伊賀へいらっしゃい
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伊賀市柘植地区のつつじ祭ウォークに行って来ました。柘植駅、道路の向かいに芭蕉句碑があります。句碑横の解説板 母を慕う句ですまず柘植駅から西へ1,1km都美恵神社に、この神社の起源は2,3世紀とされ元は南にある霊山に祀られていた「穴石大明神」でしたが寛永3年(1644)の大洪水で潰れ二年後に現在の地に遷座されたそうです。この地区は日本書紀には積殖(つみえ)と表記されていて柘植という地区名のもとになったと思われます。神社なので都美恵という文字を使ったのではないでしぽうか。神主さんの説明を受けました。本殿の左側に在る国歌で有名なさざれ石、さざれ石とは細石と書き小さな石のことなので、この石は「君が代」の歌詞にある巌(いわお)になっているのではないかと思いますが、このような岩を指してさざれ石と呼ぶことも少なくないようです。都美恵神社からはた西へ500mの徳永寺、本能寺の変の時、徳川家康が「伊賀越え」で、命からがら三河に帰国の際に休息し食事をとり狼煙(のろし)で集めた伊賀者に警護させ加太峠を越えて行ったとされます。一泊したという説も有りますが最近では泊まっていないのが定説になっています。その時の礼として「葵紋」の使用を許し1町四方の山林、田畑を与えました。当時の本堂、旧鬼瓦徳永寺から700m北に行った風の森社跡の碑風の森社は「三国地志」に風神を祀ったと記されています。「三国地志」とは伊賀上野城、七代目家老、藤堂采女元甫(もととし)が編纂させたもので伊勢、志摩、伊賀地誌とされていますが実際は藤堂藩の津地区、久居地区、伊賀地区の地誌で1751―1764年に纏められました。また源義経が木曽義仲追討の途中、戦勝祈願したと源平盛衰記に記されているそうです。
2019年05月12日
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