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中国人は、実に滅茶苦茶な民族である。話にならないくらい。しかし、日本人の状況も、彼らとそう変わりはしないことを、僕らは知るべきかもしれない。きっと、同じくらい滅茶苦茶なのだ・・・・・。さて。話し合いや相互理解といった手段が、今回の日中関係において無効であるとは思いたくなかった自分がいる。少なくとも先日までは、国の代表同士による対話を深め唐突に噴出した火花を消し鎮め解決する方向で相互に歩み寄ることが可能なはずだ、と僕は信じ願っていたのである。なぜなら日本も中国も互いに、まともに話し合いの場を設けていないではないか?!と僕のような一介の生活者の目には映っていたからであった。だが、上記したような僕の認識が、国際政治という舞台において、如何にナイーブでイノセント(無知)で失笑ものな甘すぎたものでしかなかったことは、昨夜そして今日に目にした幾つかの報道に触れて明らかになったといえる。民間レベルでさえ異なる文化圏に属する人間同士が理解を深め仲良くなるということは簡単ではない。国際舞台という国と国とが互いに己の国の利権を巡り激しく対立する修羅場では尚更のこと、”食うか食われるか” という熾烈な状況の中では、相互理解などというのは単に相手国の弱みを探るだけの情報戦と化すに違いない。特に今回の日中間の争いの中で、致命的なほどに僕が自分自身の認識の甘さを痛く感じずにいられなかったのが、今日に図書館で手にした一冊の書物を通じて知ることになった、”リアルな中国人像” である。中国の人々に関し、まさか、こんなに凄まじい人々だとは夢にも思わなかった。その本のタイトルは『中国の思う壺』といって、日本人の女性が著したものであったが、中国人への差別意識など微塵もない、そればかりか大きな好意を持って中国という国と中国に住む人々のことを記している旅の記憶を記した本。にも関わらず、いや、だからこそか、圧倒的なまでにリアルに巨大に理解不能なほどに、異様なまでの文化の違いに言葉を失わずにいられなかったともいえる。正直、あまりに驚きすぎて腰が砕けそうになったくらいだ。(ここまで文化が異なってくると、人間の質が違いすぎると、相互理解を期待するほうが無理な話なのでは?)極論として、そこまで言いたくなる人がいても何らおかしくはないだろうと、この本を読みながら思った。以下に、この実に抱腹絶倒な一冊の旅のガイドブックの中から、興味深い一節を太文字で紹介したく思う次第。-------------------------------------------------------------タラップの下で、機内の通路で、大きな荷物をお互いがお互いの顰蹙を買いながら、自分の道を拓くことだけに必死で、悲しくなるほど譲るということを知らない。指定された座席のナンバーを見て、誰を最初に通し次に何をどういう順番で片付ければ合理的に事が進むかということを、どうして多くの中国人が考えようとしないのだろう。人が集中するところでは必ず皆が怒っているのだ。(『中国の思う壺』中から文章の抜粋)『中国の思う壺』 小田空 著http://item.rakuten.co.jp/ishigantoh/book_china-01/------------------------------------------------------------------中国人とは一体何者なのだろう?-----そうした問いを内に掲げる時、僕ら日本人が普通に当たり前の生活観念と捉えている物差しで彼らの実像に対峙し計ろうとすると、そうした目的は必ず破綻へ行き着く。一般的な日本人の想像力・理解能力(そうしたものが存在すると仮定して)の範疇を、脱力するほどに途方もなく、あまりにも凌駕しているからだ。日本人が中国人に対し、剥きだしの嫌悪感を浮かべる理由とはどこにあるのだろうか?。僕は次のように考える。人間の本性や業といった、ふだんは闇に隠された獣の匂いを強烈に嗅ぎ取るからではないだろうか?と。彼らはそういったダークな部分を、一切の飾り立てを持たないまま、そのままに、混沌に満ちた己の人生を生きている。だからこそ、彼らは汚く、野性剥きだしで、僕ら人間がこの世に生きるということの本質を一寸の狂いもないまま、世界中の人々に、人類の歩みに宿る業と悲哀を無言で伝えている。しかし、である。勘違いしてほしくないのだが、今日の日記の本題は、中国=狂人国家という偏った思考へと日記の読者を導くものではない。あくまでも基本的に相互理解の道を探ることを信条とする一介のロマンチストの夢物語と現実を知るたびに沸き起こる葛藤の狭間で揺れ動くPASSIONを感じ取ってくれて、且つ、まことの平和への願いを多くの人々が自分自身の内なるテーマとして真摯に考えることを望む・・・・そういう類のものであると理解して欲しい。だからこそ、次にこんな言葉を紹介したくなってくるというものなのだ。今日に図書館で手にした別の本の中で目に止まった文章の一節。-------------------------------------------------------------「日中友好、オレたちの願いだ」と言ったあのおじさん。実はその前に、「日本語知ってるよ、アイウエオ!昔習った。」と言った。僕は俄かに、皇国教育のことだと気付いた。僕はその時のことが忘れられない。日本人である僕を責めるのではなく、屈託のない笑顔でそう言ったから。(「関口知宏の中国鉄道大紀行」より)-------------------------------------------------------------まあ、それはそれとして、兎にも角にも現実問題、日中友好などという民間レベルでの甘い期待になど今のところ想いを馳せる余裕などないことだけは確かのような気はする。下手すりゃあ戦争前夜な状況なのは確かなのだから。ということで、昨日あたりから僕の脳裏に走馬灯のように浮かんでやまなかったのが、イタリアの何百年も前の古い時代に生きたマキアヴェッリの幾つかの言葉である。そのなかの二つを以下に太文字で紹介したい。「個人の間では、法律や契約書や協定が、審議を守るのに役立つ。しかし、権力者の間で信義が守られるのは、力によってのみである」「戦いに訴えねばならない場合に、自国民からなる軍隊をもっていない指導者や国家は恥じてしかるべきだと思う。なぜなら、そのような軍隊を持っていないということは、自国内に兵士に使える人々がいないということではなく、自国民に、自衛のために立ち上がるという気持ちを起させることが出来なかったといいうことを示す意外のなにものでもないからである。」(マキアヴェッリ)加えて、田母神俊雄さんの著書から文章の抜粋も以下に・・・日本人として次の貴重な言葉を引用したいのはリアルに当然のことです。------- 今の日本人は、自分で自分を守るという意識が本当に脆弱になっています。国民が政府に依存するという、間違った方向に政治が誘導してきた結果です。我々の親の世代の日本人は、「人の世話になるのは恥ずかしいことだ。地べたに這いつくばってでも、自分の力で生きなければ」という強い意志がありました。今の若い人たちにはそういう「石にかじりついても」という考え方は少ないようです。「時代がちがう」という言葉では片付けられない日本人の精神的変節です。-------------- 経済大国は、軍事大国にならざるをえないのです。軍事大国にならないと、「日本は世界の治安の安定に貢献しません」と言っているのと同じだからです。経済力に応じた軍事力を持って、自分の国を守れてこそ、地域の安定に貢献できるのです。-------------- アメリカは民主主義国家ですから、日本が人権弾圧を受けるなどといったことが起きる懸念はありません。ですから、前にも言ったように、「アメリカの属国になるか、中国の属国になるか。どっちか選べ」と言われたら、アメリカの属国になるほうを選ぶしかないのです。中国を選んだら、日本もチベットのような国になるということです。--------------あるところで先日、「中国が攻めてくるのではないでしょうか。攻め落とされて、チベットやウィグルみたいになるのではないでしょうか」と真剣に質問してきた若い人がいました。私は、「自衛隊という常備軍が日本にはあるし、日米安保もあるし、いざとなると国民が団結するから大丈夫だ」と答えました。しかし、これからの日本を背負って立つ若い人に、国がそういう不安を与えているのは大問題です。「国民よ、団結して頑張ろう」と総理大臣が熱っぽく言えば、日本人は、本当はまとまるのです。(田母神俊雄)-------先程、とても勉強になる記事をネットで発見。『腰抜け外交で中国ますます“増長”』http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_japan_china3__20100925_4/story/25fujizak20100925002/とまああ、今日の日記の論点が何処にあるのかサッパリ理解できないなどという鋭いツッコミが舞い込むことを百も承知で、次に太文字で紹介する著名人の言葉を、今日の日記の締めとして紹介したい気持ちを抑えることが出来ないことは確か。自分で言うのもなんだけれど、とても矛盾していると思う。つまりは最初のテーゼに戻りたいわけでもないのに振り出しに戻るようなもの。”相互理解こそ、大事” という命題への振り出しへ。実に矛盾していることを書いているのだが、しかし、こうした激しい混沌の渦、矛盾の洪水の中を前に進むということこそ、僕らの人生の本質そのものでもある・・・なんて言い訳がましく記しつつ。-------日本には正確でまともな中国情報は極めて少ないことをまず認識する必要があります。良質なインテリジェンスがあって初めて、政治も外交も存在するからです。この事実を腹の底から何度も確認しない限り、日本の「外交敗北」は続くでしょう。-------(青木直人)勿論、中国にとっても、日本という国が本当は何を考えているのかを判断する情報材料が極めて少ないことは確かでしょう。最終的に、率直で正直なところを日記の本当の締めとして書きたいのだが、---僕は中国の映画がとても好きなのである---だから、争いごとなど、なんとかすぐにでも両国ともに頑張って回避してほしい、くだらない争いは今すぐにやめてほしい、お互いに解決の糸口を真剣に探り覇権ではなく共存・平和への可能性を模索してほしい・・・と声を大にしていいたいわけです。ね、あなたも、そう思いませんか?。たぶん中国の民間人の方々の多数か少数かは分かりませんが、少なからずの人々が皆、そう思っているような気がします。あなたが苦手な人こそあなたを成長させてくれる存在である・・・他者を理解するということと民族・文化の違いを知るということと争いを回避するということは深い部分でイコールで結ばれていると捉えるのが古今東西、この世の真理であると考えるからです。では、また次回の日記で逢いましょう
2010.09.25

上手く言葉では説明できないんです。今年に入ってから自分に訪れた数々の出来事と、それらを結びつける因果みたいな何かが照らし出す物語性みたいなものが、まだ自分でも順序だてて上手く見えてこない。そういうことってま僕に限らず誰にとってもあるように思います。特に僕の場合、今年になってから齎されることになった多々なる成長の機会は上記したようなことが実に洪水のようであったといえましょう。後でふりかえれば、きっと、2010年という年は自分にとって何らかの転換期として思い出すことになるはず。自分の人生を大きく変えることになった一年として。まだ2010年をふりかえるには早いことは百も承知で、敢えてこの9月という季節に、歩みを少し止めて、この9ヶ月間に自分が経験したことの数々を思い出してみることには何かしら意味があるように思う。それはどうしてかというと、-----少しだけ遠い過去のエトセトラをふりかえってみることで、いっけん如何なる脈略がなく繋がりを帯びない様々無数の事象が、これが不思議なもので、目には見えない赤い糸で少しずつ確かに運命のドラマを紡いできていることに気付く-----ふと、そんな風に思えてならない瞬間が多々あるからです。つまり、時間と場所を越えて、様々な出来事が、ここ9ヶ月の間に渡り、いや正確にいえば昨年の末、いや実は数年前から、とあるひとつの物語が同一の線上において紡がれていることに、最近になって気づいたというのが理由の主要なる位置として挙げられるのです。兎にも角にも、僕にとってこの2010年という一年は、とても大きな意味のある一年となっていることは確かで、それは自分にとって一生のうちに何度も何度も起こることはないであろう稀にみる転換期・成長の機会となっているといっても決して過言ではありません。そして、そうした近年稀にみる大きなドラマの息吹を根底から支えているのは、----- 美しい海が象徴する壮大な何かへの、憧憬 -----と同時に、憧憬の対象としての美しい七色に煌めく瑠璃色の海、藍色の海が、遥か遠い土地にのみ存在するのではなく(数年前の自分にとってはまさしくその通りだった)、実は、自分が生活している身近でリアルな、この北の地においても、確かに存在していて、僕らの命を彩っているということを肌感覚で理解することが出来たことへの自覚と誇り、そして自信・・・それから少しずつ湧き上がり続ける未来への淡い期待と夢。つまり、言葉少なく簡潔に詩的な表現で綴れば、次のようなことになります。------- 森の中で、海をみつけた -------余談でありますが上の写真を撮ったのは今年の6月、ここは東北は福島県の山の中に沸く温泉地、有名な高湯温泉の露天風呂・・・実に素晴らしい温泉でした。この場所で唐突に目が開かれたのでした。さて話を少し戻し、-------森の中で、海をみつけた-------これは実に抽象的な説明ですね、理解してもらうのは難しいかもしれません。僕自身にもはっきりとまだ力強い手応えが感じあられるほど理解出来ているわけではないのですから、他者であれば尚更「いったい何が言いたいの?」と思われることがあっても当然でしょう。しかし、20年以上の長い歳月に渡り、沖縄やギリシャの青い海へ憧れ続けてきた一介の北国に住む人間にとって、自分が住み日々生きているこのリアルな現実の中にも、言葉に出来ないほどの感動を心に運ぶ美しい風景やドラマが確かに圧倒的なまでに無数に存在していたことに目が開かれたことは、これは自分にとってエポックメイキング的な、人生を大きく変える、まさしく事件のようなことだったわけですよ。こうした気付きに至るまでには、まあいろいろな伏線があったのですが、この伏線というのが面白いもので、今年の枠だけでくくられる話ではなく・・・・・自分自身が自覚出来ているだけでも少なくとも昨年の後半から複数のドラマが同時に進行している・・・この話はまた別の機会を設けて日記に書くことにするとして、以下に先日に訪れた、とある北の国が誇る美しい場所を映した幾つかの写真をアップしましょう。瑠璃色に煌めく海のような色彩をしていますが、これは鳴子という町の山中にある ”みずうみ” です。最近、出逢った、森の中で煌めく、神々しいほどとても美しい湖。生きることって、時に苦しいことの連続でもあるわけだけど、だけど、世界って、人生って、人間って、人間と人間の狭間を生きることって、この世を生きることって、救いようのないまで汚くつまらないことだらけで構成されているわけではない。こんがらがって複雑にからみあい、人々を不幸へと追いやり、少なからずの人の身と心に哀しき病いを運んでいる事柄のエトセトラの組成を読み解く術へ目が開かれ、それらへの処方をうちに編み出し、現状を変える正しい努力の仕方を理解し実践できるようになれば、おのずと光の扉は開かれる。2010年の後半に、9月の訪れを迎えた今、僕はそう信じています。 もう既に秋の足音は聞こえている。しばらくすれば皆の心に、金色に輝く実り豊かな収穫が沢山齎されることでしょう。林檎のように栄養いっぱいの収穫が、燦燦と、宝物の如く。では、また次回の日記で逢いましょう☆
2010.09.07

佐藤優氏の最新記事が冴え渡っている。9月10に大阪地方裁判所にて厚生労働省の村木厚子被告人へ無罪が言い渡された件についての佐藤優氏が綴った記事のこと。記事中で佐藤氏は次のように述べている。以下に太文字で記す箇所のことであるが、その箇所を読みながら僕は鳥肌が立ってしまった。あらためて、時代の流れを感じた次第。着実に時代は前に進んでいるのだと実感し、拍手喝采の念に駆られつつ感動の鳥肌が立たずにはいられなかたったのだ。----- 特捜部の取り調べは、はじめに筋書きが決められており、それにあわせた調書が作られていく。この特捜検察の常識が、村木事件では通用しなかった。国民の集合的無意識の部分で、検察の正義に対する信頼が揺らぎ始めている。 -----(佐藤優)【佐藤優の眼光紙背】村木厚子元厚生労働省局長に対する無罪判決http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_kensatsu2__20100910_3/story/gankou_5001707/←クリック「国民の集合的無意識の部分で、検察の正義に対する信頼が揺らぎ始めている」 このユングによる有名な言葉を引用しつつ、”国策操作” ”冤罪事件” に象徴される検察権力による強引で偏った異常ともいえる独善体制が今たしかに少しずつ終焉に向かいつつあることを記す佐藤優氏の力強い言葉に、僕は映画「ゴールデンスランバー」のラストで描かれることがなかった、かすかな希望の光を見るような想いがした。多くの日本国民が同感の想いを内に抱えていることと推測する。 さて話を変えて、以下に一昨日(8月9日)に発信した日記文章を再掲載する次第。----------------------------------------------------------------鈴木宗男衆議院議員が近いうちに再び塀の中に収監されるようです。このニュースを今日知り、すぐに民主党の小沢氏と官僚との軋轢が脳裏を過ぎったのだけれども(多くの人達が同じように思ったことでしょう)、これは官僚から小沢氏への警告もしくは宣戦布告みたいなものというか、水面下で壮絶なバトルが繰り広げられているのだろうと素人考えで推測していたところ、実にグッドタイミングで佐藤優氏が記事を書いていました。【佐藤優の眼光紙背】なぜ最高裁はこのタイミングで鈴木宗男衆議院議員 の上告を棄却したか?http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_muneo_suzuki__20100908_4/story/gankou_4996747/ ←クリック!!政治の世界は生き馬の眼をくりぬく世界だと言われますが、政治家VS官僚のバトルはそれを遥かに超える相当に酷い世界なのでしょう。どちらにせよ、この醜いバトルにおいて”国民” が完全に不在であることだけは確か。なんと人迷惑な話。まあ様々なメディアが毎日声高にアナウンスしているような小沢=悪の権化のイメージに洗脳されてしまっている人が国民の殆どだとしたら日本はこの先真っ暗闇かもしれませんが、ネットによる調査では意外や意外、国民の多くが小沢氏を支持する、そんな世論へと以降してきているようです。話は少し変わるけれど、いま空前の大ヒットを記録更新中の映画「ゴールデンスランバー」で描かれる世界って、実際のところ、SFの世界でもなんでもないわけで。誰にでも起こりうる、日常に潜む世界というか、まあなんというか官僚の暴走も相当に怖いけれど、現代日本は半端じゃなく怖いものだらけに囲まれていることは確かです。本当、日本は一体どうなってしまうのでしょうか。官僚が国を滅ぼすのか・・・?、それとも政治家が国を滅ぼすのか。はたまた、この国を亡骸の地へと追いやっているのは、我々日本人すべてなのか?。どうなんでしょうね。 http://item.rakuten.co.jp/book/6458619/---------------------------------------------------------------- 今日の日記は後で消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『光から愛される人生』←クリック『北国で瑠璃色の海』←クリック『花は好きですか?』←クリック『温泉浪漫』←クリック『健康第一主義』←クリック上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2010.09.06
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