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ウイーンではリング(環状道路)沿いのメリディアン・ホテル(Le Meridien Vienna)に宿泊。
そのすぐ裏
手に造形美術アカデミー があり
「そこのボス(Bosch)の絵は見応えがあるので是非見てくると良い」と遊びにきたガイドさんに勧められました。
確かに
今ま見た ヒエロニムス・ボスの作品
では一番素晴らしい作品かもしれない
わざわざでなければなかなか見学に行かないだろう場所なので細かく紹介します。
予定外ですが、シラー像も載せました。日本人が大好きな第九の作詞者です。
リンク ピーテル・ブリューゲルとヒエロニムス・ボス
造形美術アカデミーのボス(Bosch)最後の審判 1 (楽園)
造形美術アカデミー (Gemäldegalerie der Akademie der bildenden Künste)
シラー( Schiller
)像
ボス(Bosch)最後の審判(The Last Judgment)
フィリップ美男公
分離派会館から近いと紹介されていますが、裏手からのアクセスになり看板や表示が一切ないのでどの建物がアカデミーか見つけにくいです。しかも入り口は回り込まなければならないからシラーの銅像を目指して正面のシラー公園からアクセスする方が解りやすいです。
メリディアンの右脇の道からまっすく正面にシラー公園が見え1分かからない。
ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller
)(1759年~1805年)
ドイツ古典主義の詩人、歴史学者で劇作家でもある。
ベートーヴェンの交響曲第9番(第九)の歓喜の詩(An die Freude)の歌詞を書いた事でも有名。
因みにリング挟んだ反対側に彼と親しかったゲーテの像があります。対に設置されたのかも・・。
ゲーテは彼の死後に彼の頭蓋骨をこっそり借り受け、ながめながら追悼の詩を書いたそうです。
造形美術アカデミー (Gemäldegalerie der Akademie der bildenden Künste)
欧州で最古と言われる美術学校が現在国立の大学となった造形美術アカデミー
です。
創設は1688年。宮廷画家のピーター・シュトルーデル(Peter Strudel)のプライベート・スクールが始まりで、国からの支援をうけて正式に学校になったのが1692年です。
ネオ・ルネッサンス様式の建物は1877年4月に皇帝フランツヨーゼフ1世の元で落成
。内部装飾は1892年まで続いている。(リングの完成に伴なってこちらに学校が移転されたのだ。)
学生達の勉強の為のアカデミーの画廊は絵画館として一般公開されている。
ヨーロッパ絵画部門ではウィーン美術史美術館に次ぐと言われるコレクションはボスだけでなくクラナッハ、ティツィアーノ、ルーベンス、レンブラント、ティエポロなども収蔵。
因みにヒトラーが1907年受験して落ちた学校です。前年に自分より年下のエゴン・シーレが入学。美術も建築もあきらめたヒトラーが前衛芸術を嫌いアカデミーを弾圧下に置いた理由は憎悪だったらしい。
最後の審判(The Last Judgment)
三連の祭壇画(triptych) 164cm×247cm
左翼・・楽園(エデンの園) 中央・・最後の審判 右翼・・地獄、
祭壇画なので裏にも絵が描かれている。(正確には祭壇画を閉じた時の扉にあたる部分。)
モノクロームの絵画グリザイユ(Grisaille)である。
使徒の一人、聖ヤコブ(Sint Jacob
)は以前サンチャゴ・コンポステーラで紹介した通り、スペインの守護聖人でもある。
反対には ゲント(Gent)の守護聖人 聖パーフ(Sint Bavo)
実はこの三連の祭壇画(triptych)はフィリップ美男公の発注だった可能性がある。
フィリ
ップ美男公
フィリップ(Philippe)(1478年~1506年) 通称フィリップ美男公
ブルゴーニュ公(フィリップ4世)、カスティーリャ王(フェリペ1世)でもある。
神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とブルゴーニュ女公マリーの長子。
ボスを庇護していたフィリップ美男公は記録により1504年に274cm×335cmの三連祭壇画を発注していたらしい
。今回紹介する祭壇画よりもう少し大ぶりな物であるが、それは現存していない。
1504年と言う年は彼の妻ファナ(Juana)の母であるカステーリャ女王イサベル1世(Isabel I)が亡くなった年であり、彼の妻が王位を継いだ年
である。
彼はこの時妻との共同統治を希望してカスティーリャ王(フェリペ1世)になったのでその関係で発注された可能性が大である。
祭壇画の扉にあたるグリザイユ手法の聖ヤコブ(Sint Jacob
)はスペインの守護聖人であり聖バーフ(Sint Bavo)はかつてはフランドルの守護聖人であったからだ。
因みに彼の母マリーは幼くして母を亡くし、父(祖父)の三番目の妻となったブルゴーニュ公妃マルグリット(マーガレット・オブ・ヨーク)に育てられたが、同じく早世したマリーに代わり彼もまた母の故郷フランドルでマルグリットに育てられた。その彼女が亡くなったのは前年の1503年である。
この作品は1510年頃とされる。最初に発注した祭壇画のコピーか? あるいは別物の一点(真筆)なのか議論が続いていると言う
。
実はゲントは神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とブルゴーニュ女公マリーが結婚式を挙げた聖バーブ大聖堂があり、おそらくフィリップもここで育てられたのだろう。彼の子で後に神聖ローマ皇帝カール5世も幼少期にゲント(Gent)で暮らしている。
もしかして本物であるなら、もとはゲントにあった可能性もある。ゲントは宗教改革のおりにカトリックの遺産が散々破壊されているのだ。
ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)(1450年頃~1516年)
三連の祭壇画(triptych)の左翼 楽園(エデンの園) 167.7cm×60cm
この絵はどうやら下から上に見るようです。
アダムの肋骨からイヴを造る神様。これは創世記の話です。
ヘビに騙されて善悪を知る知識の木の実を食べてしまうアダムとイヴ
楽園を追われるアダムとイヴ。失楽園である。
すなわちそれは人が最初に犯した罪。原罪である。
神に反逆した天使vs神の僕の天使
神派の天使に負けて地に落とされた反逆の天使は醜い虫の姿に変化。彼らは悪魔と呼ばれる者になる。
十二枚の翼を持った大天使、「光をもたらす者」と言う意味を持つ美しいルシフェル(Lucifer)も神に背いた事により堕天使となり地に落とされ悪魔サタン(Satan)になる。
この左翼の絵のタイトルが楽園になっているのが解せないです。
次回中央・・最後の審判と右翼・・地獄、を紹介
リンク 造形美術アカデミーのボス(Bosch)最後の審判 2 (反キリスト者の裁き)
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