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核実験からミサイル発射、ある意味やけくそ気味のやりたい放題の北朝鮮のたくらみに乗るものかと、アメリカと中心にした国際社会も少々怒ったような決意をしたようだ。 核さえ持っていればなんでも思い通りになると思っている北朝鮮であるが、現実は世界不況の波を被り、食糧危機も深刻のようである。 アムネスティは、北朝鮮はここ10年で最悪の飢餓状態にあると発表したし、数百万人の国民が飢えに苦しんでいるのにと、懸念を表明した。餓えた子供たちが町に溢れる風景は、隣の国の出来事である。 日米両国は強硬姿勢である。日米両国が英仏中露韓の5か国に配布した北朝鮮の核実験に対する国連安全保障理事会の決議草案は厳しいものだと言う。 北朝鮮の船舶などの貨物検査の際、「必要なあらゆる手段の行使を許可する」という表現で、武力行使を容認する条項が検討されているというから、危ういことにもなりかねない。 核をやけくそで使われては、被害をこうむるのは日本と韓国である。韓国は同胞の国であるから、ニックキは日本で、被害は日本だけというこになる。 中国が反対することを承知の米国の意思を示す提案だと分かっていても、危い状況の朝鮮半島ということになる。北朝鮮の真意はアメリカとの直接交渉だ言うが、アメリカは突き放した感じだ。 日米の草案は、非軍事的制裁に限定する41条に触れていないと言う。軍事行動の可能性を残していると言う。何とも物騒なことである。 「北朝鮮を出入りするすべての貨物を検査するため、必要なあらゆる手段の行使を許可し、すべての国連加盟国がこれを行使することを求める」としている。 そして、 搭載貨物が疑わしい航空機の領空通過禁止を加盟国に義務づけることも検討されていると言う。素人目にも厳しい処置である。 何とも物悲しい感じがする。 餓えた国民、餓えた子供。 先に、何とかして欲しいと思う。
2009.05.29
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女流作家栗本薫さんが亡くなった。 56歳の若さで無くなった。 56歳はあまりにも若い死である。 若い死はガンに決まっているが、 それにしても若すぎる死である。 作品は読んだことないが、 名前だけは知っている。 そんな作家ではあるが、 世界最長の小説「グイン・サーガ」の作者というが、 「グイン・サーガ」さえ、知らなかった。 90年に乳ガンの手術、 07年にはすい臓ガンの手術で、 ガンと闘いながら書きつづけたという。 「グイン・サーガ」126巻が発売されたが、 まだ未完であり、未完出終わることになるようだ。 中島梓さんと同じ人だというから、 本名とペンネームを使い分けていたようだ。 凄い才能が失われることになる。 ガンの恐怖は身近にある。 がん細胞はまだ医学の進歩に屈していはいない。
2009.05.28
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死刑囚が国を訴えた裁判のニュース。 不思議な思いのする裁判があった。死刑囚が訴えた裁判だった。名古屋拘置所収容中の死刑囚が、拘置所の、収容者に対する健康管理の不手際で失明したとして、拘置所を、いわゆる国を訴え、損害賠償を求めた裁判だ。 糖尿病の合併症で失明したと死刑囚は訴えるが、その裁判の問題は別にして、死刑囚の権利が気になる裁判である。死刑囚でも死刑執行までは生きる権利があり、法の下の権利を主張する。 死刑囚の権利を承知するが、気になるのは、死刑囚と言う身分になった時点で、その命は国のものになったという錯覚があるかも知れないという事だ。どうせ死刑になる思いが、死刑囚の健康管理を疎かにすると思われかねない。 死刑囚と一般の受刑者には、管理する側にとって同じはずだが、管理する側の死刑囚に対する感情的な問題は如何ともし難いものももあるだろう。死刑囚は国のお客さんと、面白い表現をした刑務官がいたが、一般の受刑者と同じには扱い難いものがあるだろう。 国に対する1100万円の損害賠償訴訟は和解協議で、国が解決金400万円を支払うことで決着したと言う。死刑囚代理人は、「国が落ち度を認めた勝訴だ」とコメントしている。 考えるのは、解決金の意味である。死刑囚に支払われても使う機会もなく、意味もないような気もするし、死刑執行後は家族に渡されるかもしれないが、それでも、何か違和感のある損害賠償、いや和解金だ。 事件は、フィリピンで起きた、二件の殺人事件だと言う。保険金目的で男性二人が殺害された事件だと言う。そして、死刑が確定した。 その死刑囚が右目の異常を訴え、委託眼科医の診察を受け、「糖尿病網膜症」と診断されたが、拘置所は適切な治療処置をしなかった。その結果、右目は失明し、左目の視力も0・1程度となった。 収容者の健康管理は当然である。死刑囚も死刑執行までは全ての権利が認められる。死刑囚の人権である。殺された二人の人間の人権と殺した死刑囚の人権などと話は飛躍するが、死刑囚の問題では、いつでも付いて回る被害者の人権だ。 死刑囚への損害賠償の意味は、どんなものだろう。損害賠償でも和解金でも関係なく、死刑囚に支払われる国の責任に対する支払金の意味はどんなものだろう。死刑囚に賠償金を支払う意味である。
2009.05.28
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偉大な作詞家阿久悠さんの死は記憶に新しいが、また一人大作詞家が亡くなった。 作詞家石本美由紀さんが亡くなった。石本さんは85歳だった。 恥かしい事だが、石本美由紀さんを女性だと思っていた。 その作品は、日本人の誰でも知っていると思う。 「港町十三番地」「悲しい酒」、、、 多くのひばり作品を書いた。 悲しい酒ひとり酒場で 飲む酒は別れ涙の 味がする飲んで棄てたい 面影が飲めばグラスに また浮かぶ セリフああ別れたあとの心残りよ未練なのね あの人の面影淋しさを 忘れるために飲んでいるのに 酒は今夜も私を悲しくさせるの 酒よどうしてどうして あの人をあきらめたらいいのあきらめたらいいの酒よこころが あるならば胸の悩みを 消してくれ酔えば悲しく なる酒を飲んで泣くのも 恋のため一人ぽっちが 好きだよと言った心の 裏で泣く好きで添えない 人の世を泣いて怨んで 夜が更ける その作品は昭和の日本人の心を支えた。 昭和と言うよりは、 戦後日本の復興の心の支えでもあり、 精神的エネルギーであった。 ひばりファンならずとも、 「港町十番地」は知っていたし、 細川たかしファンでなくても、 「矢切の渡し」は口すさんだ。 作詞家石本美由紀さんの作品を誰もが知っているように、 誰もが口ずさんだ曲の作曲家三木たかしさんが5月11日亡くなった。 恥かしい事だが、三木たかしさんは黛じゅんさんのお兄さんと知らなかった。 三木さんは64歳であった。あまりにも早い死であった。 「津軽海峡・冬景色」も 「時の流れに身をまかせ」も、 誰でも口ずさみ、誰でも何フレーズかは歌える。 カラオケの定番曲だ。 冥福をお祈りします。
2009.05.27
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市長への不信任案が可決し、市長が議会を解散する。そんな、市議会選挙を今年は何度も聞く。ある意味市民参加の民主政治も実感するのが、市長不信任案可決である。その一つが、鹿児島県阿久根市のぶろぐ市長と呼ばれた市長への不信任決議であった。愛知県西尾市議会も市長の不信任案が可決され市長は議会を解散し、再び議会は不信任案を可決した。 現在注目されるのは、三重県尾鷲市議会の市長不信任決議に基づく市議会解散による市議会選挙である。その市議会選挙は24日に告示され、20人が立候補した。 尾鷲市は隣の町である。 地元紙には立候補者の紹介記事もあり、 身近な選挙を感じさせる。 尾鷲市長は41歳の若い市長である。 尾鷲市民の期待は大きかった。 市長は市長当選後も税理士の仕事を続けていたのだ。 市民は白けている。 「猫非常事態宣言」の出ている尾鷲市は漁業の町である。同時に、尾鷲ヒノキで有名で林業も盛んだ。熊野古道伊勢路の通る歴史の町でもある。「紀伊山地と参詣道」が世界遺産に登録され熊野古道が注目され、熊野古道の博物館的な熊野古道センターが完成した。ヒノキの香りのする熊野古道センターは何度も足を運んでいる。 市議会選挙後の臨時議会で再度の不信任可決となり、市長は失職することになり、今度は市長選挙だ。市長不信任案可決のパターンになる。定数16の市議選に立候補者は、前が14人、新が6人の計20人だ。政党を見ると公明党が1人、共産党が1人、無所属18人の地方議会選挙の典型的なパターンである。市議会選挙だけに、候補者の職業は多彩である。 地元のヨシクマ新聞は「政策面の争点なく、市民も冷ややかな目で選挙を見ているようだ」と書いている。市民は冷ややかで、白けムードだが、四人落選の市議選は白熱した選挙も予想される。 次の市長選挙まで、市民の鬱陶しい思いは続く。日本有数の多雨地帯の厳しいく重々しい梅雨の時期は目の前だ。梅雨時期のじめじめを感じさせない、すっきりとした選挙選が展開される事を市民は願っているとだろう。
2009.05.26
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何ということだという思いである。 北朝鮮で核実験があったと言う。 ミサイル発射で騒がせて、 今度は、核実験である。 アメリカオバマ米大統領がチェコ・プラハ演説で「核廃絶」へ向けての取組みを示したのは先月であった。核兵器廃絶への向けて、世界が動き始めると、核廃絶を訴える世界の世論は歓迎した。そんな矢先での北朝鮮の核実験で、面目を失った格好のオバマ大統領であり、オバマ政権であり、アメリカ合衆国だ。 先に仕掛けたのはアメリカだと、北朝鮮は主張する。それは、ミサイル発射に対する日本が求めた国連制裁だ。しかも、決議でなく、議長声明であったが、北朝鮮は反発した。それは北朝鮮の言い掛かりで、アメリカが黙っているとは思えないが、国連決議を主張した日本は核実験でも、蚊帳の外のそうな気がする。 北朝鮮の核実験についての一致した見方は、前より格段の技術的な進歩があると言うことのようだ。内外の複数の政府機関や研究機関などの観測結果を発表している。同時にミサイル発射実験も行こなわれたようで、北朝鮮の真実の狙いは、気になるところであるが、それは簡単でアメリカとの直接対話を促す事だと専門家は言う。それも核保有国として対等な立場での対話を主張するものらしい。 核保有国としての対等な立場での対話である。互角の対話であり、五分五分の対話である。核軍縮から核廃絶へ向かう世界の趨勢とは逆に核をたてにしての、脅迫外交だと、今更言っても意味ものないが、世界で唯一の核被爆国日本は、拉致問題の被害国であり、拉致誘拐した日本人を帰せと、ひたすら訴える隣国である。もしかの時には、核ミサイルの被害も最も受けるだろう国である。そして、最も北朝鮮の為になる国であり、多くの在日の同胞が暮らす国である。と、情けなくなるのが、多くの日本人である。
2009.05.25
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韓国は最も身近な外国である。韓流ブームから現在は韓国買い物旅行ブームだと言う。極端な話であるが、日帰りの焼肉ツアーもあると言う。それほど身近な外国が韓国である。その韓国からの衝撃的なニュースが前大統領自殺だった。 韓国のみならず世界に衝撃を与えた韓国の盧武鉉前大統領の葬儀を「国民葬」となった。前大統領は自らの命をかけて、国民の期待を裏切ったことへの責任を取ったかたちだ。ある意味では潔い記事めてあり、ある意味では逃げたのだとも思えるが、船大統領の自殺は韓国社会を悲しみに染めた。 自殺は最高罪である。如何なる理由があろうと、命は神の領域である。自殺は許されない罪である。自殺は神への罪である。その前提を踏まえても、通り一遍の言葉で語られるものではない。死を選んだ前大統領の心の葛藤は誰も知りえないと、毎日毎夜死ぬ事を考えていた人間は思う。 最高検の不正資金疑惑捜査が原因と現政権への批判もあると言う。現政権はその批判をかわす為にも、前大統領の葬儀を国民葬としたのだと言う。国民葬の日取りや場所は決まっていない。国民葬は、国葬に次ぐ国家的な弔いだ。 列を成す弔問客は後を絶たないという。昨日24日夕方現在で、20万人を超えたと言う。それにしても、北朝鮮の金正日総書記が哀悼の意を表したとニュースは、驚きであった。よくよく考えてみれば、当然の事である。当然と言えば当然だが、相手が金総書記だけに、驚くのも当然だ。 金総書記は「盧武鉉前大統領が不慮の事故で逝去したという報に接し、夫人と遺族に深い哀悼の意を表する」というコメントを発表した。北朝鮮への融和政策を取った盧前大統領だ。やはり当然である。政治的な狙いとして李明博現政権への間接的な批判もあるようだが、そんな事は関係なく弔意を素直に受け取っても言いような気もする。 これから暫らくは、韓国は前大統領の喪に服すことになるだろう。国民に詫びのメッセージを残して、自らの命を絶った前大統領の評価は上がる。自らの命をかけての国民への謝罪は、許されるだろう。しかし、その反動もまたあるはずだ。死者を鞭打たないのは韓国も日本も同じだが、前大統領自殺の衝撃は暫らくは荒れ続けそうだ。 韓国は悲しみの中にある。前大統領は誰も責めることなく、自らを責めて、自らの命を絶った。その死さえも政治的に利用される。清廉潔癖を旗印に、権力が集中する大統領とその周辺の汚濁まみれ構造からの脱却を期待された大統領であった。日本的な表現では、今太閤的な下から這い上がった庶民派の大統領であった。 冥福を祈るだけである。生搾 りどくだみ青汁酒・十黒梅、ドクダミ健康酒で体の中からキレイに元気!生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅、5大特典付お試し品
2009.05.25
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健康ダイエット ダイエットは健康的に 北緯 42°52’55” から北緯 43° 7’54”の南北距離27.7キロメートル、東経 142°43’55”から東経 142°16’35”の東西距離37.2キロメートルの、北海道のど真ん中の村とキャッチコピーもある人口1300人余の、静かな街で、日本太平洋諸島フォーラム首脳会議と、太平洋・島サミットが開催された。北海道のど真ん中の村に、南太平洋の島々の首脳が集まっての会議だ。北海道は一年を通じて最高の季節だと思うが、北海道の特長を生かして真冬の開催も、それはそれで趣があるだろう。占冠村が注目されのに変わりはない。 援助がっせいんとマスコミが伝える会議の事は兎も角、やはり占冠村が気になる。と言うのは、何処にあるかも知らないからである。サミットとに参加する南太平洋の島々は知っていても、北海道の死ぬカップ占冠村を知らない人が多いだろう。そんな事を考えると、太平洋島・サミットの違った意味もあり、宣伝効果もあるだろう。 さて、占冠村は総面積571.31平方キロで、538.18平方キロがが山林の、山の中の静かな村だ。叉、最高気温31.4で最低気温は-29.3で高低の気温差が50度以上の、北海道内陸部の村の気候的特性もある村である。 第5回目の「太平洋・島サミット」だ。 占冠村のリゾート施設「アルファリゾート・トマム」が会議場だ。村をあげての歓迎ムードは雨に少々水も差されたが、盛り上がりを見せて、半纏を着る首脳たちの記念撮影は、半纏と着る人がばらばらの、いわゆる着こなしの悪いものだった。 そんな事は国際会議ではユーモアだ。国際会議は、文化の違いを認める事から始まるのだから、伝統的な衣装は着こなせないのが普通だ。それでも、そんなちぐはぐな着こなしがユーモアとなり潤滑油となって、歓迎ムードは盛り上がる。 地元の児童手作りの雪だるま50体が設置されたと言う。南太平洋の国々からのお客さんは、高さ29センチの雪だるまに感激した。 国際会議は、東京や大都市ではなく、地方での開催が望ましい。治安の問題もあるが、洞爺湖サミットの成功などで、地方の国際会議の開催が問題ないと証明されたようだ。まだまだ、治安のしっかりした国が日本である。地方の宣伝の手目にも、国際会議の地方開催が望ましいと、過疎の地に住むむ者の願いである。
2009.05.23
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サンスターオンラインショップ 鳩山総務大臣が正義の使者で、灰汁は許すまじきと言った感じで吠え捲くり、多くの成果も挙げている。一方で日本郵政の西川善文社長は悪の根源であるかのようなイメージも被せられそうな鳩山総務大臣の勢いを跳ね返し改革断行、郵政完全民営化への決意を示している。鳩山大臣はトップの責任を問い、辞任を要求し、西川社長は「途中で投げ出すわけにはいかない」と続投を宣言する。 正に泥仕合である、国民は何が何だか分かりませんと言いたい。 郵政民営化を問い国中祭りとなった郵政選挙で当選した衆議院員はまだ任期を残すほど、郵政民営化はつい昨日のような気がする。現実に浮き出したのは去年だ。 総務大臣が正しいのか。郵政の社長が正しいのかの判断は誰にも出来そうにないが、政治的思惑が左右するのはま以外なく、郵政選挙の敵討ちが始まった感じだ。郵政選挙で当選したいわゆる小泉チルドレンの次の選挙は厳しいだろうと誰でも思うが、鳩山総務大臣の活躍も微妙な結果をうみそうだ。微妙な結果とは、小泉チルドレンの多くが、鳩山総務大臣の頑張りで当選の可能性が無くなり、最悪立候補さえ危ぶまれる事である。郵政選挙で大勝した自民党が、郵政問題で大敗するかもしれないということである。それは紛れもなく、鳩山内閣誕生へと繋がるから、微妙である。 確かに、かんぽの宿の売却問題は、鳩山総務大臣を正義の味方で時の人にした。 鳩山さんは、「不正はなかったが正義にもとる」と批判し、 西川社長は、「正義にもとることをやったという認識はない」と負けてはいなかった。 さて、民営化へと動いた郵政が、どんな方向に向かうのか、政治が目の前で動いている気もするし、多くの国の出来事のような気もする。郵便屋さん毎日元気な挨拶をするし、いつでも社会の潤滑油である。地方の幸せは郵便屋さんが運んできた。今は宅急便が仲間になったが、それでもまだまだ、郵便屋さんには特別の親しみがある。郵便屋さんの歌は沢山あるが、宅急便歌はないと、諧謔的な声も聞こえるが、それも当然で歴史が違う。 兎に角、国民の目線で郵政が論じられる事を願うが、郵政問題は国民からはなれた政治手か駆け引きであり権力闘争の要素となっているような気もする。郵政民営化の最初の問題は、国の財政赤字であったと専門家の一人は嘆いていた。巨額の郵貯簡保資金の運用の問題が最も基本にあったと、一人の専門家は嘆く。 郵政問題がどうなるか興味もないが、国民のと言う言葉を使うなら、国民の見える事をし、国民に分かる改革をし、国民が納得できる態勢にして欲しいものである。誰が正しく、誰が間違っているか知らないが、遠い国の禅問答のようなことはやめて欲しい。
2009.05.23
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時として思わぬ事が身近で起きる。 田舎でも大きな社会性のある事件が起きる。 そんな事件があったなど知らなかった。 そんな事件があったかと驚く事件が、 熊野市の痴漢事件である。 事件は2007年5月に熊野市の路上で起きた。女子高生の背後から抱きついて痴漢事件だ。県迷惑防止条例違反で逮捕起訴されたのは、23歳のアルバイト男性であった。簡易裁判所は罰金30万円の有罪判決だ。無罪を主張する男性は控訴した。その高裁判決が19日にあった。被告の自白調書の信用性に合理的疑いが残る」として、一審の判決を破棄し、無罪判決だ。 この事件の面白さは、痴漢事件であるにもかかわらず、逮捕され起訴された男性は「アリバイを主張」したことだ。と言うことは、現行犯逮捕ではなかった。叉、「被害女性は被告の顔を見ていない」と弁護に側が主張する。痴漢事件としては、お粗末過ぎる起訴であるし、判決であったと誰でも思いそうだ。 映画「それでも僕はやっていない」は、痴漢の濡れ衣を着せられた若者の戦いを描いて大ヒットした。叉、記憶に新しい注目の痴漢裁判は、防衛医科大学教授の最高裁での逆転無罪判決であった。映画となって大ヒットする程の社会的意義や、最高裁での痴漢裁判逆転無罪などの歴史的な意義の裁判と同じくらい、重要な意味のある裁判のような気もする。地方都市の痴漢事件は、都会の事件や裁判とは違うかもしれない。 最高裁逆転無罪の事件は、電車内で女子高生への痴漢を疑われて逮捕された大学教授の執念の戦いであった。強制わいせつ罪で起訴され、地裁、高裁で、有罪になったのだ。そして、痴漢事件が最高裁まで争われた。最高裁第3小法廷での判決は逆転無罪だった。最高裁の指摘を拾い見ると、 「満員電車内の痴漢事件においては、特に慎重な判断が求められる」 「被害者の供述は不自然で信用性に疑いがある」 「満員電車内の痴漢事件について被告人が強制わいせつ行為を行ったと断定することに合理的な疑いが残る」等など、 なるほどと思う事が色々ある。 教授の事件は、 平成18年4月18日朝起きた。小田急線成城学園前駅から下北沢駅間の電車内、女子高生の下着に手を入れたと逮捕され起訴された。 電車内での事件とは趣が違うが、地方都市の路上で起きた痴漢事件も、逆転無罪と言う意味では、大きな意味がある。 今までは、痴漢事件の犠牲者は一方的に女性であった。しかし、男性も痴漢事件の被害者になりつつある。離間事件は立証が難しく泣き寝入りが多かったが、最近は捜査技術の進歩で、立証の可能が大きくなった。それに、携帯電話の写真機能が役立っているようで、事件になる事件は多くなっていると言う。 そんな事は兎も角として、身近に起きた事件の逆転判決は、身近で親しいはずの警察への不信感も抱かせる。田舎では警察への絶対的信頼があるのだ。
2009.05.23
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殺人事件などの、重大事件の裁判に、 無作為で選ばれた市民の裁判員が参加する裁判員制度は、 市民が裁判官と共に刑の確定から量刑まで判断する制度である。 偉そうな解説など必要ないが、裁判官には納得できない制度に違いない。 一生懸命勉強し、幾多の難関を突破して、 司法試験に合格し、そして裁判官になった。 そんな専門知識の図書館のような裁判官に、 無作為で選ばれた市民がもの申す。 そんな事を専門の裁判官は歓迎しない。 極端な言い方をすると、馬鹿な素人の感情論が先走る。 逆に言うと馬鹿な素人の感情論は裁判官が導き、 数々の専門用語や証拠の意味を論じて同じ方向に導ける。 そんな、こんなの、様々な問題を抱えながら、 無作為で選ばれた一般市民が裁判に参加する、 裁判員制度がスタートする5月21日だ。 5月21日から起訴される、凶悪事件が裁判員参加の対象裁判になる。 日本では戦前から戦中の15年間陪審制があった。 ハリウッド映画では、よく登場する陪審員裁判だ。 アメリカの法廷ドラマなどでは、陪審員への訴えが最大の法廷戦術である。 裁判員制と陪審員制とは違うが、 市民が裁きに参加する制度に違いない。
2009.05.21
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インフルエンザAの感染者治療の為の、「隔離病室」があると言う。 映画で観た「隔離病棟」ほどの大規模なものではないが、特別の治療室「隔離病室」があると言う。 感染者と思われる患者は「隔離病室」に入れられ、後はスピーカーを通しての指示に従うと言う。 例えば体温測定などの指示に従って体温を測る。スピーカーからの質問に答える問診も始まる。診断の結果で別の「隔離病室」で入院治療と言うことになる。 「隔離病室」には二重の扉があり、看護師も医師も中に入ることない。インフルエンザ感染者と医師も看護師も接する事はない。 医師や看護師への感染防止ではあっても、医師や看護師もいない「隔離病室」の診断は感染者に特別の思いを抱かせそうだ。 季節性インフルエンザと変わらないというから、風邪と同じと言うわけで、さほど危険なインフルエンザではないから、対策の見直しをすると言う。風邪と変わらない程度のマスクやうがいで予防可能なら、安心と言うわけにはいかないのが、新型インフルエンザで、国も地方行政もてんてこ舞いで、兵庫県と北九州市のような、言葉の行き違いでの非難合戦も現れている。それにしても、東京圏の大地震は近畿圏兵庫のチャンスと言って顰蹙をかった兵庫県知事が、北九州市長の言葉に素早く反応しての批判は面白いが、そんな事を言っている場合でもない。 新型インフルエンザが弱毒といわれるインフルエンザでも、世界では、多数の死者も出ている。日本の厳重な対応策も見直されるようだが、韓国などは日本からの客への厳重な処置を行なっているしという。観光客は勿論、日本帰りの人は追跡調査までして感染を確かめている。それぐらいの対応がなければ完全なインフルエンザ消滅にはならないのかも知れない。日本の対策は強い毒性を持つインフルエンザを想定しての対策で、もっと緩やかでも充分対応可能な弱毒性インフルエンザ対策に変わるようだ。
2009.05.19
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5月17日曜日、日曜礼拝は荻窪北教会小野寺ほさな牧師による「わたし達を友と呼んでくださるキリスト」と言う特別礼拝だった。 紀南地方の過疎の街の小さな教会は、礼拝維持さえ危ぶまれるのが現状だ。そんな状況打破への試金石の一つが、特別伝道礼拝だ。一応はクリスチャン、せめて日曜ぐらいは、せめて日曜だけは、そんな思いで礼拝に出席してきた。それでも、特別礼拝は、特別の感慨があり、招待牧師への期待と、信仰者としての身構えがある。身構えは誰もが持つ屁理屈が優先する評論家的なものである。 聖書が絶対的な価値を持つキリスト教では、時に聖書が武器になり時に聖書が隠れ蓑になる。聖書を自己流に解釈し、神の言葉を楯にしての厄介な抵抗だ。 話は変わるが、満更飛躍しすぎでもない。 映画、ダビンチ・コードが話題となったのは3年前だった。イエス・キリストに子供がいたと言う仮説から始まる物語だ。最初に映画の内容を知った時は、遂に、そんな仮説の映画が誕生したかと思った。驚き無ければ感動など当然無く、感嘆符のつくような感慨もなかった。遂にきたかと思っただけである。これまでも、幾度となく、挑戦されたと思われる小説や戯曲の課題だと思った。歴史ロマンでありラブストーリであり、物語の最大の材料だと思っていた。教会の力が強く、イエス・キリストを人間に近づけ、物語のテーマとすることは許されなかったと思っていた。 イエス・キリストを取り巻く女は多いから、色々な物語の展開は可能であった。それでも、キリスト教社会、特にカトリック社会では許されざる仮説であった。それでも映画「ダビンチ・コード」では、最後にトム・ハンクスが、あらゆる可能性を受け入れる信仰の寛容さと絶対性を語っていた。科学万能を信じ、月に降り立った人類初の宇宙飛行士ガガーリンは、初めて神の存在を感じたと言う。同じようにば「ダビンチ・コード」の博士も、キリストの子孫を認めながらも、神であるキリストを信じた。 そして、第2弾が「天使と悪魔」である。「天使と悪魔」は観てもないから、何ともいえないが、「ダビンチ・コード」と同じように、信じる、ただ信じる、信仰の基本に立ち帰る事によって、科学と宗教の、自然と神の問題も片付くと言っているような気がする。それによって、信仰者の多くの疑問は消える。地動説などで迫害を受けた科学者の、カトリックへの復讐は面白い課題だ。そんな壮大な紙を挟んでの歴史的な争いでも、結局「ダビンチ・コード」の最後の博士の言葉、「信じる事以外にない」に集約される信仰の表現になる。 など、など、と、「天使と悪魔」の、 宣伝キャンペーンを観て、 紛らわしい事を考えた後での、 「わたしたちを友と呼んでくださるキリスト」の特別礼拝であった。 神はあなたの事を、何時でも、私の友達だと言ってくれる。現実社会での疎外感、虐めを受け差別されていると思う疎外感を克服する力が、わたし達を友と呼んでくださる、イエス・キリストの言葉である。社会的差別は少なくなっても、精神的差別が多くなると思われる社会、11年連続の自殺者3万人以上の記録から考えても、精神的疎外感の克服は簡単ではないが、イエス・キリストが友達だと言ってくださる事が、その克服の最大の力になる。何時でも、友としてのイエス・キリストを感じる事が出来るなら、どんな問題にも立ち向かえる、勇気が生まれる。そして、イエスは側にいてくださると実感する。 不謹慎のそしりを免れないが、牧師の話を聞きながら、「ダビンチ・コード」が頭に浮んだ。マグダラのマリアがイエス・キリストの恋人で、二人の間に子供が生まれ、その子孫が現在もどこかで暮らしているなら、その子孫の一人が自分だと思ってもよさそうだ。そう信じて生きても、イエス・キリストは許すだろう。と、馬鹿な事を考えながら、何時でも、友として、イエス・キリストが待っていると信じるかと、心の中で問いかける。 全ての友が離れ、親兄弟や家族からも見放されても、イエスが友なら、挫ける事は無い。どんな力も、どんな愛も、イエスとの友情を超えるものは無い。イエスがいることを信じて、イエス・キリストが友だと信じることによって、あらゆる苦難は乗越えていけると、牧師は教えてくれる。 キリストが友であると。 時には、キリスト教礼拝もいいものだと、 声高に叫びたいと思った5月17日は、雨のぱらつく、 どんよりとした日であった。
2009.05.18
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兄が民主党代表になり、 意気揚々と吠える鳩山総務大臣は、 かんぽの宿の売却問題で、 「日本郵政の経営責任追求し、 郵政民営化の見直しに賛成する」と、 更に、 「郵政文化の邪魔をする者とは、 正義感を持ってあくまで戦い抜く」と、 決意を述べたと言う。 郵政民営化はどんな問題化を、国民は知りたくなった。郵政選挙は何だったか、国民は首も傾げる。それにしても、どっちがどうなっているのか、半端では、赤い郵便者も、赤いバイクも、何となくよれて走っているような気がする。民営化が間違いなのか、民営化したものに口出しするのが間違いか、国民は判断に苦しむことばかりだ。 確かにかんぽの宿の売却問題では国民は、鳩山総務大臣に拍手した。しかし、郵政民営化見直しは、拍手すべきかどうか迷っている国民である。誰か教えて欲しいと、多くの国民は思っている。 郵政民営化は何だったのかと、多くの国民は思っている。
2009.05.17
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道路交通法に大きな影響を与え、飲酒運転の罰則強化につながった事故の裁判は、一審と二審で天地の差が出る判決となった。専門的なことは兎も角、一般人にも納得いく判決のような気もする。凄惨な事故であった。事故後の犯人の自己防衛的な行動は、凄惨な事故への怒りを更に増幅させ、許しがたいものだった。 もし、犯人が、事故現場で犠牲者の救出に当っていれば、助ける事が出来たかも知れない幼い命があったと、三人の幼子を奪われた母親は言っていた。事故の凄惨さはさることながら、犯人の事故後の行動が問われている裁判でもある。一審での母親の怒りの声が、今でも蘇るが、高裁判決後の母親のコメントは、ある程度納得しているようだった。 事件は、2006年福岡市で起きた。幼い兄妹3人が死亡した飲酒ひき逃げ事故だ。犯人は地方公務員であった。事故後犯人は、卑劣な飲酒隠しを画策していた。その場で救出に当れば、あるいは、幼い子供が助かった可能性もあった。そんな事故だった。控訴審裁判の福岡高裁は一審を破棄して、危険運転致死傷罪を適用し、懲役20年の判決だと言う。複数の幼い命を奪った罪は、どんな判決でも償えないが、両親の心の傷を癒す小さな材料にはなるかもしれない。 一審では懲役7年6カ月だった。二審の懲役20年の判決は、単純計算で3倍の刑となったが、まだまだ、上の刑があるなら、両親は納得しないと思われるが、新しい出発をした家族は、幼い命の代償を求めるのではなく、幼い命を奪った犯人の、命への敬虔さを求めているようだ。運転していた父親に非があったなどの発言もあった、犯人を許すなど出来なくても、せめて犯人の心に、命への敬虔さが芽生えて欲しいと願っているかも知れない。 「私が行って殺してやる」と言った母親の怒りが消えることはないが、加害者の視点でしか行われなかった裁判が、被害者の視点になったような気がする。その事故後、何度も道交法は改正され、年々飲酒運転の罰則は強化されている。しかし、飲酒運転はなくならない。下戸の人間には、飲酒運転の罰則強化も関係ないし、罰則強化は当然と思うが、飲食店経営の知人の嘆きは深刻だ。
2009.05.16
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民主党の代表選挙は代表経験者、岡田対鳩山の一騎打ちとなった。反小沢岡田と親小沢鳩山の争いとなったが、昨夜テレビ出演のあった岡田さんは、反小沢とか親小沢とかの、幼稚な論理で代表選を見ないで欲しいと言っていた。 幼稚な対立軸で次期政権を担うかもしれない民主党の代表を決めて欲しくないと、岡田さんは言っているが歯切れは悪い。岡田さんも小沢一郎の影を踏まないようにしているようだ。小沢色の払拭なくして民主党の魅力がないというのが民主党サポーターの多くの声であり、世論の声でもあるが、国会議員だけの選挙になった今回の代表選挙にはサポーターの声も反映されない。 朝のワイドショーには岡田支持と鳩山支持の有力議員が出演していた。「挙党一致」が声高に唱えられ、「政権交代」がお題目的標語となり、小沢辞任の真実から目を背けているような感じである。 毎日新聞は早速、小沢代表辞任表明後の全国世論調査を実施し、後任代表に相応しいのは誰かを聞いた。 岡田克也副代表が25%で、 鳩山由紀夫幹事長の13%で、 菅直人代表代行12%、 前原誠司副代表8%、 長妻昭政調会長代理5%であった。 有力5人からの選択であった。 現実には岡田さんと鳩山さんの一騎打ちである。 世論調査では岡田さんが圧倒的な支持だが、一般の人には選挙資格は無い。国会議員の票読みでは、圧倒的に鳩山さんが優位だと言う。国会議員だけの選挙で、真実の代表選挙とはいえないが、任期途中での代表辞任で総選挙前の非常時では仕方ないと、民主党サポーターも認めているようだ。 国会議員だけでの代表選挙は、小沢親派の強さだと皮肉る評論家は、小沢院政の始まり以外のなにものでもないと言う。そんな事は考え過ぎだと思うが、しかし、否定も出来ないのが現在の民主党だ。有力な女性候補も立候補して欲しかったと、知人の民主党サポーターは言うが、非常時緊急時では仕方がないとも言う。 しかし、小沢辞任は秘書逮捕と同時に当然だと思われていただけに、緊急時でも非常時でもないような気もする。待望論もあり、代表復帰への意欲があったのは岡田さん一人だった。鳩山さんは、小沢後継者として、当然、次の代表だと思っていたかもしれない。 これまでの代表と違うのは、次期総理大臣の可能性が大きいことである。そして、現在与野党を挙げて問題にしている世襲政治家からはずれる岡田さんと、世襲政治家の代表的な位置にいる鳩山さんと言うことも出来る。 鳩山さんの、「選挙には勝つという小沢イズムは、継承していかなければならない。ただ、小沢代表には、若干オープン性が欠けている。党の開放性を高めることも必要だ」と記者団に語った言葉が気になった。「選挙に勝つという小沢イズムの継承、、、」が気になった。「選挙に勝つ」のは、当然である。落選するれば、ただの人の国会議員であるから、選挙に勝つのは当然であり、選挙に勝たなければ始まらないのだが、その選挙のための資金集めも形振り構わずが小沢イズムにはある。田中角栄の秘蔵っ子と云われた小沢一郎の政治手法が小沢イズムだと思うから気になった。 民主党代表選挙が終わるまでは、マスコミは民主党に釘付けである。鴻池官房副長官の女性スキャンダルへのマスコミの目は少なくなり、麻生政権にとっては、盛り上がれ民主党代表選挙と言うことにもなりそうだ。
2009.05.14
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小沢元民主党代表が辞任会見冒頭で、唇と噛締め噛締め語った言葉である。 「挙党一致をより強固にするため、きたる衆議院総選挙での必勝と政権交代の実現に向け、挙党一致の態勢をより強固にするためにあえてこの身をなげうち、民主党代表の職を辞することを決意しました。国民の皆様、支持者のみなさまにご心配をおかけしたことをおわび申し上げますとともに、特にこの3年間、至らぬ私を支えてくださいました同僚議員の方々、党員、サポーターの皆様に心よりお礼を申し上げます」 「挙党一致」と「政権交代」の為の辞任だと強調している。 「挙党一致」へ向けての最大の関門が代表選出だ。 その代表選をめぐっては、民主党は揺れ動いている。それは当然で、全員一致の幻想は民主政治にはあってはならない。全員一致は独裁政治であり、民主政治には全員一致などありえない。少数政党ならいざ知らず、様々な政治理念がぶつかり合うだろう大政党である。しかし、今のところは、泥仕合を演じている。 何かあったら岡田、それが民主党の常識だった。小沢辞任が取り沙汰され、小沢辞任が現実的なるになると、当然のように岡田待望論が噴出した。しかし、全員一致で岡田代表を望んではいない。大政党は多くの違う政治理念の集合体でもある。叉、敗北色の無い小沢辞任の記者会見模様からも想像できた。 岡田さんと、鳩山さんの対決になりそうだが、問題は、小沢色だ。小沢色の払拭が岡田さんの最大の課題で、小沢色の継承者が鳩山さんの課題である。それだけの対決は寂しい気もするが、代表選出馬の異端児河村さんは名古屋市長選挙当選で活き上がり、加速しつつあった民主党の支持率下降を食い止めた格好にもなったが、現在の民主党は異端児の出現を許す時間的余裕がない。 小沢色に塗り込められ、小沢さんの継承者で、独自の政治理念の見えない鳩山さんは、辛いところである。多くの国民は小沢的なものに、否を突きつけたのに、その、小沢に塗り込められた鳩山さんでは、民主党サポーターも、一般国民も納得しないだろう。 「挙党一致」は必要だが、政党の目的ではないと、幼稚な事をあえて言いたい。代表選挙葉大いに論戦を展開し、代用が決まったら「政権交代」をめざす政党として、「小異を捨てて大同につく」である。 政権交代を望む国民の願いは、民主党内の自民党的対立の消滅である。自民党の中核にいた人々が民主党の中核にもいるし、大政党の宿命的な対決構図かもしれないが、小沢色の継承とか、小沢一郎の影響力などは払拭せよが国民の声だ。 髪をそり落とし、政権交代のために、全国行脚を続ける小沢一郎を見て見たい。自らの影響力をなくし、坊主頭で全国行脚を続ける小沢一郎を見て見たいと、過ぎ去ったはずの小沢時代の終焉を願うのも民主党のサポーターだ。 誰も小沢一郎の功績を疑いも否定もしない。誰も小沢代表の民主党が政権交代可能な政党へ成長した事を否定はしない。そして、潔く身を引く小沢一郎を賞賛もするが、影響力は求めはしない。小沢一郎の影響力が大きければ、自民党は喜ぶと、民主党のサポーターでもない野次馬の心配である。 国会議員だけの投票で決まる代表選挙でも、明確な論戦の後の選挙を望みたい。それにしても困ったものだと、嘆きの声を上げるのは、ある衆議院候補者だ。ポスターの張替えに頭を悩ませると言う。自民党候補者に同情していたが、自分も同じ苦労をする羽目になったと嘆く。早く決まってくれなければ、ポスターも間に合わなくなると、嘆くのである。 様々な思惑が絡み合うのは当然でも、国民の目を、サポーターの目を遮断しての、話し合いで、挙党体制のためとかで、決めて欲しくない。最も総理大臣に近い人を選ぶのだと、民主党に期待する国民は、代表戦を見守っている。その結果が、総選挙に直接影響する。
2009.05.13
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辞任記者会見は晴れやかな門出の如く爽やかさを感じるものだった。一言、一言、噛締める語りは、口下手な東北人と自ら言う小沢一郎ではなかった。何時でも言葉足らずで、時には高慢でさえあリ、記者を睨み付けるような、小沢記者会見からは考えられないものだった。断腸の思いとか、痛恨の極みとか、無念やるかたないとか、悲痛な叫び的な言葉はなく、批判を浴び、追い詰められ退く者の記者会見ではなかった。極端な表現が許されるなら、小沢一郎の政治家としての長い歴史の中で最高の記者会見だった。 民主党の有力者は、政権交代の為に、最も理想的な時期に辞任すると思うと、遠まわしな辞任要求を繰り返していた。そんな言葉に屈したわけではなく、自らの判断で腹を切ったと、主張したい小沢会見である。辞任しか道は残っていない。だから、それを、正面から受け止め、総選挙を有利に運ぶための、最良の時期を模索した。 そのままの状態で、13日の党首会談に臨んだら、引くに引けなくなり、民主党は分裂し、自らの政治信念である政権交代への道を自ら壊すことになる。そんな事は出来ないから、辞任発表となった。小沢流最良の判断の最良の辞任時である。記者会見は無念の表明や謝罪的な言葉の連なる敗者のものではかった。和やかな表情で勝つ為の策だと主張していた。 終始爽やかであった口下手な東北人小沢一郎がむきになった質問は、政治資金の問題と議員辞職の意思を問われた時だった。「何故、私が辞める必要があるのか、政治資金の問題は一点のくもりもない」と語気を荒げ、何時もの小沢会見のようになりかけたが、その時以外は小沢一郎らしからぬ会見で、最後は、丁寧に「どうも」と締めくくった。 自民党の幹事長を経験し、総理総裁何時でもなれると言い、神輿に乗るのは誰でも良いとか、神輿は軽い方が担ぎやすいとか、総理総裁候補を面接したといわれる伝説の政治家は、昭和の政治手法を平成に持ち込んで、未だにその深謀遠慮のうちに政治を動かしているような思いさえ抱かせる。 秘書の逮捕から辞任発表の昨日まで、小沢一郎の頭の中の政治的煩悶の流れを見てみたものだ。記者会見では、政治的判断での辞任ではなく、政権交代へ向けての民主党の結束の為の辞任を強調していた。検察に屈したわけでも、世論に屈したわけでもなく、政権交代の為のマイナス材料を取り除いただけと言っていた。はっきりと、小沢辞任を評価したのは、平成の黄門様渡部恒三民主党最高顧問であった。小沢さんと特別の関係がある人だから当然だが、老兵いまだ死なずと思わせる発言である。 初当選は1969年と言うから、政治家の歴史は長い。27歳での初当選だった。そして田中角栄の秘蔵っ子といわれ、自民党最大派閥の中枢を歩いた。竹下派の七奉行と呼ばれた。7奉行の1人が黄門様であった。ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦の構図が壊れ、世界が揺れ動き始めた1989年に自民党史上最年少の47歳の幹事長となった。1993年、「私はやるんです」と政治改革を掲げた宮沢内閣総理大臣への社会党を中心にした野党の不信任案に賛成して自民党を飛び出した。 政権交代は実現した。しかし、長くは続かなかった。下野した自民党の形振り構わずの政権奪取攻勢で、宿敵社会党委員長を担いだ。寺社政権誕生である。その後は、新党をつくり、解散合併を繰り返し、「壊し屋」と呼ばれたが、同時に剛腕の称号もついた。2003年に官直人と手を組んで民主党入りし3年後に代表になった。 と、小沢一郎の経歴を思い浮かべていると、失礼な言い方だが、小沢さんが政界から去ってしまったような、更に怒られるのを承知で言う、死後の回想のような錯覚にもなる。しかし、小沢一郎は健在で政権交代のために身を引くと強調している。 西松スキャンダルで公設秘書が逮捕起訴されても、小沢一郎は強気一辺倒だった。検察への対決姿勢は兎も角、国民には小沢説明は納得できなかった。世論は小沢辞任へと向かい、鬼の目にも涙と揶揄された、涙の代表続投を宣言は記憶に新しい。「自分自身の身の朽ちるまで、その使命を達成することをお約束を申し上げる」はゴールデン・ウィーク中の演説だ。 大方の見方は公設秘書の起訴の後は、辞任であった。そのまま、代表で総選挙を戦い仮に勝利しても、代表の座を降りるだろうといわれ、また、選挙に最も有利な条件となりえる時に代表辞任となるだろうと予想する人が多かった。さて、その時期は、間違いなかったのか、これからが楽しみである。
2009.05.12
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懲役3年に執行猶予が5年が小室哲哉裁判の判決である。懲役3年が執行猶予付きも異例とか、また、執行猶予が5年も異例とかは、専門家の説明だ。 比べるわけではないが、ホリエモンこと堀江貴文の裁判は懲役2年6月であった。執行猶予なしの実刑判決である。その判決の妥当性などどうでもいいが、証券取引法違反と詐欺事件の違いもどうでもいいが、執行猶予5年は長すぎると感じる。しかし、真っ当な人にとっては執行猶予は事実上のお構いなしと言う野次馬的な声もある。 比べるわけではないが、ホリエモンは判決が不服で、小室哲也さんは不服などないようだ。ホリエモンは判決を認めれば刑務所行きで厳しく、小室哲也判決の執行猶予5年は有るが無しの如くの声に従えば、恵まれているのだろう。 ホリエモンはテレビ出演で、「徹底抗戦」を主張していた。テレビの司会者の「刑務所にいっても二年半だ」の言葉に笑いながらも、抵抗していた。ホリエモン事件は死者だ出ている。結局、注目の裁判以外に共通性などなく、比べるわけにはいかないが、居直りのホリエモンに、素直な小室哲也のイメージだ。 ホリエモンの実刑判決も異例だった。小室哲哉の懲役3年に執行猶予5年も異例で、裁判所は注目の裁判への判決に気を使っている。テレビコメンターの元検事の説明では、執行猶予なしだと、2年~2年6月の判決が妥当だと言う。もし執行猶予がついても、せいぜい3年だと言う。判決が厳しいだけ、猶予期間も長いと言う。 さて、異次元の世界の出来事に感じる一般人は、刑が厳しかろうと、猶予期間が長かろうと、どっちでも、気にしない。ホリエモンも元気で小室も元気で、それぞれの場所で頑張れば、誰も文句も言わない。未だにヒルズ族で、悠々自適のホリエモンは兎も角として、小室の才能を惜しむ声は多い。
2009.05.11
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麻生内閣支持率が上昇気流に乗った感じだ。上昇気流はおまけ的な表現だが、一桁までいきかけた限界近い低支持率であったから、急上昇には違いない。上昇気流だと更なる上昇が連想されるが、果たしてまだ上昇する要素があるかどうかは、何とも言えないのが現実だ。過去最大級の補正予算の成立が内閣支持率の上昇に関係すると自民党は踏んでいる。民主党は徹底審議を主張して、両方とも補正予算を人質に総選挙へ向かっている。 麻生内閣の支持率は殆んどのマスコミの調査で30%を超えている。10%近くまで落ちていたから急上昇だ。しかし、支持できないが60%後半である。70%近い人が不支持には違いない。一度落ちた支持率を上げるのは至難のわざといえるだろう。定額給付金支給に、高速道路1000円乗り放題と、麻生内閣の直截的な経済政策に一定の評価があったと思われる支持率上昇だ。百年に一度の未曾有の経済危機も底をつき、経済復活の兆しが見え始めた。過去最大級の大型補正で、中止や見直しになっている高速道路やダムの建設にさえ予算がつく。 小沢代表の進退問題で助けられた麻生首相だ。13日には党首討論が予定されているが、今や自身満々の麻生首相と、満身創痍で絶壁の上に立つ小沢代表の党首討論である。結果は見えている。小沢代表の進退問題が鍵を握る国会は情けない。更に言うと、過去最大級の補正予算が景気浮揚につながるのは当然だ。日本経済の牽引車自動車産業はステップを踏んで階段を登り始めた。ホンダもトヨタもアメリカビックスリーを尻目に新しい次元での販売競争に入ったと、経済評論家的に言ってみたい。 解散総選挙を人質の政権運営の麻生内閣の支持率上昇で、総選挙が早くなる可能性も出てきたと言う。しかし、国民はもう総選挙の話などうんざりだ。風景さえ変える衆議院選挙用ポスターは何度も立候補者と並ぶ党の顔が変わった。そんなポスターを冷ややかに見る国民は、すっかり興ざめしている。 世界的経済危機と世界的流行の豚インフルエンザで救われた麻生内閣は兎にも角にも短命記録を塗り替えることもなく、1年は持ちそうだと、胸を撫で下ろす自民党関係者もいると言うから、支持率上昇は、それほど問題ではないと思う。しかし、一度下がった支持率を上げるのは難しいと、麻生内閣を賞賛したい気持ちもある。支持ではなく、支持率を上げたことへの賞賛である。明日はどうなるかわからない、内閣支持率である。それでも、支持率アップで自民党は選挙条件が整ったと聞くと、情けなくなる国民である。 過去最大の補正予算の評価が低いのは、冷静な国民の目ということになるのだろうか。「評価できる」より「評価できない」が圧倒的に多いというのは、凄いという表現が当て嵌まりそうだ。国民が望むのは、一時凌ぎの予算ではなく、国の哲学だと、あるテレビコメンターが言っていた。国の方向を示し、国の国際社会での役目を考え、国の向かうべき方向を示す哲学だと言う。理屈では解るようで、具体的に何も見えないのが哲学である。確かに、チェコでのオバマ大統領の核廃絶の演説で世界が揺れ、その方向への動き出した。それが国の哲学を示したことになるなら、それはそれで理解できるが、その後の、日本での核軍縮会議開催提案の麻生発言はどうだろうかと考える。 「企業団体献金の廃止」と「国会議員の世襲制限」が世論の感心だ。選挙に勝つ為なら、何でもありで、その代表的な選挙が、千葉県知事選挙があった。当選すれば後はどうにでもなる。そんな感じの千葉県知事選挙、千葉県民はこれから新知事の任期中いやな思いをすることになる。千葉県知事選挙を考えると、選挙は風であり、政策でも理念でも哲学でもない。しかし、その前に立候補者への信頼はあるはずだ。経歴さえ信じられない候補者を選んだ有権者は、もう政治への参加自体がいやになってくる。政治不信どころか、政治家を真っ当な人間と思わなくなると、厳しい指摘が多いが、景気回復を願う国民は、それでも、政治に期待するのである。 麻生内閣の支持率が更なる上昇をするかどうかは誰も分からない。閣僚の一言で内閣支持率を左右されるくらいだから、それほど意味もなさそうだが、しかし、政治に対する国民の意思が支持率でもある。支持率がもっとも早い評価だ。さて、その次の世論調査が楽しみである。
2009.05.11
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世の中面白い事が起きる。 いや、世の中何が起きるかわからない。 そんなもったいをつけて言うほどの事ではないが、 拘りのナンバーが命取りになったニュースだった。 泥棒の命は警察に捕まった時終わるというわけでの命取りだ。 事件は福岡県警東署管内で起きた。 明け方の住宅に忍び込み現金を盗む泥棒の拘りナンバーは、 自分の名前の語呂合わせで「136」であった。 自称派遣社員の39歳の泥棒が福岡県警東署に逮捕された。 自分の名前と関係する「136」ナンバーの乗用車が、 複数の場所で複数の目撃者がいたから言い逃れは出来ない。 つまり、複数の人が「136」のナンバーの車を見て覚えていたのだ。 「136」は名前「勇」に因んだナンバーだと言う。 しかし、目撃者がそんな事わかるわけもなく、 単に、「136」ナンバーの複数目撃者がいただけのような気がする。 ようするに複数の人に見られていただけである。 2年前に買った車は、特別にこだわったわけでもないが8888である。乗っている本人はさほど気にもならないが、よく、「覚えやすくて悪い事は出来ないね」といわれる。悪い事をする気は今のところないが、なるほど、車を乗りつけての悪いことは出来ない。拘りのナンバー色々あって、1番のナンバーなどは最も覚えやすいだろう。周辺にはナンバーなど、気にしない人が、意外なナンバーと言うこと結構ある。並びの数字とか、逆並びの数字とか、ゴロ合わせで、それぞれの思惑で覚えやすい数字もあり色々だ。最近隣に引っ越してきた人のキャンピングカーは富士山ナンバーだ。富士山であるから、覚えやすい。いやおぼえる必要が無い。富士山の絵を見たら、覚える必要も無く、忘れないだろう。 泥棒が自分の名前に因んだナンバーに拘るとは、少々迂闊でもあるが、しかし、見た人は特に、その数字で名前を連想することもない。136の数字で、勇の車など誰も思いはしない。泥棒は捕まる時期だった。 となると、世の中面白い事が起こるの、書き出しの意味が消える。しかし、面白いことには違いない。覚えやすいナンバーがいいには決まっているが、自分の車のナンバーを、次の車検の時にも覚えてなかった事があった。 覚えやすいナンバーでは悪い事も出来ないと、言われるような8888でも、警察で聞かれた時は、思い出さなかった経験もある、数字に弱い人間は、やはり覚えやすいナンバーがいいだろう。ゴロ合わせなど関係なく、単純なナンバーである。
2009.05.08
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すっかり影の薄くなった民主党といった感じである。その原因は勿論、小沢代表の公設秘書の逮捕起訴であるが、責任を取っての辞任必至と思った予想に反して、小沢さんは、あくまで検察の横暴を主張する。検察との対決姿勢を崩さない。しかし、小沢代表は辞任の意思は、とっくに固めて、最も効果的な時期に、黄門さんの印籠のように辞任カードを切ると、国民的な人気で、後期高齢者アイドルとなった三宅さんの意見だ。 「たけしのTVタックル」での発言であるが、現在、最も影響力のある三宅さんの発言だけに信憑性がある。その辞任カードは衆議院選挙ギリギリの時期で効果を増すと三宅さんは言う。つまり、選挙が切羽詰って、代表選挙をしている時間の無い時期である。 代表選挙などやっている場合じゃないという時期だと、民主党の国会議員は、印籠に従うしかない。麻生総理の解散はないにしても、衆議院の任期は9月だ。小沢辞任は9月の衆議院の任期切れ間近がXデーと言うことになる。その時は、後継者を指名しての辞任だと三宅さんは予想する。そして、後継者は鳩山幹事長だと言う。妥当な意見と言うところだが、さてどうなるか。 後継者指名といっても、鳩山幹事長では返り咲きで新鮮味がない。その鳩山幹事長は、「一人一人の議員に色々な気持ちがあることはわかるが、政権交代を果たすため、結束を乱さないことが大事だ」と、政権交代の踏み絵を示す。 麻生首相は脅威の無くなった民主党を牽制し、補正予算案の審議引き延ばしの場合は、解散の可能性もあると言う。鳩山幹事長は、「解散は大いに結構だ。いたずらな審議引き延ばしはしないが、徹底した審議で白黒をつけ、総選挙に挑みたい」と、解散歓迎と強気の発言である。 解散になって、鳩山代表が誕生し、総選挙で民主党がギリギリの政権獲得のチャンス到来なら、もしかしたら、弟の鳩山邦夫総務大臣と、その仲間が自民党を割って、兄の総理大臣誕生に協力する可能性もある。そんな事を考えると、三宅さんの言ったことは真実味を増す。 さて、影を潜めた民主党の反小沢勢力も情けないが、兎にも角にも、今年は総選挙の年である。今年政権交代が無ければ、自民党は安定政権になるだろうと、野次馬評論にも熱が帯びる。これからの国会風景も、選挙に直結するだけに個々の議員の発言も慎重にもなると思うが、そんな時失言は飛び出すと野次馬は変な期待もする。 いよいよ政治の季節がやってくる。このところは、衆議院議員も目の色が変わり、選挙戦も始まった感じだ。自民党も民主党も立候補者と並ぶ党の顔が変わった。共にトップではない。これからも変わる可能性がありそうで、ポスターにも興味がわく。町の風景さえ変える可能性があるポスターである。
2009.05.06
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民主党の強い土地柄で、逆風でも民主党の力だったのか、それとも本人の人気か、河村たかしさんが名古屋市長選挙に当選した。 異端とも言える政治家河村さんは、中央政界でも知名度が高かった。テレビ出演も多く独特の型破りなキャラクターとして人気もあった。民主党代表選手出馬の意思は何度も示したが20人の推薦人が集まらなかった。総理大臣になりたいと公言していた。 地方に名物首長が誕生しても、ほとんどはタレント出身である。テレビで活躍して知名度のあった、いわゆるタレント政治家である。河村さんは政治家がテレビ出演で有名なった逆のケースで、謙遜が美徳と思われる日本では珍しく、自ら野望をむき出しにして、総理を目指すと言って憚らない政治家であった。 新種の名物政治家河村市長の活躍が始まった。パフォーマンスとマスコミは言い、一般人もそう思うが、それだけではない様だ。前任者の心血注いだ事業を見直すための現場視察は、それなりに意味もあるだろう。 ゴールデン・ウィークの型破りな行動は、市職員にとっては迷惑な話であるが、名古屋市民にとっては、案外やるのではと、思うことかも知れない。明確な言葉が発せられたわけではなさそうだが、報道陣を引き連れての現場歩きは、タレント並であり、宣伝効果は計り知れず、叉、多くを語らなくても、多くのメッセージが発せられたことにもなりそうだ。 そんな事は充分計算した上での行動で見事だ。タレント上がりの首長だけが評価され注目される中で、政治家への失望感を払拭する力にもなりそうだ。名古屋市民でもない多くの国民が注目するのは、生粋の政治家の働きだと思う。ある意味で、ニュースが楽しみである。
2009.05.06
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チェコ訪問中の麻生総理大臣 日本での核軍縮議開催の考えを世界に示した。 オバマ大統領はプラハで核軍縮をこえ核廃絶へも言及した。 麻生総理大臣も核廃絶まで踏み込んで欲しかった。 核持たぬ国は核使わぬ国で、 核廃絶を訴える権利のある国だ。 麻生総理大臣の「日本は被爆国であり、核の惨劇の客観的事実を伝る役割を果たせる唯一の国」の説明は、強力な日本のメッセージには違いないが、核廃絶の言葉は無い。 今年の憲法記念日は、何時もの年ほど憲法論議も無かったような気がする。 不況の影響とは思いたくないが、叉、あくまで個人的な思いだ。 安倍元総理大臣が珍しくテレビ番組で憲法改正論議に答えていたが、安倍元総理は代表的なタカ派改正論者である。 もし、まだ安倍総理大臣だったら、あるいは憲法改正への道筋が完成していたかもしれないと思う。 日本人による憲法が安倍さんの訴えるところだが、最大の狙いは九条で、兎に角九条を改正したら、他のことは後から付いて来る式の改正だ。 憲法記念場が過ぎてからの憲法問題など関心は無いが、憲法改正反対の護憲主義の九条信者の友人が「漫画でも 君に薦める 九条を」等と、メールと送ってきた。 憲法九条に関する漫画は、これまでも何度も観たような気もするが、地方発の啓発漫画は見たことはない。 それは三重県伊勢市の「いせ九条の会」が憲法記念日に発売した漫画「この夏を越えて」だと言う。九条XXとかXX九条とかの題名ではなく、「この夏を越えて」である。 麻生総理大臣はチェコで核軍縮のためのメッセージで、安倍元総理は名物番組「たかじんのそこまで言って委員会」に出演して憲法改正を訴える。 伊勢の市民団体は地方で九十を守る為の啓発漫画を発売する。友は、「漫画で学べ九条を」と、生意気なメールだ。 繋がりがあるような無いような、平和を願うそれぞれの考えがあるようで、無いようでもあるが、兎にも角にも日本は憲法に守られて62年となった。 憲法金日が過ぎてから記念日が過ぎてから考える。憲法は出来る事を唱えるのではなく、出来ない事を規制するものだと誰かが言ったが、戦争が出来ない憲法が平和を守ってきたとも言えそうだ。
2009.05.05
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天気に恵まれたゴールデンウイーク、終盤に入った今日は朝から雨が降っている。 高速道路が1000円乗り放題となり、高速道路の渋滞がニュースの中心になった今年のゴールデンウィークは、昨日から逆渋滞が始まった。逆は上りの渋滞である。しかし、高速道の話題は渋滞の模様だけではない。 本四橋の話題は幾つもあったが、面白いのは神戸淡路鳴門自動車道下り線の淡路サービスエリアでのトンビの悪さのニュースだ。トンビが観光客の手に持つ食べ物を奪い、子供は悲鳴を上げ、親はびっくりすると、そんな面白いニュースだ。 ニュースが読売新聞だ。 背後から襲われるため用心のしようがない。サービスエリアでは注意を呼びかける看板を立てたが効果はないと言う。看板を見ても都会からの客は信じないだろう。信じたとしても、自分が奪われるとは思わない。空を見上げてもトンビは見えない。見えたとしても遥か上空だ。警戒などしない。餌が欲しくて飛んできたら餌をあげようと考える。トンビも小鳥やハトと同じだと考える。 十年以上前になるが、初めてトンビに食べ物を奪われる経験をした。海岸線の国道の駐車帯車を停め、車の中でフランクフルトを食べていた。海風に触れたくてウインドーを下げフランクフルトを持つ手を出した。その時は何も起きなかった。一口食べて、叉、フランクルトを持つ手を車の外に出した瞬間、手からフランクフルトが消えた。何が起こったが分からなかった。何かが飛んで言ったような感覚だけは残っていた。バサバサの音の余韻だけは残っていた。無意識に、隣の席の連れに手を見せた。怪訝な表情の連れはトンビが飛んでいくのを見たと言う。 もう一度同じ行動をとることにした。手が食いちぎられるのではと、恐々フランクルトとを一口食べ、外に出した。身体は強張り神経は上に集中していた。微かな羽音と同時にフランクフルトは消えた。手にはなんの感覚も残っていなかった。自分がフランクフルトを持っていた感覚さえ残っていなかった。トンビが取りに来のを承知で待っていても同じことだった。 「トンビに油揚げさらわれた!」が新聞の見出しだが、そんな経験は都会では出来ないし、都会でなくても、田舎でも、出来ないかも知れない。しかし、トンビに食べ物を奪われる事を獣害の一つとして考えると、他の問題となる。 獣害は年々ひどくなっている。猿やイノシシ、そしてカラスである。叉、鳥のふん害等と、あげたら限がない。田舎では極普通の事であり、トンビも腹を減らしているのだからと、楽しく捉えて欲しいものだと、野次馬は好きな事が言える。トンビと遊んだゴールデンウィークとして思い出にして欲しいものであるとも言える。 トンビは昨秋から急増したと言う。現在約40羽前後集まることもあると言う。駅や公園のハトでさえ、餌欲しさに時には凶暴な一面も見せる。トンビの習性や攻撃性は知らないが、餌をとるだけなら、仲良くやっていく方法を考えて欲しいと、野次馬は好き勝手な事が言えるが、さて、いい方法はないかと、トンビにも聞きたいものだ。
2009.05.05
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夢を見た。闘牛の夢だ。闘牛場で牛の手綱を持って牛に話かけている。振り返る牛の目は誰かに似ているが、その誰かも思い出せない。今まで闘牛は直接見た事がないが、夢は闘牛場の中で、今まさに戦いが始まる寸前に目が覚めた。振り返った牛の目のせいで目が覚めた。 角叩き合う破壊音も聴こえ、荒い息も舞い散る涎も湯気立つ体温も感じる、日本の闘牛場での観戦経験がない。映画やドラマで見る闘牛はスペインの闘牛だ。スペインの闘牛は闘牛士が主役である。しかし、日本の闘牛は牛が主役であり、人間は脇役である。戦い方の基本が違う。 夢が抱かせた疑問の闘牛の北限は、直ぐに浮んだのが新潟県山古志村であり小千谷市であった。北限は新潟県と自分で納得しかけた時、岩手県でも闘牛大会があると聞いた記憶が蘇ってきたがあやふやだ。水沢競馬と共にあるようだったが、明確には思い出さない。長岡市や小千谷の闘牛は新潟地震で知ったから、岩手県の闘牛大会はもっと前の記憶と言うことになる。 調べてみると、岩手県久慈市平庭だった。東北唯一の闘牛いわて平庭高原闘牛会 「岩手県久慈市の平庭高原で毎年開催されている闘牛大会は、東北地方で唯一開催されており、その歴史は塩の道の時代まで遡り、山形町の観光行事の一つとして定着しています。また、本市は全国でも有数の日本短角牛の産地であり、その短角牛が闘牛の素牛として全国へ供給されており、闘牛の本場新潟県や沖縄県、鹿児島県の徳之島等で「南部牛」として名牛となって活躍しています。 久慈市山形町の闘牛の起源は、文献では明らかにされていないため不明ですが、本市は古くから日本短角種の産地であり、昔は主に農耕用や荷物を運ぶ役牛として飼養されていました。江戸時代に近隣の海岸で焚かれた塩を、牛の背に乗せ北上山地を超えて盛岡方面まで運んでいました。(この道を塩の道と呼んでいます。)その際、先頭に立つ牛を決めるため牛の突きあわせをしたのが闘牛のはじまりとされています。こんなぶろぐもあります。山古志・牛の角突きブログ美ら海物語宇和島闘牛闘牛 in Okinawaようこそ闘牛の世界へ 競馬は北海道は盛んで、競走馬は北海道が主な生産地で、馬は寒さに強い。牛はと言うと、東南アジアなどの水牛やアフリカのムーまで暑さに強いと単純に定義すると、闘牛が南の地方で盛んだとも言える。南の沖縄では闘牛は盛んで、隣の鹿児島県徳之島とはライバルだ。徳之島出身の詩人は、闘牛が始まると島全体が熱気を孕むと表現した。そして、四国宇和島も盛んである。 繰り返すが、日本の闘牛は、簡単な表現で角突き競走だ。 角を付き合わせての力勝負は、形式が大相撲的でもある。 貴族の猟が根底にあるスペイン闘牛とは違う。 サッカーと相撲や柔道の違いなどと、 文化の違い的発想もするが、夢の不思議は分からない。 18世紀の初め、スペインの地方都市で行なわれた騎馬闘牛大会で、馬から落ちた貴族が牛に狙われた。その牛の気を引き、貴族を助ける為に大工の青年が飛び出した。手には緑色の広いコルドバ帽を持ち、牛をけん制して自分の方に向かわせ貴族を助けた。その青年が闘牛士の元祖になった。青年は帽子が赤い布に変わり、ムレータと呼ばれるようになった。赤い布と剣で猛牛と戦うようになったと言う。
2009.05.04
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今年は蜜蜂が少なく、イチゴなどの受粉が人工授粉になり、人件費がかさみ品質も悪くなり、関連業者は苦労している。そんなニュースがあった。蜂蜜不足は幾つかの要因が明確になっているが、簡単に解決する問題ではない。田舎の住人としては、野山を歩いていると蜜蜂不足を実感する。日当たりのいい斜面に置かれた巣箱の近くに行っても、蜂の気配を感じない。巣箱に耳を当てても女王蜂のいる気配も感じない。巣箱は空ではと思われるほど静かだ。そんな蜜蜂不足を実感した後だけに目に付くニュースは、無届蜜蜂飼育で書類送検されたというものだ。 面白い、はてなマーク付きで見るニュースの一つが、東大阪市で69歳の男が、「大阪府みつばち飼育規制条例違反容疑で書類送検」のニュースだ。「大阪府みつばち飼育規制条例」なる法律があることが面白く不思議である。橋下知事も知らないと思うが、それも当然だろう。専門家や行政の一部の専門部署の人しか知り得ない法律、いや府条例だと思う。 「洗濯物などにたかられて自分も困っていた」と条例違反の男は容疑を認めたというから、面白いニュースを更に面白くする。蜜蜂不足のニュースの後だけに、はてなマーク付きで目に付くニュースだ。 少し詳しく見ると、男は2008年5月から今年4月まで、無届で蜜蜂を飼育していた。その数は7000匹で、熊狩りのための蜜蜂の飼育だったと言うから、話は飛躍的に面白くなる。趣味の熊狩りのための、熊狩りが趣味でのいい訳は、一般人には実感できないが面白い。熊をおびき寄せるための蜜蜂の飼育が都会の住宅地である。住宅地での蜜蜂の飼育では、ぶんぶんとうるさいに決まっているから、苦情が出る。その結果の書類送検だ。 それにしても、「大阪府みつばち飼育規制条例違反容疑」は、やはり、面白い。
2009.05.02
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芸術作品の鑑賞のように、ウインド・ショッピングのように、夢を見るように、想像力をめぐらせて、 息抜きの一時を過ごす。そんなときもあってもいいだろう。
2009.05.01
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水難事故だが、 普通の水難事故ではない。 水難訓練中の、溺れ役が溺れた事故だ。 訓練中の溺れ役が溺れた水難事故は、 大分県内のダムで起きた。 2009年5月1日午前10時頃、 豊後大野市の石場ダムで、 水難救助訓練で溺れて、 ヘリコプターに助けられる役の、 県防災航空隊の隊員が死亡した。 防災航空隊の溺れ役の隊員の水難救助訓練の事故である。男性隊員がダムに入り、ヘリコプターでつり上げる訓練が始まるはずだったが、隊員が行方不明になった。緊急出動の消防隊員が潜って捜索し、約1時間後にダムの底に沈んでいた26歳の航空隊隊員を発見した。訓練待機のヘリコプターで病院へ搬送され死亡が確認された。救命胴衣なしの訓練は物議を醸しそうだ。 それにしても皮肉な結果である。 訓練中の溺れ役が真実の溺れでは、 何をかいわんやである。 遺族の心中は察するに余りある、 初歩的なミスだ。 何度も云うが、皮肉過ぎる。 溺れ役が溺れる皮肉よりも、 溺れる可能性のある隊員を、 溺れ役に選んだ理由が知りたいものだ。 泳ぎが達者でもダムとプールも、ダムと海水も違う。 まして、日々その水温が変わるダムでの溺れ役は、 単に泳ぎが達者だけでは決められないような気もする。 事故だから、どんな要因が加わったかわからない。 詳細な調査でも判別不能な原因があるかも知れない。 それが事故であるが、それでも、何とも皮肉な事故である。 亡くなった隊員の冥福をお祈りします。
2009.05.01
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映画「蟹工船」の撮影用の缶詰が製品になった。 そんなニュースをみる、 5月1日の朝はどんよりとしている。 5月1日はメーデーで、労働者の祭典である。好景気で豊かな時代にはーデーと言う言葉も色褪せていたが、100年に1度の不況と云われ、「派遣切り」とか「ワーキングプア」などの言葉が溢れる時代で、新たな色合いになりそうだ。 映画「蟹工船」の原作はプロレタリア作家小林多喜二の小説「蟹工船」である。プロレタリア文学も歴史の彼方の古いイメージだが、「派遣切り」などの労働問題が浮き彫りになり、新たに注目されブームになっていると言う。 プロレタリア文学が注目され、小林多喜二の「蟹工船」がブームになり、映画が製作された。撮影用の缶詰が注目され、新たに製品になって販売される。しかも、映画の前売りに付いてくることだ。映画の公開で缶詰のブームも来ると思われる。販売元には嬉しい悲鳴もありそうだ。「蟹工船」は海に浮かぶカニ缶詰工場であった。その「蟹工船」博光丸で、過酷な労働条件で働かされる労働者と鬼監督の戦いの物語で、労働者を酷使する鬼監督は浅川である。「現在の浅川が皆様方です」とテレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」のひな壇に並ぶ錚々たるタレント論客に言った若い労働活動家を思い出すが、名前は思い出せない。司会者の辛坊さんに、「あの人達の怖さを知りませんね」と窘められていたこと思い出したが、名前が浮ばない。 「蟹工船の」の最初の映画は1953年で、山村聡監督主演であった。 現在版は「蟹工船」はSUBU監督で、主演は松田龍平で、浅川は西島秀俊だ。 今日は5月1日メーデーだ。 どんよりと明けた5月1日は、 次第に陽射しが増してきた。
2009.05.01
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