MoMo太郎日記

MoMo太郎日記

2021年10月30日
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カテゴリ: フォトグラファー
墨田区の両国高校の脇から南に向かってむかしの洲崎、今の東陽一丁目まで続く大門通りに沿って歩くと、小名木川にかかるこの橋が見えてきます。

新扇橋という名前です。架橋されたのは昭和6年(1931)ですが、昭和48年(1973)に大改修されて今の橋になったようです。

近くにあった説明板です。
小名木川は、徳川家康の命を受けた代官小名木四郎兵衛(おなぎしろべえ)によって開削された隅田川と中川(今の荒川)を結ぶ運河で、中川からは船堀川によって利根川(今の江戸川)と結ばれていました。

ちなみに、利根川は家康の時代には東京湾に流れ込む川でしたが江戸時代から明治時代にかけて利根川東遷事業(→→→こちら こちら )によって、今の千葉県銚子市から太平洋に流れこむようになりました。

江戸時代の小名木川は、利根川を通じて北関東や東北の物資を江戸へ輸送する重要な運河でした。その船の交通を統制するために設置された「 猿江船改番所 」があったそうです。



 小名木川は江戸への物資輸送の重要な交通路であったため、とくに江戸の町を守る必要上、江戸時代の初め、万年橋北岸に通船改めの番所が置かれました。その後、中川口へ移転し、中川船番所として利根川水系や房総方面と江戸の間を航行する川船を取り締まっていました。猿江船改番所は中川番所とは別に、川船行政を担当する川船改役の出先機関として設置されたものです。
 幕府や諸藩の荷物を運搬し、江戸へ出入りする船には川船改役によって極印が打たれ、年貢・役銀が課せられていました。そのため新たに船を造ったり、売買によって持ち主が替わった場合などは届け出が義務づけられていました。猿江船改番所の仕事は船稼ぎを統制することにあり、こうした年貢・役銀を徴収したり、川船年貢手形や極印の検査を行っていました。
 この他江戸市中では、浅草橋場(台東区)に同様の番所が設置されていました。
 平成6年(1994)3月 江東区教育委員会

また、新扇橋の東側には、小名木川を締め切る水門があります。



扇橋閘門の仕組みについての説明板がありました。

扇橋閘門は、小名木川(おなぎがわ)のほぼ中央に位置しており、隅田川と荒川という水位が異なる河川を通航可能にした”ミニパナマ運河”と言える施設です。
2つの水門(前扉及び後扉)に挟まれた閘室(こうしつ)と呼ばれる水路の水位を人工的に変動させることにより、船の通航を可能にします。
扇橋閘門の仕組みについてはこちら(→→→ 扇橋閘門の仕組 )を参考にして下さい。

この扇橋閘門は、昭和47(1972)年1月の着工から、約5年の歳月と約30億円の事業費をもって昭和52(1977)年に完成したそうですが、現在は耐震補強工事が行われているようです。


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猿江船改番所と扇橋閘門





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最終更新日  2021年10月30日 11時15分52秒
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