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つい何日か前、自分のHN(ハンドルネーム)を変えました。変えることにたいして別に未練は殆どありませんでした。未練を持つほどの愛着もなかったからといえば嘘になります。それなりに愛着のあった名前だったからです。にも関わらず、躊躇うこともなしにHNを変えたことにはワケがあります。以前に、約5年と数ヶ月に渡り使用していた ”ルカの街並” というHN。現在、この名前をそのまま使い続けることに対する必然性を感じなくなってきたということが、まず第一の理由。これが一番大きいですね。しかし、だからといって、ルカの街並というHNを使ってきた時の流れは全て無駄だったのか?というと、全くそんなことはありません。HNを変えるということ、それは現在の自分にとって必要で重要な変化であり、いま自分が新たに作り出している小さな流れというのは、実は過去の流れからの断絶を一切受けていないばかりか、本質的な部分を的確に抽出した上で、その流れの上に己が在り続けることから目を背けていないという点において非常に意味のある行為であったと僕自身は捉えているのです。さて、話は変わって。つい数週間前に ”七つの海を越えて、あなたが世界へ旅するための序章”などと銘打った日記シリーズを幾つか発信していました。こうした日記タイトルの選定に関し「意味わかんない」と首を傾げている方々も少なくなかった、いや多かった、もっと言ってしまえば殆どの方が眉間に皺を寄せていたかもしれない(笑)ことと想像しています。では、あれら一連のミステリアスなタイトルに込められた何かというのは、単に意味のない言葉遊びとして編み出された軽薄なサムシングだったのでしょうか?。バカをいってはいけません(爆)。僕はそんなに暇人ではないのですし、自分にとって或いは他の生命体<つまりは全ての生命の集合体>にとって如何なる重要と思われない対象に多くの時間を割くほどに無垢ではないし破廉恥なほどに計算高くもない。-----説明が困難なほどの強烈な覚醒へと到るために必要な幾つかの事柄-----そのような事柄が自分の背中を押し更なる光の高まりへと上昇できそうな予感から派生した ”願い” のようなものが込められていて、そして、自分でも上手に説明の出来ない、言葉にならない、言葉を超越した光の地平線への眼差しへと駆り立て、しかし且つ、人間の業として言葉や想いへと向き合わせ同時にそこから離れることの繰り返しの中から逃げ出すことなく、神の声を眩しいばかりに大自然の中から宇宙の中から音もなく聞きなさいとのメッセージを添えて、僕だけでなく、全ての命の輝きを後押ししてくれていた・・・・・ゆえに形容し難いほどの難解さと大いなる安らぎ、そのふたつが織り成す混沌のエネルギーは相当に説明困難な代物であり、それはその時の自分に必要な渦であった・・・たとえそれが的確に表現出来ない状況であったとしても・・・そのように少し前の自分の言動を振り返っています。まあなんというか、変化が訪れる瞬間というのは誰にとってもそういうもんです。理屈は後からついてくるみたいな、そういうもんなんですよ。 もし、あなたが今、正しく生きていれば、人生は美しい。途方もなく永遠に触れることが可能なほど、目も眩むほどに・・・美しい。望むもの、あらゆるものすべてが、あなたの想うがままに運ばれ構築されてゆくでしょう。もしも、あなたが、自然の流れと共に、正しく生きてゆくならば。あなたが、もし仮に、金色の光の渦、全ての命を永遠へといざない七色の光に煌めく究極の時の流れを生きる者であるのなら、そのように生きてゆきたいと願うならば、上に太文字で、稚拙な表現を何ら恥じることないまま刻んだ5行のエトセトラは、必須条件です。そんなふうに僕自身、自分にとっても重要な自戒として内に掲げながら、無駄な事柄の連続・集積であったに過ぎない自分の人生を、これからも少しずつ、豊かな色と更なる輝度でもって美しく彩ってゆきたいなあと考えています。それはそうと。正しく生きるって、いったいどういうことですか?。なんてツッコミが入りそうですね。-----正しく生きることとは一体なにか?-----それを知るために、僕もあなたも誰も彼も、業を生き、また、生かされているといっても何ら差し支えないかもしれないほどに深いテーマであり、そうしたテーマから離れず、忘れず沿うように自分の脇に置きながら生きていると、時に天から贈り物をもらうような感覚になることがあります。どんな贈り物でしょうか?。些細な贈り物にすぎないかもしれないけれど、それは眩しいばかりに煌めく崇高な光・女神の微笑みとしか形容し難い天からの祝福を浴びる瞬間に等しいといえるわけです。と同時に、なによりもまず、現代日本を生きる少なからずな人々のように精神を病んだり、毎日のように報道を賑わせている自殺他殺といった殺傷のエターナル・バミューダ・トライアングルの渦から解脱することが出来ないまま、その渦の激しさばかりがエスカレートしてゆく地獄を永劫に生き続けることになる愚かさや惨めさから自分を解き放ち、まるでそれが当然のように、健やかに笑顔で人生をまっとうできるかもしれませんし、また、いま九州を震撼させている牛の命を巡る恐ろしい疫病だって人類は本来、回避出来ているかもしれないのです。生きていると、誰にとっても色々ある。荒波が時に襲い掛かる海の上を旅する航海なのだから、色々あるのは当たり前のこと。そんなふうに誰にとっても例外なく色々ある人の生の中、----- 光から愛され祝福される人生を選びたいものだ -----と思う。躊躇いや迷いを内に抱えつつ、それでもなんとか日々、己の内なる羅針盤の調整を行い、笑顔を忘れずに前に進むことの混乱と浪漫の波そのふたつのはざまで揺れる航海=僕らの人生があるのだから、これが航海なのだというリアルな現実の厳しさから目を背けずに前に進み続けたい。そんなふうに己に言い聞かせ気合を内に生み出すことでしか見えてこないこの世の真実や究極の美、あるいは天から降り注ぐ神々しい光の粒子の洪水のような煌めきや圧倒的な言葉も出ないほどの安らぎというものって確かにあると思うし、それがこの世を豊かに生きるということなのかもしれないと考えるから。では、また次回の日記で逢いましょう
2010.05.24

----- 心を、自由にしておこう飛びたい時に青空に飛べるように羽ばたきたい時に、軽やかに、健やかに、無垢なまま、羽ばたけるように -----そんな風に、よく思うのです。自分の心をいつだって自由にしておきたいなあ、と。なぜなら、そのようにいつだって健やかな清流のような心のありかたで、自分自身、毎日を生きているわけではないから。つまり、どこか息苦しさに少しばかり囚われながら、いい気分の時があれば悪い気分の時もあるように、あんまり滑らかとはいえない日々を送っているわけです。これは僕に限った話ではないはず。誰だって大なり小なり、生きることに関して、なんらかの息苦しさを感じながら、どうにかやり過ごしているだけのことと想像します。だから、常に一定のリズムで心を激しく揺らさないですむように、心を自由にさせておける術を、青空を清清しく羽ばたく白い鳥のように自由な心であれるような心のあり方を日々模索しながら日々、黙々と生きているのが僕を含めた大方の人間なのだろうと思います。だけれども、心、心、とばかり考え込みながら生きていても、息苦しさが増すことのほうが多くなるかもしれません。暗闇の中でどれだけ一途に「心の健康」を真摯に追求し続けても、多分らちがあかないことのほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。それは何故でしょう?。”心”ばかりに焦点を当てすぎて、”身体”に目を向けることを置き去りにしてしまっているからなのでは?と考えます。鳥が空を羽ばたくことが出来るのは、もちろん空を飛ぼうとする意思があるからであると同時に、空に羽ばたけるだけの身体を保つことから目を背けていないからです。いつだって健やかなあたたかな光を感じていたいと考えるなら、頭でそう考えるだけでなく、あたたかな光を健やかに享受することが出来る丈夫な身体であることが大事。できるだけ毎日、おおらかな心で愛に溢れた人生を歩みたいと願うなら、心でそう願うだけでなく、一年を通じてバランスよく、あたたかでおおらかな愛と光に包まれ続けることが可能な身体であることが必要。どんなに素晴らしい土地や場所へ旅をしたいと思っても、旅するに相応しい身体が自分に備わっていないと、旅の計画が頓挫するのは時間の問題でしょう。幻とリアルを隔てる境界線がそこにあるといっても過言ではないはず。 ----- 季節は音もなく静かに刻一刻と常に変化していることを、人は身近に咲く花々の表情からも窺い知ることが出来ますもちろん僕らの命だって同じように日々刻々と変化し続けています -----4月の初めに魅了された美しい桜の花、それから数週間がたち、野原に菜の花が咲き渡り、そして、すいせんの花々が丘に咲き渡る風景の中で心があらわれ、なんともいえず清清しさを感じた日々。現在、淡いグリーンの色彩に燃えるように、新緑の輝きが山々を彩っている。花々には、新緑には、人と同じように、心があるのでしょうか?分かりません・・・ないという人もいるでしょうし、あるさと答える人もいることでしょう。僕は、ある、と考えてますが。しかし、彼らが仮に心を持っているとして、それが如何に高等で崇高なものであったとしても、季節の移り変わりに耐え得るエネルギーを身体の内に頑丈な鎧の如く持ち得ていなければ、美しさを自ら誇ることさえ出来ないでしょう。 美しい桜は、すがすがしく野一面に咲き誇る菜の花々は、心なごむすいせんの花々の風景は、そして、燃えるような新緑の命の色彩は、僕やあなたの住む町や県あるいは日本という国の枠に決してとどまることなく、どこへでも、望むだけ、願っただけ自由に、遠い世界へ羽ばたく強さを秘めているにちがいない。七つの海を越えて、どこまでも己の命の種子を運ぶことが可能なエネルギーを己の内にも外にも備え、自分だけでなく世界の全てを美しく鮮やかに彩る力を有し、逞しく、時に鮮やかに、心の夢のパレットに拡散され展開される繊細な色彩のシンフォニーを伴いながら内にも外にも響き渡る、愛し愛されながら共に生きる前に進み続けることの共時性が無言で語る深い意味、真実・・・・・それが、永遠へ続く流れに命の粒子が身を置くということなのではないだろうか。いま僕はそんな風なイメージを航海の羅針盤として大事にしています。 さて。あなたの命は、これからどのようなドラマを突き進み、今日、明日、そして遠い未来においても、この世界を鮮やかに美しく彩ることが出来るのでしょう?。僕らは愛を彩りつづけます。今も、これから先の未来も、笑顔のまま。皆が生きてるこの藍色に輝く美しい風景の中で、ずっとこのまま、いえ、いま以上に、この美しく神々しい世界が、藍色にあたたかな愛の光に溢れんばかりにつつまれますようにと祈りながら、心ばかりでなく身体も大切に、自分ばかりでなく他者の存在も同じように大切に、そんな風に強く豊かに生きてゆけることを望みながら、愛の鐘を世界中に至上の音色をまといながら叩き鳴らしつづけるのです。では、また次回の日記で逢いましょう。
2010.05.12

東北には温泉が数多くあります。良質な温泉の宝庫といっても過言ではないほどに、数々の素晴らしい温泉群に恵まれている環境といえるでしょう。僕自身、あまり東北の温泉について詳しくはありません。東北の温泉のみならず、温泉それ自体に関する知識も情報も乏しいというのが正確なところだったりもします。そもそも僕が温泉に興味を持ち、そして心焦がれるように温泉めぐりに夢中になったのは、なんと今年に入ってから(正確に記せば3月に入ってから)。この歳になって遂に遅咲き温泉デビューを果たしました(笑)。なので温泉について多くを語れるはずもなく、これから温泉についての知識を少しずつ深め沢山の素晴らしい温泉を訪れたいと願うばかりです。そんな僕が今年に入ってから訪れることが出来た幾つかの東北の温泉の中で(今回の日記では宮城県と山形県の温泉に限定します)、特に魅了された3つの素晴らしい温泉を紹介しましょう。アイウエオ順で温泉の名称をそれに、加えてその温泉に冠する個人的な感想や著名なガイドブックなどから抜粋した専門的な解説等の徒然を以下に。-----峩々温泉-----http://www.gagaonsen.com/湯質:ナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩・硫酸塩泉 源泉温度58度効能:胃腸病・リウマチ・肝臓疾患特色:胃腸病に効果があると知られる、古くからの温泉。大分の湯平、群馬の四万と並び「胃腸の三名湯」と云われる。熱い湯を直接腹にかける「かけ湯」と呼ばれる独特の入浴法がある。歓楽色を排し、保養と湯治に専念できる温泉。団体や、宴会などは受け付けていない。 (上記に灰色文字にて転載した3行の文章は、Webサイト「日本温泉ネットワーク http://www.terme.jp/miyagi/gaga.htm 」中から解説文章の抜粋)文句なしに素晴らしい温泉宿!。素晴らしいというより、美しいという形容こそふさわしい。そのように思えて仕方がないのは僕だけはないはず。そうです、美しいとしか形容が出来ないのです。圧倒的なほどに、美しいのです。何が?うっすらとした濁りをみせる源泉に煌めく光の粒子が、宿の内外における建築意匠デザインに宿る麗しいほどの美意識・感性が、敷地全体から醸し出される洗練された上質な気品が、そしてこの温泉宿に脈々と受け継がれ続けてきたであろうと想像する深い哲学が。かなり辺鄙な環境に存在する温泉宿であるに関わらず、日々、多くの湯治客がこの希有なる温泉宿へと足を運ぶ理由はそこにあるのでしょう。宿エントランス部分風景内湯風景僕個人的にいうと、今回の日記の中で紹介する源泉の中で一番、言葉をなくすほどに惹かれています。その理由としてお湯が体に自然に絶妙に馴染むことがひとつ。湯に身を浸した瞬間、僕は唐突に、理想の恋人にめぐり会えた感触の只中に自分がいるのを感じた。もうひとつが、上に記述したように、建物や敷地全体から伝わる貴重な秘湯としての奥深さが挙げられるでしょう。分かる人には分かるはず、本当、格別の宿です。-----蔵王温泉-----http://www.zao-spa.or.jp/cat_spaこの蔵王温泉について説明する前に、この一枚の写真を御覧頂きたい。かの有名な蔵王連峰の頂上付近に位置するミステリアスな火山口?、通称「お釜」をして宮城髄一の頂上パワースポットと範疇する人もいる場所を撮った写真です。写真が示す強烈な原風景こそが、宮城側であっても山形側であっても等しく ”蔵王の源泉” の強烈な個性そのものを物語ってあまりあると考えるのは僕だけではないはずだ。さて長い前置きはこのへんにして、山形蔵王温泉の湯質は、酸性・含硫黄・アルミニウム・硫酸塩・塩化物温泉。酸性とはなっていますが、実際は強酸性であり、あの有名な草津温泉を上回るペーハーを誇るとのこと。さすがは蔵王連峰、火山の麓だけはあります。お湯に浸っている最中に湯が目に入ったのですが、その後すぐに瞳に少々の痺れが走り焦りました。それほど強烈な酸性なので、皮膚の強さに自信がない人は長湯は避けるべき。しかし、その分、効能も見込めることは確か。ゆえに一年中全国からこの温泉地を訪れる人々が絶えることがないのでしょう。ということで蔵王温泉の地において僕がお勧めの湯を二つ以下に。”蔵王温泉大露天風呂” 入浴料金:450円http://www.zao-spa.or.jp/spa/higaeriこの門をくぐり長い坂を下りてゆくと、まるで天国のような風景=大露天風呂へとつながる。↑街のいたるところに張ってあったポスターを激写。大露天風呂はこんな感じの場所)今回の日記において紹介する源泉の中で、最も風景が神々しく美しいと感じて時間を忘れるほど心奪われたのが、上記した蔵王温泉大露天風呂です。”川原湯(共同浴場)” 入浴料金:大人200円http://www.zao-spa.or.jp/spa/yokujyoこの共同温泉浴場・・・すごすぎです。好き嫌いを問わず、これは一度体験すべき湯であると確信します。お風呂の浴槽の真下から源泉がブルーのソーダ水のように大量に噴出しているのです。蔵王温泉が如何に強い酸性を誇る温泉地であるのか、その真髄に迫ることが出来るのは、もしかしたらこの全国的にも有名なアグレッシブなほどに強烈な源泉が激しく蒸し返し溢れる共同浴場の他ないのかもしれません。-----鳴子温泉-----”滝乃湯”(共同浴場) 入浴料金:150円鳴子温泉については、説明はいらないでしょう。知る人ぞ知る全国的にも知られる横綱級に有名な温泉地です。とにかく、お湯の色彩が美しい。乳白色に、時にエメラルドグリーンに煌めく豊富な源泉に体をゆだねる贅沢は誰にとっても至上の経験となること必至。ちなみに僕はこの滝乃湯に初めて行った時、感動のあまり2時間お湯に浸ってしまいました。2時間ですよ、2時間。こんな経験は、この滝乃湯以外ではありません。いつまでも湯舟から出たくなくなる名湯。ちなみに、この前のゴールデンウィーク中に行ったところ、この滝乃湯に男性湯だけで30名ほどの方々が入っていました。共同風呂ではありますが以外と広い空間であり、昔話を彷彿とさせる独特の古さ息づく風情がなんともいえず素晴らしいのです。はっきりいいます。半端じゃないです。もし、この日記を読んでくれている方の中で、この鳴子温泉の滝乃湯を知らない方がいましたら是非ご入浴されることを強くお勧めします。あなたの人生が、音をたてて劇的に変わるはずです。特に女性の方々、奇跡のように生まれ変わる”美肌効果”を是非ご自身で体感してください。どうして温泉(源泉)が体に良い影響を齎すのでしょうか?。それには大きな理由があります。東北が誇る世界的な免疫学者である安保徹さんの著書「自分ですぐできる免疫革命」から、興味深い文章箇所を以下に。--------------------------------------------------------温泉の効用は、第一に体温を上げることが大きいのです。体温が上がるということは、血流がよくなることです。病気の人はみんな顔色が悪いのですが、それは血流障害が生じているからです。だから、血流をよくすることは、健康になって免疫力を上げる条件です。(中略)家の入浴よりも温泉のほうが効果が高いのは、ミネラル分が含まれていることと、体内の酸素を奪うことによる血管拡張作用が強いからです。--------------------------------------------------------http://item.rakuten.co.jp/book/4268794/それと、温泉についての教義的文献として、これ以上は望めないのではと思えるほど深く充実した理想的な書物である「温泉の文化誌」から少しばかりの抜粋をば。--------------------------------------------------------温泉が効くのは、主として、体質、とくに人体(動物もそうですが)細胞とそれをつらねるこうげんのリクリエーションに役立ちます。疲労とは疲労素の蓄積により、肉体全体が酸性化することですが、ひどくなると、うつ病や更年期障害、(中略)、こういうときは、ちゅうちょなく温泉へ飛び込むべきです。本格的湯治は長期間かかりますが、一週間くらいの短期間でもよいですから、休養して湯治すべきでしょう。肩凝りや腰痛も同時にとれます。--------------------------------------------------------http://item.rakuten.co.jp/book/709919/最後に、高名な絵描きさんである横尾忠則氏が著した「温泉主義」の中から、特に強く印象に残った文章箇所を加えることで、今日の日記のお開きとする次第。--------------------------------------------------------ぼくは何も期待しないまま草津に来た。Mさんの意思に従ったまでだ。一人苦しんでいた病がこのまま治ったとしたら、まさにぼくは草津に導かれたということになる。実は草津にやってきた本当の目的と意味は病の癒しだったのではないかと、そんな風に思えるほど、ぼくにとっては不思議な出来事であった。Mさんが温泉の企画を持って来てくれなかったら、ぼくの神経痛はこのまま持病になってしまうところだったかも知れないと思うと、やはり「導かれた」と思わざると得ないのだった。--------------------------------------------------------http://books.rakuten.co.jp/rb/5367565/では、また次回の日記で逢いましょう。
2010.05.10

生きてゆく途中で、道に迷ったり、進むべき方向を見失ったりすることって誰にでもあると思う。自分の人生が無駄な寄り道ばかりで、たいして意義深いものなど何ひとつないように思えることって誰にでもあると思う。でも、ふと、思うのだ。-----何ひとつ間違いがなく、確かな調和がはじめから最後まで計画されている人生など、ないのではないだろうか?と。-----間違いが一切なく進むことの出来る旅など、実は面白くもなんともないのではないだろうか?と。ああ自分って愚かだなあと思う瞬間の欠片もなく、すべてが自分の望むままに完璧に行動できていたら、逆に怖くなりやしないだろうか?と。そんな風に考えると、今日、僕が車を運転中に道を間違えたために偶然に齎された魔法のような時間だって、何かしらの意味があってのことだろう。「間違いのない人生なんて、どこにもないのだよ」そのように天から与えられた贈り物、天からの声、無言のうちに地上に響き渡るメッセージとして僕はありがたく受け取った。そうそう、そういうこと、あやまちのない人生なんて如何なるドラマさえ生み出すことがないばかりか、面白くもないし美しくない。何のことが書きたいのかというと、今日は山形の蔵王温泉という場所に行こうと思って車を走らせていたところ、途中で道に迷ったんです。はじめて向かう場所なのでインターネットで閲覧・印刷した地図を頼りにドライブしている途中、自分がどこを走っているのか分からなくなってしまったのでした。いやあ、困った困った・・・そんな感じで途方に暮れつつも、車を止めて誰かに道を聞こうかと考えていた矢先に、目に止まったのが「すいせんまつり」という看板。そして、その看板が示す方向へ気分の赴くまま車を運転していたら、言葉を失うような風景にさまよいこんだのでした。道に迷わなかったら、この場所を訪れることもなかったわけです。不思議なめぐり合わせですよね・・・・・そう思いながら”偶然”に感謝しました。以下に、今日に撮った宮城蔵王すいせんまつりの写真を幾つかアップしましょう。 本当、すばらしい風景でした。素敵すぎて、美しすぎて、ただ、言葉をなくす・・・その美しさは、自分がこの世にいるのではなくて、天国に足を踏み入れてしまったのだろうかと錯覚してしまうほど、あまりに美しく鮮やかな色彩の洪水。まるで、夢見ているような。たまたま道に迷ったことで偶然に視界に広がった魔法のような光景が、何の因果か僕に大きな勇気をくれた。すばらしい。こういうのを人生における魔法と呼ばず一体何と呼ぼう?そう、偶然が照らしてくれる光というのはかくも魔法の如く美しさを心に運ぶのです。では、また次回の日記で逢いましょう。
2010.05.08
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