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651系:特急「スーパーひたち」651系は、JR化移行後間もない昭和63年から平成4年にかけて製造された常磐線特急「スーパーひたち」用の特急車両です。現在では当たり前となっている在来線の130km/h運転ですが、当時としては初めて130km/hの定期運転を実施可能とした車両でした。※車両性能としては、783系特急型電車の方が先。営業運転開始時は651系の方が先になった。平成元年3月12日 大甕~勝田間にて 特急「スーパーひたち」まだ485系が多く設定されていた頃。デジタルカメラなどと言うものもまだなく、ネガやリバーサルで撮影していました。登場したばかりの当時としては異端的なデザインに拒絶反応はありましたが、物珍しさから撮影だけはしてありました。平成元年5月5日 荒川沖~土浦間にて 特急「スーパーひたち」直線区間をヨコ波打って走る485系や583系と比較し、最高速度を10km/h上回る651系は、まるで何事もないようにスムーズに走る抜ける姿は、今でも印象に焼きついています。平成19年1月12日 藤代~取手間にて 特急「スーパーひたち」415系とE501系の上野口終焉の際に撮影したもの。鹿島鉄道からの帰り道に立ち寄ったデッドセクション。もう5年が経ってしまいました。平成20年8月9日 佐和~東海間にて 特急「スーパーひたち15号」平成20年8月9日 佐和~東海間にて 特急「スーパーひたち19号」平成20年8月9日 東海~佐和間にて 特急「スーパーひたち26号」平成20年8月9日 東海~佐和間にて 特急「スーパーひたち30号」Fe4の撮影会で。強風と激しい砂埃、日差しにひどい目にあいました。平成21年4月26日 東海~大甕間にて 特急「スーパーひたち23号」娘の水泳大会の合間。抜け出して撮影しに行った場所は、偶然にも日立電鉄の廃線跡近く。4両編成の「スーパーひたち」は滑稽でした。平成21年12月5日 新松戸駅にて 特急「スーパーひたち11号」207系900番代を狙いに行ったときに撮ったもの。大先輩の東京メトロ6000系は今でも海外で走っています。平成23年6月16日 上野~鶯谷間にて 特急「スーパーひたち11号」仕事現場での集合時間前に撮ることができた上野出発直後のシーン。発車直後だと号数がまだ表示されているんですね。平成25年3月10日 日暮里駅付近にて 「スーパーひたち3号」最後の記録を、として常磐線の撮影に出掛けました。早朝の日暮里駅で、ついでの撮影でしたが、あまり良い場所ではありませんでしたね。しかも、後部はマークの掲出がないという・・・。平成25年3月10日 (臨)偕楽園駅にて 「スーパーひたち27号」駅に降りてどうしようか考えていたら、私らの乗った電車の後を追い掛けてきたようで。おかげで数少ないチャンスを逃してしまいました。平成25年3月10日 内原~赤塚間にて 「スーパーひたち26号」651系は廃車になることは無く、東日本各地において留置されてました。この時点では次の活用方法が発表されておらず、どのような途を辿るのか憶測が飛び交いましたが、まさか交流機器を解除して上越線に回されるとは思いませんでした。いわき~仙台間の新設特急への活用も用意されていたようですが、東日本大震災による原発事故により、その活用方法も無きものになってしまいました。新たな活路で1000番台として生き永らえた651系でしたが、令和5年3月のダイヤ改正をもって終止符が打たれました。
2023.03.31
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185系大宮車:日光集約臨今回は、185系を使用した修学旅行臨、いわゆる集約臨のまとめです。修学旅行は休み期間を外した平日に運転されることが多いため、撮影機会も限られてきます。たまたま休日に設定されていたものを捉える機会があるかどうか。さらに、集約臨でも「団体」「臨時」といったヘッドマークを掲出したりすることもあるので、あまり捉える機会はありませんでした。平成25年9月14日 185系C3編成ほか10連 9584M 日光集約臨まだ189系元チタ編成から置き換わったばかりの頃。グリーン車を外した6連、4連が誕生し、日光へは有効長の関係で、6+4の10連が多用されました。まだ塗装変更も実施されていない頃です。平成25年9月23日 185系B2編成 9583M 日光集約臨背後から襲われて撮り損なった集約臨。拡大してみるとB2編成の札が掛かっていました。画像を見るとパンタグラフの位置関係から既に8連化されているようで、この姿での集約臨は非常に短い期間だったようでした。平成26年9月13日 185系B2編成 9584M 日光集約臨前の写真からちょうど1年後、B2編成は塗装が///に変更されました。平成30年5月27日 185系B7編成ほか10連上野東京ラインの開通により、集約臨も上野経由となるものが誕生しました。終焉となった平成30年、「修学旅行」幕をあまり撮影していなかったことを意識したため、敢えてこのシチュエーションを狙いに行ったのですが、見事に本線下りにカブられてしまい、後部を押さえたものです。この後185系は殆どの臨時設定からも撤退することになり、集約臨もE257系へと引き継がれましたが、令和2年から始まった新型コロナにより殆ど設定されなくなってしまいました。
2023.03.30
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国鉄・JR貨物:EF651050(EF652050)JR貨物で活躍していた最後の若番機であったEF652050ですが、令和3年3月11日の運用をもって離脱となったそうです。EF651050は、昭和47年に誕生したPF前期型でも最後期に属し、パンタグラフはPS17を搭載、運転席への扇風機の設置により前面通風孔が廃されたタイプとなっています。1050号機は他のPFよりも形態の変遷が多く、過去にそれなりのバリエーションを記録することができていた希少なカマでしいた。昭和56年11月頃 川口~西川口間にて国鉄時代に撮影したもので、下り貨物にDE10かDE11を連結しているようです。新製当初は下関機関区に配置されたようですが、昭和50年代にはすべてのPFが宇都宮運転所に集中配置されていました。昭和62年5月16日 蓮田~東大宮間にて 上り貨物列車民営化直後に撮影したもので、駅別扱いの貨物は消滅していたと思います。国鉄時代の昭和61年には緩急車の連結が廃止されていますが、この列車では次位にコキ10000、さらにヨ8000を連結しています。おそらくは検査のための配給回送を併結したものと考えられます。平成21年12月23日 西川口~蕨間にて 7071レ?20年以上が経過し、地元で撮影したもの。貨物色になって久しいですが、白プレートにPS17となっていました。平成23年8月14日 田端機関区にてパンタグラフが畳んで留置されているので判りづらいですが、パンタグラフがPS22Bに換装されています。平成24年5月12日 蕨駅付近にて 7070レ白プレでPS22の出で立ちが続いています。平成25年5月4日 蕨駅付近にて 配8593レ上の写真からちょうど1年後。番号が+1000とされたため、2050号機となっています。プレートが青(車体色と同じ)になっていました。ピンが合っていないようで見づらいですけど・・・。令和2年5月30日 西川口~蕨間にて 単配8593レ暫らく振りに再会した2050号機は、またもや白プレートになっています。PF初期型でありながら、途中でPS22化されてしまったことにより、後期型と区別が付きづらくなってしまったのは非常に勿体なかったですね。PS17のまま原色に戻ることになれば、かつての1041号機や1054号機のようにかなり人気が出たと思われ、このまま廃車になってしまうのは非常に残念なカマでした。
2023.03.29
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キハ183系:特急「北海」特急「北海」と言えば、山線経由の唯一の特急列車であり、使用車輌もキハ80系の時代が長かったため、キハ183系で運転されていた印象が少ないかもしれません。昭和54年度に製作されたキハ183系の試作車が、性能試験ののち昭和55年2月から特急「おおぞら」で隔日運転されるようになると、この良好な結果を受け量産車が続々誕生することとなります。ただし、計画両数がすべて揃うまで置換えを待つ方式は採らず、完成するごとに徐々にキハ80系を置き換えていったため、置換えの順序は大変複雑な状態になっています。この中で、量産当初は石勝線の開業により輸送に力を入れていた札幌~釧路間の「おおぞら」をまずキハ183系化し、次にキハ183系を導入したのがこの「北海」でした。「北海」は元来1往復のみの設定でありましたが、後に急行「ニセコ」のうち1往復を特急に格上げして2往復体制となり、キハ183系はこの分に充てられることとなったため、1日の中で80系と183系両方の「北海」を見ることができました。昭和58年9月6日 倶知安~小沢間にて キハ183系「北海2号」昭和58年9月7日 大沼~大沼公園間にて キハ183系「北海3号」この時の撮影では、運悪く「蝦夷梅雨」にあたってしまい、終始雨が止むことはありませんでした。曇天に弱いマミヤセコールレンズに加え、雨で撮影の足場探しも難しく、大変ネムい写真になっていますが、その辺りの事情をご考慮願います。なお、1枚目の写真はブログ向きの構図ではなかったため、思いっきりトリミングアップしています。また、3枚目の写真は、現地を知っておられる方はご承知と思いますが、画像処理により邪魔者を消しています。大幅に印象が異なりますが、その点もご了承願います。キハ82系:特急「北海」
2023.03.28
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キハ56系:急行「狩勝」「狩勝」は、札幌圏から釧路方面を根室本線で結ぶ急行列車でした。昭和55年当時ですが、急行「狩勝」はDCが3往復、客車夜行が1往復設定されていました。このうちDC急行は、札幌~釧路間を基本とし、下り夜と上り朝が帯広発着です。釧路発着の1・6号は富良野駅にて富良野線直通の普通列車を釧路間で併結しています。また、上り4号のみは根室~札幌を直通としていました。これは、急行「ニセコ」の上り1本が根室~函館に設定されていた頃からの名残で、札幌にて系統が分割されて「狩勝」となったものです。当時はまだ石勝線が完成していない時代ですので、根室本線への列車は全て滝川経由となっていました。特急「おおぞら」も3往復しか設定がありませんでしたので、夜行含めて4往復設定されていた急行「狩勝」は、全ての列車にグリーン車も連結された、重要な幹線優等列車でした。昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にてこちらはネガプリントからのスキャニング画像です。残念ながらブレてしまっていますが、キハ56形の213番ですね。キハ56系はキハ58系の北海道版で、外観は窓が1周り小さいのが特徴です。また、グリーン車のキロ26はキロ28形のような2連の大窓ではなく、さらに1周り小さい1席1個の窓が特徴となっており、キハを含めて全て2重窓となっています。キハ56形200番代は最終増備車で、パノラミックウィンドウにスカート付きが特徴です。さらに、写真では判りませんが、冷房準備工事車でクーラー搭載予定箇所にフタがしてありました。※最終的には、廃車となるまで冷房化されることはありませんでした。昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にて上の写真と同じ区間ですが、新得側からやや落合寄りの第1ターンとなる橋梁です。こちらは番号が不明ですが、初期型のキハ56を先頭とする「狩勝」。全てが小窓で判り難いのですが、前から5両目のフレームギリギリに写っているのがキロ26形グリーン車です。昭和56年3月 「狩勝」の愛称サボなんでこんなサボの写真をリバーサルフィルムで撮っていたのか疑問だったのですが、よくよく考えて見ると車体色がクリームと赤のツートンではありませんので、どう見てもキハ22に取り付けられたサボと言うことですね。「狩勝」には基本的にキハ22は使用されていなかったと思いますので、おそらく富良野線からの直通併結車両を目撃した際に撮影したのではないかと思われます。昭和56年3月11日 函館本線 白石~厚別間にて同区間を撮影場所を探しながら歩いていた際に撮影したものです。コレは列車を撮るために待っていたのではなく、前を歩いていた親子が大変絵になるスタイルだったのと、そこに偶然この列車が通り掛かったので思わずシャッターを切ったことを憶えています。なお、この写真、もしかしたら急行「大雪」かもしれないことをお含みおきください。※編成的には「狩勝」で間違いないと思いますが・・・。急行「狩勝」は、ご多聞に洩れず特急化の波に飲まれ、尚且つ石勝線の開業と言う一大プロジェクトのアオリもあって全て特急「おおぞら」に吸収・格上げされて消滅いたしました。辛うじて根室本線の快速として「狩勝」の名前が残っていましたが、そこには急行時代の優等列車としての面影は残っていませんでした。オハネフ12形:夜行急行「狩勝」(旧型客車時代)送料無料◆セット販売 98579/7428/7429 TOMIX トミックス 国鉄 キハ56-0系 急行ディーゼルカー (狩勝) セット(4両)+キハ56-0形 (T)+キハ27-0形 Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】送料無料◆98579 TOMIX トミックス 国鉄 キハ56-0系 急行ディーゼルカー (狩勝) セット(4両) Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 98579 国鉄 キハ56 0系急行ディーゼルカー(狩勝)セット(4両)
2023.03.27
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国鉄・JR貨物:EF651076(EF652076)EF65PFシリーズで、今回はJR貨物のEF651076(EF652076)です。1076号機は、昭和52年10月4日に落成した川崎重工・東洋電機製造製で、首都圏の旧型電機の置換え用として新鶴見機関区に配置され、終始新鶴見機関区で活躍したようです。平成23年6月11日 EF651076牽引 3050レ平成24年2月5日 EF651076牽引 遅2080レ令和元年11月2日 EF652076牽引 配8593レ平成24年度に2000番台化、2076号機となりました。国鉄色への復活が無かったということで、あまり撮影していなかったようです。2076号機は、令和5年3月15日、大宮車両所へ回送されました。
2023.03.26
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185系:特急「スワローあかぎ13号」 最終列車令和5年3月のダイヤ改正で651系が全面撤退することになり、さらに指定席の制度がすべての「あかぎ」で統一されたことにより「スワローあかぎ」の名称もここで無くなることになりました。今回は、651系の交代する前の185系時代の特急「スワローあかぎ」の 最終列車をご紹介したいと思います。※本記事は、2016-03-28に投稿したもので、当時の表現になっています。2016年ダイヤ改正、185系電車が首都圏北部の定期営業運用から撤退するとともに、新宿夜発のホームライナー的に残っていた特急「あかぎ」自体が廃止されてしまいました。残業時に新宿駅で何度も目撃しているものの、カメラを持ち歩かなかったので殆ど撮影することもありませんでした。運転最終日に最後の姿を記録出来ましたのでここにご紹介したいと思います。※撮影は、平成28年3月25日、新宿駅にて。特急「スワローあかぎ13号」最終列車。同列車の入線は早いため、既に撮影者が多数群がっていました。ホームが階段で狭くなっているので沢山居るように見えますが、ホーム総勢でも3~40人程度でしょうか?有名な列車の最後とは比較にならないほど、やはり地味な存在であることを実感します。「スワローあかぎ」は651系化後も残りますが、朝の上り列車のみとなりますので、この「前橋」のシチュエーションは消滅してしまいます。サロ185の表情。後部もそこそこの人だかり。発車15分度前になっても、乗客は殆ど現れません。この表情も今宵が最後。少数のファンに囲まれて出発を待つ「スワローあかぎ13号」。もしかしたら、乗客総数よりも撮影者の方が多いかもしれない。出発を見送らずに帰途につきましたが、埼京線が赤羽に到着すると同時に、目の前を颯爽と通過していきました。
2023.03.25
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185系:特急「スワローあかぎ2号」令和5年3月のダイヤ改正で651系が全面撤退することになり、さらに指定席の制度がすべての「あかぎ」で統一されたことにより「スワローあかぎ」の名称もここで無くなることになりました。今回は、651系の交代する前の185系時代の特急「スワローあかぎ」をご紹介したいと思います。※本記事は、2016-03-30に投稿したもので、当時の表現になっています。前回記事と順序が入れ代わってしまいましたが、やはり2016年ダイヤ改正で消滅する185系「あかぎ」です。前記事の「スワローあかぎ13号」と同じ新宿に顔を出す特急列車ですが、こちらは改正後も残存します。そこそこの乗車率があるためと見られますが、651系化に伴い、185系としては最後となります。平成26年5月16日 185系A8 「スワローあかぎ2号」平成26年7月23日 185系A3 「スワローあかぎ2号」平成26年8月20日 185系A8 「スワローあかぎ2号」平成26年9月17日 185系A5 「スワローあかぎ2号」平成27年12月29日 185系A3 「スワローあかぎ2号」平日のみの設定で、しかも”せっかくの有給に早起きはしたくない”意識が働いてしまうので、2年間の間にこれしか撮っていませんでした。さらに、最後の写真は1年以上も期間が開いてしまって・・・とてもチャンスを有効に捉えていたとは思えません。
2023.03.24
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キハ183系:特急「とかち」(新国鉄色時代)平成2年9月1日のダイヤ改正において、特急「おおぞら」増発分のうち札幌~帯広間運転の列車を特急「とかち」として名称を分離、5往復が誕生しています。石勝・根室本線のフリークエンシーの始まりですね。当時はまだJR色というのは発生しておらず、国鉄末期に導入されたN183系ことキハ183系500番台に合わせた塗装に塗り替えられた0番台車が多用されていました。特にグレードの高い500番台は「おおぞら」を中心に使用され、私の見た限りでは、「とかち」は0番台を中心に組成していたように思えます。スラントノーズの0番台を使用した特急「とかち」写真のように、ヘッドマークも絵柄イラストととなっており、現在のような抽象的デザインではありません。のどかな風景をあしらったヘッドマークは、まだ国鉄時代の意識を読み取ることができます。100番台を先頭にした特急「とかち」既に増発に伴う短編成化が実施されており、先頭化改造車も4両が誕生しています。国鉄色時代だったのはわずかな期間であり、同車もN183系と同じベースに塗装されています。翌年には第1期「スーパーとかち」化に向けた北海道特急初のJR塗装化が実施されており、ヘッドマークのデザインと合わせて、この塗色による特急「とかち」による活躍は、わずか1年にも満たない貴重な歴史の1ページとなってしまいました。※以上、撮影は平成2年9月5日、石勝線 楓(当時)~占冠間にて。景色を取り込んだ写真のため、画像は大~きくなるようにしてあります。また、プリントからのスキャンなので、ややシャープさに欠けます。平成3年7月10日 楓~占冠間にて キハ183系「とかち」そして、翌年である平成3年7月27日、「とかち」に2階建て合造車キサロハ182を連結した速達型特急「スーパーとかち」が誕生します。それまで旧国鉄色(オリジナル色)から新国鉄色(500番代塗装)へと変化していったキハ183系ですが、ここで初めてJR色が登場することになります。この新色は、現在のキハ183系「オホーツク」や旧「おおぞら」にも使用されメジャーとなったJR北海道塗装の奔りとなるものですが、良く見ていただくと前頭部分の塗分け(特にライト周辺)が異なり、印象がかなり違っています。また、「スーパーとかち」の車輌には前頭部側面にロゴが入るのですが、塗色変更は準備中でありながら、実際には運転日前で「スーパー」ではありませんので、まだロゴが入っていません。この後2週間後に控えたダイヤ改正では大きく変貌する「とかち」でしたが、改正前のホンのひと時、新色塗装、ロゴ無し、混結編成、キサロハ無しという、極めて異色な編成が走っていたのです。そして、キサロハを含んだ「スーパーとかち」が誕生しますが、平成21年10月の改正でキハ183系が撤退しまい、キハ283系を使用した第2期「スーパーとかち」へと移行することになります。
2023.03.23
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キハ183系:特急「おおとり」「おおとり」は、昭和39年10月1日、「おおぞら」に続く北海道2番目の特急列車として誕生、函館~網走を石北本線経由で結んでいました。※確か登場当初は釧路行きと併結され、一部が池北本線(後の池北線)経由で網走まで達していたと記憶していますが、文献が見つかりません。誕生から20年以上にわたってキハ80系が使用されており、昭和61年10月末にキハ183系に置き換わるまで、最後の食堂車連結気動車特急でもありました。1日1往復のみの体制は営業当初から廃止になるまで堅持され、「おおぞら」や「北斗」のように増発、編成増強されることはありませんでした。食堂車はキハ82系時代で消滅してしまいましたが、運転区間は函館~網走のまま、道内における最長ランナーとしての地位を誇っていました。62年12月13日 大沼駅構内にて昭和63年2月24日 石倉~野田生間にて新性能化を果たした特急「おおとり」でしたが、JR化によって活発化した千歳空港(札幌)を中心とするネットワーク化の煽りを受け、札幌での系統分割により昭和63年3月12日をもって愛称が廃止となってしまいました。道内では新性能化が最後になってしまったため、キハ183系での運転はわずか1年4か月間しかありませんでした。
2023.03.22
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キハ183系:特急「北斗」特急「北斗」は、函館~札幌間を室蘭本線・千歳線経由で結ぶ幹線特急です。永らくキハ80系で運転されていましたが、キハ80系全廃により183系化されています。登場当初、一時期キハ56系を使用したニセモノの「北斗」も走ったそうな。北海道では、キハ80系を最後まで使用していた特急は「おおとり」でしたが、これは定期特急の話で、臨時を含めるとこの「北斗」がフィナーレを飾っています。「北斗」にキハ183系が導入されたのは、「おおぞら」「北海」「オホーツク」に続く4番目で、昭和58年6月のことでした。気動車特急としては随一の幹線特急であるにも拘らず導入が遅れたのは、おそらく運転本数が多かったからではないかと思われます。その後、昭和61年には改良・貫通型の500番台が投入されますが、「おおぞら」への投入が優先され、何故かまたここで「北斗」は憂き目に逢ってしまいます。昭和62年12月13日 大沼~大沼公園むかしからの定番撮影地。これから駒ケ岳の裾野を回りこんで、森へと向かう。昭和62年12月13日 大沼~仁山間にて左の雪原は小沼。遥か遠くに駒ケ岳を望みながら、一路札幌を目指す「北斗」。昭和62年12月13日 大沼~仁山間にて大沼駅を通過し、複線区間を加速する「北斗」。国道5号線と平行して走る函館本線。これから一気に山を下りて、「北斗」は終点函館を目指す。昭和63年2月24日 石倉~野田生間にてキハ183500番台も「北斗」の運用に入るようになったようで、こちらは後部に500番台を連結した「北斗」。北海道らしい融通と言いますか、様々な車両を連結して編成する面白さがありました。逆に、キレイな編成というのがなかなか撮れなかったとも言えます。昭和63年2月24日 石倉~野田生間にて平成2年9月10日 崎守~黄金間にて キハ183-0 「北斗」平成2年9月10日 北舟岡~稀府間にて キハ183-0 「北斗」こちらは少し時代が変わり、平成になっています。「北斗」には優先的にハイデッカーのグリーン車が組まれるようになったようであり、編成に変化が付きました。平成2年9月10日 北舟岡~稀府間にて キハ183-500 「北斗」こちらは唯一夏らしい雰囲気で撮ることができた1枚。写真からのスキャンなんで、少し画像が甘くなってしまいましたが・・・。今でも活躍が続く特急「北斗」ですが、振り子式の新型気動車が導入され、主力にさらに磨きをかけています。が、残念ながら新性能化されてからは1度も渡道しておりません。
2023.03.21
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キハ183系:特急「おおぞら」北海道を代表する特急列車「おおぞら」。キハ82系の老朽化に伴い、キハ181系以来となる特急形気動車キハ183系が登場することとなり、過去ログ『キハ183系900番台:特急「おおぞら」試作車誕生~試用運転』でご紹介いたしました。約2年の試用ののち、実用化・量産化されることとなります。昭和58年9月7日 赤井川駅にて キハ183系 下り「おおぞら」量産車で組成されたキハ183系0番台の「おおぞら」です。2年程は900番台1編成で隔日運転されましたが、この頃になると何編成かの量産車が誕生しており、「おおぞら」3往復と「北海」1往復に使われるようになっていました。その後、量産車は次第に勢力を伸ばし、道内全部のキハ82系を置換え、さらに500番台の新造へと発展していくことになります。平成2年9月5日 石勝線 楓~新夕張にて平成2年9月5日 石勝線 楓~占冠にて国鉄最後の置き土産となったキハ183系500番台が使用されるようになった特急「おおぞら」。運転区間も函館~札幌間が「北斗」に分離され、札幌~釧路間のみとなりました。石勝線が開業してからは殆ど根室本線内での撮影経験が無いため、この新国鉄色のキハ183系を使用した「おおぞら」を捉えたのはこのときだけだったと記憶しています。平成2年9月5日 石勝線 楓~占冠にて先頭車が不足したために誕生した、キハ184の先頭車化改造であるキハ183-100番台を連結した「おおぞら」。計4両が改造され、短編成化に貢献しました。その後、キハ183系はすべての車両がJR色となり、さらには新鋭気動車の誕生により「スーパーおおぞら」化され、こんな車両たちの走る光景も過去帳入りとなりました。
2023.03.20
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キハ85系:特急「(ワイドビュー)ひだ」誕生以来、キハ80系で運転されて来た高山本線を走る特急「ひだ」。同系の老朽化により、JR東海は「ひだ」用としてキハ85系を導入しました。平成元年のことでした。この間、35年にわたって運転されて来たキハ85系ですが、新鋭HC85系の導入により、令和5年3月18日ダイヤ改正をもって特急「ひだ」から撤退することになりました。特別に思い入れのあった車両ではありませんが、何回か出会う機会があり、記録に収めています。平成3年2月11日 下油井駅にて高山本線には2度訪れたことがあり、これは初めてのときです。七尾線のSLを撮影した帰り道、周遊券の往復経路の選択を利用して、一番時間の掛かる高山本線経由で帰ってきました。この時、前日の富山~高山間で初めてキハ85系「ひだ」に乗車しました。たしか2両編成だったような記憶なのですが、車内は数人しか居ない、閑散としたものでした。当時新製されたばかりのキハ85「ひだ」に興味があったわけではなく、名鉄からの乗り入れ特急「北アルプス」がメインでした。高山駅前のホテルはスキー客で一杯。かつての山陰本線益田駅前と同じ痛い経験をしました。美濃太田泊から逆戻りし、下油井駅に到着。ちょうど特急との交換ということで、跨線橋から撮ったものだと思います。ヘッドマークがキレイに写っていますね。平成3年2月11日 下油井~白川口間にて多分、有名撮影地だと思いますが、地の利も知識も無いので、下油井駅からひたすら歩いて現場に到着。管理通路の柵がなければもっと絵になったんでしょうがね・・・。平成3年2月11日 下油井~白川口間にて目的を達成してからの帰り道、白川口方面に歩いていると、誰もいない、何も無い敷地で温泉が湧き出ているのを発見しました。折りしも真冬ですので、足でも入れたいところですが、一応柵がしてあって、特に座ったりするところもないし。ちょうど「ひだ」の通過時間でもあったので、少し待って無理矢理絡めて見たんですけど。詳しくは分りませんが、地図で見たところ、現在は道の駅になっているのではないかと思います。でも、温泉マークやそれらしい温泉施設の案内も無いようなので、この源泉がどうなってしまったのか、ちょっと気になります。平成6年12月12日 上枝~飛騨国府間にて2度目に訪れたのがこのとき。やはり「ひだ」が目的ではなく、C56160が走るということでの訪問でした。SLの走行区間が高山~飛騨古川間だったので、「ひだ」に出逢う機会は殆どなく(っていうか、眼中に無かった)、結局はこの1枚だけに終わってしまいました。高山より先は需要が少ないのか、3両または2両編成くらいで走っていたようです。平成21年8月23日 近江長岡~柏原間にてこちらは東海道本線で撮影したもので、本来「ひだ」を強調するべき区間ではありませんが、雄大な伊吹山をバックに走る姿は勇壮です。ただ、3両編成はちょっとネ・・・。この区間はキハ85系撤退後も残るようで、HC85系の西日本車も用意された?平成21年8月23日 名古屋駅にて同日、名古屋にてきしめんを食べる合間に駅撮り。こんなに近くで撮っているのに、ヘッドマークが見えないってどういうことでしょ?アクリル板は汚れやすいのかな?隣に停まっている「セントラルライナー」も既に懐かしい。平成27年1月24日 富山駅にて キハ85系 「(ワイドビュー)ひだ11号」最後に会ったのは、「トワイライトエクスプレス」などの撮影に行った北陸旅。富山口におけるコンパクトな編成の「ひだ」でした。キハ85系も既にかなりの数が廃車されてしまったようですが、特急「南紀」はまだ置換えが先のようですので、もうしばらく見ることができるようです。キハ82系:特急「ひだ」
2023.03.19
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651系7連:特急「スワローあかぎ」(新宿口)2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となりました。平成26年3月のダイヤ改正で、上野発着の「あかぎ」が651系化されましたが、新宿発着には185系による運転が存置されたため、新宿発着「あかぎ」への導入は2年遅れの平成28年3月ダイヤ改正でした。新宿発着「あかぎ」については、651系化と共に新宿夜発の「スワローあかぎ13号」及び土休日の「あかぎ」すべてが廃止されてしまったため、平日上りの「スワローあかぎ」のみが残る形とたってしまいました。上野発着と同様に平日運転なので撮る機会は極端に少なく、走っている時間も通勤時間真っ只中であったことから、回送のキャッチ以外1枚も撮影していないことが分かりました。令和2年11月18日 川口駅にて 帰区回送一時間休を良いことに、途中下車して配給列車を狙っていたら来たのでついでに撮っていたもの。結局、配給列車は遅れていたのか来なかった。令和4年2月5日 帰区回送これも別の列車の撮影時に撮ったもの。これまではこの2本のみで、「スワローあかぎ」のヘッドマークを撮る機会はなかった。令和5年3月15日 「スワローあかぎ6号」改正前の平日に有給を取ることができたため、あまり気乗りがしなかったものの貨物線を走る651系の見納めにと出掛けました。こんなときに大きな邪魔が居るのは困りもんですが、これも一つの思い出になるでしょう。『651系11連:特急「スワローあかぎ4号」』
2023.03.18
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651系:特急「草津」2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となります。平成26年3月のダイヤ改正で、上野口の「あかぎ」と共に「草津」も651系化されました。新宿発着の臨時特急「草津」については『651系:臨時特急「草津」(新宿発着)』でご紹介済みで、今回は上野発着の「草津」をご紹介してまとめにしたいと思います。平成26年3月15日 「草津31号」 651系化初日平成26年3月23日 「草津31号」 ヘッドマークが何故か爆発!平成26年4月26日 「草津83号」平成26年8月16日 「草津31号」平成26年9月13日 「草津84号(草津白根)」平成27年4月5日 「草津31号」平成28年3月13日 「草津31号」平成29年6月24日 「草津31号」令和2年10月14日 「草津31号」令和3年5月2日 「草津31号」令和5年1月3日 「草津2号」撮影の効率性から31号の写真が殆どでした。「あかぎ」のような11連や併結運転もなく、ヘッドマークがあるというだけで、あまりインパクトは無かったように思います。185系から受け継いだ期間はわずか9年。651系にとってはそれほど長い活躍にはなりませんでした。
2023.03.17
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651系7連:特急「スワローあかぎ」(上野口)2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となります。平成26年3月のダイヤ改正で、上野発着の「あかぎ」が651系化されました。651系化に伴い、平日の通勤時間帯の列車のみですが全車指定の「スワローあかぎ」が誕生しました。11連で運転されていた時代の「スワローあかぎ」については『651系11連:特急「スワローあかぎ4号」』でそれぞれご紹介済みですが、「北斗星」や「カシオペア」廃止後は撮影の機会がめっきりなくなり、さらに平日しか見ることのできない列車であるため、7連化後は殆ど撮影していませんでした。平成29年2月20日 「スワローあかぎ4号」令和5年3月15日 「スワローあかぎ8号」改正前に取れた最後の有給。せっかくなので651系狙いで出掛けてきました。ブルトレ群が無くなって、本当に撮影の機会が減りました。平成生まれの651系も、前任の185系全滅前に引退してしまうとは、なんとも皮肉なものです。
2023.03.16
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113系:東海道本線 普通列車既に全廃となって久しい東海道本線の113系ですが、今回は懐かしい113系時代の普通列車の写真をご紹介いたします。普通列車は撮影の対象から外れており、それほど枚数は撮影していませんでしたが、珍しい写真も撮っていました。昭和54年頃 品川駅にて 113系 静岡車品川止まりの臨時列車でしょうか。品川駅へ到着後、田町電車区へ回送されるシーンです。当時の東海道普通列車は、田町・国府津・静岡各区の車両が東京駅へ乗り入れしていましたが、このうち静岡区の編成はグリーン車無しのモノクラス編成でした。したがって、時刻表でも区別が付いたようです。しかも、かなり遅くまで冷房改造されずにいたため、ご覧のように原形のグローブ型ベンチレーターずらりと並ぶ壮観な編成を見ることができました。昭和55年8月 東京駅にて 113系 クハ111非冷房車夕方撮影のためブレてしまって、所属や車号表記が判別できません。押し込み形ベンチレーターに原形非冷房であることから、113系の初期車と思われます。この当時、房総系のスカ色では見られたタイプですが、東海道本線東京口では冷房化の促進が急速であり、あまりお目にかかれないタイプでした。昭和56年2月1日 根府川~早川間にて付属編成が非冷房4連。おそらく111系と思われますが、基本編成は113系新製冷房車のようです。付属編成は静岡車と考えられますが、このような混結運用があったのか?詳しくは知りません。昭和58年7月24日 戸塚~保土ヶ谷間にて 113系冷房改造車この頃になると、東京口の湘南電車は静岡車を除いてほぼ100%冷房化されていたと思います。冷房化に際してはヘッドライトのシールドビーム化も実施されているため、冷房改造初期のデカ目のままの車両もなかなかお目に掛かることは出来ませんでした。この列車もデカ目でなかったらシャッターを切っていなかったことでしょう。昭和59年3月23日 東海道本線 保土ヶ谷~戸塚間にて 111系 静岡車一番上の写真から7年、静岡区の111系非冷房編成がまだ残っていました。後部の方を良く見ると、何両か押し込み形ベンチレーターの113系初期車が混結されているようです。EF58牽引荷物列車の写真を撮るために構えていたのですが、思わぬところで貴重な列車を撮ることができました。昭和54年5月 大船駅にて 113系 湘南色・スカ色混結画像を大きくしていただけると判るかもしれません。最後部の次に連結されているモハユニットがスカ色となっています。昔から東海道本線では良く見られたようですが、写真ではあまり捉えたことがありませんでした。昭和56年8月21日 富士駅にて当時、旧型国電に没頭していたので、新性能車である113系や115系などは眼中になかったわけですが、混色編成というデザイン感覚を麻痺させるような編成というのは放っておけない存在だったため、乗り継ぎの合間に見た同列車だけは撮影していたようです。先頭車のクハ111ですが、おそらくは横須賀線あたりで使用されていた初期113系で、窓周りを見る限り0番台で間違いないでしょう。横須賀線・総武快速のスルー運転により、冷房車や冷房準備車が優先配置となり、本格的な改造を要する基本番台を手放して都落ちさせたのではないかと思われます。連なる車両はモハ111系となっており、グローブ型ベンチレータを搭載しています。北方面に住む私としては、あまり出逢える機会が少なかった車両でもあり、記録としても希少なものとなります。クハ111の方向幕は未だ準備すらされていないことから、短編成化に合わせて取り急ぎ手当てしたような様子も見て取れますし、なかなか面白いものではないでしょうか。悲しいことに、当時はフィルム現像も自分で行っていたため、カラーでないのは残念なところです。昭和54年5月頃 品川駅にてこの写真は、未だ東海道線と横須賀線が分離運転する以前の写真です。この列車、東海道線の普通列車なのですが、編成は南フナの横須賀線用の113系1000番台です。ラインカラーでない車輌を使用するときは、基本的に線名表示シールを貼って誤乗防止策を施すことが多いですが、101系や103系はともかく、113系や115系ではそのようは措置はあまり見たことがありません。この写真の列車も、線名表示はしていないものの、行先札が貫通路の窓の内側から架かっています。しかし、これでは小さ過ぎて一目では判りそうもありません。また、この列車の特筆すべきところは、通常品川始発の場合、7・8番線の始発ホームから発車するのですが、このホームは通常の東海道・横須賀線が発着する番線なのです。そして、貫通路にぶら下がっている行先表示も、どうもプラスティック製のきちんと作成されたもののようです。さらに、付属編成を連結するとグリーン車の位置が違ってしまうためか、基本編成のみの11連となっています。行先表示が準備されているところを見ると、私の経験が少ないだけで、もしかしたら良くあった話なのかもしれません。でも、中学1年から高校2年くらいまで品川へ結構な回数の写真撮影に行きましたが、このような措置を見たのはこの1回だけでした。
2023.03.15
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101系:特別快速「おくたま」新宿~青梅線方面への休日臨時列車は「ホリデー快速」を名乗っていますが、現在の名称となったのは平成2年からであり、それ以前は特別快速となっていました。令和5年3月ダイヤ改正において、青梅線における一部ワンマン化により青梅を境に運用が分断されることにより、名称の「ホリデー快速おくたま」の愛称は残存するものの、青梅行きとなってしまいます。臨時特別快速には中央快速の車両を共通で使用しており、昭和46年7月の運転開始以来、長らくの間101系電車が使用されていました。名称としては、青梅線への「おくたま」「みたけ」と五日市線の「あきがわ」があり、今回はこのうち新宿~奥多摩を結んでいた特別快速「おくたま」をご紹介いたします。昭和56年 三鷹駅にて 特別快速「おくたま」なんともショボイ写真ですがご勘弁を。特別快速に対しては優先的に101系冷房改造車や103系が充当されていましたが、臨時列車である同列車は予備枠を使用していたため、一般の非冷房車ばかり充当されていたようです。103系が使用されたことは無く、昭和58年から201系に置き換えが始まるまで、このスタイルが長く続きました。
2023.03.14
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651系7連:特急「あかぎ」2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となります。平成26年3月のダイヤ改正で、上野発着の「あかぎ」が651系化されました。651系化に伴い、全車指定の「スワローあかぎ」が誕生しましたが、休日には自由席を連結した「あかぎ」が残ると共に、平日でも通勤時間帯を外れる列車については「あかぎ」となっていました。そのため、撮影に行っても「あかぎ」率が高くなり、撮影コマ数もかなりの量になりました。11連で運転されていた4号等については過去ログ『651系11連:特急「あかぎ4号」』『651系11連:特急「スワローあかぎ4号」』でそれぞれご紹介済みですが、今回は7連の「あかぎ」をまとめてみました。コマ数が多過ぎるため、アングル違いやヘッドマークの写りが比較的良いものをご紹介したいと思います。平成26年3月15日 「あかぎ8号」 651系初日平成26年3月15日 入庫回送 なのにヘッドマーク表示平成26年8月16日 「あかぎ6号」 何故かJRマーク平成27年1月12日 「あかぎ8号」 スペーシアと並走平成27年2月11日 「あかぎ8号」平成27年3月8日 「あかぎ6号」 こちらも何故かJR平成27年4月5日 「あかぎ8号」 サクラバック平成27年4月29日 「あかぎ8号」平成27年5月17日 「あかぎ6号」 唯一決まったタテ流し平成27年5月17日 「あかぎ8号」平成27年12月30日 「あかぎ6号」平成27年12月30日 「あかぎ8号」平成30年6月2日 「あかぎ8号」平成31年4月6日 「あかぎ6号」令和2年10月24日 「あかぎ8号」令和3年5月22日 「あかぎ8号」令和4年1月29日 「あかぎ8号」未指定席の導入により、平日の「あかぎ」はすべて「スワローあかぎ」へと移行されたため、「あかぎ」の名称は土休日のみにしか見ることができなくなりました。今年のダイヤ改正も土曜日となったため、651系「あかぎ」は令和5年3月12日の運転をもって見納めとなりました。
2023.03.13
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455系:急行「あづま」「あづま」は、上野~福島間を結んでいた急行列車です。東北本線の急行列車は行先によって名称を使い分けていましたが、「あづま」の夜行列車については、福島から各駅停車となり、仙台まで足を伸ばしています。急行列車区間としては、上野~福島間を結んでいた急行列車と言って良いでしょう。急行「あづま」は下りが夜発夜着の1号と、夜行列車の3号となっており、上りも4号が夜行列車であることから、撮影可能時間帯の列車としては、上りの「2号」だけとなります。その分、大変撮影しにくい列車であったといえます。また、途中の郡山~上野間は、会津若松からの急行「ばんだい2号」を併結していました。昭和57年1月4日 白坂~豊原間にて 急行「あづま2号」「ばんだい2号」フィルムスキャナをもらってからは大きく画像を観察することができるようになり、列車番号札の表示されていた時代の列車は判別が可能となりました。この写真の列車番号を当時の時刻表で確認したところ、上りの「あづま2号」「ばんだい2号」」であることが判明したと言う訳です。福島にED71を撮りに行った時にも夜行利用したことのある列車でしたので、東北本線の急行の中でも一番地味な列車ではありましたが、思い出深い列車名でもありました。KATO 455系 急行まつしま・ばんだい 販売[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1632 455系 急行「まつしま」 7両セット[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1633 455系 急行「ばんだい」 6両セット送料無料◆セット販売 10-1632/10-1633 KATO カトー 455系 急行「まつしま」 7両セット+急行「ばんだい」 6両セット Nゲージ 鉄道模型 【7月予約】送料無料◆10-1632 KATO カトー 455系 急行「まつしま」 7両セット Nゲージ 鉄道模型 【7月予約】送料無料◆10-1633 KATO カトー 455系 急行「ばんだい」 6両セット Nゲージ 鉄道模型 【7月予約】10-1632 455系 急行「まつしま」 7両セット[KATO]【送料無料】《07月予約》10-1633 455系 急行「ばんだい」 6両セット[KATO]【送料無料】《07月予約》
2023.03.12
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101系:特別快速「あきがわ」新宿~青梅線方面への休日臨時列車は「ホリデー快速」を名乗っていますが、現在の名称となったのは平成2年からであり、それ以前は特別快速となっていました。その「ホリデー快速あきがわ」も201系→E233系と進化しながら運転されてきましたが、令和5年3月ダイヤ改正において青梅線青梅以遠及び五日市線のワンマン化が実施されることにより、これを機に廃止になってしまうとのこと。ホリデー快速あきがわ 運転終了中央線の臨時快速は中央快速の車両を共通で使用しており、昭和46年7月の運転開始以来、長らくの間101系電車が使用されていました。名称としては、青梅線への「おくたま」「みたけ」と五日市線の「あきがわ」があり、今回はこのうち新宿~御嶽を結んでいた特別快速「あきがわ」をご紹介いたします。昭和56年 三鷹駅にて 特別快速「あきがわ」臨時快速は7+3の10両編成で運転され、7両側が「おくたま」「みたけ」、3両編成が特別快速「あきがわ」として武蔵五日市まで乗り入れていました。写真の101系は何故か方向幕が白地となっており、良く見ると助士席側窓の内側にタテ書きで「新宿」と書いた紙が貼ってあります。首都圏で使用されていた101系に「新宿」の方向幕が設備されていなかったとは考えづらく、また時代的にも関西の車両が転属してきたとは思えません。一体何があったのか?気になるシチュエーションですね。101系:特別快速「みたけ」
2023.03.11
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東京都交通局:都営浅草線 5300形都営浅草線で老朽化した5000形を置き替えるために登場した5300形。丸みのある特徴的な前頭部をした同車ですが、後継車の登場により誕生から30年で廃車が進み、最後まで残っていた編成が令和5年2月で運用から撤退しました。都営浅草線の5300形がついに引退 1年半も延命して活躍した理由は?都営浅草線の車両は京浜急行と京成電鉄に乗り入れていますが、当方にとって縁のない地域でもあるため、あまり遭遇の機会はありませんでした。それでも外回りの仕事を担当するようになって数年間は乗車する機会も有り、そこそこ撮影していました。5300形は27編成が製造され、製造期間は8年にも及びます。しかし、外観はそれほど大きくは変わりませんでした。その中で、4次車までと5次車以降でスカートの形状が異なっており、外観では一番の違いと捉えて良いと思います。平成21年10月11日 京成高砂駅にて 5301&5310複々線区間で行き違う2編成の5300形。左側はトップナンバー編成でした。平成25年10月12日 品川~北品川にて 5313京浜急行線内で撮影した5300形。京急電車に比べて加速性能が劣るため、ダイヤの組み方が違うらしいです。平成21年1月3日 京成佐倉~臼井間にて 5315こちらは京成線内で撮影した5300。多分、この車両を撮影したのはこれが初めてだったと思います。平成21年10月11日 高砂駅にて 5320平成24年11月15日 品川~北品川間にて 5320平成29年6月22日 京成高砂駅にて 5320平成24年11月15日 青物横丁駅にて 5327都営車両の交代は鉄道他社に比べるとちょっと早いようですね。それでもいっぺんに交代するのは難しいため、数年掛かってしまいます。比較的に早い30年未満の寿命で、他社への譲渡もなく引退してしまうのは勿体ない気がします。
2023.03.10
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167系:修学旅行臨(集約臨)「かながわ」関東の小学校では、修学旅行は「日光」が定番のようで、かくいう私も小学6年生のときの修学旅行は「日光」でした。埼玉県からは距離が近いからと思うのですが、修学旅行はバスでしたね。当時は、既に東北縦貫道も矢板まで開通していましたので、バスでの行動も利便性がかなりアップしていたと言えます。それでも、「日光」への集約臨(複数の団体が1つの列車を借切って乗車する)はかなり昔から設定されており、155系や167系の集約臨が活躍していました。155系は、低屋根構造で中央線にも入線できるなど小回りの利く車両として、古くから修学旅行臨として活躍してきましたが、車両の老朽化と185系誕生による急行型車両の余剰発生もあいまって、167系へと移り変わりました。167系も製造からしばらくは修学旅行色を纏っていましたが、塗装の標準化により湘南色に塗り替えられてしまいました。また、その少し前に冷房化も実施されています。昭和61年10月9日 蓮田~東大宮間にて昭和62年5月16日 蓮田~東大宮間にて国鉄末期とJR化直後の頃の集約臨「かながわ」です。その名のとおり、神奈川県の学校を中心とした日光修学旅行用の列車で、いつの間にか「かながわ」のヘッドマークも付くようになりました。JRになり、167系の改造や淘汰が進むに連れ、新前橋区の湘南色やモントレー色の165系が充当されたようですが、それらも淘汰されると田町区の183系や189系と言った特急型車両が後を継いでいます。修学旅行色が廃止になって以来、165系と傍目には区別が付きづらくなってしまった167系ですが、このヘッドマークが付くことによって、かつて修学旅行用電車として名を馳せていた頃の自分をアピールすることができていたように思います。
2023.03.09
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115系湘南色終焉:上越線平成28年8月、高崎地区に211系短編成車が導入されることになり、107系や115系オリジナル車が置き換えられることになりました。元々211系(1000・3000番台)は小山区や新前橋区に配置されていたので、上野口の211系が整理された時は真っ先に高崎地区の115系を淘汰するものとばかり思っていましたが、予想に反して中央東線・長野地区を中心に置き換えが実施され、新潟地区には新車のE129系を投入するという、全く想像の付かない動きとなっていました。高崎地区の115系は、上野口用の運用と両毛線・上越線・信越本線並びに吾妻線用のローカル運用があります。ローカル運用は、上野口が0番台や300番台が中心であるのに対し、昭和50年代前半頃まで使用されていた旧型国電を置き換えにより新製された1000番台が中心となっていました。平成20年8月22日 渋川駅にて平成23年5月3日 群馬総社~八木原間にて平成20年8月2日 水上駅にて子供が生まれてからは殆ど撮影に遠出することも無くなり、上越線の115系もあまり撮っていませんでした。いつ頃からか良く知りませんが、115系の運用は水上駅で分断されており、高崎~水上間には新潟色は無く、湘南色しか見ることが出来ませんでした。昭和61年8月1日 津久田~岩本間にて上越線の70系乗り入れがなくなったのは昭和51年くらいでしょうか?残念ながら70系新潟色は実物を見たことはありません上野口が4両編成を基本としていましたが、旧型国電を置き換えた115系はクモハ+モハ+クハの3両編成が基本で、単独または×2の6両編成で運転されました。この写真を見ると前3両と後3両の色調が明らかに違っており、既に検査を迎えて上越線に馴染みきっていることを物語ります。平成2年8月26日 非冷房車6連旧型国電を置き換えた115系1000番台は、当時の国鉄の財政状況から新製冷房とはされず、すべて冷房準備車となっていました。※上野口運用車は新製冷房車として竣工。平成2年8月26日 冷房車3連上の写真と同日ですが、既に冷房改造された3連となっています。JRになり、サービス向上も視野に入って来たことと思いますが、全国的にも冷房車が一般的になってきたため、施工せざる得なくなった時代に入って来た頃でもありました。この写真を撮った頃は、まだ初代新潟色の115系が水上を越えて高崎まで運用されており、バラエティー感はありました。しかし、115系ばかりの上越線は魅力も薄く、これらの写真もすべてD51やEF55を撮るための練習ショットでしかありませんでした。※小山電車区の115系の変遷について、非常に詳しく調査し、紹介した動画を作成していただき、本ブログでご紹介しております写真も使用していただきました。115系に興味ある方は必見です。
2023.03.08
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上越新幹線:E2系「とき」上越新幹線において、200系の一部を置き換えることによって平成25年から使用されることになったE2系。東北新幹線「はやて」用として登場したE2系も、後発となった上越新幹線から令和5年3月ダイヤ改正をもって引退することになったようです。E4系廃止以来、新幹線の写真を撮りに行くことも無くなり、E2系使用の「とき」もたった2コマしかありませんでした。平成26年3月9日 大宮駅にて E2系 J9編成 「とき360号」平成26年6月14日 大宮駅にて E2系 J53編成 「とき302号」2コマしかありませんでしたが、初期の小窓編成と後期の大窓編成がそれぞれありました。そう言えば、「トワイライトエクスプレス」を撮りに行った際に往きで乗車した「ときはE2系でした。どうしても東北新幹線のイメージが強いE2系。東北新幹線ではもう少し残るようです。
2023.03.07
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651系11連:特急「スワローあかぎ4号」2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となってしまうようです。E257系化されるとともに、「スワロー」の名称も消滅することになりました。※本記事は、2020/11/22に投稿されたもので、当時の表現になっています。651系1000番台で、7+4の11連で運用していた時代の特急「あかぎ4号」については既にまとめましたが、これは休日バージョンであり、撮る機会の多い列車でした。同じ運用ですが、平日はライナー的な性格から全車指定バージョンとして運転されており、名称も「スワローあかぎ」としているのは現在と同じです。運転の経緯は前記事を参考にしていただくとして、今回は平日バージョンの特急「スワローあかぎ」を少しですがまとめておきたいと思います。平成26年7月23日 「スワローあかぎ4号」平成26年8月20日 「スワローあかぎ4号」平成26年9月17日 「スワローあかぎ4号」平成27年3月3日 「スワローあかぎ4号」「スワローあかぎ」はヘッドマークが用意されているため、平日に休める機会には、できるだけ撮影に行けるようにしていました。ちなみに、新宿行きの「スワローあかぎ8号」は、185系で運転されていました。平成27年3月13日 「スワローあかぎ5号」日没後の設定のために撮影の機会がない下り列車でしたが、「北斗星」最終日に続行で来るため、真っ暗闇の中での撮影を強行しました。付属編成は高崎方に連結されているため、下り列車の方が特徴を押さえられますが、こんな真っ暗な状況ではどうしようもありません。「スーパーひたち」からの撤退で、再就職口を与えられた651系。写真のような全盛を彷彿させるシーンは、わずか1年限りで消滅することとなりました。
2023.03.06
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103系 京浜東北線:オレンジ色「京浜東北線」HM付き先にもご紹介いたしましたように、国鉄時代には全国的な車両の転配がありましたので、車両の融通の中で混色編成は良く見られました。京浜東北線の103系も例外ではありませんが、おそらく、オレンジバーミリオンの車両が走っていたのは非常に稀だったと思います。昭和52年頃 西川口~蕨間にてオレンジ編成は確かクモハ+モハ+クハの3連だと思っていたのですが、この写真を見るとクモハ+モハの1ユニット分だけですね。冷房改造が行われたらしく、クーラーの前後に布を張り替えた痕がくっきり出ています。昭和52年頃 蕨駅にてこの写真も同時期に蕨駅で撮ったオレンジ色の京浜東北線です。双方の写真を見て気になったことがあります。それは、当時の記憶で、下の写真は塗り変わったばかりのピッカピカの状態だったと記憶しています。写真でも車体はかなりキレイで、足回りもペイントされてキレイな様子が伝わってきます。しかし、上の写真では、若干写りが甘いのですが、台車を含む下回りがあまりキレイではないようです。ピクトリアル誌にある文献では、中央線に転属する予定の車両を予め工事し、正式に転属するまで使用されていたとなっています。同誌に掲載されている写真もオレンジ3連となっているので、上の写真とはやや状況が異なります。また、転属予定車が数編成あったのかなど詳しいことは分かりません。いずれにしても、当時全く興味を示さなかった国電たちですが、このような混色編成や、ヘッドマーク?が付くというだけでも面白さ・希少さを感じることが出来て、喜んで撮っていた時代の記憶が蘇ってきます。
2023.03.05
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113系:東海道本線 快速「アクティー」東海道本線で愛称付き快速として運転を開始した快速「アクティー」。湘南新宿ラインの運転開始により快速・特別快速の種別が多様化し、朝から晩まで走っていた「アクティー」もいつの間にか夜発の下り2本しかなくなっていたようで、令和5年3月の改正によりとうとう消滅してしまうそうです。快速 アクティー 運転終了昭和59年2月頃 戸塚~保土ヶ谷間にて 113系 快速列車東海道新幹線開業後においても、速達列車は急行が担っていた東海道本線で、普通列車は各駅停車のみでした。国鉄時代末期、民営化に向けたフリークエンシーサービスの一環により、東海道本線にも快速列車が設定されるようになりました。当時の時刻表を見ると、殆どが伊東線方面からの列車として設定されており、グリーン車の連結が無い列車もあることから、167系なども使用されていた可能性があります。特に愛称は設定されていなかったようでしたので、「快速」と表示をするようにしていたようです平成15年8月23日 大船駅にて 113系 快速「アクティー」その後、常態的な設定として快速「アクティー」が誕生しています。運転区間は東海道本線内のみとなっています。既に113系の東海道からの撤退が囁かれていた頃だったので、余りのフィルムで撮影しました。方向幕も「快速アクティー」と表示されるようになっていました。かつての「アクティー」は、日中を中心に設定された快速列車でした。ホームライナーの間合い仕様で215系を使用していたこともあり、その時代に実際にグリーン車に乗車したこともありました。しかし、中判カメラがメインで殆ど駅撮りはしていなかった時代だったので、これらの記録を取っていなかったことが悔やまれます。
2023.03.04
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485系非貫通型:特急「ひたち」特急「ひたち」は、昭和44年10月に上野~平を結ぶ季節列車として誕生しました。車両はキハ81を含む80系気動車で、特急「いなほ」の間合運用のかたちを採っていました。昭和47年10月、羽越本線の全線電化により「いなほ」が485系化。これにあわせて、特急「ひたち」も仙台運転所の485系を使用するようになりました。485系は仙台運転所持ちの9連又は12連が使用され、9連は「あいづ」と、クロを含む12連は「ひばり」「やまばと」と、クロを連結しない12連は「ひばり」と共通運用を組んでいました。その後、フリークエンシーによる整備が始まると短編成化が実施され、サロを含む9連のみ、さらにはサロを連結しない7連へ変化していくことになります。今回は、枚数は少ないですが、国鉄色時代の485系非貫通型300番代の画像をご紹介いたします。昭和52年頃 上野駅にて53・10改正前のため、ヘッドマークは文字マークとなっています。中央改札方のクハとなっていますので、12連のクロが300番台に置き換わった直後くらいかもしれません。昭和57年10月12日 常磐線 土浦~荒川沖間にて上越新幹線の開業直前。まだ短編成化が実施される前ですね。後部が写っていませんが、影から察すると食堂車なしの9連編成(「あいづ」と共通)ではないかと思われます。平成元年5月5日 常磐線 土浦~荒川沖間にて既に九州から大量のボンネット初期車がやってきた後になります。編成は食堂車無しの9連に統一、ボンネット車が幅を利かせていて、非貫通型の割合はかなり少なくなっていました。この後7連化となり、塗装変更や併結の14連化も行われていますが、新塗装に食指が動かなかったこともあり、まったく記録として残っていません。送料無料◆セット販売 98825/98826 TOMIX トミックス 国鉄 485系 特急電車 (ひたち) 基本セット(6両)+増結セット(5両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】送料無料◆98826 TOMIX トミックス 国鉄 485系 特急電車 (ひたち) 増結セット(5両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】※新製品 8月発売※485系特急電車(ひたち)増結セット(5両)【TOMIX・98826】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」送料無料◆98825 TOMIX トミックス 国鉄 485系 特急電車 (ひたち) 基本セット(6両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】※新製品 8月発売※485系特急電車(ひたち)基本セット(6両)【TOMIX・98825】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」
2023.03.03
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三菱石炭鉱業大夕張鉄道線:清水沢駅にて当時、日本で唯一3軸ボギー客車が営業運転されていた三菱石炭鉱業大夕張鉄道線。初めての北海道へ上陸した年、高校1年の春休み(正式には試験休み)でした。急行「津軽3号」で青森へ、青函連絡船を乗り継ぎ、さらに夜行「すずらん」で3日目の朝、苫小牧に降り立ちます。早朝の待合室で暖を取り、夕張線直通の始発列車に乗り込みます。キハ22型3連の快速のような普通列車。雪が積もって全く線路が見えないような駅構内を、まるで何も無かったかのように疾走します。氷点下の中、寒いにもかかわらず運転席の後に張り付き、道無き鉄路を平然と突き進む走りに恐怖を感じながら見ていたものです。当時は未だ石勝線が開通していないので、超ローカルだった夕張線。終点の夕張から折り返し、清水沢駅に戻ると、そこには北の大地で最後まで残った旅客営業私鉄線の三菱石炭鉱業大夕張鉄道線がありました。※撮影は、昭和55年3月10日、夕張線清水沢駅にて。大夕張鉄道線は、国鉄夕張線ホームから貨物線を挟み、一番本屋寄りにホームが設置されていました。初めて北海道に来てここに最初に着地した理由。それは、乗り継ぎの利便性もありますが、一番逢いたかったこの車両、スハニ6形にあります。当時、全国の鉄道線で3軸ボギーの客車を使用していたのはここだけでした。その後、マイテ49やスエ78が車籍を復活して営業運転に就いています。本当はこの車両に乗ってみたかったですが、乗れない理由があります。一番左が大夕張鉄道線の時刻です。この路線は南大夕張に住む高校生を輸送するためにあるような路線ですから、発着も南大夕張を基準としています。つまり、この9:15の列車に乗ってしまうと、そう簡単には帰って来られなくなってしまうんです。歩いて帰ってくる手段もありますが、当時は地理もわかりませんから、とても危険な行為であり実行する勇気もありませんでした。確か、この後8:52発の札幌行きに乗ってこの場を離れたと思います。その間、かなりの時間を待合室で過ごしたのですが、夕張に向かう高校生でしょうか、待合室は大変な人数で混みあっていました。片や通学中の高校生、私は試験休みで北海道をウロついている高校生、トッポイ格好をした地元高校生に喧嘩でも売られはしないかと、ヒヤヒヤしたもんです。時間があったので、私としては珍しく、こんな情景写真も撮っていました。やはり、40時間近く掛けて逢うことができた嬉しさと、厳寒の地「北海道」を肌で感じたのでしょうね。リバーサルフィルムの性能があまり良くなかったので、描写力が低いのが難点ですが、記録に残せてよかったと思います。同線は昭和62年の7月21日を最後に廃線となりましたが、残った車両の産業遺産化とともに、保存会により大事に保存されていることを嬉しく思います。
2023.03.02
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485系:特急「ビバあいづ」特急「ビバあいづ」は、昭和57年11月改正まで一貫して仙台運転所の車両が使用されていましたが、東北・上越新幹線の開業により秋田運転所へ移管され、平成5年11月に伝統ある上野発着列車は廃止となりました。一方、同年12月1日より郡山~会津若松間の特急として存続することになり、名称も「ビバあいづ」となり、車両も専用編成が改造により充てられました。平成12年2月5日 旧中山宿駅進入にて平成12年2月5日 広田~東長原間にて平成12年2月6日 広田~東長原間にて平成12年2月6日 磐梯熱海~中山宿間にて専用の編成はクロハ481-1501 モハ485-1053 モハ484-1053 モハ485-1008 モハ484-1008 クハ481-345で構成されていました。モハ485-1008は「インビテーションカー」としてフリースペースになっていたのが特徴でした。なお、「インビテーションカー」は平成10年12月で使用を終了していたようです。平成13年7月7日 広田~東長原間にて平成13年7~8月、専用編成の長期検査のため、約1ヶ月間にわたり青森運転所の485系6両編成(国鉄色)が充当されました。「ビバあいづ」は、平成14年11月末までの運転となり、翌日からは青森車からの転属による国鉄色編成により特急「あいづ」に変更されています。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 11-329 トレインマーク 485系/489系ボンネット用(文字)トレインマーク変換装置485系300番台(国鉄・イラスト) 【KATO・11-325】「鉄道模型 Nゲージ オプションパーツ」[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1129 485系後期形 2両増結セット[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1130 485系初期形 2両増結セットファーストカーミュージアム 485系(雷鳥)【TOMIX・FM-025】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」485系特急電車(しらさぎ・新塗装)セットC (3両)【TOMIX・98652】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1527 485系初期形 6両基本セット
2023.03.01
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