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村田晃嗣『レーガン』中公新書、2011年。 レーガン大統領の評伝。曾祖父の時代から書き起こし、没後7年の時点での評価までが記されている。ロナルド・レーガンという人物の言動と時代背景とが、丁寧に記されており、読ませる力に満ちた一冊。副題の“いかにして「アメリカの偶像」となったか”は、終章に提示される。著者の主観を押し付けるのではなく、立場による見え方(評価)の違いを解説してくれた作品。
2022年10月30日
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数日前、北杜夫さんの『どくとるマンボウ航海記』を読んでいた。何回目の再読か、記録もしていないので不明だ。これまでに二十回以上は読んだと思う。 登場する方々は御名前のイニシャルで書かれている(例えば、日本出国前の「M先輩」と「A」、パリでの「T(夫妻)」、ミラノでの「後輩K」など)が、北さんの後の著作で、本名が明かされている。「サン・ターヌ病院で会った医師」は、古木貞孝(加賀乙彦)さん。ひととの巡り会いとは実に不思議なものだと思う。 さて、今回、目にとまった(つまり、過去の読書の後で、僕の記憶の中では『航海記』とは結びついていなかった)ことは、北さんがリスボンで訪れた「ジェロニモ大寺院」。『航海記』以外のどこかで目にしたことがある名前だったのだが、それがどこでのものか判明するまでに、少し時間を要した。 ピリスのK.466、2003年のベルリン・フィルとの共演が行われた場所だった。改めて聴きなおしてみたが、残響音がいい。この演奏は何度も観ているのだが、映像のほうが記憶に残っていた。映像が優先されて、音は二の次になってしまっていたようだ。意識(脳が処理)する順位は、高いほうから、文字、映像、音、なのだ。「空耳アワー」が成立するのも、このためだろう。 [蛇足]音楽(CDやDVD)を手に入れると、いつ、どこで収録されたものかを、いちおう確かめる。そうした情報がきちんと記されていないと、制作者、企画者の真摯さが低いと感ずる。われながらややこしい奴だと思う。うむ。
2022年10月23日
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書店で見て、写真がみごとだったので購入した、カラー版新書三冊。 福田俊司『シベリア動物誌』岩波新書(1998年)。大泰司紀之、本間浩昭『知床・北方四島』岩波新書(2008年)。野村哲也『パタゴニアを行く』中公新書(2011年)。 先ずは写真を眺めている。文章は読み始めていない。
2022年10月16日
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朝日新聞社会部編『日航ジャンボ機墜落』朝日文庫(1990年)。 「調べて、伝える」側の立場で、朝日新聞の社員の方々が、ひとりひとりの職業人としてどのように行動したか、を記録した一冊。記者として、自らの仕事に疑問を抱く場面をも含めての記述が、臨場感を生む。ルポルタージュとは、こういう本だと思う。 現地にも行かず、従って現認をせず、それにも関わらず一人称で記述をして、他のかたの文章を延々と「引用」しただけで「ノンフィクション」を自称した本などとは、一線を画す。現地の確認も、当事者の方々への取材も、おこなっていないのでは、「フィクション」と呼ぶべきであろう。
2022年10月09日
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進藤榮一氏(筑波大学名誉教授)による二冊。『アメリカ 黄昏の帝国』岩波新書(1994年)と『アメリカ帝国の終焉』講談社現代新書(2017年)。 隅から隅まで、論理的、解析的。明晰な方には、将来が明確に見通せるのだろう。『アメリカ 黄昏の帝国』が書かれたのは、クリントン大統領就任から二年未満という時期だが、「アメリカはいま、確実に衰退の時を迎え」と結論している。『アメリカ帝国の終焉』は、前著から23年後、トランプ大統領就任の翌月に刊行されている。「ソフトパワー(理念の力)」を喪失したアメリカ。大米帝国の手の届かないところで動きはじめている、中東の政治。西欧の終焉と、台頭する東アジア。本書末尾で「地域と地球環境とアジアとの共生を求めた共生ゲームへの道」を提唱。 二冊のことを、先に論理的、解析的と書いたが、ひるがえって、人や地域、国(とくに我が国)は、どうだろう。報道する側の伝え方にも原因があるとは思うが、最近の国会での質疑応答は、まるで子供のケンカと揚げ足取り。進藤名誉教授のような方には、どう映っていることだろう。城山三郎の作品をもじって言えば、「愚人たちの世」か。
2022年10月02日
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