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183系OM車:団体列車「旅のプレゼント」かつては臨時列車への充当と言えど、183系や185系にはヘッドマークが用意されることが多く、昨今のように時刻表に掲載される臨時列車でありながらも「臨時」や「臨時快速」で茶化されてしまう設定にはなんの興味も湧かなくなってしまいました。未整理の写真を眺めていると、団体列車にもかかわらずヘッドマークが掲載されている列車が残っていたため、今回は183系OM車で運転された「旅のプレゼント」号をご紹介いたします。※撮影は、平成24年10月13日です。183系OM101編成 9325M 「旅のプレゼント(信越線)」この日、2本の団体列車「旅のプレゼント」が走行しました。当日は別の列車の撮影をしていましたがマークしておらず、現地調達の情報から返しのみ撮影できました。写真は横川発着の信越線バージョン。183系OM102編成 9855M 「旅のプレゼント(上越線)」こちらは、約1時間後を後追いした水上発着の上越線バージョン。同じ写真を撮っても仕方ないので、場所を変えてみました。この時の記事を辿ると、高崎線で人身事故があって運転を見合わせた時間があり、返しの列車が定時運転されるか微妙だったようですが、両列車ともなんとか定時出発ができたようです。拡大すると判るのですが、いずれの列車のヘッドマークもピッタリと貼られておらず、手作り感MAXのある意味微笑ましいヘッドマークでした。毎年運転される旅のプレゼントも時代ごとに運用車種が変更され、専用のヘッドマークも用意されることがほぼなくなってしまいました。
2023.09.30
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251系:臨時特急「ビュー谷川」上越線の昼行特急といえば「水上」でしたが、臨時列車に格下げされ今では年末年始のみ。吾妻線乗り入れの「草津」以外の定期特急列車がなくなってしまうという事態になってしまいました。「水上」になる前は新特急「谷川」として185系で運転されていた水上特急ですが、上越新幹線開業後においても、一時期はそれらしい臨時列車が季節ごとに設定されていたように思います。そんな中、ちょっと珍しいシチュエーションであったのが、普段は伊豆方面にしか走ることにない251系を使用した臨時特急「ビュー谷川」でした。平成8年9月29日 津久田~岩本間にて 臨時特急「ビュー谷川」まだ娘も生まれていないときで、女房を連れ、他の鉄道仲間とSL撮影に興じてしていた頃です。この年は「サロンエクスプレス東京」の引退にあたり、様々なさよならイベントのような団体列車が組まれましたが、D51498が「サロンエクスプレス東京」を牽引するということでかなり盛り上がりを見せていました。そんな中、「ビュー谷川」という臨時列車が仕立てられ、上野~水上間を走っています。高崎発が10:30となっており、先に発車したD51+「サロンエクスプレス東京」を途中の渋川で追い抜いてきたようですね。当時はそれほどこうした臨時列車に興味があったわけではないので、カメラのセッティングが終わった後に来たちょうど良いピント列車として撮影したように記憶しています。ただのついでで撮った写真ですが、その後はあまり上越線に入線していないと思いますので、今となっては貴重な記録となっています。さらに、この251系の旧塗装時代の写真というのも「踊り子」では全く撮っていませんでしたので、今となっては貴重な資料写真となってしまいました。ちなみにですが、当時のDJによりますと、平成8年9月の21~23日と28・29日に運転されたようです。写真は最終日だったわけですね。なお、同年8月には、やはり251系を使用した「ビュー草津」も運転されています。
2023.09.29
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国鉄 キハ40系:可部線山陽本線の横川(よこがわ)駅から分岐して山陰へと伸びている可部線。かつては奥地の三段峡駅まで延びていましたが、赤字のために廃止となり、可部駅までの電化区間のみ残っています。※後に復活区間有り。TOMIX 国鉄72・73形 可部線 販売TOMIXが調子に乗って可部線の旧型国電を発売するようで、こちらでも過去ログで『旧型国電 72系・73系:可部線』でご紹介しています。ローカル線で途中まで電化している(た)路線は、可部線と福塩線、それに大糸線くらいしか思い浮かばない、全国的にも珍しい路線です。現在は、八高線がこのレアな路線形態に仲間入りしました。たまたま73系の撮影の際に、気動車の写真も撮っていましたのでご紹介いたします。昭和57年10月4日 上八木~中島間にてキハ40と47の混結4連です。何となく1両はキハ45に見えるような気もするのですが、画像が悪くてハッキリしません。廃止区間の晩年は、1両又は2両程度で運転されていたようなので、このような4両編成で乗り入れていたのがウソのようです。当時、撮影の目的は終焉間近の旧型国電のみであり、終点まで時間が掛かることから、完乗はしませんでした。その後、平成15年11月末をもって非電化区間は廃止されました。
2023.09.28
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キハ35系:川越線(荒川橋梁)川越線荒川橋りょう、調整池整備にあわせ架け替えへ - 鉄道コム (tetsudo.com)川越線の荒川に架かる橋梁が、調節池整備に関連して高さが足りなくなるため、架け替えになるそうです。リンク先の記事で結構詳しく説明しています。結構近い地域にありながら、非電化~電化直後もあまり撮影に行ったことのない路線で、撮影した写真もほんのわずかしかありません。川越線は、大宮~川越~高麗川を結ぶ路線。現在は沿線人口も増えて通勤路線としての性格が強くなっていますが、東北・上越新幹線が上野開業となる昭和60年までは都心に最も近い非電化ローカル線でした。今でこそ埼京線からの直通列車が10両編成で乗り入れていますが、それまではキハ35系が台頭していました。昭和59年7月27日 南古谷~指扇間にて鉄橋以外の障害物がない風景は、電車が走る現在とは比べ物にならないほどローカルな雰囲気を醸し出しています。流路の近い部分までは鉄橋ではなく堤防状の土盛りになっており、高水敷部分がガーーター、低水路上がトラスになっています。現在もほぼ同じ状況のようですが、度重なる季節風による運休に悩まされ、防風柵が設置されるなど景観はかなり変わってしまいました。翌年には電化されている訳ですが、まだなんの準備もされていないような光景であり、良く間に合ったものだと感心してしまいます。新しい橋梁はまったくの別物となってしまいますので、昭和から繋がるこの光景も過去のものになってしまうようです。
2023.09.27
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EF5889牽引:団体列車「ブルートレイン&とちぎ博の旅」昭和59年に宇都宮市で開催された「とちぎ博」。私はその内容について全く記憶がありませんが、かなり盛況な内容で、多額の黒字が出たイベントらしいです。そんな「とちぎ博」関連で、当時としては珍しいイベント列車が走りました。※撮影は、昭和59年9月16日?、与野駅にて。EF5889牽引 24系寝台客車 団体列車「ブルートレイン&とちぎ博の旅」当時は与野駅に勤務しており、局報を見てこの列車の運転は知っていましたが、残念なことに、この列車が走る日は泊まり番。まして返しの通過時間は日没後です。撮ることができる筈がないのですが、2つ偶然が重なって撮ることができました。一つは通過が休憩時間であったこと。しかもホームの事務室での休憩時間ですから、パッと撮ってサッと引っ込めるんです。二つ目は、直近の撮影で夜間のEF58牽引工臨を撮影した際に使用したASA1000のフィルムが入っていたこと。多分、1/125秒くらいで撮影していますが、横走りフォーカルプレーンなのでブレづらかったんでしょう。ただし、画質性能的にはどうにもならないですね。粒子が粗いのなんの。それでも、当時の技術として夜の電気の光の中で走行写真を撮るなんて不可能でしたから、写っているというだけで脅威でしたね。ただの記録と言う意味だけの写真ではありますが、茶色の89号機が24系のブルートレインを牽いた数少ない貴重なシーンであることには違いありません。
2023.09.26
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189系:特急「そよかぜ」特急「そよかぜ」は、上野~中軽井沢を結ぶ季節列車として長らく設定されていた特急列車です。登場当初は181系でしたが、ほんの一時期に157系を使用したことがあります。また、その後は183系0番台(幕張車)や、189系(長野車)、489系(金沢車)、185系(新前橋車)と、実に多彩な車両が使用されました。季節列車でもあり、また運転区間も短距離でもあったため、絵にしづらい列車でしたが、そのさわやかなネーミングが大好きでした。横軽(碓氷峠)も廃止されてしまったことですし、軽井沢行きの新幹線の設定というのも考えづらいので、特急列車としての「そよかぜ」のネーミングはおそらく復活することは無いのでしょう。今回は、189系を使用した「そよかぜ」をご紹介いたします。いずれも昭和52年~53年頃 上野駅にて53・10改正前で文字マーク時代であり、年代的には幕張区の183系0番台が運用されていた同時期のものとなります。房総地区の夏ダイヤでは183系0番台が繁忙となるためか、日によって、或いは季節によって幕張区の車両と使い分けされていたのではないかと思います。昭和54年8月 上野駅にて 189系 「そよかぜ」こちらはイラストマーク化された後のものとなります。53・10ダイヤ改正以降は、幕張区の183系0番台がイラストマークでは運転された情報を見たことがありませんので、もっぱら長野区の189系か、金沢区の489系で設定されていたようです。189系や489系は横軽の協調運転が可能なため、最大の12両編成で運転することが出来ました。車種的にはこの189系が一番多用されていたように思います。「そよかぜ」のダイヤは上野~中軽井沢間で臨時「あさま」と同スジで引かれていたので、長野区189系運用が基本であったと思われます。また、185系200番台登場後は「そよかぜ」に使用された実績もあったようですが、残念ながらこちらは記録できませんでした。183系幕張車:特急「そよかぜ」489系 :特急「そよかぜ」 EF651108牽引:臨時特急「サロンエクスプレスそよかぜ」185系(157系色):臨時特急「そよかぜ」(その1)
2023.09.25
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ED75700番台牽引:寝台特急「あけぼの」古くの時代から上野~秋田・青森を結んでいた寝台特急「あけぼの」。東北本線は福島まで電化されていましたが、奥羽本線内では一部区間が非電化となっており、DD51が牽引した時代もありました。奥羽本線が全線電化されると、それまで牽引に活躍していたDD51に代わり、ED75700番台が増備されます。寝台特急「あけぼの」も、福米間のEF71+ED78からのバトンを受けると、あとはED75700番台が青森まで牽引する運用となっていました。昭和61年9月9日 鷹ノ巣~前山間?にて ED75777牽引運転免許を取って初めての遠距離ドライブ。ED75牽引の「あけぼの」を見るのも初めてでした。油断して手ブレ。勿体無いです。牽引機はスリーセブン、777号機。これを撮ったときはまだ700番台が全て健在な時代でしたから、特に希少感はありませんでした。殆どのED75が廃車になった後もその番号から生き永らえた777号機でしたが、令和5年9月、とうとう廃車になってしまったようです。平成4年8月18日 八郎潟~鯉川間にて ED75712牽引逆光でコントラストが強く、ヘッドマークすら全然見えませんね。この時代、奥羽本線の秋田以北はEF81の進出が無く、特急ブルトレを始め、客車普通列車も全てED75の天下でした。ただ、700番代しかないと言う点では面白みに欠けました。なんとかヘッドマークが見えないかとフィルムから直接スキャンを試みましたが、色調があまりにも変でどうにもなりません。せっかく遠征しているにも拘わらず、良い写真が残っていないのが残念です。
2023.09.24
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国鉄旧型電機 EF1214(高崎第二機関区)EF12型電気機関車は、昭和16年~19年にかけて17両が製造された、F級貨物用機関車です。同時期に製造されたEF57と同じ性能の出力を有しており、兄弟機と言えます。昭和52年 佐野駅?にて EF1214撮影記録が無く、撮影時期があいまいなのですが、使用機材とモノクロフィルムであること、操車係や入換手の服装から判断して昭和52年の夏だと推測しています。EF12の最晩は高崎第二機関区に4両が残り、さらに最晩年は2両のみの配置となっていました。14号機は昭和52年12月1日付けで廃車になってしまったようなので、この写真を撮ってから半年もしないうちにいなくなってしまったということになります。最後まで残った4両は昭和57年に2度に分けて廃車になっており、この間に撮影しておけば良かったのですが、当時は定期運用があったかどうかも知らず、まだ高校生で旧型国電や北海道への憧れ、バイトなどで忙しく、この時だけになってしまったのが非常に残念です。同機に関してはKATOからの模型化も期待していたのですが、今の企画力から考えてまず可能性は無いようです。
2023.09.23
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165系:急行「あかぎ」「あかぎ」は、古くを辿ると昭和25年に誕生した快速列車の名称。その後準急列車となり、昭和31年に急行列車化、晴れて急行「あかぎ」となります。使用車両は主に165系3両編成でしたが、昭和50年を前後として、115系の普通列車を間合い運用として使用していたものも存在しています。昭和53年3月12日 新前橋駅にて165系「あかぎ」と「ゆけむり」の分割シーンです。当時の上越線昼行特急は「とき」「いなほ」と臨時「白根」のみであり、草津・水上方面の中距離列車は165系急行がカバーしていました。185系新特急化されてからも旧急行の運行体系が維持されており、ある意味値上げされただけで、殆ど内容は変わっていないような気もします。その後の特急と同様に、多層建て急行列車の分割は新前橋駅で行われていました。当時の分割シーンを撮影した写真がたまたまあったのですね。昭和50年を前後とした時代、ヘッドマークの無い急行列車はその列車名を特定するのが難しかったりしますが、手前の列車はサボから「ゆけむり」であることが判りますし、離れて行っている編成は3両なので「あかぎ」であることが明確ですね。昭和57年5月頃 蕨~西川口間にて 185系200番台+165系 急行列車東北新幹線の開業を前にして、リレー号に使用する185系が続々と誕生します。165系急行「草津」「ゆけむり」は、現在の185系編成と同じ順列の7両編成であったため、正にランダムに前後して混結又は165系同士、185系同士とバラエティーな編成で走っていました。一方、前橋又は桐生方面への急行「あかぎ」のみ付属3両編成を使用していた列車が存在したため、7両編成の185系に併結されると、なんとも申し訳無さそうにぶら下がっている感じがしてユーモラスです。そして、昭和57年11月15日、上越新幹線の開業に合わせ、在来線を補完する列車として「あかぎ」は185系を使用した特急列車に格上げ、残った両毛線直通急行のスジは「はるな」に道を譲ることとなりました。
2023.09.22
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EF651000番台牽引:寝台特急「みずほ」ブルートレイン化され、EF58~EF65500番台の牽引と進化してきた東海道の寝台特急でしたが、1000kmを超える過酷な連続運用は、新性能のP形をもってしても対応が難しかったようで、連続運転の定格を確保するため、EF65PFの後期形へと置き換えられることになりました。『EF65500番台牽引:寝台特急「みずほ」』からPF化された後の写真を少ないですがご紹介いたします。昭和54年3月 東京駅にて EF651112牽引今はなき東京駅12番線から今まさに発車しようとしているシーンです。この頃の東海道ブルトレは、特急「出雲・紀伊」と急行「銀河」を除き、EF651000番台が台頭していました。当時の9・10番線は横須賀線が主に使用していたため、特に12番線から発車するブルトレは、夕方のラッシュを迎える横須賀線との組み合わせが多く見られました。昭和55年頃 品川駅にて EF651114牽引いつもは入線することのないホームで撮影していることから、遅延で品川駅打ち切りになったものと思われます。ブルートレインのテールマークイラスト化は電車特急への施行から1年ほど遅れており、イラスト化されたのは昭和54年秋ごろとなりました。社会人になってからは駅撮りをしなくなってしまったため、「みずほ」のイラストマークを捉えたのはこの時のみとなってしまいました。昭和58年12月1日 根府川~早川間にて逆光に輝く海岸線を見ながら(と言うより思いっきりトンじゃってますが)東京へのラストスパートをかける上り「みずほ」。編成を見ると、機関車の次位(14号車)は屋根にクーラーが載っており、スハフ14であることがわかります。陳腐化した3段式寝台を2段式に改造する過程において、不足する電源車の不足からどうせ脳を有するスハフ14を運用に充てているシーンを良く見掛けました。すれ違う下り普通列車には、サロ181-1001やサハ165から改造されたレアなグリーン車が連結されており、変化に富んだ時代を物語るシーンとなっています。この後、東京口のブルトレ(一部)にロビーカーが増結されるようになり、重量増に伴う定格をさらに確保するため、ロビーカーを連結しない「みずほ」もEF66が牽引するようになります。
2023.09.21
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113系:総武線 快速「アポロ」号昭和53年、船の科学館で「宇宙博」というのが開催されました。私は特に興味を持っていたわけではないのですが、大層好評だったらしく、翌昭和54年にも開催されたようです。この時、「アポロ」のヘッドマークを取り付けて運転された、品川発の総武快速電車がありました。昭和54年9月頃? 品川駅にて 快速「アポロ」こちらは、クハ111-1053を先頭(尾灯が点いていますが、折り返しが「アポロ号」となります。)とする、窓全開の冷房準備車で組成された編成です。正直なところ、この写真が昭和53年のものなのか、昭和54年のものなのか、はっきりしない部分があります。これ以外にモノクロで撮った写真があるのですが、その写真は自分でフィルム現像をしているので、高校生になってからということで昭和54年で間違いないのですが・・・リバーサルは中学2年くらいから使っていたので、このダイレクトプリントの写真が同じ昭和54年のものなのかどうか。最初に投稿した当時、インターネットや時刻表で情報を集めようとしたのですが、インターネットではこの列車の運転について全くHITしませんでしたし、昭和53年、昭和54年の当時の時刻表を見ても、定期列車にヘッドマークを付けただけの設定らしく、臨時列車も該当なし、休日に名称が付く快速もなしと、全く手掛かりがありません。(品川発は確か14:30くらいだったと思います。)事実として、「間違いなく昭和54年には走っていた」としか言えない、ベールに包まれた列車であります。
2023.09.20
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Fw:KATO 455系「まつしま」「ばんだい」と旧製品457系KATOから発売された新製品475系「立山」「ゆのくに」セットと旧製品475系に関する記事の続編をアップしました。KATO 新475系と旧475系を混結させてみる
2023.09.19
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EF8180牽引:臨時寝台特急「夢空間北斗星82号」次世代の寝台列車を探るために製造された「夢空間」。最初は列車の姿をした建造物として造られたらしいのですが、展示後は実際に夜行列車などに連結して営業運転をするようになりました。当時は既に新形式の寝台客車導入はありませんでしたので、走行性能や電源系統は24系寝台客車に合わせて造られていました。夢空間を連結した「北斗星」は、上野~トマム(新得)を結ぶ「北斗星トマムスキー」として冬・春季に設定されましたが、夏季において上野~札幌間に設定されたため、名称も変更されたものと思われます。※撮影は、平成5年6月13日、蓮田~東大宮間にて。EF8180牽引 「夢空間北斗星82号」まだ結婚して間もない頃、女房と一緒に撮りに行ったと記憶しています。それまで夢空間の車両の実物は見たことがなかったような。多分、初めての撮影だと思いました。レアガマでないのはちょっと残念。ヘッドマークはフツーの「北斗星」でした。同時に撮ったデラックススリーパー、オロネ25-901。三脚から振ったために中途半端な構図になってしまいました。
2023.09.19
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215系:快速「ホリデー快速ビューやまなし」215系電車は、JR東日本が通勤ライナーや快速列車の着席率向上のために導入した2階建て通勤型車両です。登場したのは平成4年で、平成5年からは休日運用として中央本線で臨時快速に運用されるようになりました。「ホリデー快速ビューやまなし」は、平成5年に東京~小淵沢間でデビュー。土休日に設定されていましたが、耐寒設備を持っていないため、11月~3月は設定されないというちょっと変わった列車でした。平成20年9月6日 西国分寺駅にて何を撮るために行ったのかあまり覚えていないのですが、この時が初撮影だったようです。この時はヘッドマークが付いているのを知りませんでした。平成20年10月11日 鳥沢~猿橋間にてこの歳になって中央本線高尾以遠の遠征は初めて。早朝から出掛けましたが、雨天でしかも朝からアクシデントの連発で、テンションがた落ちでした。平成21年3月28日 グリーン車内翌年に2度目の遠征。帰りにはわざわざ「ホリデー快速ビューやまなし」に乗車。しかもグリーン車奮発。しかし、普通車もガラガラでした。「ホリデー快速ビューやまなし」 グリーン券その時のグリーン券。相模湖駅は無人で、初めて指定券販売機を使ったように記憶しています。平成21年3月28日 新宿駅にて下車後、写真を撮りに行きましたが、既にマークは「回送」になっちゃってました。平成23年10月29日 新宿駅にて小田急のロマンスカーを撮りに行った際、新宿駅に着いたら発車待ちの「ホリデー快速ビューやまなし」を偶然に撮っていました。最後に撮影して既に10年近くも経ってしまっています。この時には215系が無くなるなんて予想も付かなかったのですが、そんなにも時間が経過していたとは・・・。令和3年の春臨の設定から消えてしまった「ホリデー快速ビューやまなし」。そのまま廃車となり、復活することはありませんでした。
2023.09.18
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485系:勝田区 K40編成※本記事は、2013-01-19に投稿したもので、当時の表現になっています。勝田車両センターには、波動用の485系として6両編成のK60と4両編成のK40編成が配置されていましたが、平成25年1月16日、K40編成が郡山車両センターへ帰らぬ旅へと旅立ってしまったようです。K60編成は定期的に設定される臨時列車や団体列車等にも多用されていましたが、K40編成は比較的に利用頻度は低かったように思います。K60編成の運用が平成24年12月度から無くなってしまったことは知っていましたが、K40編成はこの時期も訓練運転?目的で上野駅へ姿を現していたようです。そんなこともあって、K60編成よりも先に廃車なってしまうとは予想していませんでした。平成19年8月9日 勝田駅にて先頭車の一方(クロハ481-1501)は、サロを先頭化改造したクハをさらに「あいづライナー」用としてさらに半室グリーン車に改造した車両で、485系でありながら運転席上のヘッドライトが無い、円形の固定型フォンカバーを装備するなど、かなり違和感のある表情が特徴でした。常磐線がホームグランドのため、なかなかこの車両に接する機会が無く、過去写真を探しましたがこの写真しか見つかりませんでした。平成12年2月5日 旧中山駅跡にて 特急「ビバあいづ」 旧中山宿通過特急「ビバあいづ」で活躍を開始したころの485系。塗装こそはまるで違いますが、基本的なスタイルはほとんど変わっていません。この時代は6両編成で、インビテーションカーというフリースペース車両を組んでいましたが、車内復元で元に戻り、平成14年に磐越西線から撤退し、勝田区の波動用として移動しました。その際に4両編成化されています。残るK60編成も運用はまったく設定されておらず、同じ道を辿る可能性が高いと思われますが、貴重な1500番台を含め、485系そのものが消滅する日も目前に迫ってきたようです。
2023.09.17
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JR東日本 鶴見駅:鶴見線乗換口発行 区間変更券本記事は、2022-02-11に投稿したもので、当時の表現になっています。京浜東北線鶴見駅は、川崎市の臨海部にある工場を結ぶ鶴見線の分岐駅となっています。鶴見線内がすべて無人駅であることから、鶴見駅に乗り換え改札を設けて検札の役割を担っています。しかし、この乗り換え口の改札(改札機)が、なんと令和4年2月末日をもって撤去されるというニュースが入ってきました。鶴見線には過去に何度も行ったことがありますが、浜川崎視線側からアプローチすることが多かったためか、あまり中間改札の印象が残っていません。ただ、1度だけ乗越し精算をしつつ乗車したことがあり、その乗車券も出さずにいたことから、手元に残っていました。平成14年5月5日発行 区変 新宿→450円区間新宿までの定期券でそのまま乗越し、鶴見線へ撮影に行ったときに実際に購入・使用したものです。イオカードで支払っているため、懐かしい■イの記号が表示されています。※図示しませんが、裏面は茶色の磁気となっています。この区間変更乗車券は券売機券と同じような様式ですが、確か精算(改札)窓口で定期券を見せ、着駅を申告して発行してもらったように曖昧ながら記憶しています。鶴見線内にSuica改札機が設置されていたのを見ましたが、確かこの鶴見線の連絡改札には改札機すら無かったように記憶しています。この乗車券にも改札機を通したパンチがないので、窓口氏からこの乗車券を受け取ってホームに入って行ったという記憶で間違ってないと思うんですけどね。発行個所の「鶴見駅」の横になにやらカッコ書きのようなものがあるのですが、さすがに年数が経過しているために消えかかって読み取れません。乗り換え改札発行はこの辺りで区別できたのではないかと思われるのですが・・・残念です。
2023.09.16
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14系客車+オニ50:「HITACHI80周年記念号」平成2年8月夏休み、上越線で「HITACHI80周年記念号」という列車が運転されました。種別は団体扱いであったと記憶しています。※運転日は、平成2年8月20~31日。(24・28日を除く。)運転区間は、上野~水上間。ただし、復路の高崎→上野間は回送。26日は高崎~水上間の運転。往路は、高崎~水上間をD51498が牽引(EF6019後補機付き)、復路は水上~高崎間をEF551が牽引するという、イベント色の非常に強い列車でした。ちなみに、上野~高崎間は、往復ともEF5861が牽引しています。このうち、1往復のみ撮影に出掛けたようです。※撮影は、平成2年8月26日です。敷島~津久田間にて D51498牽引 下り「HITACHI80周年記念号」煙を求めた結果、編成が全然分からない残念な写真になってしまいました。D51498を先頭に、14系客車7両+オニ50客車2両、さらに補機としてEF6019(やすらぎ色)で編成されています。群馬総社~八木原間にて 上り「HITACHI80周年記念号」モノクロプリントが硬調で見苦しい点はご勘弁を。復路は人気沸騰中のEF551が牽引しました。しかし、こちらの写真も正面過ぎて、編成の状況が分かりません。9両という長い編成ですが、下り勾配のみなので、珍しく単機牽引のようです。SL牽引列車としては、主に12系客車や旧型客車があり、時折ジョイフルトレインを牽くことはありました。しかし、14系客車というのは当時としても余剰が無くなって来ていたと思いますので、非常に珍しかったと思います。この辺りをきちんと捉えていなかったのは完全に失敗でした。さらに注目すべき点は、50系客車オハ50改造のオニ50を2両を連結していたことです。オニ50は、1988年7月4日(アメリカ独立記念日)から1年間にわたって日本各地を巡回した特別仕立ての列車「アメリカントレイン」で、特別塗装を施したEF6019と大量余剰になっていた50系(オハフ50×2両とオハ50×8両)を改造したものの中間車です。「アメリカントレイン」の運転終了後、車齢の浅い50系の去就が注目されましたが、当時では製造後10年程度の50系を廃車してしまうほど急速に客車列車の淘汰が始まっており、その中でもブルトレ色にリニューアル使用されたこのオニ50には注目が集まったものです。※一部の車両は「ノスタルジックビュートレイン」に再改造されたものもあります。しかし、このオニ50も殆ど活躍する機会も無く廃車になってしまったようです。ブルトレ色として奇跡のリニューアルを果たしたオニ502308と2312の2両。最後の引きの写真を撮っていて辛うじて記録らしくできました。編成端に車掌弁も後部標識もを持たない車両を組成するなど怪しい編成となりましたが、上越線ではこれ以上の珍編成は出現しそうにもありません。
2023.09.15
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国鉄旧型電機 EF15199(立川機関区)EF15シリーズ、今回は最終期の199号機です。昭和55年11月2日 南武線 尻手駅にて過去ログ『チキ80000形 コンテナ積載貨車 長物車』でご紹介しました再掲写真となりますが、最後期型の199号機が牽引する、南武線の貨物列車です。最後期のEF15は、側面採光窓の中3つが白Hゴム化されているのが外観上の特徴になります。この頃は、未だ殆どの南武線貨物列車が青梅線からのスルーでED16が牽引していましたので、EF13亡き後の後継機であるEF15を撮影する機会と言うのも殆どなく、自分としてもこの1枚だけでした。この写真を撮った後、半年後には廃車になってしまったようです。199号機昭和33年11月21日 東洋電機+汽車会社製 米原機関区昭和56年 5月16日 廃車 八王子機関区
2023.09.14
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ED75重連牽引:12系お座敷客車「江戸」ジョイフルトレインと言うのは昔からあまり好んで撮影した訳ではありませんが、地方に撮影に行った際は、なかなか逢うことができない列車として記録しないわけには行かない、と思うことも多々あります。まして、客車列車となれば、首都圏では見られない機関車が牽引しますので、尚更と言えます。平成2年7月1日 矢吹~泉崎間にて ED75706ほか重連 12系「江戸」板谷峠の撮影の帰り道、東北本線の貨物列車などを撮影するために立ち寄った時に捕捉したものです。12系お座敷客車「江戸」は、スロ81系お座敷客車の後継車として誕生しました。EF58の撤退と共に、暖房装置のいらない12系の改造により誕生しました。折からのバブル期も手伝って、欧風客車やお座敷客車が次々と誕生した時代で、後期のものは車端に展望室を配したものが多く生まれています。写真は、ED75の貨物列車を撮るために構えていたら偶然来たもので、しかも、重連が組まれていて非常にラッキーでした。昔の東北本線では700番台と言うのは全く見られなかったのですが、JR化されると初期車に廃車が生じるようになり、貨物合理化による余剰車大量発生も手伝い、700番台も東北本線の運用に入るようになったようです。
2023.09.13
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キハ181系:特急「おき」(その1)特急「おき」は、山口線小郡駅(現新山口駅)~米子・鳥取を結ぶ列車で、昭和50年3月、新幹線博多開業の際にアクセス特急として誕生しています。元々の特急「おき」は、新大阪~(伯備線経由)~出雲市を結ぶ、現在で言うところの「やくも」の列車の前身となる列車で、キハ181系が使用されていました。この時代の特急「おき」は、新幹線岡山開業によって岡山~出雲市間の「やくも」として継承され、特急「おき」はしばらくの間、不在の名称となっていました。昭和50年3月に別経路で名称が復活しますが、当初はキハ82系によって運転されており、翌年の昭和51年10月、特急「つばさ」の電車化によって捻出されたキハ181系を利用し、置き換えが行われています。山口線へは一時期SL「やまぐち」号を撮りに通いましたが、この際、図らずも特急「おき」の写真を撮っておりましたので、2回に分けてご紹介したいと思います。今回は5~8月くらいの夏場に撮影したものを集めてみました。昭和55年8月 揖屋~荒島間にて昭和55年8月 出雲市駅にてこちらはまだSL写真を始める前、キハ181系「やくも」が電車化されるということで、北海道以外では初めての山陰本線方面へ長距離旅行をした時のものです。この頃は6両編成で、グリーン車も連結されていました。昭和58年5月15日 仁保~篠目間にて昭和58年5月15日 篠目~仁保間にて昭和59年8月18日 仁保~宮野間にて昭和59年8月18日 撮影場所忘れたすべてSL「やまぐち」の待ち時間の待ち時間に撮影したものです。昭和57年7月、多客期を除きグリーン車の連結が廃止になってしまったと言うことで、写真の編成も5両編成となり、車掌室を設備したキハ181-100番台を連結しています。いずれもヘッドマークがイラスト化される前、編成が短いと言えども特急列車らしい時代でした。
2023.09.12
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DD51牽引50系客車:男鹿線 普通列車男鹿線は、秋田県男鹿半島男鹿駅と奥羽本線追分駅を結ぶローカル線です。区間の短いローカル線であり、日中は単行列車でも足りる線ですが、朝の通勤通学時間帯にはそれなりの需要があるらしく、長い編成の客車列車が走っていました。このような路線は、当時としては全国的にも良く見られたものです。平成4年8月19日 男鹿線にて男鹿線を行く客車列車です。北上線を走る20系臨時急行「おが」や奥羽本線の特急列車などを撮影した際に寄り道して撮ったものです。朝の2往復に客車編成が存置されており、1本は4両編成、もう1本は8両編成でした。時間の都合だったのか、8両編成の列車の1本だけを撮影していました。平成になってもまだ客車列車が残っていたんですね。まさか定期客車列車が絶滅するとは思いませんでした。
2023.09.11
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115系:身延線 ワインレッド色昭和56年、旧型国電にそろそろ全廃の足音が迫ってきた頃、先行で廃車となったサハ45を含む編成に変わって登場した、身延線専用の115系が走り始めました。この時点ではまだ2編成くらいしか運用に就いていなかったようで、撮影中もあまり見ることはありませんでしたし、元々新型車なんて撮る気も無かったのですが、1枚だけリバーサルのコマがありました。昭和56年7月2日 身延線 鰍沢口~落居間にて甲府を基点とする身延線らしく、車体はワインレッドを身にまとい、白帯は富士山の雪をイメージしたものでしょうか、山梨・静岡それぞれの地域を反映したカラーとなっています。導入当初は クモハ+モハ+クハ+クハ で、クハは背中合わせに連結するという珍しい組成が組まれました。これは、無人駅の多い身延線で車掌が集改札をしやすいように、編成中間に乗務員室を設ける措置だったと聞いています。その後、全国的な短編成化に伴うクハ捻出のため、中間のクハが抜かれて3両編成化されてしまいました。モハ114はパンタつきの車両ですが、トンネル断面の極端に低い同線を走らせるため、折り畳み高の低いパンタグラフを採用するとともに、パンタ部だけ少し低くした2600番代という新しい区分番代が発生しています。外観からは殆ど判らないんですが。同時に身延線専用のクモユニ143のワインレッドカラーが導入され、身延線で活躍するとともに、荷物扱い終了後は首都圏にも顔を見せ人気を博しました。これに比べると、115系のワインレッドカラーは比較的短い期間で標準化され、地味なうちに消滅してしまいました。
2023.09.10
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485系K編成:「ホームライナー鴻巣」平成22年3月のダイヤ改正。急行「能登」が臨時化されると同時に489系が運用を離脱し、間合運用で489系を使用していた「ホームライナー鴻巣」も臨時急行「能登」と同様に新潟の485系K編成が使用されるようになりました。平成22年6月3日 485系K2編成 「ホームライナー鴻巣3号」平成22年10月25日 485系K2編成 「ホームライナー鴻巣3号」平成23年6月28日 485系K1編成 「ホームライナー鴻巣3号」上野駅で出発時間が18時40分と遅いので、夏至の頃でないと普通の撮影は出来ません。画像からお判りかと思いますが、6月でやっと明るさが残っている程度、それ以外はかなり暗闇状態です。もちろん、走行写真も夏至の都内が精一杯というところでしょうか。同列車には、変化としてT18編成が入ることもありましたが、平日ですと仕事中の時間ですし、確率的にもかなり低く、ご対面も実現しませんでした。新潟のT編成3000番台も可能性としてはあったわけですが、私が知るところでは実現していないのではないかと思います。平成24年3月のダイヤ改正で、「ホームライナー鴻巣3号」及び「ホームライナー古河3号」が185系OM編成に持ち替えとなることが発表されました。これで交直流車両を使用したホームライナーが上野口から姿を消すことになります。
2023.09.09
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EF641051牽引:迂回 特急「カシオペア」東日本大震災に見舞われた平成23年、台風が日本列島を直撃、東北地方は大雨による災害がもたらされました。複数個所で被災したため全面復旧に時間が掛かりました。当時の様子から「北斗星」は運休?しかし、「カシオペア」はなんと上越・羽越線経由で運転されることになりました。このパターンでは過去EF81が充当されていましたが、この時は上野~長岡間がEF64での牽引となり、沿線を賑わいさせました。平成23年9月23日 EF641051牽引 迂回9009レ 「カシオペア」平成23年9月25日 EF641051牽引 迂回9010レ 「カシオペア」平成23年9月25日 EF641051牽引 迂回9009レ 「カシオペア」当時の詳細な記録をしていなかったのですが、休みに掛かっていた部分のみ撮影していたようです。牽引機はすべてEF641051号機でした。その後は「カシオペアクルーズ」や長野行きでEF64が牽引する機会がありましたが、通常運転でEF64が牽引に当たったのはこの時限りであったと思われます。
2023.09.08
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旧型国電 70系:両毛線(クハ77)70系電車は、言わずと知れた横須賀線用の電車として登場しました。関東では両毛線が唯一見ることができた路線であり、基本は4連の整った編成で運転されており、これに2両もクモハ41+クハ55を増結した6連運用もあったようです。私が初めて訪問したときには既に115系1000番台による置き換えが始まっており、40系は運用を離脱し、途中駅で留置されているシーンを見ました。そんな両毛線では両端クハ76が一般的でしたが、70系導入に際しては当時余剰となっていたサロ85に中ドアを増設しさらに運転台を設けたクハ77も配属となっていました。今回は、両毛線70系のうちクハ77の写真をご紹介いたします。昭和53年夏 小山駅にて昭和53年夏 撮影地不明途中駅でEF12牽引の貨物列車を発見し、下車した駅です。途中コマに東武佐野線の写真が写っていたので、佐野駅の可能性が高いです。この写真は側面がちゃんと写っているので、構図的には良くありませんが、同車の特徴を良く映し出しています。写真の車両は、側窓の桟が見えないところをみると、クハ77006と思われます。クハ77006は、6両存在したクハ77の中では唯一サロ85最終期形からの改造車で、側窓がやや大きく、1段下降式の構造となっており、大変スッキリしたサイドビューとなっています。また、写真はホームとなっているため見えませんが、クハ77の中で唯一TR48A台車を履いていた車両です。昭和53年夏 高崎駅にてこの写真のみRICOHFLEXで撮影したもので、同じ時に撮影したものかどうか区別が付きません。風景から高崎駅で間違いないと思います。未だ旧型国電に興味を持っていない年齢でしたが、車両の由来や改造の経緯なども判らないまま、初めて見たときから非常に興味を持った車両でした。しかし、行動力が未だ無かった頃でもありますので、撮影できたのはこの2回だけしかなかったのが非常に残念です。「クハ77」うんちくメモクハ77000 ← サロ85006 TR45台車クハ77001 ← サロ85011 TR45台車クハ77002 ← サロ85012 TR45台車クハ77003 ← サロ85020 TR45台車クハ77004 ← サロ85024 TR45台車(005欠番)クハ77006 ← サロ85030 TR48A台車改造は、昭和43年9月前後。
2023.09.07
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115系3000番台:瀬戸内色誕生当初関東在住の身からすれば全くと言って良いほど縁の無い車両、115系3000番台。当時は客車列車の淘汰が大幅に進み、直流区間の普通列車といえば113系と115系ばかりと言ったところ。そんな中誕生した115系3000番台は、115系でありながら117系と同様の接客スタイルを持った変り種として異色の存在だったと思います。昭和57年10月4日 徳山駅? クハ115-3104山口線のSL撮影行に際し、当時未だ残っていた可部線の73系を撮影し、小郡へ向かって移動している時に初めて出逢った115系3000番台です。まだ製造元から回送されてきたばかりのようで、車体・足回りはもちろんピカピカ。窓のカーテンも全て下ろされていることから、私たちが見つける寸前に着いたばかりという感じですね。この編成を運転してきたと思われる運転士さんたちも興味深げに車輌を見ている様子が写っています。塗装も省略化の方向が強くなった頃で、ブルーのラインもおそらくテープだったのではないでしょうか。これがのちに115系の一般型まで及び、いつの間にか瀬戸内色と呼ばれるようになったようです。昭和57年11月28日 小郡駅(現新山口駅)にて モハ111系との混成これもやはり山口線を撮りに行った際に撮影したもの。フリークエンシーの実施により、クハ+モハ+モハ+モハ+モハ+クハの6両編成が基本であった同地区の111系を、クハ+モハ+モハ+クハ×2として編成を増やすため、6両編成から中間車のモハ+モハを抜き、ここに新製クハ115-3000を両端に足して誕生した編成です。殆どのモハユニットが111系非冷房車であることから、クハ115-3000も冷房準備車としてクーラーを搭載していませんでした。ですので、新車の割には冷房すらない、さらには湘南色との混成と、非常にインパクトがありました。普段は通勤車など殆ど撮ることは無かったですが、塗装としても115系にしては珍しかったですし、何よりも2ドア車と言うのはインパクトがありましたね。さらには私的に目の無い混色編成というのは美味しかったと思います。その後全車が冷房化され、中間車の111系も全廃となり、転配で115系や117系のユニットを組み、塗装が変わってしまったものもあります。ピッカピカの誕生時に逢った彼らも既に老兵と言われる年代になってしまいました。写真では幼いままの彼等を今こうして見ていると、年月の流れの速さを感じます。
2023.09.06
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489系金沢車:団体列車「489系特急とき」2010年3月14日、急行「能登」の上りラストランが上野駅に到着しましたが、この編成の金沢への回送を兼ねた団体列車が設定されました。しかし、その列車名は「能登」や「はくたか」、或いは「白山」などの489系使用の名列車ではなく、なんと新潟特急の「とき」でした。団体列車「489系特急とき」平成22年3月14日 上野7:28発 → 新潟13:10着 9015Mいつもの場所は案の定テツだらけなので、光線状態も悪い時間帯でもあることですし、今回は誰も撮らないようないつもの場所?で、逆向きに構えてみました。ド逆光で後追いアングルを優先としたため、ガードレール上から無理な体勢であることでもありますし、焦点距離を変えずに撮れる逆光ドアップにしました。いわゆる捨てアングルだったのですが・・・。失敗しました。先頭はなんとモノホンのヘッドマークを付けていました。もちろん、それを期待していたのですが、本当にやっちゃいましたね。そして、こちらはメインアングルにした後追いです。先頭が文字マークだったので、後はイラストマークかと思ったんですが、予想に反してこちらも文字マークでした。「ヤッター!」と思ったのも束の間、ファインダーの残像に違和感があったのでモニタで見直したところ・・・「?」!これ、完全なニセモノ!多分、「能登」のヘッドマークの上から「ホームライナー」の板を噛ませ、さらにホームベース型の文字マークシールを貼ってあります・・・orz元々489系「とき」の、しかもボンネットなんてありえないと思っていたわけですし、企画そのものに違和感がありました。しかし、今回改めて見ると、シールは不自然でいただけないですが、先頭のモノホンマークは絶妙に似合っている、というか、板に付いて見えますね。元々のトータルデザインに共通性があったことは事実ですが、なかなかカッコイイ!じゃないですか。この列車は、団体企画の立案者、回送列車を団体列車に仕立て実行したJR東日本、車両をそのまま活かすことに同意したJR西日本の三位一体となった、見事な連携企画となったわけですね。これを「白山」とか「はくたか」などの安易なモノとせず、181系のマークまで調達して「とき」とした企画力は賞賛に値します。
2023.09.05
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207系900番台:常磐緩行線常磐緩行線を語る上で欠かすことができない存在であった207系900番台。国鉄最末期の昭和61年に製造された国鉄初となるVVVFの新製車で、203系との性能比較を兼ねて常磐緩行線・千代田線用として1編成のみ導入されたレア車両です。不足編成の補充を兼ねた導入の中で、当初から若干の問題を抱え、さらに製造コストが高かったことから実用化されないまま試作編成の900番台1編成のみで製造を終了してしまいました。JRになってから西日本に207系が導入されましたが、こちらは全くの別物。900番台のみで終わってしまった国鉄207系は、JR西日本から見たときに空き形式と認識されてしまったのでしょうか?平成20年4月12日 金町駅にてそれまで撮影したことがなかった207系900番台。置換えの話が出て本気で狙いに行って捕獲しました。当時は運用サイトなど知る由もなく、偶然に頼るしかありませんでしたが、比較的に労せずキャッチできたものです。行先もレアな柏行き!平成20年4月12日 新松戸駅にて柏行きの下りがキャッチできたので、上りも直ぐに帰って来ると踏んで新松戸まで迎撃に行きました。これで一応満足してしまったか、この後は撮影機会に恵まれず。約1年半後、早くも引退を迎えてしまいます。平成21年12月5日(以下、同日) 松戸車両センターからの出庫最終運転は団体列車として仕立てた「ありがとう207系900番台」。レアな「団体」表示は見易い字幕。それにしても、貫通扉が無かったら埼京線205系そのものといった印象です。出区した207系900番台はゆっくりと松戸駅へ向かいますが、手前の線路でカブられているうちにかなり遠くまで行ってしまいました。北松戸~松戸間にて撮影場所を良く知らないうえ、折り返しまでそれほど時間もなかったので、松戸駅の反対方向へ。行き着いた先は駅にほど近いお寺の駐車場でした。撮影アングルを選んでいたら、ちょうどご住職が顔を出されて話しかけられました。事情を説明すると快く場所を貸してくださり、安心して撮影することができました。まあ、結局はまたバックをカブられてしまいましたけど。1編成しかないにもかかわらず、予期せず3回くらいは乗車の機会があった縁ある車両。しかし、写真に収めることができたのは都合2回のみであり、ちょっと心残りがありましたが、比較的に枚数を残せて良かったと思います。今やコスト計算を先に検討することが当たり前となった世の中ですから、このような900番代のレアな編成というのは出辛いかもしれません。
2023.09.04
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EF65500番台牽引:寝台特急「みずほ」「みずほ」は、不定期の夜行特急列車として旧型客車で設定されました。その後定期列車に格上げとなり、さらに20系寝台車化されています。当初は東京~熊本・大分を結んでおりましたが、東京~大分間が独立し「富士」となったため、東京~熊本間を結ぶ寝台特急としての活躍が始まります。その後しばらくは東京~熊本間を結ぶ寝台特急として運転されていましたが、昭和50年3月ダイヤ改正において「はやぶさ」の長崎行きを引き継ぎ、東京~熊本・長崎間の多層建て列車に変わりました。「みずほ」も他の九州特急と同様に、EF58、EF60500番台と牽引機が移り変わり、そしてこのEF65500番台が東海道ブルトレのエースとして牽引することになりました。昭和52年 東京駅にて EF65527東京駅での機回しのシーン。ホームの無い11番線を通って機回しを行います。ヘッドマークが下り方に付いていますので、夕方のシーンですね。昭和52年 東京駅にて EF65529こちらは12番線で発車を待つ下り「みずほ」。隣の10番線には地上時代の横須賀線が並びます。昭和52年3月30日 名古屋駅にて EF65529こちらは名古屋駅での上り「みずほ」。ヘッドマークが金の瑞穂をベースとしたものであることが判ります。昭和52年8月頃14系寝台客車14両編成を使用した「みずほ」。昭和50年3月改正までは全編成が東京~熊本となっており、分割を得意とする同形式にとってはあまり意味のない運用となっていましたが、同改正から「はやぶさ」との長崎回転編成の持ち替えにより、本来の威力を発揮することになりました。昭和53年8月 東京駅にて EF65531東京駅に到着した上り「みずほ」。このころからEF65PFが徐々に運用に入るようになって来ました。それまで在来線ホームであった14・15番線を潰し、新幹線ホーム化する工事が行われています。0系新幹線も懐かしい。昭和53年8月5日 真鶴~根府川間にて EF65500(番号不明)当時は余り撮ることの無かった走行シーン。中学時代、同級生との初めて訪れた根府川鉄橋でした。昭和53年9月 田町駅にて EF65529初めて手にしたズームレンズ。性能が悪い上にテレプラスを付けてしまったからたまりません。勿体無い写真に・・・。この後は完全にPFへと移行され、憧れのP型は一線を退いて貨物用へと転換されることになります。
2023.09.03
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同和鉱業 小坂鉄道:キハ2100同和鉱業小坂鉄道は、貨物輸送を主体とする路線であり、細々と旅客営業を行っておりましたが、平成元年に小坂製錬(株)となり、平成6年9月30日をもって旅客営業が廃止されてしまいました。その後同鉄道には訪れておりませんので、この1枚が最初で最後のカットとなりました。昭和61年9月9日撮影運転免許を取って初めて東北地方へ遠征したとき、日本海縦貫(羽越・奥羽線)や南部縦貫鉄道の写真を撮ってきたのですが、行程の途中で「同和鉱業小坂鉄道」の線路の近くを走っていたので、列車の来るタイミングを見て、来そうだったので待っていた次第です。同鉄道が貨物運用中心であることやどのような気動車・機関車が走っているのかも知っていましたし、当初は予定もしていなかったので、何となく撮った形になってしまいました。この旅行の時の撮影地の記録が見つかり、かなりの部分で撮影地が判明したのですが、同和鉱業小坂鉄道だけはメモがなく、結局どのあたりで撮ったのか、判明しませんでした。同線は、平成20年に列車による濃硫酸の出荷が終了し、翌平成21年3月31日をもって鉄道線が廃止となっています。[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 8744 私有 タキ29300形貨車(後期型・同和鉱業・黒)送料無料◆98783 TOMIX トミックス 私有 タキ29300形 貨車 (後期型・同和鉱業) セット (8両) Nゲージ 鉄道模型(ZN96885)トミックス Nゲージ 小坂鉄道 DD130形 鉄道模型 8606
2023.09.02
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EF6437牽引:寝台特急「あけぼの」平成21年3月ダイヤ改正。それまで青森区のEF81が牽引してきた寝台特急「あけぼの」ですが、本改正からなんと牽引機がEF64に変更されることになりました。これは、青森区の双頭連結器を装備したEF81の回しが厳しいことが起因していたようですが、元来勾配抑速ブレーキを装備しないEF81を上越線に運用すること自体に無理があったと考えるのが自然で、EF64の登板と言うのが妥当であると思われます。しかし、209系の廃車回送などで長岡区のEF641000番台自体も回しが厳しかったようで、「あけぼの」の運用持ち替えに備え、高崎区のEF64のうち2両を長岡区に転出させることで対応することとなりました。しかも、高崎区では1001号機以外が全て一般番台車であったことから、その注目度は非常に高く、標準塗装の38号機はともかく、茶色のイベント塗装であった37号機もそのまま運用に入ることになりました。平成21年4月12日平成21年5月2日平成21年7月20日平成21年7月26日平成21年8月16日平成22年2月14日平成22年3月13日改正初牽引は1000番台となり、順次0番台も運用に入りました。原則、「あけぼの」は0番台が当番となっていたようですが、38号機に不具合があったようで、1000番台が牽引することも少なくありませんでした。茶色のカマはブルトレには不自然な塗装ですが、ナンバーが見やすく、また、反射率の関係かヘッドマークも良く映え、なかなか良いイメージでした。しかし、このシチュエーションも僅か1年、寝台特急「北陸」の廃止とともに解消されています。[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-881 24系寝台特急「日本海」 6両基本セット[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-882 24系寝台特急「日本海」 5両増結セット
2023.09.01
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