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伊賀市丸柱から槙山ヘのコリドールロード 丸柱は伊賀焼きの里で古くは桃山時代、城主、筒井定次の時古田織部の指導を受け槙山の西光寺窯や丸柱の堂谷窯で焼かれました。この時代の伊賀焼きは古伊賀と呼ばれています。 作家の川端康成はノーベル賞受賞の記念講演「美しい日本の私」のなかでわび、さびといった日本文化を代表する焼き物として古伊賀を採りあげ絶賛しました。 それ以前は槙山に近い五位ノ木窯跡などで周辺の豊富な陶土と薪の燃料を利用しすり鉢、甕(かめ)壺など実用品が焼かれていました 槙山は元は真木山と書き東大寺の荘園で東大寺に材木を納めていました。 聖武天皇が眞木山郷に見事な大木が有る事をお聞きになり 「東大寺の造営に是非とも使用したい」と所望され 神社の前を流れる槇山川から木津川を利用して笠置へ そこから陸上を東大寺に搬送・寄進したとの記述があります。 丸柱、長谷園さんの大正館 「大正館」は大正時代に建てられ、10年前までは実際に事務所として使われていました。電話も金庫もそのままに、大正ロマンの面影をたっぷりと残しています。現在はゆったりとこの空間を堪能出来る休憩コーナーとして開放されています(伊賀焼カップ付コーヒー有)。 2011年に国の登録有形文化財として登録された長谷園さんの「登り窯」 「登り窯」は天保三年(1832年)の創業時から昭和40年代(1970年代)まで稼動していたもので、かつてはこの16の部屋(窯)を焚き上げるには15〜20日間を要していました。この大きさ(16連房)の窯で、現存している登り窯は日本ではこれだけだといわれています。
2019年03月26日
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近江八幡をボランティアガイドさんに案内してもらいました。 八幡堀です。運河として利用されていたそうですが今は観光客の水郷めぐりの船が 八幡堀を航行。 NHKの朝ドラ「あさが来た」や、多くの大河ドラマに、映画「るろうに剣心」などのロケ地 に使用されました ウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築が10数ヶ所あり散策しました。 近江兄弟社・メンタームも創業されました。 ヴォーリズの建築と言えば京都四条の京華菜館もそうでこの外観に伊賀窯業のテラコッタ が使われ、伊賀とも関わりがあり、戦争中までは伊賀の優秀な生徒は近江八幡商業に 留学し寮に住み通っていました。丁稚ようかんの文化も共通です。
2019年03月19日
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安土城の近くに信長の館という安土城の天守を再現した施設があります。 これは1992年のスペイン・セビリア万国博覧会の日本館のメイン展示として 東京大学などの指導のもと忠実に復元されたので観光客目当てに復元されたもので はないので見応えのあるものでした。 中央に織田木瓜の家紋、右手に足利義昭から授かった桐紋、左手に皇室から授かった 菊紋がありこれも復元なのでしょう。 左手の絵は ルイス・フロイスが連れきた外国人の画家が描いたもので教科書の絵とは大分イメージが違います。
2019年03月17日
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安土城跡 後ろの山頂上標高199mまづ登りました。 石階段が大変登りにくく疲れました。 豊臣秀吉、当時は羽柴秀吉邸跡登り口からさほど距離がなく向かいに前田利家邸跡があり警護的な 役目だったのでしょう。 大手道でもこのとおり険しい道で攻め難い間隔にもなっています。 安土城は天正4年(1576)から築城を始め天正7年(1579)に完成しかし天正10年(1582)焼失 信長はわずか3年しか栄華を誇れませんでした。 そう見寺の三重等、安土城築城の際、甲賀の長寿寺(甲賀市石部)より移築された。
2019年03月16日
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藤堂家の姓の由来は応永年間(1394〜1412)に足利将軍家に仕えた高虎の6代前の藤原景盛が 京都の石清水八幡宮から、現在の滋賀県甲良町に八幡宮を分祀し、藤原氏の象徴であった藤を 一株、境内に植樹し、間もなく多くの藤の花が咲き誇る名所となり、八幡宮自体を「藤の堂」 つまり「藤堂」と呼び、これが村名の由来となりました。と同時に、景盛が「藤堂」を姓として います。 藤堂景盛の5代後の忠高の長女に婿入りした虎高の次男が藤堂 藩主、藤堂高虎に当たります。 株は数百年を経て巨樹となり、5月上旬頃の最盛期には、房の長さが1メートル以上ある見事な 藤の房が棚いっぱいに下がり、花切りと呼ばれる藤切祭りが行われて 東京の藤堂宗家に藤の花を 毎年献上されています。 昭和52年には甲良町の花に選定されました。 その行く道路にカラーマンホールが中央に亀のデザインがあり甲良町の(コウラ)と掛けてある そうです。 周囲を藤が12房囲んでいます。 藤の花は残念ながら時期が違いました。
2019年03月16日
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藤堂高虎出生地の碑、藤堂高虎生誕地の地とされていますが この地図はこの前の道を指しています。 もっと広い屋敷だったのでしょうか。 藤堂高虎ふるさと館は歴史的なものはほとんどありませんが「がまんの鬼」は朝鮮の役の時高虎が 朝鮮から持ち帰ったもので津市に有ったものが明治以降東京の藤堂宗家に有ったほのを昨年寄贈さ れたとのことです。 韓国の大河ドラマでは高虎が一番の敵役とし描かれています。韓国では高虎に一番やられたと感じているということですがそれにしては日本での評価が低くすぎると思います。
2019年03月15日
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