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我が家のリフォーム工事も今やたけなわである。そういう中で、一昨日の夕方、親方から「今日壁の下塗りが済みました。明日は本塗りですが、家を閉め切っていてもシンナーの匂いが家の中まですると思いますので、10時頃から夕方5時くらいまで外出されたほうがいいと思います」との助言があった。このとろのコロナ禍に加えて家のリフォームのため、家に閉じこもりきりだった私達も「じゃあ どこか出かけてみようか」ということになった。職人さんへのお茶などは冷凍バッグに入れて用意し預けて、いざ出発。 しかし、この暑さとコロナ禍の中、私達老夫婦が行く先も限定される。さて、どうしたものか。とりあえず鹿児島中央駅まで行って「時間つぶしにいい映画でもあれば見ようか」くらいの気持ちでアミュプラザ6Fへ。「鹿児島ミッテ10」に直行し私達が見るような映画があるかチェックする。そこで唯一目に留まったのが「キネマの神様」である。そういえば、この映画の主役を務める予定だった志村けんがコロナ禍に倒れ、急遽、沢田研二が主役を務めるようになった映画ということを思い出した。チケット売り場に行って、上映時間を見ると11時から一回のみの放映とのことで、只今の時刻は10時55分。偶然にもピッタリの時間になった。 謳い文句は「松竹映画100周年を記念した山田洋二監督による人間ドラマ」だという。山田洋次監督にとっては89歳で89作目の映画だという。俳優陣も凄い顔ぶれである。正直言って、時間つぶしのつもりだったが、上映が始まるとどんどん引き込まれていった。詳細は一切書かないが、ドラマを通じて、夫婦愛、親子愛、家族愛そして友情など自分の人生と重ね合わせて考えさせらた。今生きていることに前向きな価値をみいだすことができる映画だった。 映画が終わったのは1時30分。遅くなったランチをとるため5Fへ。「遊食豚彩 いちにいさん」へ入る。窓側に席に案内される。写真はそこからの桜島。私は大好き「黒豚とかつ(ロース肉)セット」を食べた。 その後、紀伊國屋書店で本を見て、「星野コーヒー」で休憩しアミュプアラザ地下と朝市で買い物をして帰った。久しぶりの息抜きにもなり、いい時間を過ごすことができた。たまたま
2021.08.27
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(2枚の写真は NHK 戦跡 ー薄れる記憶ー から拝借した) 高校の同期生たちとメールとLineを通じて日頃やりとりをし、それをまとめて毎月40余名の同期生に「八期オンライ通信」として送る労をとっているKくんという存在がいる。7月までで51号を数えた。 8月の交信の中で、原爆や戦争のことがやりとりされ、ある日仲間からこの「焼き場に立つ少年」の紹介があった。その時、私は初めて写真の存在を知ったが、それを追いかけるように8月13日深夜(14日午前0時)からNHKテレビ2チャンネル・ETV特集で「『焼き場に立つ少年』長崎原爆孤児の戦後」として放送されるとの知らせが別の仲間から入った。 私は35歳から長崎市に3年だけだが住んだことがあり、近所の人との交流や次男が通った教会の幼稚園で父母の会の副会長や会長をやったことなどから、神父さんやシスター先生との交流もありキリスト教にも少しは触れることができたと思っている。そのような平和を願う敬虔な街でもある長崎は異国文化とも相まって印象は強く今でも長崎は大好きである。周囲にはクリスチャンの方も多く、日曜日には家族揃って教会に通われる姿も数多く見てきた。また職場は長崎原爆爆心地点の松山公園、平和公園、浦上天主堂を結ぶ三角地点のちょうど真ん中くらいに位置していたため、戦争や原爆や平和のことを考える環境にあった。 本題に戻る。1945年8月9日、11時02分長崎の街は一瞬の閃光とともにガレキと化し、その年の暮までに7万人の命が奪われる大惨事となった。長崎市だけでも親を亡くして孤児となったのは2300人に及んだ。 今回の「焼き場に立つ少年」の写真を中心にした特集については、NHK長崎放送局が3年前から調査をしてきたという。この「焼き場に立つ少年」のことは、2019年8月にもNHKで「戦跡 ー薄れる記憶ー お母さんに会えたのかい 原爆の地に立つ少年」として放送されたという。今回はそれに加えてわかった新しいことを放送するものだ。写真はアメリカの従軍カメラマンであったジョー・オダネルが撮影し、その後世界中で公開された。ただジョー・オダネルが残した上の写真は「裏焼き」されて左右反転している可能性があるとの指摘がある。それは①上着の前合わせが男性用に見えない。 ②戦時中は名札を左胸に縫い付けるようにされていたが、少年の右胸についている。つまり、下の写真の左側がオダネルの残したもので、本当は右側のように焼き付けるのが正解だというのだ。 そのことは兎も角として、「焼き場に立つ少年」は亡くなった弟をおんぶして、火葬のためにこの焼き場にやってきたのだ。ボロボロの服、やせ細った身体、裸足、それでいてキリッとした表情。このとき少年はどのような想いを抱いていたのだろうか。写真を写したオダネルは次のように書き残している。「少年は焼き場のふちまで進むと、そこで立ち止まる。係員は背中の幼児を下ろし足元の燃え盛る火の上に乗せた。炎は勢いよく燃え上がり立ちつくす少年の顔を赤く染めた。私は彼から目を離すことができなかった。少年は気を付けの姿勢でじっと前を見つづけた。急に彼は回れ右をすると背筋をピンと張りまっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま」オダネルはこの少年のことを死ぬまで気にしていたそうだが、彼も行末を知ることはなくこの世を去ってしまった。今回の特集でも写真に残された痕跡の石標や通信用のケーブルらしきものなどを手がかりにNHKが調べた記録が放映されたが、現段階では少年の行末を知ることはできなかったようだ。放送の中である人が「戦争の悲惨さを伝えるこれほどものはない」と言っていたが、私もそう思った。再放送があれば、皆さんにも是非見ていただきたい番組である。
2021.08.22
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築40年近くなった我が家の屋根や壁の傷みが酷くなってきた。以前にも手入れはしたことがあるが、それからどれくらい経ったのか定かな記憶はない。その時は小さかった孫たちのために庭にテラスを造ったり、床を張り替えたりする工事も一緒にやってもらった。今回はエアコン2台を入れ替えようとしたことがキッカケになった。2階のエアコンの室外機を置いていた場所が経年変化によって、床が傷み傾いていることを発見し、そこを直さないといけないということから家中を見回すと瓦の傷みや塗装の脱落など見るに耐えられない状態になっている。 そこで、一念発起してこの家を建てた業者に見積もり依頼し、どうにか予算内に収まりそうなので、8月16日からの工事が始まった。もう私の代での大きな手入れはこれを最後にしてくれと願いながらの契約である。 工事期間は天候などのことも配慮して1ヶ月としたが、初日の16日からほとんど日本全国を襲った豪雨に当地も狙われた。しかし、上3枚の写真にあるように架設の骨組みは雨の中、3人の若者たちが午前中で終わらせてくれた。さすがはプロである。 翌日は屋根と壁塗りの業者さんが入る予定だったが、さすがにこの豪雨のため2階のエアコンの取り外しの業者さんだけが入ることで終わった。 そして、今日18日、屋根と壁の塗装業者さんが午前8時前には到着。家族でやっているとの紹介があり、親方とその奥さん、息子さん二人の構成である。今頃家族仲良く仕事をするという話に好感が持てた。塗料飛散防止の布張りが終りただ今は高速洗浄機で屋根と壁を洗浄中だが、午後2時くらいには終わるとのこと。しばらく雨模様が続きそうだが、素人の私には今後の日程のことは、さっぱりわからない。雨模様が続くと塗装もままならないだろうし、どうなっていくのか。雨樋の交換もお願いしてあるので、その辺りの工事が先に入るのか。
2021.08.18
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