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昨年末、僕は体を壊し失意の中にいた。普通に歩けないほどの酷い腰の痛みで仕事に支障をきたし困っていたところ、徐々に歩くことに支障をきたすどころの話ではなく、朝に目を覚ましても布団から起き上がれないくらい腰の痛みがエスカレートしていったからだった。いやあ、困った。これから一体どうすればいいんだ?仕事が出来ないじゃないか・・・・・。そんな風に失意の中にいたのだった。しかし、今思うと、あの時に自分が陥った失意の境地というのは、あたかも自分が真っ暗闇の中を光を見失い彷徨っているような感覚だったけれど、実はそんなことはなく、僕にとても大事な未来へと目を開かせてくれていたのだということが分かる。今なら分かる。勿論、そんなことはあの頃の僕には到底想いも及ばないことであったが。体を壊したこと、これには当然のことながら、確固なる原因があった。それを知るために、自分自身、あらゆる沢山の、この世を豊かに生きるために必要な当たり前のことを学ぶ必要があったといえる。本当に大事なことを、それまでの自分が知らなかったから、偶然ではなく当然の如く必然として、体が壊れていったのである。上記したような ”大事なこと” を知るために大病の一歩手前で何とか踏みとどまりつつ、僕は天から執行猶予を与えられた。つまり、----- 悪い生活習慣を改善し、己の心の中の悪い部分を改善し、体質をも根底から改善させ、美しい生命体として生きる可能性に目が開かれるために必要な様々な気付きと知恵に至るまでの時間を君に与えるから、自分自身で本当に大事な何かを探りなさい -----そんな天からのメッセージを受けてか受けずしてか定かではないが、まあそんな感じで何とか命をつなぎとめることが出来たのであった。まさに、人生万事塞翁が馬。最悪の災難が我が身に降りかかったと当時の僕は思い込み失意の只中にいたわけだけども、いま振り返れば、実際は、そうではなかったわけだ。あの失意の日々がなければ、恐らく僕は今でも鈴木秀子さんという素晴らしい作家の本に巡りあうことはなかっただろうし、免疫三銃士と呼ばれる偉大な人々(安保徹さん、石原結實さん、福田稔さん)の本に出会い巨大な感銘を受け我を忘れるほど読み耽ることもなかったであろう、また、温泉という日本が世界に誇る素晴らしい文化と出会うこともなかったはずだ。また、ドラッカーの本を書店で手にしても「なんか難しい内容の本だね」で終わっていただろうし、そして、10日ほど前たまたま手にした奇跡のように素晴らしい本『すべては宇宙の采配』(木村秋則さん著)を読み解き理解することも出来なかったであろうことは確かであろう。すべては必然のもとに進行している命のドラマといえる。なぜ、必然のもとなのか?それは僕が、自分がこの世に生を受けたことの意味を問い続け、何度も何度も無数に天を仰ぎながら真実を教えてほしいと願い続け、そんなふうにバカっぽい己の人生を生きてきたエネルギーの集積に対し天がちょっとばかし救いの手を差し伸べてくれて僕に光のベクトルが宿してくれたからだともいえる・・・・・かもしれない。まあ詳しいことは、いまだ僕にはチンプンカンプンだけど。とにかく、四十を過ぎて、ようやく心の平穏というものが、すこやかに生きるということが我々に齎す至上の美というものが一体どういうものなのか、それがなぜに人にとってとてつもなく大切なものなのかを、知ることが出来たのだといえます。そして、究極の愛という命題と向き合い続けてきたことで、ようやく崇高で眩いばかりの美しい光が、少しだけ見えてきたといえます。http://item.rakuten.co.jp/surprise-web/aznnsds-11503/↑上にリンクを貼ったDVD、凄いです。数週間前に図書館で目にし何の気なしに借りてみただけの映像資料だったのだけれど、鑑賞しながら、まさに口あんぐり!なにこれ!!すごすぎる!!!と唐突に驚愕したのでした。そういう経緯があって木村さんの本『すべては宇宙の采配』を手にすることになったわけです。東北では木村さんはまさにヒーローの如き存在で超人気者なのだけれど、ああなるほど、こんなにも素晴らしい人物であればこれは当然だと納得。http://item.rakuten.co.jp/book/6115366/なんて感じで半ば笑いを交えつつ今夜も文章を紡いできましたが、この一年を振り返れば、今こうして微笑んでいられることが、実に奇跡のように思えて仕方がないことも事実なんですよ。こんな愚かでアホな、ちっぽけな存在でしかない僕を、この地球上に生かしてくれている存在がどこかにいるという事実に感謝。何度も何度も自暴自棄に陥ったものだったけれど、こんな僕でも救う神はいるのです。いて、くれるのです。まったくもって涙が出てくるぜてなもんです。感謝しかありません。否、深謝です。こんな僕だから、これからも色々あることでしょう。だけど、これまで以上に愚直に、懲りもせず泣いたり笑ったりを延々と繰り返すかもしれませんが、こんなバカで哀れで弱い自分でも、美しいものは美しいと素直に声高に言えるような、そんな風に健やかに崇高な光と共にこれからも在れれば幸いだと願います。 2010.10.15さて、上記した文章、これは実は数日前にパソコン内のワードソフトで書いたものである。書いた直後、いざブログ日記として発信しようとしたその瞬間、なぜかパソコンがいうことをきかない・・・つまりフリーズしたり制御不能と化したりして、何度もトライしたにもかかわらずダメで諦めた経緯があった、そんな文章なんです。あたかも、「今じゃない、もう少し待て・・・」、そんなふうな声なき声に諭されるようにして発信を中止せざるをえなかった文章。あれから幾日が過ぎ、現在の僕は新たなエネルギー、想念の光に辿り着くことが出来た。真剣に考え、真摯に天を仰ぎながら考え抜いた後、ふと思考を手放し何もなかったようにして宇宙から美しく透きとおった光を受け取り少しだけ祝福されることが出来た。少しだけなのだけれど。たとえ、少しだけにすぎないとしても、嬉しいのです。ああ、そういうことだったのか・・・・・そう、微笑みの中で光から少しだけ祝福されているような至福の感覚につつまれるから、嬉しいのです。それはそうと。このあいだ図書館で読んだ鈴木秀子さんの本の中に、こんな言葉が紹介されていました。手が不自由な画家が口に筆を加えながら素晴らしい絵を描いた・・・その画家の展覧会で、彼の書いた詩が沢山の人々の心を打ったという箇所で記されていた言葉です。-----蕾というのは、苦という言葉ととても似ている-----記憶違いでなければ、おおよそ、そんな意味合いの言葉でした。 その箇所を読みながら涙が溢れたんです。そうか、自分がこの世を生きていることの苦しさも、花がいつしか美しく咲こうとする意思の結晶=穢れなき蕾のようなものなのだな。なるほど、そういうことだったんだな。と合点がいったら、宇宙に対し感謝の想いが、ありがとうの想いが我が身に溢れたのでした。で、この話にはまた後日談があるのです。とても不思議な話です。10年前の自分であれば理解不能であったことであろう、そんな不思議な話。敢えて今はここに記しません。いつか、日記に記すことになるかもしれません。何はともあれ、燦燦と至上のエネルギーが子らの満面の笑みの如く美しく渦巻く永遠の一瞬、その瞬きに宿ろ共に在る究極の愛、虹の粒子、無限の光の流れを志向することこそが全ての命に本来与えられた使命であるといって過言ではないと思うのです。人間社会というのは、人類の歩みというのは、実に滅茶苦茶で哀れなほどの醜さの集積であるかもしれないが、しかし、本当はこの世とは、宇宙とは、目が眩むほどに完璧で想像もできないほどの輝度でもって燦燦と美しいと考えて間違いない。 では、また次回の日記で逢いましょう
2010.10.17

情報は食物であり栄養である。どんなものを摂ったかで、自分自身の体の状態に齎す作用は自ずと違ってくる。ゆえに情報の選定と摂取はより慎重に行うべきだ。これは情報や、その膨大な貯蔵ソフトのひとつである書物ばかりでなく、音楽であって映画であっても、恐らく如何なる芸術・スポーツ・娯楽エトセトラetc・・・人間の生の営み全般におけるすべての「何か」に対しいえることかもしれない。全ての人間は絶えず迷いの中で自問自答を繰り広げ前進しているが、その前進を可能にしているのが実は、人が選別した「何か」の質の如何に由っていることを忘れてはならない。量ではない、重要なのは ”質” なのである。加えて ”バランス” も忘れてはならない重要事項といえる。情報といは無機質なものでは決してない。煮ても焼いても食えない代物など、情報と呼ばないのだ。真の情報とは、”心が宿る” ものなのである。命の体温があたたかく息づくものなのである。情けを忘れない、情けに報いることの大事さが中心にある=それが真の情報の意義なのである。春に美しい花を咲かせるもの、それが本当の意味での、真に大事な究極の情報なのである。 そんな風に常日頃考えている身にとって、現代日本の政治の混迷や、官僚の天下りに年間使われる我々の税金が約12兆円であるにもそうしたことに多くの人々が声を荒げずに何をトチ狂ったか鈴井宗男氏や小沢氏を糾弾すれば万事休すなんて呆れた方向になだれ込むのか?!、そういう実にドブ水の如き ”未来への志向を伴わない混沌さ加減” の愚かさ・無駄さ加減に辟易している身にとって、今もっとも関心を寄せ日夜を問わず読み耽っている幾つかの書物の著者である著名人を ---7人--- 、そう「黄金の7人」などという昔のエロティックなイタリア映画のタイトルが照らし出す黄金比率の様相を燦燦と携え以下に7つに焦点を絞り列挙することにしよう。アイウエオ順で。大前研一氏木村秋則氏桜井正氏佐藤優氏鈴木秀子さん滝川クリステルさんピーター・F・ドラッカー氏こうした話題・テーマは自分自身にとって実に興味深く、また研究しがいのあるところなので、これからも多々なる思索と実践の連続の線上で何らか答えを模索してゆきたく考えている次第。また似たテーマで日記に文章を綴りたく思います。さて話を少し変えて、約一週間ほど前、僕は非常に頭がこんがらがっていた。非常に頭がこんがらがりながら、何とか心のバランスを計りつつ、次のような文章をブログ日記に紡いだ。バカなりに真剣に言葉を紡いだ。以下にその文章(一度削除した日記内から)を復刻しよう。あまりにもナイーブすぎる、あまりにもバカすぎる、あまりにも途方もなく稚拙であるかもしれぬ想いが青い炎のように燃えているのを感じ取ってくれれば嬉しいが、別に、何らの実りをこの日記の読者に齎すものではないことは保障つきかもしれないが。--------------------------------------------------------------もし、自分が神様なら、本当に大事な真実(まことに実ると書く言葉です)は、自分が、 「この人は、こころある人だなあ。この人は、人類の、地球の未来を任せられるかもしれない存在のひとつかもしれない」 と思える人にだけ知らせたいと考えるでしょう。もし、自分が人類の未来を破滅から救う術を知っているなら、上記したような、自分がもし神様だったなら、という問いかけにおいて思いついたような選定でしか、僕は本当に大事なこの世の真実を、誰かに教えたいとは思わない。なぜなら、いま地球上に生息している、おびただしい数の人類の多くが、もし、地球という生命にとって、下水道に蠢く病やウィルスといった程度の存在でしかないと仮定した場合、本来、地球が僕ら人類に日々沢山のヒントを与えているにも関わらず、それを無視し、自らの病を中和したり浄化しようとする人々が圧倒的に少ない場合、緊急非常措置として、地球は人類を抹殺してまでも、地球という生命体を未来へ生かそうと考えるに違いないだろうと思うから。--------------------------------------------------------------上記した、自分が一週間前に世に発した文章を再読しながら思うこと・・・は以下の通り。ハッキリ言おう。卑屈にすぎやしないか?。ケチすぎやしないか?。自分でいうのもなんだけど、情けないじゃないか。もっと自信をもって力強く、世界へ向けて己が考え信じる想いを声高にアナウンスしたほうがベターANDベストだと思わないか。とはいうものの、正直なところ、一週間前に自分が日記に書いたことへの処方、力強く明確な答えは、いまだ自分の中で出てはいない。だけど、小さな些細な、うっすらとした光が少しだけ見えてきているような淡い予感に包まれている、そんな気がしないわけでもない。って、まあ・・・・・四十をすぎて、難しい年頃である(笑)。そんなこんなで明日も、なんとか前に進むことにしよう。本当に大切な情報を求め、それを実践し続けることで見えてくる光を少しずつ受け、人が逞しく生き続けることの意義を捉え自分を鼓舞し、勇気の火を己の内に灯しながら。僕はとても弱い人間である。年がら年中、どうして自分がこの世に生かされ生きてゆかねばならないのか?と暗中模索の中で自問を繰り広げ、涙の洪水の滝壺に身を潜めつつ、何の因果かこうして生きている。おそらく数千年前の時代にインドに生きたブッダだって、こんな感じで哀れな人生を迷い過ごしていたのではないだろうか。たとえ一寸先は発狂だとしても。きっと、この日記を今読んでくれている「あなた」だって似たようなものだろうと思う。だからこそ、愛って何なのだ?人間って一体何なのだ?!!との自問自答に日々向き合ってしまうといえましょうし、だからこそ、ひとりひとり皆、各々の ”強い意思の在り方” が問われるのだともいえる。あなたの左腕には、強い意志が宿っている。あなたの右腕にも、強い哲学が息づいている。あなたの頭脳には、心には、永遠を見据える崇高な ”知恵が” 、宿っている。では、また次回の日記で逢いましょう
2010.10.12
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