているのか、制服を着た私立の連中が特に始末が悪い。子どもは少々わんぱくであってよいと思っているが、最低限のマナーは知っておいてもらいたいし、失敗したら「ごめんなさい」と素直にあやまれる素養だけは身に付けさせてもらいたい。 先日、鷹番小学校の桜門から出てきた子どもたちの一人が後ろ向きで歩いてきて私にぶつかった。私は避けようがないので、立ったままランドセルをお腹で受け止めただけなのだが、驚いた子どもは向き直って「すみません」と元気な声をかけてくれた。まだまだ捨てたもんじゃないかもね~ そうそう、これまた先日、渋谷駅の階段でガラガラを持って階段を上るお姉さんに「持ちましょうか?」と声をかけた。出張時代からの習慣病みたいなもので見かけると声をかけてしまう私だが、「大丈夫」とのこと。彼女は明らかに私より年上だったが、声をかけた私もすっかり年寄だものね~ 今後は少し遠慮しなくちゃならないみたいです。 CAN-AM(カンナム)って言うらしいです。 エンジン大きいです……マフラーっていうのかサイレンサーっていうのかはカーボン風情であります。大型自動二輪は不要で、普通免許で乗れるんですって。私にも運転できるってわけで、三輪なので転ばないでしょうが、やっぱり怖いですね~
2018.01.18
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「謙虚」=控えめでつつましいこと。へりくだって、素直に相手の意見などを受けいるれことやその様子を言う言葉。「謙虚な態度で…」「謙虚に反省…」と流行語大賞狙いなのか? 安倍首相は連発している。『謙』=自分をひくくして人にゆずる、へりくだる語で「謙遜(けんそん)」「謙譲」「謙徳」などと使う。『虚』は大別して二つの意味を持っている。 1. 中身がない。からっぽ。「虚無」「虚空」「空虚」「虚実」… 2. 実が伴わない。「虚構」「虚言」「虚偽」「虚栄」… この「謙虚」なる熟語の『謙』のごんべんを取って、『虚』にくちへんをつけてやると「兼嘘」なる単語ができる。 ご存知『嘘』は、事実ではないこと、正しくないこと、適切でないこと、人をだますために言うことだ。『兼』には二つの意味がある。 1. 合わせもつ、かねる。 2. 前もって用意する。「兼題」なる熟語があるが「和歌や俳句の会を開く前に、あらかじめ出しておく題」のことを言う。 さてさて『兼嘘』……首相の言動からは「嘘を合わせもっている」空気が感じられ、されに言えば「ウソを前もって用意している」などと受け取ってしまうのは私の偏見だろうか? こんなつまらないことを考えてしまった今朝でありました。久々に天気がいいので、なにかしなければダメですね~
2017.10.26
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真の責任は、現実の応答のあるところにのみ存在する。 マルティン・ブーバー「責任」はしばしば、周囲から責められる咎(とが)といった意味合いで受け止められる。英語ではリスポンシビリティ。他人の訴えに「応じる」(リスポンド) ことができるという原意に照らせば、引き取る、見棄(みす) てない、手を差し伸べるといった、人の態度に重心が移る。「責任」は人と人とのいきいきとした関係の中で語られるべきだと哲学者は言う。『我と汝・対話』(植田重雄訳)から。 (朝日新聞・折々のことば873・2017.9.14) 6年半前に未曾有の原発事故を起こした東電が、「沸騰水型」という同タイプの柏崎刈羽原発2基の再稼働合格証を手にすることになる。今後30年間、福島の原発廃炉に3千億円、賠償に2千億円の合計5千億円を毎年払う必要がある東電だが、柏崎の2基を動かせれば年間2千億円の収益を改善できると試算する。「原発ゼロ」を目指したはずだが舌の根も乾かぬうちに、事故対応費を賄うことを優先し次々と再稼働を進める。 先月「福島の方々に主体的に向き合い、廃炉をやり遂げる」と国民への約束を表明した小早川社長……廃炉はおろか、避難者支援の打ち切りを含めて人に対する「責任」は果たされていない。悲しいかな「見棄てず、手を差し伸べる」姿勢はまったくうかがえない。「現実の応答」など持たないお偉い方々には不要なことなのだろう。[豪華な歩道橋]国道121号線(会津西街道) 今市にある屋根つき歩道橋です。雪よけなのでしょうか?完全屋根装備……こんなの他では見たことありません。私ら年寄りには厳しいです。横断歩道にしてよ~ (2017.9.12 湯西川温泉への途中)[道の駅湯西川 湯の郷湯西川観光センター] どこにでもあるような道の駅ですが、実はこの下に野岩(やがん)鉄道の会津鬼怒川線[湯西川温泉駅]があるんですって。山岳トンネル内にホームがある駅は、全国でも珍しいとのこと。 公共交通機関を利用して湯西川の温泉街に行くためには、ここから路線バスに30分ほど揺られます。駅前の五十里湖(いかりこ) から湯西川ダムなど山間をクネクネ……緑が楽しめる路でした。でも、昨日の写真の時刻表どおりで本数はものすごく少ないです。私は、プロドライバーの車に座りっぱなしで楽ちんでした。
2017.09.14
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誰だって人間に点数をつけようとすると、あんなつまらない顔になる。 松本 隆 あるバンドのオーディションを受ける仲間に付き添った高校生のつぶやき。元「はっぴいえんど」のドラマー、作詞家の青春小説『微熱少年』から。受験、就職と、人は人生で何度も品定めされる。一見、選ぶ側が優位にありそうだが、その彼もいつ落ちこぼれるやもしれない。人を選ぶのは、ある条件を満たさないと受け容れられない、そんな寂しい社会を肯定することだから。 (朝日新聞・折々のことば867・2017.9.7) サラリーマン時代には多くの就職希望者の面接をした。「品定め」とは思っていなかったが、そうなのだろう。受ける側も大変だが、選ぶ方も辛い。20分程度の会話では相手の技能や能力など測れない。仕事に付いていかれるか、職場環境に適応できるか、上手に人間関係を維持できるか……実際は一緒に働いてみないと分からない。数か月間の試用期間もあるが、その間教えて本採用が困難と判断された場合には、現場に無駄をさせたこととなる。合格の条件を決めるのは私自信……私の尺度で不合格としてしまった方々には、今でも申し訳ないと思っている。私よりも頭脳明晰な若者が大勢いたのに…… 大田裕美の「木綿のハンカチーフ」で作詞家の地位を確立した松本隆氏……細野晴臣氏が居た「エイプリルフール」というバンドにドラマーとして参加したのが彼の音楽活動の出発点。「はっぴいえんど」の名が一番通用しているが、エイプリルフール解散後に大瀧詠一氏と鈴木茂氏を引っ張ってきて4人で作ったバンド「バレンタイン・ブルー」……このバンドが後に「はっぴいえんど」と名を変え「日本語ロックのパイオニア」なんてレッテルを貼られちゃうことになる。 彼ら以前にもグループサウンズが日本語ロックをやってはいたが、明確な違いは歌詞だろう。「ですます調」で心象風景を表現した詞に、電気楽器とハギレのいいドラムによる彼らの音楽は私にとっても衝撃的だった。こんなオリジナリティあふれるバンドは、もう出てこないのかしらね~ 「春よ来い」作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一 お正月と云えば 炬燵(こたつ)を囲んで お雑煮を食べながら 歌留多を していたものです 今年は一人ぼっちで 年を迎えたんです 除夜の鐘が寂しすぎ 耳を押さえてました 家さえ飛び出なければ 今頃 皆 揃って お芽出度う(おめでとう)が云えたのに 何処で間違えたのか だけど全てを賭けた 今は唯やってみよう 春が訪れるまで 今は遠くないはず 春よ来い 春よ来い 春よ来い 2011年3月27日(日)のランチ……今はないお店です。この頃はピザもたまには食べたな~ 今は年に一度 1月3日に渋谷で食べるだけ……薄くて美味しいけれどワザワザ食べには行かない私です。
2017.09.08
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欠点はでしゃばらない。いつも、恥ずかしそうにしている。 奥床しく、誠実で、謙虚だ。反省もする。 努力もする。だから、可愛い。 早川義夫 長所はいいに決まっている。けれども長所は「威張っていて、偉そうで、憎らしい」と言うのは、元祖パンクバンドともいわれるジャックスの元リーダー。欠けや凹みがあると、いろんな仕方で充填できる。みごとな対称をなす顔よりも、左右の眼や眉が不揃いな顔のほうがチャーミングなのと似ているかも。『心が見えてくるまで』から。 (朝日新聞・折々のことば848・2017.8.19) 早川義夫氏……1960年後半に数年間だけあったバンド<ジャックス>のリーダー……つのだひろ、木田高介ら実力者も参加していたバンドだが、「素直に言って、解散の最大の理由は売れなかったこと」と後に早川氏が言っている通りで、<パンク・ロック>というか<サイケデリック・ロック>というか、とにかくアングラ的であり同時代の他のバンドとは明らかに一線を画していたから支持者・ファンは多くなかったのだろう。 久しぶりにiPodに入っているジャックスの1st.アルバム「ジャックスの世界」(1968年?)を聴いている。<遠い海へ旅に出た私の恋人>なんて長いタイトルの唄も懐かしい。同収録の<ラブ・ジェネレーション>や、解散後に出した早川氏のソロアルバム「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」に収録されている<無用ノ介>や<NHKに捧げる歌>などは、岡林信康が「はっぴいえんど」を率い2nd.アルバム「見るまえに跳べ」を作る大いなるきっかけとなったはずだ。 何を思ったのか? 1970年初頭に音楽界を離れ「早川書店」の主となるが、20数年を経て音楽活動を再開し、今も現役の様子で嬉しい限りだ。方やエッセーも書かれる。<ラブ・ジェネレーション>同名の単行本もある。「長所は偉そうで憎らしい」と『心が見えてくるまで』で語っているように、古い古いアルバムタイトル「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」のスタンスは変わらないのだろうと気付かされた。「たましいの場所」なる著書もあるが、一貫しているのは飾らず正直な心を綴っていること。ただの日記・エッセーであり、ものすごいとは思わないが切なく悲しい気持ちが心を揺さぶるのかもしれない……私のひいき目かしら?? ジャックスや早川義夫……なんて、知る人は多くないだろうが<サルビアの花>を記憶に留めておられる方はけっこうおいでだろう。相沢靖子氏(早川氏の同級生)の詩に彼が曲を書き「かっこいいことは……」に収録されたが、その後「もとまろ」っていう女性グループ(二人だったか三人だったか?)が歌ってヒットさせたあの歌……「岩淵リリ」や「甲斐よしひろ」なんかもカバーしていた。 しかしながら、サルビアの花は誰が何と言おうと早川義夫氏の唄が一番……40年以上経った今でも私の心の底でくすぶり続けている。
2017.08.24
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グザグザに刻まれ こぼたれた人形を もとに戻して下さい ヤスヒコさん 免疫学者の多田富雄は、病死した従兄の遺稿群が刊行されたとき、その中の詩の一節に釘づけになった。18歳で特攻隊に志願し訓練を受けるも、腸結核にかかり、痩せこけて郷里に戻ったのが敗戦の前日。翌年に短い生涯を閉じた。「独酌余滴」から。そして70年、状況は大きく違っても、ほぼ同じことばが若者の間から聞こえてくる。(朝日新聞・折々のことば・2016.7.23)「よくぞ1年も前のコラムをとっておいたものだ」と我ながら感心しているが、『独酌余滴』なる本を読んでみたかったからだ。そう思いながら未だに手にしていない為体(ていたらく)な私……そのうち連れ合いが買ってくれるでしょう。 免疫学者でありながら50を過ぎて執筆活動を始められた多田富雄氏だが、能の作者としても有名らしい。広島の原爆を主題とした『原爆忌』、朝鮮半島から強制連行された人を扱った『望恨歌』、はたまた脳死の人を主題にした『無明の井』なんていうのがあるらしいが、戦争とヤスヒコさんの死と共にずっと向き合って生きて来られたのだろうと勝手に思っている。 多田氏は、2006年から厚労省が導入した「リハビリ日数制限制度」に対して反対運動を行ったと聞く。一命は取り留めたものの2001年 自らが脳梗塞で声を失い、半身不随となっていた経験から「リハビリ患者を見捨てて寝たきりにする制度!!」と激しく批判したとされる。 そもそも小泉内閣の<骨太の方針2006>では「医療費を5年間で1.1兆円削減(年間2,200億円)」することが打ち出されたのだが、当時の国会でも今と変わらないやり取りが展開されていた。日数制限制度は中央社会保障医療協議会で承認されたのだが、承認の根拠となった資料を提出するよう求めたのが当時社会民主党 福島みずほ党首……抵抗する厚労省を追い込み「資料も議事録もない」ことを認めさせた。現在 日数制限が改善されているのか私は無知だが、戦争も医療も弱い者が犠牲になる。そんな社会にさまざまな角度から異を唱え、生きられた多田氏は立派な方だと思う。 さてさて、今日は「御国の為」「一億総動員」で突き進んだ戦争が終わって72年だが、教育勅語を素読する園児を素晴らしいと言う総理夫人、一億総活躍などと紛らわしく怪しげなスローガンを掲げる安倍首相、戦闘をあくまで衝突と言い張る稲田元防衛相……同じ悲劇だけは繰り返さないような国策を願うばかりだ。 ソビエト中戦車 T34 ・タミヤ 1/48 初めて作った戦車です。2016年7月6日完成……反戦の意を込めて…
2017.08.15
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「あなたはどこの国の総理ですか」 被爆者団体からの要望書を安倍首相に手渡した長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長 川野浩一氏は、冒頭 強い口調で言ったそうだ。「被爆者の願いがようやく実り、核兵器禁止条約ができた。私たちは心から喜んでいます。私たちをあなたは見捨てるのですか」……と核兵器禁止条約に批准しないばかりか採択の場をも放棄した日本政府への怒りの言葉だ。 長崎への原爆投下から72年を迎えた昨日(9日)行われた平和祈念式典……長崎市長 田上氏は平和宣言の半分を核兵器禁止条約批准に否定的な政府への言及に割いた。一方で、安倍晋三首相の挨拶では従来通りの政府の立場を述べただけで、核廃絶の具体策はおろか禁止条約にも触れなかった。 安倍首相殿、最近しばしば口にする「丁寧な説明」をしてくださいよ。国民はバカだから説明しても分からない、なんて思っているのかしら? 日米関係もあることから難しいと判断する姿勢も理解するが、それでも誠心誠意分かりやすく幾度も説明をくり返し、異論に対しても真摯に耳を傾ける……それがあなたの責務ではありませんか? 都合の悪いことは隠し、調査すらしない現政府ですが、国民はあなたや政府がきちんと説明するのであれば聞く耳はちゃんと持っていますよ~
2017.08.10
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ものをつくる人には、人が気づかないようなところを掘り下げる役割がある 荒井 良二 問題を前にして人はつい一つの答えを求めるが、それは「さまざまな可能性を狭める」と絵本作家は言う。だから絵本作りのワークショップでも、作品を作るより「『?』を持って帰る」ことを大切にしている。すると「この手があったか!」と唸らされるようなものが出てくると。いつもと違う「引き出し」をいくつ持てるかに幸福はかかっている?『ぼくの絵本じゃあにぃ』から。(朝日新聞・折々のことば832・2017.8.3) プラモデルを作り始めてちょうど丸5年になった私……「いろんなメーカー(模型)を作り、初めていろいろ語れると思う」と昨日 師匠がコメントをくれました。 初めの1台は模型作りの引き出しはゼロ・空っぽ……瞬間接着剤を使ってクリアーパーツを濁らせたり、残量の少ないスプレー缶でプチプチになったり、エアーブラシ時の塗料希釈具合は今でも手さぐりですが、多くの失敗と経験をしながら引き出しはずいぶん増えました。それでもなお迷うことだらけで、『?』があると何日も作業をストップして考えたりします。考えた結果を実践しても正解ばかりではないのですが、最近の作品に時間がかかり過ぎている分けはこれなのだと気付きました。さらに引き出しが増えると完成までの作業時間も確実に増えていくことになるのでしょう。 今回のAMG Mercedesもボディー色は一回剥離して塗り直しましたしたが、絵画・文章にしても皆さん幾度も幾度も修正し素晴らしい作品に仕上げておられるのでしょう。 絵本作家である荒井良二氏と糸井重里氏の対談の中で、「絵を描く場合のデッサン」と「文章(ことば)を書くときのデッサン」に触れていましたが、両者とも非凡であり引き出しをたくさん持っておられます。 <れもん?> 以前からあったレモンの実……ずいぶん大きくなりましたが、レモンは成長が遅いみたいです。 先日、別の木でも可愛いのを見つけました。よく見たら枝のあっちこっちにこんなチビッ子があるではありませんか……みんな大きくなーれー!! 前者とは葉が少々違うのですが、これもレモンでしょうかしら? 同じ鉢植えの中で、ひときわ大きかった実です……
2017.08.03
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「よし」と言うこともしなければ、ほめることもしないのです。 安田登 能の稽古では、師匠は弟子に「それでよし」とは断じて言わないのだという。教える人もつねに途上にあり、変化をしているからだ。なのに「よし」と言うのは、その進化を止めて、いま自分が立っている地点を基準に良し悪しを判定することにほかならない。学びにおいては「ただまねる」、ひたすら師の緊張感と気迫をまねるばかりだと、能楽師は言う。「あわいの力」から。(朝日新聞・折々のことば・2017.3.20) 進化には及ばないものの、進歩ぐらいはできるよう努力をしています。「失敗を恐れず、大胆に、多くの場数を…」教えられた道筋ではありますが、シルバー凡人には限界がありそうです。「ありそう」であって、決めつけてはいないところに伸び代の可能性を信じていますし、目指そうとも思っています。ボチボチですが…
2017.03.21
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覚悟ってのは、どこかでぽきりと折れちまったりする。納得ってのは、どんなに曲げられても、折れやしねえんだよ。 北方 謙三「折れたら、折れたところで納得する」と続く。腹をくくるより、肚(はら)がすわっているほうが強靭ということか。たしかに判断や決断と納得や得心とは水準が違う。だから人は「話はわかるけど納得できない」とか、逆に「わからないけど納得はできる」と言う。長編小説「楊令伝」中の、再起を謀る元梁山泊軍団の隊長たちの会話から。(朝日新聞・折々のことば・2017.1.11) 若い頃、ロバート・B・パーカーのハードボイルド小説「スペンサー」シリーズをずいぶん読んだ。 既刊本が途切れた後、1980年代から北方謙三を読み始めた。「ブラッディ・ドール」シリーズこそ文庫本だったが、その他は無理してハードカバーにした。「本は軽くちゃ読んだ気がしない…」が持論でそうしたがカサバルかさばる……歴史小説も読んだが三国志の2巻で挫折した。「誰だっけ???」と登場人物の名前と像が頭に描けなくなっていたから。記憶力低下の始まりだったようだ。 判断や決断は頭(脳)で行うが、文字通り納得や得心は心でするもの。「心を鬼にする」「仏心」強さや優しさを持つのは心だ。彼らが書いてきたのは折れない心のドラマ。難しいことだが、そうありたいと願う作者自身の心意気なのだろう。 賢い頭で考えるあげる官僚の政策ではなく、数の力に依存する心ない政策でもなく、折れない心ある政治を望む。蛇足:北方謙三氏の作品は本当に相当数所有している。「シロは死なない」なんて絵本も買った……甥にあげたんです。皆勤賞ならぬ買本賞ものです。 紅梅が一輪咲きました…早いですね~
2017.01.11
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お前は常に自分が正しいと思っているだろう。しかし正しいことを言うときは人を傷つけるということを知っておけ。 竹下 登 正しいことをあまりに真っすぐ言われると、誰も表だっては反論できない。正しいその主張の陰で立場を失う人、窮地に立つ人のことを思えば、たやすくはそれを口にできないはずだ。以後、そんな半端な自分をきつく責めさいなむことにもなろうとも。 石破茂衆議院議員はかつて元首相にこう諭されたという。石破議員の講演録から。(朝日新聞・折々のことば・2017.1.10) 「正しいことをあまりに真っすぐ言われると、誰も表だっては反論できない」…まさにそのとおり。表だって上司に指摘すると、左遷されたり窓際に追いやられたりするサラリーマン時代を思い出す。それでも自分は口にしてきたが……そうしなければ少なくとも考えられるリスク回避はできないし、良いことではないと……会社にとって社員にとって正しいであろう道を選ぶべくそう思って口にしてきた。中間管理職の立場は辛かったが、黙っていることの方がもっと辛いと思った。 はじかれないように上の顔色を窺いながらのサラリーマンなら許せるが、選挙で選ばれた方々、議員さんどうしにおいては正々堂々と正論をぶつけ合ってもらいたい。潰し合いの言動ではなく、国民にとって最良の道を開き、進めるよう心より願っている。 キャベツのようなもの…名前は知らない
2017.01.10
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汚れつちまつた悲しみに…… 汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる 汚れつちまつた悲しみは たとへば狐の皮裘(かはごろも) 汚れつちまつた悲しみは 小雪のかかつてちぢこまる 汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふなく 汚れつちまつた悲しみは 倦怠(けだい)のうちに死を夢む 汚れつちまつた悲しみに いたいたしくも怖気づき 汚れつちまつた悲しみに なすところもなく日は暮れる…… (中原中也) 初めて読んだのが何歳の時だったか、昔のこと過ぎて私は記憶していない。 たまたま、佐々木幹郎氏が中原中也の作品を編集したことを知り、一昨日購入して読んでみた。(角川文庫)「山羊の歌」「在りし日の歌」二冊の詩集を残し30歳という若さで亡くなった中原中也だが、「中也が残した二冊」と「詩集には含まれていない詩」および「未発表詩」から佐々木幹郎氏がピックアップし、彼の視点で編集した詩集だ。「悲しみ」と「生きること」を綴ってきた中原中也に対する新しい発見と、編集者佐々木幹郎氏の感性に触れるべく読み込んでみようと思ふ。 ちなみに表紙の原画は新井伸浩氏であり、私にはしっくりこないが角川さんの趣味なのだろうか?……帯には「文豪ストレイドッグス」の番宣が……
2016.12.27
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詩でも小説でもコピーでも、言葉を使っている人は、どこかのところで泥んこになれない気がします。 糸井重里「わかられちゃう」仕事をしてるからだとエッセイスト(糸井重里氏)は言う。わかるとは理に沿って切り分けること。そしてそこを渡り歩く。が、誰よりその限界を知るのが言葉の人。詩人の佐々木幹郎は「噛んでも噛んでも噛み切れないものしか俺は信じない」と私に言った。(朝日新聞・折々のことば・2016.12.20) 理に沿って切り分けられる読者、聴衆、観衆は大勢いる。が、できない、やらない政治家も大勢いる。泥まみれならぬ金まみれに思えてしまうのは私だけか? 噛んでも噛んでも噛み切れない、とことん削ぎ落とされた言葉に確信があるのだろう。延々と無関係な説明をくり返す安倍総理、般若心経でお茶を濁す谷川議員…とくとお考えください。 佐々木幹郎氏は、自らの著作以外に中原中也を多数手がけている。彼が編集し、先日発売された「汚れつちまつた悲しみに……中原中也詩集(角川文庫)」を買ってみよう。 二日の間にまたまた痩せました。毎朝小鳥がついばんでいきますから…(二日前) 2016.12.21・9:30
2016.12.21
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時間よりも、むしろ何を何回やったかという「回数」のほうが、大事なんです。 横尾忠則「恋人たちの逢瀬でも客商売でも、1回の時間より、何度会えるか、来てくれたかが大事。人生もどれだけ時間が残っているかより、回数券をどれだけもっているかが大事。くり返しの中に人は何かを見つけると美術家(横尾忠則氏)は言う。」(朝日新聞・折々のことば・2016.12.19) 横尾氏の幅広い作風や多様な技法は、言うところの「回数」から生まれ熟成されたのだろう。 そう言えば、同じザクを何体も塗ってみる私の模型師匠は、同一人物のデッサンを何回もされている。「私は、せっかちなので時間をかけるのは好まない…」と彼は仰るが、まさに美術家は相通じるものがあるようだ。(師匠のデッサン・石原さとみ) 私の連れ合いは、時々写経をしている。そうとう書いたと思うが、ぽっと寺に行って長々手を合わせるよりも、回数多く足を運んだり、こまめに経典を書き写すことの方が大事だろう。彼女は、自身の功徳を求めるのではなく先祖や家族のためにそうしているから立派だ。日々義母の世話焼きが増えているから、最近は停滞気味と察しているが、やりたいことをさせてあげたいとは思っている。写経をくり返すことで何か見つけたか、今度尋ねてみよう。 ちなみに私は、横尾氏の暗夜行路シリーズ・Y字路が好きです。原点をお描きになっているのでしょうが、各作品それぞれの表情が良いです。 鳥たちは食い荒らさず、綺麗に突いていきます……2016.12.19・8:20
2016.12.19
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「ひとしきり静かになれる ふゆぐれの 厨にのこるハムのにほいかな」 (石川啄木) 啄木の歌にはコニャックをはじめカナカナが登場する。 ビールも好きだったらしい。 ハムの匂いだけが漂う、客のいなくなった居酒屋で啄木は心の安らぎを得たのだろう。 安心できる場所 一人になれる場所 ・・・・・・ そして人にはなにより時間が必要だ。 だからと言っていつもいつもそこに引き篭っていても進歩はない。 ふざけんじゃないよと憤ることもあるが、関所に置いて行くんだよ。 何事も時間はかかるが、挫けないで頑張ろうう。
2004.12.30
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啄木の戸籍名は 「一(はじめ)」と言う 僧侶であった父 「一禎」の1字をうけた 従って啄木も我が子を 「真一」としたのだろう 啄木の晩年は 苦労だった「二月二十日(火) 日記をつけなかつた事十二日に及んだ。その間私は毎日毎日熱のために苦しめられてゐた。三十九度まで上がつた事さへあつた。さうして薬をのむと汗が出るために、からだはひどく疲れてしまつて、立つて歩くと膝がフラフラする。 さうしてゐる間にも金はドンドンなくなつた。母の薬代や私の薬代が一日約四十銭弱の割合でかゝつた。質屋から出して仕立て直さした袷と下着とは、たつた一晩家においただけでまた質屋へやられた。その金も尽きて妻の帯も同じ運命に逢つた。医者は薬価の月末払を承諾してくれなかつた。 母の容態は昨今少し可いやうに見える。然し食慾は減じた。」 (明治45年 啄木の最後の日記) 母子同時に入院を余儀なくされたが それでも最大の親孝行は 母より先には逝かなかったことだろう 明治45年3月7日 母カツ肺結核で死去 享年65歳1カ月 同年4月13日 啄木肺結核の為死去 満26歳1カ月 僅かに1ヶ月の差ではあるが 死の4日前 第2集となる啄木の筆を 又しても東雲堂書店に売る 悲しいかな 原稿料僅か20円 それでも歌集『悲しき玩具』として 彼の死後ではあれ 出版され現在も生き続けていることに 彼は満足していることと思う「神無月 岩手の山の 初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ」 (石川啄木:一握の砂)より 北国は雪の季節がそこまで来ている 啄木は天国でも自分の歌を読んでいるに違いない さてさて 私は 何を残すか残せるか 酒でも飲んで考えよう
2004.10.05
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