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東京はもう(まだ2月なのになぜか)、所によっては、桜の花が満開です。春はもうすぐ・・・。ところで、2000年8月以来、かれこれ6年半もお世話になったI社を、ついに去る日がやってきました。退社日は3月15日と、正式決定しました。3月11日から、退社手続きと、その他もろもろのために、大連に飛びます。次の行き先は、まだ決まっていません。ま、そのうち決まるでしょう・・・。
2007年02月27日
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今日、約4年ぶりに、歯医者というものに行きました。下の奥歯が、ちょっと水にしみるようになて、「痛い!」というほどではないですが、でも早めに治療しといた方が良いと思って、近所の歯医者に行きました。私はもともと歯並びが悪く、虫歯になることも多く、歯医者に行った回数も少なくありません。オーストラリアに住んでいた時も、何度か行きました。歯医者はやっぱり、日本の方がいいな。でも、オーストラリアの歯医者も、いろいろなタイプの人がいて、いま思うと、それなりに面白かったです。オーストラリアに移住したての頃は、シドニーの市内、チャイナタウンに住んでいました。当然、歯医者さんも中国系が多いのですが、彼らはなぜか、若い女性の歯科助手が好きみたいです。どこでも、中年男性の歯科医一人に、助手のお姉さん二人ついている、というパターンでした。その点が何となく、日本の歯科と似ています。ところが、助手の手際が良いとは限らない。私がよく行くDixon Streetの歯科では、助手のお姉さんがトロくて、簡単な治療にも1時間くらいかかったものです。歯科医の先生がいらいらして、中国語で、「お前、何やってんだよ!」、「それ違うよ!」、「早く出して!」などと言っているのが、おかしかったです。その後、シドニーの西部郊外に引っ越しました。こちらは一転して、中近東系の歯医者さんが多かったですね。私や妻のかかりつけだったのが、エジプト出身の女性歯科医でした。こちらは、助手など一切おかず、自分ひとりでどんどんやっちゃう!とにかく、あそこに住んでいた頃は、イラン人やら、レバノン人やら、アフガニスタン人やら、日本に住んでいてはなかなかお目にかかれない国出身のお医者さんに、ずいぶんお世話になったものです。中近東系のお医者さんって、いやお医者さんに限らず中近東出身の人は、日本人に対して、非常に良い印象を持っているようで、とても優しくて親切。例のエジプト出身の歯科医は、私の歯の治療跡をみて、「この治療、どの国でやったの?」と聞いてきたので、「日本でやった」と答えたら、「素晴らしい治療ね。私も、日本に行って勉強してみたい♪」と言ってました。あと、かかりつけの内科医はアフガニスタン出身、日本で勉強したこともあるらしく、日本語もなかなか堪能。「ボクは、東京の清瀬という街の、大学病院で3年間、研修したんだよ。緑が多くて、のどかで平和な街だったなあ・・・」と、楽しそうに語っていました。ところで、オーストラリアの公的保険制度は、歯科までカバーしておらず、そのため、個人負担分がやたら高くついたものです。その割に、私の受けた治療は大したことなかったなあ。詰め物入れて、それが1年経てば、ポロっと剥がれ落ちたこともありました。でもまあ、今となっては、良い思い出です。
2007年02月26日
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いま、義理の姉(香港在住)が、私の家に遊びにきています。彼女は、東京大好き、ショッピング大好き、特に、少しレトロっぽい商店街の雰囲気がたまらなく好き、という人なので、この週末は、東京最強の商店街に連れていこうと思い、いろいろ、調べました。いま東京では、昔ながらの商店街が大型店舗に押されて、概して元気がないのですが、中には少数ながら、品川区の「戸越銀座商店街」、「武蔵小山商店街」、江東区の「砂町銀座商店街」のように、気を吐いて頑張っているところもあります。そんなとき、たまたま「東京ウォーカー」を手にとると、東京の北の方、それも、埼玉に限りなく近い最北端エリアに、とても元気そうな、商店街の町があると書いてあるでありませんか!!!それが、十条商店街(北区)です。紹介文を読むと、日本最初のアーケード商店街で、東京3大銀座商店街のひとつ界隈には7つの商店街が数珠つなぎになり、飲食、生鮮、日用品など生活にあらゆるものがそろっている店が競合し、価格と質を競っているから、激安は当たり前!「東京一物価の安い街」といわれるゆえんだこんなに素晴らしいところだったのか・・・これはひとつ、行かねばならないと思い、身を切るような寒風の吹きすさぶなか、JR京浜東北線に乗って、一家3名プラス義姉の計4名で、北の地・十条を目指しました。ところで、私は、北区には滅多に行きません。たぶん、一生で3回くらいしか行ったことがないかも・・・そもそも、「城北区」とか「京北区」ではなく、単に「北区」というぶっきらぼうな区名が素敵ですが、トレンドスポットに乏しく、他の地域からわざわざ出かけに行くところでもありません。私自身、今回行く前は北区周辺の地理関係が全然わからなくて、東京23区の地図を眺めて、「なるほど、十条はここにあったのか!」と、確認せざるを得ませんでした。そんな未知の土地・北区へ・・・まず降り立ったのは、京浜東北線の東十条駅。あと2駅行けばもう埼玉県、というロケーション。ホームが上り(東京駅方面)、下り(大宮方面)の2つしかない、シンプルな駅。降り立つ人は、ぼちぼちいましたが、ここにわざわざ、「観光」にやってきたのは、たぶん我々だけだろうな、と思いました。ですが、十条・・・観光に来るだけの価値はありました!!東京ウォーカーの紹介文を裏切らない、とっても素敵な街だったのです!!まず、東十条駅を出て、西の方角を歩いていくと、ちょっと枯れた雰囲気がシブい、「十条中央商店街」。懐かしい町並みが広がっていましたそこから、JR埼京線の踏切(今どき、立体交差じゃないのが渋い!)を超えると、突然、巨大なアーケード街が広がっています。中でも、一番活気があるのが、「十条銀座商店街」(略して「十銀」)。この界隈、鉄道駅が2つもあるのに、大型店舗が全然ありませんから、地域の人の買い物を一手に支えるのは、「十銀」をはじめとする商店街なのです。十銀:十条の目抜き通り腹が減ったので、十銀にある鰻屋に入ってみました。中に入ると、魚、魚、魚・・・すごいメニューの数!2000円と、ちょっとお値段は張りますが、看板メニューの「うな丼ダブル」を、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、思い切って頼んでみました。それが正解でした。鰻の下のご飯に、もう一枚、鰻が隠れてた!!!これはまさに、「美味しんぼ」75巻に出てくる、大阪名物「まむし」という鰻の食べ方です。アツアツのご飯に鰻を隠す(まぶす)ことによって、鰻が良い感じの柔らかさになって、とっても美味。これを、東京で味わうことができるなんて・;・。すっかり満足して、鰻屋さんを出る。さらに北に歩いていくと、「十銀」が終わり、「富士見商店街」が広がっていました。そこで、とても美味しいものを発見!それが、いもぼうです。これは、サツマイモを棒状に切って、衣をつけて揚げるお菓子です。砂糖や調味料は一切使わず、サツマイモの自然な甘味を味わえます。これは、義姉も、妻も、私も、1歳5ヶ月の娘も、みな絶賛するほどの美味でした。おばちゃん一人で切り回す、小さいお店です♪で、その近くに、英語圏の人が見たら笑ってしまう、変な名前のコーヒーショップがありました十条、なかなか素晴らしいところでしたよ。もう一度、ゆっくり歩いてみたいと思いました。おしまい
2007年02月25日
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私が、オーストラリアを引き払ったのが、2005年の2月25日でした。あれ以来、もう、2年も経ったんですねえ。ですが、昔取った杵柄で、今でもなお、「オーストラリア移住相談」なるものを、時々やっています。オーストラリア永住を希望する人は、引きもきらず、そして彼らが、私が以前つくった「Manachan's Worldシドニー日記」の「オーストラリア移住相談」を見つけて、メールを送ってくるのです。私はもちろん、来る者拒まずなので、喜んでアドバイスやってますが、その私はというと、せっかく永住権を取ったのに、逆に、それをフイにするようなことを、やっているような気がしています。オーストラリアの永住権は、もちろん、「死ぬまでずっとオーストラリアに居ていいよ」という性質のものですが、但し、5年ごとの更新が必要となります(厳密にいえば、永住権に付随する、「再入国ビザ」の更新ですね)。で、その更新の条件のひとつに、「直近5年のうち、最低でも2年間は、オーストラリアに滞在すること」となっています。私の場合、どうなのかというと、2005年2月10日に、更新を済ませました。したがって、5年後の2010年2月10日までは、オーストラリアにいつでも再入国できますし、また就労も自由です。で、その後、私はすぐ、オーストラリアを去り、中国に行ってしまいました。よく考えると、前回更新してから、オーストラリアに滞在した期間は、合算しても1ヶ月に満たないのです。私が、もしこのまま、オーストラリアに帰らず、中国や日本に居続けたとしたら、来年3月の時点で、「5年間のうち、2年間の滞在」という条件をクリアできなくなってしまうのです。つまり、2010年2月10日以降、永住権(再入国ビザ)の更新ができなくなってしまう可能性があるのです。ま、私の場合、オーストラリア国内に、自分名義の不動産をいくつも持っていますし、生活基盤もありますから、ま、何だかんだいって、交渉の余地はあるのかもしれませんが・・・でも、もしダメだったら・・・・もう一度、取り直すしかないんでしょうねえ。ま、妻がオーストラリア国民でもあることだし、再度、配偶者ビザの申請を、やってみますか。もう一つの選択肢としては、オーストラリア国籍を取ってしまうことですが・・・仮にそうした場合、私は日本国籍を失うことになりますし、また娘も、日本国籍を取るという選択肢を失ってしまうので、たぶん、やらないと思います。永住権の取り直しならともかく・・・国籍の取り直しっていうのは、たぶん、難しいでしょうねえ。いくら、「元日本人」であるとは言っても。
2007年02月24日
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私と妻は、同い年ですが、小さい頃の共通の話題が、ほとんどありません。ま、それもそのはず、育った国が違いますもんね。私は日本で育ち、日本のアニメや、子供番組ばかり見て育ちましたが、妻は、オーストラリアの田舎町ケアンズで育ちました。もちろん、見るTV番組といえば、英語圏のものばかり。日本のアニメなんて、「鉄腕アトム」(Astroboy)以外、一つも知らなかったそうです。その二人の間で、あえて共通の話題があるとすれば、せいぜい、「セサミストリート」くらいか・・・おっと、もう一つあった。それが、「ローラ」(ローラ・インガルス・ワイルダー)。ローラは、アメリカの有名な物語作家です。彼女は19世紀後半、アメリカ中西部で、開拓農民の娘として生まれました。父チャールズ、母キャロライン、そして3人の姉妹とともに、各地を転々としながら、心暖かい家族・隣人たちに愛されつつ、多感な少女時代を送りました。晩年になってから、少女時代の追憶をもとに、「大きな森の小さな家」、「大草原の小さな家」、「シルバー・レイクのほとりで」など、いくつかの物語を書きましたが、それが米国のみならず、世界各国でベストセラーになりました。日本でも、大ヒットしましたね。「大きな森・・・」、「大草原・・・」などは、ドラマ化されて、日本各地のお茶の間で話題になりました。私はその頃、小学生でした。もちろん、ドラマは全部見ましたし、また本も全巻、読破しました。ローラがウィスコンシン州の森のなかで、5歳の少女だった頃から、成人して、アルマンゾ・ワイルダーと結婚して農婦になるところまで、あらすじは大体、覚えています。そういえばあの頃、「大きな森の小さな家」という歌がありました。河合奈保子が歌ってたんですが、あの子って、当時の女性アイドルのなかでは、ちょっと異色の存在でしたね。高慢ちきで性格悪そうなアイドルが多いなかで、唯一、庶民的で、性格の良さそうな子というのが、私の印象です。彼女は大阪の出身だそうですが、ナニワの商店街のおじちゃん、おばちゃんから、「奈保子ちゃん、頑張ってや!」と、声援を送られそうな、飾らないキャラクターだった・・・。ちょっと脱線しましたが・・・オーストラリアでも、ローラの物語はドラマ化されたようで、みんな知ってるそうです。おかげさまで、私と妻の間の、数少ない、子供時代の共通の話題にもなっています。ローラの世界の魅力といえば、何といっても、家族の絆でしょうか。そして、厳しい自然に立ち向かう人々の美しい生き様と、自然描写、心情描写のこまやかさ・・・なかでも、私が特に好きだったキャラクターが、父親のチャールズです。本を読んでも、ドラマを見ても、「なんて、かっこいい男なんだろう!」と、ため息をつかずにはいられないほどでした。チャールズはとにかく、何でもできるんですね。家も自分ひとりで建てちゃうし、樹液から蜜をとる装置とか、どんどん発明してつくっちゃう。外の仕事から帰ってきて、夜、娘たちがベッドに入る頃には、ギターを片手に、毎晩、歌を歌ってくれる。自分で作詞作曲までできちゃう・・・。何でもできて、何でも知ってる、優しいパパという役柄ですね。私も、ああいうパパでありたいと思っていますが、全然実践できていません。ローラの語る世界には、美しい自然の風景がたくさん出てきます。深い森に囲まれた、珠玉のように美しい湖で、時を忘れて遊んでくるみたいな・・・私も、それにすっかり影響されてしまって、「うちの近くに、森に囲まれた湖はないものか?」と、自転車に乗って、当時、まだ田舎だった柏の郊外を、いろいろ探検したものです。そういえば、1997年、米国のシカゴに、出張したことがあります。そこで知り合った、Joshという友人の家に遊びに行きました。彼の家は、ローラの生まれた、ウィスコンシン州のペピン湖から、ほど近いところにあります。シカゴからは、クルマで2~3時間くらいの距離です。ウィスコンシン州は北国で、まだ10月末なのに、粉雪が舞っていました。Joshの故郷は、森と草原に囲まれた本当に小さな村で、民家と、教会と、シアーズ(巨大スーパーマーケット)以外、何もないところでした。少年時代から、教会と共に育ち、敬虔なクリスチャンになったJoshは、ほどなく会社を辞め、ミッショナリー(キリスト教伝道師)の団体に入り、世界各地に布教に行く道を選びました。あれから10年、今頃、元気にしてるかなあ?
2007年02月23日
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今年は、イチゴが美味しい。例年より、粒も大きくて、甘い。バラエティも豊富。暖冬の影響なのかもしれないけど、今の時期に出荷されるイチゴは、ハウス栽培でしょうから、あまり関係ないかもしれませんね。スーパーに行くと、いろいろな種類、産地のイチゴが売っています。私たちがよく買うのは、茨城産か栃木産の「とちおとめ」、1パック398円くらいで、なかなか手ごろなお値段なので、子供のいる家庭には、助かります♪子供って、本当にイチゴ大好きで、たくさん食べますもんね。国産イチゴのなかでも、高級とされているのが、福岡県産の「あまおう」。こちらは、1パック780円とか平気でするので、なかなか、手が出るものではありません。でも、すごい人気のようです。「あまおう入りのアイスクリーム」とか、よく出てますもんね。うちの実家のある、千葉県柏の周辺でも、最近では、イチゴ栽培農家が、増えてきたようです。この辺は東京に近く、宅地化も激しく、農地には宅地並み課税がされてしまうことも多いので、コメや野菜づくりの農家は、なかなか苦しい経営をされているようですが、イチゴだけは、うまくやれば採算がとれるからでしょうか、最近は結構、見かけるようになりました。この間、里帰りしたときに、家の近所の、「そのべ農園」前で、取れたてのイチゴが、露店で売られていました。確かに、取れたてだから、美味しい。でも、1パック600円とかするんだよなあ。そして、1歳5ヶ月になる娘は、イチゴを半パック、300円分を、一瞬のうちに、ペロッと食べてしまいました。ま、それはともかくとして、日本では当分、美味しいイチゴが食べられそうですね。
2007年02月22日
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今度の、オーストラリア行き日程が、ほぼ決まりました。とりあえず、3月19日、出発家族全員で、ケアンズとシドニーに行きます日本帰国日は、未定 (当分、帰んないかもね・・・)豪州在住の皆様、今回も、遊んでくださいね。これが一番重要)シドニー・ケアンズの美味しい店情報、大募集!!!
2007年02月20日
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今日、仕事の合間を見つけて、某大手銀行が主催する、住宅ローンの説明会に行ってきました。今後、日本で家を買う場合、住宅ローンがいつ組めるかを知りたかったというのが、主な理由なんですが、ローン担当者と話しているうちに、驚くべき事実が発覚!その銀行の住宅ローンのルールとして、「1軒目の家をローンを組んで買って」「その家を賃貸に出して」「2軒目の家を、同じ銀行のローンを組んで買った」場合、なんと、「1軒目の住宅ローンの利子が高くなる」んだそうです。その理由として、「1軒目は、もともと自己居住用だったから、安い金利で住宅ローンを設定できた。ところが、それが賃貸になった瞬間、事業者ローン扱いとなり、住宅ローンより高い利率になってしまう」からだそうで・・・日本のほとんどの銀行は、こういうルールでローンをしてるんだそうです。日本では、これが常識なんでしょうか?私は、とてもヘンな話だと思いましたよ。私は、オーストラリアで、これまで2軒、家を買いました。この国では、家を買うのが1軒目であろうと、2軒目、3軒目であろうと、或いは、自己居住用であろうと、投資用であろうと、ローンの利率に、変わりはありません。それどころか、オーストラリアでは普通、1軒目より2軒目の方が、断然、買いやすくなります。2軒目を買う時、銀行はその担保価値を、1軒目の物件と合算して評価してくれますから、もし1軒目が値上がりしていれば、より少ない頭金で(下手したら頭金ゼロで)、2軒目を買えるのです。さらには、2軒のうち一方を賃貸に出して、赤字が出た場合、税金が安くなる!という特典までついています。要するに、この国では、国民がセカンドハウスを持つことを、税制上も金融システム上も、奨励しているんですね。日本の銀行がやってることは、まさにその逆ですよね。要するに、「1軒目を買ったら、ずっとそこに住め。もし賃貸に出したら、ローンの利率を高くするぞ!」と言っているわけでしょう。つまるところ、「2軒目を買って、同じ銀行でローンを組んだら、金利面で損する」しかないんですよね?だって、1軒目と2軒目があれば、普通、どちらかを賃貸に出すわけですから・・・。(注)もっとも、1軒目を買った後、転勤・異動などの理由で、通勤不可能な場所に2軒目を買わざるを得なかった場合は、特例として、1軒目を「自己居住用」、2軒目を「セカンドハウス」という扱いにして、2軒とも、普通の住宅ローンを組めるそうですけどね。私はこれまで外国暮らしだったから、日本にずっと住んでいた人と感覚が違うのかもしれませんが、私はこれを聞いて、「すごく時代遅れ」だと思いましたよ。だって、日本のような、世界的にみても裕福な国で、一体どうして、多くの人々がセカンドハウスを持てないんでしょうか?なぜ、この国の金融機関は、人々が2軒目の家を持つ自由を、邪魔するようなルールを設けているんでしょうか?それに、日本はこれから、人口減少社会に入り、全国的に、住宅ストックが大量に余ることは、目にみえています。そういう状況がある以上、日本人がもっとセカンドハウスを持つように、うまく誘導しないと、需要と供給の関係から、資産価値が暴落してしまいませんか?東京の都心とかなら、その心配はないかもしれないけど、地方とか、ちょっと郊外の不便なところで住宅が余ってしまったら、一体どうなる?また、日本の銀行の、ローン貸出のリスクに関する考え方も、私には理解できません。だって、それ自体では収益を生まない自己居住用の住宅には、安い金利をつけるのに、ちゃんとお金を生んでくれる賃貸用の住宅には、高い金利をつけてるわけで・・・普通考えて、逆じゃないですか?例の担当者は、「賃貸に出すと、空室のリスクがあるから、銀行は、その分、金利を高くせざるを得ない」と言ってたけど、その理屈でいえば、自己居住用の方が、もっとリスク高くありませんか?だって収益ゼロなんだもん!というか、銀行なら、その物件を賃貸に出した場合の収益性や空室リスクを評価して、それに応じた金利設定をするべきじゃないですか?「自己居住用」と「事業用」で、機械的に金利を割り振るなんて、あまりにも芸がなさすぎる!ま、高い金利が嫌ならば、1軒目と2軒目、別々の金融機関で住宅ローンを組めば、いいだけの話なんですがねえ。でも、なぜ日本では、そんな面倒臭いことをしなくてはならないんでしょう?
2007年02月20日
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厳しい財政状況、少子高齢化に伴い、公共投資のあり方が厳しく問われている昨今です。確かに、世の中には、効率や効果の面で問題の多い公共事業が少なくありません。それでも、地域の緑化、美化、快適性、安全性を向上させるような公共投資に、お金を惜しんではなりません。また、そういう方面で、お金を正しく使うならば、たとえばの話、1億円の公共資金を投じて、それが、3億、4億の価値を生むことだってあるのです。そういう、「良い公共投資」の事例の一つが、我が家から歩いて2~3分の距離にある、「古石場親水公園」だと思います。古石場親水公園は、東京・江東区の西部、牡丹(ぼたん)町と古石場(ふるいしば)町の間を流れる都市河川・「古石場川」の水害防止、および緑化、美化を目的として、1990~91年にかけて整備されました。これらの地名は、昔から続く、由緒あるものです。「牡丹町」というのは、江戸時代、この一帯に住んでいた殿様の屋敷に、牡丹の花を植える者が多かったことから、つけられた地名です。「古石場」というのは、江戸城を築城する際に使われる、膨大な量の石材の置き場がここにあったことから、ついた地名です。古石場に隣接する「木場」という地名も、もとは江戸城の材木置き場でした。「木場」と「古石場」は、セットだったんですね。平成の世になってつくられた、古石場親水公園も、江戸時代の牡丹・古石場以来の歴史を表現すべく、デザインされています。牡丹町の区域には、日本全国から集められた各種の牡丹の花が植えられ、古石場町の区域には、これまた各地から集められた、各種の石材がふんだんに使われています。また、870メートルにわたる細長い公園の両側に、区民有志(多くは小学生や中学生)の手による、絵が描かれています。いろいろなテーマが表現されていますが、どれも、かなりの力作です。江東区は、ごく最近まで、殺風景な工場地帯、または埋立地だったところです。そこに近年、ものすごい勢いでマンションが建てられたのですが、工場跡地に建つマンションの多くは、殺風景だった頃の雰囲気を引きずっていて、おしゃれで楽しい街並みなど、望むべくもありません。ところが、ここ牡丹・古石場にあっては、風景になぜか、潤いと味わいがあって、歩いていて気持ちいいんですよね。その秘密は、やはり、江戸時代から続く歴史伝統の力なのだと思います。また親水公園も、そうした歴史とうまく調和しています。この通り、車を気にせず、安心して歩けます 地元有志の手による壁画が、延々と続いています子供たちが描いたもの、アートですねえ♪江東区は、災害に弱い地域です。江戸時代以降の、埋め立て・干拓等によって、新たに陸地になった新開地ゆえに、地盤が緩く、どこを向いても水だらけ。おまけに、区域の多くが海抜ゼロメートル地帯ということもあって、数十年前から、地震や洪水などの自然災害対策に、力を入れてきました。そのため、江東区内の主だった川は、まず河道を広げ、そこに植樹を施し、遊歩道を設け、親水公園として整備されています。もちろん、主な目的は防災性の向上ですが、水と緑に包まれ、車を気にせずに歩けるこの空間は、区民の憩いの場にもなっています。ところで近年、親水公園に面したマンションが、人気を集めています。バルコニーから、水と緑の眺望(リバービュー)が得られる部屋は、どこも、人気がありますし、眺望のあるなしで、価値が数百万円も違ってくるそうです。古石場親水公園を歩いていて、面白いことに気づきました。親水公園ができる以前に建ったマンションは、どこも、バルコニーが川に背を向けていますが、それ以降に建ったマンションは、どれも例外なく、バルコニーが、川の方を向いているのです!下の写真を見てください。写真の中央上方にある、白と黄色のマンションは、親水公園完成以前の1980年代に建ったもので、いずれも、バルコニーが川とは別の方向を向いていますが、手前の、1999年に建った茶色のマンションは、川の眺望を強調したバルコニーになっています。バルコニーの向きが違う!リバービューを前面に出したマンションこのこと自体、親水公園がいかに、地域の美観向上に役立ち、資産価値の向上を生み出したかを、物語っていると思います。余談ですが、上のリバービューのマンションは、売り物件が一つも出ていないのに、購入希望者がたいへん多く、順番待ちをしている状況です。オークションに出したら、高い値段で売れるのかもしれませんね。今日も、娘を連れて、親水公園で遊んできました。ここを歩くたびに、「江東区は、じつにうまい税金の使い方をしたもんだ」と、つくづく思います。
2007年02月19日
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明けましておめでとうございます(といっても、旧正月のほうね♪)。昨日、近所の「古石場親水公園」に、娘を連れていったら、そこで、小学生くらいの子供たちが、「ドッジボール」と「キックベース」で遊んでいたので、とても懐かしくなりました。「ドッジボール」は、陣地を分けて、2チームに分かれて、サッカーボールくらいの大きさのボールをぶつけ合う遊びです。日本全国、子供時代ドッジボールをやらなかった人は、珍しいと思います。また世界の多くの国で、ドッジボールはポピュラーな遊びだそうです。一方、「キックベース」(「フットベース」ともいう)は、ドッジボールで使うボールを使って、「野球」のルールで遊びます。野球でいう「ピッチャー」が、ボールを転がして、それを「バッター」が蹴って、野球と同様、一塁、二塁、三塁、ホームと進塁します。守備側も、野球と同様、一塁手、二塁手、三塁手、そして外野手がいて、走者にボールをぶつければ、アウトにでできます。皆さん、子供時代、キックベースやったことありますか?こちらは、人数が揃わないとできないし、またそれなりに広いスペースが必要なので、都会の真ん中で育った子供たちは、あるいは遊んだ経験ないかもしれませんね。日本以外の国では、どうなんでしょう?私の子供時代、特に小学校3年から5年にかけては、「ドッジボール」と「キックベース」に明け暮れた日々でした。私は、小学校二年の時に、東京の真ん中(文京区小石川)から、郊外の千葉県柏市に越してきました。東京に住んでた頃は、近所に空き地もあんまりないから、メンコとか鉄道模型とか、室内でもできる遊びが中心だったのですが、柏に越してくると、まず驚いたのが、校庭の広さ。そこでは、「ドッジボール」文化が花盛りでした(他にやることないもんね・・・)。休み時間になると、無数の子供たちが、校庭に繰り出して、ドッジボールをしていました。もちろん、男の子も女の子も一緒。先生さえも、一緒に遊んでいましたね。放課後も、家に帰らず、心ゆくまで、校庭でドッジボールするのが、正しい、柏の子供のあり方でした。東京から越して来た私も間もなく、柏のドッジボール文化に、違和感なく加わりました。私はトロいし、運動神経が鈍いので、いくら遊んでも、なかなか上手くなりませんでしたが、クラスには、「ドッジボール名人」なる者が、何人かいたものです。今でも思い出すのは、マサシ君という男の子。彼は横から投げるサイドスロー、その球は、独特の回転をするので、誰も彼の投げる球を取れません。マサシ君と同じチームになったら、まず、相手チームに負けることはありませんでした。あと、ユリコちゃんという女の子は、いつも男の子に混じって、ドッジボールに明け暮れていたので、なかなか強かったです。週末、校庭が使えない時は、ユリコちゃんの家の近くの、狭い道路で、「路地裏ドッジボール」をよくやったものです。路地裏だから、時々、車が入ってきて中断したし、またコンクリートだから、転ぶと痛かったけど、当時の子供たちは、それでも構わず、遊んだものです。小学校4年が終わる頃になると、ドッジボールに飽きて、キックベースをはじめました。キックベースという遊びは、ゲームとしては退屈ですが、それでも、ボールを思い切り蹴って、それが前に飛んだ時の爽快感がこたえられません。私も、6時限目が終わったら、弾丸のような勢いで体育館に走り、ボールをとって、毎日のようにキックベースやってました。それでも、よく空振りをしたし、凡退も多かったので、本当に運動神経がないんでしょうね。面白いことに、もうすぐ中学生、という頃になると、クラスの誰も、キックベースやドッジボールをやらなくなってしまいました。ちょうどその頃、柏で初めての「ゲーセン」(ゲームセンター)ができて、男の子も女の子も、皆、ゲームにハマってしまったからです。当時は「パックマン」、「ドンキーコング」、「ギャラクシアン」などのゲームが出たての頃でしたが、それでも子供たちに与える影響力は絶大なもので、おかげで、皆ぱったりと、外遊びをしなくなってしまいました。それに、小学校高学年になると、塾通いする子も増えますもんね。今の子供たちは、ドッジボールとかキックベースを、やるんでしょうかねえ?
2007年02月18日
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私は、オーストラリアで大家さんをやっています。家を借りてくれているのは、お友達なので、できるだけ、良心的な値段で貸しているんだけど、この国の、昨今の経済状況の変化のため、特に利子高騰のために、やむなく、値上げに踏み切らざるを得ませんでした。思えば、私がシドニーで家を買ったのが、2002年。以来、2005年の前半まで、家族で住んでいました。住宅ローンの残高を極力減らすべく、私の給料の大部分を、返済につぎこんだものです。その後、中国移住に伴い、シドニーの家が空いたので、お友達に貸しました。当時、ローンの利子は、年率6%ちょっとでした。それから2年、オーストラリアは、資源特需に沸き、特に、鉄鉱石や石炭を多く産する州を中心に、経済過熱の恐れがでてきました。それを抑えるために、政府は、公定金利をジリジリと上げ、現在のローン金利は、7%台の中盤~後半まで上がりました。この、1%ちょっとの利上げが、この国の住宅所有者に与えた影響はとても大きい。特に、無理して借金して、家を買った者のなかには、金利負担に耐え切れず、泣く泣く、売りに出す者が続出しました。私は、無理のない範囲で借金してたからまだ助かったけど、それでも、ここ2年間の利上げによる利子負担の増加は、結構なものです。その半分でも、借り手に負担してもらおうと思い、計算したところ、「現実問題として、こんなに上げられない」ことが分かり、もう少しマイルドに上げ幅を抑えて、先日、手紙でその旨を通知しました。オーストラリア全国で、大家さんはいま、私と同じようなことを考えています。利子負担の増加を、家賃に転嫁する動きが広がり、家を借りる者にとっては、なかなかつらい世の中になってきたと思います。
2007年02月16日
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今回は、私の地元の話題でいきましょう。新鉄道「つくばエクスプレス」が通る、千葉県柏市の北部。そこに新しくできた「柏たなか」駅は、地名でいえば「小青田」という、柏のなかでもとびきり田舎なところです。純農村地帯と言っても良い。この一帯は、昔から、「田中村」と呼ばれていました。地域最大の企業は、もちろん「田中農協」♪「柏たなか」という駅名も、田中村から来ています。その「柏たなか駅」の近くに、「Come Come Town(カムカムタウン)ウィズ柏」という分譲マンションができるそうです。最多価格帯が2700万円という、お手ごろ物件なんですが、契約した暁には、なんと、田中農協から、米1年分をプレゼントなんだそうです。ちなみに、米1年分というのは、重量にして130kg!!そんな大量の米、どこに置くんだ??と、聞きたくなりますが、ここのマンションには、米置き場がすでに設置されているのかもしれませんね。ふと思ったのですが、"Come Come Town"というのは、「コメコメ・タウン」の略だったのかも。田中農協おそるべし。ま、これは微笑ましい話だと思いますが・・・ここ柏市は、「都会と田舎がせめぎあう地」。首都東京の通勤圏でありながら、背後に広大な農村地帯を擁しています。だから、土地のオーナーは、もちろん、数百年も前からこの地を耕してきた、お百姓さんであることが多い。その、お百姓さんたちの土地を、不動産デベロッパーやハウスメーカーが買い取って、東京通勤者とその家族のための宅地を、ひたすら造成してきたのが、ここ40年ほどの柏の歴史です。柏の近辺で、不動産デベといえば、伝統的に、三井と東急が強いです。これらの企業は、首都圏の各地で、住宅地づくりを手がけているから、それなりに提案力あるし、近代的なコンセプトの、魅力的な街並みをつくる能力も持っています。柏の不幸は、首都圏屈指の不人気路線との呼び声高い、JR常磐線の沿線に位置していることです。沿線イメージは首都圏最低クラス。それでも、三井東急が手がけた良質な郊外住宅地がたくさんあるおかげで、柏の近辺は、都心に勤める大手企業のサラリーマンなど、ミドルクラス(中産階級)が中心の社会になっており、所得水準もまあまあ高い。これだけの不人気沿線にも関わらず、小金持ちを集めることに成功したのは、奇跡に近いと言えるでしょう。ですが、良いことばかりとは限りません。良質な住宅地が存在するかたわら、それ以上に、無秩序なミニ開発も多く、それが景観を醜くしている状況も目立ちます。先週末の里帰りで、その「悪い住宅開発の見本」を、この目で見てしまいました。その場所は、2年前、柏市に編入された、もと「東葛飾郡沼南町」だった地域。鉄道は全く通っておらず、JR我孫子駅などから、バス便を使わざるを得ない、通勤には不便な土地です。そんな立地のため、地価は安く、下手したら2000万円台で、新築の土地付き一戸建てが建ちます。「どうしても一戸建て」という向きには、それなりに魅力的なのでしょう。その需要を見越してか、地元の土地開発組合(土地オーナーの団体)が、最近、山をひとつ切り崩して、大規模な宅地造成をやりました。そこに参入した最大のデベロッパーが、近鉄不動産でした。近鉄は、「ローレルヒルズ手賀の杜」という分譲地を手がけました。それは、各戸の土地面積が60坪以上、家と家の間隔もゆったりとり、魅力的な住宅地になるはずでした。ところが、地元の土地開発組合は、すべて近鉄に任せればいいものを、何を血迷ったのか、近鉄のほか、いろんなハウスメーカーに、土地を細切れに、切り売りしてしまいました。各ハウスメーカーは、近鉄のように、各戸60坪以上確保なんてしません。下手したら、30坪ぎりぎりの土地に、何の特色もない住宅をボンボン建てて、売りに出すのです。そのおかげで、とてつもなく統一感のない、ヘンな街並みになってしまいました。家の見た目もばらばらだし、おまけに、何千人も住むような町なのに、まともな公園ひとつない。それどころか、スーパーひとつないのです。このままいくと、家は建っても、街は死んでしまう・・・。これを見て、私は思いました。都市生活・街づくりのセンスやノウハウを全く持たない、地元のお百姓さんたちが、宅地分譲をやること自体が、諸悪の根源なのではないかと・・・。今の時代、単なる宅地の切り売りをやっていてはだめです。宅地造成、イコール魅力的な街並み、快適な都市環境や美しい景観づくり・・・なのです。それには少なくとも、都市設計ノウハウを持った不動産デベロッパーの力を必要とします。地元のお百姓さんは、住宅地づくりを彼らに全部任せて、地代や配当で、左うちわで暮らせばいいものを、自分たちの判断で、土地の切り売りなんかしちゃうから良くない。それをやると、都市住民にとって、魅力を欠いた中途半端な住宅地になるのが関の山。あの光景をみて、私は悲しくなりました。いまどき、こんなことやってるから、我が地域は、東京者から馬鹿にされるのだという、憤りさえ覚えました。私が柏市長になったら、アホな住宅開発を根絶したいですよ、マジで・・・。
2007年02月15日
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全国の学校現場で、「いじめ」を苦にした自殺が、相次いでいるようです。私自身、学生時代は「いじめられっ子」だったので、こういうニュースを聞くと、本当に悲しくなります。死んだって、何にもならないぞ・・・。私も、「いじめ」に深く悩んできましたが、自殺を考えたことは、ただの一度もありません。私はどうやら、「生」への執着が、並外れて強い人間のようです。この世に生存したいという意欲(エゴ)が強烈すぎて、いくら悩み苦しんでも、自分から命を絶つなど、考えもつきません。だから、いじめを受けたという苦い体験を、自分のより良い「生」のために、前向きに活かそうという気持ちが強いのです。そして、思うのです。「いじめ」を頭から否定するよりも、もう少し、賢く使うことはできないものか・・・いじめで、人の心を深く傷つけたという体験は、いじめた側にとっても、いじめられた側にとっても、また、いじめを黙認した側にとっても、強烈な原体験であるはず。それがかえって、今後の人生の糧となるんじゃないかと・・・。私にとって、集団無視といういじめを受けたことは、強烈無比な原体験でした。もちろん、楽しい思い出ではありません。でも、それがきっかけで、いろんな意味で、人間的に成長できたとも思うのです。私が、いじめから学んだこと。それは、「集団から自分を守る知恵」です。人は、ひとりでは生きられません。古今東西を問わず、誰でも、どこでも、揺りかごから墓場まで、何らかの集団に属して、生きる宿命を負っています。集団は、そこに属する一人一人に、満足感、充実感、安心感を与えるものです。反面、ふとしたきっかけで、特定の個人に対し、恐るべき迫害者として、立ち現れることもあります。いじめは、その典型例でしょう。集団が「迫害モード」になってしまった時、それに歯止めをかけるのは、至難の業です。たとえば、クラスのなかで、非常に影響力のある数名が、私をいじめているとします。もし、クラスの誰かが私をかばうと、その者も、いじめの対象になってしまう・・・そんな状況のなかで、クラスの大多数は、自分の身を守るために、いじめに加担するか、黙認せざるを得ないでしょう。それが、集団の力学というものです。いじめに苦しめられた私としては、本当に腹立たしいけれど、残念ながら、これが各地で起こっている、いじめの典型的な構図でしょう。教師だって、あまりアテになりません。いまの日本で、いじめをやめさせるだけの実力と、意欲を持った教師が、一体、どれだけいるのでしょう? 私は、教師批判をしたいわけではありません。私だって彼らの立場になったら、クラスのいじめを本当にストップできるかどうか、分からないですもの。むしろ私が言いたいのは、集団というものは、ときに、個人の力ではどうにもならない、恐ろしい存在になりうるということです。だからこそ、集団から我が身を守る術を、身につけなければならないと、私は考えたのです。一体どうすれば、自分を守れるのか?私が重視するのは、「いま属している集団を、いつでも好きな時に抜けて、他の集団に、鞍替えできる能力」です。世に、「目くら千人、目あき千人」と言います。広い世界には、自分のことを、評価してくれない者(目くら)がいるとすれば、それと同じくらい、評価してくれる者(目あき)もいるはずだ・・・という意味です。自分が、いま属している集団において、不遇に甘んじているとすれば、それはたまたま、「目くら」ばかりが集まっている集団だからかもしれない。だとすれば、そんな集団、とっとと抜け出して、広い世界に乗り出して、「目あき」のいる集団に鞍替えすればいいのだ・・・これこそが、私がいじめ体験から導き出した結論です。当時の私は、日本がある意味、自分にとって「目くらの集まり」であると考えていました(今では、必ずしもそう思わないけど・・・)。「目あき集団」に出会う確立を高めるべく、私はまず、日本を飛び出し、世界に広く目を向け、外国語を必死に勉強しました。そして、社会人になってからは、どの会社でも雇ってもらえる、「手に職」系のIT技術者を目指しました。語学力と技術力を磨く自己投資は、惜しみませんでした。それは、「会社をクビにならないため」の投資ではなく、「いつでも転職できるようにするための」投資だったのです。私がいま、会社から会社へ、国から国へ、渡り鳥のような渡世を送っているのも、元はといえば、いじめ体験から生まれた、飽くなき生存欲求の現れなのかもしれません。その意味では、いじめが、私を育ててくれたのかもしれません。いじめに感謝・・・それはしないけどね。
2007年02月14日
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一昨日書いた、「いじめ」の話題に関連して、今回は子育ての話題で行きましょう。学校におけるいじめの根本原因を探るには、子育て環境や、子供の人間形成過程まで、掘り下げて考えないと分からないと思うから・・・。昔と比べて、今は学校でも、家庭でも、地域でも、子育てにおける「厳しさ」がなくなってきたことは、よく指摘されるところです。確かにそうでしょう。「雷おやじ」なんて、昔は当たり前だったけど、今はどこにいるの?みたいな感じですし、親も教師も、すでに、威厳を持つ怖い存在ではなくなって、子供にとって「お友達」みたいな存在になっているのでしょう。どうしてそうなったのかを、今回はちょっと考えてみますね。私の育った家庭は、すでに「現代的」でした。全然怖くない、お友達みたいな父親、母親のもとで、自由奔放に、というか好き勝手に育ちました(だから、こんな人間になっちゃったのか・・・)。面白いことに、私の父も母も、子供時代、親はものすごく怖かったといいます。特に母の父(私にとっては祖父・・・すでに他界)は、若い頃、幼い子供たちを、木の物差しで叩きまくったという・・・。8人きょうだいの大家族でしたが、みな口を揃えて、「恐ろしい親父だった」と、述懐するほどです(私は、すでに優しいおじいちゃんになった姿しか知らないんですけどね・・・)。私の母は、その反動でしょうか、「自分は、あんな親にはなりたくない。絶対にごめんだ!」と常に言いつつ、優しく、子供の意見を尊重する母になりました。父も同様です。世代的には、団塊よりちょっと前。学生時代、60年安保の影響を受けた、リベラル色の強い世代です。思えばあの頃から、「怖い親」に対する反発心からか、あるいは、米国ホームドラマ「パパは何でも知っている」の影響からでしょうか、良くも悪くも、物分りの良い、友達みたいな親が、増えてきたのかもしれません。「怖さから優しさへ」、「権力者から友達へ」その流れは、止まる兆候を見せないまま、現在に至っています。学級崩壊、少年犯罪、いじめの問題と絡めて、「過保護だ、行き過ぎだ!」の大合唱も聞こえます。私の意見では、これは歴史の必然に限りなく近いものです。雷おやじの時代は、永久に戻ってこない、というのが、私の持論です。なぜ、そう思うのか・・・私たちが生きる、この自由主義、資本主義、大量消費の社会は、「選択」と「説得」の原理によって成り立っています。それが、家庭や学校を含め、すべての人間関係をして、「選択」と「説得」の方向に振り向ける力を持っているからだと思います。もう少し分かりやすく説明しますね。私たちは、日々、おびただしい数・種類の商品を消費しながら生きています。いまの日本、商品・サービスの選択肢は、それこそ星の数ほどあって、その中から、自分の好み、予算、ライフスタイルに合うものを、一日に何十回も「選択」する・・・そんな毎日を送っています。一方で、私たちの多くは、商品・サービスの生産者・販売者でもあります(会社員であっても、つまるところ、何らかの商品を売って、その利益から給料が出ているんですよね?)。私たちが食べていくためには、お客様に、わが社の製品を買ってもらわなくてはならない。そのためには、「当社の製品は、ここが優れている」ということを、常に「説得」し続けなくてはならない。「説得」できて、お客様ははじめて財布を開いてくれるわけです。「選択」と「説得」の繰り返し・・・それが自由主義の原理というものです。この社会では、「ああせい、こうせい」と、頭ごなしに命令する権力は嫌われます。たとえばの話、自分の好きな服や化粧品があるのに、誰かに、「これ買え!あれ買え!」と命令されたら嫌ですよね?自分のやりたい仕事があるのに、政府から「この職業に就きなさい!」と命令されたら、もっと嫌ですよね?そんな話が成り立つのは、全体主義か共産主義の社会だけで、自由主義の社会とは、相容れません。「選択」と「説得」の原理が、社会システムの隅々まで行き渡るのも、自由主義社会の特徴です。たとえば、政治権力者も、選挙という、「説得」と「選択」の原理によって選ばれるわけですし、地域に産業を誘致するのだって、業界や政府を「説得」して、「選択」してもらわなければならない。日本は、戦後復興から50年以上かけて、今日のような、「選択」と「説得」が支配する社会を手にしました(そうなっていない部分も、多少あるけど・・・)。そういう環境で日々生きている大人が、子育てにあたっても、「権力」ではなく「説得」を、「強制」よりも「子供の自由選択」を好むのは、ごく自然の成り行きだと思います。ただ実際問題として、子育てでこの方針を貫くのは、難しい。手間暇がかかるし、かなり高度なスキルが必要です。私も親だからよく分かるのですが、わが子に対して、「強制」させるのは簡単です。ラクです。時間もかかりません。恐怖感を与えれば、親の思う通りに行動してくれます。短い時間で、効果もてきめんです。ただ、その手を使わずに、「説得」だけで、何かを成し遂げようとするのは、とても手間がかかります。たとえば我が家に、コードがタコ足配線みたいになっている場所があるのですが、うちの娘(1歳5ヶ月)が、そこに行かないように、命令するのではなく、「コードというものは、危ないから、触ってはいけないんだよ」と、何度も何度も、分かるまで、言葉で説明するのは、本当にイヤというほど、時間がかかります。ですが、その気持ちが通じた瞬間、娘は自分の自由意志で、その場所に行かなくなります。昔の「雷おやじ」と、今の「優しい親」が違う点というのは、たぶん、子供の自由意志にかかわらず、親の意に従わせる「強制力」を持っているか否かだと思います。「雷おやじ」はそれを持ち、今の親が持っていないのだとしたら、後者は、「子供が理解するまで辛抱強く説得するスキル」および、「子供の自由選択と親の価値観をうまく共存させるスキル」を身につける以外にありません。それが、必ずしもできていないからこそ、昨今、子育てや教育現場をめぐる、いろいろな問題が起きているのだと思います。但し、だからといって、昔の「雷おやじ」の時代に戻ることは、現実的な解決策ではありません。曲がりなりにも、自由社会に生きている以上、「選択」と「説得」を軸とした、新しい子育てスキル、教育スキルを、私たち一人一人が身につけること、それ以外に方法はないと思います。「昔はああだったから、よかった」みたいなノスタルジアは、今を生き、苦労する親たちにとって、有益なアドバイスになりえません(ついでに言えば、少子化対策にもならない)。私たちは、今、この時代にあった、子育てや教育方法論を、自らの手で、試行錯誤しながら、編み出していかねばならないのです。私は、雷おやじにはなりません。だって、似合わないもん。それよりも、言葉を使って、何事も、噛んで含めるように説得する、そして、子供の自由意志を最大限尊重する、辛抱強く、優しい父親でありたいと思っています。
2007年02月13日
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最近、学校の給食費やNHK受信料の未納が、社会問題になっているようです。NHK受信料の義務化は国会で審議されるようだし(今まで、義務じゃなかったのね・・・)、ある地方では、給食費の支払いに連帯保証人をつけさせる動きさえあるらしい。思うに、給食費の徴収に携わる教師や、NHK受信料徴収員のご苦労は、大変なものがあるのでしょう。私は、こういうニュースを聞くにつれ、「日本って、お金集めがなんて下手な国なんだろう!」と、驚きを隠せません。昨年9月、日本に戻ってきたばかりの頃、私は家族のために、国民健康保険に加入しました。私は、その料金徴収のシステムを聞いて、驚きました。まず、区役所に行って手続きをすると、まず国民健康保険証を渡されます。ですので、その日から保険を使って、医療サービスを受けることができます。一方、保険料の支払いはというと、まず区役所で、請求書を渡され、「何月何日までに、お近くの金融機関、郵便局、コンビニでお支払いになれば結構です」と言われました。世の中、私みたいな正直者ばかりとは限りません。このシステムでは、絶対に納付漏れが出るのは明らかだと思います。で、期日までに納付しない者にはどうするかというと、催促の通知を出したり、場合によっては徴収員を出張させたりするらしい。こんな風に、お金と労力を使わざるを得ないシステムになっているわけですし、そこまで頑張っても、100%の納入は到底望めないでしょう。人間誰だって、極力、お金を払いたくないものです。それでも払わせるためには、「お金を払わないでも良い」という選択肢を残してはなりません。いや、「払わなくても、何とかなるかもしれない」という予感さえ与えてはいけません。曖昧さを微塵も残してはいけないのです。保険料に関していえば、たとえば、1)保険料を徴収した後、初めて、サービスを受けられるという原則を徹底する。たとえばの話、病院の受付で、保険料払い込み情報をオンラインで検索し(日本なら、それくらい簡単にできるでしょう・・・)、もし未納であったなら、「保険で払いたいならば、この場で未納分を払ってください。もしなければ、まず全額払って、後日、還付の手続きをして下さい」と言う。そうすれば、未納は限りなくゼロになるでしょう。もし、それでは余りにも世知辛いというのなら、2)保険料自体を税金に含めてしまい、健康保険は、原則無料で配布されるものとする(その代わり、税金は高くなるけどね・・・)。余談ですが、以前住んでいたオーストラリアでは、医療保険は二本立てになっていました。1)メディケアカードこちらは、国家が運営するもので、日本の健康保険証に似ています。保険料は税金に含まれるので、国民・永住者なら、無料で加入できます。2)民間医療保険こちらは任意加入。「メディケアカード」でカバーできない範囲の医療サービス(入院、特別治療、歯科、眼科等)を、民間保険会社を通じて「買う」ものです。こちらは、保険料を支払ってから、初めてサービスが利用できます。私の目からみて、オーストラリアの医療制度は、決して誉められたものではありません。メディケアカードでカバーされる範囲は狭いわ、民間医療保険はやたら高いわ、しかも、任意加入のはずなのに、国家に半強制的に加入させられるわ・・・不平不満は山ほどあるのですが、ただ、「料金の徴収」という面だけからみると、うまく機能していると思います。メディケアカードは税金で賄われるし、民間医療保険も、「保険料を払わないと、サービス受けられない」から、未納は限りなくゼロに近いはず。そうした、「基本的なお金の払わせ方」が、日本は限りなく下手だと思う・・・。給食費にせよ、NHK受信料にせよ、「お金を払っても払わなくても、サービスを享受できる」ような状態にしておいて、なおかつ「お金を払わせる法的義務や罰則もない」とすれば、それじゃあ、神社のお賽銭と大差ない。払わない者が出てきて当然でしょう。お金に対しては、「日本人なら、払ってくれるはずだ」みたいな性善説を断固排すべきです。お金集めは性悪説の方がうまくいく、これは日本を含め、万国共通の法則でしょう。また、性悪説に徹して、徴収率を100%に近づけた方が、皆のためにもなります。日本の学校給食って、わずかな出費で栄養学的にもバランスの取れた食事が摂れる、外国に例を見ない素晴らしいシステムだと思うけど、でも、給食費徴収システムがダサいせいで、「あの親は、給食費払ってないんだよね」とか、「払ってないのに、こないだ海外旅行に行ってたぞ」みたいな、ケチくさい疑心暗鬼に囚われる親が後を絶たないわけで・・・。そうなる位だったら、最初から学費に含めてしまった方が、どれだけ効率的で、かつ精神的にも良いことか・・・給食費って、月に数千円でしょう?学費で一括徴収したって、全然おかしくない額だと思う。特に、自校方式で、「食育」にも気を使ってくれる学校であるのなら、その辺をアピールできれば、保護者だって、喜んで払ってくれるはずです。月数千円を全員がきちんと払って、子供たちにちゃんとした食事を与えることができれば、それが一番、有効なお金の使い方だとも思います。
2007年02月12日
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「いじめ」による自殺など、悲しいニュースが相次ぎ、これが政治問題にまでなっている昨今ですが、私自身も、小学校高学年から高校にかけて、「いじめられっ子」だったので、非常に感慨深いものがあります。私は生来、おっとりしていて気もきかず(「トロい」んですよね)、人付き合いが下手、かつ忘れ物も多くて身なりも小汚く、青っ鼻をたらしていても平気な子だったので、他の子供からいじめられる要素は、多分に持っていました。で、案の定、いじめられました。中学校時代は、当時「ヤキを入れる」といいましたが、身体的な苦痛を与えるタイプのいじめが多かったです。顔がみみず腫れになったりして、見た目には派手なものでした。ただ主観的には、不愉快ではありましたが、さほど苦痛を感じませんでした。身体だけはやたら頑丈でしたから、いくら殴られても、数時間後には完治してしまうのです。一番辛かったのは、高校時代に受けた、「集団無視」という、精神的なタイプの陰湿ないじめです。これは、クラスの皆が、「あいつとは口をきくな」申し合わせて、私が何を話しかけても、クラスの全員が無視する・・・というものです。おかげで、私は2年間、クラスでは一言も口をきくことなく、沈黙を強いられました。これは、さすがに辛かった。私は、担任の先生に窮状を訴えたこともありましたが、何もしてくれませんでした。一度、クラス換えも申し出たことがありましたが、取り合ってくれませんでした。唯一、私が救われたのは、高校に図書室があって、そこが、私と同じくクラスから「浮いてしまった」者の「溜まり場」になっていたことと、放課後、学習塾に行っており、そこでは、ちゃんと友達がいたことです。家に帰れば、もちろん、両親や兄弟と話せますから、私は、一時限目から六時限目、午前8:10から午後3:30まで、クラスに居なければいけない時間帯だけ、集団無視を耐え忍べば良いと割り切り、苦悩の二年間を何とか乗り切りました。こうした、私の「いじめ体験」と、今の時代、学校現場で起こっている「いじめ」とは、約20年の歳月を隔てています。両者はもちろん、共通点が多いのですが、違う点もあります。特に、周囲や社会が、いじめをどう捉えるかという、態度の違いが大きいように思います。私が学生だった頃は、学校で「いじめ」が起こったとき、「いじめを受けた側の問題」にされることが多かったです。たとえば、「お前は、社会性が足りないから、いじめられる。だらしないから、いじめられる。生意気だから、いじめられる」・・・先生も、保護者も、あたかも、「いじめる」方は普通で、「いじめられる」方が異常なのだと、言わんばかりの反応が多かったです。また、今よりずっと、マッチョな価値観が浸透していた時代でしたから、「やられたら、やり返せ!」、「お前が強ければ、いじめられることはない!」みたいな考え方も多かったです。ただ、当時から、いじめは「多勢に無勢」、つまり「大勢が寄ってたかって一人をいじめる」時代になってましたから、やり返すのは、難しいんですよ。一人対一人ならまだしも、大勢に対して、どうやって仕返ししますか?ですので私は、いじめられる苦痛に加えて、「いじめられる方が悪いのだ」という、周囲の偏見とも戦わねばなりませんでした。うまく言葉にはなりませんでしたが、私は大変な不条理を感じていました。要は、いじめられたら最後、泣き寝入りするよう、周囲から強要された時代だったのです。今は、違いますよね。いじめが起こったら、いじめた側が悪い、というのが社会通念になってきたと思います。いじめた側に、登校を拒否させる措置も、とられるようになってきました。もちろん、いじめを苦にした、自殺が相次いだからこその結果なんですけどね・・・。また、いじめを理由にした、クラス換えや転校などは、今では認められるようになってきているらしいですが、私がいじめられていた当時は、そういう選択肢は、ありえませんでした。昨今のいじめと、20年前のいじめと、どちらがひどいのかは分かりません。見方によっては、今のいじめの方が、深刻なのかもしれないし、また先生側も、苦悩が大きくなっているのかもしれません。良い悪いは別として、以前は、「いじめる側」が「集団」ないし「社会」にたとえられ、「いじめられる側」は「集団・社会への不適応」だと見なされることが多かったのに対し、今の時代は、「いじめ」自体が、個人対個人の関係としてとらえられ、特に自殺に至るようないじめは、他の「犯罪」と同列に扱われるようになってきたと思います。その意味で、深刻ないじめが起こったとき、表面に出やすくなったとは言えるのではないでしょうか。良い悪いは別として。
2007年02月11日
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中国では、2006年度から、年収12万元(180万円)を超える高額所得者に、確定申告を義務付けました。所得格差が非常に大きい昨今、税の公平を期し、納税者の不満を和らげるためだそうです。というわけで、私も3月31日までに、確定申告をすることになってしまいました。私の職場から、「確定申告の手引き」が、電子ファイルで配布されました。中国語版と英語版の両方あるのですが、結構面倒くさい。誰か、代わりにやってくれないかなあ?でもまあ、オーストラリアに住んでる時も、Tax Returnというかたちで、毎年、確定申告みたいなことをしていたわけだし、ま、何とかなるかなと・・・。ところで、中国とオーストラリアで働いてきたけど、税率がずいぶん違うような・・・。オーストラリアでは、33.1%、天引きされてた中国では、13.7%、天引きされてた日本では、どのくらい引かれるんでしょうかねえ?
2007年02月09日
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辰巳新道は、地下鉄東西線・大江戸線の門前仲町駅からすぐ、赤札堂スーパーから深川不動尊に行く途中にある、一杯飲み屋が集中する一角です。我が家からも、歩いて15分ほどです。夜は、とてもにぎやかになるのですが、昼間は、静寂につつまれていました。それにしても、裏路地って、いいですねえ、懐かしくて・・・この風景をみて、ふと、イタリアは地中海に面した港町・ソレントの裏路地を、思い出してしまいました。どうせなら、こんな海の風景があればいいんだけどなあ・・・ま、ないものねだりは、やめよう。
2007年02月08日
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中国で払い込まれるはずだった、私の二か月分の給料が忽然と消えた????私は昨年12月、給料振込口座を、HSBC(Hong Kong Shanghai Banking Corporation)大連支店に変えました。それから、1月1日と、2月1日付けの、計2回、米ドルの月給がこの口座に振り込まれるはずでした。実際、「給料支払い明細」は、2回とも、メールでいただいていました。ところが、2月6日、銀行に直接問い合わせて、残高を確認してみると、なんと「残高ゼロ」との回答が・・・。「そんな、馬鹿なことがあるか!」と思い、急遽、深センにある、会社の経理部に確認してみました。担当は、血相変えて、急いで調べました。すると、「給料は、確かに振り込まれたのだが、銀行側で、受け取りを拒否された」という事実が発覚。より詳しく調べてみると、「HSBC銀行上海支店によれば、上海のS.A.F.E(国家外貨管理局)の規定により、中国の会社が非居住者(私のこと)に対して、外貨(米ドル)を振り込むことはできない。そのため、振り込んだ給料が、会社に返ってきた」とのこと。しかも、「ちゃっかり、数十ドルの手数料が差し引かれた」とのオチまでついてる・・・。深センでは、もちろん大慌て。「深センの国家外貨管理局では、そのような規定はないのに・・・」(なぜ、同じ国なのに、外貨政策がバラバラなの???)と、言い訳めいたことを言ってました。ですが、お金はお金。社員の給料が二ヶ月分も振り込まれなかったことと、それを全然通知しなかったこと自体、紛れもなく重大問題です。「一刻も早く、何とかしろ!(別の銀行口座に、全額振り込め!)」と、怒鳴り続けていますが、いろいろ、訳分からないこと(書類が揃わない、権限がないetc.)で手間取っているようで、まだ実現していません。ま、幸い、蓄えがある程度あるので、給料が数ヶ月間振り込まれなかったところで、生活に困ることはないですが、それにしても、社員の給料振込みという、基本的なことが、なぜできないの?と、開いた口がふさがりません。逆にいえば、中国で社員になったからこそできた、貴重な(?)経験なのかもしれませんが・・・でも、こんな経験、二度としたくない!
2007年02月07日
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今月、区役所から、児童手当が振り込まれる予定になっています。私たち家族が、海外から東京江東区に転入してきたのが、昨年9月13日でした。うちの娘は満1歳で、児童手当の対象になるので、その翌月の10月から、11、12月と、今年の1月と、合計4か月分の児童手当が、今月(2月)中に私の口座に振り込まれるという話でした。児童手当の支給額は、第一子の場合、月額5000円という話でしたが、その間に法改正があって、月1万円に増額されたので、あるいは06年10月 5000円06年11月 5000円06年12月 5000円07年1月 10000円計25000円、振り込まれるのかもしれません♪ところで、このお金、さっそく使ってしまいます。今日から、YMCAのベビースイミング(水泳)教室に入会申し込みするので、入会金(というか、YMCAの初期登録料)と2か月分の月謝あわせて、27000円を払うことになっています。今後、この教室に通い続けるとしたら、月謝は7875円(都内では、まあまあ安いほう)。つまり、月額1万円の児童手当が、ほぼそのまま、水泳代に変わるわけです。児童手当の本来の趣旨からすれば、育児で何かとお金が入用な両親に対する、国からの生活扶助だから、おそらく、ミルク代とか、離乳食、ベビー服代などの用途に使われるのが本来の姿であって、お稽古事に使われるべきものではないのかもしれませんが、お稽古事とはいえ、「水泳」という、人間として生きていくうえでの基本的な能力をつけるための費用だから、ま、いいんじゃないかな、とも思います。近い将来、オーストラリアに住むかもしれない我々にとって、「水泳」能力は、是非ともつけたいところです。ビーチやプールに恵まれたあの国に住んで、泳げなかったら、すげー悲しいと思う。ところで、先週金曜日、ベビースイミングの体験教室から帰ってきた娘は、いきなり、水を張ったお風呂に、全く怖がることなく入り、水遊びを楽しんでました。水が顔にかかっても、自分の手で拭き取る、という技まで身につけていました。子供の学習能力って、すごいと思いました。
2007年02月06日
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この週末は、妻と娘を連れて、千葉県の実家へ、一泊二日で帰省してました。節分ということで、豆まきをやりました。そして、実家のリビングが、踏み潰された煎り豆だらけになった・・・。来週は連休なので、再度、実家に泊り込みに行きます。今度は、是非とも「いちご狩り」をやりたいと考えています。いちご狩り、といえば、たとえば静岡県の久能山が有名ですが、千葉県にも、いちご農園がたくさんあります。ただ、その本場である南房総市、山武市、東庄町(とうのしょうまち)は、いずれも、実家のある柏市から遠く、クルマで片道2時間かかってしまうのが難点。そこで、ネットなどで、柏からできるだけ近くて、いちご狩りが楽しめる場所を探しています。ただ欲をいえば、「アイベリー」という、日本一大きないちごを、豪快に狩りたい♪という思いもあり、それにはやはり、東庄町まで繰り出さねばならないようです。幸い、東庄は、日本最大級の漁港を擁する銚子の隣り町。銚子には、ウォッセ21をはじめ、海鮮の直売店がたくさんあるので、「銚子の魚と東庄のイチゴ」を組み合わせた、一泊二日のドライブ旅行もいいかな、と思っています。銚子といえば・・・一山いけす。久々に食べにいきたいなあ。銚子電鉄に乗って、外川漁港の民宿でも泊まって、太平洋満喫、魚食い放題の旅、というのも悪くないなあ♪
2007年02月04日
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今日、用事で横浜に行きました。普段、東京都内から出ない生活をしているから、電車で横浜に行くと、やっぱり遠いなーと感じます。東京駅から横浜まで、東海道線快速で30分近くもかかりました。横浜駅で、ほとんどの人が降りていきました。そこから、京浜東北線に乗り換えて1駅、桜木町の駅に下り立ちました。ここに来るのは、ほとんど10年ぶりです。あの頃は、ちょうどランドマークタワーが、出来始めた頃で、桜木町の駅近辺は、ラーメン屋とかがあって、まだまだ庶民的な雰囲気でした。その駅前が、きれいに再開発されて、今ではラーメン屋なんかない!今ではBeckers(ファストフード屋)とユニクロしかなくて、駅から「みなとみらい地区」へ向かう、「動く歩道」なんてものも、できていました。動く歩道からみる、横浜港の夜景が、なかなか綺麗でした。今度は、家族を連れて来たいと思いました。
2007年02月03日
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近い将来、私の勤務地は、東京都内か、あるいは、神奈川県の川崎や横浜になる可能性があるようです。小さい子供を持つ身としては、「職住接近で、可能な限り子育て参画」が至上命題ですので、もし、川崎や横浜に職場が移ったら、たぶん、その近辺に移り住むことになるのでしょう(もちろん、都内からの通勤も可能ですけど・・・)。私は、神奈川県のことを、あまりよく知りません。行った回数も、あまり多くありません。私を含め、東京の北東側で育った人間にとって、「東京の向こう側」である神奈川県が、意識に上る機会は、あまり多くありません(せいぜい横浜とか、鎌倉・湘南くらい?)。逆にいえば、神奈川県の皆さんが、「チバラキ」(千葉+茨城)と呼ばれる我が地域に関心を向けることは、もっと少ないことでしょう。そういえば先日、横浜にお住まいの方が、仕事の関係で、柏の近辺に引っ越すことになりました。その方は、「私は柏について、全然知らないのですが、実際どうなんですか?治安とか住環境とか、都内への交通アクセスとか?」と、しきりに聞いていました。私が、横浜・川崎に対して持っている知識も、その方と、あまり大差ないのかもしれません。横浜の中華街や元町に、遊びに行ったことは何度かあっても、あの辺に住むことを考えたことはないのですから・・・でも、「これではまずい!」と思い、後学のために、交通網について、ちょっとだけ調べてみました。案の定、知らないことが、どんどん出てくる・・・「みなとみらい線」:こんな路線、あったのか???「横浜市営地下鉄」:地下鉄があるのは、知ってたけど、ずいぶん長距離をカバーしているんですね!!「JR南武線」:むかし、国立に住んでいたとき、時々使いましたが、川崎の方まで来てるんですね!「相鉄本線」:ごめんなさい。存在すら知りませんでした!!!JR東海道線と、京浜急行線が、東京から横浜まではほぼ平行して走って、横浜以南は分岐することも、頭に入れました。あと、「横浜駅」、「桜木町」、「高島町」、「伊勢佐木町」、「石川町」、「三ツ沢」、「新横浜」、「あざみ野」など、横浜市内の主な地域の位置関係も、だいたい押さえました。川崎市内に関しては、横浜よりはシンプルで覚えやすいですが、「川崎駅」、「八丁畷」、「武蔵小杉」、「溝口」などの位置関係を、だいたい覚えました。調べてよかったです。これまでは、あの地域の脳内地図が、真っ白でしたもんね・・・・。あと、UR賃貸住宅の情報も、ざっと見ました。横浜、川崎の、交通の便の良いところって、賃料が都心とほとんど変わらないんですね。びっくりしました。ちなみに柏あたりだと、都心のざっと半額。ところで、神奈川県は最近、大阪府を抜き、日本の都道府県のなかで人口第二位になりました(一位は東京都)。たくさん、人が住んでいるんですね。
2007年02月02日
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いま私の職場では、良いこと悪いこと、いろんなことが起こっていて、どれもこれも、書きたいネタばっかりなんだけど・・・ブログで公開しちゃったらまずいことになるので、おとなしく、家族のことを書きますね。娘が生まれて、1年と5ヶ月・・・。初めての子育て、妻も私も、苦労の連続でした。妻などは夜、授乳と夜泣きで、ロクに寝られない日々が続き、私は私で、残業続きの仕事と育児・家事との両立で、自分の時間さえままならない。余りの疲労と欲求不満のため、夫婦仲がギクシャクした時期もありました。ま、子供ができれば、誰もが通る道なのでしょうね。それでも子育ては、苦労した分だけ、いやそれ以上の、見返りがあるものだと思います。親になってよかったと思うこと・・・まず何よりも、我が娘が可愛いことです。娘を見ているだけで、この世の中に、かくもいとおしく、愛すべき存在があるのかと、心も震えるような感動の連続です。子育てという体験を通じて、人は誰でも、愛に包まれて生まれてくることを学びました。人は誰でも、少なくとも親にとってはかけがえのない存在であり、この上なく尊い生命であることを、我が娘は、気づかせてくれました。また、娘の存在が、家族・親類一同の絆を大いに強めてくれました。私は、両親・家族との仲は悪くないはずですが、それでも、外国人の妻と結婚し、外国暮らしを長年続けるなかで、いつの間にか、ライフスタイルや価値観の面で、家族との間に大きな違いが出てきました。お互い、「あんたの好き勝手にやれば?」みたいな感じで、歳月を過ごしてきました。ところが、娘の誕生によって、状況が一変しました。これまではお互い、好き勝手やっていたのが、いつの間にか、共通の目標を持つ「チーム」みたいな雰囲気に変わりました。「娘を元気に育てたい」という皆の気持ちが一つになり、これまで忘れかけていた家族の絆が、にわかに戻ってきたような気がします。そして娘は、今まで気づかなかった「人の心の優しさ」を、日々、感じさせてくれます。ここは大都会・東京。見知らぬ人と道ばたで会っても、決して声をかけることなく、素通りする街です。ところが、幼い娘を連れているだけで、見知らぬ人が「可愛いね」と、笑顔で声をかけてくれる・・・。娘は、なかなか外交的な性格のようで、道端で誰かに会うと、手を振って挨拶せずにはいられない性分です。こんな小さな子が挨拶するのですから、老若男女問わず、たいていの人は、笑顔で返してくれる。それも、普段、大人同士でいる時には決してみせない、自然体の素敵な笑顔を見せてくれるのです。世の中、捨てたもんじゃない!人間って、素晴らしい!人の親になってみて、はじめて味わう感覚です。
2007年02月01日
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