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夜な夜な繰り広げられるぽんぽんとの戦い… 一緒に寝たいぽんぽん、布団から這い出してまだやりたいことのある私… 「かあちゃん、行かないで!」 「頼む!行かせてくれ!」 「やーだ!行かないでっ!」 「もう!一年生のくせに!…ちょっとだけだよ」 布団に入って少しだけ添い寝。 はあ…あったかい… 抱きついてくるぽんぽんもねむいのでほかほか… ああ、意識が… 羽根布団を肩までかけたら眠ってしまうから腰までにしてるのに、ぽんぽんが布団を引きずりあげて私の肩にかける。 「ほらほら、おしょとはちゃむちゃむでしゅよ(お外は寒々ですよ)。ねんねしましょうね」 「うにゃ~…じゃなくて、こら、寝かしつけるな!」 (這い出す) 「あ~れ~」 (足にしがみつくぽんぽんを振りほどく…) なんかこういうのあったよなあ~ と思って調べてしまった。 そうそう、これこれ http://www.spm.co.jp/tokai-travel/tokai/kanichi.htm 尾崎紅葉『金色夜叉』 「来年の今月今夜、再来年の今月今夜、十年後の今月今夜の此の月を、僕の涙で曇らせて見せます」 ってやつですね。 で、調べてるときに面白いものを見つけてしまいました。 http://koyomi8.com/doc/mlwa/200701120.htm 旧暦好きの人は調べてみてね。 …あるいはあれだ、ほら、西行法師が出家するときに追いすがる娘を縁側から蹴りおとした、という…いや、べつに出家しないけど(^^)とにかく、冬のおふとんには誘惑がいっぱい(^^;
2008年12月24日
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トイレにかけてある日めくりに「自分を責め、他人を責めるのを止めよ」と書いてあった。そもそもスピリチュアルに考えれば「自分」も「他人」もないわけだ。誰かを責めたくなる感情というのは、「だあっ!思い通りにならねぇっ!」という心の叫びなのだろうが、まったく別口で…「いま、ここ」ということをなんとなく考えていた。基本的に日本語フェチなのだが、「いま、ここ」というのはなぜか語感も字面も間延びしているので"Now,here"のほうがかっこいいなと思う。…それはともかく、いろいろな不安を抱えているときは、先のことを心配しても落ち着かないだけなので「いま、ここ」に集中すると楽になるんだな、と最近思う。わりと真剣に料理をしたりすると落ち着いたりする。こうやって書いてるのも落ち着く。それともうひとつ。これまでいろいろな願望達成本(スピリチュアルなものもそうでないものも)を読んだ。スピリチュアル本ならイメージをして願望が達成されたという事実を引き寄せるし、普通の本なら努力と根性で成し遂げる。でも、それらのノウハウはまず「願望ありき」なので、わたしのように自分の願望がなんなのかがさっぱりわからないやつにはあまり役に立たない。「自分はこうなりたい」という思いがはっきりしている人なら、そういう「攻め」の人生もありかもしれないが、願望達成本を読んで実行しても100%成就するわけでもないだろう。きっとそれは設定する願望が間違ってるんだよな。人間の人生なんて生まれたときから大体決まってるって言うじゃない。美輪さんは青写真っていうし、江原さんは「運命はスポンジみたいなもの」っていうし。まっしろなシフォンケーキになる予定の人がザッハトルテになるぞって願っても、たぶんなれないんだ。だから自分が何ケーキになるつもりなのかわかってないわたしみたいな人は、「いま、ここ」を積み重ねていけば、自然に流れるんだろうなあ…。イメージするとか、とにかくやってみる、とかいう「攻め」の人生って、とかくポジティブシンキング系で推奨されるけど、流されると言うのも大事な気がする…と、ここまで考えて、「責める」「攻める」って、日本語では一緒なんだよな~と思って、久々に辞書を引いてみた。漢和で両方の漢字を引いても似たような意味だから、中国でも同じようなニュアンスなんだなと思った。で、古語辞典で「せむ」を引いてみたら『「狭い」と同根』とあり、第一義に『間隔をつめる』とあった。何か「こうあるべし」という信念があってそれに沿うように相手や自分を思い通りにしようと「責める」のも、「ここに到達すべし」という目標に向かってつき進むぞと「攻める」のも、理想や未来や、不確定なものを無理やり見つけて突き進んでいくようなもの。なにか近視的な感じがする。だから「間隔をつめる」なのかな。それよりもっと俯瞰的に、そう、神さまが空から人間を見るように、十分な距離をもって相手のことも自分の人生も見渡すことが出来たら、もっとゆったりと生きられるのかな。だから「責め」ても「攻め」てもいけないのかな…ちょっと飛躍しすぎたかな。
2008年12月19日
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日曜日、お友達のおさそいで、シュタイナー系の東江幼稚園のアドベントに参加してきました。その幼稚園は園舎もちゃんとしたシュタイナー建築。純和風のお寺の境内になぜかムーミンのおうちを連想させる不思議なキノコ型シルエットの園舎…。でも思っていたほど変じゃなかった(笑)内装もすべて木材、角張ったところのない、やわらかい室内は子宮のイメージなのかなあ…。集まった人から順番にりんごろうそくを作り、ピアノの演奏を聴き(この辺が?といえば?だけど、その園ごとにいろいろな方針があるんでしょうね)素話を聞き、それからもみの葉を渦状にしいた隣のへやに移動。渦の中心には大きなろうそくがあり、親子一組ずつ渦の間を通って大きなろうそくからりんごろうそくに点火、ろうそくを渦の途中途中において、後から来る人の足元を照らす、というイベント…。わりと厳かな雰囲気はきらいじゃないぽんぽんなので、お気に召すかな、と思っていたのだが、なにしろ参加人数が多かった…。自分の番が来るまでに、「ねむい…!」と言って怒ってました(^^;ほとんどがぽんぽんより小さなこどもたちだったけど、みんなおりこうにして自分の順番を待っていました。こどもは本来宗教的な厳かさが好きだとどこかで読んだけど、そのとおりかも。私としては、シュタイナー建築が見られたし、アドベントもすてきだったし、ライアーの音も聞けたし(あー、ほんとに欲しい、ライアー!!)、りんごろうそくも作ったし、満足です。それになにより、かつてのシュタイナーサークル仲間&そのこどもたちにひさびさに会えたし(^^)こどもたちはみんなぽんぽんより年下なので、なんかとても純粋できらきらしているように思いました。言葉をどんどん自在に操り始めたぽんぽんの世界がだんだん具象化されてきて、いろいろな感覚がわたしたち大人の世界に近づいてきているんだなあと、ちいさい子ちゃんたちを見ていて、しみじみ感じたりして。で、帰宅してからダンナが、「…仏教系の幼稚園でクリスマスってまずいんじゃないの?」「ああ、そうねえ…って、でもぽんぽんの行ってた園だって、真言宗だけどクリスマス会は盛大よ?」「ああ、そうか」たくさんのこどもたちのうち、クリスマスの宗教的な厳かさに触れるのはごく一部でしょうが、潅仏会をお祝いするこどもはそれよりもっと少ないのではないでしょうか…(^^;日本のこどもたちはどんな宗教観をもって育つのでしょうね。まったくの無宗教って言うのは、苦しいと思うのだけど…。
2008年12月16日
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an-nonでは古本のほかに、少しだけ雑貨も置いています。ガスール(体を洗う粘土です)、セスキ酸、クエン酸、それと竹布製品少々…自分がアトピーで、手指の荒れやかゆみ、シャンプー・リンスの選択なんかには相当苦労してきました。自然派のものでも○○配合とか低刺激とか、ずいぶんためしてみましたが、結局思うのですが、洗剤類は合成・石けん問わず、どんなに低刺激のものでもやっぱり油をとりすぎてしまうし、環境にも負担がかかります。それにとってかわるものとして、いまのところカラダにはガスール、掃除には重曹とクエン酸、洗濯にはセスキ酸を使っていますが(もちろん石けんも使いますが)最近あらたな秘密兵器が加わりました。その名は「源流きらり」!https://www.k-kirari.jp/e-commex/cgi-bin/ex_index.cgihttps://www.k-kirari.jp/cgi-bin/blog/sfs6_diary/これは納豆、ヨーグルト、ドライイーストの菌類の集合体(?)で、洗濯、消臭、掃除、食器洗い、植木の肥料…ありとあらゆることに使えます。おまけに使った後の水を流すことによって排水溝もキレイにしちゃうという優れもの。でもあまりにさむいと機嫌が悪くなって働かなくなったり、なんか生き物っぽいので、わたしは「きらりちゃん」と呼んでいます。同様の働きの商品にEMという大手のシリーズ品もありますが、EMがEMせっけん、EMドリンク、EM肥料…とさまざまに細分化され商品化しているのに対し、きらりちゃんは原液のみの販売。「使い方は使う人の工夫次第」というスタンスが私はとても好きで、お店に置かせてもらうことにしました。で、先週の土曜日、きらりちゃんの製造販売元のYさんがわざわざお店にきてくださいました。「いや、ほんとに、来ていただくほどの店じゃないんです。…っていうか店ってほどでもなくって…」と言ったのですが、「いやいや、せっかくきらりをおいていただくんですから、ぜひ…」とのことで。むすめのお嫁入り先にご挨拶に行くお父さんみたいです(なぜかわたしの中ではきらりちゃんは女の子)。そしてほんとに足立区のはずれまでいらしてくださったYさん、同い年だったこともあり、すっかり話が弾んで語り合ってしまいました。きらりちゃんのこと、マクロのこと、シュタイナー、育児、アトピー、石けん、環境、経済…で、お話した後、わたしが一番心に残ったのは、このおかしな世の中の流れを変えていくポイントは、やっぱり人間が生きものらしい生活感をとりもどすことにあるんだよな~ということでした。掃除、洗濯、食事作り、服作り、そして子育て…ほんとうはこれらが一番大事なことなのに、どうしても一番合理化したくなってしまう。便利にしたくなってしまう。そんなことに時間を使うより、もっと大事なことがあるはず、たのしいことがあるはず、すてきなことがあるはず…合理化するには道具を使う。出来上がったものを買う。あるいはアウトソーシング。それには全部お金がかかる。もっと大事なこと、たのしいこと、すてきなことを手に入れるために、もっとお金がほしい。もっとお金を稼ぐために時間がないの。もっと合理化しなくっちゃ。合理化するためには、あれも必要、これも必要。作ってる暇なんかないから買わなくちゃ。あれもこれもほしいから、もっと安く、もっとたくさん。さあ、もっとお金を稼がなくっちゃ…。お金をしぼりとれるところからしぼりとらなくっちゃ。「…っていうんじゃなくて、生活すること自体をもっと工夫して楽しみたいですよね」「そうですよね。だからきらりは使う人がいろいろ考えて、たのしんで使ってほしいんですよ」Yさんによれば、きらりは原料から製造過程まで全部公開しているので、その気になれば誰でも作れるそうです。みんなで使ってくれればそれだけ川の水もきれいになる。きらりを秘密にしてそれで儲けようとは思ってないんですよ、と。「なにかを作ったり、教えたり、お世話をしたり…いろいろなエネルギーの媒体としてお金が世界を循環してくれるといいですね」小さな店のそのまた小さな一角での、とてもたのしい、とても壮大なお話でした…。
2008年12月15日
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なにかがどうなったとか、新たな展開があったわけではないのだけれど、なんとなく身辺慌しくて、気持ちが落ち着かなくて… こういうときにはとにかく体調を崩さないこと、と思っているのに、ぐずぐずと風を引いて熱を出したり、胃をやられたり… 低空飛行でもとにかく飛んでいなければ…そのためには「とりあえず今しなくてもすむ無理」は絶対にしないぞ、と傍若無人に振舞っております。リアルにan-nonと接触のある方々にはなにかとご迷惑をおかけして、すみませんです(^^; 財布にお金を入れずにコーヒーを買いに行ってツケにしてもらった上にお店に手袋を忘れ、挙句の果てに家まで届けさせた(手作りお惣菜のお土産つき)かよはにさん。 手仕事の会をやるぞーといってもりあげておいてぽしゃらせてしまったHさん。 ぽんぽんがトランポリンを三回もお休みしたので、月謝を二月分も立て替えてくれたWさん。 はじめて道端でカードを拾って「警察に届ける!」とはりきったものの、家に帰っても私がいなくて困ってしまったぽんぽんの面倒を見てくれたEさん。 電話で愚痴を聞かせてしまった整体のI先生、お店まで押しかけて愚痴を聞かせてしまった同じく整体のM先生。 出張先から心配して電話をかけてくれた師匠。 本を送ってくださったお客様にもはげましのお便りをもらったりして… ほんとにありがたいです(^^) みなさんに甘えつつ、自分の時間もなるべくなくさないようにしています。瞑想や太極拳などのメンテナンスはこういうときこそどうしても必要ですし。もともと朝型にしていると元気に過ごせるタイプなので、なるべく朝早く起きてやるべきことを済ませようと思うのですが、どうも冬の朝はお布団の誘惑が…。 しかもとなりではぽんぽんが、ふかふかの羽根布団にくるまってそれはもう幸せそうにむにゃむにゃしてるし。ちょっとつついたりすると、「うにゃあ~」とかいって抱きついてくるし。そうするとそのままこちらもお布団の中に引きずり込まれて「うにゃあ~」… ま、いいんですけど(^^) これも冬の朝ならではの醍醐味ですね。 みなさんもお体に気をつけてくださいませ
2008年12月11日
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今回で三回目のにじのはしのエポック授業、今度はなんと、わたしも一緒に授業を受けさせてもらいました(^^)クーゲルの柔らかい音で呼ばれたこどもたちは、教室に入る前に一人ずつ先生と握手します。先生はしゃがんで目線を合わせてくださって、「○○ちゃん、こんにちは」わたしも同じようにやってもらいました。いやあ、照れる照れる。下の名前で呼ばれることなんて、めったにないもの…そして先生の手がやわらかくて暖かいのにびっくりしたのでした。(私の手はごわごわのごつごつだしねえ…)ろうそくをつけて詩の暗唱。静かなお歌。たっぷり時間をかけて、手遊びやお手玉遊びをします。一年生のうちはテーマは全身なのだそうで、それは学年によって変わっていくのだそうです。そんなこんなで授業時間は半分過ぎていきます。貴重な授業の時間をここまで割いて、遊ぶなんて、なんて非合理的なんでしょうね~(笑)でも、これによって、こどもたちの意識を日常から切り離していくのだそうです。それからやっと今日の授業。テーマはうずまき。例によってこびとさんのお話でこどもたちはイメージを膨らませて、動いたり描いたりして渦巻きを体で感じていく…そして最後はまたろうそくをともして、グロッケンの音で先生のお話。あらてめて素話のすごさにおどろかされました。どんなすごい絵本より、ちいさなひとたちの想像力に勝るものはないのです。以前、遠野で語り部さんのお話を聞いたときにもつくづくと思ったのですが、テキストを読むのと、自分の内側からお話をつむぐのは、まるで違う力があります。で、でも…覚える根性がないんだよなあ!それにもう、ぽんぽんも素話なんて聞いてくれる年じゃなくなっちゃったし。なんて、言い訳してたんだけど、先生のお話にぽかーんと口を半開きにして魂をすいとられたように聞き入るぽんぽんをみて、自分の怠慢を思い知らされました。まだまだ聞けるのね、素話…(^^;そして、今回つくづく思ったのですが…ぽんぽん、うるさい!!一緒に受けた二人の女の子がとてもおとなしかったのでなおのこと、めだちたがりやのぽんぽんの自己主張が目立つ目立つ…でもここで親が介入してはいけないぞと、ぐっとこらえていたのですが、最後のお話の途中でぽんぽんが先生にもらった石(こびとさんの宝物)をガチャンガチャンと落とすので、ついキッて目で脅してしまいました。授業の後で、先生に、「最後、お母さんの目が怖かったですねえ~。ぽんぽんちゃんにはぽんぽんちゃんの個性があるんだから、いいんですよ」って、私がやさしく叱られてしまいました。そうかあ…私が周りの目を気にしてるだけなんだなあ。そういえば、ぽんぽんの塾の先生もぽんぽんが歌っても立ち上がってホワイトボードに絵を描き始めても怒らないんだよなあ…「あのなあ、ぽんぽん、ここではいいけど学校ではやるなよ」って言うけど。あちゃ。わかってないのは、またしても私か…。先生はじめ、いつも飛び入り親子をやさしく受け入れてくださるにじのはしのみなさん、ありがとうございました。手作りの画板もありがとう。
2008年12月03日
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