2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全25件 (25件中 1-25件目)
1
この年末年始は、オーストラリア・シドニーで過ごすことが、ほぼ9割方、確定しました。(この後、思い切りシドニー地元ネタになりますが、ご容赦ください)シドニーでは、元旦をはさんで、4泊する予定なんですが、泊まる場所は、やっぱりパラマタだろうなあ。だって安いんだもん。シドニーに行く時よく泊まる、同じくらいの間取りのサービスアパートメントで、シティだと1泊340ドルで、パラマタだと132ドルって、一体どういうこと?ま、クリスマス休暇中のピーク時、オペラハウスに近い立地でプレミアがつくとはいえ、シティはバブりすぎだよなあ。とはいえ、もし義姉が「一緒にシドニーに行く!」ってことになれば、宿泊費を折半して、シティ泊もありえるかも。義姉は、なかなかセレブな雰囲気がお好きな方で、シドニーに行くと、たいていシティかボンダイに泊まる。パラマタなんか、ボロクソ言いますもんね。「あんなダサい街に、泊まりたくない!」って。彼女に言わせれば、チャッツウッドもダサいけど、パラマタよりは少しだけマシなんですって。ま、価値観は人それぞれですね。そんな義姉も、今年3月にパラマタで3泊した時、「以前に比べれば、買いたいと思える品物が増えた」とか言って、ちょっとだけ見直してました。ま、義姉と一緒でなければ、私たち家族は、ダサい玉、もといパラマタで十分。我々は買い物なんて、ぜんぜん興味ないし、食べることしか考えてないから・・・シティとパラマタのホテル価格差(一泊200ドル)でお金が浮いた分、パラマタを中心とする西エリアで、美味しいものを思う存分、食い倒してきます。でも物価の安い西エリアで、食費に一日200ドル使うのは、家族3人いても不可能だと思う。☆朝はカブラマタで朝粥($7×2=14)と、各種フルーツ+さとうきびジュース+ベトナムサンドイッチ($10)☆昼はフェアフィールドでラオス料理(3品+ドリンクで$25)☆夜はパラマタでドライエージドの最高級ステーキ($40×2=80)にグラスワイン($10)☆その他にカフェラテとかクッキーとか飲み食い($10)親子3人で胃もたれするほど食べても、全部で$150か・・・残りの$50を、ハリスパークの食材店でコーンナッツとか、ホムスとか、レバニーズピザに使う各種スパイスとか、エクストラバージンのオリーブオイルとか、全部仕入れても、まだお金が余るぞ!こうやって見ると、立地によるホテル代の価格差って、一体何なんだろうって思いますね。ま、というわけで、シドニー在住の皆様、オフ会やることになったら、声かけますので、一緒に遊んでくださいね。--------------------ところで、いま豪ドルが入用な方って、いますか?たとえば、☆いま、豪州で留学中で、学費を豪ドルで払う方☆毎年、豪州に旅行へ行かれて、旅費を豪ドルで使う方☆豪州で不動産の購入を計画していて、頭金を豪ドルで払う方私たちは、いま豪ドルで持っている貯金を、いくらか、日本円に換えようと思っています。もし、個人的な両替に乗っていただけるならば、手数料なしで、その日の為替レートで、換金いたします。20万円でも、50万円でも、あるいはそれ以上でも、相談に乗ります。余談ですが、Exchangerate.comの本日のレートは、1豪ドル=97.05円100円=1.0304豪ドルなので、もし今日ならば、50万円の現金と、5152豪ドルの現金とを、換金できます。興味のある方は、メールかブログのメッセージ欄にて、ご一報ください。
2007年11月30日
コメント(3)
"Think Globally Act Locally"・・・「グローバルに考え、地域で行動しよう」という言葉は、今から10数年前、世界中の環境保護グループの好むスローガンでしたが、今ではほとんど、耳にすることはなくなりました。死語になっちゃったんでしょうか?でも、別の意味で、今の時代ほど、"Think Globally Act Locally"のコンセプトが必要とされている時代もないでしょう。たとえばの話、東京に家を買うとします。私たちにとって、不動産は、一生の買い物。今が買い時か?或いはちょっと待った方がいいのか?どの立地・間取りを選べばいいのか?・・・本当に賢い選択をするためには、日本国内の経済状況だけ見ていてはダメで、グローバルなマネーの動きまで、視野に入れつつ判断しなくてはならないのかもしれません。今や、東京の超一等地の土地や建物は、かなりの部分を、外国人が買っています。その主体は投資ファンドだったり、銀行だったり、開発業者だったりと、さまざまですが、彼らの資金の出所は、いま日本より金回りの良い欧州とか、中国とか、資源国とかだったりします。中東のオイルマネーが、最近は投資対象として東京の不動産に目を向けつつあり、したがって東京の不動産価格は今後さらに上がる、という話もあります。逆の見方もあります。米国のサブプライム問題の余波で、日本の主な金融機関もかなり痛手を受けており、今後住宅ローンの審査を厳しくする可能性があるとか、建築基準法の改正で審査基準が厳しくなりすぎて、デベロッパーがマンションを供給できなくなるとか、国内外のREITファンドが、日本市場のうまみがなくなったので撤退しつつあるとか、等々の要因により、東京の不動産価格はそろそろ頭打ちして、下落局面に向かうという話もあります。上がるのか、下がるのか、私には分かりませんが、いずれにせよ、東京の不動産をめぐる経済状況が、未だかつてないほど、グローバルなマネーの流れのなかで、決定づけられていることは明らかだと思います。そんな時代ですが、私を含めて世の中の多くの人は、不動産など、一生に1つか2つしか買えません。東京の、ある沿線の、ある駅の徒歩圏に買うみたいな、局地的な買い方しかできません。これはまさに、"Think Globally Act Locally"なのでしょう。--------------------------ところで、いま私が、一番注目している物件は、我が地元・柏市に建設予定のタワー型高層マンション、The Kashiwa Towerです。この物件は、柏駅東口の繁華街、駅歩3分の一等地に建てられます。ここは再開発予定地なので、四方に立派な道がつけられる予定。しかも地上29階建ては、柏ではダントツの高さ。街全体を見下ろすことができます。この街で、これ以上の立地、これ以上の物件は当分出ないでしょう。販売予定は、来年2月。施工主体のダイワハウスが、どのくらいの値をつけるのか分かりませんが、私が注目するポイントは、柏の歴史、はじまって以来の「億ション」が誕生するか?最上階のペントハウスは、床面積47坪(155.86平米)を予定しています。坪単価が250万とすると、売値は1億2千万円前後となり、「億ション」が誕生することになる。これは柏でも、東葛地域全体でみても、前代未聞のことでしょう。それにしても、柏で1億以上も出して、マンション買う人なんているのかな?私は買いませんけど、ちょっとだけ興味あります。柏は千葉県にあり、東京からちょっと離れています。東京近郊というにはアクセスがやや不便で、実質はまだまだ、「東京に近い地方都市」のようなもの。東京に仕事や生活の本拠を持つ富裕層が、柏の物件に目を向けるとはちょっと考えにくい。たぶん地元の富裕層を、ターゲットにしてるんでしょうね。たとえば、柏の生活の本拠があって、郊外のほうにたくさん土地持ってるような人とか・・・。ですが、いつまでも地元の需要に頼っているわけにもいかない。"Think Globally Act Locally"から考えると、今後、柏が中東のオイルダラーとか、海外のREITファンドにもアピールできるような都市に成長できれば面白い。柏という都市の成長性がグローバルにも評価され、The Kashiwa Towerを、海外のお金持ちが買うようになれば、本物だと思うのです。--------------------------ところで、この年末年始は、12/29~1/2まで、シドニーで過ごすことになりそうです。ハイシーズンのため、ホテルをなかなか予約できなくて苦労してますが、たぶん、シティではなくてパラマタに泊まることになるでしょう。久しぶりにシドニーに行くから、できればシティに泊まりたいんだけど、でもどこも満員で、空いてても1泊300ドルとかするのは痛い。これがパラマタだったら、たいてい空室があり、シティの半額くらいで泊まれる・・・この安さの魅力には勝てない。
2007年11月29日
コメント(2)
11月28日、22時40分頃、江東区東陽1-25の路上で、男性が仰向けになり、口から血を流して倒れていた・・・---------------------------その昔、「洲崎パラダイス」と呼ばれ、遊廓街として知られた土地。今は「東陽一丁目」という、何とも味気ない地名になってしまいましたが、それでも「東陽弁天商店街」という、古ぼけたアーケードの商店街が残り、昔ながらの食堂や飲み屋、八百屋さんがまだ頑張っています。近代的オフィス街と化した東陽町にあって、最も「下町らしさ」を残した一角で、あの「事件」は起こりました。帰宅途中の私が、偶然通りかかった時、二人の酔漢が、路上で罵声を浴びせながら、取っ組み合いの喧嘩をやっていました。間もなく一方が倒れ、無抵抗になったのにもかかわらず、喧嘩の相手は、殴る蹴るの暴行を加え続けていました。私は思わず、携帯電話を取り出し、110番通報しようとしましたが、そこには一人、「先客」がいて、すでに110番通報をしたと言っていました。彼は、私とほぼ同年輩の、スーツ姿のサラリーマンでした。私と同じく、仕事帰りに偶然、ここを通りかかったそうです。警察が来るまで、ここで見守ろうと、二人で示し合わせたた矢先、「ボーン」と、かなり激しい衝撃音がしました。先ほど、倒れていた男性が、路上に頭を強く打ち付けたようです。その衝撃で、口から血を流していました。私と「先客」は、さすがに「やばい」と思い、救急車も呼びました。そして、先ほど頭を打った男性に、「大丈夫ですか?」と、声をかけました。意識は、しっかりしていましたが、頭を打ったから心配です。それなのに、喧嘩の相手は、まだまだ喧嘩し足りないらしく、倒れた男性に罵声を浴びせながら、蹴りを入れようとしました。「これ以上、手を出させちゃまずい!」と思い、私は肥満気味の身体を、倒れている男性と、喧嘩相手の男性との間に滑り込ませました。被害者をガードし、安全を確保するためです。暴力をふるっている男性に、立ち向かうのは、なかなか勇気の要ることです。今回の相手は、小柄な初老の男。丸腰なら、ま、やられることはないとは思いますが、相手が凶器をしのばせている可能性も、ゼロとはいえません。私は、別に喧嘩が好きなわけではない、分別盛りの30代サラリーマン。妻子もいるので、ケガすることなく、できるだけ穏便に済ませたい。だから、(攻撃している)彼とは極力目を合わさず、言葉少なに、さりげなく、倒れている男性をガードしていました。幸い、罵声を聞きつけた近所のおじさん、おばさんたちが、続々とやってきました。そのうち、商店主らしい中年の男性が、暴力を振るっている男の両肩を押して、「まあまあ、ここはひとつ、押さえて。頼みますよ。相手が倒れてるんだから。ねっ」と、穏やかになだめていました。「やっぱり、ここは下町だなあ」と思いました。下町は、人々が肩寄せ合って暮らす、人情の世界・・・。そうこうしているうちに、深川消防署の救急車が来ました。私は、ホッとしました。これで、「酔っ払いと渡り合う」という、ちょっとだけリスクのある任務から、解放されたのです。救急車の人々は、手際よく、倒れた男性を担架に乗せ、救急車に運び込みました。そのあと、深川署の警官が、自転車で駆けつけました。すでに、救急車が来た後で、事務連絡が錯綜したのか、私と「先客」の二人は、別々の人から、何度も「職務質問」を受けることになりました。いまいち、イケてないなと思ったのは、彼らが私と話している時、メモも取らず、途中で携帯がガンガン鳴って会話が中断し、再開したと思ったらまた同じ内容のことを聞く・・・メモくらい取れよな、と言いたくなりました。でも、さすがに私の住所と電話番号は控えたようなので、後日、電話がかかってきて、詳しい話を聞かれるかもしれません。ちなみに、気になるのは被害者男性の容態ですが、救急車に運び込まれた時点では、自分の名前も職業も、飲んだお酒の量も、ちゃんと言えるほど意識がしっかりしていたので、ま、大丈夫でしょう。
2007年11月28日
コメント(0)
"East meets West"-東と西との出会い・・・この言葉はふつう、東洋が西洋と出会うことを意味します。が、今回の日記では、「東京の東部」が「東京の西部」に出会う、という意味で使っていきたいと思います。私は、東京の東側(千葉県柏市)で生まれ、育ちました。私の父の家系も、先祖代々、この土地で暮らしてきました。そのためか、もう泣きたくなるほど、東京の東側、とくに旧「下総国」地域を溺愛する人間になりました。これはもう、「下総人の血」なんでしょうな。私は地下鉄乗って、東京を縦断して西側(たとえば渋谷)に出ると、途端に息が詰まり、居心地の悪い気分になってしまうんです。それが東側(たとえば錦糸町)に出た途端、リラックスして、身体中に元気が漲ってくる・・・。だから、東京に住むなら、絶対に東側がいい。「代官山」より「下総中山」、「下北沢」より「馬込沢」、「新中野」より「新小岩」、「二子玉川園」より「堀切菖蒲園」、「自由が丘」より「八千代緑ヶ丘」の方が、私の住む場所としてふさわしい。もし大金が手に入ったら、六本木ヒルズに住むよりも、柏に豪邸を建てることを選ぶ。ですが、客観的にみて、東京は今も昔も、西側が優位の世界です。かっこいいトレンディな街とかは、絶対に西側の方が多いし、有名大学や英米系インターナショナルスクールも、西側に集中している。不動産価格だって、都心からの等距離で比べれば西側の方が断然高い。だから、経済力や社会的影響力のある人が住んでいるのは、圧倒的に西側が多い。私は、西側の優位を認めれば認めるほど、東側が愛おしくて仕方ないし、また東側を愛せば愛するほど、その将来を憂えずにはいられません。「西」の圧倒的優位が続くこの大東京で、「東」との格差は、年を追うごとに開くばかり。しかもこれから、「格差社会」、「超高齢化社会」を迎える、社会構造の変化のなかで、「東」の将来は、今のままでは暗いと言わざるを得ません。特に、これからの東京圏で、衰退・没落せず、生き残っていくには、「人々に選ばれる、魅力的な街」にならなければなりません。西側の多くの街は、その布石を着実に打っています。一方、東側の街は、地域イメージの向上に全く無頓着なところが多い。目を覆いたくなるような、駅周辺のピンク化、風俗街の拡散、乱雑なミニ開発、駅前の巨大葬儀場・・・といった貧弱な都市風景は、明らかに東側に多い。このままでは、東側の多くの町が、「ファミリー中間層の流出」→「低所得層の流入」→「財政難」→「行政サービス低下」→「治安の悪化」→「さらなるファミリー中間層流出」という、悪循環に苦しむことになるでしょう。そんな東側にあって、我が故郷・千葉県柏市は、例外的に元気の良い街として、現在も発展を続けています。来年4月からは「中核市」となり、近い将来、周辺市との合併による「政令指定都市」化を狙っています。柏が、「政令指定都市」を目指すのは良い、ただ、その先に何を目指すのか?どんな街にしていくビジョンがあるのか?私が望むことは、ただ一つ。「柏地域が首都圏のなかで、ブランド価値と競争力を持つ住宅・商業地域となるための開発・まちづくりを、政令指定都市の枠組みのなかで大胆に行えるようにすること」ただ、それだけです・・・街のブランド価値と競争力を、明確にイメージするために必要なのは、東京西側の先進地域、つまり「山の手地域」を徹底的に研究して、そのエッセンスを、我が物とすることです。次にそれを、柏地域の経営指針とし、実践を重ねていくこと、それができてはじめて「都市イメージ向上」→「ファミリー中間層&プチセレブ層の流入」→「財政好転」→「行政サービス向上」→「都市の魅力をさらに高める投資」→「さらなるファミリー中間層&プチセレブ層の流入」という、好循環を生み出すことができると思います。東京西側なら、多くの街がすでに実現している、この好循環が、東京東側ではせいぜい、浦安と幕張ベイタウンくらいしか、実現できていない。他はすべてダメじゃん・・・と、切捨てられる前に、柏がそれに続くべきです。幸い、柏には、首都圏有数の商業集積がある。スポーツと音楽で若者に人気があり、比較的高い平均所得と、良好な住環境がある、そして、「つくばエクスプレス」という、清新なイメージの通勤路線を持っている・・・浦安、幕張に続いて、「東」で第三番目にテイクオフできる資質を、ここまで備えた都市は他にありません。政令指定都市を目指す柏が、手を組むべき相手はどこか?答えは明らかです・・・まずは、流山です。流山には、この21世紀を生き残るために、都市イメージを向上させようとする、井崎市長の強い意思がある。そして、有効な施策をどんどん打っている。「柏&流山共栄圏」が確立すれば、その枠組みに乗りたいという、近隣市町村が自ずから名乗り出てくるでしょう。それが野田なのか、我孫子なのか、あるいは松戸・鎌ヶ谷なのか、分かりませんが、この地域の人口をもってすれば、政令指定都市要件を満たすのは簡単。「柏+流山+野田+我孫子」だけで83万人。最近、政令指定都市となった静岡市や新潟市を上回るのです。それに松戸市と鎌ヶ谷市が加われば、141万人。一気に、京都市や福岡市並みになります。そういう将来像を描くためにも、柏・流山の指導者層には、今こそ「東京西側の優秀さに学べ!」-"East meets West"を提唱いたします。今度、柏を含む東葛6市の政令指定都市問題研究会は静岡市へ視察に行くそうですが、それより、代官山や田園都市沿線の街づくりを、じっくり視察した方がずっと有益だろうと思います。
2007年11月27日
コメント(4)
関東地方には、「富士見」という地名が多い。もちろんこれは、「富士山が見える」という意味です。道路をつくる時に、富士山に向けてまっすぐ道をつけて、「富士見通り」と名づける例も少なくありません。そういう意味でいえば、うちの近所の汐浜運河は、「東京タワー」を意識してつくったとしか思えない。この運河は、東京タワーに向かってまっすぐ伸びていて、どの橋からも、西方向の真正面に、東京タワーの姿を見ることができます。夜はライトアップされて、とてもきれい♪それにしても、こんな身近に、東京タワーが眺められるって、いいですね。本当に、東京の街中に住んでいるって感じがします。*****************************************東京タワーは、高さ333メートル。TV電波の発信施設として、1958年に竣工しました(来年で50周年ですね)。それ以来、大都会・東京のシンボルとして、君臨してきました。いま話題となっている「三丁目の夕日」にもよく出てきますが、特に高度成長期は、日本中からチャンスを求めて、人々が東京に大量移住した時代。東京タワーは、繁栄を続ける大東京の象徴として、皆の憧れの的でした。私も小学生の頃、東京タワーに、何度も連れていってもらいました。水族館見て、エレベーターで大展望台まで登って、東京の街を見下ろして、そのあと、螺旋階段を伝って下まで降りるのがお決まりのコースでした。私の家には、土産屋で買った東京タワーの模型が、いくつも飾られていたものです。そんな東京タワーですが、1980年代に入ると、人々に見向きもされなくなりました。当時は、青山、六本木、麻布の界隈に、「トレンドスポット」がたくさんできたことと、西新宿の都庁展望台のように、街を見下ろせる展望台が増えてきたことが、その背景にあるのでしょう。当時、東京タワーは、地方や海外から来た観光客のたまり場とされ、東京のトレンドからすると時代遅れのイメージさえありました。1990年代、バブル崩壊を経て、人々の価値観も大人しくなってくると、東京タワーの価値が、次第に見直されるようになってきました。この時代を象徴するのが、オザケンこと小沢健二の歌でした。彼の歌詞には、当時「ダサい」とされていた東京タワーの名前が、やたらと出てきます。私にとっても、東京タワーのイメージは、やっぱりオザケンですね。*****************************キラキラと街が光る 真夏の宵の口高速道路を走り 2人で出かけましょ東京タワーをすぎる 急カーブを曲がりあっというま海が見えりゃ 気分も晴れるでしょ*****************************オザケンの功績、だけではないんでしょうが、東京タワーの周りにおしゃれなカフェができたり、セレブ達が東京タワーの見える高級マンションでホームパーティーを開くようになったのは、この頃からです。あと、レインボーブリッジができて、東京タワーとのセットの夜景がサマになるのも大きいですね。最近は、外資系の超一流ホテルが東京に続々と進出してきています。一泊ン十万円もするエグゼクティブスイートの部屋で、東京タワー&レインボーブリッジの夜景を売り物にしているところが多いと聞きます。そんな東京タワーですが、将来はどうなるのでしょう?地デジ放送への移行により、すでに新東京タワーなる、高さ610メートルの巨大放送施設が、東京東部の墨田区押上にて、来年着工する予定です。高さは、東京タワーのざっと倍あります。まだ本決まりではありませんが、将来、新東京タワーから電波が送られるようになれば、コストの面でも、現在の東京タワーを維持するのは難しいと言われています。「史跡」として保存されるのか、あるいは撤去されるのか、どうなるか分かりません。ですが、東京タワーのある場所は、港区。「地の利」がいいですから、放送だけじゃなくて、いろいろと使い道はあると思いますよ。展望レストランにしても良いと思うし・・・。いずれにせよ、今のままの姿で残っていて欲しいものだと思います。
2007年11月25日
コメント(0)
私と妻は同い年。そして、我々夫婦と娘の間には、30年以上の年齢差があります。とはいえ、一世代隔てていても、子供の頃に読む絵本は、そうそう変わるものではありません。たとえば、娘が読んでいる、「桃太郎」、「一寸法師」、「舌きりすずめ」、「浦島太郎」など、日本の古典的な童話。これらは、私も子供の頃、読んでいたし、もっと上の世代も読んでいました。こういうものは、世代を超えて、受け継がれていくものでしょう。あと、西洋の古典的な童話、たとえば、「白雪姫」、「シンデレラ」、「ピノキオ」、「くるみ割り人形」・・・これらも、私も妻も、子供の頃、読んでいたものです。ところで、私が育ったのは日本、妻が育ったのはオーストラリアなんですが、それでも同じものを読んできたということは、たぶんディズニーのおかげなのでしょうね。その他、古典ではなく、現代の西洋童話でも、私と妻が子供の頃、どちらも読んでいた作品があります。それが、バーバパパバーバパパは、1970年代初頭にフランス・パリで生まれました。自由に姿を変えられる、心優しいおばけの「バーバパパ」、「バーバママ」、そして7人の子供たちが繰り広げる、愉快な物語です。日本では1972年に、日本語版「おばけのバーバパパ」が出版され、大人気を博しました。その後、数多くのバーバパパ・シリーズの絵本が出版され、TVアニメ化もされたので、1970年代以降、日本で育った人で、バーバパパを知らない人はあまりいないでしょう。このバーバパパ、原文はもちろんフランス語ですが、英語訳されて、英語圏で大ヒットしたそうです。妻の育ったオーストラリアでも、バーバパパ・シリーズは子供たちに親しまれているそうです。もちろん、うちの娘もバーバパパ大好きで、ファミリー全員の名前と色を言い当てることができます。その他、私と妻の子供時代にはありませんでしたが、娘の時代になって、人気を博したフランス生まれの童話があります。たとえば、リサとガスパールこの作品は、1999年にフランスで生まれました。主人公はイヌでもウサギでもない、架空の動物、リサとガスパールで、人間たちに交じって、学校に行ったりクリスマスプレゼントをもらったり、遊んだり怒られたりしながら、パリの街を舞台に楽しく暮らしています。日本でも最近、人気が出てきたようで、リサとガスパールのキャラクターグッズを、街で見かけるようになりました。この物語の醍醐味は、リサとガスパールの、なんとも形容しがたい、魅力的なキャラクター。その性格はなかなか複雑で、無邪気だったり嫉妬深かったり、お人よしだったり意地悪だったりと、よく分からないけれど、いつの間にかあのキャラクターの虜になってしまいます。また、絵本にちりばめられたパリの街の風景が、アクセントを添えています。Trotro邦題は「ロバのトコちゃん」。明るくておとぼけなキャラクターのロバのTrotro(トコちゃん)が、いたずらをして大人を困らせたり、おばかな失敗をしたりしながら、やさいいママと楽しく暮らしています。ーーーーーーーーーーー------------------私が感じる、フランス絵本の魅力とは、1)絵柄のセンスが良い。デザインはシンプルで、色づかいが鮮やかなのに、ケバさがなくて品がある。どのページをみても、かっこいい。2)絵本に、凱旋門とか、モンマルトルとか、パリの風景が、惜しげもなく出てきて、かっこいい。3)内容が、なかなか深い。子供向けの絵本でありながら、地球環境問題とか、人間が誰でも持っている嫉妬や意地悪な心について、考えさせてくれる。それでいて、押し付けがましくない。さらに、Youtubeなどで、フランスでアニメ化された「バーバパパ」、「ロバのトコちゃん」などのビデオクリップを見ると、フランス語なので、何言ってるのか分からないけど、発音がかっこいい。見ていて、トクしたような気になる。バーバパパのビデオクリップの例:フランス語だと、「バーバパパ」じゃなくて「バルバパパ」に聞こえるTrotroのビデオクリップの例というわけで、魅力満載の、フランス絵本文化。これからも、長いお付き合いになりそうです。
2007年11月24日
コメント(10)
この頃、東京もずいぶん寒くなってきて、出勤にもオーバーコートが必要な季節になってきました。特に今日は、海に近い江東区でも最低気温が4度、最高気温が10度と、真冬並みの寒さ。実家のある柏では、最低気温が1度らしく、もう氷点下目前です。しかも風が強くて、冷たい。ここまで寒くなると、さすがに暖房が必要となってきます。幸い、私がいま住んでいるのは、築4年の公団住宅で、設備もなかなか新しく、リビングには、床暖房が完備されています。この床暖房、慣れてしまうと本当に気持ち良くて、やめられない。まず、足元から暖かいのが嬉しい。人間の身体って不思議なもので、たとえ腰から上が寒くても、足の裏さえ暖かければ、全身が温まるようで・・・「五臓六腑にしみわたる暖かさ」とは、このことを言うのでしょう。しかも、床が暖かいので、そのままリビングでゴロゴロしてても、気持ちがいい。というか、一度床にゴロゴロしたら、もう気持ち良すぎて、天国!だから、休日は一家全員でゴロゴロ、起き上がるのがすごく億劫です。一度、床暖房の味を知ってしまうと、もう、石油ファンヒーターやホットカーペットの生活には戻れません。この床暖房のおかげで、私たちは今住んでる家を離れたくないし、今後引っ越すとしても、絶対に床暖房付きの家にしようと思っています。私たちが最初に床暖房付きの家に住んだのは、中国・大連でした。冬、氷点下10度を下回ることもある、寒さの厳しいこの地では、集合住宅なら11月中旬から、床暖房(中国語で「地熱」)が入ります。普通、ボイラーで石炭を燃やして、その蒸気を、各戸の床下に送り込んでいます。北国ではどこでもそうでしょうが、大連でも床暖房のおかげで、冬の室内は常に20~25度の世界。半袖で過ごせます。外に出る時は、モモヒキはいて、分厚いコート着て、マフラーと手袋をグルグル巻きにして、思い切り着膨れするのですが、一旦家に入れば、それらを全部脱いで、半袖シャツに半ズボン姿・・・という生活でした。大連を含む、中国東北部、そして朝鮮半島では、太古の昔から、床暖房の文化が発達していました。中国の「カン」、朝鮮の「オンドル」も、基本は床暖房技術ですよね。ですがその文化が、なぜか日本には入ってきませんでした。これはたぶん、古代、アジア大陸から日本へ文化が入ってきた時、その最初の上陸点が、九州北部だったからでしょう。そこは気候温暖で、床暖房を必要としない地でした。もし、北海道や東北から文化が入ってきたならば、床暖房技術はきっと、昔から日本に根付いていたことでしょう。とはいえ、最近は日本でも、新しい集合住宅では、床暖房が入ることが多くなってきました。床暖房は、暖かいうえに、室内で石油を燃やさないので、健康的。子供のいる家には最適です。皆、その良さを理解すれば、床暖房は今後、さらに普及するんでしょうね。
2007年11月23日
コメント(2)
働けど、働けど、楽にならざり、わが暮らし、じっと手をみる・・・というのは、石川啄木の歌ですが、いつの世も、額に汗して働いた分だけ、生活が豊かになるとは、限らないようです。むしろ、そうでないことの方が多いでしょう。たとえば、7年間の海外暮らしを経て、日本に帰ってきて思うこと。「日本人って、本当に真面目に、よく働くよなあ~」と、いつも感心しています(私も、一応日本人なんですが・・・)。でも、その割には、経済がいまいち、波にノリきれないようで、いつも一進一退を繰り返しています。それどころか、将来の日本経済に関しては、悲観している人が多い。皆、あんなに頑張って働いてるのに、将来を悲観するしかないのなら、すごく割に合わない話だと私は思う。いまの日本には、まだまだ無駄な仕事が多いのか?あるいは、一般の人がすごく頑張って働いている現場とは全く無関係なところで、日本の国がすごく損しているのか?よく分かりません。そういえば数年前、オーストラリアで暮らしている頃も、「働けど、働けど、楽にならざり・・・」と感じたものです。その原因は、やはり住宅ローンの返済。あの頃は、利子が年6%台でした。元金を早く減らすため、私は手取り収入の約80%をローン返済に充てて、生活費は妻の収入で賄ったものでした。あの頃は、DINKSだったから良かったものの、今みたいに、子供が生まれて、妻が専業主婦になって、私一人の収入で暮らすことになったら、大変だっただろうなあ。あの国の住宅ローン利子は、すでに年8%台、チャイルドケアも高いし、物価も高い・・・そもそも、妻が専業主婦をするという選択肢は、ありえないかもしれないな。オーストラリアの国自体は、資源ブームで潤っており、経済もに順調に伸びているのですが、自分はその恩恵を受けたのかなあ?なんだか損している気がしないでもない・・・とはいえ、夫婦二人とも、フルタイムの仕事に就けたから、きっと恩恵は受けてるのでしょうね。生活をラクにしたいのなら、労働収入だけじゃなくて、やっぱり権利収入だぜ!と思い、不動産投資とか、いろいろ頑張っているのですが、現実の生活では、なかなかプラン通りにはいかないものです。最後に、働けど、働けど、ラクにならざり、我がプロジェクト・・・・とボヤきたくなるのは、プロジェクト・マネジャーの宿命でしょうな。まあ、呆れるほど、次から次へと、いろんな問題が起こり、責任をとらなきゃならない、実にしんどい仕事です。30代、40代なら頑張れるけど、50代になったら、どうしようかなあ?社員教育とか、身体がラクな仕事をしたくなるんだろうな、きっと。
2007年11月21日
コメント(2)
地球上には、草食動物と肉食動物がいます。私たち人間は、草食、肉食どちらもする、雑食動物といわれますが、どちらかといえば、肉食を好むのかもしれません。たとえば、2歳になった私の娘のこと。離乳食をはじめた頃から、肉、野菜、果物、魚と、バランス良く、与えてきたのですが、やっぱり肉が一番好きなようで、食事のはじめに肉を与えてしまうと、そればかり食べて他のものには見向きもしません(だから、一番最後に与えています)。私の友人を見渡してみても、肉が好きで野菜が嫌いな子供に手を焼いている例が結構多い。日本だけでなく、オーストラリアでも、中国でもそうでした。たしかに、肉は野菜に比べて味が強いので、肉も野菜もある環境では、自然と肉好きになる子が多いのかもしれません。かくいう私も、肉好きですが、赤身の肉よりも、モツ、ハツ、ホルモン、レバー、ハチノスといった臓物系に目がありません。とはいえ、肉料理の王者といえば、やはりステーキだと思います。私が子供の頃、ステーキは「ビフテキ」(ビーフステーキ)と呼ばれていました。当時の日本ではかなり高価なもので、滅多に食べられるものではありませんした。我が家では、特別な祝い事がある時などは、柏の駅前通りにあるステーキハウス「みその」で、サイコロステーキを食べに行ったものです。で、お値段の方は、100グラムか150グラムみたいな量で4500円!今から20年以上前の物価で4500円ですから、そりゃもう、「食べるダイヤ」みたいなもんでしたよ(言い過ぎかな・・・)。少ない量の肉を、大事に大事に食べるもんだから、肉の味なんて分かりゃしませんでした。そんな日本でも、近年は美味しいステーキを、リーズナブルな値段で食べられるようになったんですから、時代は変わるものです。それでも、私がステーキの味に目覚めたのは、日本を離れ、オーストラリアで暮らすようになってからでした。オーストラリアは、肉食天国。ステーキなど、いつでも、どこでも、好きなだけ食べられる国です。海辺に行っても、ホームパーティーをやってもステーキ。会社の仲間と連れ立ってステーキ、そこらへんの屋台で焼きたてのステーキ・サンドイッチ・・・。この国のステーキ、と一言でいっても実に奥が深い。ビーフ、ポーク、チキンだけでなく、ラム、マトン、ベニソン(鹿)、カンガルー、ワニ・・・実に多彩な動物、品種、部位を使ったステーキがありました。肉屋さんに行っても、Rib Eye、Loin、Chuck、Shin、Bible・・・聞きなれない言葉ばかりで、何を選んでいいのか迷うほど。その中で、私が「すごい!」と思ったステーキは、エージド・ビーフ(熟成牛肉)のステーキ。オーストラリアでは高価な部類に入るステーキですが、それでも、死ぬほど食い倒しても、30ドル(3000円)程度の予算で収まったものです。特に、エージド・ビーフで、忘れられない場所といえば、シドニー西郊のライダルメア(Rydalmere)。この辺は工業地帯で、現場でクレーンやフォークリフトを動かしていた男たちが、仕事帰り、腹をすかせて、肉を喰らいに来るところでした。この街には、Spur Stakeというステーキ専門店と、その隣りにFamily Inn Hotelという、いろんな種類のステーキを出すパブがありました。彼らは、普段はFamily Inn Hotelで15ドル程度のステーキを、ちょっと奮発したい時は、Spur Stakeで33ドルのエージド・ビーフ・ステーキを、裕福そうな老夫婦に混じって、食べていたものです。「雰囲気も味のうち」と言いますが、ステーキというのは、男っぽい料理。スロットマシーンが鳴り響くなか、パブでTVでラグビーの試合を見ながら、スポーツ新聞とビール片手にステーキに喰らいついている男たちに囲まれて食べると、とても美味しく感じられるものです。こうして、エージド・ビーフの味を知ってしまった私ですが、これまで食べたなかで最高のステーキは、ニューヨークの有名なステーキハウス、Peter Lugerで食べた、ポーターハウスかな。一生忘れなれない美味しさでした。その代わり、とってもお値段は張りましたが・・・。
2007年11月20日
コメント(8)
長年、ホームページやブログやってると、いろんな経験ができます。その多くは、望ましいことです。実際、ホームページ・ブログを通じて、実に多くの人と友達になりました。食べ歩き友達、ラグビー友達、仕事友達、そして人生で貴重な友人もたくさんできました。一方、つまらないことも、時々起こります。「ブログ荒らし」も、その一つです。荒らしとは、ひとさまのブログの掲示板やコメント欄に、明らかに悪意を持った、誹謗中傷、個人攻撃の類を仕掛ける行為のことです。こうした「荒らし」が殺到して、収拾不可能な状態になることを、「ブログ炎上」と呼びます。「ブログ荒らし」に類する行為を、仮に一般社会で行ったら、これはもちろん許されません。社会的制裁を覚悟しなければならないはずですが、「荒らし」はネットの匿名性に隠れて攻撃してくるので、誰が「真犯人」なのか、追求できないのが、頭の痛いところです。一昨年頃までは、私のブログにも、時々、「荒らし」がやってきたものです。ですが昨年頃から、なぜか、「荒らし」がぴったりと止みました。実に不思議です。昨年を境に、私の書く内容が急に変わったとも思えないし・・。その代わり、かつての「荒らし」以上の頻度で、エロ系の匿名書き込みに悩まされるようになりました。もう少し詳しくいえば、約70%が、エロ系約20%が、金儲け系約10%が、ネットワン切り (「とても参考になりました」みたいな、当たり障りのないコメントを書き込んできて、それっきり・・・みたいなやつ)私のみる限り、楽天ブログを使っている友人の多くがエロ系書き込みに悩まされているようです。詳しいことは知りませんが、数多くのブログをロボット巡回して、エロ書き込みだけ残すプログラムでも使っているのかもしれませんし、あるいは「テレクラのサクラ」みたいに、エロ系書き込みという仕事があるのかもしれません。ネットの世界で、「荒らし」がひとまず収束して、代わりに「エロ系」が、ネット迷惑行為の主流に躍り出たのでしょうか?実際のところ、どうなんでしょう?いずれも「つまらん」行為で、私はもちろん軽蔑していますが、でもちょっとだけ、興味があります。
2007年11月19日
コメント(2)

東京の街はすっかり、冬の装い。クリスマス・イルミネーションがきれい。ところで、昨日はレンタカーを借りて、千葉県方面のリサイクルショップを回り、いろいろ仕入れてきました。都内に暮らし、クルマを持たない私たち家族にとって、レンタカーは必需品。買い物、レジャー、里帰り、荷物運びにと、大活躍。最近は、月平均2回のペースでレンタカーを利用し、まさに「週末の足がわり」となっています。最近のレンタカーは、一日中借りても5000円台で済むから、都内の高い駐車場借りるより、断然経済的です。で、レンタカーで最近よく行く街といえば、千葉県鎌ヶ谷市「あれっ、なんで鎌ヶ谷で買い物なの?」と、思われる方もいるかもしれません。鎌ヶ谷市というのは、千葉県北西部にあり、いわゆる東京のベッドタウンですが、近隣の船橋、松戸、柏といった大きな市に比べれば、マイナーで目立たない存在。しかも、「ららぽーと」みたいな大きなショッピングセンターはなく、特色ある商店街があるわけでなく、めぼしい幹線道路も通っていないから、ロードサイド店も、近隣市と比べれば層が薄い。東京から至近距離にありながら、高速道路は通っておらず、道路事情は悪いから、アクセスは決して良いとはいえない。街の名物といえば、日本ハムファイターズの二軍が使う、鎌ヶ谷スタジアム(鎌スタ)と、鎌ヶ谷大仏くらいしかない、というマイナーさ。そんな鎌ヶ谷が、最近、ショッピング好きなうちの奥さんの「マイブーム」となっているのです。その秘密は、新京成線・鎌ヶ谷大仏駅の近くにある、4つの店舗にあります。1)オフハウス鎌ヶ谷店2)ブックオフ鎌ヶ谷店3)ビッグエー鎌ヶ谷丸山店4)ジェーソン東鎌ヶ谷店これらの店の特徴といえば、とにかく安いこと。そして、駐車場が使えること・・・「郊外チープ・ショッピング」を代表する存在といえましょう。1)「オフハウス」は、リサイクルショップのチェーン。中古品の家具、雑貨、食器、おもちゃ、結婚式の引き出物などを売っています。2)「ブックオフ」は、言うまでもなく、日本を代表する、中古書籍のチェーン。CDやDVDも多く扱っています。3)「ビッグエー」は、埼玉県や千葉県など、東京郊外に数多く出店している、安売りスーパー。24時間営業の店も多く、コンビニ感覚で使えて、しかもモノは普通のスーパーより安いので、郊外生活者には重宝する店です。4)「ジェーソン」は、千葉県を中心に展開する、安売り雑貨のチェーン。日用雑貨から、電化製品・自転車まで、幅広いアイテムを取り扱っています。基本的に、「安いものは何でも売る」というスタンスで、いかにも怪しい・胡散臭い商品まで扱っているのが、ポイント高いです。上記4種類の店舗が、至近距離内に全て揃っているのが、鎌ヶ谷ショッピングの魅力といえましょう。しかも、大仏まである!うちの娘は、まだ2歳なのに、なぜか大仏が好きで、「大仏見たい、見たい!」とせがむ・・・だから鎌ヶ谷に行けば、全てが解決するのです。ショッピング&大仏様のご利益で、めでたく家庭円満!ところで鎌ヶ谷って、奥さんや娘にとっては良い所でも、ドライバーの私にとっては、つらいんだよなあ。特に辟易するのが、鎌ヶ谷大仏周辺の道の狭さと、交通渋滞。あの辺は、どこも片側一車線。まともに走れる道が存在しない上に、信号も多く、踏み切りもあるから、いつも渋滞。「お金払ってもいいから、高速で早く帰りたい」と思っても、船橋方面に出ないと、高速がないのもつらい。そんな鎌ヶ谷に、一家総出で繰り出す背景には、「一見便利そうで、実は便利じゃない」都内のショッピング事情があります。まずもって、東京23区内の店は、よほどの大型店やロードサイド店でない限り、クルマでの来店が前提になっていません。徒歩やママチャリで行くにはいいけど、クルマで行っても、駐車場がない。だから近くの有料駐車場に停めるわけだけど、高いし、かといって路駐して、罰金とられたらもっと高い!クルマを使えないってことは、自分で荷物が運べないってことです。だから、皆さん宅配を使うわけだけど、宅配って、行く店が一軒だけならまだしも、何軒も店をはしごしたい場合には、向かない。だから、クルマが使える日は、自然と郊外に足が向いてしまうわけです。郊外はクルマ社会だから、店には駐車場がついており、もちろん無料。宅配なんて面倒臭いことせず、心ゆくまで、お店を何軒はしごできるのです。あと、郊外のリサイクルショップは、クルマ社会のおかげで、品揃えが都内より豊富な気がします。みんなクルマを使って、要らないものを気軽に売りにくるからでしょうね。あと、郊外のディスカウント店やスーパーで売られているものって、実は都内の店でなかなか買えなかったりする。たとえば、千葉県のビッグエーで売ってる、「500グラム700円の激安スモークサーモン」(チリ産)とか、ジェーソンで売ってる「アンパンマンの絵柄のついた、198円のお弁当箱セット」(ベトナム製)みたいなものは、都内では見たことがありません。もちろん、広い都内、探せば必ずあるんでしょうけど。ところで東京23区でも、江戸川区だけは、千葉県的な郊外型ショッピングが楽しめるようです。特に京葉道路沿いの、江戸川区新堀、大杉周辺のリサイクルショップ群は凄いの一言。あの辺にはビッグエーもあるし、ないのはジェーソンだけか・・・。
2007年11月18日
コメント(2)
年末年始、シドニー行きの話が、少しだけ現実味を帯びてきました。もともと、妻の実家のあるケアンズに行こうとして、飛行機の空席が全然なくて、困っていました。でも、シドニー行きであれば、なんとか飛べる可能性があるらしくて、そうすると東京~シドニー、そしてシドニー~ケアンズという二段移動になるわけです。でも面倒くさいし、疲れるし、どうしようかなあ、と迷っていたところ、妻が、「私もシドニーに行きたい!ケアンズからシドニーに飛んで、現地で待ってようか?」と言いました。だもんで、「シドニーで、家族水いらずで年越ししてもいいかなあ」、という気分になっています。ところで、シドニーで何をしたいか?・・・フタを開けてみたら、私も妻も、食うことばっかり、考えていました。東京では食べられないような、超美味しいベトナム料理が食べたい♪→だったら、Cabramattaに行くしかない!!東京では食べられないような、超美味しくて分厚い熟成ステーキが食べたい♪→肉をガッツリ食べるのなら、Parramattaが一番!!東京では食べられないような、超美味しいレバノン料理が食べたい♪→じゃあ、Lakembaに行くっきゃない!東京では食べられないような、超美味しいイサーン(タイ東北部)料理が食べたい♪→じゃあ、Fairfieldに行くか!!バーベキュー味のコーンナッツと、ホムス(ヒヨコ豆のペースト)をまとめ買いしたい♪→Harris Parkの商店街に、買出しに行こう!というわけで、シドニーでも西のほうの地名ばっかり出てきたわけです。でも妻はおかしなことに、泊まる場所だけは西郊じゃなくて、シティ(都心部)にしたいそうです。もしそうなら、シティから毎日、電車に乗って西のほうのレストラン(じゃなくて、安食堂)に繰り出すという、ライフスタイルになるんだろうな。それにしても、うちの奥さん、シドニーの西のほうに住んで、2年半にしかならないのに、ずいぶん、「西の文化」に染まってしまったようで・・・それまでは、「あんな小汚いところ、私は絶対に住まないよ!」なんて言ってたのにねえ。それはさておき、シドニーの東西南北のなかで、「西」エリアは一番、人気がない。常にネガティブで、ダーティーで、ブラックなイメージが、つきまとっている。一度も行ったことないくせに、「西のほうは治安が悪い!」なんて、物知り顔で言ってる御仁もいるほどです。よくある批判のなかに、「西」の街は、潤いや文化が感じられない→まあ、他の地域と比べれば、そりゃそうでしょう。西の住民は、あんまりお金持ってないし、公共投資もロクにこなくて、冷や飯食ってる地域が多いし、それに、「街をきれいにしましょう」みたいな標語を出しても、英語読めない住民が多いから、機能しないんですよね。でもベトナム語とかアラビア語、トルコ語とかで書いてくれれば、分かってくれる鴨。「西」の街は、雰囲気がコワイ!→まあ、そう感じる人もいるかもねえ。西のほうの街を歩いてるのは、いわゆる白人さんじゃなくて、ハクション大魔王とか、アリババみたいな顔して、水タバコ吹かしてたりするし、また店の看板も、英語じゃなくて、どの国の言葉なのか分からないような文字で書いてあったりするし・・・私はそういうの、楽しいと思うんだけど、なかには恐怖感を覚える人も、きっといるんでしょう。しかし、「色の白いは七難かくす」といいますが、シドニ-西エリアは、メシが安くて超うまい!!という素晴らしい長所があります。少なくとも「食」に関しては、シドニーの東と南と北が束になってかかってきても、「西」には絶対にかなわない。だって、西で食べるものは、世界各地から移住してきた人たちの「ソウルフード」。そう、魂の食事なのです。だから、満足感が違う。「本当に美味いものを、力いっぱい食った!」という満足感がある。これが、100の欠点を全て覆い隠して、余りあるほどの魅力となっているのです。少なくとも私と妻にとっては・・・。というわけで、シドニ-に行くことになれば、やっぱり西エリアで食べ歩きをいたします。
2007年11月16日
コメント(6)
この頃、仕事が終わるのが結構遅くて、家に帰って一息ついて、テレビをつけたら、もうNHK教育TVの外国語講座をやってたりして・・・要は、夜11時を超えてるってことですね。最近の外国語講座は、なかなかバラエティ豊富で、英語、中国語、韓国語に引き続いて、ロシア語、アラビア語、トルコ語あたりまで出てくる。1時間以上も、ひたすら語学番組が続くこともあります。そういう番組では、外国人講師が出てくるわけなんですが、もう皆さん揃いも揃って、信じ難いほど、日本語が堪能で・・・世界のいろんな地域出身の方々ですから、当然、肌や髪の色も、さまざまですが、日本語力は、ネイティブ並みかそれ以上。現在、世界中で、日本語を学ぶ外国人が、推定で400万人ほど、いるそうです。だから、日本人っぽい顔をしてなくても、日本語ペラペラな人なんて、いくらでもいるわけですが、それでも私などは、欧米人とか、アフリカ人とか、インド人の顔をしている方々に会うと、「日本語ができないだろう」という思い込みから、ついつい、英語で受け答えをしてしまう・・・で、次の瞬間、相手が日本語ペラペラだということが分かったりする。逆に、日本人っぽい顔をしている東アジア系の外国人に会うと、「日本語ができそうだ」という思い込みから、ついつい、日本語で受け答えをしてしまう・・・そして時に、全然通じなかったりする。でもよく考えれば、皆さん東京の職場で働いているのだから、日本人っぽい顔をしていようといまいと、ある程度の確率で、日本語が堪能な人がいることは、頭では分かっているんですが、それでもついつい・・・。あと、相手が東アジア系の外国人だった場合と、日本人だった場合も、受け答えのパターンは違ってきます。いくら日本人っぽい顔をしても、外国人であれば、英語を使って話すことに、抵抗は覚えませんが、これが日本人だと、英語を使って話すことに、ものすごい抵抗を感じます。「なぜ日本人同士で、英語でしゃべらなきゃならんのだ?」と、思うからなんですね。似たようなことを、中国人も感じているようです。以前、中国・大連の職場で働いている時に、全社をあげて、「英語で話そう」運動を実施したんですが、あまり根付きませんでした。それもそのはず、あの職場は、社員の95%以上が中国人だったんですね。だから、「中国人同士なのに、なぜ英語でしゃべらなきゃならんの?」ということになったんですね。私は、それを分かっていたから、彼らの英語学習を助ける意味でも、「私は英語を話します、というバッジをつけたらどうか?」と提案しました。私の外見は、中国人とそう変わらないから、黙っていれば、中国人だと思われて、英語で話す機会などなくなってしまう。でも、バッジをつければ、彼らに英語で話すきっかけを、与えてあげることができる・・・と考えたからです。しかしその提案は、採用されませんでした。「バッジつけるなんて、こっぱずかしい!」という感覚の人が、多かったからです。せっかく、バッジのデザインまで考えたのにねえ・・・。
2007年11月15日
コメント(0)
うちの奥さんと娘は、12月中旬に、「おお・すとらりあ」の実家に旅立ち、そこで新年を迎えて、一ヶ月ほど滞在する予定です。一方、東京のプロジェクトでテンパっている私は、とても、クリスマス前に出国なんていう優雅なマネはできません。お休みが取れるとしても、年内最後の勤務日である12月28日以降、正月3が日まで休めれば、御の字かな。ですので私は、年末の3日と、年始の3日を、日本の実家でゆっくり過ごすか、あるいは、おお・すとらりあの妻の実家で、娘や妻と一緒に過ごすか、二者択一を迫られています。正直なところ、せっかくの休みなので、できれば娘と一緒にいたい。普段、いつも仕事が忙しくて、家族でゆっくりできる、まとまった時間って、正月休みくらいしか取れないですもんね。ですが、年末年始の、出国ラッシュ時に、おお・すとらりあ行きの航空券が取れるかといえば、これが難しい。奥さんの実家がある、ケアンズ行きは大晦日まで予約が埋まっているようです。シドニー行きなら、なんとかなりそうだけど、東京からシドニー行って、そこからケアンズ、またシドニーに戻って、東京に帰国って、ちょっと面倒くさい。それ以前に、妻も娘も、この時期、おお・すとらりあに行かずに、日本で正月を過ごしてくれればいいんだけど、そうもいかない事情が、いろいろとあるようです。というわけで、もしシドニーに行くことになったら、現地の皆様、ちょっとだけ、一緒に遊んでください。
2007年11月14日
コメント(11)
外見はともかく、実年齢では、もう30代後半になった私。まだ全然実感できないけど、あと何年もせずに、40の声を聞くことになります。四十にして惑わずというのは孔子の言葉。「惑わず」という境地がどうなのか、未熟な私にはよく分かりません。ですが、これから必ずやってくる、40代という時期を、いかに実り多いものにするかが、私の幸せな後半生につながっていくのでしょう。ところで世の中に、30代は、人生の盛りThe 30's is the prime of the lifeという、言葉があります。私は、この言葉の含意がよく分かりません。もし30代が人生の絶頂期であるならば、40代以降は、盛りを過ぎたことになるのでしょうか?英語にすると、The 40's is the subprime of the lifeサブプライムって、なんだか、米国の住宅バブル崩壊みたい・・・というのはもちろん冗談ですが、私にとって40代とは、体力的にもまだバリバリ働ける上に、人格的にも円熟の域に達し、経験も判断力もリーダーシップもつき、組織のなかで多くの人を動かす立場になり、ビジネスマンとして本当の勝負ができる、輝かしい10年になりそうな気がしています。家庭生活でも、私と妻の40代は、運がよければ、二人の子宝に恵まれているでしょう。長女ソフィアは小学生から中学生になり、英、日、中の多言語教育も佳境に入っていることでしょう。その頃、世界のどこに住んでいるか、まだ見当がつきませんが、ま、家族一緒なら、どこに住んでもハッピーに過ごせそうです。経済的には、住宅ローンも40代で完済できそうだし、あとは、Retire richを実現するために、今までより一層、ワールドワイドな視野で、投資と蓄財に励むことになるでしょう。そういうことを、考えるだけで楽しい♪そして、40代より50代、50代より60代、60代より70代と、年齢を重ねるにつれて、より充実度を増し、質的にもグレードアップしていく人生を目指したい。方向性としては、いま身を置いているグローバルビジネスの世界から、世のため、社会のため、故郷のためといった、公益的な世界へ、活躍の場を徐々にシフトしていきたいと思っています。いずれにせよ40代は、私の後半生を決定づける、大きな変革期になるような気がしています。
2007年11月13日
コメント(1)
冬の、ピーカン照りの日に、雨合羽を着て、渋谷の町へデートに繰り出そう。渋谷で、彼女と会ったら、こんな台詞を吐いてみよう。「ああ、すごいねえ。渋谷は快晴なんだね。隣の原宿は、大雪だったんだよ。一駅違うだけで、天気がこうも違うものなのかあ・・」このジョークが相手に通じるようであれば、いずれ彼女とはめでたく結ばれて、一生添い遂げることになるでしょう♪--------------------------これはもちろん冗談ですが、狭い東京のなかでも、場所によって天気はかなり違うことがあります。私の場合、職場は新宿にあって、自宅は江東区の東陽町にあります。この両地点は、13kmほど離れており、地下鉄を使うと、最速で23分で着きます。でもって、地下鉄で移動する、ほんの20数分の間に、天気が激変して、新宿ではお天気なのに、東陽町に着くとすごい土砂降り・・・なんてことも、これまで何度もありました。東陽町の雨というのは、なかなかすごいんです。傘をさしてもささなくても、3分で全身びしょ濡れになるとか、雨煙で前がほとんど見えないとか・・・。そんな時は、地下鉄の出口に長蛇の列ができて、皆、雨がおさまるのを待つことになります。そんななかで、ごく少数の、勇敢な人だけが、土砂降りのなかを歩いて家路に着きます。土砂降りになるのはともかく、ちょっと気になるのは、東陽町の標高。ここは、ゼロメートル地帯。駅の出口で、だいたい、海抜マイナス0.8メートルくらい。北へ5分ほど歩いた、江東区役所付近で、マイナス1.5メートル前後。隣りの南砂町までいくと、マイナス3メートル以下、なんてところがザラにある。この両駅から北側の地域は、錦糸町や亀戸も含めて、約5~6kmにわたって海抜マイナス地域が続いています。この、谷底みたいな地形のところに、たまに土砂降りの雨が降り、また、何十万という住民の、生活排水も毎日出る・・・でも、海抜マイナス地帯だから、ポンプで強制排水しないと、水はどこへも流れないわけなのですね。こんなこと書くと、すぐにも水浸しになりそうに思えてきますが、江東区近辺で、浸水被害というのは、ここ数十年全くないそうです。地元の古老に聞いても、「昔は水害なんて、しょっちゅうあったけど、ここ数十年は、聞いたことねえな」。東京の排水システムは、よほど凄いのかもしれません。
2007年11月12日
コメント(5)

今日は、近所の門前仲町にある名刹・富岡八幡宮で、娘ソフィアの七五三のお参りに行ってきました。今回は、実家から私の父、母、妹も駆けつけましたので、私と妻と合わせて大人5人と、子供(娘)1人という陣容で、肌寒い小雨が降りしきるなか、タクシー2台に分乗して、富岡八幡宮に乗り込みました。富岡八幡宮は、さすがに東京有数の名刹だけあって、賑わっていました。地元だけでなく、遠方(千葉県や東京西部)から、わざわざお参りに来る人が多いのです。参道には、熊手、布人形、巾着袋、わたあめ、千歳飴などを売る屋台が並び、まるで夏祭りのよう。門前市をなすとは、まさにこのことを言うのでしょう。七五三は、3歳と7歳の女の子と、5歳の男の子のためのお祭りです。うちの娘は2歳と2ヶ月ですが、数え年にすればもう3歳なので、七五三のお参りをしても良い年頃(?)になりました。が、いまの日本では、満3歳になったか、あるいは満3歳に近い女の子がお参りするのが普通なので、娘はほかの女の子と一緒に並ぶと、ずいぶん小さいほうでした。日本の多くの神社では、神主さんにお祓いをしてもらう「初穂料」として、2~3千円が相場だそうですが、名刹・富岡八幡宮の、価格設定はかなり強気で、最低でも5千円。そのあと、1万円、2万円、3万円・・・と続いていきます。せっかくの機会なので、初穂料5千円を払って、娘を伴って神殿のなかに入りました。神殿のなかでは、着物を着た女の子、男の子が、ずらっと勢揃い。日本には、こんなに多くの子供がいたのかと、驚くほどでした。ですが、神主さんのお話を、15~20分間、立ったまま神妙に聞いているのは、子供たちには相当な難行苦行らしく、途中で泣き出す子、走り出す子、隣りの子のわたあめをもらって食べる子・・・などが続出しました。そんななかで、うちの娘は、弱冠、2歳2ヶ月ながら、ずっと大人しくして聞いていました。時折、おもちゃを手にとって遊んでいましたが・・・それでも、「今日は、いい子にしてたねえ」と、おばあちゃん、おじいちゃんが驚いていました。「この子は、パパの子供の頃より、格段に出来がいいねえ」という声も・・・余計なお世話だっ!初穂料を払うと、神主さんは、両親と子供の名前を読みあげてくれます。全部で、30組を超える親子の名が出てきましたが、妻と、子供の名前が横文字だったのは、我が家だけでした。長いお祓いが終わって、記念撮影すると、娘も、相当疲れたらしく、近くの鹿児島地鶏の店に着いて、席に座ると、おもむろに、靴と着物を脱ぎはじめました。そりゃ、和服より洋服の方が、ゆったりくつろげますよね。次の七五三は、いまから4年後、娘が7歳になる頃ですね。ま、4年後も、日本に住んでいるかどうか分からないので、今日、七五三をやっておいて、よかったと思います
2007年11月11日
コメント(4)
妻の日本語学習が、ようやく軌道に乗ってきました。妻が日本語教室に通おうと思い立ったのが、今年10月の初め。とはいえ、授業の時間、2歳になる娘をどこに預けるか、というのが、制約条件になっていました。ここは目下人口急増中の東京江東区。保育所という保育所は、一時預かりを含めても、ことごとく空きがない。もしくは、空きがあっても、日本語の授業時間と合わせられないものばかりでした。そんなある日、吉報がありました。例の日本語教室の会場は、江東区の施設「パルシティ江東(男女共同参画センター)」というところなんですが、そこで公認の活動を行う区民に対し、一時保育のサービスを提供しています。「日本語教室に通う」というのも、立派な公認活動ですので、そこの一時保育のウェイティングリストに載せたところ、約1ヶ月で空きが出て、めでたく、娘を預けることができたのでした。特筆すべきは、その料金。日本語教室は、毎週金曜日、2時間授業なのですが、その授業料が500円。さらに同じ時間帯、パルシティ江東の一時保育を使うと、保育料が300円。合わせて800円で済むのです。いまの世の中、2時間、日本語の授業に出て、かつ2時間、子供を預けて、合計800円で済むなんて、普通は考えられないですよね?そういえば、私が以前住んでいたオーストラリアでは、永住権を取った移民に対して、英語教室を政府が無料で提供する、というものがありますが、授業の時間帯、託児サービスも格安で提供するという話は、まだ聞いたことがありません(どこかでやってるのかもしれませんが)。江東区で受けられる子供向け福祉サービスは、これにとどまりません。まず、子育て支援センターが、区内4ヶ所にあり、親の同伴という条件つきですが、利用料金はすべて無料。専門の保育士さんが常駐しているので、親は施設内で、子供に煩わされることなく、ゆったりできます。あと、児童館がやたら多い。区内で19箇所もあります。児童館は遊具も揃っており、子供向けのいろんな活動をやっているので、大変重宝します。さらに、江東区の医療費助成制度のおかげで、子供の通院医療費が中学卒業まで基本的に無料・・・。これだけみると、日本ってかなり手厚い福祉国家みたいに思えてきます。実際、妻もそのように感じているのですが、よく考えると、「東京23区だから」、ハード面もソフト面も、これだけ手厚くできるんですね。たとえばの話、私が生まれ育ったのは千葉県柏市。東京から至近距離にある、郊外ベッドタウン。でもそこでは、児童館が2ヶ所しかない。人口は、江東区が44万、柏市が38万で、ほぼ同じなのに、児童館の数は、江東区が19で柏市が2なのです。あと、子供向けの医療費助成も、江東区は15歳までなのに、柏市は4歳まで。子育て支援センターにしても、江東区は4ヶ所、柏市は1ヶ所。江東区には全国モデルとなる先進的な取り組みがある一方、柏はまだまだ、これからです。さらに、社会インフラの整備度合いも、大きな違いがあります。江東区を含め、東京23区は「日本国家のショーウィンドー」。車道も歩道も、立派に整備されています。それが千葉県に入ると、とたんに車道は狭く、歩道もなく、間に白線がひいてある道路ばっかりになる・・・。私を含め、柏で育った者は、ブロック塀と、走ってくるクルマの間のわずかな隙間を、自転車で器用にすり抜ける技術を、誰もが身につけていますが、歩道の整備された江東区で育った子供は、そんなスキルを身につける必要はないでしょう。そういえば、私自身も子供時代、東京23区内に住んでいた頃の遊びは「児童館で竹馬」だったのに、柏に引っ越してからは、それが「路地裏のドッジボール」に変わったもんなあ。ま、子供の遊び場が路地裏になること自体、社会インフラ整備の遅れを、物語っているわけなんですが・・・でもその代わり、柏では小学校の広い校庭で遊べたので、その点では恵まれてました。都内には、広い校庭をつくるだけの土地がないですから・・・。無論、都心部と郊外との、ライフスタイルの差も考えなければなりません。江東区のように、ほぼ全域が市街化されて久しい地域と、柏市のように、郊外住宅地と農村が混在するような地域では、社会資本整備のテーマも違ってきます。柏では、学校の校庭が広いし、アウトドアもそれなりに楽しめるから、そもそも、児童館をつくる必要は、そんなにないのかもしれない。また柏では、これまで森と畑しかなかった地域を、区画整理したり道路を通したりすることに、お金を使わなきゃならないけど、すでに市街地化された江東区ではその必要はあまりない等々・・・。とはいえ、財源の潤沢さ、という面でいえば、東京23区はやはり恵まれています。日本を代表する企業の本社がたくさんあって、そこからあがる事業税が都と区の財源になりますから、当たり前なんですが・・・むろん、23区内にも、財源の厳しい区はいくつかありますが、それでも、私のように、23区の外で育った者からみれば、「やっぱり、腐っても東京23区」だと思います。福祉サービスには、当然ながら、お金がかかる。だから、お金のある東京23区と、隣接する千葉県や埼玉県の自治体とで、差が出てしまうんですね。話はもとに戻りますが、妻は一回500円の日本語の授業に、満足しているようです。ボランティア教師とはいえ、日本語教師資格を持った人が多く、言葉遣いの文化的な背景まで説明してくれる先生もいて、それなりにクオリティのある授業のようです。また、一回300円の託児サービスもしっかりしていて、娘も喜んでいます。福祉国家東京都万歳ですね。
2007年11月10日
コメント(10)
いま、日本の政治ニュースから、目が離せません。参院選での自民党惨敗から始まって、安倍内閣のKO負け退陣、自民総裁選と福田内閣成立、そして間もなく、自民・民主の大連立構想、民主党首小沢氏の辞意表明、すったもんだの末の続投・・・・。特に、誰もが驚いたのが、小沢氏の突然の辞意表明でしょう。本人は、プッツンした、気力が途切れた・・・などと、説明しています。真相は知りませんが、なんとなく、演技のような気がします。小沢一郎という政治家は、昔から策士として知られ、老獪さとしたたかさを持っています。公に辞意表明しても、自分は必ず、民主党の党首として慰留されるはずだという計算があったのでしょう。これを機に、党内の不満分子一掃をはかり、彼の考える、「政権担当能力のある政党」への脱皮を狙っているのかもしれません。ふと、小泉前首相の「自民党をぶっ壊す」という言説を思い出しました。彼は、自民党という政党を背負って首相になり、「自民党をぶっ壊す」という言説を巧みに使って、高い支持率をバックに、党内抵抗勢力を沈黙させ、結果として自民党を立て直しました。これと似たようなことを、小沢氏も考えているのかもしれません。------------------------------で、小沢氏のあの、「プッツンした」という言葉を聞いたとき、私は思わず、プッツンしたいのは、俺だって同じだー!と、言いたくなりました。私の職場では、プッツンしたくなる現実が、満ち満ちています。プロジェクトの遅れ、お客さんの厳しい視線。彼らの要望に、応えようと奮闘すればするほど、現場の実情を知らず、全く別の枠組みで物事を考えているマネジメントの壁に阻まれる。でも、彼らを動かさなくては、お金も人も出てこない。現場のプロジェクトマネジャーとして、自分の能力の100%、いや120%出して、頑張っているのに、組織としては何ひとつ、有益な意思決定ができない歯がゆさ・・・。ま、これに類したことは、どの職場にもあるんでしょうね。大人の世界は、どろどろして、いろんな魑魅魍魎が溢れて、実に面倒くさいものです。最近は、電車が職場の最寄り駅に滑り込んだ瞬間、「今日も一日、頑張るぞ!」みたいな気分になれず、逆にため息が出てくることも・・・。毎週、木曜日あたりになると、身体に疲労が溜まっているのが、よく分かります。それでも、プッツンしないで頑張れているのは、プライドが残っているからでしょうね。「いまの自分の仕事に、就きたくても就けない人は大勢いる」ことに思いを馳せた時、彼らのためにも、頑張らなくてはと、今日も気持ちを新たにして、職場に向かう・・・。いまの仕事は、しんどいけれど、とても勉強になります。人間のこと、技術のこと、業務のこと、チームのこと、お金のこと、品質のこと、そしてコミュニケーション、リーダーシップ、ストレスとの付き合い方・・・。この経験は、将来必ずや、血となり肉となることでしょう。1日が、まるで4日にも5日にも感じられる、密度の高い日々が続く、今日この頃です。そんな中で、プッツンせずに頑張っている、自分を誉めてあげようと思いました。
2007年11月08日
コメント(6)
プロジェクトをまわす立場の人間にとって、チームメンバーの確保は、いつでもどこでも頭の痛い問題です。特に私の仕事では、インド人を日本に連れてきたり、インド国内で働かせたり、日本にいる中国人や韓国人を使ったりと、いろんなバリエーションを扱わなければなりません。それぞれ、お国柄や事情があって、とても勉強になりますが、反面、しんどいです。常に、予算とスケジュールの制約があり、お客様の厳しい目にさらされるなかで、外国の良い人材を確実に選び、連れてきて、すぐに戦力として働かせなきゃならないから、なおさらです。特にインド人の場合、頭が痛い問題は、インド国内での転勤を嫌うという傾向です。私のプロジェクトでは、インド国内のデリバリーセンターがハイデラバードという都市にあるのですが、良い人材が、常にハイデラバードにいるという保障はなく、ムンバイとか、チェンナイのような他都市にいることも多い。その中から、タイミング良く人材が見つかったとしても、インドでは、地元(チェンナイ)での勤務を希望。ハイデラバードには行きたくないみたいな要求に、悩まされることも、一度、二度ではありません。その理由は、家族がいるとか、子供の教育とか、いろいろありますが・・・あの広大な国のことですから、国内他都市といはいえ、外国に行くような遠さを感じるのかもしれませんね。面白いことに、インド国内での転勤を嫌がる人でも、日本での勤務は問題ない、と言う人が多い。ま、多くの人は、家族を連れていくとか、いろんな条件をつけてきますが・・・。でも普通考えて、インド他都市への移動よりも、日本への移動する方が、生活面でも、言葉の面でも、食べ物、家族の教育の面でも、どう考えても、ハードルが高いと思うんだけどなあ。それでも、日本行きが良くても、ハイデラバードには行かないと主張する、本当の理由は何なんだろう?ひとつ考えられるのは、日本での給料水準でしょうね。日本で1年とか2年働いて、日本円で給料をもらえれば、インドに持ち帰った時に、結構な大金になる・・・のかもしれません。逆に、インド国内の移動だと、おそらく、給料は変わらないし、下宿とか、全部自分で用意しなくちゃならないし、家族とも離れ離れになってしまうから、メリットが見えにくいのかもしれませんね。でも、真面目な話、国内転勤って、そんなに嫌ですか?私は、大阪に転勤になっても、いいんだけどねえ。メシが美味しそうだから。
2007年11月07日
コメント(0)
我が娘、ソフィアが中国・大連で生まれたのは、2005年9月。もう2歳と2ヶ月になりました。ソフィアが生まれてから、いや生まれる以前から、私も妻も、子供はできれば2人欲しいなあと、漠然と思ってきました。ですが、二人目が是非とも欲しい!という思いが、今ほど切実だったことはありません。私は、3人きょうだいの長男、妻は、4人きょうだいの三女として育ちました。だから、血を分けた「きょうだい」と共に育つことの大切さを、身にしみています。今は少子化の世ですが、ソフィアは、一人っ子として育つのではなく、弟か妹をつけてあげて、せめて二人で育って欲しい。とはいえ、現実はうまくいかないものです。私たちの思いとは別に、ソフィアが生まれて以来、全く子宝に恵まれませんでした。ですが、2年以上の辛抱の末、今ようやく、子宝に恵まれるチャンスがやってきたようです。真面目な話、これが最後のチャンスかもしれません。大事に、大事にいきたいものです。そして、「おめでた」になったら、今度の出産は日本でやりたいし、幼いうちは、ここ江東区東陽町の恵まれた環境で育てたい。私の仕事は、海外転勤・出張がつきものだけど、子供のためにも、当面は日本にずっといられる働き方を考えなくてはなりませんね。
2007年11月06日
コメント(2)
この土曜日は、レンタカー借りて、千葉県の九十九里海岸で遊んできました。九十九里(くじゅうくり)は、千葉県東部の太平洋岸、刑部岬から太東岬までの約60kmの海岸線を指します。この九十九里、なかなか、すごいところです。東京から、高速道路でわずか1~2時間の至近距離に、60kmにわたって、ほぼ一直線に砂浜が続いているのです!途中、ところどころに川が流れ込んだり、岩場や断崖絶壁になっているところがありますが、全体でみれば、ほぼ全てが平坦な砂浜、北から南まで、ビーチのオンパレードなのです。もし日本人が、フランス人やイタリア人、オーストラリア人並みにバカンス好きな国民であったなら、九十九里はとうの昔に、世界に知られたリゾート地になっていたことでしょう。リゾートホテルや別荘、マリーナ、レストラン、セレブの隠れ家が並び、マイアミビーチ、ワイキキビーチ、コートダジュール、ゴールドコーストなどと並び称される存在になっていたことでしょう。東京近辺では、そういう「おしゃれなビーチ」の役割は、神奈川県が一手に担っています。湘南しかり、逗子葉山しかり・・・対して千葉県の九十九里浜は、干物、焼きハマグリ、エッチなサーファー連中、みたいな垢抜けないイメージがありますが、でも海自体は、湘南よりずっときれいですよ。自然もいっぱい。ここは、海岸に沿って、九十九里有料道路なるものが走っています。これが、なかなかすぐれもの。次から次へと、視界に現れる、個性豊かなビーチを一つ一つチェックしながら、爽快なドライブを楽しめます。黒い砂のビーチ、白い砂のビーチ、灯台のあるビーチ、人々が凧揚げを楽しんでいるビーチ、ハマヒルガオが群生しているビーチ・・・。私たちは、九十九里有料を、南から北へドライブして、一番よさそうなビーチを選んで、そこでクルマを止めました。それが、不動堂海岸。とても平和で、素敵なビーチでした。老若男女、いろんな人が遊びにきていて、思い思いの遊び方をしていました。サーフィンをする家族連れ、野球に興じる大学生の男女、水際で鳥の写真を撮っている人、静かにビーチを歩いている老人・・・。九十九里は、日本在住の外国人には、「ナインティナイン・ビーチ」の名前で親しまれています。99beach.comなる、ビーチ&エリアガイドもあります。私たちは、東京都でも千葉県寄りに住んでいるので、高速道路を乗り継いで、1時間ちょっとで不動堂海岸まで着けます。海は気持ちいいから、これから、毎週行ってもいいかもなあ。でも高速代がバカになりません。往復すると、ETC割引を使っても高速代が最低3160円かかる!
2007年11月05日
コメント(6)
今日は日曜日、妻と娘、そしてインド人の同僚夫婦と連れ立って、総勢5名で「東京モーターショー2007」に行ってきました。東京モーターショーといえば、世界三大モーターショーの一角を占める一大イベント。世界で一番進んだクルマの技術や、「未来のクルマ」のコンセプトに触れられる場所として、人々の熱い支持を集めています。今年は、10月26日から11月11日までの17日間、広大な幕張メッセを全部借り切って、総入場者数150万人以上を目指しています。私たちが行った日だけでも、13万6400名もの入場者がありました。だから、人、人、人・・・で、すごかったです。今回は、JR京葉線に乗って幕張入りしたんですが、車窓からみた、全長1kmほどもある屋外駐車場が、ほぼ全て埋まっている光景は壮観でした。海浜幕張の駅に着いたら、「帰りの時間帯は、切符を買うだけで30分以上並ぶから、今のうち、帰りの切符を買っておいてください」というアナウンスが流れていました。会場内に入っても、クルマを見るより、人混みを見にきたという感じでした。私を含めて、今回の一行のだれ一人として、クルマに詳しい人間がいないので、いまいち楽しめなかったのですが、ど素人の目からみても、各社、「環境にやさしいクルマ」の展示に力を入れていたのが、よく分かりました。ハイブリッドエンジンで、アイドリング中は全くガソリンを燃やさないトラックとか、木や草の繊維で車体をつくる会社とか・・・いくら豪華でも、燃料を大量に食うクルマは、時代遅れにみえちゃいますね。数あるブースのなかで、一番、客を集めていたのは、やっぱりフェラーリでした。ブースの前に、4重、5重、6重にも人垣ができていて、ついに、クルマ様の姿が全く拝めませんでした。人垣の後ろの方から思い切り背伸びして、一番高いところからデジカメで一生懸命撮ろうとしている人々の姿が印象的でした。スーパーカーが目当てなのか、コンパニオンが目当てなのかは、ま、人それぞれなのでしょう。2歳になるうちの娘は、アルファロメオのブースに展示されていた「8C Competizione レッドモデル」がえらく気に入ったらしく、単価2000万円を超えるクルマの隅々を、撫でてまわっていました。パパは、全くのクルマ音痴ですが、娘は、高級外車好きになるかもしれないな。一般庶民の私には、ホンダ「フィット」のブースが一番良かったです。今回展示された新型モデル「フィットRS」は、数年前に大ヒット商品となった「初代フィット」を受け継ぐ二代目。私は、いまクルマを持っていませんが、レンタカー借りて、かなり頻繁にドライブに行ったり、千葉の実家に帰ったりしています。いろいろ乗ってみたなかで、フィット(もちろん初代)が、運転しやすさ、乗り心地、トランクの広さ、燃費・・・多くの面で、他の車より一頭抜きん出ていると思いました。だから、日本でクルマを買うなら、絶対にフィットにしようと決めています。
2007年11月04日
コメント(2)
世界中、どの国の出身でも、日本の職場で一定期間働いていれば、誰もがたいてい、「さん」付けで呼ばれます。中国人なら「張さん」、「黄さん」とか、インド人なら「クマールさん」、「スリラクシュミーさん」とか。いま、私の職場では、日本の誇る「さん付け」文化が、急速な勢いで、インド人の間にも広がっています。たとえば、インドにいるメンバーと、時々に行う電話会議。その場で、インド人が誰かを名指しする時に、「さん」(san)が付けられる頻度が、最近、とみに増えてきました。例をあげると、"Suzuki-san needs assistance from SreeKrishna-san in this matter..."それどころか、全く、インド人の名前しか出てこない時でも、最近ではほぼ100%、「さん」付けされるようになりました。"GopiKrishna-san is thinking both Munshi-san and Sreechandra-san will be able to help..."正直言って、聞いてて面白い!日本プロジェクトのメンバーでもなければ、日本に一度も来たこともないインド人にさえも、「さん付け」がされるのです。これは、別に我々日本プロジェクト側が要求したわけじゃなくて、インド人が、日本文化の影響を受けて、自発的にやってることなのです。私はふと、数年前、オーストラリアで働いていた頃、インド人の職場仲間が、こんなことを話していたことを、思い出しました。「前の職場の仲間は、いま日本の大阪で働いてるんだよ。もう半年になる。だから、彼は”さん”になっちゃった・・・」もちろん、その時は英語で話していたので、彼の言う「さん」の意味が、すぐには理解できなかったのですが、話しているうちに、「なるほどねえ。大阪で働いているうちに、いつの間にか”さん付け”で呼ばれるようになった、ということを言いたいのね・・・」という趣旨が、呑み込めました、「~さん」という呼び方は、日本語の語彙のなかでも、最高傑作のひとつではないでしょうか。たとえば、「さん」は女性にも、男性にも使えますし、大人であれば、年齢も問わず誰にでも使えます。「さん」の使い方には、上下関係が反映することがあります。たとえば、新入社員が、入社3年目の先輩社員を呼ぶときは、必ず「さん」付けするのに、逆に、先輩社員が新入社員を呼ぶ時は、呼び捨てするとか、ニックネームで呼ぶとか・・・。でも最近は、日本のホワイトカラーの職場では、年齢、性別、社歴や肩書を問わず、誰に対しても「さん付け」するところが増えているように思います。だから、便利なんですね。「さん」は基本的に、誰に対しても使えるし、また、「さん」が付くと、その人の人格を尊重しているようなニュアンスがある。だから「さん付け」は、プロフェッショナリズムと相性が良い。インド人にも、そこが受けたんでしょうね。だって、英語だと「ミスター」とか、「ミセス」、「ミス」、「マスター」とか「サー」とか、いろんな敬称を使い分けるけど、日本語だと、「さん」だけで済んでしまうから、便利。それに丁寧だし、フレンドリーな感じもするし・・・一度、「さん」の味を知ってしまったら、やめられない。日本の誇る「さん付け」文化を、世界にもっと広めたいものだと思いました。
2007年11月02日
コメント(10)
一昨日の日記で、「札幌」をテーマにエッセイを書きました。「札仙広福」の北の雄・札幌を取り上げたからには、公平を期する意味でも、南の雄・福岡についても何か書いた方がいいかなあと思った・・・。私は、1997年の4月、福岡に転勤し、かの地で約半年間、暮らしました。福岡は、これまで私の知るどの都市よりも住み心地が良く、刺激と魅力に溢れる、素晴らしい街でした。あれから10年経った今でも、福岡以上に住みやすい街は、少なくともアジアには存在しないと思っています。福岡の持つ、一体何が、私を虜にしたのか?それはたぶん、「街の活気」と「面白い人との出会い」だったのでしょう。1997年の福岡は、不思議な場所でした。日本中が不景気で、自信を失い、意気消沈している時代に、ひとり福岡だけは、目も眩むような活気に溢れていました。当時は、「キャナルシティ博多」や「ホークスタウン」ができてわずか数年後、街の中心・天神地区では、「天神百貨店戦争」と呼ばれる、出店ラッシュが起こっていました。福岡三越、岩田屋Zサイド、下川端リバレイン・・・大規模都市開発の真っ最中でした。天神では、岩手・秋田・青森の「北東北三県」の観光局がオフィスを設け、日本一元気な街・福岡の観光客を呼び込むべく、盛んに宣伝していました。首都・東京からも、福岡の活気に学ぼうと、視察団が押し寄せるほどでした。市街地を離れ、郊外に行っても、日本初出店となる「コストコ」、ショッピングと温泉で一日中遊べる「トリアス久山」など、東京にも存在しないタイプの商業施設が、いくつもあって、退屈することは絶対にありませんでした。あの頃、福岡が元気だったのは、もちろん、発展を続ける近隣アジア諸国との関係抜きには語れません。この街では、普段の暮らしのなかで、中国や韓国からやって来て、福岡で一旗あげよう、活躍の場を見つけようと、頑張っている人たちの姿を、日常的に目にすることができました。なかでも、特に仲が良かったのが、中国・温州出身のYさんです。彼は当時、日本在住暦7年の、IT技術者。同業者ということで、たちまち意気投合しました。彼は外国人ながら、日本人の同僚を率いて、今週は熊本、来週は鹿児島と、九州各地の客先を回り、忙しく、充実した職業生活を送っていました。近い将来、中国との貿易会社を福岡でつくりたいと言ってました。あと、上海出身のKさんは、福岡に十数年も住み、自分のビジネスとして、職業専門学校をいくつも経営し、とても羽振りが良かったです。あと、蘇州の出身で、福岡の大学を出て、就職して3、4年目くらいの若い子も何人かいたなあ。いつも、例の上海人Kさんの、悪口ばっかり言ってた・・・。ビジネスマンだけでなく、文化学芸活動に情熱を燃やす方もいました。中国吉林省出身で、アクロス福岡に勤務し、文化交流の担当だったHさんのことは、今でも覚えています。人それぞれ、仕事は違えど、皆、福岡の社会に深く溶け込み、自然体で生き生きと、活躍していました。-------------------------------------------------------日本にとって最大の貿易相手国は、いまや米国ではなく中国になりました。在住邦人数の多い海外の都市としては、上海が間もなくニューヨークを抜き、世界一になるでしょう。これからの日本は、活力あふれる近隣アジア諸国との経済関係を深めるなかで、発展を続けていかなければならない。バブル崩壊後の日本で、近隣アジアとのWin-Winモデルを一番早く成功させた都市が、福岡でしょう。それもそのはず、奴の国、博多・・・2000年も前から、博多湾の向こうのアジア大陸との交易で、栄え続けてきた都市なのですから。これはたぶん、日本のどの都市も真似できません。1997年に、とても輝いていた福岡(今でも輝いているけど・・・)。その裏には、海の向こう、アジア大陸の各地からこの街に移住し、自分らしく活躍する、無数の人たちの存在があったことは、言うまでもありません。
2007年11月01日
コメント(0)
全25件 (25件中 1-25件目)
1

![]()
