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機械はこわれるもの。人はウソをつくもの。仕事には出来不出来がある。人間のひとりひとりには、得意分野がある。人間のひとりひとりには、苦手なことがある。全員が同じでないから、上司と部下という差が生まれる。立場の違いが生まれる。文句は誰でも言える。が、その文句を解消できるやつは少ない。あたりまえのことをメモ書き(笑)
2011.05.31
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私は、シイタケが苦手です。特に干してあるやつが。子どもの頃から、あの香りが苦手で、台所からシイタケの香りがすると逃げ出したくなりました。と、まあ、何の話かというと。シイタケが好き、って方もたくさんいらっしゃるわけですよ。少なくとも、私のように「シイタケがきらい」って人よりも多いと思います。でね。シイタケ好きな人が、シイタケ嫌いな人を「嫌い」にはならないだろうと(笑)シイタケの好き嫌いについての意見の相違で、その人の好き嫌いが左右されることはないだろうと思うのですね。しかし「シイタケ」に別の単語を入れれば話は変わってくるんです。人の名前だったり、主義主張だったり。私の大好きなユリウス・カエサルの言葉でこんなのがあります。「君の主張に賛成することはできないが、君がその意見を言う自由は命を懸けて守る」意見の違う人を排除してはいないか?自分の耳に心地いい意見だけを、自分のまわりに集めていないか?自分に同調してくれる人だけをまわりに集めて、自分の主張が正しいと思ってはいないか?自分の世界を、自分でせまいものにしていないか?まあ、シイタケだから「好き嫌い」「こだわらない」などと、意見もあるんです。じゃあ「タモギダケ」はどう?あるらしいんですよ。北海道ではメジャーらしいんです。でも、本州以南ではあまり販売されてないそうな。こうなると、好きも嫌いもあったもんじゃありません。「知らない」ものを好きとか嫌いとか言えないもん。つまりですね。多くの人が「好き」「嫌い」を表明するものは、それだけメジャーな地位にあるってことなんですよ。でもって、ほんとに全員嫌いだったら、どうしてそんなに全員が「嫌い」って言えるほど認知されてるんだ?って疑わなくちゃいけない。特に、自分のまわりの意見が一致しているのであれば、その事に満足していたら、裸の王様一直線です。なぜか。あなたのまわりで、違う意見を言う雰囲気はない、って事なんです。つまり、そう思っていなくても、あなたの意見に同調する。それに気が付かなければ、確実に勘違いします。「私はみなの意見を代表してる」「私の意見は正しい」「正しいから、私の主張は受け入れられるのが当たり前」主張が受け入れられないと「相手が悪い」と言い出すか、ひどい場合は、策を弄すわけですね。これは、確実に自分の先行きを縮めます。なぜなら、障害物をよけて通ることを覚えるうちに、ひ弱になっていくからです。反対意見に対して、真摯に向き合い、お互いの意見をぶつけ合い、相手と認め合う。ちゅうか、それだけの人と意見を交わすだけで、そりゃ人間は鍛えられます。「俺はシイタケが嫌いだ!」「何をいうか!あんなうまいものはないっ。俺がうまいものを食わせてやる!」ちゅうことですわ(笑)そこには、新たな何かが生まれる可能性が…自分の意見を主張する時、なぜ主張する必要を感じるのか。それは、そうではない意見があるからです。あるいは、別の何かの目的があるかもしれませんが。意見の違いで、個人を見誤らない。個人を見通すのであれば、その人が持つ意見よりも、その意見の主張の仕方を見る方がいい。そいつの主張の仕方が見事であれば、仕事でプレゼンをやらせればいいんです。我を張って、他者の意見を認めようとしないのであれば、どれだけ仕事ができても集団を率いさせるのは危険です。トラブルを招いて、組織の財産である「人的資源(つまり従業員)」の価値を下げてしまいます。部下や同僚のモチベーションを下げる、ってのは、組織の財産を目減りさせてるって事ですからね。人件費を無駄遣いさせてるんだから。ということで、セクハラとかパワハラってのは、人権問題であると同時に、会社であれば会社の持つ価値を、目に見えない形で落としてるんです。だって、ひとりひとりのやる気をなくさせて、生産性を落とすんだから。シイタケのところをちょこっと変えるバリエーションですよ(笑)セクハラは「これくらいかまわないでしょ」という勘違いで、パワハラは「俺のすることは正しい」というシイタケです。シイタケが好きか嫌いか、でここまで持ってきたぞ(笑)シイタケ嫌いが、シイタケ好きの主張を抑え込む方法論もあるけど、それはまた別の機会に。…やっぱり抑え込むんかい、って意見もあるでしょうが(笑)組織目標から外れたら、そりゃ抑え込みますよ。邪魔になるからね。たとえば。制服着用の職場で「私、制服を着るのは私の主張に反します」ってなやつがいたら、問答無用ですよ(笑)
2011.05.28
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ここのところ、ジャンプのマンガを深読みしています。ひとつずつのマンガというよりは「週刊少年ジャンプ」というマンガ雑誌の方向性というか、ビジョンというか。少年マンガ雑誌に掲載されているのはマンガです。あたりまえか。いいも悪いも、好きも嫌いも、その声が大きくなるという事は、それだけの注目を集めているんだという事は忘れてはいけません。「あんなマンガのどこがおもしろいんだ」という意見がある時、その意見を言うためには「読んでる」ことが条件であり、評論は、その対象となるモノが共有されていなければならない。「あんなマンガのどこがおもしろいんだ」「そのマンガしらない~」って言われたら終わりでしょ。そして、少年ジャンプは、今、もっとも人口に膾炙しているマンガ雑誌と言っていいと思います。それだけのものを用意している、って事ですね。「あんなくだらないものを」などという意見もあるでしょうが、それならば、なぜその「くだらないもの」がそれほどの人気を得ることができるのかを考えたほうがいいでしょう。それはつまり、人間というものがどういう動機で行動を起こすのか、を考えるサンプルのひとつになります。だって。多くの人が「読む」という行動を起こすわけだから。もっと細かく言うと、雑誌として売れているわけですよ。ずーっと売れ続けているわけですね。今はなき「少年キング」は「銀河鉄道999」、少年チャンピオンは「ドカベン」、サンデーは「うる星やつら」「タッチ」等のそれぞれの全盛期に、大きく発行部数を伸ばしたかと思います。(すいません、マガジンは「バリバリ伝説」「あいつとララバイ」の頃に私は、ほぼ毎週読んでましたが、どれがメインだったか覚えが・汗))マンガ雑誌は、掲載されている作品が、どれくらい支持されるかによって、当然発行部数がかわってくるはずです。また、掲載作品はその雑誌の方向性によってかわってきます。ショッピングモール等の商業集積が、適当に店を集めているわけではなくて、いわゆるターゲットをしぼって作られているのと同じです。少年マガジンとジャンプでは、同じマンガ雑誌でもターゲットが違う。少年ジャンプの表紙がAKB48になるとは、とても思えない。ということで。「バクマン」というマンガが連載されています。説明は省きますが(笑)(興味のある方は、ネットでもすぐ検索できます)このマンガが連載され始めてから、一部の掲載作品に、子どもたちに向けての強いメッセージ性を感じる気がしています。「友情・努力・勝利」という、従来のテーマは変わらないのですが「夢を実現させるためには現実を見据えなければならない」というテーマを、作品の中に意識して内包させている気がします。「バクマン」の登場人物の「仕事に対する意識」は、マンガ意外のものに対してもあてはまります。仕事をするってことは、こういうことなんだよ、という心構えを見せようとしているようです。「銀魂」のセリフの中にちりばめられた「いつまでも子どもであることに甘えようとするんじゃない」というシニカルな攻撃性。ジャンプの使い古された展開方法を踏襲しつつ、特別な能力は努力では手に入らない事を言い放ってしまう「めだかボックス」。そして、今、いちばん気になるのが「ONEPEACE」です。何がっていうと、扱ってるのが明らかに「人種差別」問題を扱ってるわけですよ。「差別意識」の発生の根にあるものをデフォルメして見せる。天竜人という種族が持つ、他種族に対する理不尽な、はっきりした理由などない差別意識。被差別対象となる人類がさらに差別意識をもって対する魚人族。その差別をどういう方法や手段でなくそうとしていくのか。差別と戦うために、差別する側と暴力で戦い、敵として殲滅しようとするもの。差別されても、こちらからは友人として接することで、お互いの理解を進められると信じるもの。侮辱されても殴り返さないガッツを持つもの。(最初の黒人メジャーリーガー・ジャッキーロビンソンをスカウトした時の、ロサンゼルスドジャースオーナーの言葉から、です)主人公であるルフィが倒すべき敵は、そこにはいない。倒さねばならないのは、種族間にある敵対心を生み出す「差別意識」なのですから。敵対心だけを倒すのであれば、敵を設定してその敵をつぶしてしまえばいい。個人の欲望を満足させるために暴れる敵を倒すのならば、それでいい。単行本にして50巻を超える作品の、初期に登場してルフィに倒された魚人族のアーロン。そのアーロンが暴れていた理由の根っこの部分のこのエピソードは、ぶっとばして終わり、というわけにはいかないのではないか?現在連載中のこのエピソードは、人々が持つ意識の根幹にかかわる部分です。社会に出る前の子どもたちが、無意識のうちに人権や差別について学ぶことになります。だからこそ、この結末は難しいのではないかと思うのです。許せないやつをブッ飛ばして終わり、ということになれば、ブッ飛ばされた側が、差別される側に回るのは、火を見るより明らかですよ。それは「負けた連中」という事になるのですから。ルフィという規格外の何者かが介在しなければ、解決しないことなのか。それとも、当事者たちだけでなんとかできるものなのか。主人公のルフィが持っているのは、実は障害となるモノを破壊してしまう暴力しかないのです。だからこそ、エピソードが解決した後、ルフィたちはその場所にとどまることができない。破壊する力はあっても、作り上げる力をルフィたちは持たない。これまでのエピソードは、ルフィが障害物を破壊することで、残された人々がもう一度「始めようとする」物語でした。しかし、今回の物語は、ただ「破壊してもういちど始める」ことでいいのかどうか。よんでいる読者の中に「自分たちをバカにするやつらは、倒してしまえばいいんだ」という意識をすりこむことになりかねないのです。それは、新しい差別を生む心を植え込むことになりかねないのですから。
2011.05.27
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楽器屋って少なくなったと思いませんか?楽器を弾く、ってのは初期投資もいるし、練習も積み重ねなくちゃいけないしってんで、意外と敷居が高いのかもしれません。音楽教室とかをしっかりとやっていかないと、きびしいのかもしれませんね。近所の楽器をさがしたら、10キロ以上離れたところにあるショッピングモールの中でした。ピックと小物がほしかっただけなんですけどね。私は、やややわらかめのピックが好きで、使ってて割れやすいので少々予備をもっていたいのです(汗)ギターのピックも、材質とかサイズでさまざまで、値段も細かく違います。私が中学生の頃は、種類はそんなになかったけどなあ。ヤマハのばっかりだったような気がする。でも、当時はまだ「鼈甲」のピックがありました。鼈甲ってのもすごかったな。固くて好きじゃなかったので使ってはなかったけど。ま、それはともかく。ピックを選んで、レジに持って行ったんですよ。レジの担当の方が、持って行ったピックを一瞥して、レジを打ちました。??バーコードついてないぞ。ピックの値段って、20円違いくらいでいくつかあったぞ。「バーコードついてないのに、値段わかるんですか?」「おぼえるんですよお(笑)」「あの種類を?」「休みの次の日に、新商品入ってたりすると大変なんですよ(^_^;)」いや、ちょっと。すごいなって思いましたよ。↓先日、ギターを買ったんですよ。【大特価!7,800円アコギセットの決定版!】セピアクルー FG-1 ナチュラル【アコースティックギター初心者入門8点セット】。ソフトケースもチューニングメーターもついてる。チューニングメーターっていくらくらいするんだろう??ソフトケースも、ただでできるってわけじゃないよなあ?替えの弦とピックもついてるんですよ。ギター本体は5000円以下なんじゃないか?(笑)手の届くところにギターをおいて気が向いた時に弾きたい、というそれだけの理由で買ったので、ま、それには充分でした。舞台に立ちたい、って方にはもうちょい高額なシリーズをお勧めしますけど。音量とか音の響きは、さすがにアンダー1万に過度な期待はできません。もうひとつ余分を言うと、若干小さめです。テレビとかでアコースティックギターを持って歌う方がよく使っているサイズは、広義でいうフォークギターなのですが、厳密にいうとウエスタンギターというサイズです。このギターは一回り小さい、狭義でいうフォークギターです。私がギターを手にしたのは中学2年生の冬でした。さだまさしさんと松山千春さんが、シングルやアルバムの売り上げでピークになる頃です。中島みゆきさんや松任谷由実さんが女性のトップだったころですね。まだ、佐野元春さんはメジャーというにはもうちょい、オフコースが完全にメジャーになるのもこの後すぐです。サザンオールスターズは「いとしのエリー」で駆け上がる直前でした。松田聖子さんがデビューしたのもこの時期だったかな。この当時のこのあたりの人たちは、いまだにメジャー。すごいですね(笑)常に、ファンの期待に応え、ファンの期待を超えてきたことで、次の作品への期待が続いていく。変わらない事ではなく、ファンが望むものを提供し続けてきたこと。吉田拓郎・井上陽水の両御大は、私よりもうちょっと上の世代になるかな?かぐや姫は再結成の頃で、ギターで最初に覚えたのは「22才の別れ」でした。当時、14歳のガキには22歳は大人に思えましたね(笑)現在46歳のオヤジには、22歳は子ども扱い(爆)…30年以上前なんですねえ(笑)こういうのって、料理にたとえてみましょうか。食べたい、と思ってそうなものを出せば、喜んでもらえる。でも、あきられたら二度と食べてくれないかもしれない。また、栄養価の点で、食べる人にとってダメージを蓄積することになるかもしれない。では、その料理を作る人の個性でもって、食べる人が「この料理を目にするまでは思いもしなかったけれど、こういうのが食べたかったんだ」と思えるものを提供する。過去に人気があった料理には、それぞれ、食べたことのある人が、思い出をサイドメニューにしているかもしれないから、ないがしろにするわけにはいきません。でも、古い料理で新しい思い出を作るのは、それを食べたことのない人です。もうすでに食べてしまった人にとっては、なつかしい味、になるのです。新しい料理をださなくちゃね。食べてしまった人が「お、これが新しい料理か」って思えるものを。30年以上、活躍している方は、素敵な新しい料理を提供し続けているのでしょう。だから、新しいファンが増えていく。企業も政党も、実はいっしょのことだと思いますね。長く続く会社は、顧客の求めるものの先を提供し続けているんだろうな。
2011.05.26
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立場上、人に指示するのが私の主な仕事です。その中には「教える」「注意する」、場合によっては「てめえ、コノヤロー」というカミナリモードもあります。…まあ、カミナリモードってのは、寝坊して遅刻を連発したとか、大間抜けな場合に限りますけどね。カミナリ落として終わりにできる程度なら、大したことではございません(笑)で、カミナリ落として終わりにできない事を未然に防ぐために、ひとりひとりを「教える」「注意する」って業務が始まるわけです。今日は「注意する」について。部下の中の、指導的立場にある連中にも言っていることですが…まずひとつは威嚇をしても改善にはならない。「ダメじゃないか!」これに続くのって「注意しなさい」とか「今度から気をつけろ」ですわな。…何に?気を付けるの?威嚇でおさまる事もありますよ。でもね、威嚇の場合は「怖がって余分なことはしないでおこう」なんです。たとえていうならば…野球選手がエラーをして怒られるとするでしょ。これで、怒られることを怖れたら、エラーをすることを怖れるようになります。てえことはですね。とれるかどうかわからない打球には近寄らなくなる。追いつけなければ、エラーではない。取れそうなところまで追いついてはじいちゃったら、エラーになります。ベンチ帰ってから怒られます。それがいやなら、とらなきゃいい。ちゅうことは、そつなくこなしてるように見えて、できることしかしようとしないから、できない事ができるようにはならないんです。できないことに手を出さなければ、ミスをする心配はないからね。ちょいと話はずれますけど、20年前、ローカルの家電販売店に勤めていたことがあります。配送とかを考える前にまず売れ、という考え方の会社で、売れたとしてもその後が怖かった。で、私のとった行動は「売らない」(笑)ほんとにですよ。だって、販売したらトラブル抱えるようなもんなんだもん。それを防ぐためなら売れない方がいい。モチベーションもへったくれもなかったですしねえ(-_-;)話を戻しましょ。脱線してる(笑)だいたいですね。叱る時に怒鳴って威嚇してるやつって、叱ってる気分に自己満足してるだけです。言い切っちゃいます。俺は部下を指導してる、って。そんなもん、指導でもなんでもありません。では、叱って注意するのと自己満足との違いは何か。二つ目のポイントは、何に気を付けるのか、を提示してるかどうか。原因を考える。原因がはっきりしたら、対策が出るはずです。個人のミスに対する対策なんて、まあポイントは一つですよ。ちゅうか、ひとつにしなくちゃいけません。二つ以上対策を出したって、実行できるもんじゃない。そして「これをしないように気を付けよう」じゃ大きな効果は期待できません。それは、心にブレーキをかける対策だからです。それよりは「こうしていこう」の方がよっぽどマシ。また野球にたとえますけどね。外角のスライダーを振って三振して怒られた。その対策は「バッターボックスでホームベースから離れすぎないように立って、バットを振り出す時に踏み出す足を上げすぎないように、体が開かないようにして、スライダーには手をだすな」これ、覚えられる?(笑)私なら、こう言います。「真ん中から内側のまっすぐだけ打っとけ」普段の仕事でも同じです。「じゃあ、今度から気を付けるためにこうしよう」って。「一歩前進しよう」とする形にするんです。それに、ひとつだけなら集中できるでしょ。「これをするぞ、これをするぞ」繰り返してるうちに、クセになります。考えなくてもできるようになります。身につきます。次のステップを覚えていく準備ができますよ。それに、三つも四つも対策を必要とするなら、その前にその業務をこなすレベルに達していません。その手前からやりなおさないとね。さて、できれば三つ目のポイントは。「よっしゃ、このミスを教訓にして次はこうやってやろう」って前向きの笑顔で次に向かえるように。特に、反省して落ち込むようなやつには「落ち込んでも結果は変わらない。このミスを生かすことが、本当の反省だよ」って。笑顔で前向きに向かっていければ、まわりにもいい影響が出ます。ただね。叱られれも、とりあえず聞き流せば時間はすぎてく、なんて考えてるやつは問題外です。そりゃあもう。そのことを後悔するほど落ち込ませてやる。
2011.05.23
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現実の私と、このブログの存在の両方を知っているのは限られているのですが、会おうと思えばいつでも会える人が二人だけいます。彼女たちに会う時はいっつも下心いっぱいなんですけどね(笑)残念ながら、二人とも私の下心を無視してくれます。それはともかく。「かわいい部下」から仕入れた話です。彼女が、友人の女性に、彼女のご主人がやってる草野球の観戦に誘われたらしいんです。球場で試合を見ながら「かわいい部下」が友人にたずねました。「あなたのだんなさん、どこにいるの?」「ほら、あそこが立ってるのが私のだんなよ」「…あんた。今言った事もう一回言ってみい」「?『あそこが立ってるのが私のだんな』って、何かおかしい?」「…それ、あそこ『が』とあそこ『に』ですごい違いだと思うんだけど(-_-;)」 「あ(汗)」
2011.05.23
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元記事はこれです。著作権ひっかかりそうですけど、ちょっと引用させてください。「この映画は究極的に言えば、観客のために作られていて、彼らが稼いだお金で観にきてくれるわけだよね。だから、彼らが飽きたら潮時なんだ。僕らが必死で頑張るのは、観てくれる人のためだよ。みんなが望む限り、僕はやるよ」パイレーツ・オブ・カリビアンの続編について問われた、ジョニー・デップの答えです。映画の続編を作るかどうか、っていうのは「見に来ていただける方に十分な満足を提供できるクオリティを維持できる自信」があるかどうか、ってのもありますんで、製作者側が「作らない」という選択肢ももちろんあると思います。続編を作るのがいいか悪いか、ってのはなかなか判断の難しいところですし…「死霊のはらわた」みたいに続編が出るたびに、ホラーからコメディに変わってしまったような映画もあるし(笑)で、まあ何が言いたいかっていうと。ちょっと、この発言の中の単語を変えてみましょうねえ。この商品は究極的に言えば、お客さんのために作られていて、彼らが稼いだお金で買ってくれるわけだよね。だから、彼らが飽きたら潮時なんだ。この音楽は究極的に言えば、ファンのために作られていて、彼らが稼いだお金で聞きに来てくれるわけだよね。だから、彼らが飽きたら潮時なんだ。この会社は究極的に言えば、顧客(クライアント)のために存在していて、彼らが稼いだお金で仕事を依頼してくれるわけだよね。だから、彼らの依頼をこなせなくなったら潮時なんだ。この政府は究極的に言えば、国民のために作られていて、彼らが稼いだお金で税金を払ってくれるわけだよね。だから、彼らがあきれたら潮時なんだ。「彼ら」がお金を稼ぐとき、「彼ら」にお金を払ってくれる人たちのために仕事をしてるのです。時間給や月給という呼び名はあるけれど、そのお金はどこから出ているのか。自分のする仕事は「次の仕事」を呼び寄せられるか?「また頼もう」「また買おう」「また行こう」ジョニー・デップの「みんなが望む限り、僕はやるよ」という言葉には、「また見よう」と思ってもらえるだけのものを次も作れる、という自分たちの仕事への自信がみなぎっているような気がします。ま、続編を作る意味を見いだせなくなったら、「次は違う映画で、みなさんの満足いくものを作りますよ」ってセリフもあっさり言えそうな…。
2011.05.15
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「高校生レストラン」と佐藤浩市主演の「最後の晩餐」を見てます。(敬称略)同じ時間帯だから、チャンネル変えながら見てるんですけどね。「最後の晩餐」斉藤由貴ファンの私は、斉藤由貴に目が…表情だけで気持ちの変化が見えるのは、ひいきめに見てるからですかねえ(笑)佐藤浩市の役柄の、直属の若い部下へのぼろっかすな扱い方を見ながら「自分みたいだ」って思った私(笑)2時間ドラマって普段見ないんだけど、見ちゃったなあ。あ。まだ見終わってないけど。高校生レストラン。以前、勤務していたところでは、アルバイトのほとんどがこのドラマのモデルになった高校の卒業生でした。近かった、てだけです(笑)私の職場がレストラン、ってわけではありません。この高校、調理専門の高校ではなくて、普通科の生徒さんが一番多いはずです。その普通科を卒業した大学生アルバイトがいたんですね。ってえわけで、へええ、って思いながら見てしまいます。普通の目で見てないから、どうこうは言えないですが。まあ、地元じゃ「方言が…」って意見はありますが、そんなもん当たり前。真似できないから方言ですわな。まあ、地方ドラマをやると、必ず出る話ですね。そうそう。この町の教育委員会(たぶん)は、この「まごの手レストラン」の開業も含めてでしょうが、かなり斬新で…私がこの近辺で働いていたのは、もう10年以上前になりますが、当時1000席前後しかない町のホールに、町主催で呼んでくるコンサートが、覚えてるだけで人気バリバリの頃のハウンドドッグ、ブレイクしかけたころの川島あい、中村雅俊…ひょっとして今でも続いてるかもしれませんが(笑)とにかく「この客席キャパで、なぜこの人が呼べる?」みたいなライブを結構やってました。行政のホームページで、人口1万人だったのですが、今にして思えばかなりイケイケの役場だったのかもしれませんねえ。来年、モデル高校の倍率が他人事ながら心配です。
2011.05.14
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いや、アニメのタイトルなんですけど。見たことはないですよ。ぼけーとYOUTUBE見てる時にめっけたんですけどね。こんなのあったんですよ。そらのおとしもの「踊り子」動作環境30代以上。催涙推奨スペックは40代以上(笑)「アニメのエンディングで『踊り子』ってまさかなあ」タイトルがいっしょなだけで新しい曲かな?フォーリーブスの「踊り子」はジャニーズ事務所の練習曲みたいになってるんで、そっちかな?って思ったんですが、違いました。大当たり。故・村下孝蔵氏の楽曲でございました。「初恋」ならわかるけど(「初恋」もちゃんとありましたが)「踊り子」とはまた、微妙にマニアックなとこをついてくるね。私、高校生でしたよ。この曲、ギター弾いて歌ってましたよ。オヤジのツボをついた作りです。ファーストガンダムの後でアニメから足を洗った私(どっぷり足は突っ込んでいた・笑)にとって、言っちゃ悪いけど、アニメの方には興味はもてないのですが、この選曲と料理の仕方はとってもはまります。ま、ちょいと「うーん。これはどうもなあ」ってのもありましたが。しかし。時間のある40代以上の方は(笑)ぜひ。この曲をまともにやってオリジナルに勝つのは苦しいぞ、ってのも「そうきたか」って、にやっとしてしまうようなものから、予想以上のクオリティのものもありです。個人的なおススメは「天使のウィンク」(4人がかり。松田聖子をカバーするにはこのやり方が一番でしょう)「赤い花白い花」(これは実に絶品!)ここからは余談。俳優ではなく「声優」という独立した分野ができあがるほど、その「声」で演じるクオリティが高いものである、ということは想像できます。ショッピングセンターでもある程度のものは買えますが、専門店にいけば圧倒される場合がある、というようなことですね。でもって、プロフェッショナルの本当の凄さというのは、その発信を受け止める側に、通常は凄さを感じさせません。たとえばですけどね。高校野球を見た後でプロ野球を見て、ショートゴロの処理をご覧になれば、当たり前に見えていたプロのプレーのクオリティの高さがわかります。雑誌の表紙を飾るイラスト、特に「うまいなあ」なんてわざわざ見ていないはず。うまければうまいほど、見逃してしまいます。これをプロフェッショナルではない人が描くと「すごーい」になる。声優の方が歌う時、そこに声で「演技するという力」が発揮されるとき、歌うという技術力とは違うポイントを光らせることで、その歌の持つ魅力を引き出せる気がします。一般的に20歳の人が歌う時、20歳の自分で歌います。しかし、声優の方が歌う場合、役柄が歌う場合がある。俳優と違うのはここです。年齢・性別が歌う本人とかけ離れていることも可能です。場合によっては人類ではなかったりする。生きている時代すら違っているかもしれない。一般の俳優が歌う場合、性別は超えないですもんね、普通。聞いてる側に、その曲と、その曲を歌ってる人物の背景や抱えているものを伝えてしまえるかもしれない。声に乗せる演技…つまり情報量の多さが、普通の量ではないと思うのですよ。ただ、声優の方が歌を歌う時、演技ではなく普通に歌ってめっちゃくちゃうまくても「うまい」って言われてしまう。ま、声優に限らずですが。「うまい」がほめ言葉になるのは「へー、意外」だからなのです。ほんとうに届けたいものが、ぼやけてしまうのはもったいない気がしますね。
2011.05.14
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「あの頃の自分になんと言ってやりたいか」というセリフをラジオのCMで聞きました。「ちゃんと勉強しとけよ」ってなもんかな(笑)別に、社会人になってから、学校の勉強が直接的に役に立つ場合は少ないかもしれないけれど、少なくとも役に立たないから学ばなくてもいい理由にはならない。役に立たないことをしない、っていうならゲームもいっしょにやめちまえ、ってなもんです。役に立つかどうかなんて、誰にも判断できないんだから、学んでおかないとね。そして、学ぶという事は、自分の可能性を広げること。「苦手だから」という理由で扉を開けようとしないのは「歳だから」とか「難しいことは無理だから」と言って、チャレンジしないのと同じです。などという事を書きたいのではなくて(笑)あの頃の自分に何を言うか?いっぱいあるけどさあ。それより、今の自分が思い出しておかなくちゃいけないのは、あの頃の自分に「どんな言い方で言ってやれば、きちんと届くだろうか」って事だと思うのです。いまさら、過去の自分に何か言ってやることなんてできるわけないじゃないか。そんなもん「あの頃やっときゃよかった」っていう、後悔の念以外の何者でもありません。そんなこと考えるなら、これからの自分の可能性を考えてた方が、よっぽど建設的だし。しかし、あの頃の自分に言ってやったところで「うるせえなこのやろう」くらいにしか受け取らない可能性はたぶんにある(笑)身に覚え、ないっすか?自分が年齢を重ねて、15歳だった頃が20年以上遠い過去になってしまうなんて、15歳当事者の自分は、たぶん想像しようとしても想像できない。でもって15歳の自分が、たとえばどんなに大人びていたとしても、ガキであることに変わりはない。さあて。過去の自分に、今の自分から伝えたいことを叩き込むには、どんな言い方をしてやればいいでしょう?どんな言い方をされたら、話の内容も聞かずに反発してたでしょう?今、部下や子どもに何かを伝えたい時、どんな言い方をしていますか?ま、かつて「おとなはわかってくれない」と書いた子どもは、すでに大人になっているはずです。「十七歳の地図」で鮮烈にデビューした故・尾崎豊氏は、生きていれば45歳くらいでしょう。確実に「少年」ではありません。社会に反発して自由に生きているとしたら、それは周囲のあこがれになるのかもしれませんが、そんな人ばっかりだったら、社会は安全・安心からは程遠いことになってしまいます。自由に生きるということは、自分以外の人が自由に生きることも受け入れなければならない。社会の中で生きる以上発生するであろう、公共の中にいる時間を受け入れられないようなら、他人の自由を受け入れられるとは思いにくいけど。反発するこどもを「君はそのままでいいんだよ」なんて甘やかすのは、長い目で見た虐待です。だって。私、部下の若いのがふてくされて反発したら、大喜びでそいつの「鼻っ柱」をへしおって未熟でうすっぺらな「自尊心」を粉々にしてやりますよ(笑)そんな事にならないためには、社会人になる前に学んでおかねばならないことは多々あるのですから。そしてそこから。「こいつにどうやって言ってやればきちんと伝わるだろうか?」どうせ伝えるなら、極力、無駄な時間にはしたくない。せっかく話すなら、いかに効果的に伝えるか。だから私は「どんな言い方で言ってやれば、きちんと届くだろうか」って事を考えるのですよ。うちのガキにはなんというか。「おまえら、俺に勝とうなんざ百万年早いんだよ」これを言ってから、ですね(笑)
2011.05.11
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「身についた倫理観は迷わない」と、私は思っています。つまり、「これはやっていいことなのか悪いことなのか」って考えてる間は、身についてない、ってことです。モーゼの十戒とかありますよね。「汝、殺すなかれ」で始まるやつ。「人を殺したらだめなんだよ~」を最初に言ってる。…そこから言わなきゃ始まらない、ってことね(笑)いや、笑いごとじゃなく。一般的な生活を送ってる人々であれば、平穏に暮らしている限り「人を殺してはいけない」という判断に迷いはないはずです。それは「殺してはいけない」という意識が、身についているからですよね。逆に「動いてるやつは撃て」って意識が身についてる人も、世界の中にはいるかもしれない。戦闘中の最前線で警戒に当たる兵士だったらそうでしょう。「殺してはいけない」という倫理観は、通用しない。身についてしまった事は、それが無意識に常識としてその人を支配します。ブレーキとして機能したり、アクセルとしてだったり、状況によっていろいろですが、本人の意識するしないに関わらず、行動を律していたりします。この、意識するしないに関わらず、ってところがポイントで…私たち日本人は、玄関で靴を脱ぎますよね。考えずに脱ぎますよね(笑)これ、屋内で靴を脱ぐってのが身についてるからです。日本人は、ほとんどの人がこのことに縛られている(笑)はずです。屋内でも靴で過ごす習慣の国の人は、脱がないのが普通ですもんね。いつだったかな?日本家屋の玄関で、どうすればいいのか迷ってる外国からの旅行者の家族に「靴をぬいで上がるんですよ」って案内したことがあります。身についてないから、知識として持っていても考えてから行動することになるし、その知識が正しいのかどうか、文化の違う国では一抹の不安が残りますもんね。まあ、しばられている、と言うと窮屈に聞こえますが、あたりまえになってしまえばそれは問題にならない。しばられている、って事にすら気が付きません。そして、同じことで共通の制限が加えられることで、それは文化となります。と、まあここまで前フリ。なっがーい(汗)何の話かというとですね。ケアレスミスを繰り返した従業員に説教くらわしてたんですよ。きちんとマニュアル通りの動きをしていれば、防げたミスだったので、「身についてないからミスにつながったんだ。身についてしまえば迷わない」っていう話をしたんです。(慣れてしまえば大丈夫、っていう話とは違います。念のため。)で「身についている」って事のたとえ話として、掛け算の九九の話をしたわけです。「たとえばだ。3×3(さざんが)?」「9です(^^)b」「九九が身についてるから、考えずに答えが出るだろ?」「そうですね(^^)」「きちんとすべき動きが、考えなくてもできるくらいに身についてたら、ミスもすくなくできるんだよ」「はいわかりました」「じゃあもうひとつ。4×3=(しさん)」「えーと。16!!(#^.^#)」…私はね、椅子からずり落ちましたよ。「…12じゃっ」
2011.05.09
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まいったなあ…仕事したくねえよお。なーんか気分がイマイチなんだよなあ…誰かひざまくらで寝かせてくんねえかなー↑この時点であやしい。で、1号に。「そうだ、おまえ、女子大生を紹介しろよ」「…ぜったい、してやんねえよ」3号にも言ってみたんですけどね。「そんなことができたら俺には彼女ができてるよ」…たしかにな(汗)ちょっとふらっと消えてこよう。
2011.05.08
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【送料無料】野村の「監督ミーティング」ちょいと時間があったので本屋に入り、タイトルだけ見て買いました。普段の仕事で、いわゆる「ミーティング」ってのを、行います。まあ「会議」と言い換えてもいいかもしれません。それのヒントになるよう事はないかな、ってな軽い気持ちだったんですが。野村監督と同じことをしようとしてますね、私は(笑)そりゃ経験値も何もかも違いますから、レベルの差は歴然ですが。会議ってやつはねえ。時間の無駄を作り出す元凶になることが多いんですよね。具体的指示ってのは、現場で出したほうが早いですし、仕事を実行する際の考え方や方向性などは個人を相手にして確かめたほうがいい。会議の席上でやったところで、右から左です。「はやく終わんねえかなー。そんなの資料を読んだらわかるよ」って思ってますからね(笑)それに、資料棒読みしてるんじゃねえよ、って思う事ありませんか?棒読みされた資料は、誰も聞いてない上に「聞いた気に」なってるから、後から読み返したりしません。で、会議とかで「成績が悪いな。なんとかしろ」って、言っていいのは一番トップだけですからね。(これはちゃんと理由があります)直属の部下に「成績をあげろ」ってだけ言ってたら、ただの大バカヤローです。同様に、お子さんに向かって「こんな成績でどうするの。勉強しなさい」って言ったって、あんまり効果は期待できません。これは、効果を出す言い方があるんですよ。いきなりは出ないかもしれないけれど、確実に効果が出てくる言い方がある。ただ、勉強でも仕事でも、言い方が有効となるのは、それを実行するモチベーションがある、って事が重要です。やる気、ってやつね。一生懸命なんだけど結果が出ない、ってやつにこそ、この具体的戦術が効果がでます。ちゃんとがんばれるんだもん。がんばりかた、たぶん間違ってるけど頑張ることに問題はないんだから。極端な事を言ったら、車で行けば5分で行けるのに、何が何でも自分で走って5分で行こうとしてる、なんて場合があるんですよ。まあ、だいたいこの手の事をするやつは頑固者で、自分の頑張りに酔ってる場合が多いから、なかなか言う事聞かないんですけどね(笑)方向さえきちんとしてやれば、走っていきます。この方向を間違って向かせた日には、目も当てられませんが。ということは、まずその「モチベーション」を確保できてるって事を確実にするんです。そこからはじめないと、砂の上に家を建てるようなもの。この辺りはプロ野球選手と違うところかもしれません。モチベーションの確保を言ってるようじゃ、プロ野球選手じゃない。でも、一般企業の場合は「とりあえず時給もらえりゃ、なるべく楽してなにもしないでおこう」ってな人がかなりの確率でいますからね(笑)じゃあ、何を話すか。営業成績や「今月の目標」を言ったって、よけいに遠い目になっちまいます。個人の目標は、個人ごとに伝えたほうがいい。人それぞれに動機も違うし。ものの考え方の基本からですよ。日々をきちんと生活する。挨拶をする。人間関係をよくする。そこからです。野村監督のミーティングは、野球の話ではなく「人としていかに生きるか」で始まったそうな。ま、思いやりや心遣いをなしにして、良い仕事はできませんわな。
2011.05.08
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私の職場の20代前半の女性の方が、一念発起、看護大学へ合格して通い始めました。「パート」から「学生アルバイト」になったわけです。マジメで努力家、が服を着て歩いてるようなタイプです。仕事は安心してまかせられるし、責任感ももちろん強い。でもって性格も明るくて……もうちょっと派手で、ちょうどいいくらいだと思うぞ。露出を増やせとかは言わないから、もうちょっとだけ色をあかるい色にするといいんだけどねえ。先日の事。「ボス~。大変申し訳ないんですが、個人的な都合でどうしても〇日に休みいただけませんか?」「交代要員さえいれば大丈夫だと思うけど…どうしたんだ?」「ついていけないんですよ、勉強に(汗)」「受験勉強とは違うか~」「いや、なんていうか、学生の時に化学とってなかったんですけど、看護師って化学を基礎からわかってないと冗談じゃなく大変です」あ。そういや苔むさずさんが、そんなこと書いてたな(汗)「元素記号から?」「それは中学の時に覚えてたんで、なんとかなってるんですけどねえ」…そこはもう「がんばれ」しか言えないな(^^)b↑他人事。
2011.05.04
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今日、フレッツ光TVで「This is Elvis」を見ていました。エルビス・プレスリーの伝記映画ですが、生前映像と本人および関係者のナレーションで作られてる。。アイドルについて考えてしまいました。まぎれもなく、画面の中のエルビスはアイドルだったのです。まあ、エルビスとビートルズについては、ネットで検索をかければどんな人だったかってのは、わんさか出てくるはずです。二十歳以上ならほとんどの人が名前を知っているのではないでしょうか。過去にもっとも成功したソロアーティストがエルビスで、グループがビートルズ。好きになった人も、嫌いだって言った人も、もっとも多い事に違いはないのではないか、と思います。エルビスもビートルズもデビューからトップへ駆け上がるまでの間にきゃあきゃあ言われてるんですよ。大スターでアイドル。時代が違う、って言われりゃそれまでですけど、映像に記録されたあの人気はすごい。アイドルになれるのは特別なことなんですね。アーティストと呼ばれる人の中でものほんの一握りなんですね。プレスリーもビートルズも、最後までアーティストでしょう。でも、最後までアイドルではない。…逆にまあどんなアイドルでも、アーティストにはなれる。「私はアーティスト」って宣言すればなれる。好きでも嫌いでも、それは「感情」が動くということです。そして、その「感情」が世の中を押し始める。たとえば強い感情が動く「恋」というやつは、人に強い力を出させてしまう。理性で考えれば、つまり横で見てれば「なんんてことをしてるんだろう」ってな事でもできてしまう。アイドルには不特定多数の「感情」を、プラス方向に強く動かす力があるんです。これはお金だけでは買う事のできない力です。お金で買う事はできないけど、お金に変えることはできる。…恋をお金に変えるのはどうかと思うけど(笑)理性だけだったら、同じCDを2枚も3枚も買うことはないと思うんだよなあ(笑)このあと「ロード・オブ・ザ・リング」3部作を連続でやっていたので、続けて全部見た…一日がおわってしまった…
2011.05.04
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今日はお休みでした。夕方、職場から電話が。「ボス、今、ラスボスが現れました」「なにー!!うちはスルーしていくはずだったのに」「とりあえず「凍てつく波動」のダメージはありません(笑)」「まあ、ここんとこコマメにベホマ使っていたからな(笑)」社長があらわれたんだよ~ん(笑)なんせ、私もサラリーマン。ブログでどんなに大口たたいてたって、ラスボスに勝てるわけではありません。ベホマってのは、部署内の通常メンテナンスのことです。私を含め、ドラクエ世代の連中は「ホイミはコマメにかけてくれよなー」とか「今日は気合でベホマズンいくぞ」などと話しております。時々ね、「ボス~~〇〇さんがパルプンテかけていきました~(汗)」ってな時も。
2011.05.02
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