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E231系 団体列車:「旅のプレゼント」(京葉線)当ブログでは、主に引退した車両や廃止になった列車をご紹介しておりますが、今回は珍しくも現役の車両です。「旅のプレゼント」号は、JR東日本労組主催し、障害を持つ児童を対象に旅行を楽しんでもらうという趣旨で企画される列車です。あまり撮影する機会がありませんでしたが、いくつか捉えたものについては過去ログでご紹介いたしました。過去には毎年のように設定されていましたが、近年は設定されていないようです。おそらくはコロナ禍で障碍者を危険に晒す訳にはいかないということであると思われ、5類になったとは言え、同列車の復活はまだ様子見と言うところでしょうか?※撮影は、平成21年10月24日、京葉線潮見駅にて。11:51 E231系 団臨「旅のプレゼント」 上り回送娘が水泳クラブチームの全国大会に出場した日、寝不足で家を出遅れたついでに塩見駅で写真を撮ってから会場入りすることにしました。当時終焉を迎える201系の写真が全然撮れていなかったので、滅多に訪れることのない京葉線を撮るためでした。撮影を開始して間もなく、通過列車の放送に武蔵野線直通快速かと思ったら、なんとE231系のグリーン車を含む基本編成が通過して行ったのです。京葉線では有り得ない光景。家に帰ってきてから調べたら、黒磯から舞浜まで運転された「旅のプレゼント」の団臨でした。突然であり、上り向きはアングルが悪いので、これは返しを待つしかない。12:26 E231系 団臨「旅のプレゼント」 下り回送営業区間は舞浜までですが、同駅で折り返しができないため、一旦東京駅まで行き、折り返してきます。35分待ってやっと折り返して来ました。カーブがきついので編成は入りきりませんが、こちらの方がグリーン車が入るので良いですね。考えてみたら、総武快速線にはグリーン車が連結されていますが、京葉線の普通列車にはグリーン車がありませんので、この光景は大変貴重ですね。10-1317 コキ50000(グレー台車) コンテナ無積載 11両セット[KATO]《10月予約》【2023年11月】 KATO|カトー コキ50000(グレー台車) コンテナ無積載11両セット【発売日以降のお届け】
2023.10.31
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北総鉄道:7260形(7261F)北総鉄道において、京成電鉄からのリースで使用していた元3300形の7261Fですが、京成電鉄の3300形と時を同じくして引退することが、北総鉄道から発表されました。7261Fは、元京成電鉄の3300形4連を2組連結した8連固定運用を行っており、京成3300形が都営浅草線、京浜急行電鉄への乗り入れから撤退して久しいですが、その後唯一3線を通過する3300形となっていました。さらに、東日本で地下鉄へ乗り入れる車両としては最古参の車両としても注目されていました。あまり京成、京急を利用することがなく、1編成しかないために出会う機会は少なかったですが、運良く2回のみ写真に収めることが出来ました。平成23年8月1日 京浜急行電鉄 立会川駅にて現場回りの仕事の際、下車した立会川駅で偶然にも反対ホームに停車していました。乗って来た電車がカブっていたので前頭は撮ることが出来ませんでしたが、後部のみ何とか撮影できました。平成25年10月12日 品川~北品川間にてこちらも現場回りの移動の際、品川までのところ北品川で下車し、八ツ山橋で運良く7261Fを撮ることが出来ました。しかも有名撮影地で天気も良く、本当にラッキーでした。その後、人事異動で現場に行くことが無くなってしまい、会う機会もなくなりました。7261Fは、平成27年3月22日のさよなら運転をもって引退となり、46年間にも及ぶ活躍でした。
2023.10.30
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千葉ニュータウン鉄道 9000形京成電鉄~都営地下鉄~京浜急行電鉄と、同じ軌間を利用して乗り入れを行っており、それぞれでさまざまな列車を見ることができる楽しい路線です。さらに、ここには京成電鉄に乗り入れを行っている北総鉄道・芝山鉄道、そして千葉ニュータウン鉄道の車両が乗り入れており、非常に面白い路線となっています。特に後段3社は少数派の車両を所有しており、大変興味深いものとなっています。今回はこの中から千葉ニュータウン鉄道の9000形をご紹介いたします。平成23年7月8日 梅屋敷~京急蒲田間にて 9008編成平成23年6月3日 青砥駅にて 9018編成住宅・都市整備公団が解体され都市基盤整備公団へ、そして独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)に改組された際(平成16年)に「北総鉄道」に変わったようです。同時に、北総開発鉄道の施設は車両も含めて「千葉ニュータウン鉄道」に譲渡されています。9000形は元2000形を名乗っており、当初(昭和59年)は住宅・都市整備公団の所有でした。6両編成でしたが、中間車を増備して8両編成としたのが平成2年。さらに、翌平成3年には京浜急行電鉄への乗り入れにあたり先頭車の電動車化を要請され、中間車と先頭車の装備を入れ替えています。さらに、京浜急行電鉄への乗り入れに際し、既に同社に2000形が存在していたため、9000形に呼称が変わったという次第。なかなか複雑怪奇?なのか奥が深いのか?というレアな車両です。平成24年11月15日 青物横丁駅にて 9008編成同日現場回りで品川から列車を待っていた際、偶然に来たのが9001形でした。乗ったのももちろん初めてです。平成25年3月1日から千葉ニュータウン鉄道9200形(9201編成)が導入されたことに伴い、2編成あった9000形のうち9008編成(9001~08)が運用を離脱したと言うことです。平成25年10月12日 北品川~品川間にて 9018編成さらに追加です。これは東海道線での団臨を撮りに行ったついでに京急を撮影したものですが、構図が悪いのボツ写真としていました。9000形で残った9018編成も、平成29年3月20日のさよなら運転をもって引退と発表されました。撮った写真はちょうど2枚ずつ、しかも何故か後尾の写真ばかりでした・・・
2023.10.29
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京浜急行電鉄:2000形平成30年当初、残り2編成まで減少していた京浜急行電鉄の2000形ですが、同年3月で引退とのプレス発表がありました。昭和57年~62年にかけて72両が誕生し、2ドアクロスシートを活かした快特・特急運用に活躍しました。平成10年に後継の2100形が誕生すると、2000形は3ドアに改造されて格下げとなり、平成12年8月をもってすべて2100形にその座を譲ることになります。その後は3ドアで急行や普通列車で活躍を続けてきましたが、新1000形の導入によりその数を徐々に減らし、とうとう全廃されてしまうことになりました。平成20年1月5日 六郷土手駅にて 2421初めて撮影した2000形は4両編成のローカル運用でした。ここに来た目的は京浜急行の撮影ではなく、終焉が迫ってきた寝台特急「富士」はやぶさ」を撮影するためでした。言わばついででした。平成24年11月13日 京急川崎駅にて 20412度目に捉えたのは4年以上のブランクがあり、現場仕事で大師線への乗り換えで下車した京急川崎駅でした。デジカメを導入するまでは、京急には全くと言って良いくらい縁がなく、写真も撮ったことがありませんでした。そんなこともあって昭和の記録が全くありません。その後、現場回りの仕事や撮影のために京急沿線を訪れたことは何回かあり、デジカメの力もあってできるだけなんでも撮るようにしていました。それでも2000形が空港線運用に徹していたためかなかなか逢うことが無く、記録できたのはたったこの2枚だけでした。この年、2000形や他のラッピング車両などを絡めて撮影に行きたいと思っていた矢先、引退の発表があったためもう諦めざる得ない状況となってしまい、非常に残念な思いでした。せっかく復刻した特急塗装は実物を見る間もなく、引退となってしまいました。
2023.10.28
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東武鉄道 3000系:佐野線東武鉄道では、従来からある旧車が陳腐化し、さらには優等列車の種車を通勤形に改良したものが通勤需要に耐え切れないということで、8000系に準じた車体に載せ替える、いわゆるアコモ改造を施行した車両があります。このうち、17m級車が3000系と総称されていました。昭和53年頃 東武佐野線 佐野駅にて 3000系2連この写真、初めは東武日光線栃木駅で宇都宮線を撮ったものと思っていたのですが、ネガのコマの並びや特徴的な急カーブの線形を考慮すると、どうも東武佐野線のようです。3000系や5000系といったアコモ改造車の写真は、まったくと言って良いほど撮らなかったので、たった1枚のこの写真が自分には非常に貴重な記録になってしまいました。
2023.10.27
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185系:「ホームライナー小田原」本記事は、2021-03-16に投稿したもので、当時の表現になっています。令和3年3月のダイヤ改正において、新宿からの東海道線方面ライナーである「ホームライナー小田原」から185系が撤退するとともに、特急化により廃止されました。「おはようライナー新宿」と同様に、新宿発着は昭和63年7月6日に設定された当初「湘南新宿ライナー」を名乗っており、湘南新宿ラインが運転開始されたことによって名称の紛らわしさを解消するため、平成14年12月1日から名称が変更されました。上りの「おはようライナー新宿」が3本に対し、下りの「ホームライナー小田原」は2本しか設定されていません。※撮影は、いずれも新宿駅にて。令和2年1月27日 OM09編成 「ホームライナー小田原21号」「ホームライナー小田原21号」は185系7両編成が充てられています。発車時間が当方が1時間ちょっと残業したくらいのため、中途半端な時間でこれまで撮影したことがありませんでした。コロナ禍で勤務時間がずれたため、撮影機会が多くなったものですが、同じ写真を何回撮影しても仕方ないので、あまり撮影しませんでした。令和2年4月23日 A6編成 「ホームライナー小田原23号」後発の「ホームライナー小田原23号」は2時間後の21:30発となります。残業した帰りに会うことがありますが、令和2年3月のダイヤ改正までは251系で運転されていた関係で、185系にグレードダウンしてからちょうど1年間の暫定的な運用となってしまいました。令和2年12月21日発車ホームには専用の券売機があり、座席数も自動的にカウントされ、満席になると発売が中止されてしまいます。乗車整理券を手売りしていた頃は、大勢の職員が手売りで券を販売したり、乗車チェックをしていたものでした。特急化で全車指定になりますので、チェックも車掌が行うようになるのでしょうか?令和2年5月11日 A1編成 「ホームライナー小田原23号」運転開始当初は、215系や中央線の183・189系、E351系なども使用されていましたが、185系・251系のみとなっていました。さらに251系の廃車により185系のみの運用となってしまいましたが、185系の撤退により「ホームライナー」の名称も今改正で東日本から消滅してしまいました。
2023.10.26
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キハ28・キハ23ほか:陸羽東線 普通列車東北本線小牛田駅と奥羽本線新庄駅を結ぶ陸羽東線。現在では新性能キハ110系が使用されていますが、平成初期の頃はまだ旧型の気動車が混成で運転されていました。平成2年10月13日 陸羽東線 場所??? キハ23+キハ28あまり広葉樹が無いようで、秋っぽさが足りないですね。稲刈りはすっかり終わってしまい、刈り取った稲もありません。今は無き両運型のキハ23と非冷房のキハ28の2連で、ローカル線らしさはバッチリです。平成2年10月13日 陸羽東線 場所??? ローカル4連こちらは天気も良く、やや紅葉も見られる風景です。手前からキハ28非冷房+キハ22+キハ40+キハ53200番台(キハ58両運化改造)で、今となっては興味深い車両が連なっています。平成2年10月14日 陸羽東線 川渡~池月間にて キハ28+58こちらは夕暮れ間近の陸東線で、手前からキハ58+キハ28の普通列車ですが、ミニ急行のような編成です。刈り取った稲の干し方に特徴があって、この辺りは1本の竿を立てて、稲藁を円形状に引っ掛けています。同じ東北地方でも地域差がかなりあって、大変興味深いです。今ではキハ110系すら古参の部類に入って来ていますが、多分、この辺りの風景は今でもあまり変わらないんでしょうね。
2023.10.25
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EF8181牽引24系寝台客車:団体列車「おが」※本記事は、2013-10-14に投稿したもので、当時の表現になっています。昨日アップいたしました『団体列車:鉄道開業141年「親子ブルトレ体験の旅」』の返却回送を兼ねた団体列車「おが」が運転されました。夜の武蔵野線経由ということで初めから撮影する気などなかったのですが、尾久から送込み回送が出るという情報を聞き、慌てて出撃しました。※撮影は、平成25年10月13日です。EF8181牽引 回9571レ 団体列車「おが」 送込み回送今回の編成はカニを含む24系(25形)6両編成で、牽引機は召しガマことEF8181。東大宮操および始発駅での方向転換を考慮して、最後部にはEF651102が連結されたプッシュプルとなりました。ちょっとピン甘ですが、回送からヘッドマークが付いたのでアップにしてみました。現役時代の急行「おが」にも運転最後の頃はヘッドマークが取り付けられたらしいのですが、その頃は撮り鉄を休眠していたので全然知らなかったんですね。EF81が牽引したことも無かった筈で、今回はかなり貴重なシーンになったことと思います。現役時代のリンクを貼っておきます。『EF58牽引 旧型客車:急行「おが」』『キハ58系:急行「おが」』
2023.10.24
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EF65+24系+EF64:団体列車 鉄道開業141年「親子ブルトレ体験の旅」(2013)※本記事は、2013-10-13に投稿したもので、当時の表現になっています。昨年に続き、東海道線に団体列車「親子ブルトレ体験の旅」が走りました。今年は青森車の電源車を含む6連と小ぢんまりとした陣容です。平成25年10月12日 品川駅付近にて 「親子ブルトレ体験の旅」牽引機は東京方がEF651102、小田原方がEF641031でした。ヘッドマークもなく、なんらイベント色の少ない演出でしたね。ついでのようなアングルで撮ったので、ド逆光の冴えない構図になってしまいました。場所が場所なんで後部を撮ることはできず。疲れてしまって回送を撮る気もなく。ヘッドマークも付かないのでは写欲が沸きません。地元で運転される訓練運転と然程変わりません。尾久センターを起点とする運用が組まれたため、新鶴見-東大宮-尾久とスケールの大きい回送が組まれたようで、プッシュプルが大きく機能したようです。同日の夕方、貨物列車を撮りに行った先で、現地到着する寸前に目の前を返却回送が通り過ぎました。知っていたらここで撮っても同じでしたね。青森への返却は、団体列車「おが」による東北・北上線経由で運転されるようですが、夜発、武蔵野線経由ということだったのでパスしました。
2023.10.23
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185系OM車:「ホームライナー鴻巣」「ホームライナー」という名の列車が運転されるようになったのは、国鉄末期の昭和59年でした。巨額の累積赤字を世間から叩かれ、窮地に陥っていた国鉄が、少しでも収益を上げようという機運の中で考えた、車庫への回送車両の有効活用策です。その回送区間の関係で、当初は上野発の浦和・大宮降車という設定であり、名称もありませんでした。その後、バブルによる土地高騰が原因となり通勤が長距離化、利用者の要望から運転区間が古河や鴻巣へと拡大していきます。そうなると列車自体が「ホームライナー」を運転するための運用となり、当初の『有効活用』という意味は失われています。※参考リンク『昭和60年 「ホームライナー大宮」乗車整理券』使用車両は「あさま」に運用されていた189系でしたが、横軽の廃止などもあり、185系や「能登」の間合い運用による489系などが使われました。489系仕様の「ホームライナー」については過去ログ『489系:「ホームライナー」』『485系K編成:「ホームライナー鴻巣3号」』で既に収録してありますので、今回は185系の写真のみを集めてみました。平成20年7月22日 上野駅にて 「ホームライナー鴻巣1号」平成23年10月22日 川越車セにて ※展示車両平成24年6月15日 「ホームライナー鴻巣1号」 OM03編成平成24年7月11日 「ホームライナー鴻巣1号」 OM08編成平日しか運転がなく、夕刻以降の下り列車であるため撮影条件も非常に悪い。なので、あまり残った写真はありませんでした。この上野口の「ホームライナー」が始祖となって全国に波及し、地方都市においても多数の同様列車が設定されていましたが、上野口に関しては平成26年3月改正で「スワローあかぎ」による新しい制度の導入により、長らく続いた歴史にピリオドを打つこととなりました。489系・185系OM08編成:「ホームライナー古河」
2023.10.22
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キハ181系:特急「おき」(その2)特急「おき」は、山口線小郡駅(現新山口駅)~米子・鳥取を結ぶ列車で、昭和50年3月、新幹線博多開業の際にアクセス特急として誕生しています。過去ログ『キハ181系:特急「おき」(その1)』で夏の風景を中心にご紹介いたしましたので、2回目は秋の風景をご紹介いたします。昭和57年10月 宮野~仁保間にてまだマークがイラスト化されていません。確か、初めて山口線のSLを撮りに行ったときだったと思います。もちろん、キハ181系「おき」とも初対面。昭和57年10月 宮野~仁保間にて同じ列車の後部でしょうかね。まだこの時代はグリーン車込みの6両編成なんていうのがありました。昭和57年11月28日 小郡駅にて2度目に訪問した山口線。キハ181がダブルで連結しており、それまでの181系史にはまず見られなかったシーンでした。昭和57年11月28日 篠目~仁保間にて昭和57年11月28日 篠目~仁保間にてこのときも2回目の訪問で、撮影地の選択は別にしても、構図のとり方が良く分かっていませんでしたね。昭和61年11月22日 仁保~篠目間にてせっかく秋らしい良い写真だと思うんですが、3両編成になってしまった「おき」に失望してしまったときでもありました。キハ181系で3両編成なんて、全盛を知っている世代としては有り得ない姿なんですよね。勾配が厳しい区間なので、さすがの強馬力気動車も喘ぎながら坂を登ってきます。昭和61年11月22日 長門峡~渡川間にてこれもSL追っかけ篇のついでですね。杉林ばかりなので鮮やかさは全くありませんが、青空を取り込んだ数少ない「おき」の写真です。写真では判りづらいですが、このころの「おき」は、既にイラストマーク化されています。昭和61年11月22日 仁保~篠目間にて同じ日ですが、同区間の峠の反対側、篠目駅寄りになります。列車によっては、1両増結された4両編成も走っていました。写真では判りづらいですが、日の当たる田んぼの方には篠目駅の有名な給水塔があり、その傍らではSL「やまぐち」号が特急「おき」の通過を待っています。記録によると、山口線の撮影はどうもこの回が最後だったようで、そのあとはD51・C62・C58と言った関東・北方面でのSLが復活運転されるようになり、また、変な12系塗装(茶色に白帯)になって気力が落ちてしまって、行く気になれなかったようです。
2023.10.21
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小田急電鉄 3000形SSE:特急「えのしま」「えのしま」は、現在も運転されている新宿~片瀬江ノ島を結ぶ小田急電鉄の特急列車です。昭和50年代は「はこね」を除き初代ロマンスカーである3000系SSE車(元SE)車が共通で使用されていましたが、ご紹介いたします特急「えのしま」に運用されていた写真が2枚ほどありました。昭和55年頃 藤沢駅にて友人と初めて江ノ電の写真を撮りに行ったとき、偶然撮っていたようです。ブレてしまって絵にならないのですが・・・。昭和57年5月頃 登戸駅付近にて私が初めてセミ判(マミヤM6451000S)を導入したときに、試運転として何故かここへ来ています。特に小田急の電車が撮りたかったのかどうか、ハッキリ覚えていません。この頃はまだLSE車が辛うじて登場したばかりでしたので、もっぱら主力はSSEとNSEでした。特に、「あさぎり」はもちろんのこと、「えのしま」や「さがみ」もSSE車が中心に運用されていたような記憶です。この頃は珍しくもなく、真剣に撮影はしていませんでした。したがって枚数もほとんど残っていません。しかし、当時は東武鉄道以外の私鉄写真を撮っていなかったので、少ない枚数ながらも自分的には貴重な写真となっています。マイクロエースから3000形SSE車の5両セットが再生産されるそうです。私は初回生産時に購入しておりますので、7000円も高くなって中身は変わらない再生産品を買う気はありませんwコレクション館でKATO3100形ロマンスカー(レジェンド)をご紹介した時に、マイクロの3100形にも触れています。今回は増結セットはないみたいですけど。A2153 小田急3000形 SSE 更新車 5両セット(再販)[マイクロエース]【送料無料】《03月予約》送料無料◆A2153 マイクロエース 小田急3000形・SSE・更新車 5両セット Nゲージ 再生産 鉄道模型 【未定予約】
2023.10.20
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東武鉄道 8000系:8108Fリバイバル塗装前記事で東武鉄道8000系8111Fの団体列車をご紹介いたしましたが、これよりも前の平成16年10月、同じくオリジナル顔でリバイバル塗装が施された8000系が存在しました。8108F(6両編成)で、約半年間の予定でラッピングされたものですが、好評のために運転期間が延長され、翌平成17年の6月まで運転されています。※撮影は、平成17年2月11日、東武東上線にて。朝霞台付近にて新河岸~上福岡間にて森林公園駅付近にて東上線開業90周年を記念して実施されたそうです。まだデジカメを持っていない時代、1度だけリバーサルを入れたM645で撮影に行ったことがありました。
2023.10.19
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東武鉄道 8000系:8111Fリバイバル塗装東武鉄道で最後までオリジナル顔で残っていた8111F。定期運用引退後にツートン時代の塗装に復元され、住処を東上線から伊勢崎線に移し、所有者が変わり、セイジクリームに変更され、またオリジナルツートンに戻りと変化し、ここにきてまた配属が変わるとか?目まぐるしく変化する同編成。今回は、定期運用から引退し、復活した直後に運転された時の団体列車の写真をご紹介したいと思います。平成24年8月29日 東武野田線 大和田~大宮公園間にて活躍の地を伊勢崎線方面へ移し、団体・臨時列車等で使用されることになりました。東京スカイツリーの開業も契機の後押しになったかもしれません。写真は復活塗装にて団体列車が組まれた最初の頃で、東京スカイツリーから野田線へ直通する団体列車として運転されたものです。本運転の大宮行きは、夕陽が厳しくてヘッドマークが飛んでしまいました。返しの回送でじっくり撮ろうと思ったのですが、ヘッドマークを外して「団体専用」を「回送」に変えてしまうなど、徹底したお片付け振りでガッカリしたものです。その後は撮影に行く機会もないまま。放置になっています。
2023.10.18
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東武鉄道 モニ1473:荷物電車今回は東武鉄道に存在した旧型荷物電車をご紹介いたします。昭和50年代までは、御多分にもれずに大手私鉄においても荷物輸送が行われていることが多く、国鉄と同様に旧型旅客電車を改造した古い車両が使われていました。東武鉄道にもモハ1400形と言う電車から昭和39~40年にかけて改造されたモニ1400形が5両存在していたようです。昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 荷物電車 モニ1473東武鉄道における旧型電車7300系・7800系を中心とした列車の撮影のために訪れた際、徒歩移動中に偶然背後からやって来たモニを撮影したものです。それまでも東武電車の写真を撮ったことはありましたが、本格的に沿線の撮影に臨んだのは初めてであり、線内にこのような旧い荷物電車が存在していることも知りませんでした。当時は形式や車番等が不明であったため、なかなかアーカイブできていなかったのですが、東武鉄道の旧型車両に関する資料を公開している方の写真から車番を判定することができました。国鉄車と同様に古い電車の改造では種車に由来する個性があるため、このような詳しい情報を提供してくださる方がいて本当に助かります。調査して驚いたことに、東武鉄道における荷物電車の廃止後も、このモニ1473は廃車を免れて西新井工場の入換車として杉戸工場の入出場車牽引などに使用され、西新井工場が閉鎖となる平成16年3月まで活躍していたそうです。しかし、同年7月、残念ながら保存されることなく、解体されてしまったとのことです。
2023.10.17
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ジョイフルトレイン:485系お座敷車両「宴」ジョイフルトレイン「宴」は、平成6年、485系の改造により誕生したJR東日本所有のお座敷電車。485系を種車としたジョイフルトレインとしては、「シルフィード(後のNO・DO・KA)」「リゾートエクスプレスゆう」に続くものですが、いずれもリゾート仕様の座席車であったため、お座敷客車としては「宴」がJR初となります。12系お座敷客車が淘汰されたため、団体列車や臨時快速列車として高頻度で使用されてきましたが、485系が壊滅状態となった平成最後の年、その活躍に終止符が打たれることになりました。今回は、過去に撮影した485系宴の記録をまとめたいと思います。撮影年月日未調査 敷島~渋川間にて平成19年10月6日 回送平成19年10月7日平成20年7月26日 回送平成20年11月3日 大宮駅にて平成20年11月22日 尾久車両センター公開平成21年6月13日 回送平成22年6月13日 回送平成23年6月11日 9312M平成24年7月15日 485系「宴」 快速「お座敷たんばらラベンダー」送込み 回9578M平成24年8月26日 回送平成24年11月3日 回9550M平成29年4月22日 回9852M使用頻度が高かったためか、撮影枚数は結構な数でした。しかし、それほど好きな車両でもなかったため、積極的に撮りに行ったものは殆どなく、他のものを撮影中に偶然に記録したものが大勢でした。485系の定期運用車が消滅してしまった今、主要部品や消耗品の調達も困難になっているはずです。内装の陳腐化により更新したいとしても、この先の寿命を考えるとコスト的に無理があるでしょう。平成31年4月25日、「宴」は令和という時代を待つことなく長野へ向け旅立ちました。近年では長野へ廃車回送を兼ねた団体列車を仕立てることが多かったのですが、「宴」は鉄道わくわくフェスティバルin新前橋での展示イベントが最後となりました。
2023.10.16
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115系豊田車:快速「むさしの奥多摩」115系高崎車:快速「むさしの奥多摩」の続きで、平成24年秋に設定された臨時快速です。夏臨では高崎車が使用されましたが、この回は豊田のM40編成が充当されました。※撮影は、平成24年11月10日です。大宮駅にてヘッドマークは前回使用のものと同じようで、前後の枠の色がやはり違ったものでした。3番線入線は非常にアングルが取りづらく、場所の選定を失敗しました。与野駅にて先回りしてもう1枚行ってみましたが、やはりあまり良くありませんでした。この年の秋臨及び翌25年春臨で設定されており、やはりM40編成が充当されています。平成26年にはM40編成も廃車となり、快速「むさしの奥多摩」も運転されていないようです。
2023.10.15
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EF5889牽引旧型客車:団体列車「はくつる」?昭和59年の鉄道記念日、東北本線(上野~日光間往復)にイベント列車が走りました。列車は旧型客車6両で組成され、牽引機は当時人気のあったEF5889でした。昭和59年10月14日 与野駅にて勤務明けの日、仕事中だったのですが助役に数分間仕事を交代してもらって撮ったような記憶があります。この頃は、数が激減して最後の活躍をする宇都宮区と東京区のEF58が頻繁に運転されており、局報でダイヤも捉えることができたので、必ずカメラ持参で出勤していました。昭和59年10月14日 日光線内にてこの列車がミステリーだったかどうかの記憶はないのですが、行先は日光でした。宇都宮からはカマを前後付替えての入線となっています。この日は明けの助役が「日光線まで行ってみる?」なんて声を掛けてくれて、ご自宅で食事までいただいて、さらにクルマで現地まで撮影に連れて行ってくれました。クルマでいった関係で撮影区間が不明なのですが、そんなに奥までは行っていなかったような気がします。国鉄末期の時代となりますが、旧型客車の残党がまだ少数ながら残っていました。赤字経営脱却のために様々なイベント列車が仕立てられるようになったのもこの頃からで、「はくつる」のヘッドマークを掲げられたこと自体が驚きの現象でした。今では基地イベント色々なヘッドマークを掲げた勇姿を見ることができますが、当時としては極めて珍しいことでした。
2023.10.14
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185系OM車:団体列車「旅のプレゼント」本記事は、2018-10-08に投稿したものであり、当時の表現になっています。JR東日本では、毎年10月中旬に「旅のプレゼント」という団体列車を仕立てています。以前は上野動物園などへの行先設定で地元を通るのが当たり前と思っていましたが、どうも最近はそのような情報を見ていません。今年も臨時列車の情報にも載っていないようです。JR東労組のニュースでは、ここ数年、行先が群馬県内などになっているようです。過去ログで183系OM車による「旅のプレゼント」及びE653系による「旅のプレゼント」をアップしていますが、185系OM車による「旅のプレゼント」が2年分ありますので、185系終焉間近で今後運用の可能性もなくなったことから、ここでまとめにしたいと思います。平成26年10月4日 185系B6編成 9329M 「旅のプレゼント(信越線)」平成26年10月4日 OM03編成 9835M 「旅のプレゼント(吾妻線)」2014年度の2本です。上りはすっかり忘れていたので、下りの復路のみの撮影です。9329Mは車内装飾がされていましたが、ヘッドマークは「団体」。一方、9835Mは車内装飾はされていませんでしたが、オリジナルのヘッドマークが掲出されました。平成27年10月3日 B2編成 9852M 「旅のプレゼント(信越線)」平成27年10月3日 OM03編成 9862M 「旅のプレゼント(両毛線)」以上2枚は2015年度です。運行情報ではヘッドマーク付きとなっていましたが、実際にはごらんのとおり両列車とも「団体」幕であったため、復路の撮影はパスしました。いずれも3種類の塗装が存在した期間で、185系バラエティの終焉を迎える直前でした。E257系の動きがまだ完全には見えていませんが、185系が徐々に長野へ送られていることから、もうこのように185系ばかりを見る日は無くなってしまうでしょう。
2023.10.13
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24系夢空間客車:臨時特急「さよなら『夢空間・北斗星』号」『EF8180牽引:臨時寝台特急「夢空間北斗星82号」』『展示車:臨時寝台特急「夢空間わくら」』をご紹介いたしましたが、今回は一般客が乗車できた最後の夢空間として設定された夢空間:臨時特急 「さよなら『夢空間・北斗星』号」をご紹介いたします。撮影は、平成20年3月1日、西川口~蕨間にて。 EF8192牽引 「さよなら『夢空間・北斗星』号」シャッタースピードは1/25を表示しており、仕方なく流し撮り。なんとかナンバーが判読できる程度に写し込むことができました。「カシオペア」のスジで運転されましたが、この時期に性能が古いコンデジでは限界を超えています。ヘッドマークは「北斗星」を期待していたのですが、夢空間専用のヘッドマークでした。もっとも、このマークを付けた動く列車は撮ったことがありませんので、自分的には貴重なシーンとなりました。この後、団体列車のさよなら列車でラストランを迎えることになります。92792 JR 24系25形特急寝台客車(夢空間北斗星)セット(再販)[TOMIX]【送料無料】《発売済・在庫品》
2023.10.12
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24系夢空間客車:臨時寝台特急「夢空間わくら」(展示)臨時寝台特急「夢空間わくら」は、24系寝台車「夢空間」を連結し、上野~和倉温泉を結んだ寝台列車。上野から北陸を結ぶ臨時の寝台特急は異例の設定ですが、時はバブル、それなりに贅沢さが当たり前の時代を反映していたように思えます。設定は平成3年度のみだったようで、久し振りにそんな列車があったことを思い出しましたが、その頃は特に興味もなく、実列車はリアルに見ていません。平成5年11月28日 大宮工場にて オシ25901大宮工場の公開に際して展示されたものです。当時は結婚したばかりで、鉄道写真の撮影機会も少なかったため、なかなか夢空間を見る機会もありませんでした。そんな中、イベントで訪れた際に夢空間を見ることができました。しかし、ただの夢空間の写真だとばかり思っており、テールマークに「わくら」の小さな表示を発見したのはブログへの投稿を始めてからでした。あまりにも小さい文字なので、主催者の意図も私には伝わっていなかったようですね。(笑)92792 JR 24系25形特急寝台客車(夢空間北斗星)セット(再販)[TOMIX]【送料無料】《発売済・在庫品》
2023.10.11
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西武鉄道 旧2000系西武鉄道で101系列と共に活躍し、ステンレス化が進んだ現在も活躍が続く2000系ですが、このうち旧2000系2031編成が令和5年10月5日に廃車回送を兼ねたラストランとなり、これにより6両編成及び4両編成が消滅し、残るは2連3編成の6両のみとなるそうです。西武鉄道もあまり乗る機会がないのですが、以前の現場中心の仕事の時や、池袋線から10000系ニューレッドアローの引退に際してこまめに撮影はしていました。黄色の目立つ2000系もかなりの枚数を撮っているのですが、9000系や新2000系の写真が多く、旧2000系の写真はたった3コマしか見つかりませんでした。平成22年1月1日 下井草駅付近にて平成22年1月1日 下井草駅付近にて平成23年1月1日 下井草駅付近にて 西武新宿行き 「拝島快速」西武線の写真は圧倒的に池袋線が多いですが、何故か旧2000系にだけは新宿線、しかも正月に女房の実家に行ったときに撮ったものだけしかありませんでした。旧2000系の運用に差があったのでしょうかね。今はまた現場仕事に戻りましたが、今年度の現場もかなり少なくなりますので、残る2連の撮影機会もほとんど期待はできません。
2023.10.10
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583系:団体列車「つなげよう、日本。」号JR東日本横浜支社発足15周年を記念した企画で、583系秋田車を使用した団体列車「つなげよう、日本。」号が横浜~青森間で運転されました。晩年では多くの団体列車に583系が使用されましたが、団体名称が付きながらも「団体」や「臨時」マークが殆どでした。そんな折り運転された「つなげよう、日本。」号は、実列車とは縁のない区間での設定でありながらも、常磐線経由青森行きの特急「みちのく」のヘッドマークを掲げて姿を現し、カメラを持って居た私もびっくりしてしまいました。平成23年10月8日 9013M 583系 団体列車「つなげよう、日本。」号583系を使用したリバイバル列車は多数設定されましたが、「みちのく」は東北特急の中では地味であったためか、今まで設定されたことはなかったと記憶しています。もちろん、ヘッドマークは常備されていませんので、ステッカー式のものとなっていました。同区間では非常に違和感のある列車名ですが、これも東日本大震災及び福島第一原発事故の影響で常磐線が通れなくなったため仕方のないことです。事故の記憶を消すことはできませんが、見せかけの常磐線復旧ではなく、1日でも早く本当の生活が戻ってくることを願ってやみません。
2023.10.09
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583系:特急「みちのく」常磐線の急行列車として設定されていた「みちのく」は、昭和47年3月15日のダイヤ改正により特急列車に格上げ、晴れて特急「みちのく」となりました。実際には「十和田」の格上げという位置づけになっています。使用車両は、当初から青森運転所の583系が使用されており、常磐線経由としては唯一の青森直通特急です。※登場時の「はつかり」は、東北本線経由になるまで「みちのく」と同一の区間を走行していました。昭和52年頃 上野駅にて文字マーク時代の「みちのく」です。583系独特の夜行列車に似合いそうな蛍光色っぽいヘッドマークが大好きでした。昭和51年頃 上野駅にて昭和51年 上野駅にて クハネ583-29?「みちのく」上野駅20番線に停車中の「みちのく」です。じいさんのカメラを借りて撮ったモノクロ写真で、完全マニュアル露出計なしのカメラでした。この一連の撮影の中でも、こんなにキレイに写っているものは他にありませんでした。そんな奇跡の写真です。空が青々している様子が伝わってくるので、秋頃に撮った写真ではないでしょうか?上野駅でも場所によってはこんなに空が見えたんですね。昭和52年 上野駅にて クハネ583-29?「みちのく」こちらはその翌年、中古の一眼レフを買って間もない頃、雪がギッシリ付いているので、昭和52年の2月頃ではないかと思われます。常磐線内ではそんなに雪が降ることはありませんから、陸奥の国から持ち帰ってきたものでしょう。昭和51年頃から52年くらいにかけて、西日本から転属してきた暖地装備のクハネ583-29・30が青森運転所にやってきました。東北スジでは唯一の開放型タイフォンを持ち、異色の存在でした。実際に走っていたのは1年強くらいだったと思いますが、いつの間にかシャッター式に改造され、区別が出来なくなってしまいました。当時の583系の運用にまんべんなく入っていたと思いますが、時間帯が良かったせいか、1往復しかない割にはこの「みちのく」での目撃例が多かったように思います。昭和55年頃 常磐線 日暮里~三河島間にて 下り「みちのく」「みちのく」も53・10ダイヤ改正でイラストマークに変わってしまいました。何か、オリジナルのヘッドマークでないと、583系が引き立たないようで残念でした。雑誌掲載のための協力ということで、無理矢理走行写真を仕立てたのですが、残念ながらボツになった写真。結構カッコ良く撮れたと思うんですが・・・。昭和56年頃 上野駅にて東北新幹線開業を目前に、上野駅が特急列車で一番賑わっていた頃。私が高校3年生のときで、飯田線・身延線・大糸線の旧型国電にハマっていた頃でもありますが、東北新幹線の開業でほとんどの特急がなくなることは勿論想像がついていましたので、学校へはカメラ持参で通学し、帰りは上野駅で写真を撮るといった生活が日々行われていました。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて昭和57年6月に開業した東北新幹線ですが、開業の遅れた上越新幹線のお陰で大規模な改正は57年11月にズレ込むことになり、約半年間長生きすることができた「みちのく」。急行「ときわ」を吸収する形で大増発が予定される「ひたち」の発展を尻目に、1ヵ月後に迫る廃止を目前にして最後の活躍をみせる「みちのく」でした。昭和57年11月14日 常磐線 日立駅にて 最終日上り「みちのく」常磐線経由で孤軍奮闘・活躍してきた583系「みちのく」でしたが、上越新幹線の開業・ダイヤ改正を明日に控え、最終日を迎えることとなりました。私はこの時点では既に国鉄に就職していたのですが、たまたま休みの日だったので、指定券を取って最終の「みちのく」に乗ることにしました。そして、できるだけ北限まで行けるところということで、この日立駅から乗車することになりました。最終日に乗車した時の特急券記念のために硬券発売駅である西川口駅で購入しました。その後の平成キ〇ガイ鉄が出現する前の時代でもあり、最終日最終便でありながらも、空席が目立つような平穏な車内でした。昭和57年11月14日 上野駅にて 下り最終「みちのく」 最後の旅立ち私の乗車した「みちのく」は、途中遅れることも無く無事にその使命を果たし、上野駅に到着。尾久客車区に引き上げていきました。下り「みちのく」は上り「みちのく」の到着後に上野駅を発車しますが、折返しではなく、別の運用となっていました。そして、本当の最終となる下り「みちのく」を見送るため、ホームで待ちました。最終日でもある関係で、鉄道少年たちで大変な事態になっています。しかしそれは、東北特急としては地味ながらも、583系という人気車両でひたすら働き続けてきた彼への心、想いの表れと言えるでしょう。そして、発車のベルが鳴り終わり、遠く先頭車両の方からタイフォンの音が聞こえると、列車は静かに動き出し、永遠の陸奥(みちのく)路へと旅立っていきました。
2023.10.08
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201系:京葉線昭和54年、省エネ電車として登場した201系。中央快速線、総武・中央緩行線への投入を経て、京葉線にも運用されるようになりました。201系もE233系化による交代が進み、中央快速線での置き換え完了に続き、京葉線も平成23年6月の運行を以って終了となっています。平成19年8月26日 葛西臨海公園駅にて 74編成平成19年8月26日 葛西臨海公園駅にて K1+51編成平成19年8月26日 葛西臨海公園駅にて 70編成京葉線での撮影は多分2回目くらいで、コレの前は103系や205系ばかりだった頃のように思います。中央快速線からの転属貫通編成が入り、やや変化があったころかもしれません。試作編成は既になくなっていたようです。平成19年10月28日 新木場~潮見間にて平成19年10月28日 新木場~潮見間にていずれも辰巳国際水泳場のテラスから。平成20年3月29日 新木場~潮見間にてこちらも辰巳国際水泳場へ渡る歩道橋から。平成20年5月3日 潮見駅にて 72編成貫通編成を捉えた最後のシーンです。平成21年10月24日 潮見駅にて K4+54編成平成21年10月24日 潮見駅にて K3+53編成平成21年10月24日 潮見駅にて K4+54編成平成21年10月24日 潮見駅にて K4+54編成平成22年7月17日 南船橋駅にて K2+52編成平成22年10月9日 京葉車両センター展示会にて平成22年12月5日 塩見~新木場間にて201系を捉えた最後のシーン。辰巳国際水泳場も運営が終了し、こんなシーンも撮れなくなりました。最期はヘッドマークを取り付けたりと演出が行われましたが、世間を騒がすほど強烈なバカ共のお陰で興ざめしてしまいました。ある意味、もっとも惨めな最期を迎えた車両かもしれません。
2023.10.07
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485系(新潟車):臨時急行「能登」過去ログで旧型客車時代の急行「能登」をご紹介いたしました。平成22年3月ダイヤ改正、急行「能登」は、それまで現存する唯一のボンネット車で活躍を続けてきた489系と運命を共にし、臨時列車へと格下げされました。臨時化にあたり、快速「ムーンライトえちご」の車両を差し替えし、485系新潟車6連により運転を継続してきました。そこから2年、週末の度に運転されてきた臨時急行「能登」ですが、平成24年3月の改正後、春臨から急行「能登」の名称が消えてしまいました。春休みの季節は、青春18切符利用による快速「ムーンライトえちご」としての利用が活発化するものと考えましたが、GWの設定もなくなってしまいました。この改正から485系新潟車の運用自体が快速「ムーンライトえちご」に戻されたことにより、今後の復活の糸が切れ、そのまま廃止となってしまいました。平成22年3月20日平成22年4月18日平成22年4月24日平成22年4月25日平成22年5月15日平成22年6月12日平成23年4月30日平成23年5月14日新潟車ではK1、K2編成を中心に、T18も運用されるとことがありました。しかし、1500番台は連結方向が逆向きですので、なかなか捉えることはできませんでした。『489系:急行「能登」』
2023.10.06
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D51498牽引 SET:団体列車「冒険大陸号」現在もSL保存運転が続いている上越線において、廃止が迫った14系欧風客車「サロンエクスプレス東京」を使用した団体列車が設定されました。当時の快速「SL奥利根」は12系客車を使用した列車ばかりで、旧型客車さえ出番は少なかった時代。このスジでジョイフルトレインを牽く機会は稀であったため、それまではイベント色の強い列車を撮ることはあまりありませんでしたが、クルマを駆って出掛けました。平成8年9月15日 渋川~敷島間にて 9733レ 「冒険大陸号」平成8年9月29日 津久田~岩本間にて 9733レ 「冒険大陸号」当時の状況が思い出せないのでDJ誌で探ってみたところ、平成8年9月14・15・22・28・29日の5回、企画列車として「冒険大陸号」が組まれたようです。客車は引退間近のサロンエクスプレス東京が使用され、それまで変化の少なかった沿線は沸きに沸いた感じでした。その後は団体列車を中心にお座敷列車の牽引などもあったようですし、サロンエクスプレス東京もお座敷車「ゆとり」としてまさかの復活で再度実現することもありましたが、この写真を撮ったちょうど1年後には娘も生まれ、撮影に行く機会は殆どなくなってしまいました。
2023.10.05
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タキ43000(トップナンバー車):日本オイルターミナルタキ43000は、昭和42年から製造を開始したガソリン専用のタンク車です。積載荷重43tは、当時の2軸ボギータンク車としての最大積載量を誇りました。兄弟車に、ガソリンを除く石油類を輸送するタキ44000があり、類似スタイル乍ら全長が短いため、コタキ44000となっています。平成27年5月6日 東大宮~蓮田間にて別の列車を撮るために訪れた際、直前に来た下り貨物列車を撮影したものです。立ち位置が反対であったためにこんなアングルで撮影したわけですが、後日、写真の編集をしていましたら、ナンバーがタキ43000であることに気が付きましました。まさかのトップナンバー車で、未だ廃車になっていなかったことに驚きました。トップナンバー車ですから、当然、落成は昭和42年。私が大宮操車場で入換をしていた頃は、これらの青タンク車は新型というイメージしか無く、昭和59年2月ダイヤ改正以降は次々と私有貨車が倒れていく中で、当然にして最後まで残るタンク車であることは想像できました。しかし、さすがに50年ともなれば、この時代にそれだけの長寿であることはやはり驚きです。積載時ではかなりの車体重となるタキ43000、コタキ44000でしたが、とにかくブレーキ性能が良く、コントロールしやすい車両でした。毎日4~7両程度で手を繋いでハンプを落ちてくるこれらの車両に、飛び乗ってブレーキングしていた40年前を今でも思い出します。ところで、KATO タキ43000+タキ1000 10両セット 販売だそうです。JR時代は基本的に買うこともないのでどうでも良いんですが、情報の金額を見てびっくりしました。10-1935 特別企画品 タキ43000+タキ1000 日本オイルターミナル 10両セット ¥24,750ケース込みになりますが、1両辺り2400円!ちなみに、直近から過去製品を見てみると・・・10-1515 特別企画品 タキ43000 日本石油輸送(黒・青・シルバー) 8両セット ¥9,4608013-5 タキ43000 日本石油輸送色 ¥1,1008013-6 タキ43000 日本オイルターミナル ¥1,1008013-7 タキ43000 日本石油輸送 ¥1,155 特別企画品と比較しても、単純に単価が2倍に跳ね上がっています。KATOの台所は火の車。そう思える状況が際立って見えたような気がします。大切な会社が潰れないか・・・心配になります。経営陣、交代した方が良いんじゃないですか?
2023.10.04
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E653系勝田車:団体列車「2012東京旅のプレゼント」毎年、秋に設定される団体列車「旅のプレゼント」。いつ頃から運転されるようになったのか良くは知りませんが、特急形電車による運転が殆どのようです。近年はコロナ禍で運転が無くなってしまったようですけど。過去ログで183系による「旅のプレゼント」をご紹介しましたが、今回はE653系勝田車を使用した「旅のプレゼント」号の写真をご紹介いたします。※撮影は、平成24年10月20日です。E653系 9151M 団体列車「2012東京旅のプレゼント」まだE653系が「フレッシュひたち」でバリバリに活躍していた頃です。地元では極まれに郡山への回送等で見ることができるくらいで、大体は近場でも武蔵野線経由で東北本線方面へスルーしてしまうため、まずお目に掛かることはありません。185系もまだ廃車が出ていない頃で余裕があった筈ですが、なぜこのような運用が設定されたのか不明です。
2023.10.03
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京成電鉄:青電2100形・210形京成電鉄2100形は、制御車の2100形と中間電動車の210形で全く生い立ちが異なります。電動車は戦前、制御車は戦後生まれとその生い立ちがややこしいため、ここでの説明は省略させていただきます。昭和47年から更新工事が行われ、他の3000系列と同じようなオデコ2灯のスタイルとなります。長らく京成電鉄らしい青電塗装を堅持していましたが、昭和55年からファイアーオレンジ化されることになります。以下の写真は、偶然にも撮影していたものと、塗色変更の情報を得て青電を撮るためにわざわざ撮影に行ったときのものです。21072109いずれも昭和54年、京成津田沼~京成幕張間にて撮影したものです。この頃は私鉄にも興味ありませんでしたし、まして通勤型には全然興味が無かったと思います。ただ、何故かこの古臭い青電塗装には興味があったようで、幕張電車区での撮影のついでで撮ったと記憶しています。現在は京成幕張本郷駅ができた辺りではないかと思われます。国鉄千葉駅前駅にて 2102塗装変更の情報を得て撮影に行ったときの写真です。この頃は青電編成のことを良く知らなかったのですが、5編成しかいなかったようですね。出会う回数が少なく、この時もやっと出会ったにもかかわらず、300mmレンズを付けていたために障害物を避けての構図が決まらず、こんな写真しか撮れずにガッカリしたものです。京成津田沼駅 車庫にて 2105帰り掛けの車庫で青電を見つけました。奥には既にファイアーオレンジ化された3100形と思われる車両も停まっていて、3色揃い踏みが記録出来ました。この後、ファイアーオレンジに塗装が変更されたようですが、最後まで残った2102編成は昭和63年のさよなら運転に際し青電塗装に戻されそうで、この列車の運転を以って2100形・210形は全廃となっています。
2023.10.02
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京成電鉄 モハ700形:行商専用列車京成電鉄では、千葉県内から都心へと向かい行商を行うおばちゃんのための専用列車が走っていました。もちろん、一般客を排除して運転する列車ですから、車両は常にお古です。むかしこの記事をまとめた当時は良く知らなかったのですが、モハ700形に属する車両だそうです。昭和56年頃 日暮里駅付近にて 行商専用列車モノクロなのが残念な写真です。確か、日暮里付近で特急「みちのく」の写真を撮影していた際に偶然通りがかった行商専用列車をキャッチしたと記憶しています。当時、既に青電は廃車になったか塗り替えたかで消滅してしまっていて、京成の中でも最後の青電だったと記憶しております。704-1601-1602-2203の4両編成で、昭和49年に同列車に使用されるようになり、このうち1601が外されて3両編成となったのが写真の編成だそうで、この写真を撮って直ぐに廃車となってしまったようです。フィルム現像を自前で行ったのですが、薬液の温度管理が悪かったらしくオーバーに定着してしまったため、粒子も非常に荒れてしまい、見苦しい写真となってしまいました。
2023.10.01
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