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平成の長野トンネル 2008年(平成20年)3月完成 長さ1966m 幅7m 高さ4,7m 現在の長野トンネルの完成時の写真です。 工事中、完成間近でしょう。 これはその少し以前、一番古い写真で章。。 これが昭和時代の長野トンネル、今見るとなんとも味気ない如何にも戦争前に造られた感があります。 これが今回行った、明治時代の長野トンネル、 昭和時代のトンネルの斜め上にあります。 一番おもむきがあり感動すら覚えました。 平成の長野トンネル完成後に造られた芭蕉句碑、以前の句碑はこのもう少し峠近くにあります。
2019年07月09日
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五百野(いおの)皇女古墳碑 12代景行天皇の第七皇女五百野姫(斎王)は峠近くの五百野の地で都に帰る途中、若き生涯を閉じました。その墳墓地です。 五百野姫は斎王としては三代目にあたりますが年代ははっきりしません。 年代のはっきりしている十代斎王の大来皇女は673-686年です。景行天皇の二代後の雄略天皇は五世紀後半とされていますので五世紀中頃の人達でしょうか。 そうすると都は飛鳥になりこの行路は少し北過ぎると思うのですが、帰郷路は伊賀を通り往路は現在の青山峠を越え初瀬街道を通ったのでしょう。 五百野の地名は五百野(いおの)姫からきています。 伊賀の中柘植の「斎宮芝」は平安遷都794年から現在の国道 1 号線・鈴鹿峠開通(886年)までの 92 年間、斎王群行の仮宮が営まれていたところ。その間、9 名の斎王が休息したといわれます。 犬塚(義犬塚) 五百野から伊賀に向かって7kmほど行った所の脇道がある角に在ります。 狩りに出た時、いつもなら吠えないよく慣れた犬が吠えやまないので首を切るとその首が飛び木の上の大蛇に噛み付いて飼い主をを守ったという義犬伝説に基づく塚。 この塚から登る旧街道があります。この旧街道を途切れ途切れにですが行ってみました。 これは行列も通った旧街道 犬塚から車で現在の伊賀街道を行き旧街道を歩きました。 峠近くの旧街道はこれで広い道です。 旧街道を登るとほとんど道と言えるものではありませんでした。 芭蕉も通ったであろう旧街道。茶屋が在ったといわれる場所です。
2019年07月09日
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三重県洋画協会展に会員の方の作品を観に行きました。 一目で伊賀を描いた作だと解ります。 「古里冬麗」ふゆうららと題されています。 描かれている植物はツワブキ(石蕗、艶蕗、)です つやのある大きな葉を持っていて、毎年秋から冬に、キクに似た黄色い花をまとめて咲かせる 「石蕗の花(つわのはな)」は、日本では初冬(立冬〔11月8日ごろ〕から大雪の前日〔12月7日〕 ごろまで)の季語となっている。 芭蕉が伊賀に帰ったとき季節は冬なのに人も気候も温かく迎えてくれて日の当たらない地に生える ツワブキのごとくであるという描写だそうです。 松浦莫章の作品、「モンマルトル風景」 伊賀出身の画家で 松浦莫章 まつうらばくしよう 生没年1910-1998 三重県立美術館所蔵には唐招提寺金堂、唐招提寺本堂の作品があります。 関西大学にも作品が所蔵されています。 私はこの人に習っていました、子供の時でしたので文字通り師事ではなく習った、ですが。 「唐招提寺金堂」 「愛児」 松浦莫章の息子さんと私は同級生でこれが息子さんの誕生の喜びを描いている作です。
2019年07月08日
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三重県津市産品に平家発祥地があります。 「忠盛塚」ともいわれ平清盛の父平忠盛の産湯池が残り、産まれた時にくるむ胞衣塚もあり伝説地としていますがどうやら忠盛が産まれた地としては、確実のようです。 桓武天皇(在位781~806)(737~806)の曾孫の高望王(たかもちおう)(生没年未詳)を始祖とする平氏は、桓武天皇が建設した平安京にちなんで「平(和訓:多比良)」と名づけたとしています。 平氏はもともと関東地方を根拠地としていましたが承平5年(935年)に発生した「平将門(たいらのまさかど)の乱ののちに、将門を討った平貞盛(たいらのさだもり)(清盛の6代前)らが伊勢国に移り住み、その子である維衡(これひら)が寛弘三年(1006)伊勢守に任じらて、貞盛→維衡→正度(まさのり)と伊勢国に定着。これが「伊勢平氏」の起こりです。 その正度(まさのり)の子が平清盛の祖父正盛です。 平忠盛産湯池が奥に残ります。 清盛の祖父正盛は正度の五男で伊勢平氏の中でも傍系でしたが正盛は六波羅流・六波羅家となり京に役職を得てその系統は特に「平家」と呼ばれます 清盛の父忠盛(1096~1153)は検非違使 検非違使や伯耆、越前、備前、播磨の国守、追捕使(ついぶし)などでの活躍が認められ、武家出身者として初めて院の昇殿を許されることとなります。(伊賀阿拝郡鞆田(ともだ)村の所領荘園を白河上皇に差し出したことによるとの説も) その子、平清盛(1118~1181)のことは書くまでもないでしょうか。
2019年07月08日
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