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言葉というのは、同じ言葉でも伝え方によって伝わる中身が違います。伝える人によっても違う。たとえば「ありがとう」は笑顔で、相手の目を見てはっきりと伝えるのと、ぼそぼそと聞こえるか聞こえないかのように言うのとでは、伝わり方が違う。「ありがとう」って、文字にすれば同じですけどね。言葉で伝える場合、伝え方で、大きく変わる。でね。どれくらい伝わるか、というのはその場限りの問題ではありません。次の機会にも影響を与えるのです。礼も言わないやつの頼み、次の機会に聞くかい?これはね、聞いちゃいけないんです。だって、礼を言わなくてもいいもんだ、って思いこんでしまう。相手にとって不幸であるし、今後、そいつの頼みを聞く人にとっても、不快感を感じる機会を増やしてしまいます。つまり、不快感の連鎖をその場で断ち切っておくってことです。この場合、「言っても無駄だから」ってのは、相手の行為を認めることですからね。慣れてしまう、あるいはあきらめてしまうことで、不快な行為に市民権を与えてしまうことになるんです。私自身のことで言えば、基本的に私は「片付け」が苦手です。ちゅうか、出しっぱなしの人なんですね(汗)これはね、続けているうちにまわりがあきらめます。「ボスは片付けしないよなあ。そのあたりに出しっぱなしだよなあ」迷惑をかけるほどの事はしないのですが、人に注意できるほど片付けてはいない。で、「うちのボスは片付けない」というキャラが立つわけです。「片付けない」のが当たり前になるわけですね。言っても無駄だから言わない、ってのは、積極的ではないにしろその状態を認めてしまうことになるのですよ。結局、「しつこい」と言われようと、言い続けるしかない。さて。「ありがとう」は笑顔でいうのがいい、とは思うのですが…いわゆる「上から目線」で話すことが必要な場合もあります。この場合、基準は「上から目線で話す」という事についての発言内容について、発言者が義務と責任を負うことは必要になりますが。たとえば、立場が明らかに違う場合に、ほめる時。あるいは叱る時もそうです。私は、職場ではボスです。仕事の話をする時には私が上の立場になるわけです。もうね、ほめる時は意識して上から目線ですよ(笑)「立場が上の人から認めてもらった」という印象を残すようにするんです。叱る時は思いっきり立場差を明確にします。権力や権限はこういう時に使うためにあります。使うべきところで使わなければ、伝えたいことをよりよく伝えることができなくなってしまいます。同じ言葉を伝えるのなら、いかに届くように伝えるか。また、立場や状況によっても、使い分ける必要はある。責任が重くなればなるほど、使い分けて使いこなす必要は出てくるのです。先日、長男1号と、この「効果的に伝える」ということについて話をしていたのですよ。「たとえば、だ。俺の言葉でおまえたちにものすごく効果的に伝わる言葉に気がついてるか?」「え?俺たちに効果的に伝わる言葉?…なんだろ?」「コーヒーもってきてくれ、だ」「は?」「要は命令文だよ。おまえたちは俺の指示は、とりあえずいう事聞くだろ」「…確かに。洗い物も洗濯も、言われればやってるよなあ」「いまどき、高校生以上だったら、親に言われてもいう事聞かないやつの方が多いだろ(笑)さてそこで問題だ。おまえたちが俺のいう事を聞くようにするために、俺はいつから準備していたか」「え?準備?俺たちが大学入ったくらいか?」「そんなもん間に合うかよ(笑)お前らが2歳になる前から、準備していたさ」三つ子の魂百までも。3歳以前に「オヤジは怖い」というイメージを植え付け(往復びんたはデフォルト)それでも、遊んでくれる時は楽しいことを植え付け、オヤジは友達ではなく父親であるということをきちんと認識させ。中学生の頃からの思春期以降に、オヤジの言葉が効果的に届くように。何かを伝える時にうまく伝わらなければ、徒労でしかありません。しかし、うまく伝わったならば、おおきな力になることもあります。伝えるために、伝える前にできること。私から見て、ないがしろにしてる人多いんだよなあ。会見する人とかさ。
2011.03.31
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夢とか希望とかは「与える」ものではない、と思うのだ。自分で「持つ」ものなのだ。絶望とは未来が想像できなくなることなのだ。自分の時間の先を考えられなくなることなのだ。幸いにして、私は今、パソコンを使っている。携帯電話をつかえてる。明日の朝、車に乗って仕事場にいくだろう。その時間、子どもたちはまだ寝ているだろう。職場に行けば、いつものように「おはようございます」のあいさつを交わすだろう。この毎日が、明日も明後日も、ずっとこの先も続いていくような気になるのだろう。この日々を失くすことを考えられるだろうか。名古屋から仙台まで、新幹線で4時間弱。1日あれば行って帰ってこれる場所で起こっている現実を、私はたぶん、自分のことに置き換えることができない。基本的に、夢を、希望を、力を「与える」などという表現をすることじたいが許せない。私の心がせまいのかもしれないが。自分の中に持つしかないものを、他人が「与える」ことなどできるものか。エサじゃないんだ。待ってるところへ「与える」ような言い方は、認めたくない。だいたい「明けない夜はない」とか「冬の後には必ず春がくる」ってのも大っ嫌いだ。…やっぱ心がせまいな。明けない夜はないけれど、沈まない太陽もないのだ。春夏秋冬、季節はまた冬にめぐるのだ。…結局、同じじゃねえかよ。必ず夜は明ける。この、絶望に沈みそうになる状況で、希望に目を向ける多くの人々がいることを報道を通して知る。そして「新しい一日」が毎日やってくるのだ。新しい一日を積み重ねて、新しい記憶を積み重ねて、悲しい記憶がいつか隠れるようになるまで。消えることはないとはしても。何か、私でもできることはたぶんあるだろう。結果的にお手伝いになるようなことがあるだろう。公共広告機構のCMのように。そうそう。まずは、センセーショナルな報道やバラエティに煽られないことから。
2011.03.28
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たとえ偽善でもスタンドプレーでも、何もしないよりはいい。本当の実力は「狙って」スタンドプレーができることなのだ。名のある人々が、寄付を公表する事には意義がある。「社会貢献をしている」という事を表明しておかないと「何もしていない」と、叩かれる恐れは十分にある。事ここにいたっては、匿名での社会貢献は、立場・名前が大きくなった場合意味をなさない。「何もしていない」と非難する場合、何も調べていない(調べられない)ことが多いのだ。最大の効果をあげられるように演出を加えて、物事を行う。CMはゴールデンタイムを狙って打つ。プロポーズは、ロマンティックなシチュエーションで告げる。小さな力を大きな力に変える。物理学のてこの原理。金融のレバレッジ。自転車や自動車のギアチェンジ。知らせること、広報することには大きな意義がある。多くの人が知る、ということは、それだけで大きな力になるのだ。正しい理解は、それだけで大きな力になるのだ。つまり、間違った理解は大きな破壊につなげられるわけだね。根拠がない想像は、精度の低い予想を生み出し理解のない行動につながる。根拠のない否定も同じですよ。新しい情報が出てきたときに、自分の意見を全部ひっくり返さなければならない時もあるのです。堂々とひっくり返すだけの、高いプライドを持っているかどうか。偽善でも真心でも、現金に罪はない。動いてる自販機にお金をいれれば、缶コーヒーが買える。思い込みや感情を取っ払って考えることをしてみましょう。自分が行動する理由から「感情」を取っ払ってみましょう。その感情がなぜ起こるのかを考えてみましょう。「承知の上でやっている」ってこと、ありますか?
2011.03.26
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初めて私がボスになった事業所で、パートで働いていた方が、パソコンを買いました。…いまだに付き合いがあるってのもなかなかのもんでしょ。で、わけがわからずに困った彼女は、私に頼ったわけです。ちゅうか、最初から当てにしてたな(笑)で、私が初期設定とかを教えたわけですね。電話で。めっちゃ大変(笑)セキュリティソフトのインストールに丸三日かかった(爆)マジで。わからなくて三日間じゃなくて。3日間、ほったらかしにしたら、三日目にインストール終了。三日間待った彼女もたいしたもんだけど、三日間かかるって絶対おかしいよね(汗)で、メールの使い方も教えたんですよ。電話で。「そこの画面の右下にメールって書いてあるだろ。矢印が人差し指に変わったら、かちっ」まあ、こんな感じで(笑)で、メールの送信の練習に私が普段使ってるアドレスを教えました。問題なく届いたので、そのアドレスに返信。「ちゃんと届いたかな?」「届いたよ。今、返信したからもうすぐ届くぞ」「あ、きたきた」「これでメールも大丈夫だな」「あれ??ツァオじいって…」「あ、それは俺のネット上の名前」「いや、そうじゃなくてー。ツァオじいってボスのことだったの?」…は?(汗)「ブログ書いてるよね??私、読んだことある!ツァオじいって名前に覚えがあるもん」え。マジで??(滝汗)「娘の高校の受験勉強の時、そういうブログを検索してて、私と同じようなことを相談してる人っているんだなあ、って思いながら読んでた覚えがある」「あー。それ、私と同じような人、じゃなくて、そのまんまおまえのことだな(笑)」なっちょに続いてふたりめ。しかも、私と知らずに読んでた人に当たったのはもちろん初めてです。「ツァオじいってボスのことだったの?」私のことだったのだよ(爆)この衝撃は、しばらく尾を引きそうだ。ますますあぶないことは書けないな(笑)
2011.03.19
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3月17日「ひるおび」を見てましたが「落ち着いて冷静な行動を」って一言も言わないんですねえ。他局では放射能単位の具体的説明(レントゲンとの比較等)を行っていましたが、パーセンテージや倍率を言うだけで、まあ、煽ること煽ること。不安と非難を積み重ねて「悪いのは誰だ?」ってやってる。現場を後追いで報道してるけど、あれはひどいよな。こういうふうにこういう協力をしましょう、って言わないんだよなあ。相馬市長の叫び声「汚染地域みたいな言われ方をして、困ってる」といってるのに、その不安を煽るような話し方をしておいて「ドライバーが引き返してる」って。風評被害を防げなかったことに問題、って、自分ところが風評被害を広げてるじゃないか。原発の問題も、情報をしらされてなかった、ってコメントもありましたが…いやー。私もそうだけど、原発の記事があっても読まないよなあ。知らされてなかった、じゃなくて知る気もなかった、ってことですよね。ちょっと怒りを覚えました。冷静さを助けるような、おだやかな報道が必要なところではないでしょうか。後ですることと、今しなければならないことは違うでしょう。
2011.03.17
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被災地のみなさまにお見舞い申し上げます。ネットどころではないとは思いますが、受け取られる人が見えるかどうかわかりませんが、せめて言葉にしたいと思います。時には、届くかどうかなどは問題ではなく、送りたいことがあります。被災地に住まう知り合いから「無事」の連絡は数時間後、二日後、でした。送られてきた写真の中には、ガレキが写っているものもありました。この国の、未来を力を、今はすべて使う時ではないでしょうか。ひとりひとりにできること。それは、できることをする、ってことだと思うのです。現地で今、活動されてる多くの方もいます。現地で活動できない人ももちろんいます。私もそうです。たとえば。プロ野球選手は野球をしましょう。歌手は歌を歌いましょう。会社員は会社の仕事をしましょう。学生は勉強しましょう。子どもは遊びましょう。募金を集める、とかだけの話ではありません。生活を、経済を正常に動かすことが、その国の力になります。燃料は輸入しなければならない。食料は調達しなければならない。復興へのインフラを整備しなければならない。そして、復興は、また平穏な日常を取り戻さなければならない。私たちは魔法使いではない。ひとりひとりができることは限られているけれど、ひとりひとりの力でしか、未来は作れないのだから。
2011.03.14
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行方ったって…新聞をほとんど読まず、テレビのニュースも見ない私でも、もはや民主党に政権運営能力がないことはわかります。一応与党だからさ、首相もいるからさ、政権維持できてるように見えますけど、実質的には崩壊してますよね。マニフェストを掲げて選挙に勝ったところまでは良かった。郵政民営化選挙と同じで、イエスかノーかを突きつけた戦略は、狙ったものだとしたら、パーフェクトに近かったでしょう。そこまではビジョンがあり、計画の実行を進める予定だったのでしょう。「仕分け」等のパフォーマンスも見栄えがよく、普天間問題の先送りまでは可もなく不可もなく、さあこれから、と思わせるものがありました。しかし、普天間以降、「計画と実行」だったものが「当面の対策」に追われるようになったようです。いや、計画と実行も進んでいたのかもしれない。でも、国民の目にどう映るか、というのは大きな問題なのです。普通の会社でも同じですよ。管理職が「役に立たない」って思われてるとしたら、自分のしてる仕事が周囲に認められてないって事です。その伝でいけば、政治は特にいわゆるパフォーマンスを重視しなくてはなりません。不用意な発言が政治の混迷を生み出すということは、逆をかえせば発言ひとつで政治を動かすことも可能である、って事です。民主党はすでに泥船です。どれだけ民主党関係者が声を枯らして叫んだところで、この船は沈むでしょう。かつての社会党と同じ道をたどるのではないか?と予想しています。(小沢一郎氏が、なぜしぶとく離れないのか。沈むとわかっている船から逃げるわけにはいかない、という気持ちなのかもしれませんね。小沢氏としては、最後まで付き合うつもりなのでしょうか。あそこまで言われたなら、さっさと離党して新党作ってしまった方が、早いと思うんだけどなあ)さて。次の総選挙は、たぶん自民の圧勝でしょう。…ちゅうか、国政の決定権を握れるほどの人数を立候補させられるのって自民党だけのような気がする。連立する必要があるとしても、公明党くらいではないでしょうか。しばらくの間、公明党はさほど表には出てこないかもしれません。民主党はほおっておいても瓦解しそうですし、あまり攻撃的なイメージをつけると選挙戦では不利に働く可能性があります。共産党は、中国共産党と北朝鮮のイメージが悪すぎます。名前がね(汗)やってることは違うかもしれないけど、名前が同じ「共産党」。ま、私自身はこの「共産主義」「社会主義」国家というものに未来を感じません。で。今のうちに、政権交代の後に直ちに何を行うか、自民党のみなさんは決めておく算段をされているのでしょうね、ってのが今日の話です。選挙戦で、民主党をこれ以上ひきずりおろしに行ったって、かえって弱い者いじめのイメージが残るだけだと思うし。交代の翌日に、いきなり政治を始められると思うんですよ、自民党って。特に外交関係では、政権が変わったことによる弱腰ではなくなるというイメージの転化が必要です。こいつをするだけで「やはり前政権とは違う」というイメージがつきます。イメージだけで判断するんですから。イメージは大事なんですよ。逆に、ここで失敗すると、日本には政権を担当できる政党がいないことになってしまう。国家予算の分捕り合戦をするだけで、国際関係の中で舵取りをできる政治家がいないことになってしまう。その時、この国のまわりには、敵も味方も全部オオカミっていう状態になるのですよ。ヒツジは、オオカミに囲まれてどこへも行けなくなる可能性があるのですね。ま、私も含めてですけど。こんな国にしたのは、私たちひとりひとりであるのは確かです。当時のドイツ国民がナチスを政権与党にしたように。現代日本の国政選挙権をもっているのは、まぎれもなく私たちなのですから。
2011.03.10
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重いタイトルでスタートです。書いてる当人は、これを書き終わったら今週の少年ジャンプを読もう、って思ってますからね(笑)そんなに大層な話をするわけではありません。先日から登場している、私にプロポーズしてくれたお嬢さん。その母いわく、彼女はほんとに私が気に入ってるらしい(汗)「私に『悩んでないでツァオさんに相談した方が早い!』って言ってるよ(笑)」だそうな。彼女が私を呼ぶときは「師匠!」と呼んでくれています(爆)弟子とっちゃったよ…その「弟子」の将来のビジョンは「先生」です。まだ漠然としたものですが、彼女の中にあるのは、これから増えていくであろう外国人の子女たちを中心として、あるいは日本人の子供たちにも「日本の文化」を国語を通して伝えていきたい、というものです。言葉が話せるようになっても、書けるようになっても、ベースにある「文化」というやつは、橋渡しをしなければ理解しあうのは大変です。「侘び寂び」に代表される、日々の事象のとらえ方というのは、そこの字面だけで理解できるものではありません。たとえば、秋の虫の声を「物悲しい」と愛でるのは、日本人だけだそうですね。外国人にとっては「やかましい!」だけだそうです(笑)「古池や蛙飛び込む水の音」この数ある「俳句」の中でも超有名な芭蕉の一句ですら、日本文化の外にいる人にとっては「気味悪い」以外のなにものでもない、という場合すらあります。これは、弟子に聞いたんですけどね。弟子の友達の外国人の友達は、この俳句を読んで「古い大きな池に一斉に飛び込む両生類」をイメージしたため「気持ち悪い」ってな感想だったそうなのですよ。…確かに。彼らの国の蛙はアマガエルじゃないかもしれないな(汗)…そりゃわびさびもへったくれもないわな(-_-;)弟子は、この俳句の背景を伝えたそうです。これをきっかけに、文法としての現代国語だけではなく「文化」としての現代国語に目覚めたようなのですね。って、かっこよく言っていいものかどうかはともかくとして。確かに、ネイティブの言語って、そのベースにある文化をひっくるめてるからネイティブなんだよなあ。日本語ネイティブの私たちからすると、ただの一行でも圧倒される文章とかありますもんね。…私の心に焼き付いてる一行。「桜の木の下には死体が埋まっている」(梶井基次郎)あまりのインパクトにこの一行読んで、2行目以降読むのをやめちまいました(笑)余談ですけど、日本人でなくても、意味が分からなくても「美しい」と聞こえる単語が「さよなら」だそうですぜ。で、その教育者志望の弟子と話していたとき、私が思う「先生の心得」を話しました。先に生まれた、って書きますからね、先生ってのは。先に生まれた人、先に始めた人、先に身につけた人。先生のすることは、後から来る人たちに、それまでにある知識や技術を圧縮して伝えることなのだ。なぜならば、先生が生徒に伝えることのできるものは、それまでの過去に積み重ねられてきたもの。先に生まれた先生が、今までかかって身につけてきたことの中から、まだ若い生徒に伝えなければならないのはなぜか。ともすれば、生徒にとって容量オーバーになりかねないものでも教えるのはなぜなのか。それは、生徒は先生を追い越してもらわなければならないからなのだ。人類の未来が進化し発展していくのであれば、その未来をつくるのは、後から生まれてきた連中なのだ。その未来をつくる連中が、進化した未来を作るためには、先生が持っている知識に先生と同じ年齢で追いついているのでは遅い。先に行ったものが、道を作りながら行ったとしたら、後から来るものはその道を歩いていけばいい。歩いて、道を作りながら歩いた人に追いつけばいい。追いついたら、その先の道を作りながら進むことになるのだから。そう、次に道を作りながら進めるようにするために、先生は、今持っている知識や技術を生徒に伝える。生徒たちが「その先へ進む道」を作る人になれるように。正直言ってですね。こんな話を目を輝かせて聞いてくれる18歳って初めてですわ(笑)私は教員資格どころか、教育実習すら行ってないので、教師になろうっていう意味がよくわかっておりません。多分、弟子の方がわかってる。うーん。弟子の先輩になるうちの3人といえば……春休み、ずーっとゲームしとるな(-_-;)…国立大学生ってこんなもんか(-_-;)
2011.03.08
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日本人の考える力が落ちている気がする…のは気のせいでしょうか。いやー。いきなり大きな話から始まりました。ゆとり教育云々もそうですけどね。最近、このことをよく考えるんですよ。日本人は、ものを考えなくなったんじゃないか?考える力が落ちてるんじゃないか?って。これはどういうことなんだろう?基本的に、思い通りにいかないと文句をたれる。モンスターなんとかってのはそうですよね。それは、思い通りにいかせる方法を考えられないからです。無理なところに無理な要求をすることを正当だと思っている。たとえ正当であっても、相手の気持ちを考えることができない。でもって、必ず自分が正しいと思っている。つまるところ、想像力に欠けているんじゃないか?この先に何が起こるのか、考えることができなくなっているんじゃないのか?一時の感情や、気分におされているんじゃないか?想像力に欠けている?よくテレビとかであるセリフ。「感動をありがとう」とか「夢を与え」るとか。私、この手のセリフが大嫌いです。それは、自分で手に入れるもんだろう?感動はするものではあるけれど、自分が行動しろよ。夢は自分で見るもんだろう。この先、どうしたい?今日を重ねた先に未来はやってきます。今日に不確かなものを重ねれば、やってくる未来は崩れやすくなる。就活と言われるもので、必要なことは面接のやり方というはりぼてを用意する事か?はりぼては否定しません。その中に剛健な建物があり、その外見を白い漆喰できれいに塗ることは大いに意味があるはずです。しかし、白いベニヤ板を風の吹く中に建てても飛ばされるだけです。剛健な建物は、土台からしっかりと日々の工事の中から生まれるのです。それは確かに、今行っていることが、将来の何になるかわからないかもしれない。設計図を理解できなければ、敷地の地面を固める作業を行っていても、その意味も目的もわからない。それでも、しっかりと固めておく必要はあるのです。もしかすると、設計図は変わるかもしれないけれど、固めた地面は必ず必要になるのだから。話がずれた(笑)想像力がない、というか。考える力がない、というより考えたくないんじゃないか?たとえば。説明書を読んで、理解をしようとしていますか?聞けばいい、とか思ってませんか?たとえばお店で、わからないことは聞けばいい、とか思ってませんか?すぐにわからなければ、わからなくてもいいや、って思ってませんか?得られる結果が決まっていなければ、不具合だと思っていませんか?自分の判断に根拠がありますか?他人の判断の根拠をまくっていませんか?たとえば。レストランで「どれがおいしいの?」なんてバカなことを聞いていませんか?それは自分で判断することを放棄した姿です。考えられる従業員は聞いてきます。「苦手な食材はないか?食べられないものはないか?油ものと煮物のどちらが好きか?今日はどこにでかけたのか?昼に何を食べたのか?おなかはすいてるかそうでもないか?」答えを出してもらいたい。聞かれたら答えてほしい。準備されてるのがあたりまえ、と自分が思い込んでいたら、それは自分が正しい。データがなければ、答えは導きだせません。テレビやラジオのクイズ番組で「ヒント」とか言ってますが、あんなのはヒントでもなんでもない。「知らなければ答えられない問題」に考える力は関係ないのです。考える力を求めない「知識」を組み合わせて考える、のですから。これはね、誰が悪いとかいう問題ではないのです。目の前にぶら下げられたものに飛びつく性質になっている、ってことなのです。ダイエットの流行りとかさ。そのダイエットでうまくいかなければ、文句をいってるかもしれません。「なぜ、そのダイエットがうまくいかなかったのか?」を考えてるでしょうか?その前に、なぜそのダイエットを試してみようと思ったのでしょうか?ダイエットを例にとりましたが、政治でもネットでもそうです。これはね、リスクが非常に大きいのですよ。なぜかというと「目の前にぶら下げられたものに飛びつく」ってことは、「目の前にぶらさげてやればとびつく」って事なんです。自分で決められないのに、自分で決めてる気分でいる人は「乗せられたら」相手の思うがままになる、って事なのです。今、日本にカエサル・ナポレオン・ヒトラー・サヴォナローラ・クロムウェル・ルター・チェーザレ…イエスキリストも忘れちゃいけない。この手の人たちが今の日本を見たら、よだれを流すんじゃないでしょうか。私の知り合いの、食品小売業につとめる人の話です。「賞味期限を二日過ぎてるけど食べて大丈夫だろうか?」と、電話で聞いてくる人がいるらしい。まず、販売者側が答える場合、それは公式の発言になる以上「大丈夫ですよ」とは口が裂けても言わない、という事を想像できない。そんなことを聞いてくるって事は、自分の判断で食べるかどうかを決められないわけだから「大丈夫って言ったじゃないか」という、次の発言を誘う場合もありますからね。そして、聞いてくるってことは自分で責任をとる、という気がない。誰かに判断をまかせて、何か起こった時に自分のせいじゃない、ということにしたい。思いやる心、リスクを低減する力、準備する力。何が起こるだろう?集めた情報を生かす想像力がカギを握るのです。
2011.03.06
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