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木昌1777 @ Re:荒れ放題の我が家の「雑草園」 先ずは植木鉢の整理(04/02) こんばんは。これだけの鉢を出した整理も…
かずまる@ @ Re:荒れ放題の我が家の「雑草園」 先ずは植木鉢の整理(04/02) クマタツさんお疲れ様です! 野菜の苗を植…
かずまる@ @ Re:おはぎ(03/27) クマタツさんお久しぶりです! ワタシの持…

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2021.05.26
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カテゴリ: 鹿児島の歴史


 私が「本〇どん」と縁が出来たのがここ天昌寺跡墓地・永吉島津家の菩提寺跡だった。
初めてここを訪れたのは2016年で当時「本〇どん」は永吉の史跡などを守る「永吉南郷会」の会長で墓地の一角にファイルが置かれ「見学の皆さん、下記携帯電話まで電話をいただければ、いつでも案内いたします」とあった。パソコンはいくらか使っても携帯電話は持っていない私は、その日は連絡も出来ず、帰ってから電話をして2017年の正月早々に会う約束が出来たのだった。
それ以来の付き合いで、現在では私の友人たちとも巻き込んでの交流をするようになった。

 この日は、中国人留学生も一緒だったので、日本の大きな墓碑を見学してもらおうという「本〇どん」のアイデアでここを訪れた。友人のNくんも初めての参加だった。写真は墓地入口で「本〇どん」の説明を聞く留学生4人。下の写真は様々な墓碑群。


 腰を痛めておられる「本〇どん」に代わって私が簡単な説明をした。
手前にあるのが「宝篋印塔」。その向こう側に並ぶのが卵型をしたお坊さんの墓で「無縫塔」「卵塔」と呼び、俗に「坊主墓」ともいう。


 その「坊主墓」の右から2番目にあるのが「天昌寺開山石屋真梁和尚の墓」である。
石屋真梁(せきおくしんりょう)は島津忠久の後裔、伊集院忠国の第11子である。



 五輪塔式墓碑も林立している。見事だ。


 墓地の一番奥にあるのが、関ケ原の戦いで島津義弘の身代わりになって倒れた島津豊久公の墓碑。
豊久公は曾祖父・日新公、祖父・貴久公、父・家久公(島津四兄弟の末弟で永吉島津家初代)とする永吉島津家2代目当主である。なお永吉島津家初代・家久公の墓地は同じ永吉の梅天寺跡にあることを説明した。念のため書き添えると島津家には二人の「家久」公がいるが、もう一人は義弘公の子・忠恒、後に島津本宗家第18代当主にして初代鹿児島藩主となった家久公である。


 墓碑には夫婦別々のものや、下の写真の第3代領主・忠栄夫妻の墓碑のように一緒に埋葬されているものもある。




 13代領主久陽夫人の墓碑。夫婦別々に墓碑はある。
なお、中国人留学生からほとんどの墓碑にある「院」の文字は何を意味するかとの質問があった。
私は少ない知識の中から「院号と言い、戒名のランクを表すものでこの時代は身分の高い人にしか使われないものだった。現在も院号は使われているが、現在戒名に院号を使うには身分もある程度あって、お金をたくさん払う必要がある」「地獄の沙汰も金次第」と冗談交じりに話をした。当たっていますかね?


 12代領主・久陽公の墓碑





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Last updated  2021.05.26 17:51:42
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