全37件 (37件中 1-37件目)
1
この一年間、この地味目なブログをご愛読いただき、折に触れて心温まるコメントを頂戴いたしまして、深く感謝しております。まことにありがとうございました~皆様にとって、来たるべき年がますます幸多き年でありますよう心よりお祈り申し上げます。さて、ある程度はすでに予期し、薄々覚悟しないでもなかったのだが、・・・やはり、というべきか、三つ子三姉妹かしまし娘(3歳9ヶ月)の残る二人の長女と三女も、次女に続いて「溶連菌感染症」(平たく言えば、恐れられている「猩紅熱(しょうこうねつ)」の前段階のようなもの)に感染、昨夕39℃台の高熱を出してダウンしてしまった~(-"-;)特に、三女は苦しそうに息をしており、重篤なように見受けられる。非常に心配である昨夜は、妻が長女と三女を連れて病院へ行き、僕と次女でお留守番。年末の救急病棟は大繁盛だったそうで、ずいぶん時間がかかった。「おじゃる丸・年末スペシャル」や「おでんくんスペシャル」、「プリキュア5」の録画などを見ながらジャレ合って、とっても楽しかったただ、女の子ってやっぱりパパが好きなせいか、妻の前ではおとなしいのに、僕が相手をすると喜んじゃって、病中にもかかわらずすごくハシャいでしまって、病状に触るのではないかと、そっちの方が心配だ。そういえば、今井美樹が「笑っていいとも」に出た時、旦那のロッカー布袋寅泰と5歳の娘がすごく仲が良くて、まるで恋愛中の男女みたいで、「嫉妬(ジェラシー)さえ感じる」という趣旨の発言をしていて笑えたが、僕と娘もまさにそんな感じ。女の子にとって、父親は恋愛・結婚の対象の「雛形(プロトタイプ)」であるという精神分析学者の指摘もあるし、少しアカデミックな術語(ターム)を使っても最近は皆さんご存知だと思うが、男がすべて潜在的に「エディプス・コンプレックス(平たく言えば、「マザー・コンプレックス」)」の傾向があるように、女性には「エレクトラ・コンプレックス(ファザー・コンプレックス)」があることは間違いない。父親の存在が、無意識に女性の「男を見る目」の基準となり決定づけてしまう、という現代心理学の定説は、梅宮アンナや王理恵なんか見てるとドンピシャリで、慄然とするよね考えてみれば、世のお父さんたるご同輩の皆さんは、お互いなかなか責任重大だってことかも知れませんのう。・・・であるからして、女性を攻略中の若い男性諸君は、相手の女性の父親のパーソナリティ、キャラクターをそれとなく、何とかして観察・研究し、それを摂取したり真似たりすることが、勝利への王道と言えるだろうこれを、経済学的にはマネタリズムという(・・・違うか)。「敵を知り己を知れば、百戦危うからず」(孫子)は至言だと思うが、そのキーは、この場合父親であるかくいう我が妻も例外ではない。妻のお父さん(義父)に会うたびに、オレってお義父さんのそっくりさんだよな~と、内心苦笑している。酒好きで話好きでユーモラス(・・・というか、単なるオヤジギャグですが)なところなんかそっくりで、話題も、「戦前戦後・現代日本史」やら、共産主義勢力批判(?)やら、もろもろのレトロな(古くさい?)回顧談など、ま~話題話題がいちいち話の合うことそこはかとなく、顔つきまで似てる。・・・なるほど、かくして妻は僕を人生の伴侶に選びたもうたのかと、至極納得。え~さて^^;、話がそれまくりましたが、ほかの二人にうつさないように、ここ数日というもの、狭いわが家の中は厳戒態勢の戒厳令公布状態でビクビクしていたので、こうなったら、いっそすがすがしい~!?!・・・といっては語弊があるが、こんなざれ言が言えるのも、最初に発症した次女の容態が目に見えて良くなってきており、峠を越えた安堵感があるからだ。長女、三女は、今日あたりが病状のピークだと思うが、処方された薬もすばらしく効くようなので、子供にとっても僕ら親にとっても、もう少しの辛抱だと自らに言い聞かせている。ちなみに、もらった粉状の経口内服薬は、僕の調べでは藤沢薬品の「セフゾン」(物質名:セフニジル)という抗生物質で、ペニシリンに近いもののようである。次女の症状の緩解を見るにつけ、絶対の信頼をおいている。妻も、発病していないのに同じ薬を処方されたようである。予防の趣旨だろうと思われる。僕と妻もすでに保菌者になっていることはまず確実だろうし、潜伏期間に入っている可能性すらある。発病しないことを祈るばかりだが、これはもう運を天に任せるとでも言うほかはないよね。当然、極力気を付けるけれども。人にうつして迷惑をかけるのも嫌だよね。そんなこんなで、年末年始の様々な楽しみは台無しになったとはいえ、考えようによっては、案外この時期でかえってツイてたのかも知れませんね~
2007年12月31日
コメント(14)
「溶連菌感染症」にかかった次女(3歳9ヶ月)の容態は、抗生物質の経口薬が効いているようで、昨夜から今朝にかけては、おとといあたりのひどかった状態に比べればやや落ち着き、発疹なども峠を越え、いくぶん元気さも取り戻しつつあります。 しかし、今なお38℃前後の熱があり、まだまだ予断を許さない状況です。 具体的な様子は、たまに咳をして喉が痛いとしくしく泣いたりするので、優しく慰めてあげたりするほかは、ただぐったりと寝込んでいたり、時々起き上がっても、うつろな目でぼう~っとテレビを眺めていたりするだけで、大きな異変というほどではありませんが、やはり痛々しい状態が続いています。 僕と妻は、やたらに気が急(せ)いて、おろおろしているばかりです なお、皆様にもご心配、ご高配をたまわりまして感謝申し上げますとともに、まことに申し訳なく思っております。
2007年12月30日
コメント(10)
おととい27日(木)から次女(3歳9ヶ月)が発熱し、最初は風邪かな~と様子を見ていたのですが、きのうからただならぬ状態になってきたので、医者に診せたところ、「溶連菌感染症(ストレプト症)」と診断されました聞きなれない病名ですが、その一種が、よく知られ恐れられている「猩紅熱(しょうこうねつ)」だということです。これは、はっきり言って怖い病気ですよね~ルイーザ・メイ・オルコットの名作「若草物語 Little Women」にも、恐ろしい病気として登場するそうですね。妻が、きのうの時点で即座に異変に気が付いてくれて、本当に良かったと思います。普段、神経質で潔癖症なところが癇に触ったりしてますが、こういう時には本当に頼りになってくれる。・・・妻には深く感謝しています昨夜は、39℃の高熱を出して意識朦朧となっており、顔は上気してほっぺは真っ赤、舌や扁桃腺も腫れ上がり、なんともはや言いようがないほど痛々しい状態になっていますご存知の通り伝染病でもあり、飛沫感染するらしいので、狭い家の中で隔離というわけにはいかないけれども、ほかの子のことも考えると、出来るだけのことはしなければならないと思っています。ペニシリンなどの抗生物質が特効薬として効くらしいので、もちろん治ってくれるとは思いますが、心配でかわいそうで、ブログどころの騒ぎではありませんどうやら年越しになるのも必至の情勢ですそんなわけで、皆様にはしばらくご理解をたまわりたいと思います
2007年12月29日
コメント(4)
所属する短歌結社同人誌の新年号が届き、以下の拙作が掲載されました。くまんパパ 「短歌人」1月号掲載作品 6首(旧かなづかひ)下手くそに畳みてありし我が衣服吾子わこの所業しわざと含み笑ゑまひぬ真赤なるトマトと林檎言ひ違たがふ我が幼をさなこそ愛かなしきろかも ボクサーは貴あてならずやも魂の拳こぶしをもちて闇切り裂けり冷淡クールだと謗そしらるること多かりきしようがねーだろ性分だからかなしみが蕩とろけて消えてゆくごとき公孫樹いてふ並木の黄ぬち歩きぬ幻想に過ぐると思ふ「イマジン」の歌詞なれど我十八番おはこになしつ〔ボツにされた詠草、9首〕まぢなひを折々吾子に囁けりロールオーヴァー水原紫苑宮柊二夜半よはに来てをり「コスモス」に属するブログ友達を経て冗談が通じないほど情熱の女であると知りて蒼ざむ好きである嫌いでもある噛み合はぬ対話ダイアローグに虚空そらをあふぎついい女言葉に棘のありたれば秋の野薔薇に刺されし痛みひいでたる女人と思ふ凡夫にはなかなか分かりがたきを許せひりひりと心に棘の刺さりしも朝の光に融けにけるかなその固辞は本気か否かあれこれと忖度しつつプレゼントせり初雪は未だ降らずもこの街の鎮しづもる季ときをふたり待ち侘ぶ*詠んでいる時は夢中で気がつかなかったが、採られた作品を改めて眺めてみると、語彙・語法などが、ほとんど「正統派万葉調和歌風短歌(?)」ってな感じで、僕の持ち味ってのは、(意外と)こういうところにあるのかな~?・・・などと考えさせられたりして、面白い。選歌に異存はないが、「宮柊二夜半よはに来てをり『コスモス』に属するブログ友達を経て」は、短歌結社「コスモス」所属の同好の士で、楽天ブロガー仲間でもあるたまにゃん1203さんに送った(・・・捧げた?)歌だけに、ちょっと残念ざんす~・・・でも、これは歌そのものが不出来で、何を言っているのか自分でもよく分からない有様なので、仕方がニャイとも思うこのモチーフでは、また改めて挑戦してみたい。今年5月に入会し、7月号から掲載されはじめて8か月、ようやく近頃は肩の力が抜けて、楽しんで詠めるようになって来たかな~、とも感じています短歌作品は、著作権を有します。© Nosho‘Daddy Bear’Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年12月28日
コメント(0)
もう一度あんな気持ちできらきらと形にしたい愛があるだろForever I love youと書いて置く何だかんだと言つてはゐてもネクタイを妻に贈られみづからはさらに選えらまぬ彩あやと思ひつ*現代語訳「自分では決して選ばない柄だな~と思った」
2007年12月26日
コメント(5)
くまんパパ 「短歌人」3月号のための下書き 7(旧かなづかひ)夜更けにも雨は雪へと変はらざり思はせぶりなクリスマス・イヴ君は来る君は来ないと揺れうごく乙女のごとき男心は*山下達郎「クリスマス・イブ」より。その思ひ僕にも覚えありまくり九割方は汝ながことばかりクリスマス、ヴァレンタインのなかりせば孤心ロンリーハートのどけからましクリスマス・ツリー煌きらめく木蔭には死屍累々の街衢ちまたであつた木枯しに凍えし心いそいそとパッヘルベルのカノンに温ぬくむ著作権を有します。© Nosho‘Daddy Bear’Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年12月25日
コメント(0)
くまんパパ 「短歌人」3月号のための下書き 6(旧かなづかひ)プロポーズ記念日だから基督降誕祭前夜クリスマス・イヴはアダムとイヴのぼくたちかの冬に心捧げぬそれからは谺こだまのごとく帰りくる愛目覚めたら霧に噎むせびぬある意味で外はホワイト・クリスマス・イヴ十二月二十四日に幸せがきらりきらりと降りそそぎたり十二月二十四日は贈り物プレゼント 諸手もろてに余るほど買はまほし十二月二十四日のさざめきゆ溢れいでくる微かそかなる笑み街角に「クリスマス・イヴ」流れゐて烏賊墨色いかすみいろの空に星屑達郎の力を借りて我が内の夢見るものを呼び起こしつつトナカイの橇の鈴の音しやんしやんと恋ふる乙女に向かふがにゆく注文の多い伊太利亜料理店灯ともしごろは微笑みの森まほろばはアルゲリッチとマイスキー J・Sバッハ チェロソナタかなチェリストにあくがれをれば無伴奏チェロ組曲のごとく詠みたしシャンパンをふふみバッハのソナタ聴く暇いとまなどなき子沢山かな蝋燭を立てたいなんて大丈夫? ケーキ購あがなひ来しは良けれど寝そべつて子らのお喋り聞いてゐる冬らしからぬ暖かき夜オリオンの三ツ星なるかミシュランの三つ星なるかわが三つ子みつぼしは清らなる吾子の寝顔に降りそそぐ星の光の夜の音楽ナハト・ムジークあまりにも幸せすぎてぼけさうな危惧を覚ゆる楽しきわが家うなづける紀貫之の論である禽獣虫魚悉皆是歌きんじうちゅうぎょしっかいぜかと*「古今和歌集」仮名序。我が国初の文芸論、詩歌論。楽しみは質より量の歌なれどいよよ溢れて書きとむるとき会ひたくもありそれほどのこともなき人とメールの距離感の良さ太陽が出いでましたれば冬の朝いくぶん凌ぎやすくなりたりあはれなるジェンダーフリーの末路かな「おひとりさまの老後」だつてさ孤独死で何が悪いと共産主義的女性解放論者フェミニストそれは社会の迷惑ですよ死ぬ時はみんな独りとやけくそな独裁理論。違ふだろ、それぼろくそに蔑さげすまれたる慎ましき家族と主婦の逆襲である従容と敗北宣言潔く上野千鶴子は孤りかも寝む著作権を有します。© Nosho‘Daddy Bear’Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年12月24日
コメント(0)
めっきり寒くなりましたね。皆様お風邪など召しませんように。ところで、ここ4年以上、まともにテレビを見ていない。ゆっくり音楽を聴く暇もない。まして映画などとんでもない。妻も同様、いや、それ以上である。幼稚園前の子供を3人抱えるということはこういうことなのだと、身を以て体感している。ただ、これはこれで納得のいく忙しさであって、何ら不満はない。それどころか、僕は今人生で一番幸せである。この4年間で、テレビジョンというものが人生にほとんど必要ないということがよく分かった気がする。ただ、大好きな「たけしのTVタックル」(テレビ朝日系全国ネット)だけは見たいと思っているのだが、それも全くままならない。ただでさえあったかいお風呂が恋しい季節であるが、子供と一緒にお風呂に入ってアヒルの親子や温度計付きのカエルのおもちゃやガーゼのキノコを作って遊んでいるのは、至福の時間である。三つ子の娘たち(いずれも3歳9ヶ月)は、元気いっぱいで遊びまわっている。最近ではかなり知恵もついてきて、ようやくわりと安心して見ていられるようになってきた。長女と次女は肉類が好きでなく、しょっぱいものが大好きで、おしんこだの沢庵だの梅干だのを見ると大喜び。お煎餅も好きだし、バリバリポリポリかじる系のものに目がないようである。これは将来、飲兵衛になること間違いなしと、妻の太鼓判。僕も同感である。まあ、俺の娘だからな~。DNA(デオキシリボ核酸)だ。三女は、逆にお肉が大好きで、長女と次女の分までこれ幸いと平らげる勢い。そのため、ちょっと肥満気味。しょっぱい漬物は大嫌い。上手く棲み分けが出来てる。ついでに言えば、僕は白菜の葉っぱの部分が好きなのだが(普通だいたいそうだろうと思うが)、妻は白い茎の部分が好きという特異体質なので、上手く棲み分けている。人気アニメ「プリキュア5」の役柄(?)は、子供たちが自分たちで決めていて、子供っぽい長女が黄色(キュアレモネード)、快活な次女がピンク(キュアドリーム)、筋肉質の三女が赤(キュアルージュ)だという。それぞれ、そこはかとなく、なかなか的確に特徴をとらえているような気がする。ちなみに、優しい緑の人(キュアミント)は、おばあちゃんだという。同様に、「アンパンマン」では、長女は自分がショクパンマン、次女がアンパンマン、三女はカレーパンマンであると、一貫して確乎たる主張をしている。ちなみに、妻はドキンちゃん、僕はジャムおじさんであるという。光栄である早くも、あいうえおの50音もマスターしたみたいだし、すでに平仮名もかなり読めるようである。こんなに早いものなのかな~、とビックリ。こないだ次女が泣いたので、妻が「○○ちゃんは、泣き虫だね~」とからかったら、「おかあちゃんは、怒り虫だね~」と言い返された笑えると同時に、親の贔屓目であろうか、なかなか言葉をあやつる才能があるな、とも思っている。こうなったら、星一徹張りのスパルタ教育で和歌短歌をみっちり仕込んで、俵万智さんを凌ぐ一流歌人に仕立てて大儲けしようかと、密かに企んでいる今日この頃である
2007年12月23日
コメント(4)
くまんパパ 「短歌人」3月号のための下書きブレインストーミング 5(未推敲、旧かなづかひ)三 色トリコロール三枝さきくさの三歳みとせ迎へし三人みたりの子三色みいろの衣きぬに映ゆるを見たり愛し子の生れし年の葡萄酒は未だ熟成せずと酒肆しゅし言ふ我が子らを祝ひて思ふ七五三、五七五の従兄弟いとこなるかな三枝(さきくさ)の:「三(み)」に掛かる枕詞(まくらことば)。
2007年12月22日
コメント(0)
警察の取調室で、容疑者にカツ丼が振舞われるのは、劇映画やテレビドラマの定番のお約束になっているが、実際はまずそんなことはあり得ないという。(下記ウィキペディア「カツ丼」からの引用参照)。こういうシーンが初めて登場したのは、日本映画全盛期の名作「警察日記」(昭和30年・1955年、久松静児監督、日活)とされる。同DVD。かくいう僕もまだ生まれてなかったが、高度経済成長が始まる前の貧しかった日本の、会津磐梯山を望む田舎の警察署の泣き笑いの日々を活写して当時大ヒットを記録し、キネマ旬報ベストテンの'55年度第6位に輝くなど、質的にも高く評価された(「文部省推薦」も付いたようである)。天才子役と謳われた二木てるみが、捨て子(・・・という言葉も死語&放送禁止用語か)の役で驚異的な名演を見せ、涙なくしては見られない。森繁久弥の人情警官をはじめ、若き日の三国連太郎や宍戸錠(せがれ宍戸開そっくりで、笑える)らが好演しているが、その中で、貧しさに負けて頑是無い幼子を捨てた母親に、取調室でカツ丼を振る舞う場面が出てくる。これが、この種の場面の嚆矢であるとされる。まだテレビが普及していなかった時代、映画館はどこも大入り満員、常に出入り口が閉まらない状態だったのを、僕の世代でも記憶している。影響力が大きかったからね~、これが既成事実になってしまったらしい。〔ウィキペディア「カツ丼」の項より〕カツ丼は戦後しばらく日本が貧しかった時代に、庶民にとってはご馳走であった。その頃の刑事ドラマの取調室のシーンでは、刑務所に行ったら二度と食べられないだろうと、刑事が自分の安月給から店屋物のカツ丼をとってやり被疑者に食べさせると、被疑者はその情にほだされ犯行を自供をするというシーンがあった。だが、それがモチーフとなってパロディ化され、本来は有り得ない事を特別にしたというエピソードのはずが「取調中の食事はカツ丼が出る」、「自白するとカツ丼を食べさせてもらえる」と誤解されるようになってしまった。 通常、留置所での食事時間が必ず取られていること、また投げつけるなどして警察官がひるんだ隙をついて逃走される可能性もある事から取調室で食事が出されることはなく、仮にあったとしてもその費用は被疑者の自己負担であり、警察官が費用負担した場合は利益誘導として裁判の際、弁護側の攻撃対象になるという恐れもある。 ここで出される店屋物がカツ丼である根拠としては、店屋物の発注先として歴史的に最もポピュラーな店舗は蕎麦屋であり、蕎麦屋に注文可能なもので取り調べのスケジュールを阻害せず、時間が経っても伸びずに、さめても魅惑的なメニューがカツ丼であったからとする見解がある。 2006年9月6日、埼玉県警所沢署の警部が、取調室で被疑者にカツ丼を食べさせるなどしたとして、減給100分の10(3か月)の懲戒処分を受けた(この警部は同日に依願退職)。このカツ丼は被疑者の両親の知人が持ち込んだものだが、県警の規定では食事は留置場内で取ることとなっており、これに違反していた(ただし、上記のドラマとは異なり、被疑者が暴力団関係者だったために接見室ではなく取調室で家族と接見させるなど、今後の捜査で利用できないかと思い便宜を図ったことが重い懲戒処分に至った原因であり、単に取調室でカツ丼を食べさせたことだけが原因ではない)。
2007年12月22日
コメント(0)
大伴家持八千草やちぐさの花はうつろふ常磐ときはなる松のさ枝を我は結ばな万葉集 4501たくさんの花々は色褪せしおれてしまう。エヴァーグリーンな松の清らかな小枝をわたしは結ぶよ。註「八千草」は「八千種」とも書く(同語源)。松の小枝を結ぶのは、当時の呪術・まじない的行為。
2007年12月22日
コメント(0)
在原業平(ありわらのなりひら)名にし負はばいざ事問こととはむ都鳥我が思ふ人はありやなしやと古今和歌集 411 / 伊勢物語その名に自負があるのなら、さあ、教えてくれ、都鳥よ。(都に残してきた)わたしが思う人はご無事かどうかと。
2007年12月21日
コメント(2)
大伴家持船競ふなぎほふ堀江の川の水際みなぎはに来居きゐつつ鳴くは都鳥かも万葉集 4462船が先を競うように行く堀江の川の水際に来て鳴いているのは都鳥かなあ。註堀江の川:現在の大阪・天満川。都鳥:現在の百合鴎(ゆりかもめ)。かも:軽い疑問、詠嘆、感動などを包含する、現代日本語にはない、余情溢るる古語。平安期からは「かな」に取って代わられたが、擬古的(レトロスペクティヴ)な文体としては現在でも用いられる。筆者も大好きである。
2007年12月21日
コメント(0)
くまんパパ 「短歌人」3月号のための下書きブレインストーミング 4(未推敲、旧かなづかひ)水槽の海豚いるかを吾子わこに見せやれば海豚が吾子を見つめてをりき *風、光、野原の三位一体が我を手招く心地する午後とこしへの木が断崖に生ゆるらし沖の鯨も千年ちとせ祝ほくこそ常葉樹ときはぎにともしき光降り注ぐある種の青の冬の夕暮我が四季セゾンたけしとともに更けにけり Merry Christmas,Mr.Lawrence*大島渚「戦場のメリークリスマス」我が脚が短しと妻仮借なく嘆きにければ微かそか苦笑す俗物でなくば生き得ず純粋でなくば価値なし チャンドラーかも*レイモンド・チャンドラー「プレイバック」“If I wasn’t hard,I wouldn’t be alive.If I couldn’t ever be gentle,I wouldn’t deserve to be alive.(頑強でなければ、生きていられまい。優しくなれないのなら、生きているに値しない。)”俗物でありたしと思ふ純粋でありたしと思ふ冬の花舞ふ生れたる甲斐があらむや少なくとも独りの女救はざりせばちくちくと若い男を嗜虐する鹿島田千帆に聞きほれてゐつ*Radio Berry(FM栃木)アナウンサー「それから」の続き読みたし代助と三千代の恋と旦那の気持「それから」はさてどうなつた明治の御世の不倫の果ては*夏目漱石「それから」アリョーシャが皇帝ツァー暗殺試むるカラマーゾフの続編地獄無謬性信じ込みたる魂を無垢と言はむか無知と言はむか自同律壊れ初そめつつテロリズム幻として頭擡げぬ*亀山郁夫「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」自註自同律:AがAであること。自己同一性(アイデンティティ)。
2007年12月21日
コメント(4)
河野裕子たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか第一歌集「森のやうに獣のやうに」(1972年)
2007年12月20日
コメント(3)
永田和宏ゆりかもめの尻一列に吹かれおり欄干を雪は横ざまに越ゆ歌集「荒神」(2001年)
2007年12月20日
コメント(0)
藤原公成(ふじわらのきんなり)雲の上にさばかりさしし日かげにも君が氷柱つららはとけずなりにき後拾遺和歌集 622僕というこんなに射した光にも君の心は融けなかったね
2007年12月20日
コメント(2)
寺山修司売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき歌集「田園に死す」(1965年)
2007年12月19日
コメント(2)
西行朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄すすき形見にぞ見る新古今和歌集 793実方中将は、不朽の名前だけを留め置いて、陸奥の枯野に朽ち果ててしまった。思い出のよすがに、すすきを見るばかりだ。註藤原実方(さねかた)は、書の三蹟として知られる藤原行成と、天皇の面前で口論の末暴力事件を起こし、奥州に左遷されて憤死したと伝えられる。実方の墓。
2007年12月18日
コメント(0)
世の中に絶えてブログのなかりせば人の心はのどけからましTristar (ブログ「CONCORDE」より)cf.世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし在原業平 古今和歌集53世の中に絶えて女のなかりせば男の心はのどけからまし大田南畝蜀山人 狂歌
2007年12月16日
コメント(4)
よみ人知らず初雪は千重ちへに降りしけ恋しくの多かる我は見つつ偲しのはむ万葉集 4475初雪は、幾重にもどこまでも限りなく降り積もれ。恋しさの積もるわたしは、それを見ながら君を思うよ。註降りしけ:降りしきれ。降り積もれ。恋しく:「恋し」に、活用語を体言化する接尾語「く」がついた上古の形。恋しいこと。恋しさ。globe「DEPARTURE」のサビの歌詞と似てるなあ。・・・小室哲哉が、パクったかな?
2007年12月16日
コメント(2)
よみ人知らず大空の月の光し清ければ影見し水ぞまづこほりける古今和歌集 316大空の月の光が澄み切っていたので、その月影を映した水が真っ先に凍ったんだなあ。
2007年12月16日
コメント(0)
岡部桂一郎(1915・大正4-)しゅるしゅると雨戸を閉める向こう側十一月はもう戻らない卓上に地震ないのしずかによぎりしが途方に暮れし眼鏡ありたりさびしさの極みにあれば夜をこめて雪ふる音をきみは聞いたか間道にこぼれし米の白ぞ沁むすでに東北に冬が来たひと息に行人坂を吹き抜けて途方にくれる昼の木枯葡萄酒にパン浸すとき黒々とドイツの樅は直立をせり岡部桂一郎全歌集
2007年12月16日
コメント(0)
きのうは、冷たい雨のそぼ降る中、地元栃木・宇都宮一之宮である二荒山神社の、地味ながら実に平安時代初期から1300年間続く由緒ある祭り「冬渡祭(おたりや)」に、神輿渡御(みこしとぎょ)の神祇町(じんぎちょう)先導として参加、全身ずぶ濡れになった。残念ながら、僕の撮った写真はないが、こちらのブログが載せてくれた。ありがたい。また、昨年のおたりやについては、こちら。町内側は、皆先祖代々の紋付羽織袴の正装和服で参加。にわか黒澤明の世界である。風邪を引くことより、羽織の家紋が雨に濡れて汚れることの方が心配。それにしても、全く変な天候である。地球温暖化の影響なるものは、やはりまことであるか。古い門前町・城下町の旧町内残酷物語である
2007年12月16日
コメント(0)
西行(さいぎょう)津の国の難波なにはの春は夢なれや芦の枯葉に風渡るなり新古今和歌集 625摂津の国の難波の春は夢だったのだろうか。芦の枯れ葉に冬の風が吹き渡っている。註:津の国:後世の摂津国(現・大阪府の一部と兵庫県の一部)。難波:現・大阪市、大阪湾付近。豊臣秀吉辞世「露と落ち露と消えにし我が身かな難波のことも夢のまた夢」の本歌。
2007年12月15日
コメント(2)
くまんパパ 「短歌人」3月号のための下書きブレインストーミング 3妻となり母となりつついつまでも我がかたはらに夢みる力空気など読めずともよし人の生よはいとど短し恋せよ乙女「若菜集」何処いづくにありや本棚を引つくり返し抒情探しぬこの頃は憎らしき口利く娘はつかに智慧の変幻メタモルフォーゼうつくしく清らなるものほほゑみを父は必ず齎もたらすならむシャンプーを嫌がる吾子わこを抱つこしてなだめすかして頭洗へりシャンプーが怖かりし日日ありありと思ひ出しつつ子の髪洗ふ「オマンチョは痛くないかい?」「痛くない」うつぶせにして陰部ほと洗ひをりをりふしは無理にも心鬼にして怒鳴ることあり愛するゆゑに三人みたりの子我がいのちなりマイホーム主義とか謗そしること気が知れず(旧かなづかひ)著作権を有します。© Nosho "Daddy Bear" Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年12月14日
コメント(2)
くまんパパ 「短歌人」3月号のための下書きブレインストーミング 2見るからに神経過敏センシティヴなる美女である何かあつたら死にさうである高木美保那須高原に棲みついて農を営む暮しと聞きぬ那須で茄子育ててゐると凡庸な駄洒落かはゆき女優ではある高木美保どこか般若の哀しみを垣間見せつつ健気なりけり東京と行つたり来たりうづら鳴く那須高原ぞ桃源郷シャングリラなる那須岳はかつてこの世の果てなりきこれより先はアイヌなりせば(旧かなづかひ)著作権を有します。© Nosho "Daddy Bear" Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年12月13日
コメント(2)
くまんパパ 「短歌人」3月号のための下書きブレインストーミング 1汝なが返事メール思ひもかけず送り来ぬよそよそしくもなれなれしくも思ひ切り言ひたきことを言ひにけりいささか君に畏かしこまりつつ繊弱あえかなる手足すらりとたをやかに眩まばゆかりけり春日の少女をとめ美少女はひたむきなりきおのづから小学校の教師となりぬ夜な夜なとまでは言はぬが寝いねがてにときをり君ぞ思ひ出さるる黴臭き放送室ゆ暗室は我が輝ける領分なりき番長は君だつたねと言はれつつ嘘だらう、いやさうだつたつけ?海馬より前頭葉に入りしとふ記憶なるこそなどて忘れめ今もなほ日け長き思慕を禁じ得ず互ひの偶つまに絶対機密あの頃はこの僕でさへうぶなりきその唇を奪いたかつた(旧かなづかひ)著作権を有します。© Nosho "Daddy Bear" Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年12月12日
コメント(0)
ジョン・レノン「イマジン」文語訳 (旧かなづかひ)惟おもんみよ惟おもんみよ 天上の国はなきなり汝なんぢ試みなば容易たやすからむ我らが足許に地獄なく我らが頭上には空あるのみ惟おもんみよ 今日のために生くるすべての蒼生たみくさを惟おもんみよ 地上の国はなきなりそれ行なふになんぞ難しきことあらむやそれゆゑに殺し死すべき何者とてなく宗教もまたかかるものにあらず惟おもんみよ 平和のうちに生くるすべての蒼生たみくさを汝ら我を夢追ひ人とこそ言ふべけれされど我 唯独りにあらざるなり願はくはいつしか汝ら我らに合力がふりきし以てこの世が一つのごとくならむことを惟おもんみよ 本来無一物たることを汝に為し得るやと覚束なく思へども貪むさぼるためと飢ゑゆゑの貪欲なきことを同胞はらからの情愛を惟おもんみよ なべて世を分かち合ふすべての蒼生たみくさを汝ら我を指して夢人とこそ言ふべからめされど我 唯独りなる者にあらず我希のぞむらくはいつしか汝ら我らに合流し以て世界が一つのごとくならむことを(くまんパパ訳)ジョンが得意とした、連祷(れんとう)的でキャッチーな歌詞である。ものすごくシンプルで多義的 ambiguous な構文だけに、かえって解釈が難しいところがある。特に「No religion too」の一行は難しく、重大問題だと思う。たぶん、前の行の「Nothing」に代入させての、一種の繰り返し(リフレイン、ルフラン)なのだろう。つまり、「そのために殺したり死んだりするものとしての宗教はない」と言っているのだろうと思われる。もしお気づきの点がありましたら、ご忌憚なくご意見をお寄せ下さい。原詩と、現代日本語訳は、こちらなどをご覧下さい。(ネット上に多数あります。)
2007年12月11日
コメント(2)
NHK―BS2(衛星第2)で、今日10日(月)から13日(木)まで、名優・三船敏郎の主演映画特集がオンエアされる。(詳しい放送スケジュールと解説は、NHKのホームページをご覧下さい。)若い世代の方にはマニアックな話題と思われてしまうかも知れないが、僕の世代以上の日本映画・時代劇ファンには、こたえられない好企画であり、狂喜乱舞の態である。“世界のミフネ”といえば、言わずと知れた“世界のクロサワ”であるが、今回は黒澤明監督作品は放映されない。しかし、ほかの監督の作品でも、三船のスケールの大きさは十分に発揮され、日本映画にとって彼がいかに巨大な存在であったかが再認識される。今年のNHK大河ドラマと同一の、井上靖原作に基づく大作映画「風林火山」(稲垣浩監督、1969)は、山本勘助に三船敏郎、武田信玄に中村(萬屋)錦之助、上杉謙信に石原裕次郎、由布姫(諏訪御料人)に佐久間良子と、当時の大スター揃い踏みで川中島の決戦に至る日々を描く、大型スペクタクル歴史ロマン。名バイプレイヤー(助演者)だった土屋嘉男が、実際のご先祖様であり、金丸信元副総理と共通の祖先でもあるという土屋昌次を演じている。武田勝頼には、現・中村勘三郎。当時、小学生だった僕は、リアルタイムで見た記憶があるが、正直、よくは覚えていない・・・が、確か、面白かったと思う。「日本の一番長い日」(岡本喜八監督、1967)も長大な力作である。この作品については、このブログの今年8月15日前後をはじめとして、折々触れてきたが、一国が滅ぶとはどういうことかを絵で見せてくれた。昭和天皇(先代松本幸四郎)は、白いハンカチーフでおん自ら涙を拭いたもうた。重臣(三船敏郎)は、(死の)供をするという側近(高橋悦史)に渾身のビンタを食らわせ、「生き残る方が大変だが、君は生きるんだ。」と諭して、従容として切腹し果てた。意気盛んな青年将校(黒沢年男)は右往左往した挙句、NHKアナウンサー(加山雄三)に銃口を向けた。こうして大日本帝国は滅んだ。さて、この中で僕なりのイチオシ作品は、「上意討ち 拝領妻始末」(1967)である。いわゆる芸術作品ではないから、映画史的にはやや軽視されているが、映画通の間での評判は上々であることが、ネット上でも分かる。当時も今も、日本で最も権威のある映画賞である「キネマ旬報ベストテン」の67年度1位に輝いている。先日12月6日付の読売新聞・別刷りテレビ面「Y&Y」の映画評でも、5点満点の4.5点が付いているのが嬉しい。ずいぶん前に一度見て感服し、割と最近もう一度見て、やっぱり凄い作品だったと再確認した。この記事を読んだ人は、だまされたと思ってぜひ見てほしい。自信を持ってお奨めする。ただ、前半部分はやや退屈かも知れないが、名作と言うものは小説でも演劇でも映画でも、退屈な部分を含むからこそ、クライマックスが際立つのだ、という格言めいた言葉もある。この作品のストーリーはこちら。ただし、このリンク先サイトには、結末などの核心部分(いわゆるネタバレ情報)が書かれていますのでご注意下さい。ストーリーは、そう難しく入り組んだものではない。「人間の條件」、「切腹」、「化石」、「東京裁判」などを残した巨匠・小林正樹監督の演出は、むしろ単純だが残酷なシチュエーションの中で、一人の男がどう苦悩し、行動したかを、重厚な人間ドラマとして描ききることに最大のエネルギーを傾注している。長い、暗い、人生、重厚、白黒、真面目、深刻、様式美、そして凄惨なクライマックス。何拍子も、揃いも揃った諸条件が、これこそが日本映画だということを示している。むろん、僕も現代日本の同時代の(コンテンポラリーな)時を生きている人間である。すっかり豊かに成り果てた現代日本都市文明の、爛熟したアンニュイな文化も大好きである。だが、そのほんのちょこっと以前には、こういう息苦しい重苦しい空気が、この国を支配していたことも、はっきりと記憶している。僕らの世代(40代終盤)は、その双方を知る、恵まれた世代なのかも知れない。・・・間もなく訪れる確実な死、滅びの刻(とき)、メメント・モリを前に、悠揚迫らず、倅(せがれ)加藤剛に、「まあ、お前も一杯やれ」とかなんとか、この世の名残の酒を旨そうに飲む三船敏郎の貫禄。痺れた。その酒の味は、絶品だろうな。脚本は橋本忍、音楽は世界のタケミツこと武満徹。スタッフも含めて、改めて当時の日本映画の持っていた凄みが思い出される。息詰まる、長い長い緊張感のトンネルを抜けると、ギリシャ悲劇のような見事なカタルシスをもたらすクライマックスの大立ち回りが待っている。主人公を演じる大俳優・三船敏郎と一緒に2時間、我々は理不尽な運命を耐え、耐えに耐え、そしてついに耐え切れなくなって、最後に爆発する。筋道の通らぬことへの怒りによって、ついに反抗の道を選択する主人公。滅びの道をひた走る男の姿を描いて、日本映画の独壇場である。「ブチ切れる」などという言葉を、安易に使ってはいけないのだと、逆に思い知らされる。父の決意に、唯々諾々として従う孝行息子に、若き日の加藤剛。哀しい運命に弄ばれる薄倖の美人“拝領妻”の司葉子が可憐である。そして、酷薄な命を下す殿様に、松村達雄。この人は、寅さんの「おいちゃん」役に見られるように、穏やかで朗らかな好々爺の役も似合うが、一面、どこか屈折してひねくれたインテリ役で凄みを発揮することもあったと思う。黒澤明の遺作「まあだだよ」の内田百間役は典型で、好々爺の風格の中に、どこかに持っている狂気みたいなものを滲ませて、絶品だったと思う。「まあだだよ」は妻と一緒に見たが、所ジョージの熱演もあいまって、黒澤作品を日頃あまり解しない彼女も、泣いて感激していた。それにしても、これは、実話・・・とまでは言わずとも、これに似たようなことが実際にあったんだろうか? やはり気になる。分からないが、たぶんあったんだろうな、封建時代には。くわばらくわばら。・・・と、ここまで書いた。これは実は、僕の意図としては、ある記事のマクラというか、壮大な前フリに過ぎないのだ。その本題とは、・・・安倍晋三前首相の唐突すぎる引退の、見るも無残なテンマツである。もう疲れたので、くどくど書かなくても、僕の言いたいことを大体察してもらえると思うが、ひとかどの男の出処進退の決断ってのはホントに一大事であり、いかなることをさて置いても最優先課題であり、“タイミングいのち”だと思う。映画「上意討ち 拝領妻始末」や「日本のいちばん長い日」の結末は、凄惨で無残ですらあるが、無念ではない。むしろ、主人公にとって望むところであったろう。国民の、理不尽な投票行動の審判によって死を宣告された安倍氏は、その時点で間、髪を入れず抗議の切腹をすべきだった。「アベする」と言う言葉が「流行している」などと、朝日新聞に「アサヒられる(捏造記事を書かれる)」前に潔く辞任しておけば、安倍氏は政界に影響力を残すことすら可能だった。ちょっと引き際のタイミングを間違えただけで、こういうおマヌケなことになる。これは珍論だろうか? 僕は必ずしもそうは思わない。くわばらくわばら。
2007年12月10日
コメント(4)
今日は、古くはあの忌まわしき日米開戦記念日、そして僕にとってはジョン・レノンの命日である。20世紀が生んだ、不世出のミュージシャン、アーティストは、27年前の今日、ニューヨークの自宅アパート・ダコタハウス前で、偏執狂的なストーカーの凶弾に顛(たお)れた。享年40歳。1980年12月9日の夕方、僕はたまたま東京・渋谷駅の山手線プラットフォームのキヨスクの新聞垂れ幕で、NYとの時差の関係で1日遅れになった悲報を知った。眩暈がした。まだまだ若かったが、僕の青春は終わったと思った。いや、僕個人の思い出などはどうでもいいが、遺作として、傑作アルバム「ダブル・ファンタジー」が残された。1970年、中学1年生の時、ビートルズとしての“遺作”(録音は「アビイ・ロード」の方が後)「レット・イット・ビー」との遭遇に始まり、立て続けに連打されたポピュラー音楽史上の最高傑作アルバム「ジョン・レノン/プラスティック・オノ・バンド(日本語タイトル「ジョンの魂」、通称「ジョンたま」)や翌'71年の「イマジン」によって、丸太で頭をぶん殴られるような強烈なカルチャーショックを受けて、すっかりロックミュージックの虜囚に成り果てた。この年から遡って、鮭が故郷の川を遡上するかのごとく、'60年代のロック、ポップスを貪るように聴いていった。と同時に、この時点を起点として、過去、未来両方向に散開するようにして、時系列的に同時代の音楽も聴いていった。ついでに言えば、レッド・ツェッペリンが「移民の歌(イミグラント・ソング)」で大ブレイクして、以後のロックシーンを主導する端緒になったのもこの年だった。さらに言えば、歌人・塚本邦雄や岡井隆を知ったのもこの頃。片思いのファースト&ロストラヴを経験したのもこの頃(ご無沙汰してます。お元気ですか? たまにはメール下さい)。僕がなんらかの表現行為をしたいと、最初に思ったのもこの頃である。話がそれたが、その時からジョンの存在(プレゼンス)は、僕の不動明王のごときものになった。死してさらに、神様になった。彼については、すでに語られ尽くされており、屋上屋を架して僕が付け加えることは何もない。また、あまりにも傾倒しすぎたので、ジョンその人が何者であったかを客観的に記述することは、到底不可能である。理想主義者であり、永遠の悪ガキであり、人懐っこく、また恐ろしく倣岸不遜な面も持つという矛盾を体現していた。これらを一言で覆えば、生涯を通じてピュアネス(純粋さ)を保持しえた稀代の人物だったとしか、僕には言えない。客観的なあらましはウィキペディアでも見てほしい。人種、民族、地位門戸、そして男女間を含め一切の差別のない、天国も地獄も宗教もない、永遠の平和を希求する彼の視座から見た、戦争と不正の絶えない醜い現実世界に向けた、ラディカルで過激ともいえる歌詞世界の清冽なインパクトは、僕らの胸から永久(とわ)に消え去ることはないだろう(典型的には、「イマジン」、「女は世界の奴隷か」など)。その反面、今なお西洋世界では隠然たる勢力を持つ、キリスト教原理主義(ファンダメンタリズム)陣営の一部などからは、激しい反発と攻撃を一身に浴びることになった。彼と、盟友ポール・マッカートニーには共に、英国では被差別民族であり、アイルランド分離独立運動の過激さでも知られたアイリッシュ(エール、ケルト)民族の血が流れているという。特に、マッカートニーの苗字のMc.はアイルランド系であると自ら言っていることに等しい(原義は、「息子」、「子孫」の意味で、-son,-sen、ロシア語の「スキー」などと同列)。マッカーサー、マクドナルド、マクガバン、いずれも同様であり、アメリカという新天地で成功したものが少なくない。ビートルズの燦然たるデビュー曲にしては、意外にも独特の哀愁漂う「ラブ・ミー・ドゥ」に、アイルランド民謡、アイリッシュ・ダンスのリズムと響きを聴いた人も少なくない。しろうとの耳にも、確かにエンヤの音楽にはあからさまである、ある種の民族的なたおやかなエレガンスと通底するものを感じる。そうした民族性(エスニシティ)も、いつも彼の音楽には静かに流れている。彼の理想(イデア)は、そのまま人類社会の公理となった。まるで、「永劫回帰」(ニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」)のようだった。とはいえ、むろん、普通の大人であれば、彼が示した理念の実現可能性(フィージビリティ)については、まず懐疑的になるのは当然であろう。彼が「イマジン」の歌詞の中で自ら認めているように、それはあまりにも夢想的に過ぎるからだ。「永遠の平和」は、相手のあることでもある。例えば、イスラム教の狂信的テロリスト勢力の存在。彼らに「イマジン」を聴かせることに意味があるとは、到底思えない。だが、あえて言うならば、それは至上の〈共同幻想〉(吉本隆明)であり、彼はそれを音楽と言う形にして聴かせてくれた。それらは、徐々に、じわじわとではあるが、確実に僕たちを含む世代の魂に染みわたってゆき、例えば、僕たちに差別意識などはほとんどないといえる状況を現出している。・・・そして、そこから派生する一つの帰結として、既存の(特に、当時の英米の旧世代の)政治家たちへの、あまりにも過激な剥き出しの敵意(「真実が欲しい」など)。余談だが、この「真実が欲しい(ギミ・サム・トゥルース)」の、シンプルながら激しいアグレッシヴなサウンドは、僕の超お気に入りだ。ジョージ・ハリソンのノリノリのリードギターも絶品。上手下手はともかく、通しで歌えると思う。DAMカラオケにないらしいのが残念だ。・・・一時の彼が傾いたその政治的志向性、とりわけ共産主義的ユートピア夢想傾向は、今から思うとチャイルディッシュ(子供っぽい)であったが、これは日本の団塊の世代も同じこと。彼の世代固有(プロパー)の空気みたいなものであり、まあご愛嬌でしたと笑って看過すべきであろう。少なくとも言えることは、彼が、自由、とりわけ表現の自由の体現者であり、守護神(ジーニアス)であったということである。その天才ぶりは、例えば「主夫」業5年間のブランクの後に、彼が生涯愛してやまなかった正妻オノ・ヨーコに捧げられた、それにもかかわらず別人格の下半身が犯してしまった中国人美女(確かに、振るい付きたくなるほどいい女だったことは否めない)との浮気というあやまちの言い訳が、15分で書いたといわれる不朽の名曲「ウーマン」になってしまうほどであった。実人生とアートの関係の理想形ではないかと思われる。・・・ちなみにこの歌も、僕のカラオケの十八番(おはこ)である。これはど~でもいいけどね
2007年12月08日
コメント(0)
僕は、たまたま気に入って「エキサイト」のトップページをパソコンのホームページにしてるのだが、その中の「Excite Bit コネタ」と言うのが面白くて、いつ見てもハマってしまう。まあ、何ともはや、あらゆる細かい小ネタやら、誰もの脳裏を一度はよぎるがすぐ忘れ去ってしまうような素朴な疑問が、微に入り細に入りきちんとした記事になっており、ちゃんと取材もしていて信憑性もあり、もちろんタダで読める。いつ果てるとも知れぬこのコーナーを読んでると、もうブログに書くネタなんてないんじゃないかと、ある種の絶望感に襲われる(・・・とは大げさか)。一読をおすすめしたい。例えば、9月10日付けの記事「いま、給食のパンは『持ち帰らない』が当たり前?」によると、例えば最近の小学生は、給食の残りのパンを家に持ち帰らないそうである。もちろん、欠席の子の家に届ける風習(?)も廃れた。残ったらまとめて捨てるのだという万が一中毒でも起こした場合、責任問題になるからだという。さもあらん、やっぱりそういうことか。(なお、この記事からリンクされている現代の学校事情の記事は、いずれも面白い。)どうでもいいと言えばどうでもいいのだが、僕の世代には、え~うそ~、何とまあもったいないことをと気になってしまうのが正直なところだ。ある程度以上の世代なら、同意してくれる方も少なくないだろう。僕なんか、子供の頃から体が大きかったせいもあり、少食な女の子たちの寄進も受けて、毎日2~3人前を平らげた上に、パンは必ず持ち帰り、その一部は帰り道すがらの靴屋の犬に分けてやるのが日課だった昼寝をしていても、僕の足音がすると飛び起きて、尻尾を振って大喜びでむしゃぶりついた駄犬の顔が、40年経った今でも脳裏に浮かぶ。「(食べ物を)捨てる」などという用法は、その頃の辞書には載っていなかった。鯨の竜田揚げなんか、も~最高に美味かった。今では超高級素材・料理になってしまったのが、信じられない。しかも、これは好き嫌いが激しい食べ物で、嫌いな子が多かったので、これ幸いと残らずもらい受けて、一人で5~6人前は胃袋に収めていた。育つわけだね。現在世間をにぎわせている、食品業界の偽装問題などのキーワードの一つとして、業者側が「もったいないと思った」という言葉が浮上している。この「もったいない」と、その「もったいない」は違うだろとも思うが、いやいや、根っこのところでは同じではないだろうか、という疑いも捨てきれない。どうなんだろう、・・・いや、難しいことを考えるのはやめとく。世の中は難しい。
2007年12月08日
コメント(5)
12月は、年末年始の関係だろう、いつもの月より原稿締め切りが5日も早く、ふと気が付いたらもう目前に迫っていた~きのうきょうは、ホント焦った~パニック状態になりつつも、なんとかかんとかカッコはついたかにゃ~?!?以下の詠草を先ほど送付して、やっと一息。また、忌憚なくご意見下さいませくまんパパ 結社誌「短歌人」2月号決定稿 15首オリオンの三ツ星あれがなむちらの星なるべしと言ふ日もあらむしだり尾のながながし夜はねもころに鸚哥いんこと僕と四人のをんな *まなうらに焼きつくほどにあかあかと燃えし楓も今は眠りぬ秋更けて一年ひととせかへりみるにつけ持つべきものは友にこそあれ行カナキヤト君ガ呟キ行カナイデクレト我請フ冬ノ夜ノ夢三分で出来るのもあり三十年みそとせも温むるあり短歌うたの愉しみ「特にない」「別に」と女優剥き出しの孤心晒して半跏思惟像ジョン・レノン暗殺さると渋谷駅二番ホームで知りし遠き日 注文の多い伊太利亜料理店灯ともしごろはほほゑみの森ミシュランの三つ星までは腕一つ妻と二人で四苦八苦とな初秋はつあきに枯れしと見えしシクラメン秋の更けゆくごとに生おひ来ぬことごとにそんなの関係ねえと言ふ男を見れば猿にかも似る国民の浄きよき税みつぎの行き先はおねだり妻のぽつぽだつてさ願はくは守屋防衛事務次官夫妻の市中引き廻し刑永田町落葉舞ひ飛び衆議院議員らの首寒き年の瀬* 谷崎潤一郎「猫と庄造と二人のをんな」(旧かなづかひ)著作権を有します。© Nosho‘KumanPapa’Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年12月04日
コメント(4)
妻一人娘三人元気です背黄青鸚哥せきせいいんこ一羽もゐるよど~もど~も、このところ表現的な韻文に没頭して、肉声的な散文から遠ざかっていた。12月は、年末年始の関係で短歌同人誌「短歌人」2月号の原稿締め切りが早く、事実上あす4日(火)なのだ。ブレインストーミングと称してやけくそ気味に言葉をひねくっているが、やばいな~。ホントにスランプだぞえ。明日までに2月号分15首、名歌をひねり出せるのか!?!・・・とは言え、これで飯食ってるわけじゃなし、ま、いいかさて昨夜は、ジョギング22回目。小1時間。初冬の宇都宮の市街地を駆け抜けた。小生、頭の中に有為無為(ういむい)の雑多な情報が犇(ひしめ)きあってまして、おまけにもう年なので軽い健忘症も始まっているせいか、物事は片っ端からメモしとかないと片っ端から忘れてしまうので、とりあえずここに書いとく今、ブログを読み返してみたら、きちんとウォーキング/ジョギングを始めたのは10月上旬。およそ2か月(40日強)で22回ということは、2日に1回走ったということになる。我ながら、なかなかやるな~体調も絶好調。運動って本当にいいですら~皆さんにもオススメします。日曜日の夜は、小売業の僕にとっては普通の平日の夜なのだが(休日は水曜日)、世間のおおかたの皆様にとっては聖なる日(ホリデイ)の夜。街の中を、どっちに向かって走って行っても道は空いてて、余計な神経を使わなくていいのが気楽な、プレシャス・タイムだね。さすがにかなり寒くなって来たが、多少厚着をすれば、まだまだ悠々許容限度か。寒いなりに、初冬というか、まだ晩秋と言うか、その冷涼な空気感の中で、爽やかな孤独感が楽しめる。気分は、スガシカオ「夜空ノムコウ」ってとこか・・・とは言っても、僕の場合幼い娘3人のコブ付きなので、風邪を引くことは極力避けたい。一人が風邪引くと、ほぼ確実に家族全員に感染して、も~大変なんですからこれまでの経験から見て、運動で汗をかいた直後とか、風呂上りに冷えるのが一番アブナイ。水泳、ジョギング、いずれもヤバイんだよね~天候、気温の様子を見ながらも、ぼちぼち今年の運動も打ち止めかな~
2007年12月03日
コメント(2)
くまんパパ 「短歌人」2月号のためのブレインストーミング 3「特にない」「別に」と女優おそろしきほど剥き出しの孤心晒しつ初冬はつふゆが来れば聴きたくなりにけりルードウィヒ・ヴァン・ベートーヴェンをかくまでに穏やかな夜よは戦争が絶えぬ世界ウェルトと信じがたきも窓を開け空を見てみた満天に星のまたたく冬が来てゐたオリオンの星座煌きらめくかたはらにプレイアデスはごいたぼしも仄ほのめいてゐた寄り添つて星を見てゐた体温が伝わつてきて気持ちよかつた鍋料理つついたりしてぬくもりをいつにも増して感じてゐるよ豆腐とかお茶漬だとかあはあはとしたものばかり好きなこのごろまたしても自己模倣パターナリズム身を擡もたぐ同じ対象同じ表現我ながら変はるものだね唐突ゆくりかに頭の中で口語体へと国民くにたみの浄きよき税みつぎの行き先はおねだり妻の女帝だつてさ願はくは守屋防衛事務次官夫妻の市中引き廻し刑さう言へば岡光厚生事務次官おねだり妻も可愛かつたね盗人の浜の真砂まさごの尽きざれば腹の立つことのみ多かりき(未推敲、旧かなづかひ)著作権を有します。© Nosho "Daddy Bear" Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年12月02日
コメント(0)
この間、ジョギングを少なくとも2回やった。一昨々日の11月29日(木)と昨夜1日(土)。実は、その前にもう1回ぐらいやったような記憶があるのだが、どこにも書いておかなかったので忘れてしまった、・・・が、ま、いいか~とりあえず、少なくとも20、21回目になる。腹は見るからに凹んだし、体も軽く感じられるが、体重は88kgで、現状維持。メモ代わりに書いときます
2007年12月02日
コメント(0)
くまんパパ 「短歌人」2月号のための落書きグラフィティ 2(未推敲、旧かなづかい)*内容が混沌、雑然としてますが、単なる陽気なスランプですからことごとにそんなの関係ねえと言ふ男を見れば猿にかも似る関わりて関わりてなほ関わりて人となるこそまことなりけれ初秋はつあきに枯れしと見えしシクラメン秋の更けゆくごとに生おひ来ぬ蓮枯れて蓮根はすね残れりかにかくに滅ぶることはよみがへること恩があるゆゑに理がある理は気なり気は情なれば妻に情あり*王陽明「伝習録」より。chocoさんに。生え初そむる初歯うひば真白き吾子わこなりきもみぢ色づく小春日和に*中村草田男「紅葉こうえふの中や吾子の歯生え初むる」危ふげにはた楽しげに構ひ合ふわが子ら見れば産んでよかつた~読むための空気無きなり読めぬのは仕方がないと丁々発止何か言ふひと言ごとに気が利いてウィット娘畏るべきかも著作権を有します。© Nosho "Daddy Bear" Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年12月01日
コメント(0)
全37件 (37件中 1-37件目)
1