撮影日記 0
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キハ85系:特急「(ワイドビュー)ひだ」誕生以来、キハ80系で運転されて来た高山本線を走る特急「ひだ」。同系の老朽化により、JR東海は「ひだ」用としてキハ85系を導入しました。平成元年のことでした。この間、35年にわたって運転されて来たキハ85系ですが、新鋭HC85系の導入により、令和5年3月18日ダイヤ改正をもって特急「ひだ」から撤退することになりました。特別に思い入れのあった車両ではありませんが、何回か出会う機会があり、記録に収めています。平成3年2月11日 下油井駅にて高山本線には2度訪れたことがあり、これは初めてのときです。七尾線のSLを撮影した帰り道、周遊券の往復経路の選択を利用して、一番時間の掛かる高山本線経由で帰ってきました。この時、前日の富山~高山間で初めてキハ85系「ひだ」に乗車しました。たしか2両編成だったような記憶なのですが、車内は数人しか居ない、閑散としたものでした。当時新製されたばかりのキハ85「ひだ」に興味があったわけではなく、名鉄からの乗り入れ特急「北アルプス」がメインでした。高山駅前のホテルはスキー客で一杯。かつての山陰本線益田駅前と同じ痛い経験をしました。美濃太田泊から逆戻りし、下油井駅に到着。ちょうど特急との交換ということで、跨線橋から撮ったものだと思います。ヘッドマークがキレイに写っていますね。平成3年2月11日 下油井~白川口間にて多分、有名撮影地だと思いますが、地の利も知識も無いので、下油井駅からひたすら歩いて現場に到着。管理通路の柵がなければもっと絵になったんでしょうがね・・・。平成3年2月11日 下油井~白川口間にて目的を達成してからの帰り道、白川口方面に歩いていると、誰もいない、何も無い敷地で温泉が湧き出ているのを発見しました。折りしも真冬ですので、足でも入れたいところですが、一応柵がしてあって、特に座ったりするところもないし。ちょうど「ひだ」の通過時間でもあったので、少し待って無理矢理絡めて見たんですけど。詳しくは分りませんが、地図で見たところ、現在は道の駅になっているのではないかと思います。でも、温泉マークやそれらしい温泉施設の案内も無いようなので、この源泉がどうなってしまったのか、ちょっと気になります。平成6年12月12日 上枝~飛騨国府間にて2度目に訪れたのがこのとき。やはり「ひだ」が目的ではなく、C56160が走るということでの訪問でした。SLの走行区間が高山~飛騨古川間だったので、「ひだ」に出逢う機会は殆どなく(っていうか、眼中に無かった)、結局はこの1枚だけに終わってしまいました。高山より先は需要が少ないのか、3両または2両編成くらいで走っていたようです。平成21年8月23日 近江長岡~柏原間にてこちらは東海道本線で撮影したもので、本来「ひだ」を強調するべき区間ではありませんが、雄大な伊吹山をバックに走る姿は勇壮です。ただ、3両編成はちょっとネ・・・。この区間はキハ85系撤退後も残るようで、HC85系の西日本車も用意された?平成21年8月23日 名古屋駅にて同日、名古屋にてきしめんを食べる合間に駅撮り。こんなに近くで撮っているのに、ヘッドマークが見えないってどういうことでしょ?アクリル板は汚れやすいのかな?隣に停まっている「セントラルライナー」も既に懐かしい。平成27年1月24日 富山駅にて キハ85系 「(ワイドビュー)ひだ11号」最後に会ったのは、「トワイライトエクスプレス」などの撮影に行った北陸旅。富山口におけるコンパクトな編成の「ひだ」でした。キハ85系も既にかなりの数が廃車されてしまったようですが、特急「南紀」はまだ置換えが先のようですので、もうしばらく見ることができるようです。キハ82系:特急「ひだ」
2023.03.19
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651系7連:特急「スワローあかぎ」(新宿口)2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となりました。平成26年3月のダイヤ改正で、上野発着の「あかぎ」が651系化されましたが、新宿発着には185系による運転が存置されたため、新宿発着「あかぎ」への導入は2年遅れの平成28年3月ダイヤ改正でした。新宿発着「あかぎ」については、651系化と共に新宿夜発の「スワローあかぎ13号」及び土休日の「あかぎ」すべてが廃止されてしまったため、平日上りの「スワローあかぎ」のみが残る形とたってしまいました。上野発着と同様に平日運転なので撮る機会は極端に少なく、走っている時間も通勤時間真っ只中であったことから、回送のキャッチ以外1枚も撮影していないことが分かりました。令和2年11月18日 川口駅にて 帰区回送一時間休を良いことに、途中下車して配給列車を狙っていたら来たのでついでに撮っていたもの。結局、配給列車は遅れていたのか来なかった。令和4年2月5日 帰区回送これも別の列車の撮影時に撮ったもの。これまではこの2本のみで、「スワローあかぎ」のヘッドマークを撮る機会はなかった。令和5年3月15日 「スワローあかぎ6号」改正前の平日に有給を取ることができたため、あまり気乗りがしなかったものの貨物線を走る651系の見納めにと出掛けました。こんなときに大きな邪魔が居るのは困りもんですが、これも一つの思い出になるでしょう。『651系11連:特急「スワローあかぎ4号」』
2023.03.18
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651系:特急「草津」2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となります。平成26年3月のダイヤ改正で、上野口の「あかぎ」と共に「草津」も651系化されました。新宿発着の臨時特急「草津」については『651系:臨時特急「草津」(新宿発着)』でご紹介済みで、今回は上野発着の「草津」をご紹介してまとめにしたいと思います。平成26年3月15日 「草津31号」 651系化初日平成26年3月23日 「草津31号」 ヘッドマークが何故か爆発!平成26年4月26日 「草津83号」平成26年8月16日 「草津31号」平成26年9月13日 「草津84号(草津白根)」平成27年4月5日 「草津31号」平成28年3月13日 「草津31号」平成29年6月24日 「草津31号」令和2年10月14日 「草津31号」令和3年5月2日 「草津31号」令和5年1月3日 「草津2号」撮影の効率性から31号の写真が殆どでした。「あかぎ」のような11連や併結運転もなく、ヘッドマークがあるというだけで、あまりインパクトは無かったように思います。185系から受け継いだ期間はわずか9年。651系にとってはそれほど長い活躍にはなりませんでした。
2023.03.17
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651系7連:特急「スワローあかぎ」(上野口)2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となります。平成26年3月のダイヤ改正で、上野発着の「あかぎ」が651系化されました。651系化に伴い、平日の通勤時間帯の列車のみですが全車指定の「スワローあかぎ」が誕生しました。11連で運転されていた時代の「スワローあかぎ」については『651系11連:特急「スワローあかぎ4号」』でそれぞれご紹介済みですが、「北斗星」や「カシオペア」廃止後は撮影の機会がめっきりなくなり、さらに平日しか見ることのできない列車であるため、7連化後は殆ど撮影していませんでした。平成29年2月20日 「スワローあかぎ4号」令和5年3月15日 「スワローあかぎ8号」改正前に取れた最後の有給。せっかくなので651系狙いで出掛けてきました。ブルトレ群が無くなって、本当に撮影の機会が減りました。平成生まれの651系も、前任の185系全滅前に引退してしまうとは、なんとも皮肉なものです。
2023.03.16
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651系7連:特急「あかぎ」2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となります。平成26年3月のダイヤ改正で、上野発着の「あかぎ」が651系化されました。651系化に伴い、全車指定の「スワローあかぎ」が誕生しましたが、休日には自由席を連結した「あかぎ」が残ると共に、平日でも通勤時間帯を外れる列車については「あかぎ」となっていました。そのため、撮影に行っても「あかぎ」率が高くなり、撮影コマ数もかなりの量になりました。11連で運転されていた4号等については過去ログ『651系11連:特急「あかぎ4号」』『651系11連:特急「スワローあかぎ4号」』でそれぞれご紹介済みですが、今回は7連の「あかぎ」をまとめてみました。コマ数が多過ぎるため、アングル違いやヘッドマークの写りが比較的良いものをご紹介したいと思います。平成26年3月15日 「あかぎ8号」 651系初日平成26年3月15日 入庫回送 なのにヘッドマーク表示平成26年8月16日 「あかぎ6号」 何故かJRマーク平成27年1月12日 「あかぎ8号」 スペーシアと並走平成27年2月11日 「あかぎ8号」平成27年3月8日 「あかぎ6号」 こちらも何故かJR平成27年4月5日 「あかぎ8号」 サクラバック平成27年4月29日 「あかぎ8号」平成27年5月17日 「あかぎ6号」 唯一決まったタテ流し平成27年5月17日 「あかぎ8号」平成27年12月30日 「あかぎ6号」平成27年12月30日 「あかぎ8号」平成30年6月2日 「あかぎ8号」平成31年4月6日 「あかぎ6号」令和2年10月24日 「あかぎ8号」令和3年5月22日 「あかぎ8号」令和4年1月29日 「あかぎ8号」未指定席の導入により、平日の「あかぎ」はすべて「スワローあかぎ」へと移行されたため、「あかぎ」の名称は土休日のみにしか見ることができなくなりました。今年のダイヤ改正も土曜日となったため、651系「あかぎ」は令和5年3月12日の運転をもって見納めとなりました。
2023.03.13
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651系11連:特急「スワローあかぎ4号」2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となってしまうようです。E257系化されるとともに、「スワロー」の名称も消滅することになりました。※本記事は、2020/11/22に投稿されたもので、当時の表現になっています。651系1000番台で、7+4の11連で運用していた時代の特急「あかぎ4号」については既にまとめましたが、これは休日バージョンであり、撮る機会の多い列車でした。同じ運用ですが、平日はライナー的な性格から全車指定バージョンとして運転されており、名称も「スワローあかぎ」としているのは現在と同じです。運転の経緯は前記事を参考にしていただくとして、今回は平日バージョンの特急「スワローあかぎ」を少しですがまとめておきたいと思います。平成26年7月23日 「スワローあかぎ4号」平成26年8月20日 「スワローあかぎ4号」平成26年9月17日 「スワローあかぎ4号」平成27年3月3日 「スワローあかぎ4号」「スワローあかぎ」はヘッドマークが用意されているため、平日に休める機会には、できるだけ撮影に行けるようにしていました。ちなみに、新宿行きの「スワローあかぎ8号」は、185系で運転されていました。平成27年3月13日 「スワローあかぎ5号」日没後の設定のために撮影の機会がない下り列車でしたが、「北斗星」最終日に続行で来るため、真っ暗闇の中での撮影を強行しました。付属編成は高崎方に連結されているため、下り列車の方が特徴を押さえられますが、こんな真っ暗な状況ではどうしようもありません。「スーパーひたち」からの撤退で、再就職口を与えられた651系。写真のような全盛を彷彿させるシーンは、わずか1年限りで消滅することとなりました。
2023.03.06
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485系非貫通型:特急「ひたち」特急「ひたち」は、昭和44年10月に上野~平を結ぶ季節列車として誕生しました。車両はキハ81を含む80系気動車で、特急「いなほ」の間合運用のかたちを採っていました。昭和47年10月、羽越本線の全線電化により「いなほ」が485系化。これにあわせて、特急「ひたち」も仙台運転所の485系を使用するようになりました。485系は仙台運転所持ちの9連又は12連が使用され、9連は「あいづ」と、クロを含む12連は「ひばり」「やまばと」と、クロを連結しない12連は「ひばり」と共通運用を組んでいました。その後、フリークエンシーによる整備が始まると短編成化が実施され、サロを含む9連のみ、さらにはサロを連結しない7連へ変化していくことになります。今回は、枚数は少ないですが、国鉄色時代の485系非貫通型300番代の画像をご紹介いたします。昭和52年頃 上野駅にて53・10改正前のため、ヘッドマークは文字マークとなっています。中央改札方のクハとなっていますので、12連のクロが300番台に置き換わった直後くらいかもしれません。昭和57年10月12日 常磐線 土浦~荒川沖間にて上越新幹線の開業直前。まだ短編成化が実施される前ですね。後部が写っていませんが、影から察すると食堂車なしの9連編成(「あいづ」と共通)ではないかと思われます。平成元年5月5日 常磐線 土浦~荒川沖間にて既に九州から大量のボンネット初期車がやってきた後になります。編成は食堂車無しの9連に統一、ボンネット車が幅を利かせていて、非貫通型の割合はかなり少なくなっていました。この後7連化となり、塗装変更や併結の14連化も行われていますが、新塗装に食指が動かなかったこともあり、まったく記録として残っていません。送料無料◆セット販売 98825/98826 TOMIX トミックス 国鉄 485系 特急電車 (ひたち) 基本セット(6両)+増結セット(5両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】送料無料◆98826 TOMIX トミックス 国鉄 485系 特急電車 (ひたち) 増結セット(5両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】※新製品 8月発売※485系特急電車(ひたち)増結セット(5両)【TOMIX・98826】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」送料無料◆98825 TOMIX トミックス 国鉄 485系 特急電車 (ひたち) 基本セット(6両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】※新製品 8月発売※485系特急電車(ひたち)基本セット(6両)【TOMIX・98825】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」
2023.03.03
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485系:特急「ビバあいづ」特急「ビバあいづ」は、昭和57年11月改正まで一貫して仙台運転所の車両が使用されていましたが、東北・上越新幹線の開業により秋田運転所へ移管され、平成5年11月に伝統ある上野発着列車は廃止となりました。一方、同年12月1日より郡山~会津若松間の特急として存続することになり、名称も「ビバあいづ」となり、車両も専用編成が改造により充てられました。平成12年2月5日 旧中山宿駅進入にて平成12年2月5日 広田~東長原間にて平成12年2月6日 広田~東長原間にて平成12年2月6日 磐梯熱海~中山宿間にて専用の編成はクロハ481-1501 モハ485-1053 モハ484-1053 モハ485-1008 モハ484-1008 クハ481-345で構成されていました。モハ485-1008は「インビテーションカー」としてフリースペースになっていたのが特徴でした。なお、「インビテーションカー」は平成10年12月で使用を終了していたようです。平成13年7月7日 広田~東長原間にて平成13年7~8月、専用編成の長期検査のため、約1ヶ月間にわたり青森運転所の485系6両編成(国鉄色)が充当されました。「ビバあいづ」は、平成14年11月末までの運転となり、翌日からは青森車からの転属による国鉄色編成により特急「あいづ」に変更されています。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 11-329 トレインマーク 485系/489系ボンネット用(文字)トレインマーク変換装置485系300番台(国鉄・イラスト) 【KATO・11-325】「鉄道模型 Nゲージ オプションパーツ」[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1129 485系後期形 2両増結セット[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1130 485系初期形 2両増結セットファーストカーミュージアム 485系(雷鳥)【TOMIX・FM-025】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」485系特急電車(しらさぎ・新塗装)セットC (3両)【TOMIX・98652】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1527 485系初期形 6両基本セット
2023.03.01
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651系:臨時特急「草津」(新宿発着)2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となってしまうようです。651系の想い出特急シリーズ。※本記事は、2016/1/11に投稿されたもので、当時の表現になっています。現在、高崎線で唯一となった185系定期特急「あかぎ」が、平成28年3月26日改正において651系に車種変更されるとの発表がありました。これにより、上野口の185系を淘汰してきた651系1000番台が、湘南新宿ライン経由においても進出することになりました。一方、平成23年8月に運転された485系やまどりによる特急「リゾート草津」を最後に、新宿発着の特急「草津」は設定が見送られていたようです。そして4年のブランクを空け、平成27年秋、新宿発着の特急「草津」が設定されました。しかも、車両は185系モノクラスではなく、651系1000番台による運転となり、定期の置き換えが予定される「あかぎ」よりも前に湘南新宿ラインを651系が走ることになりました。最初は平成27年秋臨で以下のとおり運転されました。「草津73号」 大船10:06→長野原草津口13:36 11/7.14「草津74号」 長野原草津口14:50→大船18:46 11/8.15このときはすっかり撮影を忘れてしまったのですが、年末年始の設定が既に判明していたため、この度、やっと捉えることができました。平成28年1月10日 651系 臨時特急「草津71号」平成28年1月10日 651系 臨時特急「草津72号」年末年始の運転では、上下列車とも時間が繰り上がり、列車番号も変更されました。なお、方向幕については、「草津72号」大船行きにおいて「特急」表示となっていたのを確認しています。横サボは設備されていないようです。「草津71号」 大船09:29→長野原草津口13:10 12/30.31.1/1.2.9.10.30.2/6「草津72号」 長野原草津口13:37→大船17:11 12/31.1/1~3.10.11.31.2/7年末年始と翌週の成人の日絡みの3連休が続くため、頻度が多くなっています。また、間を置いて、1月末~2月初めの週末にも設定されています。以前は乗車率が芳しく無かったためか、しばらく設定休止となっておりましたが、上野発列車の乗車率は週末ですがかなり好調であり、今回の運転で状況が良ければまた継続的に設定される可能性もあるかもしれません。
2023.02.23
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485系1500番台:特急「いしかり」特急「いしかり」は、北海道内で初めて誕生した電車特急です。営業運転を開始したのは昭和50年7月18日の改正で、車両は485系1500番台が北海道用として用意されました。本当は昭和49年に北海道初の電車特急が誕生する予定でしたが、車輌の技術的な問題(PCB機器搭載)や労使問題などが影響したらしく、昭和50年7月までずれ込むことになりました。昭和49年に完成した1500番台車は、このずれた1年間は青森区に配置され、大阪~青森間の特急「白鳥」として走っていたことが知られています。昭和55年3月 札幌駅にて 485系1500番台「いしかり」真っ暗で全然判らない状態ですが、ストロボを使わなかった関係でご勘弁ください。485系に耐寒設備を施した形で誕生した1500番台ですが、所詮本州型を基本として設計された同車は北海道の厳しい環境に対抗できずにダウンを繰り返し、711系の使用実績・経験を生かした781系という後輩に道を譲ることになりました。この写真を撮った頃には、既に781系900番台が試験的先行車として営業に就いていました。その実績が功を奏して千歳線電化を前に781系が量産され、昭和55年10月1日のダイヤ改正により全ての車両が781系に置き換えられました。485系1500番台は車齢も若いので、青森運転所に移動となって東北本線などで活躍を続けることになります。そして、千歳線及び室蘭までの電化を機に列車名を「ライラック」と改め、特急「いしかり」は約4年の活躍で発展的解消となりました。
2023.02.22
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183系OM車:臨時特急「ほくほく十日町雪祭り」毎年2月に開催される十日町雪祭り。これに合わせて臨時特急が設定されます。同臨時列車が183系OM車で設定されていた時代、1度だけ写真を撮りに行ったことがあります。運転区間は現在と同じ大宮~十日町間で、上野までは顔を出しません。これは、集客区間が大宮以北の新幹線が停車しない駅の利用を促進するためのものと思われます。これが上野発ならば毎年撮影していても良いと思うのですが、年1日のみ、大宮以北でこれしかネタが無いとなれば、余程のことが無い限りはわざわざ出かけることはありません。※撮影は、平成21年2月21日です。183系 OM102編成 回9734M専用のヘッドマークはもちろん無く、かといってステッカー式も期待できなくはないと思って回送列車を狙ってみましたが、案の定と言うか、ヘッドマークは「回送」でした。本列車も期待できません。183系 OM102編成 臨時特急「ほくほく十日町雪祭り」東北本線から高崎線へ徒歩で移動。良いポジションが無く柵の隙間から無理矢理の撮影。やはり無情にもヘッドマークは「特急」。面白みがないため、この後一切撮りに行くことはありませんでした。その後OMから183系が撤退すると、運用は485系新潟車に変更。さらに485系が撤退してE653系へと車両が交代となりました。E653系新潟車になったことで、ヘッドマークの掲出が出来なくなった分、あきらめることも出来るかもしれません。なお、コロナ禍の影響か、2020年以降は設定がなくなっていましたが、2023年は2月18日にE653系によって久し振りに運転されました。しかも上野発で地元を通ったらしいですが、ノーマークで全然知りませんでした。特急 ほくほく十日町雪祭り 運転
2023.02.21
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189系:臨時特急「あずさ銀嶺」「あずさ銀嶺」という臨時特急は、181系時代にほんの短期間のみ運転された実績があったようですが、189系になってからはもちろん運転されたことなどありません。私としても、そのような列車があったことさえ知りませんでした。昭和52年 上野駅にて 189系 「あずさ銀嶺」??私が未だ中学生のとき、上野駅で列車を撮影していると、方向幕がグルグルと回っていたんです。そしたら、「あずさ銀嶺」なんて当時は聞いたこともない列車名が出てきたので慌てて撮ったのがこの写真です。前述のとおり、189系になってからは「あずさ銀嶺」の運転実績は無く、特に中央本線方面へは夜行急行「アルプス」が頻発されていたために、あまりスキー列車的名称の設定は無かったように思います。のちに「シュプール白馬」といった一連のシリーズでは運転されたことがありましたが・・・。昭和53年10月改正でイラストマーク化された際には、当然にして「あずさ銀嶺」が図案化されている筈も無く、まさしく『幻のヘッドマーク』になってしまった訳ですね。お買い物情報→TOMIX 国鉄183系1000番台セット 販売めちゃくちゃ高額ですが、売れ行きは良いようです。98799 国鉄 183-1000系特急電車基本セット(7両)[TOMIX]【送料無料】《発売済・在庫品》【2023年2月】 TOMIX|トミックス 【Nゲージ】98800 国鉄 183-1000系特急電車増結セット(5両) TOMIX【発売日以降のお届け】【2023年2月】 TOMIX|トミックス 【Nゲージ】98799 国鉄 183-1000系特急電車基本セット(7両) TOMIX【発売日以降のお届け】
2023.02.17
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485系ボンネット型:特急「ひたち」(文字マーク時代)特急「ひたち」は、昭和44年10月に上野~平を結ぶ季節列車として誕生しました。車両はキハ81を含む80系気動車で、特急「いなほ」の間合運用のかたちを採っていました。昭和47年10月、羽越本線の全線電化により「いなほ」が485系化。これにあわせて、特急「ひたち」も仙台運転所の485系を使用するようになりました。485系は仙台運転所持ちの9連又は12連が使用され、9連は「あいづ」と、クロを含む12連は「ひばり」「やまばと」と、クロを連結しない12連は「ひばり」と共通運用を組んでいました。その後、フリークエンシーによる整備が始まると短編成化が実施され、サロを含む9連のみ、さらにはサロを連結しない7連へ変化していくことになります。今回は、比較的に多く撮影していたボンネット型のうち、文字マーク時代の画像をご紹介いたします。昭和51年頃 上野駅にて クハ481「ひたち」ボンネット車の並び上野駅で1日いるとこのような風景に短時間ですが出くわすことがあります。「ひたち」と「ひばり」が共通運用のため、片方のヘッドマークを取り替えた瞬間に見られる風景です。実際には、「ひたち」同士の同方向への並びはありませんので、どちらかが「ひばり」だと思われます。昭和54年頃 上野駅にて クロ481「ひたち」「ひたち」には仙台運転所持ちのクロを含む9両編成の運用があり、「あいづ」と共通運用が行われていました。このうちの数往復がクロを含む編成でしたが、あまり撮影していなかったようです。昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて上越新幹線が間もなく開業となる頃で、「みちのく」が廃止されるために撮影に行ったときのものです。この頃の「ひたち」は、上信越スジのイラストマーク化に遅れをとっており、まだ文字マークでした。私的にはこちらの方が好きなので、この時撮っておいて良かったと思います。まだ仙台運転所持ちの時代です。その後、九州からの転入車を加えて大所帯化し、勝田区の所属となってヘッドマークもイラスト化されることになります。送料無料◆セット販売 98825/98826 TOMIX トミックス 国鉄 485系 特急電車 (ひたち) 基本セット(6両)+増結セット(5両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】送料無料◆98826 TOMIX トミックス 国鉄 485系 特急電車 (ひたち) 増結セット(5両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】※新製品 8月発売※485系特急電車(ひたち)増結セット(5両)【TOMIX・98826】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」送料無料◆98825 TOMIX トミックス 国鉄 485系 特急電車 (ひたち) 基本セット(6両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】※新製品 8月発売※485系特急電車(ひたち)基本セット(6両)【TOMIX・98825】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」
2023.02.15
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183系OM車:特急「嬬恋・草津スキー」特急「嬬恋・草津スキー」は、平成16年~平成18年の冬期に設定された臨時特急で、平成16年は新宿~万座・鹿沢口、翌17から18年は大船~万座・鹿沢口で設定されていたようです。平成23年10月22日 OM101 川越車セにて川越車両センターの公開時にゲストの183系が幕回しをしてまして、そこで初対面となったヘッドマーク。最初の設定からヘッドマークが準備されていたらしく、いくつかHITした記事でもしっかりこのマークで写っていました。(時に「特急」表示されたこともあるようですが・・・)あまり利用率が思わしくなかったのか、平成19年以降は設定されていません。私が地元で撮影を再開したのが平成19年頃からでしたので、ちょうど撮り逃してしまったようです。
2023.02.04
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485系(クロ481):特急「あいづ」磐越西線(郡山口)における特急列車は、昭和40年誕生のキハ82系「会津やまばと」を起源とします。昭和43年10月1日、「やまばと」から会津編成を独立、電車化(483系化)され、特急「あいづ」が誕生します。特急「あいづ」は、磐越西線内の有効長の関係により、最大で9両編成とされており、サシを連結したことにより、MT比の関係から上野方にはクロ481が使用されていました。昭和51年 撮影場所不明昭和52年 尾久~赤羽間にて昭和53年 蕨~西川口間にて昭和54年3月 西日暮里駅にて昭和56年1月5日 豊原~白坂間にてクロ481は485系に属する制御車で、仙台運転所に集中配置されていました。「ひばり」「ひたち」「やまばと」にも使用されましたが、昭和50年3月ダイヤ改正以降は「ひたち」「あいづ」の9連のみに使用され、昭和57年11月ダイヤ改正で秋田運転所へ持ち替えにより運用から離脱し、すべて九州へ転属となっています。クハ481も合わせて、ボンネット型は最後までイラストマークが使用されることはありませんでした。【中古】TOMIX◆鉄道模型/92296/国鉄485系特急電車(クロ481)基本セット【ホビー】【中古】鉄道模型 1/150 JR 485系特急電車 雷鳥・クロ481-2000 基本セットA(5両セット) [92333]【中古】Nゲージ TOMIX(トミックス) 92333 JR 485系 特急電車 (雷鳥・クロ481-2000) 5両基本セットA 2020年ロット 【A´】 スリーブ若干傷み
2023.02.02
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キハ82系:特急「北海」特急「北海」は、函館~旭川を結ぶ本州連絡の気動車特急として誕生しています。特急「おおぞら1号」とともに函館駅で青函連絡船の第1便を受け継ぎ、北海道の特急としては唯一函館本線山線経由で旭川まで走破していました。また、多客期には網走まで延長運転されたこともありました。晩年は札幌~旭川間が電車化により廃止となり、晩年は急行の格上げで2往復体制となっていました。昭和56年3月 滝川駅にて 旭川まで運転されていた頃の特急「北海」を電化区間の滝川駅で捉えたものです。史上でも唯一となる、函館本線(函館~俱知安~旭川間)を走破する特急でした。※ちなみに、急行では「宗谷」(函館~俱知安~稚内間)がありました。昭和56年3月19日 張碓~銭函間にて北海道の特急としては、山線であると同時に、唯一日本海に面した場所を走ります。昭和56年3月 撮影場所不明何処で撮ったかわかりません。特急停車駅ですが閑散としています。おそらくですが、深川駅ではないかと思います。昭和58年9月6日 小沢~倶知安間にて 特急「北海1号」「北海」自体が晩年の頃です。このときは、キハ183系の「北海」と1往復づつの計2往復が運転されていました。キハ82系の頃としても晩年になります。北海道旅行が航空機にシフトしていく時代になり、残念ながら北海道の特急の中でもいち早く消滅してしまいました。
2023.01.26
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14系寝台客車:寝台特急「北星」寝台特急「北星」については、20系時代の写真を過去ログ『20系寝台客車:寝台特急「北星」』でご紹介いたしましたが、今回は、昭和53年10月改正以降の14系化後の写真を、少ないですがご紹介したいと思います。昭和54年5月 蕨~西川口間にて20系客車から14系化された「北星」です。20系じゃなくなったことから興味が失せ、全く撮る気の無かったころなのですが、1枚だけ文字マーク時代の「北星」を撮っていました。35mm判リバーサルフィルムからスキャンしたものです。昭和57年5月 浦和~南浦和間にて EF651010牽引東北新幹線の大宮暫定開業を間近にした頃の「北星」。14系客車になった頃には、牽引機がEF651000番台になっていたのではないかと思います。ヘッドマークの付かない地味な編成だったので、やはり殆ど撮ったことがありませんでした。昭和57年11月6日 上野駅にてイラストマークがやっと板に付いてきましたが、廃止まであと1週間になってしまいました。既に東北新幹線は開業していますので、下車客も少なく静まり返ったホームは、ブルトレの衰退を見事なまでに表現しています。寂しいもんですね。昭和57年11月13日 上野駅にて 横サボ上野行最終日前日の「北星」のサボ。おそらく、噛り付いたガキ鉄を避けるために横サボだけ撮ったものと思われます。いよいよお別れです。昭和57年11月14日 上野駅にて 183系「とき」と並ぶ下り最終「北星」上越新幹線開業前の最終日、沢山の愛称が上野駅から去っていきました。この2つの列車もこの日限りでした。しかしこの人だかり、どうにかならないもんですかね。いつの時代も同じですね。昭和60年7月7日 東大宮操車場にてイベントの際に展示された1両のスハネフ14。幕は「北星」が用意されました。本体列車も旧客をEF8181やEF5889が牽引し、ロイヤルエンジンEF5861が撮影会に参加するなどレアなイベントでしたが、この「北星」も廃止されてから久しかったので、結構な人気が集まっていました。急行時代から「北陸」と同様の運命を辿ってきた「北星」でしたが、新幹線という競争相手の進捗の違いによって、相当な寿命差が生じることとなりました。
2023.01.25
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キハ82系:特急「おおぞら」(その2)「おおぞら」は、キハ82系を使用して昭和36年10月に誕生した北海道初の特急列車です。運転区間は函館~室蘭本線・千歳線経由~旭川でした。昭和37年、旭川編成に釧路編成を併結開始。「おおぞら」の原形が出来上がります。一旦は旭川編成が無くなり、釧路編成単独となりますが、その後再び復活したことがあります。昭和47年から3往復体制となり、しばらくこのスタイルで推移しましたが、昭和56年に石勝線が開通、函館~札幌間が「北斗」と分離されるなどの変遷があります。私が北海道に渡ったのは、未だ石勝線が開通する前でしたので、函館本線滝川から根室本線富良野を経由して釧路へ至るルートを通っていました。『キハ82系:特急「おおぞら」(その1)』で電化区間における「おおぞら」をご紹介いたしましたが、今回は非電化区間で撮影したものをアップいたします。昭和55年3月9日 函館駅にて高校1年生の時、北海道に渡って初めて出逢ったのがこの「おおぞら」でした。「はつかり」1M~青函1便を経て1Dへと、往年の優等ルートがつながっていました。昭和56年3月13日 落合~新得間にて当時は地図を買っておくと言うような知恵もなかったので、ひたすら線路沿いに歩いて撮影場所を探しました。これから30km近くある駅間に臨みます。フル馬力で登坂するディーゼルの長大編成は圧巻です。昭和56年3月13日 落合~新得間にて同じ地点における下り列車。終点釧路まではまだまだです。昭和56年3月13日 落合~新得間にて大きくカーブを描きながら渡る橋梁。言わば新得側から最初のヘアピンカーブになります。昭和56年3月13日 新得~落合間にて原版は真っ青な空なのですが、そのお陰で列車がドアンダーになってしまったんですね。そんなことで、明るさを調整すると、頃合としてはこの辺りが限界なようで。キハ82の2連続。当時としては珍しいですね。昭和56年3月17日 落合~新得間にてこちらは軽やかに坂を下りる「おおぞら」。力を入れないのでさわやかな感じがします。珍しくピントがバッチリ合ったのですが・・・右側に荷物が写ってしまって台無しになってしまいました。昭和56年3月17日 富良野駅にて新得での撮影が終わって札幌へ向かう途中、遅れてきた「おおぞら」とすれ違いました。写真は普通に撮っていますが、振り返ると私たちの乗った列車が走り出してしまい、友人と二人で列車を追いかけて飛び乗って事なきを得るという危うい場面がありました。自動閉塞なので、「おおぞら」と同時ベルで発車してしまったようです。いやぁ~、車掌さんにマジで怒られました。今では富良野駅へは「おおぞら」どころか特急すら通りませんから、思い出とともに貴重な写真となりました。【中古】Nゲージ KATO(カトー) 6068 キハ82 900 【A】【中古】[RWM]10-229 キハ82系 6両基本セット(動力付き) Nゲージ 鉄道模型 KATO(カトー)(20050630)送料無料◆98774 TOMIX トミックス JR キハ82系 特急ディーゼルカー (ひだ・南紀)セット (6両) Nゲージ 鉄道模型(ZN90139)
2023.01.21
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485系(非貫通型編):特急「あいづ」磐越西線(郡山口)における特急列車は、昭和40年誕生のキハ82系「会津やまばと」を起源とします。昭和43年10月1日、「やまばと」から会津編成を独立、電車化(483系化)され、特急「あいづ」が誕生します。特急「あいづ」は、仙台運転所の9連を使用しており、他の編成と同様に仙台方はボンネット車率が高かったため、上野方に連結されたクロと合わせて両端がボンネットの整った編成が多かった印象的でした。仙台方に非貫通型や貫通型が連結されることが少なかったため、秋田運転所に移管されるまではあまり見ることができませんでした。昭和52年 上野駅にて昭和52年 蕨~西川口間にて昭和53年 西川口~蕨間にていずれも53・10改正前で、イラストマーク化されていない時代。仙台運転所ではまだ1000番台もまだ少なかったので、非貫通型は本当に珍しかったように記憶しています。さらに、貫通型も見た記憶が無く、残念ながら写真は1枚もありませんでした。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 11-329 トレインマーク 485系/489系ボンネット用(文字)トレインマーク変換装置485系300番台(国鉄・イラスト) 【KATO・11-325】「鉄道模型 Nゲージ オプションパーツ」[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1129 485系後期形 2両増結セット[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1130 485系初期形 2両増結セットファーストカーミュージアム 485系(雷鳥)【TOMIX・FM-025】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」485系特急電車(しらさぎ・新塗装)セットC (3両)【TOMIX・98652】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1527 485系初期形 6両基本セット
2023.01.20
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485系(ボンネット型クハ編):特急「あいづ」磐越西線(郡山口)における特急列車は、昭和40年誕生のキハ82系「会津やまばと」を起源とします。昭和43年10月1日、「やまばと」から会津編成を独立、電車化(483系化)され、特急「あいづ」が誕生します。昭和57年11月改正まで一貫して仙台運転所の車両が使用されていましたが、東北・上越新幹線の開業により秋田運転所へ運用を移管。さらに、平成5年11月に伝統ある上野発着の特急あいづ」は廃止されました。昭和54年 西川口~蕨間にて昭和54年 蕨~西川口間にて特急「あいづ」は、磐越西線内の有効長の関係により、最大で9両編成とされていました。サシを連結したことにより、MT比の関係から上野方にはクロ481が使用されていたのが特徴で、会津若松方はクハ481のボンネット型が多用されていました。この9両編成は、長らく特急「ひたち」と共通運用でした。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 11-329 トレインマーク 485系/489系ボンネット用(文字)トレインマーク変換装置485系300番台(国鉄・イラスト) 【KATO・11-325】「鉄道模型 Nゲージ オプションパーツ」[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1129 485系後期形 2両増結セット[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1130 485系初期形 2両増結セットファーストカーミュージアム 485系(雷鳥)【TOMIX・FM-025】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」485系特急電車(しらさぎ・新塗装)セットC (3両)【TOMIX・98652】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1527 485系初期形 6両基本セット
2023.01.19
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485系3000番台:臨時特急「つがる53・54号」奥羽本線の秋田~青森間に運転された特急列車の歴史を見てみると、かつて昼間は「白鳥」と「いなほ」の各1往復くらいしか走っておらず、他には夜行で「日本海」「あけぼの」といったブルートレインくらいのものであり、優等列車の少なかった時代はこれらの夜行列車もヒルネ利用として使われていました。新幹線網の整備によりアクセス特急も充実することになり、「いなほ」「たざわ」といった外区間からの直通列車や、純粋に秋田~青森間に設定された「むつ」などもありました。しかし、この区間の乗車率は決して良くは無く、運用の効率化により系統分割が図られ、短編成特急「かもしか」へと移行されることになります。この時期、この区間には撮影に訪れることが無かったため、その記録は残念ながらありません。東北新幹線が八戸まで延伸された際、それまでの「はつかり」は北海道函館への直通列車が「白鳥」となり、青森までの列車が「つがる」に改名されることになります。その際、季節延長で弘前まで足を伸ばすこともあったようです。さらに東北新幹線が新青森へと到達すると、東北本線内でのアクセスが不要になってしまうことになり、青森~秋田間の特急列車が整理され、ここに現在の秋田~青森間の特急「つがる」に定着することになります。それまで485系3000番台を中心に使用してきた「つがる」でしたが、E751系が余剰となったために運用が整理され、検査や故障時を除いてはE751系によるを行っていました。そんな中でも、臨時列車には予備車である485系3000番台が充当されることがあり、全国から485系が次々と姿を消していく中では貴重な存在となっていました。平成24年3月11日 青森駅にて 特急「つがる53号」「あけぼの」の撮影を邪魔するかの様に停車中の485系「つがる」でしたが、既に青森センターの485系は定期運用を持っていませんでしたので、大変貴重なシーンでした。485系3000番台を直に見たのも初めてだったと思います。平成24年3月13日 青森駅にて 特急「つがる54号」同じ回の撮影最終日、青森駅へ出向くと偶然にもまた遭遇しました。たまたま遭遇した臨時特急「つがる」。目的には入れていなかったので、今になって思えばラッキーな出会いでした。函館新幹線の開業により完全に行き場を失ってしまった青森センターの485系。平成28年3月、青森センターは盛岡センターの派出に格下げされてしまったようで、485系も盛岡センターへの所属替えとなったようです。そしてその後は活用されることもなく、廃車となってしまったみたいです。
2023.01.17
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キハ82系:特急「おおぞら」(その1)「おおぞら」は、キハ82系を使用して昭和36年10月に誕生した北海道初の特急列車です。運転区間は函館~室蘭本線・千歳線経由~旭川でした。昭和37年、旭川編成に釧路編成を併結開始。「おおぞら」の原形が出来上がります。一旦は旭川編成が無くなり、釧路編成単独となりますが、その後再び復活したことがあります。昭和47年から3往復体制となり、しばらくこのスタイルで推移しましたが、昭和56年に石勝線が開通、函館~札幌間が「北斗」と分離されるなどの変遷があります。私が北海道に渡ったのは、未だ石勝線が開通する前でしたので、函館本線滝川から根室本線富良野を経由して釧路へ至るルートを通っていました。今回は、電化区間で撮影したものをアップいたします。昭和55年3月 札幌駅にて最初に北海道に行ったときは、どこで撮ったら良いのか全く要領がつかめず、殆ど駅撮りだったような感じです。ローカル線の乗りつぶしをやっていたわけでも無し、昼間なにをやっていたのか殆ど記憶がありません。この頃は、基本7両+付属3両の10両編成が一般的でした。昭和56年3月11日 白石~厚別間にて架線下を行く「おおぞら」。直線区間を遠慮の無いスピードで疾走していきます。ファインダーを覗きながらも、車体に舞う雪煙に感動したものです。ダイレクトプリントからのスキャンなので、画像がよくありません。昭和56年3月11日 大麻~厚別間にて翌年の同時期に再度北海道を訪れています。すっかり冬の北海道の魅力に取り付かれてしまいました。この時は前年の経験を生かして、駅間でも撮影するようになっています。写真は珍しくキハ82をダブルで連結した編成。私が滞在している間、この編成が組まれたまま運転されていたようでした。上の写真の列車の後部になりますが、なんとキハ82の900番台が連結されていました。昭和56年3月11日 大麻~厚別間にて電化区間で撮影したものです。リバーサルのマウントに邪魔されて、右側がカツカツになってしまったのが残念です。思いっきりの逆光ですが、画像の調整でなんとか見られるようになりました。まだ石勝線の開通前ですので、「おおぞら」は全て滝川~根室本線富良野経由です。この区間では「おおぞら」を見ることはできません。キハ183系900番台:特急「おおぞら」試作車誕生~試用運転
2023.01.13
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651系:臨時特急「水上」上越特急として運転されて来た特急「水上」は、平成29年年始を最後に185系から651系へと変わりました。185系時代に「完全廃止」というプレスが打たれたにもかかわらず、毎年末年始には設定されており、651系による運転が続いていました。平成29年8月12日 特急「水上91号」臨時化されてからは年末年始の運転となっていましたが、この年は夏臨でも設定されました。ヘッドマークは「臨時」。平成30年1月3日 特急「水上90号」年末年始でも設定。ヘッドマークはやはり「臨時」。平成30年12月30日 特急「水上91号」翌シーズンも設定。やはり「臨時」。令和2年12月31日 特急「水上91号」コロナ禍における行動抑制もあり、設定されない年がありました。令和3年1月3日 特急「水上90号」このシーズンではヘッドマークが「特急」となりました。令和5年1月3日 特急「水上90号」年末年始は忙しいので遠出することもなく、ほぼ定点撮影です。せっかくのディスプレイがありながら「水上」の表示はされませんでした。横サボが幕式のため、連動しない表示はできないのでしょうか?まだ昭和末期の設計でしょうから、この辺りの技術的な問題は仕方ありません。令和5年3月ダイヤ改正において、「あかぎ」「草津」から651系が撤退することになりましたので、この臨時特急「水上」についても、おそらくは今季限りでE257系化されるものと思われます。E257系化にあたっては、列車名が再整備されたようであり、「水上」もきちんと表示されるのではないかと期待されます。ただし、引き続き設定されることが大前提になりますけど。
2023.01.10
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485系:臨時特急「ひばり52号」昭和57年11月、上越新幹線の大宮暫定開業により、東北新幹線開業後も暫定定期に残っていた特急「ひばり」は、定期列車としては全廃されることになりました。ただ、対上野から大宮乗換えの不便があったため、多客期に485系を使用した「ひばり51・52号」が設定されていました。昭和60年1月5日 古河~栗橋間にて 臨時特急「ひばり52号」如何にも仙台運転所というような編成ですが、もしかしたら勝田?の編成かもしれませんね。中間に初期車のユニットが挟まっています。既に食堂車が無く、本来なら9両編成化されている時代だと思いますが、サロ1の11両と中途半端な編成です。特急「ひたち」と共通だったかもしれませんが、記録が無くて分かりません。この年の3月に上野まで開業しましたので、このシーズンが最後の運転だったと思われます。[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) FM-011 ファーストカーミュージアム 国鉄 485系特急電車 (やまびこ・ボンネット)[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) FM-025 ファーストカーミュージアム 国鉄 485系特急電車(雷鳥)10-1130 485系初期形 2両増結セット(再販)[KATO]《01月予約》10-1129 KATO カトー 485系後期形 2両増結セット Nゲージ 鉄道模型(ZN87760)※再生産 1月発売※485系 初期形 2両増結セット【KATO・10-1130】「鉄道模型 Nゲージ カトー」485系 後期形 2両増結セット【KATO・10-1129】「鉄道模型 Nゲージ カトー」[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1527 485系初期形 6両基本セット
2023.01.03
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EF65PF重連牽引:臨時特急「あけぼの52号」返却回送毎年、大混雑を極めている年末年始やお盆の帰省ラッシュ。新幹線網が出来上がる以前は、さばききれない昼間を避けた夜行列車による大量輸送が行われており、高校時代は上野駅での乗客整理のアルバイトに精を出したものです。車両が少なくなる増発時は、普段は団体列車や予備で待機している車両をかき集めて臨時夜行列車仕立てており、14系座席車のみの”運ぶだけ”を目的とした夜行特急列車もありました。今回はそんなシーンを1枚。昭和60年1月5日 栗橋~古河間にて 回6105レ 年末年始輸送でUターン客を東京へ運ぶために設定された「あけぼの52号」。下り客は見込めないので、上野到着後小休止の後に回送で秋田に戻ります。設定された回6105レは急行スジで、福島からは列車番号が変わってしまいますが、東北本線内は臨時急行「まつしま」や団体列車で使われるスジです。当時、与野駅に勤務していた私は局報を自由に見ることが出来ましたので、EF65が重連になることも当然分かっていて出撃した次第です。この頃は、既に東北新幹線も開業し、定期客車列車も少なくなっていましたので、臨時と言えども客車列車を重連で牽くことは極めて稀でした。したがって、大変注目した訳です。残念ながら下り列車でしたので、光線状況が良くなかったのですが、それでも14系座席車10両を従えて牽くEF651000番台の重連は非常に貫禄がありました。昔からの「あけぼの」など定期特急でも重連が見られることはまずありませんでしたから。
2023.01.02
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583系:特急「ふるさと」昭和57年6月、東北新幹線が大宮始発の暫定開業となりました。この際、在来線「やまびこ」は全廃、「はつかり」は盛岡~青森のアクセス特急に変わってしまいましたが、乗換え不便の救済策として、上野~青森間の直通臨時特急「ふるさと」が設定されました。昭和58年8月17日 大宮駅にて大宮駅にて出発を待つ下り臨時特急「ふるさと」。当時としては珍しく、専用のイラストマークがセッティングされました。東北新幹線開業により583系の運行範囲が変わるため、行き先表示の整備にあわせてヘッドマークも用意されたのではないかと推測します。昭和58年8月17日 大宮駅にて上の写真と同日、上り「ふるさと」も撮影していました。上り到着はかなり遅い時間で、上野まで行かずに大宮止まりとなっていました。これは、夜行列車として折り返す間合いが確保できなかったための措置だったようです。上り臨時特急「ふるさと」は、3番線に到着後、東大宮操へと引き上げとなっており、上野方の先頭には既にテールランプが点灯しています。昭和60年1月5日 栗橋~古河間にて唯一撮ってあった走行中の下り臨時特急「ふるさと」。編成は583系ですが、まだ食堂車サシ込みの13両という堂々とした編成でした。昭和60年3月、東北新幹線の上野開業によりこのような臨発措置も解消となり、何も無かったように設定が無くなってしまいました。上野開業が春休み前でしたので、この写真がひょっとすると運転最終日であったかもしれません。
2022.12.30
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485系「リゾートやまどり」:特急「リゾート草津」令和4年12月27日、485系「リゾートやまどり」が最後のイベント仕事を終え、郡山へ向けて廃車回送されたそうです。平成23年の登場時に目撃したリゾートやまどりについては『ジョイフルトレイン:485系「リゾートやまどり」登場の時』で既にご紹介していますが、その後華々しくデビューしたときの記録があります。平成23年、ジョイフルトレインの485系「やまなみ」と「せせらぎ」を合体させてリニューアルされた「リゾートやまどり」が誕生しました。485系「リゾートやまどり」は、早速臨時特急「リゾート草津」として新宿発貨物線経由で設定されました。登場したばかりで未知の部分ばかりだったのですが、どうもジョイフルトレインにはあるまじきヘッドマークが付いているということで注目を集めました。平成23年7月16日 送込み回送回送なので何も表示されていませんが、ヘッドマークステーのようなものが運転席に見えました。平成23年7月16日 下り 臨時特急「リゾート草津」本運転では小さいながらも専用のヘッドマークが装着されました。平成23年8月13日 送込み回送この日は回送にもヘッドマークがセットされていました。本運転は逆光になってしまいますので、これは嬉しいサービスとなりました。平成23年8月30日 送込み回送この日の送込みはヘッドマークが取り付けられませんしたが、運転席を見ると・・・ステーの傍にヘッドマークが置いてありました。上から撮ったものが、結果、面白いものとなりました。平成23年8月30日 下り 臨時特急「リゾート草津」本運転も上から。安心してください、入ってますよ!平成23年12月24日 臨時特急「リゾート草津51号」新宿発着の「リゾート草津」は何故かたった1シーズンのみで終わってしまい、同年の冬臨では上野発着に変わってしまいました。列車名も「51号」が付くようになりましたが、ヘッドマークは新宿発着時と同じものが用意されました。平成24年11月4日 下り 臨時特急「リゾート草津」1年ほど記録していなかったのですが、ヘッドマークステーが撤去され、なんと電光式に変わってしまいました。なにやら表示が出ているようで、特急何とかって表示されているようですが、歪んでしまって分かりません。そしてこれまた何故か、「51号」がなくなっています。平成25年7月20日 下り 臨時特急「リゾート草津」その後も時折りアルバイトの様に「やまどり」の運用が設定されますが、ヘッドマークが「臨時」だったり「沼田」だったりと精彩の無い表示しかなくなってしまったため、殆ど撮ることが無くなってしまいました。写真の表示は「特急」のようです。新宿発着の臨時特急「草津」もこの時以来設定されなくなってしまったようですが、その後、ほぼ4年振りに651系にて帰ってくることになりました。
2022.12.28
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キハ183系900番台:特急「おおぞら」試作車誕生~試用運転北海道の過酷な仕業に耐えてきたキハ82系も故障が多くなり、次世代の気動車特急の登場が待たれました。ここにキハ183系が誕生することになります。昭和54年の秋のことでした。昭和54年秋 富士重工業敷地内にて キハ183-903未だ当時の国鉄に引き渡し前のキハ183系900番台の落成直後の姿です。友人の友人のお父さんがこの富士重工に勤務していて、新しく完成した気動車を立会いで見せてくれるとの連絡が入ったのです。興味深々でもあり宇都宮までの旅程に慣れていた私は、もちろん喜んでいきました。撮影にあたっては、そのお父さんから「まだ引渡しはおろかプレス発表もしていないので、絶対にマスコミ関係への情報は流さないと約束しなさい。」と言われました。当時高1であった私からすれば、雑誌等に記事を投稿するなんて大それたことは考えたことも無い時代でしたので、特には問題なかったんですけどね。とにかく、初めて見たキハ183系のあまりにも奇抜なデザインに開いた口が塞がらないと言うか、呆然と眺めるように写真を撮りました。当時の気動車特急には全く無かったデザインでしたから。といった貴重な体験から、本線を走行する前のキハ183系の産声を聞くことが出来たわけです。ちなみに、富士重工ではキハ183-903とキハ183-904を先頭とする編成が落成しましたが、同時進行でキハ183-901とキハ183-902を先頭とする編成が新潟鉄工から完成しています。昭和56年3月 日付不明 札幌駅にてキハ183系900番台は、先行試作と言うことで、結構長い期間の試運転が行われ、さらに試行営業と言えるような暫定営業が永らく行われました。おそらく、北海道向けとして初めての機軸を盛り込んだ新性能気動車だけに、各種データの集積やトラブルの把握など各種テストが行われたのでしょう。技術的な内容は良く知りませんが、直ぐには量産車が誕生していない点で想像が付きます。私が初めて北海道に行った昭和55年3月時点では逢えなかったのですが、翌年の昭和56年には営業運転に就いていました。ただし、編成予備が無かったために、毎日片道の運転という設定でした。(当時の「おおぞら」は、函館~釧路間というロングランのため、片道走行が限度だったのです。)昭和56年3月 日付不明 札幌駅にて量産車が製造されていない頃なので、この時点では編成の全てが900番代で組成されています。外観での最大の特徴は、空調装置の不具合に備えて、各車両にスウィング式で開閉できる窓が付いていたことです。これは781系900番台特急型電車にも共通した構造ですが、いずれも量産車では採用されずに密閉式となり、試作車も量産車に合わせて共通化改造され、最大の特徴を失ってしまいました。その点では登場初期の貴重な写真となります。昭和56年3月17日 根室本線 新得~落合間にて 「おおぞら4号」こちらは狩勝峠の入口辺りで撮った写真です。1日のうち片道しか運用に入れないキハ183系900番台ですので、撮れるか撮れないかは運次第でした。まあ、せっかく来たのにピントがあっていない、構図もメチャクチャな写真で終わってしまったのが非常に残念です。逆光だったのも災いしました。それでも、特徴のあるキロ182-900番台(キロ182の中で、唯一デッキが車端にある構造。)が判るのが救いでしょうか。昭和56年3月20日 函館本線 姫川~森間にて 「おおぞら5号」こちらは帰り掛けに撮った函館本線内での写真です。なんとも上の写真と同じような構図、しかも逆光で冴えない写真になってしまいました。しかし、キロ182-900番台に加え、キハ184(中間電源車→後のキロ184-901)まで判別できるのが救われる構図でした。一つの特定の編成にこれだけ逢うことができながら、キレイな写真を残せなかったのは非常に残念でした。しかし、その後量産車と混結されるためにバラバラになってしまい、外観上も区別が付きにくくなってしまったため、逢ったことさえ分からない状況となったしまったことを考えれば、北海道への遠征を有意義にしてくれた立役者でもありました。この度全廃が発表されたキハ183系。北海道の鉄道の高速化に貢献した形式であり、その功績は非常に大きかったものと言えると思います。
2022.12.26
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キハ82系:特急「オホーツク」2023年ダイヤ改正において、特急「オホーツク」からキハ183系が撤退し、キハ283系化されるそうです。これにて、最後まで残っていたキハ183系も全廃されるようです。特急「オホーツク」は、元々準急列車として登場した名称ですが、昭和47年10月の改正から札幌~網走間を走るキハ82系特急として誕生しています。北海道では、本州からの接続により函館起点の特急列車が整備されておりましたが、この「オホーツク」の誕生により、初めて函館に乗り入れない特急列車が設定されたことになります。また、北海道ではアイヌ語に由来する駅名や地域名が多いため、これらを使用した急行列車は多く存在しましたが、ロシア語を使用した列車としては唯一のものとなっています。私がキハ82系の「オホーツク」を捉えるタイミングとしては、高校時代にたった2回のチャンスでした。よって、枚数は少ないですし、駅撮りシーンばかりとなりますが、昔の札幌駅と合わせて光景を楽しんでもらえたらと思います。昭和55年3月 札幌駅にて初めて出逢った「オホーツク」。当時は日本で唯一のカタカナ特急でしたので、憧れも強かったです。有効時間帯としては下り朝発の1本だけでしたから、絶対に逃すことはできない存在でした。昭和56年3月 札幌駅にて翌年にまたまた札幌駅で捉えた写真。1枚目と殆ど変わらない光景。地平駅時代の風景も懐かしいです。昭和56年3月 新旭川~東旭川間にて「オホーツク」で唯一走行写真を捉えたものです。札幌駅での出発時間が比較的早いため、非常に撮りづらい列車でした。多分、旭川駅で駅寝したときだと思います。写真は、偶然にもキロ(グリーン車)を2両連結した珍しい編成です。昭和56年3月 旭川駅にて「オホーツク」が撮りづらかったのは、上り列車の時間設定の問題が大きかったですね。写真は旭川駅での上り列車ですが、真っ暗で殆ど見えない状態でした。その後、急行「大雪」の撤退が進むに連れ特急「オホーツク」は増発され、石北本線での重要な交通手段となっています。キハ82系時代の最後の頃はヘッドマークがイラスト化されたようですが、その頃は就職して道央まで足を伸ばす時間がなくなってしまい、残念ながら記録することはできませんでした。昭和57年、「オホーツク」からキハ82系が撤退し、新鋭キハ183系へと引き継がれることになります。
2022.12.25
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651系:新宿行き 特急「あかぎ10号」2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となってしまうようです。651系の想い出特急シリーズ。※本記事は、2021/3/9に投稿されたもので、当時の表現になっています。令和3年3月のダイヤ改正において、唯一残っていた高崎線からの新宿行き特急である「あかぎ10号」が廃止になってしまうということです。「あかぎ10号」は休日のみの運転であり、平日朝の「スワローあかぎ」は存続するようなので、湘南新宿ライン(貨物線経由)の「あかぎ」という名称は消滅することになります。平成30年9月24日令和2年3月28日時間帯があまり良くないため、撮った枚数が全然ありませんでした。「サフィール踊り子」の回送には近い時間なのですが、まったく無視していた感じでもあります。上野発着はそれなりの乗車率があるようですが、なんで新宿行きはダメなんでしょうね。
2022.12.24
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183系OM車:臨時特急「四万草津」2022年3月のダイヤ改正において、特急「草津」がE257系化の上、特急「草津・四万」に変わるそうです。かつての臨時特急名称が復活か?と思いましたが、良く確認するとちょっと違いました。本記事は、2016-01-17に投稿したもので、当時の表現になっています。草津温泉方面への臨時列車は昔から多く運転されていますが、殆どの列車は上野発であり、新宿方面からの発着列車が運転されるようになったのは埼京線の新宿乗り入れ開始以降からと思われます。当ブログにおいても、新宿発着の特急列車についてまとめておりますが、まだ地元での撮影を再開する前に設定され、撮り損なった列車があります。平成23年10月22日 川越車両センターにて OM101編成 「四万草津」こんな写真しか無くてすみません。以前からこのヘッドマークが収録されていたのは知っていましたが、撮ったのはこの時が最初で最後となりました。臨時特急「四万草津」は、平成17年秋臨として、新宿~万座・鹿沢口間に設定されました。9003M 新宿07:18 → 万座・鹿沢口10:259004M 万座・鹿沢口15:15 → 新宿18:37運転日は、上下ともに 10/29.30.11/3.5.6.12.13。同列車は名称のとおり、草津温泉と万座、四万温泉への輸送を目論んだものであり、現在の様に臨時列車の殆どが長野原草津口行きとなっていることと様相がかなり違っていたのかもしれません。充当編成は系183系OM車でしたが、このヘッドマークが実際に使用されたものかどうか分かりませんでした。今回、当時のDJ誌から運転状況を調査することができ、実際の運転でもこのマークを掲げていることが確認できましたのでアーカイブに至りました。平成28年3月ダイヤ改正において、現在運転されている定期の特急「草津」でさえ長野原草津口~万座・鹿沢口間が廃止されることになってしまいました。昔は駅旅行会でも四万温泉への企画があったくらいですが、今は列車の乗り入れを打ち切ってしまうほど寂びれてしまったのでしょうか?
2022.12.21
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キハ82系:特急「ひだ」「ひだ」は、昭和43年10月改正により急行列車からの格上げで誕生した気動車特急列車です。運転開始当初は、名古屋から高山本線経由で金沢まで、キハ82系で運転されました。その後は増発や運転区間の変更など、変遷が複雑になっていますので、詳細な記述は割愛いたします。昭和52年3月30日 名古屋駅にて初めて名古屋に行ったときに出逢った「ひだ」。キハ81系「いなほ」の電車化以来、地元では見ることのなかったキハ80系。グリーン車2両+食堂車の「くろしお」と比較すると、7両編成の「ひだ」はミニ特急のイメージがありました。昭和55年8月 木曽川~岐阜間にてこれはEH10や山陰特急を撮りに行った際に立ち寄った時のもので、なんとなし風景が良さそうなので降りてみたのですが・・・。写真は上りの「ひだ」で、構えている方向とは逆から来てしまったため、前頭部も撮ることができずに後追いとなったもの。線形が面白い場所なので、工夫次第でもっとカッコ良く撮れた筈なんですがね。まあ、この頃の写真に対する意識は「写っていれば良い。」くらいだったんですね。当時はキハ82は四国を除く全国で活躍していたので、いつでも撮れると思っていい加減な撮り方をしています。その後はキハ82系「ひだ」に会わないうちキハ85系化されてしまったため、イラストマークも撮ることができず、結果的にこの写真が最後になってしまいました。「ひだ」は、この頃まだ1往復しか設定されておらず、メインは急行「のりくら」でした。それを考えれば、それまで2度しか行っていないところでそれぞれ撮っておけて良かったと思います。
2022.12.20
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651系11連:特急「あかぎ4号」2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となってしまうようです。651系の想い出特急シリーズ。※本記事は、2020/10/11に投稿されたもので、当時の表現になっています。「あかぎ」は165系による急行列車でしたが、昭和57年、特急化に合わせて185系200番台で運用されるようになり、30余年もの月日が経過しました。平成26年、185系にも老朽化による交代の時期が訪れ、その後継車には交直流型の651系が使用されることになります。高崎線系統に充当された651系は、交流機器を撤去或いは回路を分断して使用することになり、1000番台の区分が与えられます。特急「あかぎ」の185系時代は、一部に7+7の14連運用があり、651系化にあたってはこれを7+4の11連に置き換えました。今回は、この11連で運転されていたものをまとめてみます。※写真は、すべて651系特急「あかぎ4号」です。平成26年3月23日平成26年4月5日平成26年4月29日平成26年6月14日平成26年8月16日平成26年12月7日平成27年1月12日平成27年2月7日平成27年2月11日平成27年3月8日同じような写真ばかりで恐縮です。朝の特急タイムであることから、「カシオペア」や「北斗星」とセットで撮っているため、毎度同じような写真になってしまうのです。前例から651系化後も併結運転が行われましたが、乗車率が振るわなかったようで、併結運転は直ぐに解消されてしまいます。併結運転のために付属編成として3編成が改造された651系1000番台でしたが、1編成が「伊豆クレイル」に再改造されたものの、他の2編成は波動用として使用されることもなく、平成29年度に廃車されてしまいました。そして、最後まで残っていた「伊豆クレイル」も令和2年10月8日に長野へ旅立ち、651系4連は消滅してしまいました。
2022.12.18
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485系リゾートやまどり:特急「烏山山あげ祭り」近年になって毎年設定されていた快速「烏山山あげ祭」号ですが、新型コロナ感染拡大に伴って2019年を最後に設定されていませんでした。2022年は制限がされなかったため3年振りの設定となりましたが、485系「リゾートやまどり」による特急「烏山山あげ祭」と特急化されての運転となりました。令和4年7月23日 485系リゾートやまどり 特急「烏山山あげ祭」期待はしていませんでしたが、表示は「特急」でした。快速時代にもやまどりが使用されていたようですが、コロナ禍前2年間は253系が使用されていました。2022年は7月22・23日の2日間が設定され、これまで新宿~宝積寺であったものが新宿~宇都宮と運転区間も変更されています。特急化によりこれが今後の定番になるのかと思った矢先のリゾートやまどりが引退となり、来年の設定も気になります。485系リゾートやまどりによる特急「烏山山あげ祭」はたった1年、1シーズンのみの設定で過去帳入りとなりました。懐かしのリゾートやまどり(ツアー)DD51842牽引12系客車:快速「烏山山あげ祭り」
2022.12.11
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キハ82系:特急「あさしお」「あさしお」は、昭和47年8月に誕生した臨時気動車特急です。2ヵ月後の同年10月、正式な定期特急として3往復か設定されました。区間は京都発着となりますが、行先が倉吉、城崎、米子などバラバラであり、宮津線経由など大変複雑になっていました。関東在住で土地勘の無いものからすれば、単に「ややこしい列車」というイメージがあったのではないでしょうか?昭和55年8月 京都駅にて特急「あさしお」は誕生当初からキハ82系が使用されています。これは「白鳥」「いなほ」の電化による押し出しであり、設定当初は食堂車も連結されていました。食堂車は昭和50年3月の改正で運用から離脱しています。昭和55年8月 大山口?駅にて京都駅から夜行普通列車の「山陰」に乗って出雲市方面を目指しました。当時の時刻表から察するに、写真の列車は「あさしお2号」で、交換待ちの行われた駅は大山口駅と思われます。右側にチラッと写っているのは、私の乗っていた「山陰」で、当時はまだ旧型客車でした。昭和57年、「やくも」の電車化により押し出されたキハ181系が導入されます。その時期、1度は京都を訪れたことがあったのですが、時間が無くて何も撮らず、結局はこのキハ82系が記録できただけとなってしまいました。そして平成8年3月、京都口~城崎の電化開業により、「あさしお」の名称も気動車特急とともに消滅してしまいました。
2022.12.06
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185系200番台:特急「白根」185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)吾妻線初の特急列車として運転を開始した特急「白根」。157系による臨時特急「白根」に始まり、183系1000番台による「白根」へと進化しますが、あくまでもオンシーズンのみに運転される臨時特急でした。昭和57年11月15日、上越新幹線大宮暫定開業に伴い、急行「草津」の大部分を格上げして定期特急化され、晴れて特急「白根」が誕生しました。車両は「新幹線リレー号」と共通の185系200番台によるものでした。昭和57年12月 西川口~蕨間にて 185系14連による特急「草津」「谷川」登場後間もない頃の特急「白根」。「谷川」と併結され14連で走っていました。「白根」が上野寄り、「谷川」が渋川寄りの連結となっていました。この写真を見る限り、昭和57年いっぱいまでは金網フェンスが張られずに写真が撮れたようです。チラッと写る反対側は既にフェンスが設置されているようなので、この後間もなくこの区間でも撮影が出来なくなったようです。昭和60年2月9日 川原湯駅にて 185系「白根」×2とEF15EF15がサロンエクスプレスを牽いて吾妻線に入線した日、川原湯駅(現:川原湯温泉駅)にて撮影したもの。この日の川原湯駅では、特急「白根」同士の交換に加え、EF15牽引のサロンエクスプレスの退避が重なったため、ローカルな駅で壮観な交換シーンが見られました。昭和60年2月9日 小野上~祖母島間にて 築堤を行く185系下り「白根」同日、中間駅でEF15+サロンエクスプレス東京撮影のために構えたポジションで再び撮影。当日は雨+雪でバッドコンディションでした。ヘッドマークが雪で見づらくなってしまいましたが、雪の地方ならではの走行写真が撮れました。晴れて定期特急となった「白根」ですが、昭和60年3月の新幹線上野開業時において、1往復残っていた急行「草津」が消滅するとともに、新特急に種別が変更された上で「草津」の愛称が使用されるようになりました。長らく吾妻線温泉リゾート特急としての地位を守ってきた「白根」の愛称は、ここに終止符を打つこととなりました。183系1000番台:特急「白根」157系:特急「白根」
2022.12.01
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185系:特急「ホームタウンとちぎ」東北新幹線開業後、新幹線が停車しない駅の速達利便性の確保から新たな特急列車が誕生します。それが185系を使用した新特急「なすの」でした。しかし、実際は急行「なすの」を特急化しただけのような存在の列車であり、所要時間の短縮も無く実質料金が値上げされたようなものでした。そのため利用率は極端に低く、後に増発される快速列車へとシフトしていくことになります。平成2年3月の改正において、新特急「なすの」は新宿~黒磯間を残して快速列車へシフト、たった1往復のみの存続となってしまいました。平成4年3月改正では、上り1往復が宇都宮~新宿間に増発され、1.5往復体制となります。平成7年12月の改正において、新幹線の列車名が整理され、那須塩原発着の各駅停車タイプを「なすの」とすることになり、名称を奪われた新特急「なすの」は上りを「おはようとちぎ」、下りを「ホームタウンとちぎ」改称します。また、平成14年12月の改正において、新特急の種別が廃止となり、特急列車となっています。少しだけしかありませんが、下り列車の「ホームタウンとちぎ」の写真を並べます。平成22年11月1日 赤羽駅にてそれまで撮ったことがなかった「ホームタウンとちぎ」。時間帯があまり良くないのでなおさらです。しかし、夏場の陽の高い季節であれば、なんとか撮れなくも無かったはず。廃止が発表されたのがかなり急でしたので、慌てて撮影を挙行しました。平成22年11月12日 新宿駅にて勤務時間の関係で、いつもですと平日に撮ることはできません。外回りで際どいタイミングのときだけ撮ることができます。そんな日がもう1日だけありました。話題性としてイマイチなのか、テツの姿は少ないです。自分もそういう立場に居ましたので、他人のことは言えません。一番さびしい思いをしていたのは「ホームタウンとちぎ」本人だったことでしょう。平成22年12月3日、「おはようとちぎ」とともに東北本線の185系特急が消滅しました。
2022.11.18
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485系:特急「やまびこ」 53・10改正後「やまびこ」は、上野~盛岡間を結んでいた特急列車です。特急列車としての起源を辿ると、上野~福島間を「つばさ」に併結していた盛岡編成ということになり、上野~盛岡間の特急としては気動車特急としての運転が最初でした。昭和38年12月のことです。昭和40年、東北本線の盛岡電化開業に伴い、電車での特急列車が運転開始となります。481系交直両用型特急電車として実績が認められ、50Hz版の483系が登場し、東北特急として初めての電車特急「やまびこ」が誕生します。登場当初はボンネット型により運転されていましたが、青森電化に際して青森運転所が開設、ボンネット型の「やまびこ」は早々に姿を消すことになります。※青森運転所の開設当初はボンネット型の配置があったらしく、「白鳥」「いなほ」にボンネット型が使用された実績があるようですが、当時小学2年生くらいでしたので、そのような列車の記録は持ち合わせておりません。今回は、特急「やまびこ」のうち昭和53・10改正~東北新幹線大宮暫定開業前日までの画像をまとめました。昭和55年頃 川口駅にて昭和56年 蕨駅にて昭和56年1月5日 白坂駅にて母親の田舎に行く際、単独行動で寄り道して撮った写真。急行の止まらない白坂駅ですが、特急の追い越し待ちで運転停車する例が多く見られました。昭和57年1月4日 豊原~白坂間にて景色の良いところで最後の勇姿を撮ろうと一大決心で、豊原~白坂間を踏破しました。しかし、雪ならまだしもずうっと雨・雨・雨。参りました。上下線が離れているのであまり効率が良くなく、「やまびこ」はたった2枚しか撮れませんでした。昭和56年 蕨~南浦和間にて昭和57年6月 大宮駅にて北海道初の電車特急「いしかり」の781系化により北海道を追われた四つ目の1500番代は、初期の配置区である青森運転所へと里帰りし、この「やまびこ」以外にも、「はつかり」「ひばり」「いなほ」に運用されるようになりました。いずれも共通運用であったため、いつ、どの側に連結されているかは全く分かりませんので、シャッターを押した時に何が連結されていたかと言う感じでしたね。で、まあ偶然にもこの2枚が写っていたというわけです。北海道を追われたのが昭和55年、この「やまびこ」が新幹線開通により廃止されたのが昭和57年ですから、この姿を見ることが出来たのはたった2年だけだったということになります。昭和57年6月22日 貝田~越河間にて在来線特急「やまびこ」としての最終日です。国鉄に入社して間もない頃でしたが、出番を合わせてもらって友人と最終日「やまびこ」の撮影に臨みました。この日限りでなくなってしまうなんて信じられない気持ちでした。走っている「やまびこ」たちは何の装飾もなく、いつもどおりに東北本線をかっ飛ばして行きました。昭和57年6月22日 宇都宮駅にて 上り最終「やまびこ8号」そして、とうとうお別れの時がやってきました。全ての撮影の行程を終え、最終の「やまびこ8号」へ乗り込もうと福島駅で待っていると、入線してきた列車には「さようなら やまびこ」の大きな装飾がされていました。カメラを構えていなかったため、写真を撮ることができず、上野駅ではパニックだろうし、写真は撮れないと思っていたのです。しかし、途中の宇都宮付近に来たところで、東北本線が送電故障だか忘れましたが、運転見合わせになってしまったんです。確か、宇都宮駅で30分以上は止まってしまったと記憶しています。そんなトラブルのお陰で、真っ暗な中、勘でスローシャッターにより撮影したのがこの写真です。なんとか、ギリギリ画像になった感じですが、とても思い出深い最後となりました。最終日「やまびこ8号」に乗車したときの特急券10-1129 KATO カトー 485系後期形 2両増結セット Nゲージ 鉄道模型(ZN87760)485系200番台 6両基本セット 【KATO・10-1479】「鉄道模型 Nゲージ カトー」スマホカバー専門店 ドレスマ送料無料◆10-1479 KATO カトー 485系200番台 6両基本セット Nゲージ 鉄道模型(ZN87759)
2022.11.17
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183系1000番台:特急「白根」吾妻線初の特急列車として運転を開始した特急「白根」。前回は『157系:特急「白根」』で157系時代をご紹介いたしましたが、車体の劣化の激しさから特急「とき」の181系を置き換える目的で登場した183系1000番台を田町電車区にも投入することになり、昭和50年12月から臨時特急であった「白根」も置き換えることになりました。昭和51年 上野駅にて183系1000番台に置き換わって間もない頃の「白根」。ヘッドマークが文字式の時代です。まだ鉄道の知識も浅い頃だったので、157系でなくなった「白根」は非常にショックな出来事でした。昭和55年冬 東京駅にて 「白根」回送特急「白根」は、157系時代から伝統で田町電車区の車両が使われており、東京~上野間の回送線を通って車両の送り込みが行われていました。写真は東京駅の11番線(機回し線)で、これから尾久客車区へ向かうところのようです。回送列車ですが、既に「白根」のマークが準備されており、もちろん53・10改正後ですので、白根山のお釜をデザインしたマークに変わっています。昭和57年11月13日 大宮駅にて確か、この日がダイヤ改正前の最終運転か、もしかしたら最終前日だったか・・・。157系でなくなったことからショックで写真はあまり撮っておらず、上越新幹線大宮暫定開業のために撮影に行った際、185系化される前にと撮影したもの。ホームには同様の輩が群がる様子が判ります。「白根」という愛称自体は上越新幹線の開業後も存置されたのですが、「白根」は急行「草津」の特急格上げも含めて定期列車となり、本数が増えました。しかし、全ての列車が185系200番台となったため、183系1000番台による運転は終了することになりました。
2022.11.11
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E653系勝田車:臨時特急「とき」E653系勝田車:団体列車「リバイバル特急ひばり」号に続き、同じく勝田車を使用した臨時特急「とき」が上野~新潟間に運転されました。E653系 特急とき 運転「ひばり」の時は団体ツアーだったのですが、今回の「特急とき」はJR東日本が設定した秋臨として一般発売されています。11月3日(祝) 9079M 上野 8:30 新潟13:4711月6日(日) 9078M 新潟12:46 上野17:35通常であれば日帰りダイヤか土日で1往復が一般的ですが、今回の設定は平日1日を挟んだ4連休客を狙っているようです。働き方改革の表れでしょうか?直流型電車で運転されていた特急「とき」に交直流型を充てるというのは無理過ぎですが、JR東日本ではすべての国鉄直流型特急電車が引退した今となっては致し方なしと言うところでしょう。E653系勝田車 9079M 臨時特急「とき」この時間の設定は大逆光であり、E653系だけを撮ってもヘッドマークがある訳でも無し、どのように撮るか困りました。結果、再開発事業が再開されて変貌するであろう蕨駅方面の景色を入れたほぼ風景写真としてみました。右端に写っている空地は工場があって、洋品のリサイクル市のようなことをやっているのを見掛けましたが、いつの間にかなくなってました。昭和57年 181系 上り特急「とき」(再掲)アングルは違いますが、蕨駅付近の写真。今では本線のみ6本と一部残存した留置線(保線車両用)のみとなった蕨駅も、昭和59年2月の貨物大削減までは貨物営業を行うそこそこの規模の駅でした。その昔はさらに日本車両蕨工場もあり、相当賑わっていたことでしょう。
2022.11.05
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181系(元161系):特急「とき」今回は、181系「とき」の中から元161系改造のクハ181-40番台を先頭車とする編成の写真が3枚ほどありますのでご紹介したいと思います。161系は、昭和37年に上越線特急「とき」用として、151系こだま型を踏襲して製作された特急用車両です。151系による試験走行の結果から151系とは足回りに違いがあり、ギア比は157系と同様に設定されたようです。1編成分9両と予備車6両の総勢わずか15両という小世帯の形式となりました。151系との最大の違いは、スノープラウ取り付けに伴って短くなったスカート、上越国境越えの連続勾配に備えた勾配抑速ブレーキの装備、そして、それを識別するためのボンネットへの帯が入れられたことです。その後、151系・161系の全ての車両を出力アップする計画により、181系へと改造されることになります。元161系の車両は40番台として181系に編入、製作中に161系→181系と変更された3両についてもベースが161系であったことから、161系を名乗ること無く181系40番台として新製されました。ちなみに、オリジナルの181系は全て100番台として誕生しています。昭和52年頃 御徒町駅 電留線にて粒子が良くなくて車番が曖昧です。台車のTR58とスカートのタイフォン形状で40番台の識別が可能です。昭和53年頃 西川口~蕨間にて クハ181-44車番が確認できた車両です。44番は、前述のとおり181系化計画後に落成した車両であるため、161系スタイルのまま181系で誕生した希少な車両です。外観は161系の先行落成車と全く同じスタイルになっています。昭和56年5月 蕨~西川口間にてヘッドマークがイラストとなり、1年半後には上越新幹線大宮暫定開業が迫った晩年のころの写真です。正面がちで車番の確認は不能ですが、外観の特徴から明らかにクハ181-40番台であることが判ります。後にはモロ181・180改造のモハ181・180-200番台が続いており、中間の481系転用サロとあわせて最後を凌ぐ苦心の編成であることが分かります。追加生産を合わせてもわずか18両という小世帯の形式でしたが、クハ181-45が鉄道博物館に収蔵され往時を偲ぶことができます。上越形オリジナルとして誕生した唯一の特急車両であり、数的にも希少な車両が保存されていることは、何物にも代え難い幸運であると言えるでしょう。
2022.11.03
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183系1000番台:特急「とき」(遠征編)「とき」は、言わずと知れた上野~新潟を結ぶ特急列車。『183系1000番台:特急「とき」(地元編)』に続き、遠征して撮影していた183系1000番台の写真からご紹介いたします。昭和57年1月5日 八木原~群馬総社間にてこの頃は景色を重点に撮る写真が多かったです。柱ド~ンさえなければ結構お気に入りのアングルなのですが(笑)。昭和57年1月5日 八木原~群馬総社間にて写真はリバーサルからのダイレクトプリントをさらにスキャンしたもので、退色した写真と言うわけではありません。ヘッドマークがイラスト化された際、多分ですが、1編成だけハッキリ黄緑と言えるヘッドマークを搭載した編成があったのです。写真はバリ順で色が定着してしまっているので、緑が薄ボケたように感じますが、夜間にヘッドマークの行灯が点ると、明らかな黄緑色となります。昭和57年9月6日 土合~越後中里間にて遠征でスキー場に無断で登って撮った写真。(すみません。)これだけの大俯瞰だと、12両編成の「とき」も短く見えます。時間帯が悪く、181系の写真は撮れませんでした。昭和57年11月6日 上牧~水上間にて利根川の上流「諏訪峡」を行く183系1000番台「とき」。紅葉にはちっと遅かったようで・・・。昭和57年11月6日 湯檜曽~水上間にて天気も良くないようで、スッキリしない写真ですね。ここの鉄橋は水上駅から徒歩で10分くらいで行けるので、もっと撮っておけば良かったなと思いました。この日の撮影の帰路では、181系として最初で最後のさよなら乗車をしてきました。昭和57年11月14日 上野駅にてところ変わり、上野駅にてこちらは183系1000番代も含め特急「とき」として最終になった日。他にも多数の列車が愛称を消すことになり、多くの鉄道ファンで大混乱となりました。右側に写っているのは、同じ日に消滅した寝台特急「北星」です。翌日からは、上越新幹線「とき」に生まれ変わります。
2022.11.01
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185系・183系:臨時特急「草津51・52号」平成21年9月まで運転されていた臨時特急「新宿あがつま草津」でしたが、冬シーズンになって設定がなくなってしまいます。このまま運転形態がなくなってしまうのかと思われましたが、平成22年のゴールデンウィークに復活します。ただし、列車名が「草津51号・52号」となり、本線を走る定期列車と区別が付かなくなってしまいました。平成22年春(ゴールデンウィーク)平成22年5月4日 回9692M 185系 「草津51号」送込み回送平成22年5月4日 9692M 185系 「草津51号」下り 51号 5月1~4日上り 52号 5月2~5日運転区間 下り 9003M 新 宿 10:59 ~ 長野原草津口 13:28及び時間 上り 9004M 長野原草津口 15:37 ~ 新 宿 18:23使用車両 185系7連マーク 専用ステッカー式掲示(「草津」)列車番号をそのままに、何故か列車名が「草津」になってしまいました。上野発着列車と区別するためか、現代の臨時としては珍しく50番代の号数設定となっています。定期のヘッドマークで用が足りるにもかかわらず、何故か専用のステッカー式ヘッドマークが用意されました。平成22年夏平成22年7月18日 185系 「草津51号」平成22年8月1日 185系 「草津52号」平成22年7月18日 北本~桶川間にて 183系OM103 「草津52号」平成22年8月29日 183系OM102 「草津52号」平成22年9月20日 183系OM103 「草津52号」下り 51号 7月17・18・24・31日・8月7・14・21・28日・9月18・19日上り 52号 7月19・25・8月1・8・15・22・29日・9月20日運転区間 下り 9003M 新 宿 10:59 ~ 長野原草津口 13:28及び時間 上り 9004M 長野原草津口 12:13 ~ 新 宿 14:54使用車両 185系7連(運転日赤字のみ183系充当)マーク 専用ヘッドマークは作成されず、185系は定期「草津」、183系は「特急」今回は185系のみならず、一部の上り52号に183系も充当されてされました。185系は定期の「草津」、183系は初めて「特急」を使用しています。平成22年秋平成22年10月9日 池袋駅にて 185系 OM03 「草津51号」平成22年10月10日 185系 OM03 「草津51号」 送り込み回送平成22年10月10日 185系 OM03 「草津51号」平成22年10月11日 185系 OM03 「草津52号」平成22年10月11日 185系 OM03 「草津52号」返却回送下り 51号 10月9・10・30日・11月6・13・20日上り 52号 10月11・31・11月7・14・21日列 車 名 「草津51号・52号」運転区間 下り 9003M 新 宿 10:59 ~ 長野原草津口 13:28及び時間 上り 9004M 長野原草津口 12:13 ~ 新 宿 14:54使用車両 185系7連マーク 10月9~11日運転の列車は、80系準急時代のデザインを模したヘッドマークが 用意された。平成22年10月30日 185系 OM03 「草津51号」平成22年10月31日 185系 OM03 「草津52号」平成22年11月6日 大塚駅にて 185系 OM03 「草津51号」平成22年11月13日 185系 OM03 「草津51号」平成22年11月14日 185系 OM03 「草津52号」平成22年11月20日 185系 OM03 「草津51号」今期は185系のみの運用となりましたが、準急「草津」運転開始から50周年を記念したイベント色の濃いものとなり、185系(OM-3編成)が80系時代の塗装に、そして80系時代を模したヘッドマークを掲げるなど話題となりました。なお、今期は最後の運転までOM-3編成が充当されました。特製のヘッドマークが掲げられたのは最初のみであり、その後は定期の「草津」のマークとなっています。塗装については賛否両論となりましたが、変化の少ない185系に一石投じたJR東日本の姿勢は賞賛に値すると思います。しかし、この設定は1シーズンのみにとどまることとなり、「リゾートやまどり」の出現によりその設定も目まぐるしく変化することとなります。
2022.10.29
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EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」国鉄末期の頃、電車一色であった伊豆方面への優等列車に、客車による特急「踊り子」が設定されていました。客車には81系お座敷客車や14系サロンエクスプレス東京なども使用され、それぞれ「お座敷踊り子」や「サロンエクスプレス踊り子」を名乗りました。客車が回らない日には14系座席車も充当され、こちらは通常の臨時特急「踊り子」の号数付きで運転されています。昭和62年2月13日 保土ヶ谷~戸塚間にて EF651116牽引14系客車 「踊り子55号」プリントで正面が白飛びしてしまっているのですが、画像加工したところ1116号機であることが判明しました。相次ぐ合理化で電気機関車や客車列車が淘汰され、一方では余剰客車によるジョイフルトレインも次々と誕生した頃。鉄道ファンもここに追従して行った方が多く存在した時代でした。牽引機は東京機関区(後に田端機関区に統合)が当たっており、EF65以外にもEF58が登場する機会も有りました。当時のダイヤ情報にも掲載されましたので、人気のある列車でした。
2022.10.26
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20系寝台客車:寝台特急「北星」昭和38年10月ダイヤ改正で誕生した夜行急行列車「北星」ですが、その列車スタイルが幸いし、昭和50年3月改正からは20系寝台客車の使用により特急列車化されることになります。急行列車の特急化というのは、白紙ダイヤ改正の都度に行われてきたものですが、山陽新幹線博多開業による山陽・九州特急の動きが非常に大きかったため、特にこのダイヤ改正では顕著に特急化が実施されたように思います。同時に、金沢行きの急行「北陸2号」も同様に20系化のうえ特急列車に格上げされています。なお、20系客車は「はやぶさ」「富士」「出雲」「日本海」の24系24型化により余剰となった車両を活用しています。昭和50年夏頃 EF58牽引 ワサフ8800を連結した「北星」写真は、ポケットカメラ、列車の引き足らず、絹目写真と悪条件の揃った画像で、大変見づらく、公開するような写真ではないのですが、これだけしかないため敢えて投稿させていただきました。小学6年生のときだと思いますので、腕前はご勘弁ください。これくらいが精一杯です。急行「北星」時代から続く新聞輸送の関係があり、P型引き通し管を設備したワサフ8800が運転開始から約1年間連結されていました。当形式は言わば「北星」専用車両とも言えるものでしたが、その活躍は僅かであり、その後は一般の荷物列車に転用されています。昭和52年 上野駅にて早朝の「北星」は、高感度の無い時代、撮影するのも結構大変なものでした。昭和52年頃 大宮駅にて EF5884牽引 上り「北星」かなり薄暗い時期の撮影ですので、おそらく冬休みに撮ったものではないかと思われます。ヘッドマークが付いていないことから、後に20系化された急行「天の川」や「新星」と区別が付かないところが悲しいです。昭和52年 蕨駅にてこれから写真を撮りに行こうというとき、目の前を通過した「北星」。時間的には午前10時を回っていると思いますが、おそらく途中で運転が打ち切りとなり回送されて来たものでしょう。なんといっても驚いたのは、EF58の次位にカニ22が連結されていたことでした。昭和52年 尾久客車区にて カニ22 「北星」上の写真を撮った後、撮影の予定は急遽変更され、尾久客車区まで出向くことになりました。カニ22の「北星」を撮らせてもらおうと頼み込んだのですが、頑なに断られてしまいました。これはふて腐れて帰る途中、建物の陰から撮影したものです。当時、一眼レフではありましたが、レンズは広角しか持っておらずかなり小さくなっていました。スキャニングして「北星」が判るくらいまで拡大することができました。20系客車が特急車両としての活躍も晩年となった頃、進んだ廃車よる影響でしょうか、客車区間での車両のやり取りが行われたようです。そしてイレギュラー的な動きも見られるようになり、ナハネフ23「北陸」や、さらにはカニ22が「北星」「北陸」に使用されるようになったようです。昭和53年3月20日 上野駅にて カニ21こちらは下り最後尾となるカニ21。上野駅では到着後推進回送となるので、このカニ21は夜の下りを撮るしかありませんでした。もっとも、昭和50年3月の特急「北星」運転開始から1年間、最後尾にはワサフ8800が連結されていましたので、このカニ21の姿を撮ることはできませんでした。昭和53年9月頃満を持して誕生した軽量客車でしたが、それが仇となって老朽化が顕著であり、誕生からそれほど経っていないにもかかわらず、早くも淘汰が始まってしまうことになります。「北星」も昭和53年10月改正からは14系化されることになってしまいました。
2022.10.24
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485系非貫通型:特急「とき」上越線の特急といえば「とき」が代表格であり、183系1000番台や181系が一番有名なところでしょう。183系1000番台が登場する前、上越の雪は181系には過酷な道のりだったらしく、特に冬場は故障が多発したようで、485系のピンチヒッターも走ったことがあるようです。そんなこともあって、183系1000番台という耐寒耐雪構造の車両開発が急務となり、誕生後は急速に置き換えられていったわけです。ところで、上野駅でこんなのに遭遇したことがあります。昭和51年 上野駅にてこれ、実際には特急「とき」ではないです。確か「やまびこ」だったんじゃないかな?でも、紛れも無く「とき」のヘッドマークを掲出しています。まだ中学生のとき、それまで見たことの無かった交直流型の「とき」には驚いてシャッターを切りました。前述のように、485系がピンチヒッターで「とき」に運用されたことがありますので、当時の仙台車や青森車には「とき」のヘッドマーク&方向幕が常備されていたのではないかと思います。しかし、定期の幕回しでは見たことがありません。その後53・10でヘッドマークがイラスト化されたときには、183系1000番台も大量に増備されましたので、485系が「とき」に運用される想定も無くなっていますから、おそらく485系には引き継がれることは無かったと思います。この時に撮影したほかのコマにこの構図の写真がないことから、幕回しではなく、指示ミスで「とき」の字幕が出ていたのではないかと考えられます。それにしても、この前頭部の凹みは一体何があったんでしょうかね?かなり頑丈な厚みのある場所ですから、相当なスピードで強固なものと衝突したとしか考えられません。
2022.10.22
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183系1000番台:特急「とき」(地元編)「とき」は、言わずと知れた上野~新潟を結ぶ特急列車。一時期は東京駅にも乗り入れていました。勾配線区である関係から151系に勾配抑速ブレーキを追加した161系を初導入。さらに出力不足からモーター出力をアップした181系へと移り変わります。しかし、豪雪地帯を走る上越線では、あまりにも過酷な気象条件に181系が耐えられず、車両故障が多発、あたらしい耐寒・耐雪型の特急車両の開発が急務となります。ここで誕生したのが183系1000番台です。直流型特急電車の決定版となった同車は、増備に増備を重ね、同時に同性能の横軽強調装備をした189系を派生、中央東線・信越本線を含む181系を駆逐することになりました。そういう意味では、私の同世代からすると、新幹線と同じくらい恨まれた車両であると思います。今回は、183系1000番台を最初に投入した特急「とき」の比較的に近場で撮った写真からご紹介いたします。昭和51年 赤羽駅にてまずは文字マーク時代の「とき」です。今まじまじと見ると非常あっさりしたマークですね。でも、私等の年代からすると極当たり前の姿で、このマークを掲出していること自体が特急列車のステータスだと思っていました。もらい物のリコーオートハーフで撮った赤羽駅を通過する183系1000番台の「とき」。とにかくブレちゃって困ったカメラですが、時にスピード感を表現してくれることもありました。地平時代の4番線上野方を通過。文字マークと相まって、時代を感じさせます。昭和52年頃 上野駅にて満を持して登場した183系1000番台でしたが、181系の方がスタイル的にもバリエーション的にもファンが根強く、写真的にもスルーしていたファンが多かったのではないでしょうか?昭和55年 上野駅にていきなり時代が飛んで、イラストマークの「とき」。既に181系にもイラスト化が飛火していました。多分、AE-1を使い始めた頃で、オート露出&リバーサルでキレイに撮れていましたね。昭和55年頃 赤羽駅にて昭和55年初頭くらいの写真ではないかと思います。雪が降ったんでわざわざ撮影に出たんでしょうが、暗さもあってブレています。元々183系1000番台「とき」なんて、あまり被写体の対象にはならなかったのですが、この「とき」はイラストが薄い黄緑色のヤツだったので、慌てて撮ったのでしょうね。本当はもっと緑が濃いのですが、何故か1編成だけ黄緑色のがあったのです。昭和57年 蕨~南浦和間にて昭和57年 蕨~南浦和間にて昭和57年 蕨~南浦和間にていずれも末期に突入した頃に撮影したもの。自分でフィルム現像したものなので、粒状が良くありません。多分コダックのトライ-Xだったと思います。それまで殆ど見向きもしなかった183系1000番台「とき」でしたが、上越新幹線に道を譲って廃止ということになりゃ、「撮らないわけにも行かない」って感じで撮り始めました。昭和57年 蕨駅にてこれも上の写真と同時期。この時代は殆ど駅撮りなんてすることはなかったのですが、とにかく記録しなきゃ行けないという焦りと、就職してしまったために連休が取れずに地方にまで撮影に行く機会がないということで、近場ばかりで撮っていたようです。昭和57年6月頃 大宮駅にて給料も入るようになり、とうとうマミヤM6451000Sを買ってしまいました。まだ買ったばかりで標準レンズしか持っていませんでした。描写力は35mmの比でなく、その凄さに感動さえ覚えました。標準レンズのみでウエストレベルファインダーということもあり、機動性はありませんでしたが、上越新幹線の開業にギリギリ間に合い、少しですが在来特急の記録に寄与できました。チラッと見える東武野田線の3000系も、今となっては懐かしいですね。当時は全然見向きもしませんでしたが・・・。昭和57年11月13日 赤羽~尾久間にて最終日の前日です。この頃は「何でも良いから撮っておけ!」という感じでした。
2022.10.13
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181系100番台:特急「とき」(その2)『181系100番台:特急「とき」(その1)』からの続きです。昭和57年の181系電車終焉の時代となります。昭和57年 撮影年月日不詳 蕨~南浦和間にて昭和57年1月5日 八木原~群馬総社間にてこのときはチョー寒かったように記憶しています。東北本線での撮影を終え、只見線経由で水上入り。雨の中バルブを撮って、朝からの撮影でした。スーパー早切り。勿体無いことをしました。昭和57年1月5日 八木原~群馬総社間にてこちらはいわゆるモロカーブ狙いです。原版はちょっとナナメっちゃったんですが、直しちゃいました。やはりリバーサルだと奥行きが出て良いですね。昭和57年5月 蕨~西川口間にて昭和57年5月 蕨駅付近にてまだ貨物営業を行っていた時代で、今とは全然違う貨物ヤードの様子が良く分かります。昭和57年8月 上野駅にて昭和57年8月10日 水上~湯檜曽間にて「あさま」「あずさ」から181系が撤退すると、車輌数的に余裕ができて10両→12両化された「とき」ですが、一方では老朽化(耐寒構造の問題)により故障車も多く、車輌の需給のバランスが難しかったようです。最終期にはM'Mユニット欠車による10両化されるものあり、183系0番代(幕張車)の応援を借りる場面もあったようです。昭和57年11月13日 赤羽~尾久間にて昭和57年11月13日 東十条~王子間にて上越新幹線開業の2日前です。全国でも唯一残った181系特急形電車。いよいよ明日、在来線特急「とき」と運命を共にすることになります。昭和57年11月14日 上野駅にてそして最終日、この日は殆どの在来線特急が廃止になる日。各ホームともテツ一色という感じで終日賑わいました。そして、181系「とき」が最後の折り返し運用となる時間が来てしまいました。最終最後にはならないので、特に装飾などもされず、大勢のファンに見送られながら、静かに最終の地、新潟へと旅立っていきました。
2022.10.07
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185系:特急「おはようとちぎ」東北新幹線開業後、新幹線が停車しない駅の速達利便性の確保から新たな特急列車が誕生します。それが185系を使用した新特急「なすの」でした。しかし、実際は急行「なすの」を特急化しただけのような存在の列車であり、所要時間の短縮も無く実質料金が値上げされたようなものでした。そのため利用率は極端に低く、後に増発される快速列車へとシフトしていくことになります。平成2年3月の改正において、新特急「なすの」は新宿~黒磯間を残して快速列車へシフト、たった1往復のみの存続となってしまいました。平成4年3月改正では、上り1往復が宇都宮~新宿間に増発され、1.5往復体制となります。平成7年12月の改正において、新幹線の列車名が整理され、那須塩原発着の各駅停車タイプを「なすの」とすることになり、名称を奪われた新特急「なすの」は上りを「おはようとちぎ」、下りを「ホームタウンとちぎ」改称します。また、平成14年12月の改正において、新特急の種別が廃止となり、特急列車となっています。今回は、上り列車の「おはようとちぎ」の写真を総括いたします。平成19年10月7日 特急「おはようとちぎ2号」平成20年1月14日 特急「おはようとちぎ4号」まだ上り2本が健在だった頃のものです。2号は「カシオペア」よりも前、4号は「北斗星」より後の通過となっていました。平成21年1月12日 特急「おはようとちぎ」平成20年3月15日の改正で宇都宮始発の「おはようとちぎ2号」が廃止となり、上り1本のみの列車となっていまいます。平成22年10月16日 特急「おはようとちぎ」湘南新宿ラインの増発や利便性の向上から、とうとう特急「おはようとちぎ」の廃止がアナウンスされました。平成22年10月17日 特急「おはようとちぎ」&183系団臨団体列車に追越しを掛けてきた185系「おはようとちぎ」。国鉄型特急車両の競演となりました。平成22年12月3日、本改正を最後に、東北本線の役割となる185系特急が消滅しました。
2022.09.28
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481系 ボンネット型:特急「みどり」現在は主に博多~佐世保を結ぶ特急列車として運転されている「みどり」ですが、現在の運転区間は昭和51年の長崎本線・佐世保線の電化開業に合わせて誕生したもので、485系による「かもめ」との併結で運転され、当時としては珍しい運転形態として注目されていました。それ以前、昭和50年3月の新幹線博多開業までは、新大阪・岡山と大分を結ぶ特急として運転されていました。それ以前についても遍歴が長い列車なのですが、詳細は省略いたします。昭和49年8月 大阪駅にて大阪へ撮影に行った際、帰りの「銀河2号」を待っていたときに偶然隣のホームに到着したので撮影したものです。ポケットカメラでの写真なので、かなり画像が悪いのが勿体無いですね。当時、赤スカートのクハ481は憧れの車両であり、フィルム枚数の制限の中で唯一撮ることが出来た1枚として、非常に思い出深い写真です。その後、まさか復活するとは思ってもみませんでしたが、その後2度ほど九州に行く機会があったにもかかわらず、行程の都合で逢うことができなかった列車です。昭和52年頃 上野駅にてこれはウソ写真です。「白山」から「そよかぜ」に幕が変わるときに現れる現象として、当時は結構有名でした。イラスト化による幕交換で、このような現象もなくなってしまいました。新幹線博多開業前は、山陽本線が最も賑わっていた時代。こんな華やかな時代は二度と戻ってはこないでしょう。-101527 485系初期形 6両基本セット[KATO]【送料無料】《01月予約》送料無料◆10-1527 KATO カトー 485系初期形 6両基本セット Nゲージ 鉄道模型 【1月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1527 485系初期形 6両基本セット送料無料◆セット販売 10-1527/10-1129/10-1130/4556/4570 KATO カトー 485系初期形 6両基本セット+後期形 2両増結セット+初期形 2両増結セット+サハ481 初期形+サロ481 後期形 Nゲージ 鉄道模型 【1月予約】
2022.09.27
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