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気ままなこと砂礫のごとき日雇いに朝のくちなし マダラ この皐月5月より職場を変えて、とてもスリリングな日々を手に入れて本当に楽しくはしゃぎまわっていますが、半夏生を2日後に控えた皐月十五夜(月齢15夜は、まさに新暦の7月2日)の雨月の夜。殊に充実していた先週後半を振り返っています。 6月28日の川西きのこクラブの妙見・大堂越えでは、以前からどうも臭いと思っていた竹藪で10数年目にしてはじめてキヌガサタケと遭遇。 陶芸にきのこを採りいれたいという新たな菌友も初参加していて、話が弾みました。 川西きのこクラブの能勢妙見の旅のあと、森崎恭範くんが、豊中のギャラリー草(そう)の展覧会の搬出の日だと言うので、作品を見がてら送って行きました。ギャラリーに無造作に立てかけられていたウッドベースに思わず吸い寄せられた恭範くん。昔とったきねづかとばかりに、ジャズスタンダードの名曲を弾いてくれました。 テーマを「動物」に絞ったとおもわれる今回の展示には「夜の顔」の面々も出品していて、恭範くんの作品は以下のもの。 シープシップの猿沢恵子さんの作品は群羊。(上) 澤山輝彦画伯の作品は「春の小川」。軽便カミソリのメダカでした。 瓢吉庵油坊主こと、池上博子さんのウールの作品は上の写真。 「継続は力なり」と言いますが、それぞれ生き急ぐ齢に達し、旺盛な表現意欲を見せています。また、「ギャラリー 草」のとよやんの奥さんともはじめてゆっくりお話ができたことも暖かく思い返しています。 7月5日の最初の日曜日は、民博の「シベリアの岩面画とわが国の縄文文化の関わり」を跡づける民博サロンを少し覗いて、そのあとアート・マルシェOSAKAをはしごの予定。 北陸新幹線開通で新たなローカル色を発揮しつつある金澤から国際社会に向け、文化を発信し続けてきた「ギャラリー 点」の雅さんとその仲間たちに会いにいってこようと思っています。 6月27日の先週土曜日は、奈良・田原本駅前の「カフェ&ギャラリー 凛」で、朗読の新たなジャンルに挑む西村存子さんがいまや名物コンビとなった菊地朋美さんと{八百屋お七と阿部定のお話}をやると言うので、仕事のあと必死のパッチで駆けつけてきました。 これも、稀に見る快演で、一挙に2ステップ、グレートアップしたお二人に出会い、改めて朗読というものの力を見せつけられた思いがしました。この二方の脇を固める音と脚本担当のうなてたけしさん、書家の奈澄和侑子さんもとても息の合っていて、ちょっとしたコンチェルトに立ち会った感じさえしました。 阿部定の情念世界を脚本のうなてさんの提案で懐古調のモードとメイクで演じたお二方。 ちょっとピンボケ(slightly out of the focus)ですが、本朗読の脚本とパーカッション・笛を担当したうなてたけしさんと侑子さんの書・作品。 朗読というのは風鐸のような瞬間芸術ですが、きのこと同様、未生の闇を孕んでおり、あらゆる芸術ジャンルからも自由でニュートラルなことが僕のもっとも期待するところ。この試みはやがて無用の用といった透明な力を持ち始めるように思えて注目しています。 トレンドというトレンドの可能性が喪われてしまった21世紀は、こうしたさまざまな場所、さまざまな有名無名の人たちが、アートの遊撃手(ゲリラ)となって、戦さに明け暮れた20世紀を平和な世紀のはじまりに転換しようとする試みに満ち満ちています。 何かパッとしないのは僕だけのようですが、この浴びるような刺激は大切にしたいと思っています。 能勢の妙見山では冒頭のキヌガサタケのほか、ウツロイイグチ Xanthoconium affine、と言うよりヤマドリタケモドキ Boletus reticulatus。 久しぶりの再会を果たしたシワナシキオキナタケ Bolbitius vitellinus、フミヅキタケ Agrocybe praecox、ツエタケ Oudemansiella radicata、 ヒメヒガサヒトヨタケ Coprinus plicatilis ほか、ヒトヨタケのコプリンちゃんたちが多数出迎えてくれ、久々のきのこの山状態でした。 そして、こちらも久しぶりでしたが、頭隠して見事な尻隠さずのオオキノコムシくんがツガサルノコシカケで食事中でした。 この日は震え上がるほど寒かったのですが、かくしてまた僕の大好きな夏がやってきたようです。
2015年06月30日
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太初より女性が太陽であったことは世界中どこを探してもありません。太陽と月の相互作用によってかろうじてバランスを保っているのがこの世界です。 近年ことさらに女性原理の復活をもてはやす声が方々で聞かれるようになりました。「21世紀は女性が活躍する時代」など。この意見には全く異論はありませんが、そのためにはマッチョと言われる男性原理をまず徹底解剖する必要あります。男女の性差はもちろんアホな男たちがそのアホさ加減をそれぞれが熟知することなしには女性原理が当たり前の世界は招来しがたいと思っています。 パワーゲームに終始する政治の世界では、それが口先だけのことであるのは国会の安保関連法案の質疑を見ていても如実に感じられるのは僕だけではないはずです。 しかし、この歯がゆさに対する反応こそ僕達がもっとも反省しなければならないところです。一応議論を尽くしましたよという既成事実づくりにのみ終始し、対話とは一切無縁の形式オンリーで押し通すわが国の議会政治のあり方に対して、頭にきていませんか?。僕だって頭にきます。しかし、この「頭にくる」ということが即、手を出してしまうことにつながるところが男性原理を代表する太陽と女性原理の月の結婚の際に最も大きな障壁になっていることは一目瞭然です。「押してもだめなら引いてみな」ではなく「押してもだめならぶっつぶせ」と思ってしまう僕や私。 しかし、政治の世界では理不尽な行為に対して理不尽な行為で立ち向かうことこそが唯一無二のもので、優柔不断は忌むべきこと、現実的ではないとされてきました。 2012年5月21日の太陽と月の結婚。これこそが、21世紀もっとも真剣に捉え実現すべきだと考えています。 マッチョという感情に支配される人達の多くが、奮起してリビドーを破壊に向けて発現しないことがもっとも求められます。 これまで世界史の上でも卑弥呼にはじまり、天照大神を皇祖神としたわが国の特異なシステムを批判的に跡付けなければなりません。「太初女性は太陽だった」と手放しに語るだけではなく、決して太陽とはなりえない月の原理をもった女性の女性たるゆえんの致命的な弱点と長所の双方をバランスよくいかせるシステムこそが大切なのです。 それにはメンタルの面で両性の違いを熟知しそれを活かせる人達が増えて行くことこそが大切だと思えます。そして政治の直線的志向に対し、文化という回り道・道草といった曲線あるいはノンリニアな志向でくるんで矛先をにぶらせる必要があります。 21世紀はそんなもっとも困難な道筋をごく当たり前のこととして辿りうるもののみが生き残るように思われます。
2015年06月23日
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花すすき戸隠あたり昼の月 マダラ 蕨平(現在は白馬乗鞍コルチナと言われているらしい)の冬はスキー場になる稗田山中腹から西の戸隠方面をみてつくった作品。 信濃といっても文化圏としてはとても広大です。僕は大学の山岳部時代、夏合宿で1週間余りかけて憧れの立山、剣から後立山全山縦走をやり、のっけから剣ではなく、後立山連峰のいささか地味な鹿島槍、白馬(当時はしろうま)、とりわけ五竜岳の山容に魅せられて、四季折々通いつめました。その最初のアルプス縦走の折に五竜で猛烈な雷雨に遭い、リクルートのため遅れて参加の4年生らの後発隊との時間調整のため、五竜小屋には戻らずに頂上からの避難ルートの遠見尾根にあった遠見小屋に立ち寄り、小屋のオーナーと親しくなり、麓のオーナー宅で歓待を受け、ふたたび五竜から白馬までの山行を続行したのです。以来、小屋のアルバイトをしたり、麓の神城の田んぼの田植えや稗ぬき作業の手伝いや厳冬期の茅葺屋根の雪おろし作業に散々通い詰め、大学を出てからも、ここと僕らの建てた栂池の北隣の蕨平スキー場の公衆便所のようなささやかな山荘をベースに北アルプスを流離いました。 キノコを始めてからは、毎年の秋は戸隠へベニテングダケと会いに行く旅をはじめ、数年前にムックきのこクラブでの<懐かしの戸隠行>を加えると30回余り続けてきました。 しかし、僕の信濃の旅は北信(長野市・水内・更級)と中信(松本市・安曇野・木曽)地域に集中し、雪解けの頃の山巓付近の斑模様が武田信玄の五稜菱を描くことから命名されたという五竜が好きな割には上杉謙信のエリアに近いところばかりを訪ねていたことになります。 南信(諏訪・飯田・伊那)・東信(上田・小諸・佐久)に当たる地域はまったく縁の薄かったところ。南アルプスは関西からのアプローチの点で不便なことから一度も行っていませんし、上田はペンションきのこの小宮山さんを訪ねたのみ。小諸・佐久は島崎藤村への関心から仕事がらみでロシア人バイヤーと1度きり。南北八が岳や木曽御嶽をはじめとする連峰などは数度のみ。諏訪湖には、山抜きで諏訪大社への関心から2度訪ねたほかはとんと縁がなかったところです。 かっての愛読書「大和路信濃路」の堀辰雄とはいささか異なる視点で、信濃路を大和路との古代からのつながりで再構成することが、これからの僕の課題です。 朝の戸隠連峰 雨意こめた午後の鏡ケ池越しの戸隠山 諏訪大社は、スーパーきのこ時代を明確に意識したこの春からとても興味を掻き立てられ、再訪の機会を狙っています。野洲の麓で酒を交わしながら同じく諏訪への熱い思いを語り出したメンバーのTさんとAさん。あろうことかAさんはおそらく今頃諏訪湖界隈を流離っているはずです。 諏訪大社のそもそもの祭神は御左口神(みしゃぐちしん)で、原初はやはり男神(石棒)と女神(石皿)だったと言われています。 以下の男神そのもののタケリタケはきのこにカビが二重寄生したもの。 その次の写真のチャワンタケとヒナツチガキは女神そのものの形象。続いてベニテングダケの子実体原基が地を割ってきのこを創り出した端緒のもの。そののちさらに続く写真のように傘を開いて胞子を散布するおなじみのタワーを築いていきます。これらの卵から発生するかに見えるハラタケ目のきのこたちは両性具有、すなわちアンドロギュノスの形象だと僕は思ってきました。 <大地を蔵する如き>地蔵と同様に、キノコは、縄文以来の男神・女神のシンボルでもあるのです。 さて、諏訪への関心は、ここ数年ムックでしらみつぶしで踏査してきた大和路の聖地とリンクする形でしっかりと跡付けていきたいと考えています。 その前に、そろそろ江戸期の最下層庶民に徹した町絵師・蕪村と対決し、こちらも踏み分け道くらいはつけたいと思っています。 良弁、空海、法然、蕪村、宮沢賢治など、これらのたまたま歴史の表面に浮上したものの詳細不詳の人達たちは、僕にとってはきのこ人生を歩きつめた人物として写っています。<きのこの日本史外伝>を跡付ける事こそがスーパーきのこ時代の僕に課せられた最大の使命。 彼らの生の軌跡から火急の現代的な課題を導き出すこと。寄り道ばかりののんびり者の僕ですが、僕独自の大和路・信濃路にそうした諸々の無銘碑を掘り起し、これらの人物を随所にちりばめながら行き着くところまではきちんと形にしていきたいと考えています。
2015年06月21日
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和暦の朔(6.16の午後11時過ぎ)にあたる皐月1日の今日、三上山麓の印象を感動の薄れぬうちに記録にとどめようとしていると、雨粒のようにささやかではありますが、うれしい便りが2つ、聖地ときのこのときめくプランが1つ舞い込んできました。朔待ちのひとときの僥倖。 この5月の誕辰の日に、これからの20年現役で過ごす決意をしましたが、それは寄せ来る齢の波と取るに足らないわが人生に抗い続ける覚悟にほかなりません。 野洲の1日(昨日の続き) 飽食の果てに水が最高のごちそうであることを知る喜びは齢を経てきた証拠。それは柿の木にひそかに咲く柿の花を愛する思いに似ています。 僕のきのこを巡る旅も、遠大な寄り道の末に徒労に終わるかと思えばそうでもなく、少しずつ核心に近づいてきているようです。僕は早急にその兆候を特定することなく成り行きにまかせてのんびり道草をとっていますが、それとて少しずつトンネルの向こう側へと進んでいるようで、何かワクワクしたものを感じています。 古代の聖山・三上山を見上げるトポスに鎮座する御上神社。 御上神社の楼門(重文) ここの祭神は天之御影神で天照大御神の孫に当たるとされ、第七代孝霊天皇の御代に三上山(432m)の頂きに降臨されたという伝承が伝えられていることから、この神社は三上山を神体山としてきました。社紋はくぎ抜き紋(写真下)。 三上山の北隣の妙法寺山すそには溜め池の不動池があり、その山口にあたるところに三上神社がある。こちらの方がそもそもの社ではないかと私には思えます。三上山は、遠目には独立峰にみえますが、男山・女山からなる双耳峰で古代より磐座のあったところ。 僕の御上神社詣でが意外と時間をくったのと「かくも長き不在」の待ち人遂に来たらずで出発が40分遅れとなったのと、元三上神社の湖畔のロケイションが余りに良かったので本格的行動に入る前に大休止。早々と昼めしとテイスティングの宴をやることになり、またまた千鳥足での磐座巡りとなった。 Tさん持参の焼酎「愛子」ちゃん。Mくん持参の「Jack Daniel」。マダラ秘蔵の余市の瓶に詰め替えた竹鶴ブランデー「秘伝」。ラフカディオ・ハーンを訪ねたAさんの松江土産のスズキの燻製やカリントウ、野菜煎餅。Hさんの沖縄土産のチンスコウ。そしてドイツから一時帰国したRさんのお土産のきのこ菓子。いつもながら珍しいものばかりです。 妙法寺山は、取っ付きよりいたるところに墳丘が口を開けており、たのしいこと極まりない。出世不動明王は住職が不在のため、磨崖仏をみることはできませんでしたが、花崗岩の露出した尾根を辿るのはとてもすがすがしく、酔いも手伝って何か天へも昇る心地すらしました。 僕は聖地をめぐるきのこ旅をはじめて20年近くになりますが、振りさけみれば、それはおびただしい数の死者たちとの対話を重ねてきたことにほかなりません。 道々、僕が今日あるのは、その膨大な死者たちの諦念に支えられていることに感謝を捧げました。
2015年06月16日
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ムックきのこクラブの6月の旅は、三上山麓の古代聖地ときのこめぐり。いつもの通り、集合までの時間を利用して、三上山麓の御上神社へ参詣。この地の精霊にひとまずご挨拶。この神社は来てみてはじめて分かりましたが、とても荘厳な雰囲気を湛えていて本殿は国宝、拝殿その他の社殿はすべて重文で驚きでした。アマガエルくんたちが参道の植え込みのいたるところで雨乞いをしているのに出会い「おいらのことも祈っていてね」と声をかけてとんぼ返りで野洲駅へ。 御上神社国宝の本殿 野洲駅東南の中山道(右)と朝鮮街道(左)の合流地点。朝鮮街道とは、江戸時代、朝鮮通信使たちが隊伍を組み江戸城へ将軍と拝謁するため通った道。 三上山の北隣の妙法寺山の不動寺に詣で、この山が修験の磐座続きの山であったことを確認。妙法寺山頂上(270m)へ続く尾根筋より眺めた三上山の雄姿。 妙法寺山を下り、小篠原集落奥の福林寺跡への道中に出会ったベニシジミ Lycaena phlaeas 。幼虫はスイバやギシギシを食草とすると聞いていましたが、アザミに翅を休めていました。 森のラブメッセージを綴る恋文の主の姿は、ヒメクロオトシブミ Apoderus erythrogaster でした。コナラ、ノイバラ、キイチゴ、ツツジなどなんでも愛のしるしを包み込むように葉を巻く習性があり、少しでも異変を感じるとするりと落下したり飛び去ったりで、なかなか正体をつかめません。 この御仁の恋文はこちらです。 いよいよ暑い夏の盛りを迎えると、植物と水分やミネラルを交換しあって共生するコツブタケ Pisolithus tinctorius の出番です。こちらはおまんじゅう形のコツブタケを1/2にカットして断面をお見せしたもの。手作りの浄水器さながらに小石がぎっしりつまったような構造になっています。 本日の旅の最初に出会った小型のチチタケ。Lactarius sp. さて、このキノコは発達したツバのありようからサケツバタケと思いましたが、それにしては小さい。さんざん悩んだあげく、傘のテキスチャーが僕がこれまで抱いてきたイメージからはいささか遠いものですが、きのこの全体と部分を交互に抑えて行くと、やがてカバイロタケ Naematoloma squamosus var. thraustum に落ち着きました。ごく普通に出会うきのこでもこれだけ分かりにくいのがきのこなのです。 きのこを愛するということは並大抵の根性ではつとまりませんね。 パッと見にはイタチタケと思いましたが、これもなかなか判断のむずかしいきのこで、モリノカレバタケの仲間のアカアザタケ Collybia maculata のようです。 判断材料は、全体が白色でヒダが密、よくみると傘の縁部が褐変をはじめていることから。目視によるきのこの同定はこのようにかすかな徴候から慎重に判断を下さねばならず、これがきのこにはまってしまう最大の陥穽なのです。きのこ博士になろうとする意欲的なきのこファンで負けず嫌いの性格の人はとりわけ、この判断に明快さを欠く自分自身に我慢がならず、ついついきのこの同定に夢中になってしまいます。多くの優秀な人材がきのこの彼方の世界へ一歩たりとも踏み出せない最大の原因です。 このきのこには、デオキノコムシの仲間が入れ替わり立ち代わり蝟集しており、せわしいことかぎりありません。 カレバキツネタケ Laccaria vinaceoavellanea もところどころに顔をのぞかせていました。 磨崖仏では秀逸の妙法寺磨崖仏が妙法寺山中に、この少し手前には岩神さまと名づけられた古墳跡を祠に活用したものもみられます。 僕がもっとも期待していたのは、作者・制作年代ともに不詳の十三石仏で、こちらは 福林寺跡地に見受けられます。案に違わず、素晴らしい造形物で感激。 本日の旅は、この福林寺跡で終わりですが、おまけに「銅鐸博物館へいかが?」と言うと、汗まみれでさんざん歩いてくたくたのはずのメンバーは全員、二つ返事で「行きます」と返してきました。しかし、この目と鼻の先まで行かないとそれと分からない地味な博物館、無理をして訪ねるに充分値いするものでした。僕は襲い来る睡魔と闘いながらメンバーの後を追っかけながらの館内巡り。ここのさまざまな銅鐸の展示から得た僕のキーワードは<諏訪>でした。 展示室は、銅鐸の歴史のみならず、野洲の伝統工芸品の紹介や体験工房もあり、館外には弥生の森公園があり、古代ハスの大賀ハスが咲いていてのんびりできる贅沢な空間がひろがっていました。早朝の野洲駅からこの博物館までの一日たっぷりかけた道中、日曜日というのにすれちがった人は唯の一人だけだったことに一同おおよろこび。 銅鐸博物館のエントランス 園内に栽培されている古代ハス この銅鐸博物館に立ち寄ったお蔭で、野洲駅前のデリシャスこの上ない料理を出してくれる居酒屋・酔人(すいじん)での話が盛り上がり、この日のメンバーの二人の女性が、それぞれ密かに諏訪に熱いまなざしを注いでいることが判明。実は、僕もこの春からは、大阪をぶらついていて金刺宮(金刺氏とは、諏訪大社・下社の大祝<おおほふり>科野国造<しなののくにつみやつこ>の末裔)に行き当たる夢をみたり、つい最近『縄文聖地巡礼』を読んで、密かに諏訪への思いを募らせていたこともあって驚き、かつこのシンクロにしみじみうれしいものを感じました。銅鐸博物館へ行ったことが機縁となってキノコ・菌類と縄文文化とのシンクロを問わずがたりに語り始めたメンバーに愛しさを募らせながら、今年はムックきのこクラブで諏訪湖周辺へ、ベニテングタケとの再会も兼ねて行こうかなどと大いに盛り上がりました。 ムックきのこクラブも素晴らしい会に成長を遂げつつあるようですね。
2015年06月15日
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5年前の9月にウラジオストックを訪れた時、海辺を散策していて出会った女性たちのショット USJのジェラシックパークでの仕事が早く切りあがり、久しぶりに休みをもらったので、リーザさんの依頼で昨日が締切の、サンクト・ペテルブルグのきのこの雑誌に寄稿する日本列島のきのこについての小文をまとめてしまいたいと思っています。 僕は、88歳まで現役宣言をしていますが、それは身体がまだ思うように動くこの十年間の内に最後の文化事業の端緒をつけるための活動を手掛け、その後の十年は、徐々に衰える体力を若い人達にカバーしてもらいながら、その文化事業の持続可能なシステムづくりに専念するためのものです。 そのための健康維持と筋力、知力の涵養のために転職をしました。あせらず、しかし、着実にその与えられた場で体力の維持に努めながら、目の黒いうちに僕の夢を少しずつ形にしていきたいと考えています。 その仕事の行き帰りの車中で、なかば居眠りながら読みふけっている坂本龍一と中沢新一の旅の対談集『縄文聖地巡礼』は、僕がきのこに見てきたものと余りに酷似していて同時代性というのは、やはりあるんだなと感じています。こんな人達とゆるやかなネットワークを創り上げていくノンリニア(非線形)のアート活動こそが、僕にとってのきのこ文化事業の究極の目的だと思っています。 そして、本書により、その決定的なkeyとなる言葉が<菌類・きのこ>であることにあらためて確信をもちました。 僕のきのこ暦第4期8年の拠点として、1.「異」をキーワードとする異民族慰霊碑。 「異=hetero」の探究こそがきのこ・菌類の21世紀的展開のベースだとの思いより、さまざまな異世界の共存のためには平和思想の徹底こそが最重要課題だと感じていますので、1年に1度この碑前で自身の1年の来し方行く末を見なおすための集いをもちたいと考えています。2. ムックきのこクラブの月1度の聖地のきのこ巡礼の旅。 マルクスの思想、ダーウィンの進化論、コンピューターの世界観のベースを成すユダヤ・キリスト・ムスリムのキリスト教的一神教世界は、グローバリズムという言葉に姿を変えて世を覆いつつありますが、そんな世界にほころびをもたらす多神教・アニミズム、アジア的らせん世界、すなわちマンダラ的循環世界の実在に触れる旅は、新しい自然宗教の視点による文化をはぐくむための巡礼的な性格を持っています。3.夜の顔不思議な俳句会。 上記1,2の活動を言葉としてとどめるための言語を磨く修練の場。 僕はそうした自然に接して見たこと、感じたことを過不足なく言語表現で記録していくことが僕達の新しいアートによる文化創造に必要最小限の課題だと思っていますので、この短詩合評会の集いはムックきのこクラブ・メンバーの必修科目だと思っています。「ちょっと背伸び」とは、あらゆる心身の活動を言葉により正確に対象化していく能力を身に着けることにほかなりません。 ようやく諸般がととのいはじめたきのこ文化事業の新しい形を展開するために以上挙げた3つの「場」を拠点としてそろそろ活動をはじめましょう。
2015年06月11日
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写真1 写真2 大野山の磐座は近年、ルートが整備され誰でも巡ることができるようになりましたが、ここの磐座の特色は樹木とのバランスが絶妙であること。そして、あきらかに近年植樹のあとがみられること(写真1、2)。 それはここの磐座群を代表する太鼓岩の以下の映像(写真3)と比較すればよくお分かりいただけると思います。太初の地底のマグマの記憶を伝える岩石と現代の時間(樹木)が交錯する不思議な時間こそが、MOUNTAIN HIGHの醍醐味なのだと最近考えています。 写真3 写真4 もちろん、森林を突き抜けて露呈する地底の記憶はこうした借景(写真4)でも味わうことができますが、ゲーテがかって「花崗岩」でふれたように、もっとも安定した大地とつながる感触をそこに立つ人に与えるのが巨石信仰の原点で磐座はその極東アジア的展開です。 その磐座と大地の関連の生物世界のモデルがきのこです。大地の下の世界でダイナミックな活動を<密(ひそ)かに厳(げん)と>続けているマグマが大地を割って出現したものが巨石であり、糸状体の本体の地表下での活動の指標がきのこなのです。こうしたアナロジーから想像力を膨らませて行くことこそが、身ほとりの自然から世界を見つめる<きのこ目>を磨くということ。それは、一見全く無縁な、よそよそしい物たちがあるときふと見せる表情から深いつながりを感じさせる瞬間に立ち会うことでもあります。スーパーきのこ時代は、きのこをつくる菌類=きのこをモデルに世界をとらえなおすことなのです。そのためには、きのこや生き物が横溢する自然にしばしば身を置いて対話を重ねることが何よりも求められます。
2015年06月09日
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JR石部駅方面から眺めた野洲川越しの三上山 野洲川が琵琶湖にそそぐ河口近くにJR野洲駅はあります。 俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)が瀬田川の龍神に頼まれ、大百足を退治した伝説のある三上山(426m)は駅のすぐ南にそびえています。近江富士の名の通り近江第一の秀峰です。 旅のポイント1. 朝鮮街道とせいぞろい地蔵 駅すぐ南の行畑町は町中を江戸時代朝鮮使節が将軍に謁見するため通った朝鮮街道が貫いています。 その街道筋には、「せいぞろい地蔵」があります。三上山北麓の東光寺へ年三度訪れる勅使が、この地蔵の前で勢ぞろいしたことからその名があると言われています。大小2体の石仏はいずれも風化の著しいものですが、大きい方が像高133cmの阿弥陀(鎌倉後期)、小さい方は70cmの地蔵(室町末期)と推定されます。「せいくらべ地蔵」とも呼ばれて愛されています。 旅のポイント2. 不動寺の不動磨崖仏 石仏より東へとり、国道8号線を横切り妙光寺集落のはずれに出ると三上山と妙光寺山の間に不動池が見えます。その池の南側の道を1kmほど進むと妙光寺山不動寺があり、礼拝堂横のくぐり戸を入ると10m余りの前傾した巨岩に91cmの線刻と顔面のみ浮彫りを施された穏やかな表情の不動磨崖仏(鎌倉期)があります(拝観には寺僧と交渉の要あり)。 旅のポイント3. 妙光寺山地蔵磨崖仏 不動寺から不動池をもどり8号線を北にとり、妙光寺山の北側の小篠原集落に入り、山裾の赤鳥居をくぐり、右脇の林道に沿い途中岩場を越え谷川に沿い登り、小川を渡り左の方へ登って行くと巨石を組んだ祠があり、岩神大明神が祀られています。 そこから数10m先へ行くと地蔵磨崖仏の前に出ます。この磨崖仏は見ものです。 高さ、幅とも6m余りの花崗岩の表面に、高さ175cm、幅95cm、厚さ15cmの長方形の彫り込みの中に蓮華座に立つ像高155cmの半肉彫りの地蔵尊。鎌倉前期の典型的な石仏。地蔵の右手上方にも笠塔婆の浮彫りが。 旅のポイント4. 福林寺跡石仏群 またまたもと来た道を引きかえし、小篠原集落の中学校の裏手に出て小川の土手道をやや北へ取ると福林寺跡の標識に出会う。そこから川を渡り林道を10mも歩いていくと、右手に巨岩が見え、その岩肌に三尊磨崖仏が彫られています。その奥に福林寺跡の石標があり、寺跡には五輪塔が点在しています。寺跡右奥の巨岩には、十三体地蔵石仏は素朴で必見とのこと。旅のポイント5. 夏のきのこたちと銅鐸博物館 以上が探訪ルート。時間がゆるせば、近くの銅鐸博物館へも足を伸ばしたいと思っています。 また、シーズンに突入して初めてのきのこ探訪会。この地のきのこでは、本郷先生が命名された琵琶湖固有種・サザナミイグチ(MOOK『きのこ』に掲載)に出会えればと思っています。きのこ目の鍛錬に是非、<ウの目・タカの目・きのこの目>で道中、名前など二の次にして、マッシュルーム・ハイを楽しんでくださいませ。 アミタケ(左下)と共生関係にあるオウギタケ(右上) スーパーきのこ時代、きのこは壮大なきのこマンダラを描いて、ノン・アカデミズムの総合科学を形成していきます。幻のきのこマガジン・MOOK本の『きのこ』バックナンバーを繰り返しひもといて、不揃いのきのこたちの、不揃いのきのこたちによる、不揃いのきのこたちのための世界創造に向けて諸般を整えていきましょう。 落とし文(自然界のラブメッセージか?)
2015年06月04日
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卯月十七夜の望月は雨月となり眺めることはできなかった。退屈しのぎに大野山で出会った美男美女たちの「雨夜の品定め」と参ろう。 夜の顔の不思議な俳句会の兼題「お化け屋敷・幽霊」に、きのこポエムとして提出した作品。 幽霊とおぼしき美女と並び居て夜雨の停車場 ホップステップさてもさてもわが新生のジャノメチョウ ヒメウラナミジャノメの♂ Ypthima argus 普通種ながら、僕の好きなタテハチョウ。この妖艶ないでたちは感動ものだ。 へその有無でんでんむしには一大事人よ笑うな コベソマイマイ Satsuma myomphala 来し方の山気(さんき)あまさず身に浴びて木五倍子(きぶし)の実青し タニウツギ コツクバネウツギ と、時間つぶしをしているうちに雲間から煌々たる望月(といってもすでに十六夜に近づいた月)が顔をのぞかせているのに気付いた。明日はハレルヤ。
2015年06月03日
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この誕生日22日を以って転職し、以後の10日余りの日々、新しい仕事について、臨時の面白い業務に志願して朝から晩まで現場に張り付いていたのでこちらがちと滞りがちでした。 が、ようやく目処が立って今週一杯で片付きそうな気配。ようやく人心地つきましたので、ここ数日の無沙汰に変えて。 このタルコフスキーの映画に出てきそうな建物(写真は重機を用いての作業を終えすでに仕上げの段階に入って久しいもの)は、家庭用生ごみを発酵させ、肥料として再生する産廃中間施設。この建物の原状回復の大掃除。まず、クレーン車で天井、窓、壁面の高圧洗浄に始まり残土の掻きだし、土嚢袋への詰め込み、溝の石化した肥料の掘り起し、ポンプと手作業による汚水の掻き出しなど、単純労働を早朝から夕方5時まで延々とやり通す仕事だ。願ってもない仕事だが、生ごみの発酵臭と久々に着手した力まかせの仕事で当初は腕から脚、首、背中がギシギシして目・口・鼻は二重マスクをしてタオルを巻いていても真っ黒け。若いバイトさんたちは肥料と言わず糞と言っていたのがよく分かった。しかし、僕は久々にランニング・ハイを味わって痛快そのもの。因果な身体で困りもんだね。 この2棟の原状回復作業だが、建物の間から小道で通じている裏山は、若い松まじりの雑木林で、いかにもマツタケがでそうなところだ。もちろん遊山の暇は皆目ないが・・・。 僕は昼の時間には皆から少し離れた建物のエントランス部分の大庇の下の片隅にシートを敷いて寝っ転がり、この高圧電柱の彼方を流れる雲をみつめて過ごすのが常で、興が乗ればやや日向に出て熱いコンクリートの土間の熱を背中に受けて岩盤浴もどきの贅沢を体験しています。何とものどかで幸せ一杯。プールで思い切り泳いだ後の心地よさで満たされています。 卯月十五夜の6月1日。気息充実、いささか節々が痛みますが、これからの20年のスタートとしてはまずまずの滑り出しだ。
2015年06月01日
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