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今日の午後、うちの奥さんと、娘は、無事台湾に飛び立ちました。飛行機に乗る前に、成田空港で、妻と娘のために、海外旅行保険に加入しました。これは、今回の旅行期間中、万が一(死亡、疾病、ケガ、賠償責任、飛行機の遅延など)が起こった場合の費用を、100%カバーするものです(もちろん、限度額や条件は細かく定められています)。私たちは、海外に行く機会は多くても、これまでは、妻の職場で加入する格安の旅行保険で事足りていました。ですので今回のように、空港で自腹を切って海外旅行保険に入るのは、初めてのことです。しかし、日本で販売されている海外旅行保険のラインアップは、当然、日本人を相手にした商品ばかりなわけで、うちの奥さんのような外国人が使うとなると、なかなか勝手が違う面があります。まず私たちは、空港の保険カウンターで、国内大手某社が出している保険商品を選びました。パンフレットも説明書も、もちろん日本語です。そこで、私:「英語の説明書ありますか?」と聞くと、職員:「ありません!」という、つれない答えが・・・。次に、今回の行き先・台湾から、緊急連絡先の電話番号が書いてあるリストを見ると、シンガポールのお客様センターの番号が書いてある。シンガポールなら、間違いなく英語をしゃべるはずだと思い、一瞬安心しましたが、念のために聞いてみました。私:「シンガポールなら、英語を話す職員がいるんですよね?」職員:「すみません。全て日本語による対応サービスになってしまうんですよ。この保険商品は、お客様が日本語を話せることが前提となっているものでして・・・奥さんは、日本語が全く話せないんですか?」ここまで聞いて、私はちょっと心配になりました。しかし、ちょっと考えてみれば、今回の旅行先は、台湾。北京語が通じる地域です。もし、台湾でこの保険会社と提携している病院に、直接コンタクトがとれれば、うちの奥さんは、日本語を使わなくとも、北京語でいくらでも、話ができるわけです。そこで、私:「台湾の、提携病院リストと連絡先を教えていただけませんか?」職員:「あいにく、台湾の提携病院は、このパンフレットに載ってないものでして・・・」私:「じゃ、FAXでもいいから、取り寄せていただけますか?今すぐ・・・」職員:「すみません。それはできません・・・」こいつ、まじで使えねぇ!!!私は露骨に不満の表情を浮かべつつ、他の外資系会社の商品に乗り換えようと思い立ちました。しかしその場合、同じカバー内容でも、保険料が断然高くなってしまうのです。結局、・うちの奥さんがシンガポールのセンターに電話する際、電話口で英語をしゃべる職員を呼び出して、台湾内の提携病院の電話番号を聞きだす・その番号さえ分かれば、あとは北京語で何とでもなる。と考え、例の日系大手の保険商品を選びました。日本人にとっては、痒いところに手が届くくらい、配慮が行き届いた素晴らしい日本の商品とサービス。ですが外国人にとってみれば、日本語の壁ゆえに、その便利さに与れないことも、時々あるようです。
2007年06月30日
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一週間近く、私を悩ませてきたしつこい風邪ですが、何とか、快方に向かいつつあるようです。今日は頭痛もきれいさっぱりなくなったし、喉も痛くないし、咳もあまり出なくなったし・・・ただ、夜寝る時、クビの角度が間違えると、喉に痰がからまってしまい、ゴホゴホ吐き出さないといけない。だから、よく寝られないのは、相変わらずです。ただ、怪我の功名ではないですが、今回の風邪のおかげで、肌の調子だけは良くなった気がします。咳き込んだり、痰や汗を出すことによって、毎日、毒を体外に出していますもんね。当然か・・・。あと数時間で、うちの奥さんと娘が、台湾へ飛び立ちます。私は当面、気楽な一人暮らしに戻るわけですが、とりあえず、目先の風邪を全快させなくちゃならないので、今週末は実家に帰って、ゆっくり寝て暮らします。元気になったら、毎日の通勤で長距離ウォーキング、またやりたいですね。たとえば、ここから、都営新宿線の住吉まで歩いていけば、最短でも3km強。往復すれば、1万歩はらくに稼げそうです♪ところで話は変わりますが、6月分の給与明細、はやく届かないかなあ?どうやら、6月分から、「住民税」がガッツリ引かれてるようなのですが、その総額がいくらなのか、早く知りたいです。うちの会社は、社員の給与明細をeメールで送ればいいものを、未だに「郵送」でやってるので、まだ我が家に届いておらず、内訳が見られないのです。
2007年06月29日
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ブログの更新も、思うにまかせません。私の場合、たいていの風邪は、ニンニクスープ飲んで、半日寝ればたいてい直ってしまうものですが、今回の風邪は、すでに5日目に突入しているのに、ほとんど好転の兆しがありません。とはいえ、仕事もたまっているので、午前中は家でゆっくり寝て、午後から勤務・・・というかたちで、なんとか回しているのですが、早く風邪が治らないと、身体もきつい。つらいです。ところで、明後日から、妻と娘が台湾へ旅立ちます。私は当分、気楽な独身生活に戻ります。でも、にわか独身を満喫するためにも、風邪だけは治したいなあ。一人ぼっちで風邪ひきさんは悲しい・・・。
2007年06月28日
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ラニーニャ現象とか何とかで、今年の日本の夏は、例年より暑く厳しくなるそうです。まだ6月の梅雨明け前ですが、その兆候は、すでに現れています。最近、東京近辺では、晴れ間が広がった日は平気で30℃以上に達します。おまけに梅雨時なので湿度が高く、蒸すことといったら・・・。私の住まいは、東京湾に近く、涼しい海風の吹く地域にありますが、その海風は、私の家にまでは、吹き込んできません。ここはマンションの1F、他の階と比べて、通風も採光はやや劣ります。その代わり、前庭か裏庭に出てしまえば、思い切り涼しいんですけど、室内は暑い暑い!こないだ温度湿度計をみたら、室温 28℃、 湿度 79%となっており、部屋の中で熱い紅茶でも飲んだ日には、瞬く間に汗だくになってしまいます。風呂あがりも暑ければ、トイレにも熱気が篭って暑い!それに、我が家は小さい子供のいる身、否が応にも、クーラー購入を考えざるを得ないのですが、幸か不幸か、私はクーラーが大の苦手!なのです。子供の頃、クーラーに使われていた冷媒の匂いが嫌いだったこともありますが、最近の空調機器は、冷媒の匂いなんて全然しないのに、それでもなぜか苦手意識が抜けません。打ち水をしても、あるいは部屋に水を張ったタライを用意してもいいから、クーラーの使用だけは勘弁したい、と思うクチなのです。しかし、まだ幼い娘が、夜、暑さで寝付かれなければ可哀相なので、結局、こんなかたちで落ち着きそうです。・寝室には、6畳用のクーラーを新設・リビングには、シーリングファン(天井扇)を設置こうすれば、寝室の暑さは防げるし、また、15畳もあるリビングに、高価でかつ私が苦手な大型クーラーをつけなくても済むので、現時点では最高のプランのように思えます。ちなみに冬場、うちのマンションは暖房要らずだそうです。マンションって暖かいし、それに床暖房がついているから、床からポカポカになるそうです。以前、酷寒の中国・大連に住んでいた頃、当地では11月半ばから床暖房が入りました。冬でも室内ポカポカの快適さに、「もう、床暖房以外は考えられない!」と思っていました。東京のこの家にも床暖房が付いていたのは、とてもラッキーでした♪
2007年06月25日
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木場から東陽町へ引っ越し・・・東西線一駅分だけ移動して、何が一番嬉しいかといえば、「物価が安いこと」です♪木場に住んでいた頃の住まいは、「イトーヨーカドー木場店」の真向かいという、すごく恵まれたロケーションでした。この「イトーヨーカドー木場店」、全国に数あるイトーヨーカドーの店舗のなかで、売上高がダントツNo.1という「お化け店舗」!妻をして、「ロサンゼルスのショッピングセンターみたいね」と言わせた、東京にしては驚異的な広さの敷地に、スーパーやメンズ&レディースファッション、フードコート、雑貨店のみならず、シネコン、レストラン街、スポーツジム、専門店街、医療・託児施設まで併設された、堂々たる総合型大型ショッピングモ-ルです。この「イトーヨーカドー木場店」、いつ行っても混んでいます。特に週末の午後などは「アメ横」を思わせる激混みぶり。人口増加の割に商業施設が整わない「湾岸エリア」の住民が、大挙して押し寄せるし、近隣にこれといった競合店もないので、すごい大繁盛。裏を返せば、「強気の商売」をしていて、モノの値段は概して高い。特に野菜・果物などは、江東区の大型店で一番高いといわれるほどです。私自身、木場のイトーヨーカドー物価が、時々、ちょっと高いなと感じてはいましたが、あまり気にしていませんでした。それ以前に、中央区の八丁堀という、発狂するほど物価が高く、かつ家族向けスーパーなんて一つもない街に住んでいたので、木場に移ってきて、「ようやく、これでまともな暮らしができる」と、喜んでいたものです。ですが今回、木場を離れて、同じ江東区の東陽町に移って、思い知ったこと。それは、「木場のイトーヨーカドーが、江東区の物価からみて、いかに強気の価格設定をしていたか」ということです。東陽町に越して以来、買い物に行く店が変わりました。近隣の大型商業店舗といえば、「木場イトーヨーカドー」(徒歩12分)、「東陽町西友」(徒歩12分)、「東陽町アピタ」(徒歩15分)、「南砂町ジャスコ」(徒歩20分)ぐらいですが、そのどれも、行く頻度はめっきり少なくなりました。総合型の大型店舗に行かなくても、安くて良い品が手に入る中堅店舗が、いくらでもからです。特に、一番素晴らしいのが、我が家から徒歩12~13分の距離にある、「南砂2丁目エリア」。ここは、東京・神奈川を代表する激安店「OKスーパー」と、千葉県を代表する激安店「スーパー太陽(IKIIKI生鮮市場)」が至近距離にあって、低価格を競い合っています。特に、「OKスーパー」。なかなか素敵な、ディープなお店です。まず、店内に入ると、ドンキ顔負けの狭い通路に、売り物がうず高く積まれていて、そこに、買い物客が大挙押し寄せるから、すごい熱気。価格表示も、なかなかユニークです。たとえば、「キャンベルのクラムチャウダースープ」などは、メーカー希望小売価格 250円3割6分引き!!!当店税抜き価格 159円当店税込み価格 166.95円こんな感じで、税込み価格を、小数点2ケタまで正確に表示するという芸の細かさ。これは、「1円を競う安売りで、店も客も損をしない」ための工夫だそうです。お勘定の時、たぶん小数点まで計算してるんでしょうね。割引率も、ハンパじゃない。メーカー希望小売価格に比べて、4割、5割引きは当たり前。売り文句は、「当店の価格は、(日本の)ナショナルブランド商品に関しては、近隣のスーパーより絶対に安いはず。もし、近隣のスーパーより一円でも高かったら、値引きします。当店で買えば、絶対に損はしません!」という、ヤマダ電機ばりの安さNo.1宣言をしています。このOKスーパー、単に安いだけでなく、安心と高品質を売り物にしています。特に鮮魚類と野菜類は、それなりの産地とクオリティのものを扱っています。だから、価格と品質のコストパフォーマンスでいえば、近隣のどの店もOKには勝てません。うちの奥さんも、今ではすっかりOKのファンになってしまい、他店で買い物をしていても、「OKの安さは、こんなもんじゃないよ!」と、思わず宣伝までしてしまうほど。OKでは、毎日が特売日。極限まで、安売りを追求するためのコスト削減か、創業40年にもなるのに、チラシもなければ、OKの公式ウェブサイトさえありません。かつ店員は他店舗と比べて無愛想・・・というのがもっぱらの評判です。安くて良いものを売っていれば、口コミでも、「客が客を連れてくる」と考えているのでしょう。先ほど、公式ウェブサイトがないと言いましたが、OKを愛する有志の手によって、「OKスーパー非公式サイト」なるものが開設されています。ここには、首都圏を中心とした、OKの店舗一覧や、口コミ情報が、かなり詳しく載っています。最近、南砂エリアには、従来からある「OK南砂店」のほか、「OK南砂尾高橋店」もオープンしました。南砂のOKは、南は東雲・辰巳の「湾岸エリア」から、北は墨田区の小村井・東あずま近辺まで、広範囲から集客しているようで、商売になるのでしょう。首都圏全体を見渡してみても、同じ町内にOKが二店舗があるのは、この江東区南砂だけです。最後に、OK南砂店の至近距離に開店した「スーパー太陽」の話をしましょう。この店は、激戦区・千葉県を代表する安売りスーパー。「青果・果物なら、OKよりも安い!」を売り物に、あえてこの地区に殴り込み出店しました。千葉県以外の出店は、ここ南砂店が初めてのようです。ここも狭い店内に、買い物客が絶え間なく押し寄せ、まるで香港のスーパーのような賑わいと熱気。「野菜だけ太陽で買って、あとの品はOKで買う」客が多いのでしょう。深夜24時まで営業していることも、人気の秘密かもしれません。この、OK&太陽の攻勢の前に、総合スーパ-「東陽町西友」は、かなり客を取られ、苦戦しているようです。うちの奥さんに、「西友に行くことはあるの?」と聞くと、「滅多に行かないわよ。特別安いわけじゃないし、しかも食料品売り場が2Fだから、重い荷物を降ろさなきゃならないから、特に魅力は感じない」とのこと。かなり模様替えしないと、今後も苦戦するんでしょうね。
2007年06月24日
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「あんたはA型だから、真面目で几帳面」「あの人はB型人間で、いつもマイペースで言うこときかないから、困っちゃうよね」これは、日本ではありふれた会話ですが、世界中のどの国、どの地域でも、こういう会話で盛り上がれるわけではありません。たとえば欧米社会では、「血液型で性格が分かる」と、信じている人は皆無に近いと思われます。それどころか、血液型が話題にのぼることも、私の知る限りほとんどありませんし、自分の血液型さえ、知らない人がたくさんいます。そんな社会で、「あなたの血液型は何ですか?」と聞くと、「あなたは医者ですか?どうして、私の血液型を知る必要があるんですか?」みたいな反応が返ってくるかもしれません。では、世界中のどの地域が、血液型の話題で盛り上がるのかいえば、何をおいても東アジアです。日本や韓国、台湾の人々は、以前から「血液型と性格診断」のような話題が大好きですし、近年ではそれが中国大陸にも飛び火しています。中国・大連で暮らした経験からいえば、当地の中国人は日本人に負けず劣らず、血液型の話が好きなようです。なぜそうなるのか、私には分かりません。東アジア文化圏では、血統信仰が根強く、持って生まれた身体的・医学的特徴が、人間の性格を決めてしまうという発想に馴染みやすいのかもしれません。では、地理的に東アジアと欧州の中間にあるインド人はどうなのか?今日、職場でインド人の同僚数名に、聞いてきました。そしたら異口同音に、「血液型が性格を決めるだって?そんなことあるわけないだろ!!」みたいな反応が返ってきました。でも、その割には、皆さん自分の血液型を、よくご存知なんですね。「俺はA型のプラスだ」とか、「母親はO型のマイナスだった」とか・・・。ちゃっかり、興味あるのかもしれませんね。彼らによれば、インドでは血液型よりも、ホロスコープ(星座占い)の方が盛んで、自分の属する星座が、性格を決めると信じている人は結構多いとのこと。また、「インドは広すぎて、何事も一概にいえないよ。あるグループは血液型を信じ、あるグループはホロスコープにハマってて・・・」と、付け加えることも忘れませんした。最後に、私が彼らを相手に、日本流の血液型性格診断をやってみました。私:「あなたの血液型は何ですか?」インド人:「A型です」私:「A型の人は、真面目で几帳面で、チームワークになじみ、時間をよく守る傾向が強いといわれています」インド人:「全部当てはまらないぞ!!!」
2007年06月22日
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ここ東京下町でも、最近は、タクシーの値下げ競争が激しくなってきました。つい数年前まで、東京のタクシーは、初乗り660円という、規定の料金で走る車ばかりでした。「初乗り500円ワンコインタクシー」とか、「夜間割増料金なし」の割引タクシーがあるのは、関西だけだと思っていました。でも最近は、関西ばりの割引タクシーを、東京のどこでも目にするようになりました。ガソリン価格高騰のご時世にもかかわらず、タクシーの値引き競争は止まりません。そんな割引タクシーを見るにつけ、「このシワヨセは、多分、タクシー運転手に行ってるんだろうな」と、ついつい、同情してしまいます。それもそのはず。タクシーの数は、目に見えて増えているように感じます。たとえば、うちの近所のJR潮見駅なんて、電車のほとんどが通過、止まるのは各駅停車だけで、せいぜい15分に1本くらい。そんな閑古鳥駅なのに、駅前のロータリーには、朝も昼も夜も、常にタクシーが3台、4台は停まっています。15分待っても、タクシー客なんて来るかどうか分からないのに、それでも延々と待っているんです。タクシー運転手という商売って、(一部の例外を除いて)儲からないんだろうなあ・・・。昨今は、タクシー運転手の労働条件が、社会問題にまでなっています。業界平均でいえば、タクシー運転手の労働時間は、全国勤労者平均の1割増し以上なのに、平均給与は、3分の2以下。生活保護受給基準以下の給料で暮らす運転手も少なくないようです。その理由は、規制緩和によって、新規参入してくるタクシーが後を絶たず、その割に利用客数も客単価も増えないから、「少ないパイを多すぎる車で奪い合う」状況があるようです。、昨今では、ガソリン価格高騰の影響もあって、タクシー料金を値上げする県が、いくつか出てきました。ま、ガソリン代上昇を、ある程度料金に転嫁するのはアリだと思います。でも、「タクシー運転手の生活水準を上げるため」に値上げするという理屈は、利用客の立場としては、あまり納得がいかないなあ。規制緩和でタクシー運転手が大量参入してきて、その結果、運転手の生活が苦しくなったとしても、それは利用客のあずかり知らぬところだから・・・値上げするのであれば、これまでにないサービスを提供するとか、フカフカのシートにするとか、液晶テレビをつけるとか、何でもいいから、付加価値を出して欲しいものです。私の意見では、タクシー業界においては、少ないパイを大勢で奪い合うよりも、これまでにない「市場を開拓」することによって、収益性の向上、ひいては運転手の生活水準向上をはかってもらいたいと思います。たとえばの話、仮に東京が、「終電を気にしない街」になったら、どうなるか?終電後の午前2時とか3時でも、人々が平気で酒飲んだり、街歩きできるようになったら・・・おそらく、すごいタクシー需要が生まれるはずです。日本にも、「終電を気にしない街」があります。たとえば福岡。この街は、眠らない。夜の街はいつまでも賑やかで、博多・中洲の屋台などは、午前4時5時まで、当たり前に開いています。そんなに遅い時間まで遊んで飲んで、どうするのかというと、皆さん、タクシーで家に帰るんですね。福岡は、職住接近の街。ほとんどの人が、都心から10km圏内に住んでいます。中洲で痛飲して、タクシーで家に帰っても、せいぜい3000円かそこら。「千札3枚なら、タクシーで帰ればよかよ」という人々が大勢いるおかげで、この街では午前3時でも4時でも、平気でタクシーが拾えるのです。将来の東京は福岡のようになるのか?・・・ま、難しい面もあります。東京で働く多くの人が、千葉とか埼玉とか、遠い郊外に住んでますもんね。タクシーに乗って家帰っても、軽く1万2万いってしまうから、この出費は痛い。でも最近は、都心回帰の流れで、未だかつてない勢いで、都心近く(特に湾岸エリア)に多くのマンションが建ち、人口も大いに増えました。そういう場所に住む人々が、銀座や新宿で飲んで、終電を気にせず、タクシーで帰るようになるのか?・・・あり得ない話ではないでしょう。厳しい市場環境のなか、今後、東京のタクシー業界が生き残りをはかり、運転手の待遇を改善したいのであれば、「終電を気にしない」ライフスタイルを提唱し、飲食店業界や各種娯楽業界とタイアップして、いろいろ「仕掛け」ていくべきだと思います。
2007年06月20日
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この間、インド人の同僚(男性)とメシ食った時に雑談したことです・・・彼は、日本在住暦4年余り、別名「インド村」とよばれる江戸川区西葛西に住み、インド食材・DVDの調達から、英語書籍の購入まで、何ひとつ不自由ない東京ライフを楽しんでいます。その彼が言ってたことですが、日本人ほど、親切な人々はいない!!!彼には、こんな体験談があります。奥さん(インド人)と二人で、四国の徳島を旅していた時のこと、彼らは夜9時頃のバスで、大阪に向かいました。ところが、どこで何を間違えたのか、着いたところは神戸!時は深夜12時近く、二人とももちろん、土地勘は全くありませんし、日本語の読み書き会話も不自由です。そこで彼は、近くにいた女性に、片言の日本語で、助けを求めました。すると、その女性は、メモ用紙を取り出して、丁寧に、微に入り細にわたって、大阪までの行き方を、書いてくれたのです。しかも、各駅での改札口、ホームから、詳細な地図まで、書いてくれたのだそうです。インド人の二人は、その紙を頼りに、終電近くのこの真夜中に、無事、大阪にたどり着くことができました。彼は言います。「インドでは、見ず知らずの人に、ここまでの親切は、絶対に受けられない」と・・・。ただ、こうも言ってました。日本人の大多数は親切で、道も喜んで教えてくれるけど、中には少数ながら、全然助けようとしない人もいると。私も同じ意見です。日本を含めて、世界中の多くの国では、大多数の人は親切で、困った人を進んで助けようとしますが、中には親切とはほど遠い人も、少しだけ含まれているものです。私は逆に、インド人も、日本人とは違った意味で、大変親切なところがあると思います。私が以前、インドを旅した時の話ですが、街角で、道に迷ってしまい、地図を広げていたところ、たちまち10人、20人、いや50人もの、黒山の人だかりができた!!!その彼らが、各自、思い思いの方法で、私を助けようとするのです。お前さん、どこに行きたいのか?バスターミナルなら、こっちの方角だよ、いや、あっちの方角だよ・・・。困ったことに、人によって言うことも違えば、指す方向さえ違うので、情報が錯綜してしまい、私は結局、どこへ行けばいいか分からず、立ちすくんでしまうのですが・・・それでも、彼らの親切心だけは、十分感じ取ることができました。私は、インド人の同僚に、このことを話しました。そしたら、あれはね・・・君が明らかに外国人に見えるから、みんな好奇心のあまり、親切にするんだよ確かに、いわゆるインド人ばっかりの環境にいれば、私の顔立ちも、少しはエキゾチックに見えるのかもしれません。とはいえ、インドはとても広い国。この国の東北部、中国やミャンマーとの国境に近い地方(アッサムとか、ミゾラームとか)に行けば、それこそ、日本人にそっくりな、東アジア系の顔をした人がいくらでもいるはずです。で、そういう地方出身のインド人が、ボンベイやバンガロールに行ったら、同じく好奇の目で見られるんでしょうか?同僚に聞いてみると、確かに、同じインド人でも、顔が違えば、たぶん、人だかりができると思うよ・・・うーむ、インドって、なかなか楽しい国のようです。
2007年06月19日
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先ほどまで、うちの奥さんとネットサーフィンして、「ママチャリ」(婦人用自転車)をいろいろ探していました。ママチャリが欲しくなった理由は、いくつかありますが、まずは買い物の便。私たちは、今年5月初めから、江東区東陽町に引っ越しました。広い街路、公園、あふれる緑と水・・・ファミリーの住環境としては、申し分ないのですが、唯一の欠点が、「スーパーが遠い」ことです。我が家から、最寄りのスーパー(イトーヨーカドー木場店、西友東陽町店)まで、歩いて10分ちょっとかかります。これまで私たちは、イトーヨーカドーの目の前に住んでいたので、不便さは否めません。ですが、ママチャリさえ買えば、不満が一気に解消するのです!あと、うちの娘も、大きくなりました。生後1歳9ヶ月、身長83cm、体重12kg・・・いよいよ、ママチャリの前部座席に乗せてもいい年頃です。そして、ライフスタイル面からも、ママチャリを買うメリットは大きい。ここ江東区は、ママチャリライフに、最適の土地です。どこまでも続く、平らな土地。坂なんて全然ありません(あるとすれば、太鼓橋くらいか)。しかも、東京都心へ至近距離。なんと、銀座やお台場まで、ママチャリで行けてしまう!!!のです。ベビースイミング教室で知り合った、妻のママ友達の何人かは、子供をママチャリに乗せて、銀座・有楽町、丸の内でのお買い物を楽しんでいるのです。しかも、ここは東京湾に近い「ベイエリア」。天気がよければ、葛西臨海公園や、若洲海浜公園までママチャリで繰り出して、海の風に吹かれることもできます。子供がよろこぶぞー♪サイトを見ていると、近所にはこんなサイクリングコースまであるそうで、ママチャリを手にいれるだけで、手軽に海に行けるし、バーベキューもできるし、まるで「オージーライフ」だ!!ところで、ネットでママチャリを一通りみてみたのですが、・ホームセンターとかで安いものを買えば、1万円前後で買える・町の自転車屋とかで買えば、3万円とかするけど、丈夫で長持ちする・ママチャリの上位機種を買えば、軽く4~5万円する・電動アシストにすれば、少なくとも6~7万から、上位機種だと10万を超えるということで、ピンキリなのですが、盗難のリスクとかを考えて、とりあえず安いものを買って、試してみようと思います。運がよければ、モノの良い(普通に買ったら2~3万円する)リサイクル自転車とかを、8000円くらいで手に入れられれば、さらに御の字ですね。
2007年06月18日
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昨今の日本でホットな話題といえば、厚生・国民年金の納付記録問題です。日本にお住まいの方にとっては、毎日のように新聞、TV等で報道されているので、特に解説する必要もないでしょうが、海外在住の方、および外国人のために、少し解説しますね。日本では、1961年より、国民年金法が施行され、国民は原則として、全員、国家の運営する年金制度に加入することになりました。日本における年金とは、高齢者の生活の基本的部分を、国家が保障する仕組みです。一言でいえば、現役時代に毎月いくらか、掛け金を払い続けていれば、高齢(現行制度では65歳)になった時、その支払い額に応じた年金が、死ぬまでもらえる、という筋書きになっています。ところが、日本では国民の年金記録を管理する仕組みが、ごく最近になるまで、一元化されていませんでした。米国では古くから、年金や医療、介護などの給付と負担を一元管理する、社会保障番号(Social Security Number)という制度がありますが、日本には、これに相当する制度がありません。年金に関しては、日本の全ての公的年金制度に共通して使える「基礎年金番号」という制度がありますが、これが導入されたのは、なんと1997年になってからです。日本の社会では、納税者番号や社会保障番号のような制度は、国家による個人情報管理を連想させ、導入を嫌がる人が多いのです。ところで、1961年に国民皆年金制度が始まってから、1997年の基礎年金番号導入までの36年間、国民の年金記録がどのように管理されていたかというと、主に、各市町村の年金課のような部署で、台帳のかたちで保管されていたそうです(ITもない時代だから、もちろん手書き)。ですが当時は、一人に一つだけ割り振られる統一的な年金番号がなかったし、また、市町村をまたいで年金記録の整合性を保障する仕組みもなかったため、結婚して苗字が変わったり、他の市町村に転出転入した際に、加入記録が誰のものなのか、照合できないケースが出てきます。これは、制度設計が不十分だったゆえの、当然の帰結だと思います。そのツケが、いま一気に表面化してきてきました。今年は、年金制度が発足して46年目。現役時代を通じて、保険料を払い続けた人々が、今まさに年金を受給し始めるこのタイミングで、「払ったはずの年金記録が喪失している!」という事態が、日本全国で頻発しました。こういう問題は、お金と感情が絡むので、すぐ大騒ぎになりますし、マスコミもそれに便乗して、騒ぎをさらに大きくします。今のところ、主管官庁である社会保険庁の、お粗末な運用が、社会各層からやり玉にあがっています。社保庁に勤める皆さんは、受難の日々を送っておられることでしょう。彼らにとって、さらに運が悪かったのは、今が参議院選挙を間近に控えたタイミングだったことです。自民党と民主党は、年金番号問題を、たちまち政争の具にしてしまいました。どちらの党も、年金問題を粛々と解決するよりも、自党の立場を有利にするため、この問題を意図的に利用する態度が目立ちます。私にいわせれば、問題の本質は社保庁の運用というよりは制度設計の不備にあり、その主な責任は、1997年の基礎年金番号導入まで、無為無策を通した政府・与党がとるべきであり、また、「国民総背番号制導入反対!」というイデオロギー的な空論をたてに反対し続けた野党も、連帯責任は免れません。ですが、自民党も民主党も、自分の過去のことは棚にあげて、社保庁だけを悪者にして、自分がいい目をみたいという魂胆がみえみえで、見ていてイヤになってきます。年金記録の照合、基礎年金番号への統合というのは純粋にテクニカルな問題ですが、どんな最新テクノロジーを使っても、各所に散在している手書きの年金記録の照合などは、結局、人海戦術に頼るしかないから、結局は手間と時間をかけて丁寧に、粛々と処理するしかありません。そんな話は技術屋に任せて、国会では、年金記録のみならず、社会保障や納税全般にかかわるデータを、個人情報の漏洩や不正利用を防ぎつつ、国家が責任を持って一元管理する、低コストで信頼性の高い制度設計とは何か?みたいな高次元の話をして欲しいです。責任のなすり合いや、泥試合しててもつまらない。----------------------------------------ここまで書いてきて、ふと思ったこと。それは、なぜ、21世紀になっても、人々は国の年金なんかをアテにするのだろう?私はそもそも、国家の公的年金というものは、自分の老後の生活原資としては、ハナからアテにしていません。それは、日本の公的年金であっても、豪州のAged Pensionであっても、同じことです。いや、それ以前に、個人の経済生活を保障してくれる国家というものは、すでに地球上からほぼ消滅したように思います。日本が公的年金制度を導入した1960年代、および70年代くらいまでは、確かに、「福祉国家」というモデルが存在したと思います。これを端的にいえば、国家が国民の暮らしの面倒を見るから、その代わり、国民としての責務を果たして欲しい、という筋書きになっていました。国民皆保険や、国民皆年金制度などの多くは、福祉国家の時代に導入されました。今考えると、「福祉国家」モデルは、(今と比べて)国境が閉ざされている時代において、地球上で例外的に富裕だった国々(欧米や日本)が、低廉なエネルギー価格の恩恵を受け、順調に経済成長を続けて失業率も低かった(正社員が大多数だった)時代において、はじめて成立可能だったのだと思います。その条件が崩れると、多くの国で、福祉国家モデルが維持できなくなりました。今や、どの先進国の労働市場も、まず正社員がいて、パート・派遣社員など非正規雇用の社員がいて、さらに失業者がいるという、三層構造になっています。さらに、経済のグローバル化によって、先進国の労働者は、労賃の安い発展途上国の労働者との競争に、常にさらされることになり、非正規雇用社員と、失業者の置かれた立場は、ますます厳しいものになりました。そんな状況のなかで年金制度を維持するといっても、現役時代に負担できない人々が増えるし、少子高齢化も進んでいるから、運営が厳しくなる。結局、先進国ではどこでも、年金制度は次のように、二極化していくのでしょう。1)正社員層などの年金は、実質上、国家になり代わって民間資本が運営するようになる。米国の401Kや豪州のSuperannuationみたいに、「自分・会社の拠出した分」+「運用実績」に応じて、老齢時に受給できる年金額が決まるタイプが増える。これは性質上、通常の民間年金と限りなく近い。要は、不確定給付のリスクを、国家ではなく個人が負うわけです。2)「慢性失業者」や「ワーキングプア層」の年金は、彼らが現役時代に掛け金を払えない以上、税金から拠出さざるを得なくなる。その結果、「生活保護」に限りなく近い性質のものになる。要は、「国家が年金制度を通じて、国民各層の生活の面倒を見る」というモデルは、世界中で、すでに破綻しているわけです。仮に制度はあっても、その内実はどんどん痩せ細っています。日本はもちろん、その例外ではありません。今の日本に失望して、海外に行ってみたところで、日本より余程マシな現実があるわけでもない。私は、こう考えています。「日本の国民年金のような、広く浅く、国民各層の老後の暮らしを保証するタイプの年金は、今後どんどん痩せ細り、性質上、税金に限りなく近くなると思うので、期待していない。」「豪州のSuperannuationのように、自分で拠出して、運用益によって給付額が決まるタイプの年金は、多少リスクもとれるし、(国ではなく)自分個人の資産となることが明確に分かるので、こちらは頑張って積み増したい。」「それよりも、不動産、有価証券など、自分自身の資産形成により力を入れたい。リタイアする前に、資産からの安定的な権利収入を得られる状態をつくっておきたい。理想的には、老後の必要資金のうち、半分以上を、ここから捻出できるようにしたい」皆さんは、どうお考えになりますか?私は、いまの国家が、国民の経済生活の面倒を見るというモデルを放棄せざるをえない状況に追い込まれてしまった以上、自分の老後の暮らしは、自分の手で守るしかないと考えています。
2007年06月16日
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台湾は、鉄道の島。日本統治時代には、すでに島内の幹線鉄道網がほぼ完成し、現在も、台湾の人々の日常や旅行の足として、大活躍しています。台湾の鉄道といえば、最近開通した「台湾新幹線」を真っ先にイメージされるでしょうが、在来線もそれなりに元気で、台湾を一周するかたちの「西部幹線」と「東部幹線」、そして、標高2000mを超える高所を走る「阿里山森林鉄道」など、変化に富んだ鉄道の旅が楽しめます。台湾の人々は、鉄道の旅がなかなか好きなようで、「台湾島内のローカル線の旅」とか、「日本のJRで駅弁食べまくりの旅」などの企画が、雑誌によく登場してきます。日本のローカル線でのんびり旅するのもいいけど、南国・台湾のローカル線も、それはそれで、味わい深いものがあります。私は2004年、台湾を訪れた時に、ちょっとしたローカル線の旅を楽しみました。私が選んだのは、台湾北西部の都市・新竹(シンチュー)と、内陸部の町・内湾(ネイワン)を結ぶ、「内湾支線」です。全長、27.9km。所要50分。石灰やセメント運搬のためにつくられたこの鉄道も、すでに60年余の歴史を持つに至りました。新竹は、台北から電車で約1時間の距離にあります。ここは、台湾を代表するハイテク企業が集中し、日本や欧米のビジネスマンもよく訪れる産業都市です。が、歩いてみると、なかなかいい町でしたよ。小じんまりとして、歩いて回るのにちょうど良い大きさ。町なかにある、「城隍廟」の屋台街はすごく美味しかったし・・・。新竹で一泊した後は、いよいよ、ローカル線に乗って一路・内陸へ。まずは、新竹駅から出発して、終着点の内湾まで乗らず、途中駅の竹東(チュートン)で降りる。ここまで、所要時間約30分。この辺の地形は平坦で、新竹の近郊住宅地と、工場、高速道路の風景が広がります。竹東駅からは、しばらくローカルバスに揺られて、北埔(ペイプー)の町を目指す。ここで名物の「客家料理」を食するためです。客家(ハッカ)とは:4 世紀から 12 世紀にかけて戦火を逃れるために、中国北部から南部に移住してきた漢民族の一つ。広東省や福建省など中国東南部に移り住んだ人々が、その地ではよそ者だったことから「客家」と呼ばれるようになったそうです。台湾の総人口の約 15 %は客家人で、新竹から竹東にかけての台湾北部周辺と、台湾中部の苗栗、南部の屏東周辺が客家人居住エリアとして知られています。 客家は、別名「東洋のユダヤ人」とも呼ばれています。安住の地を持てない辛い歴史を持つがゆえに、老若男女問わず、真面目でよく働き、よく勉強するのが、昔からの伝統で、そのため、著名人や優秀な人材を多く輩出しています。前シンガポール首相のリー・クワンユー氏、中国の胡耀邦氏、 中国革命の父・孫文、前台湾総統・李登輝氏も客家の出身ですし、また台湾では客家人口の多い新竹県が、ハイテク産業の中心地として、世界的に名を知られるようになっています。というより、うちの奥さん自身が、客家の血を引いているので、私にとっては、思い切り身近な存在です。北埔の町は、人口1万人。その95%が「客家」ということもあり、この地方では特色のある客家料理が楽しめます。なかでも代表的なのが、擂茶(レイチャ)。これは、鉢とすりこぎを使ってお茶を擂り、落花生や胡麻などを混ぜていただく、客家の伝統的な飲み物です。昔のお茶菓子みたいな、とても懐かしい味がしました。あとは、「客家小炒」という、濃い味付けの素朴な炒め物料理も、なかなか美味です。北埔で、料理をすっかり堪能した後は、竹東駅に戻り、そこから、電車でいよいよ、終着駅「内湾」を目指します。一口メモ:台湾は日本と同様、モータリゼーションが進み、地方部の公共交通は自家用車に押されまくり。バスなども昔と比べて、大幅に本数が減り、廃止になった路線も数知れず・・・公共交通だけを使って、台湾の田舎を回る旅は、昔よりもやりにくくなりました)竹東を出ると、いきなり、両側に山が迫ってきて、石灰の石切り場やセメント工場、棕櫚の林、点在する小さな田んぼ・・・移り行く田舎の景色を楽しんでいるうちに、あっという間に内湾駅に到着。内湾も、客家文化の町。とても風情のある、山間の小集落でした(日本でいえば、奥多摩の駅前みたいな感じ)。まず、駅を出ると、こんな屋台が・・・山菜でつくった「台湾ちまき」(1個15元=約55円)少し歩くと、駄菓子屋みたいな簡素な建物ながら、小さな劇場(内湾戯院)がありました。客家の町らしく、町のすみずみにまで掃除が行き届き、大衆文化が、ちゃんと根付いている感じでした。好きだなあ、こういう町♪町を出て、吊橋を渡ると、いきなり森林地帯に入ります。渓流では、子供たちが魚をとったり、飛び込みをやったりして、とてものどかな風景に癒されます。一口メモ:台湾の山間部も日本と同様、過疎化が進み、嫁不足は深刻のようで、そこら中に、「ベトナム人のお嫁さん紹介します」という張り紙がありました。こんな感じで、とても思い出深い、良い旅になりました。自然と人文に恵まれた、日本とは一味違った台湾・ローカル線の旅、おすすめです。
2007年06月15日
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日本で子育てする者にとって、「アンパンマン」は避けて通れないものです。たとえ、アンパンマンのTV番組を見なくても、トイザラス、赤ちゃん本舗、西松屋・・・どの店の子供用品売り場にも、アンパンマンのロゴ入り商品があふれ返っています。アンパンマンは国境を越え、中国でも、東南アジアでも、グッズがそこら中で売られていました。いまや、「世界のアンパンマン」なのかもしれません。さすがに、インドではほとんど見かけませんでしたが、欧米圏ではどうなのでしょう?なぜ、アンパンマンが子供たちに、これほど愛されるのでしょう?アンパンマン大好きなうちの娘(1歳9ヶ月)を見ていると、1)「アンパンマン」という名前が発音しやすい。2)「バイキンマン」、「カレーパンマン」、「ジャムおじさん」、「ドキンちゃん」、「メロンパンナちゃん」など、メインのサブキャラの形が覚えやすく、親しみやすい。3)もっとマイナーな脇役でも、「こむすびまん」、「あかちゃんまん」、「ホラーマン」など、親しみやすいキャラがたくさんあるこの辺が、人気の秘密なのかもしれません、ところで、私の小学生時代にも、同級生で、「アンパンマン」そっくりな顔の奴がいました。そいつの家は、3人兄弟で、上から「男、女、男」と続くのですが、3人とも、ほとんど同じ顔をしていたので、一番上の兄が「アンパン」次の妹が「ジャムパン」一番下の弟が「クリームパン」と、呼ばれていました。もちろん、「アンパンマン」が世に出る以前の話ですので、今考えると、ああいうキャラを、漫画化やアニメ化すればよかった(今ごろは大金持ち??)のですが、当時の私はそんな知恵もありませんでした。最近、横浜の方に、「アンパンマンこどもミュージアム」なる施設ができたそうです。そこには、「ジャムおじさんのパン工場」が併設されていて、アンパンマンキャラの手作りパンを売ってるという話なので、近く、行ってみようと思います。上の写真をみて・・・個人的には、「めいけんチーズ」のパンが、一番美味しそうに見えるなあ。あと、「あかちゃんまん」のパンは、あまりにもよくできすぎて、食べるのがもったいない気がする。
2007年06月14日
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うちの近所の、南砂二丁目団地で、すごい中国食材店を見つけました。中国人以外相手にしないぞ、と言わんばかりのディープな品揃え。なんと、犬肉のミンチや茹でたカイコまで売ってるぞ!!安徽省産の「瓜子」(ひまわりの種、スナック)は、これまで食べたなかで、最高の美味しさ♪一度食べたら止まらない。日本に、こんな店が存在するとは・・・東京下町って、やっぱりすごい!錦糸町といい、新小岩といい、西葛西といい、さりげなく、エスニックパワーが爆発しております。いまや、下町で揃わないアジア食材はない!!!-------------------------------ところで昨今、中国産の食材の安全性が問われています。最近のニュースによれば、下水溝にたまった農薬入りの油を使ってラードをつくった食品工場が摘発されたとか、中国製のカップめんを食べたモンゴルの学生が死亡したとか、中米パナマで中国製の咳止め薬や歯磨きを服用したことで数百名が死亡したとか。ま、高度経済成長中の国に激しい公害はつきもの。食品公害はその典型の一つでしょう。日本だって、1960年代にはカネミ油症事件とかが起きて多数の死者を出したわけですし・・・ですが、今の中国の場合は、経済グローバル化によって、海を越えて他の国で被害者を出している分、より国際問題になりやすい構造になっていると思います。つい最近まで、中国(大連)に住んでいた者の生活感覚からいえば、まあ、これだけ巨大な国のことだから、中には、とんでもなくふざけた食品工場もあるんだろうな、って思います。ま、ここまでひどくなくても、大連現地でも、ゴミを餃子のネタにしたとかで、摘発されたチェーン店があったりと、食品の安全をめぐるニュースには、日々事欠きませんでした。これに伴い、富裕層のあいだでは、より安全・安心な食品を求める消費行動が盛んになっており、「緑色食品」ブランドとか、産地表示制度なども、近代的なスーパーでは当たり前に行われるようになってきました。大連生活者として、普段、私が気をつけていたことといえば、・比較的、信頼できるブランド(台湾の統一食品など)のものを買う・安いものはできるだけ買わない。・外食する時は、賑わっている店を選ぶ (常に「できたて」の食事が出てくるから、)・菜市場では、小汚い店を極力避ける・屋台で買う時は、売り手と知り合いになり、信頼関係を築いておく中国では、確かに「食品」の信頼性に問題は多かったのですが、「食材」に関していえば、菜市場や屋台を通じて、生産者や流通にかかわる人と、顔の見える関係でものを買うことが多かったです。屋台のおじさん達と仲良くなって、「今日は、いいトマトが入ったからね。お客さんに分けといたよ」みたいな、人と人とのつながりのなかで食材を得て、自分で調理する、そこから、できるだけ安心を得ようとしていたのだと思います。
2007年06月13日
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台湾の面積は、九州とほぼ同じ、日本全土の10分の1にも満たない大きさに過ぎません。が、台湾の山は高く、深い。最高峰の玉山(3952m)をはじめ、富士山より高い山がいくつも聳えています。その、高く深い山の懐には、「原住民」、かつての日本統治時代(1895-1945)には、「高砂族」と呼ばれる少数民族が暮らしています。台湾は今でこそ、中国大陸から来た移民とその子孫(漢人)が圧倒的多数を占める社会になっていますが、彼らのやって来る以前は、「原住民」と呼ばれる、マレー・ポリネシア系住民の天地でした。なお、一言断っておきますと、「原住民」という言葉は、彼ら自身が自称している言葉であり、かつて使われた「高砂族」、「山地人」など比べて、さほど蔑視的なニュアンスを含まないと考えられるので、この日記でも使っていきます。「原住民」の人々は、今日まで、数奇な運命をたどってきました。まず、今から約400年前、中国大陸は、主に福建省沿岸地域から、海を渡って漢人が移住してきました。それ以来、平野部の条件の良い土地は漢人のものになり、「原住民」は山の方へ、僻地の方へと、徐々に追いやられていきました。また、1895年には、台湾全土が日本の支配下になり、今度は日本人が海を渡ってやってきました。それ以来、主に平地に住む漢人も、山奥に住む原住民も、等しく「皇民」と扱われ、日本語教育が施され(強制され)ました。日本統治時代は、50年間続きました。台湾の原住民は、少なくとも9つの部族に分かれ、お互いに言葉が通じなかったのですが、日本統治時代を経て、日本語が、各部族間の共通語となりました。その後、1945年、日本の敗戦に伴い、中国大陸からやってきた国民党が、台湾全土を支配することになりました。それ以来、「北京語」を標準語とする学校教育が始まりました。ただ、北京語教育の原住民社会への浸透は、かなり遅れたようです。私が台湾山地を訪れた、1989年は、国民党による北京語教育がはじまって、44年を経ていましたが、その当時でも、北京語を流暢にしゃべれるのは、子供たちだけで、中年以上の世代は、なんと日本語を話していたのです。---------------------------------------------1989年8月、私は台湾中部、南投県の霧社という田舎町にいました。標高1200m、深い山懐に抱かれた小さな街で、私は気楽な一人旅を楽しんでいました。この街で偶然、日本人の3人組と出会いました。彼らは、大学名は忘れましたが、皆ワンダーフォーゲル部の部員で、台湾の原住民社会を訪れる、というテーマの旅をしていました。彼らはとても気さくな人たちで、「鈴木さん。これから村へ行くんですけど、よかったら一緒に来ませんか?」というので、別段、予定もない私は、快くOKしました。彼らの目指す「村」は、霧社からさらへ山奥へ、一日一本しかないバスで3時間も行ったところにある僻地でした。道中、ほとんど舗装されておらず、ものすごい断崖絶壁や、渓谷、森林地帯を通った先にある、もうこれ以上はないほどの奥地です。海抜1500m超、村の名前は「仁愛郷力行村」、原住民「タイヤル族」の村です。力行村よりさらに奥にある集落は、「紅香村」を含めて2つ3つしかなく、それより上は、大禹嶺(2565m)、合歓山(3714m)に向かって、ただ、広漠とした山の世界が広がっています。なにぶん、僻地なので、旅館も民宿もありません。公共施設らしいものといえば、売店が一つ、分校が一つあるだけなのですから・・・我々、外部の人間が宿泊するには、村人の家に泊めてもらうしかありません。私たちはここで、2泊しました。タイヤル族の村人たちは、皆、浅黒い皮膚と、目鼻立ちのはっきりした輪郭を持っていました。この一見、どう見ても日本人ではない人々が、朝のあいさつに使う言葉は、なんと、日本語の「おはよう」なのです。陸稲などを植えているあぜ道で、野良仕事をしている村人に、「おはようございます」と声をかけると、「おはようございます」と、きれいな日本語で返事が返ってきて、その後、「今日はいい天気ですねえ」と、日本語で普通に、世間話がはじまるのです。この村は、老年、中年、子供の3世代からなっていましたが、彼らの話す言葉は、だいたい、次のようでした。老年:日本語と部族語(タイヤル語) 北京語は全く分からない中年:日本語と北京語、 部族語は「聞いてわかる」程度子供:北京語のみ 日本語と部族語は全く分からない当時の力行村における「言語の断絶」は、30代半ばの世代にあるようでした。この上の世代(40歳前後、終戦前後生まれ)だと、日本語が分かるので老人たちとの意思疎通はできるし、また北京語もある程度できるので、子供たちとも話が通じるのですが、30代前半(1955年以降生まれ)になると、話せるのは北京語のみ、日本語が全くできなくなる上に、部族語も駄目なので、年長者との言語による意思疎通はほぼ不可能になっていました。同じタイヤル族で、同じ村に住んでいるのに言葉が通じないのは、実に悲しいことです。私も、この村に滞在した2泊3日間は、にわか通訳としてひっぱりだこでした。当時の私は、台湾滞在が3ヶ月を超えたばかり。北京語の日常会話と、ちょっとした歴史の話くらいはできましたが、そんな程度でも、30代前半の美人の若奥さんに、「おじいちゃんと話が全然通じないから、日本語に通訳して!」と頼まれたりしたほどです。逆にいえば、言葉が通じないのに、ちゃんと村の社会が機能しているところが凄い。村の「おじいちゃん」たちは、何年かぶりの日本人の来訪に、大喜びでした。お酒が入れば最後、旧日本帝国の軍歌が、つぎつぎと飛び出してきて、「俺たちは、日本男児だ!」と、怪気炎を上げているほどでした。ですが、よく話を聞くと、彼らは日本軍に従軍して、南洋を何年も彷徨ってきたにも関わらず、終戦後、所属する国が日本ではなく、中華民国になってしまったことで、日本国からもらえるはずの恩給がもらえなかったそうです。実は私たちも、「恩給が支払われるよう、日本国政府に陳情して欲しい」と懇願されたほどです。ここは、山懐に抱かれた静かな村、でもその割に、実に重い過去を背負っているものです。ある天気の良い朝、村に一つだけある分校に行くと、子供たちが、山猿のように無邪気に遊んでいました。そこに、都会から赴任してきた、華人系の若い女性教師が、色白の肌を山の強い陽光にさらしながら、日々、子供たちと卓球をしたり、ピアノを弾いて歌を歌ったり、きれいな発音の北京語で詩を朗読したりしていました。こんな何もない山奥で、若い身体を持て余してしまうのではないかと、こちらが心配するほど、初々しさを残した彼女でしたが・・・当時の私は、それよりもさらに年下でした。その分校で、我々が日本語で談笑していた時に、近くにいたタイヤル族の少年が言ったこの一言が、今でも忘れられません。「我不○外語、我是中国人!」 (ボク、外国語は分からないよ。だって中国人だもん)(○=りっしんべん+董)おじいちゃんたちが、「俺らはニッポン男児だ」という村で、子供たちは自分を「中国人」だという・・・「国民」というものは、国家権力によって、人為的につくられるものだと言われますが、そのことを、この時ほど強く実感したことはありません。東アジアの歴史に翻弄され、今もなお翻弄され続ける、台湾山地の小さな村と、あの人々のことを、私は忘れられません。【力行村への行き方】台北から高速バスで3時間半、埔里へ埔里からバスで1時間、霧社へ霧社からバスで3時間、力行村へ~次回に続く~
2007年06月11日
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二日ぶりのブログ更新。台湾紀行の続きを書こうと思ったけど、急遽、予定を変更して、生後1歳9ヶ月になった我が娘のことを書きます。国際結婚した我が家では、普段から英語、日本語、中国語(北京語)が飛び交っています。妻や私が、幼い娘に歌って聞かせる「子供向けの歌」(Nursery Rhymes)も、英、日、中の3ヶ国語が登場します。で、先日、偶然発見したことなんですが、娘はすでに、多くの歌の、歌詞を覚えてしまったようです。たとえば、例)英語の童謡「Twinkle Twinkle Little Star」(キラキラ星)妻:♪~Twinkle Twinkle Little娘:Star!!!!妻:♪~How I wonder what you娘:Are!!!!妻:♪~Up above the world so娘:High!!!!妻:♪~Like a diamond in the娘:Sky!!!!例)中国語の童謡「搖到外婆橋」妻:♪~搖搖搖 搖到外婆娘:橋!!!妻:♪~外婆叫我好寶娘:寶!!!妻:♪~問我媽媽好不娘:好!!!妻:♪~問我パパ好不娘:好!!!例)日本語の童謡「一番はじめは~」(お手玉の歌、関東バージョン)私:♪~一番はじめは いちのみ娘:や!!!私:♪~二は日光 とうしょう娘:ぐう!!!私:♪~三は佐倉の そうご娘:ろう!!!私:♪~四は信濃の ぜんこう娘:じ!!!私:♪~五つ出雲の おおやし娘:ろ!!!私:♪~六つ村々 鎮守さ娘:ま!!!私:♪~七つ成田の お不動娘:さん!!!私:♪~八つ八幡の はちまん娘:ぐう!!!私:♪~九つ高野の 弘法さ娘:ま!!!私:♪~十は東京 せんがく娘:じ!!!上に挙げた以外にも、覚えた歌はたくさんあります(英語の歌は特に多い!)。まだまだ発音がたどたどしいので、全部の発音を、正確に出来るわけではありませんが、でも、どの言葉の次に、どの言葉が来るのかは、ほぼ正確に覚えているようです。その証拠に、わざと、フレーズの順序を変えて歌ってみても、ちゃんとついてきてくれるのです。たとえば、中国語で親指から小指まで数えるとき、こんな歌があるのですが♪~大拇哥 二姆弟 中三娘 四小弟 五姐姐 愛看戯 手心手背 心肝寶貝~♪私:「大拇」娘:「哥!!!」私:「二姆」娘:「弟!!!」私:「中三」娘:「娘!!!」というべきところを、わざと順序を逆さにして歌ってみても、娘は、正確に言葉を継いでくれます。私:「中三」娘:「娘!!!」私:「二姆」娘:「弟!!!」私:「大拇」娘:「哥!!!」それにしても、小さい子供の発音コピー能力というものは、驚くべきものだと思います。日本語、英語、中国語が飛び交う環境のなかでさえも、日本語は日本語、英語は英語、中国語は中国語として、ちゃんと覚えているわけですから・・・。最後に、私が「デイドリーム・ビリーバー」パロディーでつくった、「デイドリーム京成」で出てくる、京成本線の駅名も、娘はすでに、一部覚えてしまったようです。こんな歌詞なんですが、♪~上野 日暮里 三河島 町屋 千住大橋 関屋 堀切菖蒲園 お花茶屋 青砥 高砂 小岩 江戸川~私:「うえ」娘:「の!!!」私:「にっぽ」娘:「り!!!」私:「みかわし」娘:「ま!!!」私:「まち」娘:「や!!!」まだまだ、千住大橋以遠の駅名は覚えられていませんが、それでも、この調子でいけば、東京都内の駅名は全部覚えてしまいそう。それができたら、今度は千葉県の駅名を覚えて、終着駅・成田空港まで行けちゃうかもしれません。でもまあ、駅名を覚えたところで、それが何の役に立つの?と聞かれれば、答えに窮してしまうのですが・・・
2007年06月09日
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今日は職場で、朝から晩まで、日本人相手の会議が続き、一日中、日本語ばっかり使っていました。こんな一日は、ここ7年で初めてのことです。おかげで、家に帰ったら、ぐったり疲れてしまいました。一応、日本人なんだけどなあ、日本語ばかり使うと疲れるのはなぜ??ところで、来月いよいよ、台湾へ、家族旅行に行きます。5年ぶりの台湾、今から、とても楽しみです。まだ、出発の1ヶ月も前ではありますが、今から、旅行気分を盛り上げるべく、台湾について、日記を何本か書いてみますね。--------------------------------1989年5月13日、私は、台湾の土を踏みました。旅行で来たのではありません。この地で当分、暮らすためにです。当時、私は大学2年生、1年間の休学許可をもらったばかりでした。そしてこれが、日本を飛び出して、生まれて初めて体験する、海外暮らしでした。海外とは言え、台湾というところは、日本人にとって、おそらく世界で一番、「外国」を感じさせない土地ではないかと思います。ここの人々は、日本人と、外見が似ている、ライフスタイルが似ている、同じ漢字を使い、若い世代は、同じ日本の歌謡曲を聴き、日本のマンガを読み・・・そしてそれ以上に、同じ島国の民だからでしょうか、台湾の人々も、曖昧で微温的な、持たれあいの人間関係のなかで暮らしているようで、その辺の「人と人との間合いの取り方」も、どことなく日本人と似ている。私自身も、海外暮らしとは言いつつも、滞在1ヶ月もすれば、日本に居て日本人の友人をつくるよりも、ずっと速いスピードで台湾人の友人ができるようになり、あたかも、ここが「我が家」のような感覚で、台湾の暮らしに自然に溶け込んでいったものです。そんな私でしたが、台北の空気の悪さには、さすがに閉口しました。経済急成長中のアジアの大都市はどこでもそうですが、当時の台北も例外に漏れず、道路にはバス、タクシー、自家用車、バイク、軽貨物、屋台など、さまざまな乗り物があふれ、大きな幹線道路では、排気ガスで向こう側が霞むほどでした。加えて、人ごみ、夏場の酷暑、湿気・・・。そんな台北市街地の喧騒を離れて、のんびり、まったり一息つきたいと思った時、私がよく行ったところが、台北の北方にある小さな港町、「淡水」(タンシュイ)でした。台北市内の西部を、「淡水河」、という川が貫いています。台湾第三位の大河で、台北市を通る頃には、東京都内の荒川と同じくらいの、堂々とした川幅で流れています。その淡水河が、北の海(台湾海峡)に注ぐところに、淡水の街があります。台北からの距離は、約25km。淡水は、面白い街で、古い街並み(淡水老街)あり、名所旧跡(紅毛城、関渡宮)あり、渡し舟あり・・・ここの市街地は坂が多く、歩いていると時折、海が顔をのぞかせたりして、まるで長崎かサンフランシスコのよう。そのサンフランシスコを真似たのか、近年、この地に、フィッシャーマンズワーフ(漁人碼頭)なる新しい観光スポットが完成しました。1996年、台北都心と地下鉄がつながったこともあり、以来、手軽な観光地として、多くの人が訪れるようになっています。ですが、私が初めて訪れた頃の淡水は、地下鉄もなければ、フィッシャーマンズワーフもない、単なる、素朴で小さな漁村でした。そのシンプルなたたずまいが、大都会・台北暮らしに疲れた私の心と身体を、優しく癒してくれたのです。淡水で、私が特に好きだったのが、淡水河に沈む夕陽でした。この辺は、海に限りなく近い、広々とした河口で、西の対岸にわずかに残る陸地に、観音山という、富士山に似た端正なかたちの山が聳えています。その海と川、山、市街地がちょうど接するあたりに、静かに落ちていく夕陽の大パノラマ・・・圧巻でした。(私がはじめて見た頃の夕陽は、対岸にあまりマンションが建て込んでなくて、限りなく、自然のままの風景でした)その淡水に、今度、泊りがけで行くことになりました。家族と、幼い娘を連れて・・・20年近い歳月を経て、淡水の街も、ずいぶん変わってしまったのでしょうが、それでも、あのダイナミックな夕陽と、街の至るところで味わえる「郷土の匂い」は、まだ健在だろうと思います。余談ですが、私の台湾人の友人も、最近、淡水にマンションを買いました。毎日、台北市内への通勤はちょっと大変だけど、それでも、淡水の家に帰ってくると、身も心も癒されるので、ずっと住み続けたいと言っています。【淡水への行き方】台北駅より、地下鉄・淡水線で40分、終点・淡水下車~次回につづく~
2007年06月07日
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不本意ながら、こないだ、自宅近くで駐車違反をやってしまい、罰金1万8千円とられました・・・。私がこれまで犯した、交通関連の違反は、罰金とられたものだけで計4回。それも、日本とオーストラリアの両国で、スピード違反と駐車違反を、各1回づつ起こしたというバランスの良さ(?)・・・恥ずかしながら、一覧表にしてみますと、【日本】1998年 スピード違反 罰金7万円 (一般国道で39キロオーバー)2007年 駐車違反 罰金1万8千円 (交差点近くで違法駐車)【オーストラリア】2003年 スピード違反 罰金2万2千円(高速で22キロオーバー)2004年 駐車違反 罰金6600円(空港で違法駐車)(※1豪ドル=100円で計算)このほか、米国では、夜間無灯火運転で、バージニア州交通警察に捕まったことがありますが、この時は、初犯ということもあり、お咎めなしでした。ま、一通り、交通違反やってきましたが、幸いにして、まだ「酒気帯び運転」、「一時停止違反」等で捕まったことはありませんので、「日豪交通違反グランドスラム達成」というわけではありません。あと、物価水準がほぼ同じなのに、日本の罰金額はオーストラリアの約3倍、というのも興味深い現象です。私がこれまでで、一番痛かった違反は、上で書いた、スピード違反での7万円の罰金でした。あの時はタイミング悪く、マンションの頭金を払った直後で、貯金が限りなくゼロに近かったんですね(残高741円とかだった・・・)。そこに突如、7万円払えときたもんだから、痛いのなんのって・・・。仕方なく、友達から家族からお金借りて、次の給料日まで、辛い日々を耐え忍んだものです。でも、今となっては、良い思い出です。
2007年06月06日
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我が家の子育ては、オーストラリアと日本、中国の絵本を使っています。言葉はそれぞれ、英語、日本語、中国語です。見比べてみると、さりげなく、それぞれのお国柄が反映されていて、なかなか面白い。うちの娘が、最近、特に気に入っているのが、"Matilda the Bear"という、オーストラリアの絵本です。これはシリーズものの絵本で、マチルダという、ちょっとわがままな熊の女の子が、パパやママ(もちろん熊です♪)を困らせたりするのですが、この間、こんなくだりを見つけました。マチルダ「ちょっと、鼻がムズムズするんだけど・・・私、あれを忘れたみたい。あれを・・・」おばあちゃん「あれって何?・・・あっ、そうだ。ハンカチだね!」と言いつつ、おばあちゃんが棚からハンカチを取り出してあげると、マチルダは、それを手にとって、思いっきり、鼻をかんだのでした。めでたしめでたし♪ということで、お話はハッピーエンド(?)で終わるのですが、私の育った日本では、鼻水はティッシュでかむものと決まっているので、ハンカチで鼻をかむことに、どうしても違和感を感じてしまいます。だって、鼻かむのも、汗拭くのも、口拭くのも、みんなハンカチなんでしょ?何かの拍子で、鼻水が顔についてしまいませんか?でも、オーストラリアを含めて、欧米では、ハンカチで鼻かむのが当たり前なんですよね。だから、子供が読む絵本からして、ハンカチで鼻かむという想定になってるわけで・・・「鼻水が出たらハンカチ」という黄金の公式が、すでに、子供の頭のなかに、刷り込まれてしまうんですね。でも、いくら英語がビジネスや学問の世界で国際標準語と言われていても、「ハンカチで鼻をかむ」文化だけは、世界標準になって欲しくないなあと、私などは思ってしまいます。だって、もし日本がそういう文化だったら、「ハンカチ王子」なんて、成立しないわけで・・・あの斉藤君が、顔の汗を拭うのに使ったハンカチが、鼻汁付きだったとしたら、彼、あんなにモテてるわけないでしょ?
2007年06月04日
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茨城・福島の県境地帯の小さな漁村から帰ってきました。当地では、思う存分、魚類、貝類、甲殻類などを食い倒してきました。もう当分、シーフードは食べなくていいや、と思うほど。平潟漁港の舟だまり※平潟(北茨城市)は小さいながらも活気がある漁村で、早朝から夕刻まで、漁に使う餌を準備したり、ロープを修理したり、ウニの中身を処理したりする人々で、賑わっていました。漁村の朝市※平潟では、2週間ごとの日曜日に、朝市が出ます。干物や、海鮮加工品(油揚げ、ちくわなど)が中心で、東京で同じものを買うことを考えれば、とってもお買い得です。さて、食べ物の話に入りましょう。蟹ピラフ※平潟で唯一の喫茶食堂にて、看板料理の蟹ピラフ(1480円)を食す。※身がぎっしり詰まっていて、食べきれないほどでした。「アンコウ」(鮟鱇)のちゃんちゃん焼き※今回泊まった民宿の夕食。当地の名物料理のアンコウですが、冬の季節ものなので、さすがに「アンコウ鍋」は出ませんでしたが、その代わり、「ちゃんちゃん焼き」が出ました。特別料理~ウニ、アワビ、カキの三点盛り※せっかく漁師民宿に泊まるのだから、ゴージャスな特別料理を頼まないと意味がない!今回の宿は、「刺身の舟盛りコース」と「ウニ、アワビ、カキの三点盛りコース」が用意されていて、見た目は、前者の方がゴージャスなのですが、小さな子供連れなので、後者にしました。当地のウニ、アワビ、カキは、今が旬。「今日、海に行って、獲れたら出しますが、獲れなかったらごめんなさい!」という話でしたが、運よく獲れたようです。それにしても、美味かった~!ウニの貝焼き※漁村の近辺に住む友人宅でいただいたのがこれ。3~4つのウニから取り出した身を、ホッキ貝の上に盛り付けて、平たい鍋で焼いて、ご飯に乗せていただく料理。ウニの、こんな食べ方は初めて知りました。焼いたウニは、生のウニとは一味違う、味わいがあるものです。
2007年06月04日
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待ちに待った週末・・・。明日、朝早い出発なので、そろそろ寝なくちゃならないんですが、でも寝つかれないので、文章一本書いてからにしますね。明日、私たちは、上野発の特急ひたちに乗って、お昼前には、勿来駅に下り立つ予定です。「勿来」と書いて、「なこそ」と読みます。難読駅名です。ほとんどの人は正しく読めないのではないでしょうか。ついでに言うと、中国語(北京語)で「勿来」を意訳すると、「来るな!」という意味になります(上海語だと、「勿来三」で「ダメ」という意味になるらしい)。とはいえ、「勿来」駅は、我々のような旅行客に、「来るな!」と言ってるわけじゃありません。歴史をひもとけば、今から1500年もの大昔、ここ勿来の地に、北方異民族(蝦夷)の侵入を防ぐための関(勿来の関)が、大和朝廷の手で設けられました。農耕民を主とする大和勢力は、当時、狩猟・採集生活者であった蝦夷に対して、「お前たち、ここまで来るな!」という強い意志を込めて、「な来そ」(古い日本語で、「来るな!」という強い禁止を表す言葉)という地名をつけ、後の時代になって、上の意味を表す漢字「勿来」を当てたと思われます。これは、中国でいう、「万里の長城」のようなものです。スケールは全然違いますけど・・・万里の長城も、北方遊牧民の侵入を防ぐために、農耕民である漢民族がつくったものですから、建設の意図としては、ほぼ同じといえましょう。中国で、勿来の関にほぼ相当するのが、「山海関」(シャンハイグァン)です。山海関は、万里の長城の最東端、何千キロにもわたって続いてきた城壁が、ここで、東の海に落ち込むのです。近年、山海関の城壁は、昔のダイナミックな姿に修復され、隣接するビーチリゾート都市「秦皇島」と合わせて、中国北部ではスケールの大きな観光地になっています。一方、日本では、はからずも、万里の長城のミニ版みたいなものが、つくられました。大和農耕勢力と、蝦夷狩猟勢力の境界線に沿って、列島の西側(日本海側)から順に、鼠ヶ関、白河の関、そして勿来の関がつくられました。勿来の関は、東の海(太平洋岸)に接していますから、相対的な位置関係は中国の山海関と同じですが、こちらの方は城壁ではなく、緑豊かな森のなかに、木造の簡素な建物が、静かに佇んでいます。お国柄の違いでしょうか。で、面白いことに、中国では山海関の北側(漢民族世界からみれば「外側」)、日本では勿来の関の北側(大和世界からみれば「外側」)が、どちらも、「東北地方」と呼ばれるようになりました。中国でも日本でも、東北地方は、国内の他の地方とはかなり違う歴史をたどりました。国の中央から遠く、文化的にも経済的にも遅れ、どちらかといえば、虐げられてきました。(支配民族からみた)異民族が豊富に存在し、移住してきた支配民族とのせめぎあいのなかで、独特な文化風土を育んだいう点でも、両者は似ています。私が、ごく最近まで住んでいた大連も、中国の東北地方に属する都市です。大連の街は、東北のなかでは例外的に垢抜けていますけど、でも東北は全般的に、食べ物にしても文化にしても、地味で野暮ったい土地柄です。そして、大きく頑強な肉体を持ち、粘り強い人々が、毎年、冬は零下何十度にもなる酷寒の空の下、堅実に暮らしている、そんな土地です。その辺も、日本の東北地方のイメージと重なります。おそらく、日本の東北地方出身の人が、中国の東北地方に行くと、自分の故郷に似たものを感じるのではないでしょうか。また、その逆も然りでしょう。勿来は、東京駅からわずか189キロしか離れていません。大和朝廷が、「蝦夷来るな!」と叫んだ地、ここから先は、東北地方という、「もう一つの日本」が、さらに北方に向かって、延々と広がる・・・。逆に、東北地方の側からみると、勿来の周辺は、東北で最も南に位置する、陽光ふり注ぐ温暖な地というイメージになるそうで・・・そう考えると、なかなか興味深い、旅情をそそられる土地です。ようやく、いい感じに眠くなってきました。それではお休みなさい。
2007年06月01日
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昨晩、東京はすごい雨でしたが、今日は、天気が落ち着いてきました。ただ、いつ雨になってもおかしくない陽気です。明日から週末、晴れてほしいなあ。というのも、この週末、家族を連れて、茨城方面へ一泊旅行に行くからです。泊まる場所は、茨城県最北端、福島との県境に近い、北茨城市の平潟(ひらかた)漁港。「あんこう鍋」が当地の名物ですが、あんこうは冬から春にかけて獲れるもので、いまの季節は、アワビ、ウニなどが美味しいそうです。茨城方面への家族旅行というのは、昔から、我が家の伝統でした。私の育ったところは、「茨城に限りなく近い千葉」。ま、茨城県だけでなく、東京都も埼玉県も近くて、一都三県の文化が入り混じる、極めてインターナショナルかつマルチカルチュラル(?)な環境でしたが、でも、家族でドライブに行くところといえば、いつも茨城でした。茨城県は、政治家が強いのか、昔から道路が良く、そのうえ交通量も少なく、ドライブは快適そのもの。しかも、1980年代半ばに、常磐高速道が開通してからは、我が家から茨城の太平洋岸まで、わずか1時間のドライブで到達できるようになりました。同じ千葉県の九十九里浜に行くのに比べ、わずか半分の所要時間となったのです。だもんで、「前回も茨城だったけど、今度もやっぱり茨城かなあ」ということになって、ついに、我が家の伝統行事と化したのです。茨城方面で、特によく行ったところは、二つあります。ひとつは大洗(おおあらい)海岸、もうひとつが、北茨城です。大洗は、県都・水戸に近く、このあたりでは有名な海水浴場。すぐ近くに、那珂湊(なかみなと)という大きな漁港があり、魚市場で新鮮なお魚が、いくらでも食べられますし、また、大量に買って、家に持ち帰ることもできます。もう少し、北へ足を伸ばすと、北茨城の海岸に着きます。ここは、「あんこう」で有名な平潟漁港と、風光明媚な五浦(いずら)海岸が、観光名所です。五浦海岸は、白砂清松という言葉がぴったりくるところで、美術館やお寺が、たくさんあります。その、「鈴木家の伝統」を守るべく、というわけでもないんですが、でもやっぱり、中国で生まれた娘に、ニッポンの茨城、そして茨城の海の幸を、小さい頃から体験させてあげたいのです。今週末の小旅行が、今から楽しみです♪
2007年06月01日
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