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昨日、第一回手仕事の会を開催しました。講師をお願いしたひなっこさんには、「今回は誰も来てくれないかもー。お茶でもしようー」などと、たわけたことを言っていたのですが、二組のママ&小さい人たちが来てくれました! 今回の手仕事は羊毛で作るろばくんとひつじさんです。小さい方々とはわたしが遊んで、ママたちはひなっこさんと手仕事を...という段取りだったのですが、小さな方々は頑としてママのおそばを離れませんでした(^^;ひなっこさんちの王子様もご同様。で、ろばくんとひつじさんはざっと作り方を説明して、また続きは次回に、ということになりました。 手仕事の会は、シュタイナーの幼児教育に関心のある方にかぎらず、もっと広い意味でスピリチュアリティーや食生活や環境問題など、an-nonで扱っている本のコンセプトにご興味のある方との交流の場として、単発的に開催しようと思ってはじめた会です。そのなかでシュタイナーに関心のあるママに出会えたら、以前ひなっこさんとわたしたほかのママ友たちとやっていたシュタイナー自主保育『ちいさなたね』を再開できたらいいね、とひなっこさんと話していたところでした。(『ちいさなたね』は、活動していたメンバーの卒業や第二子、三子の出産などで、現在活動休止中なのです)で、うれしいことに今回集まってくださった二組のママ&小さい人たちが、シュタイナー的な育児にとても興味を示してくださり、また参加してくださるとのことでしたので、今後は『ちいさなたね』の活動に展開させていく可能性も検討しています。 おもしろいことに、この日の朝、その『ちいさなたね』でいっしょに活動していたともだちから「焼き芋やるからおいで!」と連絡がありました。その日はぽんぽんが「学校から帰ったらお友達(男の子)と遊ぶ!」と張り切っていたので無理かなあと思う反面、なんとなく行けそうな気がしたのですが、やっぱりぽんぽんはBFにふられてしまい(母の呪い)、かあちゃんと焼き芋大会に参加しました。そしたらそこに立ち上げメンバーのSさん、そして『ちいさなたね』には参加していなかったものの、私と別のサークルでご縁があり、『たね』のほかのメンバーともいろいろお付き合いがあったTさんが...!しかも、まさかと思ったのですが、SさんとTさんは初対面だったのだそうです(ありえないくらいニアミスを繰り返している)。SさんもTさんもわたしにとってある意味キーパーソンで、この二人の邂逅で、なにかの輪が閉じたような不思議な感じがして勝手に感動していました(笑) 「ちいさなたね」の再発芽の希望が見えた日に、はからずも昔のメンバーに次々に出会え、なんだかとってもうれしい一日でした。ちなみに焼き芋もたいへんおいしゅうございました...(手ぶらで行ってごめんね)
2009年01月29日
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お正月番組で万葉集の特番をやっていて…今頃見ました(^^; 別に旧暦のお正月まで取っておいたわけでもないんですが。 うーん、やっぱりいいですね、万葉集! 五感が研ぎ澄まされている。 おおらかで、楽しくて、美しい。 悲しくて、切なくて、やるせない。 古今、新古今に比べて、とてもスピリチュアルに感じます。 でもある一首を読むたびに悲壮な気持ちになるのです。 父母が 頭掻き撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる 駿河から徴兵された防人の歌。親の愛というテーマも解釈も平易な上、方言がそのまま残されていることから、音を模写する万葉仮名の特質を表す例としてもよく取り上げられるのですが、まさに胸が締め付けられるような歌ですよね。 読み手の心情も切ないのですが、私はつい親の方にシンクロしてしまいます。見知らぬ土地に兵役に取られる息子の頭を、しわがれた両手が抱え込むようにして撫でまわす。 「どうかこの子をお守りください、どうかこの子をお守りください、どうか…、どうか…」 それでもその手は離さなければならない。戦争という、どうにもできない大きな負のエネルギーのうずにもぎ取られていく自分の分身。 この理不尽さ、この怒り。 こんなことを書いていたら、急にこの詩を思い出しました。 「君死にたまうことなかれ」与謝野晶子 ああおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生まれし君なれば 親のなさけは まさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへ(教え)しや 人を殺して死ねよとて 二十四までを そだてしや … これは、命を生み出す女の、怒りの歌なんだなと、改めて思いました。 この「君を泣く」がすごいよな。 「君を思う」とかじゃなくて「泣く」んだもの。 「を」という助詞がやや変則的に使われていて、アクセントになってるし、語感もきれいだ~。 追記… 「防人」と言えばさだまさし=「防人の詩」 これもねえ…。涙なくしては聞けないですよね。 この日記を書くのになんとなくネットで調べていたら、 海は死にますか 山は死にますか のところが、万葉集を本歌取りしていたと、初めて知りました。 以下Wikipedia引用 鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許曽 海者潮干而 山者枯為礼 鯨魚(いさな)取り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮干て山は枯れすれ 大意:海は死にますか 山は死にますか。死にます。死ぬからこそ潮は引き、山は枯れるのです。
2009年01月27日
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今日は旧暦の新春ですね 旧暦派のみなさま、あけましておめでとうございます(^^) 陰きわまって陽に転ずる時点を始まりとするのが太陽暦なら、命の芽吹きの瞬間を捉えて始まりとするのが旧暦です。なんとなく受精した瞬間と出産の瞬間の違い、みたいに思うのは私だけでしょうか(笑)やっぱり赤ちゃんが産まれてくるのをまちかまえて「おめでとー!」といったほうが気分が出るような気がします。 それはさておき、ここのところなんとなく変な感じでした。 旅行に出ようとして、行き先も決め、パッキングも終わっているのに、なんか出たくない、みたいな変な具合でジタバタしていて...。自分の内面的な問題もあったのですが、どうやら現在水星が逆行中だそうで、占星術的には「なんかトントンといかない」時なのだそうです。で、全部水星のせいにして、のんびりしていたのですが、水星が逆行するたびにのんびりしていたのでは単なる怠け者になってしまうので、年も改まったことですし、ここらで気合を入れようかなと思います。 水星のせいで(笑)、ここのところぽんぽんともなんとなく間が合わず、困っていたので、昨日は無理やり散歩に連れ出しました。最近「歩くと疲れるからいや」とかいって歩くのを嫌がるんですが(そんな簡単に疲れるなよ、7歳児...)、昨日は「いいから行くぞ!」とむりむり連れ出して、かなり遠くの公園まで歩いたり、そこからさらに足を伸ばして、最近できたらしいネパール料理屋さんにカレーを食べに行ったり、十一時から四時過ぎまでとことん歩かせてやりました(鬼)出掛けはぶちぶち言ってましたが、200メートルも歩くとすぐに近所のにちょっかいをだし、そこから100メートルでにあそんでもらい、こんな寒い時期なのにを見つけては摘み、公園を見つけては滑り台にのぼり、屋をみつけては買い食いをし、「どっちがたくさんを見つけるか」競争をし...なんてやってたら、あっという間でした。帰り道に近所の銭湯に入って疲れた足をいたわって...。この日はなんとりんご湯でした。ぷかぷかと30~40くらいかなあ、が浮いているのはとても不思議な感じです。 友人はよく赤ちゃんをつれて銭湯に行くのだそうですが、はじめてゆず湯を見たその赤ちゃん、異様な物体が浮いているお風呂に、頑として入らなかったそうです。(結局無理やり入れたらしいけど...) もちろんぽんぽんはそんなことはありませんが、7歳になったとはいえ、そこはやっぱりまだまだこども。ぷかぷか浮いているりんごで、感心するくらい上手に遊んでいました。全部あつめて抱えてみたり、足の上を滑らせて滑り台にしてみたり、浴槽のふちに一直線に並べてみたり...。 仕上げは冷たい牛乳で〆です。こんなときしか飲ませてもらえない冷たい牛乳を大事そうに舐めてました。 「大晦日」なので、本当はどこぞでお惣菜でも買って(おせちは太陽暦のお正月である程度作ったので、もう作る気にならない)のんびりしようかと思ったのですが、昼間ぽんぽんと遊び歩いていて買い物にいけず、結局あるもので簡単におかずを作って、あたふたと食べました(^^; 二度目になりますが、本年もよろしくお願いいたします
2009年01月26日
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先日の日記で仰げば尊し~なんて歌のことを書いてたら、こんなことを思い出してしまった。 高校一年生のころ、古典の授業でこの歌を習った。 さつきまつ花橘のかをかげば昔の人の袖のかぞする(古今和歌集) この歌の解釈を書けという小テストで、こんな風に答えを書いた。 「橘の、甘酸っぱい香りをかいだら、あこがれた初恋の人のことを思い出した」 橘→レモン→ファーストキスはレモン味→初恋(もち、プラトニック) ...なんかそういう連想だった。 小テストにはちゃんとマルがついていた。 大学生になって、あらためてこの歌に接して 「袖のか(香)」=衣に焚き染められた香、というところから、衣を重ねて伴寝した(むかしは掛け布団ってなくて、衣をかけて寝るのがふつう)=体の関係があった、と解釈するのが定番と知った。 むかし寝た男の、脱いだ着物のにおいだった...。 初恋でもプラトニックでもなかったんだー、と、それまでその歌に持っていたイメージががらがらと崩れた。 「高校の先生、よく『初恋の味はレモン味』という私の解釈でOKにしてくれたなあ...」 と思った。 そのあと、勉強を続けていく間に、なんどもこの歌のことを思い出すことになる。 定番の解釈は解釈として、自分の感性を無視しないこと、という大切な教訓になった。いまでも「さつきまつ」は私の中では、甘酸っぱい初恋の歌である。 仰げば尊し、わが師の恩... とはいえ、高校生に「伴寝した」とか正解が書けたら、それはそれで... いまはあたりまえなのかな
2009年01月23日
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もともと政治ってちんぷんかんぷんなんだけど、数年前からすっかり興味がなくなって、もうどーでもいーやーって感じになっている。アンダーグラウンドで進行している事柄が多すぎて、賛成も反対も、どうせ判断できないんだもの。とくに日本の国会は学級崩壊したクラスのホームルームみたいで見るに耐えない。国会議員のみなさんは「誰かがお話しているときは、お口にチャックして聞きなさい!」って、先生に習わなかったんだろうか。 でもさすがにオバマ大統領の就任式はちょっと気になったのでテレビで見ました ...いやあ、さすがにかっこいいですね、アメリカ大統領 ファッションコーディネートはもちろん、力強く見せるための発声、姿勢、カメラ目線の投げ方など、いろいろなアドバイスを受けながら、自分の魅せ方を研究し尽くしていくとは聞いていたけれど、もう、完璧!オバマさんもきっと漢字は苦手だと思うけど、わが国の総理大臣とはちょっと比べ物にならないよなあと思いました。ちなみに、麻生さんはわりと好きなキャラです。でも「日本の頂点に立つ男」としてオバマさんと比べるとねえ。もちろん本質的な意味でファッションやカメラ映りが政治に影響するわけじゃないけど、やっぱり日本の政治家は政治をなめてるとしか思えないな~。小沢さんの酒焼けした顔と、オバマさんの自己管理の行き届いたシャープな顔と、比べてみようよ... ま、それはいいや。 オバマさんのキャッチフレーズはchange、そしてYes,we can.だそうです。アメリカの集合的無意識が、後先も考えず搾り取れるところからとことん搾り取って使いまくる、という世界全体のゆがんだ欲望から自由になる方向に動いたら、それは世界中のchangeにつながっていくでしょう!そういう大きな視野でオバマ氏が超大国の舵取りをしてくれることを期待すると同時に、就任式までは一気に盛り上げておいて、就任するといきなりあら捜しに転じるマスコミとそれに煽られる世論にも、どうか今回こそは慎重になってほしいと思わずにいられません。どこの国の政治問題もそうだけど、政治に携わる人たちがががんばれるように、もっと応援して評価してあげるべきなんじゃないかなあ~。なんかもう政治家に対する報道ってあら捜しのいじめみたい。(こんな子供っぽい報道は日本だけなの?)オバマ氏がいくらナイスガイだからって、政治というカオスの現実の頂点に立つ男が清廉潔白な理想の人物だだなんて思わないけれど、清濁併せ呑む度量の上に何かを築き上げようと彼が試みるのなら、やじったり意地悪したりしていないで、いっしょにいいものを築き上げようよ、と思うのです。 宣誓や就任演説になんどもGodという言葉が出てきたのも印象的でした。厳寒のワシントンに集まったアメリカ国民は、彼らの神になにを祈るのだろう...。管子という書物に「衣食足りて礼節を知る(人は、物質的に不自由がなくなって、初めて礼儀に心を向ける余裕ができてくる。)」という一節があり、以前の私はこの言葉にとても共感し、今の私はこの言葉にとても慎重になっています(ちなみにぽんぽんの名前はこの言葉にちなんだものです)。為政者は管子的「衣食足り」る社会を作るのが仕事ですが、個々人は老子の「知足」ということをつねに考えていく時代になっているのでしょう。この「知足」、辞書には「みずからの分をわきまえて、それ以上のものを求めないこと」とありましたが、私たちが求めるものはつねに自分の内側に十分にあるにもかかわらず、「足りない」と思う気持ちこそが、この世界の「現実」を生み出しているというスピリチュアルの基盤をなす思想を表しているのだと思います。 「衣食足り」る国になることを、そしてもっとたくさんの「衣食」に恵まれることを、神に、そして「社会」に求める「個人」の集合体から、「知足」の感謝と共感の「個人」の集合体としての「社会」へとアメリカがchangeしてくれることを願います。そしてそのためにはわたしたち一人ひとりがchangeすることですよねなんたって、意識は全部つながってるんですから。 Yes,we can
2009年01月22日
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洗いものをしながらラジオを聞いていたら、SMAPの「らいおんハート」が流れてきた。 なつかしー。 君を守るため そのためにうまれてきたんだ あきれるほどに そうさそばにいてあげる ああ、いい歌だ…言われてみたいや、こんな台詞。 ハーレクイーンロマンスの読みすぎかしらねえ… うっとり… でも「あきれるほどに」そばにいられるのはごめんだな。 そして歌は二番になった。 もし子供が生まれたら 世界で二番目に好きだとはなそう ふと手が止まってしまった。 …うーん、それはどうかなあ(--; それはやっぱりオスらいおんの発想だろう。 メス側から言わせてもらうと、こどもは自分の分身…っていうか、自分の肉体の一部だから、一番も二番もありゃしない。 自分がかわいいのと同じようにこどもがかわいいわけで。 …ってことは、一番かわいいのは自分ってことですかね? そうよねえ、エゴ的にはやっぱり自分の「肉」がかわいいのよねぇ。 だんなは所詮、別の「肉」だしぃ。 うっとり草原の夕日を眺めるオスらいおん。 君を守るため そのために生まれてきたんだ… あらそう?ありがと。 そういいながら子らいおんをぴかぴかになめてやるメスらいおん。 どうもそういう図が頭に浮かんでしまう。 わたしってひどい? いや、べつにうちのオスらいおんが「そのために生まれてきた」といっているわけではないから、かまわないか… 魂的には「愛」に一番も二番もないわけで。 つまり「らいおんハート」はエゴの歌、愛ではなく恋の歌、ってことになるのかな。いや、恋が限りなく愛に近づいていく歌…か。結婚式の定番だったそうだし。 万葉仮名では「恋」は「孤悲」と書く。 孤独で悲しい気持ちが「愛」に変わる瞬間、人が一番感動する瞬間なのだろう。 それにしても、SMAPって、ほんとに歌、ヘタだよなあ…。 いや、好きだけどね。
2009年01月20日
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わたしのスピリチュアルへの興味は、子育てから始まり、次に体へと向いていった。側湾が強く左の背中の筋肉が張っていて、左の首もごりごり、左目には斜視があり…と派手な症状が全部左側だったので、てっきり左側=女性性が弱いのだと思っていた。たしかにわたしは「女」であること、とくに妊娠・出産・子育てをあまり心地よく思わない変なところがあった。でもだんだんと自分の内側やエネルギーを感じることに慣れてくると、どうも左が過剰で、右が抑圧されているような感じがしはじめた。右=男性性…と同時に父方の家系…私と父の、ものすごく密な距離感を考えてもなにもないわけがない(^^;最近、自分の人格をいくつかの過去生として象徴的に見るのにはまっている。なかなかたのしい。これをそのまま過去生だという人も、そうでない人もいるが、どっちでもいいと思っている。いずれにしても自分がどういう「質」の魂なのかを理解するのには役に立つ。そうやって見ていくと、わたしのなかには左側の「潔癖で志の高い女」と右側の「打ちひしがれて挫折した男(女のときもある)」というのが絡み合っているらしく、左側の女を演じると反動でだらしのない男に反転する。で、この右側の男にはどうも酒がつきもののようで、今生わたしはわりと右寄りに生まれたらしく、わざわざ酒飲みの家に大の酒好きとして生まれてきたらしい。右側のエネルギーが低いのも、整体の師匠には、「そんなの原因は肝臓にきまってるでしょ!お酒やめなきゃ治んないわよ!」と問答無用で言い渡されている(^^;でもどうも左側の「潔癖で志の高い女」像が自分でもいけ好かない。彼女たちみたいなストイックな人生はいやなんである。お酒大好き。一日1~2合なんて、かわいいもんじゃないか…だいたい、左側右側っていう概念だって基本的には幻想なんだし、人間その気になれば水をワインにかえ、空中からパンを出すこともでき、テーブルを食べることだってできるはずだ。すべて自分の内側ですから。お酒が体によくないなんていうのも幻想、幻想…とはいえ、数年前から見たらびっくりするほどよくなってきた体も、ここにきてなんとなく行き詰まりを感じている。もっと柔軟になっていいはずだし、エネルギーの偏りも治らない。で、朝、瞑想しながらおそるおそる肝臓に聞いてみた…。「お酒、やめてほしい?」そしたらきっぱりと、「ええ、ぜひやめてよ。もうくたびれてるのよね!」…即答かよ。「お酒は嫌いじゃないけどね、今のところいやなのよ。少し休みたいのよね~」けっこうおしゃべりらしく、次々と頭の中にフレーズが浮かぶ。「うーん、そういわれてもねえ…やめる気ないよ?…ってか、これって瞑想?」「さあ…」なんかばからしくなって…「さて、朝ごはんつくろ」と立ち上がったのでした。
2009年01月19日
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お正月のテレビの話。クイズ番組で、こんな問題が…「仰げば尊し 我が師の恩教えの庭にも はや幾年思えばいと疾し この年月○○○○○ いざさらば」さあ、この○○○○に入る言葉は?という問題。まあ、みんな知らないだろなあ…と思って見ていたが、やっぱり半分以上の芸能人が答えられない。しょうがないよね、歌わないもん…答えは、「今こそ別れめ」です。唱歌好きの私ですから、余裕をかましてみてました。…が。…あれ?「別れ目」じゃないの?三秒くらいフリーズして、「こそ→已然形」という係り結びの法則を思い出しました。あああっ!不覚っ!「別れめ」は「別れむ」の係り結び。「こそ」によって強調された「む」は意思の助動詞で、「さあ、いまこそ別れよう!」という強い決意を表しているのだわっ!言葉の数が少ないだけに、1フレーズの解釈が変わると歌自体のエネルギーがまるで変わってくる。「別れ目(今がお別れのときなのねえ…)」と感慨深げにまったり歌うのと、同じメロディーラインで、「別れめ(別れるのは寂しいけれど、でも、いかなくては!)と静かな決意を歌うのとでは、まるで味わいが変わってくる。こういう勘違いしていた曲、かなりある。「うさぎ美味しい」とか…(追いし)/ふるさと「追われてみたのはいつの日か」とか…(負われて見たのは)/あかとんぼネットでみつけたのは「春は菜の実の」(名のみの)/早春賦よくもわるくも、日本語は繊細だわ。
2009年01月18日
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最近、へんなものにはまっていて…(^^;ハーレクイーンロマンスのマンガ版である。(間借りしているお店はマンガ屋だから読み放題)文月今日子さんとか、佐伯かよのさんとか、昔好きだった作家さんが描いてたりもして、ついつい読みふけってしまう。仕事しろよ~! 原作が英語だからか、なにしろ恋愛の表現がなかなか華々しい。愛とか恋とか、あまーい世界にニヤニヤしながら耽溺している。 ところで昔、和歌の授業で「愛」と「恋」の違いを習ったことがあった。「愛」というのは満ちたりたしあわせな感情、「恋(こふ)」というのは目の前にないことを寂しいと思うことで、英語で言えば"miss"に近いのだそうだ。小田和正の曲に”I Miss You"というのがあるが、あの声でI Miss You♪と歌われた日には、ジーンときてしまう。 "miss"も「恋」も、欠落感を埋めたいという辛い気持ちなわけで、だからこそ切なく、切羽詰った感じがするわけで、”love"とか「愛」っていうのは、「ああ、満ち足りてるなあ」という確認なわけで、ほわほわーんというか、あったかーというか、そういう感じになるわけだ。 「恋」したもの同士がみごと障害を克服して「ダーリン!」「ハニー!」と(ハーレ風に)がっしと抱き合うのは、割れちゃったお皿がバシッとつながったみたいな達成感(?)がある。そして欠落感がなくなると「愛」に変わるわけだ。 で、問題はつながったあと、その皿がまん丸の一枚の皿としていつまでもくっついていられるかどうかという話。 くっついてまん丸になって、そこで癒されたことによって「ああ、わたし、ここが欠けてるのねえ~」と自分を見つめることができれば、たぶんそのピースは徐々に丸くなっていっていつのまにか一枚の皿になる。二つのピースが二つながらそういう気づきを得ることができ、二枚の丸い皿になったらそれは美しい愛になるんだろう。 くっついてまん丸になって、そこで安住してしまうと、お互いに依存したまま「ああ、わたしたちってべストカップル!あなたがいないと生きていけない!」と依存しあって進歩なし。それでもお互いに幸せなら、それはそれでいいけどさ。(よくはないか…) くっついてまん丸になって、でも継ぎ目がなにかのはずみで合わなくなって割れちゃって、その過程で自分の「欠け」の形をきちんと認識できなければ、また同じような「形」の割れ方をした伴侶をさがして「恋」するんだろうな。 そういえば、「恋多き女」っていうけど、「愛多き女」って言わないな… やたらに彼氏が変わる子ほど、「…また似たような男だなあ」と思ったなあ。 などなど… やっぱり「愛」は偉大なのだ。…無理やりなまとめかただな(^^;
2009年01月16日
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うちのお嬢さんはなかなかのしっかり者で、わたしの複数の師匠筋からも、「この子はあんたが余計なこといわないほうがちゃんと育つよ」と言われている。そうかもしれない。学校嫌いも「そうかあ…辛いよねえ」とぽんぽんの言い分を聞き、ちょっと先生にお話しに行って、師匠の一人に言われたようにぽんぽんが苦手な子とその家族に私から愛を送って、それでいつの間にか克服してしまった。今でもいろいろ学校にもお友達にも不平不満はあるようだが、とりあえず学校は行かなければならないところと観念したらしい。「他人のかわいいわが子」とぽんぽんをかわいがってくれる整体のI師匠は、「どお~?ぽんぽん、学校、最低~?」とか煽りながら、(「うん、さいてー」とぽんぽんは答えていた)「しょうがないよ、行(ぎょう)だからね」とかいって諭していた。「行」の意味がぽんぽんにわかっているとはおもえないが、I先生のことは尊敬しているので、そんなもんですかね、といった顔で先生を見上げていた。今朝もぽんぽんは張り切って「行」にでかけた。が、五分後、玄関のドアがバン!とひらき、そこにはぐしゃぐしゃの泣き顔のぽんぽんが…「かあちゃーん、絵の具セットわすれちゃったあー!」「げっ!取りに戻ってきたのか!?」「えーん、かんぜんにちこくだよう!!」「ばか、だめじゃん!もどってきちゃ!危ないから忘れ物を取りに戻らないって言われてるでしょ!」「だってええ」「先生に忘れたって言えばいいじゃん!」「やあだっ!やだやだっ!びえーっ!!(プライド高くて言えない)」「と、とにかくいくぞ!」「びえーっ!」小さな手を引っつかんで玄関を飛び出しながら、「まだまだかわいいのう…」と、ちょっと幸せな母なのでした。で、出てすぐの交差点で大好きなクラスメートのSくんとそのママに会ったぽんぽん、「大丈夫よ、うちはいつもこの時間よ」と言われて、やっと泣き止み、Sくんと無事学校に向かいましたとさ。よかったよかった
2009年01月15日
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昨日、佐藤初女さんのテレビが放映されました。おっとりと、でもゆるぎなく、おおらかな… ほんとうにすごい方だと、改めて思いました。 ひさしぶりにしみじみと涙が出ました。(やっと泣けたじゃん) クリスチャンである初女さんと、どちらかといえばニューエイジ系のスピリチュアリティに傾倒しているわたしとは、「苦しみ」に対する向き合い方や捕らえ方は少し違うのだと思います。 以前ある友人に「おむすびの祈り」という初女さんの本を薦めたら、 「おむすびの作り方は参考になったけど、彼女はキリストの愛を正しく理解していないと思う」 というメールが返ってきたことがありました(^^; 彼女がどういう意味でそういったのか、きちんと聞き返すチャンスもないままに、いろいろあって疎遠になってしまいました。 でも、やっぱり思うのです。 初女さんはすごい。 初女さんのおにぎりは、ストレートに魂の奥に飛び込んでいく 形而上の「愛」は宗教や哲学の立場からしばしばぶれが生じます。 でも「愛」はつねにそこにそのままにある… 実は、この日記を書くのに二時間以上かかっているんです 何を書きたかったのか、だんだんわからなくなってきた…というより、堀下がってきたのでしょうが、核心をつかめないまま、ギブアップです。 たぶん、頭ばかりが先走って心がついてきていない自分にいらだっているのでしょう。 なぜかこんな台詞が頭に浮かびました。 「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ」 by青島刑事
2009年01月11日
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一昨日、スーパーでおいしそうなぶりのアラと鯖を見つけた。賞味期限は昨日までだったので、昨夜は鯖を食べ、ぶりは今朝煮てぶり大根にへんしーん!!…の予定だったのだが。昨夜の段階で鯖はなぜか水が出てびしょびしょに。色も変色して、とても食べる勇気がない。(もともと鯖には弱い。体調が悪いときに古いのを食べると蕁麻疹がでる)仕方ないので鯖は廃棄…そして今朝ぶり大根を煮た。味も調ったので、なべをストーブの上にかけたのだが、店に行く時間がせまってばたばたしているうちに、なんとなべの柄にぶつかり、すべて床にぶちまけた。しばし、呆然…そしてさめざめと泣けてきた。ああ、わたしのぶり大根。今日はこれを肴に熱燗で一杯と思っていたのに。そして、「ああああああ、足にかからなくてほんっとによかったよう」と思ったら、怖くなって足が震えた。母から内線がかかってきた。ものすごい音が一階にひびいて、飼っているポメラニアンが腰をぬかしかけたらしい。事情を話すと、「あらまあ…手伝いに行こうか?」「うん、来て…(めそめそ)」「あんた、なにやってんのー。怪我はないの?」「うん、ない…(めそめそ)」「ちょっと落ち着きなさいよ~」「はい…(めそめそ)雑巾に吸い取られ、どんどんバケツにたまっていくぶり大根のおいしい~汁。そういえば、早朝もストーブに石油を入れようとして石油をこぼしたんだった。以前も日記に書いた気がするが、ここのところまた、マザーテレサの言葉が心に染みる。どれだけできたかではありませんどれだけこころがこめられたかです一つ一つの所作が荒い。気持ちばかりあせる。先に行きたがる。先日エンジェルカードにもたしなめられた。やることが決して人より多いわけじゃない。あわただしいのは私の内面の問題だ…そういえば年末にマザーテレサのテレビ番組があったそうだ。普段テレビを見ないから、こういうときにはもったいないことをしたなと思う。「大丈夫、大根もぶりも、さっと洗って煮なおせば食べられるわよ!」私のマザーはきっぱりと断言し、床に散らばったぶりのほぐれてしまった身をポメラニアンのえさにするから頂戴、といってあつめて帰っていった。たぶん、ある変わり目なんだろうと思う。明日からまた三日間おやすみ。ちゃんと丁寧にすごそう。心がけてはいるけど、まだまだ中途半端なんだなあ。こういうときはうやむやにできずに浮上することが多い。でもそれをきちんとみとめて、じっくり見てしまえば、きっと消えていくだろう。
2009年01月09日
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四日に日記を書いて、さて三が日もあけたし、お店のことを始めよう、HPも充実させて、本の紹介もして、mixiにも一工夫して…といろいろ思いめぐらしているうちに、ふと久しぶりにカードが引きたくなって、エンジェルカードを引いたら、「retreat」…やすみなさい、そして自分の本当にやりたいことを見つけなさい。でした。えーっ?と思ってこんどはマーメイド&ドルフィンカードに手を出したら、「play time」…忙しすぎて本来行こうとしている方向を忘れているがぴょんと飛び出す…なんだかなあ…なにか方向が間違ってるのかなあ…と思ってたら風邪を引いて、しばらく休息優先。その風邪がぽんぽんにまでうつってしまい、今日はマイミクさんのおうちに遊びに行く予定だったのにキャンセル。というわけで、「自分のほんとうにやりたいこと」「本来行こうとしている方向」をみつけるために、今日はゆっくりお休みです。お店は明日から!今朝、瞑想中をしていて、「よし、がんばるぞっ!」と自分に喝を入れたら、ふと、「いや、たのしみなさい」という考えが浮かんで…どうもan-nonはがんばっちゃいけない店で、もっと遊び心を持って楽しまなくてはいけないようです。
2009年01月07日
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まだまだ生命活動停滞中のド冬に、明けましたもおめでとうもないもんだと、毎年思うのですが、グレゴリオ暦に逆らうっていうのも時代遅れですし、世間のお正月気分に一緒に乗れないのもヤダ、というわけのわからない理由で、新暦・旧暦、毎年二回お正月をやる我が家です。 …ちょっとお得な気分(笑) 今年特に旧暦を意識してしまうのは、単に個人的に昨年から持ち越したいろいろな事象がまだ経過中という感じがするからかもしれませんが、やっぱり農耕民族の日本人としては、木々が芽吹く季節に次の新しいスタートを感じたいようにも思います。 ともあれ昨年、an-nonという「アンアンとノンノンを売ってるの?」とたまに聞かれてしまう不思議な店を立ち上げました。「un-knownよね?」なんていう素敵なご質問もいただきましたが、真意は「安穏」です(^^; 本を送って下さった皆様、あらためてお礼申し上げます。ありがとうございました。おかげで店を開けることが出来ました。重い本を梱包して発送していただいて…大変でしたでしょう。また「an-non」の趣旨に共感していただいて寄贈してくださった方も何人もいらして、ほんとうに感激しました。 一方で買取の値段がご希望に添えなかった方もいらっしゃいました。あるいはご了承いただいた方の中にも、安いと感じられた方もいらっしゃったと思います。申し訳ありませんでした。 わたしも実際に仕事を始めてみて、いろいろな面で考えさせられることがたくさんありました。 そもそも、本って何なんだろうと。 そしてわたしは本を通して何をしたいのだろうと。 自分を変えてくれるような素敵な本に出会ったとき、 「この本を誰かに読んで欲しい!」 と思います。 そしてその「素敵」を共有できる仲間を増やしたい、と思います。 そういう「思い」の仲介役でありたいと願ってはじめた店ですから、そういう「思い」の方に納得して本を売り買いしていただくにはどうしたらいいのか、今後試行錯誤していきたいと思います。 開店直後に入院した父は、おかげさまで順調に回復しています。ご心配いただいた皆様、ありがとうございました。ぽんぽんの冬休み明けから、ようやく本腰を入れてお店を始められそうです。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2009年01月04日
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