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宗清堂 宗清地蔵平宗清制作と言い伝えられる大小五体の地蔵像が安置されている。地元の有志によって祀られ維持されている。宗清堂前の敷石は古墳の石棺蓋石といわれる。梅が枝の手水鉢 という言い伝えがある。古墳から出土した石棺の蓋を手水鉢として見立てたもではないかといわれている手水鉢で『梅ヶ枝うめがえ』の名称は諸説色々あり、定かではない。夜哭石(よなきいし) 春日神社 梅が枝の手水鉢三国地誌によると二代藩主、藤堂高次が参勤交代で日置氏館(佐仲屋敷)で休息滞在した時、平宗清作の見事な手水鉢を見てこれを江戸屋敷に運ばせ置いていたが、夜になると帰りたい帰りたいと泣くので伊賀へ戻した。その後、川西地区(西川氏邸)の私邸に置かれていたが名阪国道が出来る時、川東の春日神社に移された。その春日神社の手水鉢日置氏館(日置弾正へきたんじょう氏館)愛田 「佐仲屋敷」その梅が枝の手水鉢が在った。館跡下柘植インターの愛田地区入口の台地に在ったが鎌倉時代からの日置氏館なのか日置弾正からの日置弾正氏館なのかはっきりしない。日置氏城跡奥の山が日置氏城跡下柘植インターから名阪側道の北側にこの日置氏城跡南側に日置氏南城跡があります。日置氏城は、築城年代は定かではないが日置氏によって築かれた。三国地誌に弥平兵衛宗清堡とあり柘植三方に数えられる有力国人日置氏の居城。春日神社 工事がほとんど終わりつつある。屋根は銅版拭きになった。平安神宮、東福寺などを手がけた奥谷組が施工しています。春日神社拝殿(県指定文化財)の2016年から7年をかけた解体修理事業が終わりました。 市教委によると、柱が傾くなど部材の劣化で建物がゆがんでいたことから大改修を計画。総事業費は約2億7000万円。半分(1億3500万円)は県が負担し、残りを市(5400万円)と氏子が払った。(8100万円)
2022年10月13日
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伊賀市下柘植の日置神社日置神社ひおきじんじゃ 下柘植日置神社については「三国地誌」に「按慶長年中(1596年から1615年)愛田ヨリ勧請ス」とあり『伊水温故』の下柘植村の条に「三所大明神」(さんしょ)氏社とある。 言い伝えには平宗清の長男日置太郎家清が父の後を継いで下柘植村に住んでいた時この神社(日置神社)を創建した。 平宗清の息子三兄弟、福地、北村、日置を名乗ると伝えられる。各々上柘植、中柘植、下柘植に館を構えた。 平宗清 生没年不詳(1135~1200) 「満済淮后日記」正長二年(1429) 二月十六日条に「伊勢国人ツケ三方ヘキ・北ムラ•福チ也。」とあり、日置氏・北村氏・福地氏ともに柘植三方(さんぽ)と名がある。 日置氏は江戸時代まではヘキと発音していたようです。 平宗清の長男日置太郎家清が父の後を継いで下柘植村に住んでいた時、日置神社を創建 (日置神社由来)下柘植 日置神社祭殿 奥が本殿「三国地誌」に「按慶長年中(1596年から1615年)愛田ヨリ 勧請ス」とありますので江戸時代までの日置神社の由来は全て愛田地区の日置神社の由来と思われるます。それで解り難くくなってしまいました。伊賀市愛田の愛田日置八幡神社跡元愛田日置神社については「伊水温故」に「信濃国諏訪郡健御名方命勧請」とあり「三国地誌」には「按神明、天王、諏訪の三座を祀る。弥平兵衛宗清(平宗清だから1190頃)造建す。」とある。言い伝えによると平宗清は後年愛田に住んでいた。天正九年(1581)織田氏の兵火にかかり全焼(天正伊賀の乱)しかしその後住民が協力して再建 、これも愛田地区のことか。つまり江戸時代は日置神社が下柘植と愛田に二柱在ったようです。 明治41年に下柘植の日置神社に合祀されるまで神社が愛田日置八幡神社と下柘植日置神社が在ったのでしょう。日置神社八幡社跡の石碑愛田日置八幡神社跡は愛田地区外れの高所にあります。愛田日置八幡神社跡から愛田地区を望むこの地に建造したのが理解出来る眺望です。
2022年10月11日
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勝手神社 相撲奉納2022年10月8日本祭り前夜に行われました。勝手神社のある伊賀市山畑地区は昔から旱魃に見舞われることが多く、つねに雨乞いの願をかけていました。それで、大和吉野の水分(みくまり)神社に願の火を受け御神体はその御分神とも伝えられています。この「神事踊り」は昭和38年1月に三重県無形文化財に指定されると同時に、勝手神社神事踊保存会を発足させ、より充実した踊りを継承するなかで、昭和41年1月NHKふるさとの歌まつりに出演し、この種の古代民族芸能の内、隋一と注目されました。2018年3月8日に国の重要無形民俗文化財に指定されました。胸に「鞨鼓」という太鼓をつけて踊る「かんこ踊り」として、京都府や滋賀県など近隣のものとの関連性が感じられる事、多くの役で構成されていること、踊り子が疑似的な親子関係を結んで踊りの伝承を行うことといった特徴が認められ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。また、豪華な衣装や飾りを身に着けて踊る「風流踊り」の一種でもある勝手神社の神事踊。今年!!全国の他の風流踊りとともにユネスコ無形文化遺産に登録される見込みです!!!勝手は「入り口・下手」を意味するともいい、その字面から勝負事や戦の神としても信仰されています。村社勝手神社の額が掲げられている祭殿では笛太鼓が加わる宮司さん、巫女さんの舞による家内安全、無病息災などの御祓いが行われていました。
2022年10月08日
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