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ほぼ毎日チェロとピアノの練習をしている。ここのところ時間で言うとチェロの方が短いような気がする。これはチェロに手抜きしているということではない。 チェロは「自分が出してしまった音を監視する」ということを自分に課している。発音、音程、歌い方、音量などすべての項目について、今の音が自分が出したかった音だったのか?という問いを持って自分の音を監視する。当然、不合格の部分が多い。そのたびにそこを練習する。練習でも不合格になるとゆっくり体の動きをチェックして失敗の原因を探り、解決法を考え、そのための練習を実行する。頭を使うので集中力が保つ時間は1時間くらいが限界だ。これを超えるとただ弾いているという状態になり悪い癖だけが身体に定着する。そうなったら潔く止める。結構へとへとになる。 ピアノは、、まず弾けるようになった3曲を暗譜で2回ずつ弾く。次に練習中のバッハの6声のリチェルカーレに取り組む。ピアノの初見能力は小学生の時代に比べると恐ろしいほどに無くなっているから、片手で弾きゆっくり両手で弾くということを毎日繰り返して手に(本当は小脳と基底核に)覚えさせていくという作業になる。ただの反復練習だから頭は疲れない。それで1時間半くらいは平気で練習できるのだ。
2024.06.06
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関西にいたころは忙しく室内楽を楽しんでいた。当初木更津に全く合奏相手のアテはなく、一度東京から旧知のヴァイオリン弾きに来てもらっただけだった。その後APAの例会で知り合ったヴァイオリン弾きとヴィオラ弾きが千葉県内に住んでいるということで我が家に来てもらった。月に一度のペースでシューマンのピアノ四重奏を弾いている。 その後、あるきっかけがあってプロのヴァイオリニストと知り合いになり、我が家に来てもらった。彼女の家から我が家まで車で15分ということでご近所なのだ。最初の曲としてベートーヴェンのピアノトリオ第3番ハ短調Op.1-3を提案して演奏した。 これまでこの曲は多くのヴァイオリン弾きと(カミさん以外のピアノ弾きとも演奏している)演奏してきたのだが、プロは全く違う。2楽章の変奏曲の途中にヴァイオリンが重音で旋律を弾くところなど、アマチュアではなかなか旋律に聞こえないのだが、彼女は二人のヴァイオリン弾きが演奏しているように美しく弾く。音程も平均律ではなくその旋律、和声の要求通りぴったりだ。この曲を弾くのは初めてだそうで何度かカウントミスで落ちたが、そんなことは練習すれば解決するに決まっている。 我々も自然に全力で歌い、音楽に没入していく。やはりプロは凄い。どうやら毎月来てくれそうでありがたい。
2024.06.03
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3週連続の本番が昨日終わった。地元の弦楽合奏団、神戸での主催室内楽、東京の先生の発表会だ。関西に居た頃よりは本番の回数が減っているのだが、たまたま同じ時期に集中したのだ。昨日の発表会ではラフマニノフのチェロ・ソナタの第2楽章をカミさんと演奏した。この曲は去年の3月に練習を始めて、8月に第4楽章、10月に全楽章、今年の3月に1,2楽章と本番で弾いてきて、昨日の第2楽章でおしまいだ。こういうピアノの負担の重い曲はたった一回の本番で終わりにするのはもったいない。こうやって何度も本番で弾くことにしてきたが、1年以上練習し続けるのはやや長すぎる気がする。だが、本番で演奏中に問題点に気づくことは多い。主に「これだと作曲者の思いが伝わらないのではないか?」という部分なのだが、そういう問題点を次の本番に向けて克服していくのは大事なことだと思っている。 ラフマニノフを練習してきた14ヶ月の間には木更津への引っ越しという大イベントがあったのだが、それとは別に先週本番で弾いたバッハのヴィオラ・ダ・ガンバとハープシコードのためのソナタ第1番の練習も入っていた。こちらは去年の10月に練習を始めて7ヶ月ほどで一度だけの本番でおしまいにした。これ以上持ち続けるのが難しい感じだったのだ。 次はコダーイのピアノとチェロのためのソナタOp.4を練習することにしている。10月と来年の3月に本番が決まっている。10年くらい前に一度弾いているが、それ以後の演奏技術の進歩を注ぎ込んだ演奏にしたい。
2024.05.20
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アマチュアの世界で音楽演奏を長い間やってきたが、頻繁に遭遇するのが言い訳の多い人だ。「母が怪我をしたので」、「オーケストラの本番があったので」、「仕事が忙しかったので」、「花粉症だったので」、などの理由により練習できなかった、と言うのだ。 こういう人は、本来の自分の技量はこんなものではない、本当はもっともっと私は上手なのです、と主張したいわけだ。彼らはたぶん仕事でも同じような言い訳をしながら生きているに違いない。
2024.04.26
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私が「この曲はどのように演奏されるべきか」を気にするようになったのは、今習っている3人の先生が全員これにとてもうるさいからだ。一人はチェリスト(卒業直後にプロのオーケストラの首席になったが、じきに止めてソロ活動と大学の先生稼業に入った)、一人はピアニスト(夫がチェリストでデュオ活動が長かった)、もう一人はヴィオリスト(息子:フランスのプロ・オーケストラの第二ソロ首席)。 チェロ・ソナタや室内楽でレッスンを受けるときは、ピアノやヴァイオリンと一緒だからだろうか、チェロの弾き方だけでなく「この曲はどのように演奏されるべきか」についての指導がたくさん入る。3人共、フレーズを長く、ということをしつこく言う。また、今音楽が目指しているピークはどこか?ということをさかんに気にする。展開部から再現部をめざしているところの処理などに頻繁に注意が飛ぶ。 チェリストとヴィオリストは「そこはどの音色がふさわしいか」に口うるさい。「そんな生な音はだめ」「もっと空気を入れて」「スモーキーに」「左指を指板から浮かせて」「音程を上から(あるいは下から)狙え」「弓が遅い」などなど。 そういうレッスンを長期間受けてきたから、レッスンを受けなくてもある程度自分で考える癖がついた。テレビに出ていた人たちも、こういう先生にちゃんとレッスンを受ければよいのに。
2024.04.19
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テレビでシューベルトのピアノ・トリオ第2番をやっていたので録画して観た。どうにもよくない。とても退屈に長く感じる。集中して聴くことができない。この曲は3年ほど前に一年以上練習して本番で演奏したから細部までよく覚えているが、随所に問題点を指摘したくなる。なんなら私がレッスンしてあげよう、という気分になる。こういう経験は珍しいことではない。むしろ普通と言っても良い。 室内楽を演奏するとき、2つの課題がある。最初の課題は「この曲はどう演奏されるべきか」を考えることだ。よく「アナリーゼ」とか「楽曲分析」と言われる部分だが、隅々まで考え抜く必要がある。2つ目の課題はその考えどおりに演奏することだ。自分が楽器を演奏し始めてから今までに蓄えた技術を駆使して実行する。この2つの課題は独立しているようにも見えるが、関連もある。前者は後者によって制限される。ある技術を持っていない人は、その技術を必要とする演奏プランは立てられないし思いつきもしない。逆もある。このように演奏したいのだが今のところできないという具体的な問題を発見したのなら、その技術を教師に頼んで教えてもらうことができる。良い先生のあてがあるのなら、前者によって後者をレベルアップすることが可能になる。 今回テレビで観た演奏は前者が極めて弱いと思う。ただ漫然と楽譜を音にしている。例えば2楽章の冒頭のチェロのソロ旋律。ここは始まってからピアノに渡すまで1フレーズになるように演奏されるべきだと考えた。4小節で切れて聞こえないように演奏すべきだと。途中の長い音の部分をピアノにつないでいてもらうし、音がやせてフレーズが切れないように弓の使い方に工夫をこらした。だがテレビの演奏では4小節の短いフレーズが並んでいるように聞こえた。それが考えた末の戦略だったのならまだ良いのだが、何も考えずにこうなったのは明らかだ。また、ここでどのような音色を使うかは相当に考えたし、それを実現するためにはずいぶんトライアンドエラーを重ねて個人練習を重ねた。だが、テレビの演奏では、音色を使い分けようとした形跡がない。どこでも同じ音色が使われている。音色を変えるという技術をたぶん持っていない。それは音色を変えるという課題を持ったことが無いからだろう。 この弦の奏者はふたりともプロのオーケストラの人だ。つまり、いつも「この曲はどう演奏されるべきか」という課題は指揮者に任せて暮らしている。自分で考える訓練をしていないのだろう。 プロのヴィオラ奏者になった息子の話をきくと「この曲はどう演奏されるべきか」を考える能力は音楽大学の入試でチェックされることはないらしい。正確な音程とリズムだけが採点対象だという。そうやって音楽大学に入り、卒業してからはオーケストラで指揮者に指示される生活をしている。「この曲はどう演奏されるべきか」を考える力がつくはずがない。
2024.04.18
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個人的研究、英語の論文の形にしなくてもよい探求の営み、という点ではチェロ演奏もまったく同じだ。 一年以上取り組んできたラフマニノフのチェロ・ソナタをまだ練習している。去年の8月に4楽章を、去年の10月に全楽章を、今年の3月に1,2楽章を本番で演奏し、来月2楽章を演奏して終わりだ。これだけ弾いてきても、考えることは多い。ほぼ毎日チェロを一人で練習し、週に2回くらいカミさんのピアノと合わせるが、「これが自分が最高だと思える演奏なのだろうか?」という質問を自分に問いかける。そして問題点が見つかれば、その解決法を模索し実験してつかむ。その改善策に沿って練習し本番で実現するように体に覚え込ませる。 この曲を今は2楽章しか練習しないが、たとえば三重和音のピチカートの最高音がきれいに鳴らないことが多い点、一弓で飛ばす三連符のスピカートでリズムが狂うことがある点などは、スタート時の右手の位置を理想的な場所にもってくることで改善できる。中間部の朗々と歌う部分では決して弓の速度を遅くしない、特に初速を速くすることを常に心がけることで、会場で音が伸びる。 こういう脳の動かし方はプロの研究者のそれと全く変わらない。
2024.04.08
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こちらに来て、室内楽の練習が無くなり家で一人で練習する曲が減っていた。来年の11月の本番を目指すバッハの無伴奏チェロ組曲第3番(全楽章)、2023年に二度本番で演奏し、2024年前半にもう二度本番があるラフマニノフのチェロ・ソナタ、そのあと夫婦で取り組むバッハのヴィオラ・ダ・ガンバとハープシコードのためのソナタ第1番というところだ。 ところが、弦楽合奏団に入ったので、これの練習をする必要がある。5月に演奏会が予定されていて、その楽譜を見るとチャイコフスキーの弦楽セレナーデの第1楽章がある。これは練習しなければちゃんと弾けない。指使いを熟慮して練習する。あとの曲は合奏の場で弾けば良い。 2月に東京のAPA(アマチュア演奏家協会?)の例会に参加する。これは室内楽だがその日に誰が何を弾くかが指定されていて(もちろん本人の希望が反映されている)各自そのパートを練習して集まる。私は3曲だが、弾いたことがあるとても難しい曲が2曲と、一度も聴いたこともなかった曲が1曲だ。 これらの曲の練習をすることになり、なかなか忙しい。チェロを義務として弾くのは嫌だから、家で練習していてある一定の心理状態に入ったら直ちに止める。長くて一時間半くらいだろうか。全くチェロに触らない日もある。
2024.01.01
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関西ではAPA(アマチュア演奏家協会?)のメンバーとして例会に出ていた。最近数年は自分で主催する演奏会がメインになりAPAの例会で弾くことは少なくなっていたが。木更津市に移ると関西APAから東京APAにワラジを脱ぐことになる。そのため、夏に行われたAPAの合宿にも参加し全国の会員と交流を持った。 その時に世話になった幹部の人から、東京で2月に行われる例会に参加しませんか、というメールが来た。はっきり言って東京にチェロを持って出かけるのは気が重い。公共交通機関を使うとすると、木更津駅のそばかアクアライン近くの金田バスターミナルの駐車場(どちらも一日置いて300円と安価だ)にフィットを置きアクアラインのバスに乗って品川・新宿・東京あたりまで行き、あとは電車ということになるが、関西でチェロは車という生活に慣れた身には乗り換えがめんどくさい。ではフィットで直接会場まで行くか?と考えると渋滞と駐車場料金の問題が大きい。 家の近くで弦楽合奏団が見つかったから東京まで行かなくても良いようなものだが、せっかく誘われたことだしカミさんも乗り気だ。参加することにした。会場は東京の千葉県寄りの街で、木更津駅からだと一回の乗り換えで家から2時間くらいかかる。車だとアクアライン経由で1時間弱だ。会場近くのコインパーキングは20分300円という表示だ。駐車場料金だけで5000円を超えるが、電車でも一人往復で3000円くらいかかるから二人で行けば驚くほどの差にはならない。圧倒的に車の方が楽だし、週末は都内の渋滞は大したことはないだろう。車で行こう。
2023.12.31
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木更津市の隣の市に弦楽合奏団があるのはネットで検索してすぐにわかった。隣の市は父が仕事をしていた会社の工場があり、その会社の社員が全国から多数移住してきたという歴史を持つ。そのため、房総の原住民ではなく都会からの植民の住民がかなり多く文化的にもそのような特徴を持つ。その市の中央図書館と木更津市の市立図書館とを比較すれば、文化的な水準がその市の方が段違いで高いのがわかる。木更津市にクラシック音楽の演奏団体が無くその市にはあるのは、ある意味当然なのかもしれない。 この弦楽合奏団はそれなりに団員数は多いらしく、団員募集の項目を読むと、「ヴィオラは大歓迎」「ヴァイオリンとチェロは初心者お断り」だ。初心者かどうかは定義次第だが、彼らの定義は「第5ポジション以上が使えること」のようだ。ここでもまた、「使える」という言葉の定義を問いたくなる。だが、まあ多くの人が私を初心者だとは思わないだろうし、第5ポジション以上が使える人間だと評価してくれるだろうから、大丈夫だろう。我々夫婦の音楽上の略歴やアピールポイントを書いてコンタクトを取った。 しばらくしてから(後からわかったが、団員全員に伝えていたらしい)返事が来て、ぜひ次の練習に楽器を持って来てください、とのことだった。全員練習は月に一度なのでしばらく後だったが夫婦で練習に行った。車で(車以外で行くのは無理と思われる)家から20分くらいで着く公民館が練習会場なので通うのは楽だ。チェロは4人(もう一人在籍しているがその日は欠席)、ヴィオラは3人、コントラバスが一人、ヴァイオリンはたくさんいる。ほとんどが女性。指揮者は男性でチェロを弾く人だ。チェロパートの一番うしろの席に座る。 練習の最初に全員でゆっくりとハ長調の音階を3オクターブ弾く。ヴィブラートをかけていろいろなポジションを使って弾いていたら後ろにいたらコントラバスの人に「ヴィブラート無し、開放弦を使う」と注意された。この音階の練習での指揮者の指示、説明はまことに正しく、この練習はとても効果があると感じた。その後のモーツァルトの練習もとてもすぐれた指導が印象的だった。この段階でこの団体なら幸せな音楽生活が送れるだろうと思った。 休憩に入ると周りのチェロの人や代表のヴァイオリンの人などから「入っていただけますか?」ときかれたので、カミさんに一応承諾を取ってから「入団させてください」と返事した。 これで音楽生活の目処が一つたった。
2023.12.28
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木更津市に転居することを決めてすぐに、地元に音楽団体があるかどうかを検索した。 千葉県における木更津市の位置を東京湾に沿って考えると、東京都に接している地域・船橋周辺・千葉市周辺・姉ヶ崎周辺・そして木更津と君津・そのあと私がよく知らない地域があって館山が先端、というふうに理解している。クラシック音楽の活動が盛んなのは東京に近い地域で、以前住んでいた千葉市ではそれほど盛んでは無かったという印象だ。当時は合奏のために東京に行ったり東京に住んでいる仲間を千葉の家に呼んだりしていて、千葉市の人との交流はほとんどなかった。これからも東京に行けば音楽仲間を探すのに苦労は無いかもしれないが、東京というところは駐車場問題が深刻だ。チェロを持って電車に乗るのは嫌いだから車で行きたいし、週末は都内の渋滞はあまり心配しないで良い。だが、普通に合奏するのに必要な駐車場料金は5000円では済まないようだ。母の家に車を置いて行くというのもありだが、母の家から公共交通機関に乗ってチェロを運ぶことを考えると萎える。 一方において、真剣勝負の室内楽は、すでに気が済んでいる。知力のすべてを絞り出してベートーヴェンの頭の中を解析しそれを演奏に反映させるという、室内楽の最高の喜びは味わい尽くしている。これからはもっと気楽に室内楽を楽しむことができるように思う。また、上級者との合奏では、どこかマウントの取り合いというきな臭い要素があり、それもだんだん鬱陶しく感じるようになった。嫌いな曲を強要されるのは嫌だが、気楽に合奏を楽しめる団体が楽に行ける範囲にあれば、無理して東京に行く必要はない。
2023.12.27
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千葉市から関西に転居したのが2000年の秋で先月までの23年間を関西で過ごした。この間、非常に充実した室内楽生活を送ることが出来た。私のクラシック音楽への興味は小学生から大学院を卒業するまでの間に聴いた父のLPレコード・CDのコレクションによって作られた。膨大な数を結構上等な再生装置で聴いたなかから私の好きな音楽が選ばれていった。その殆どがチェロの入る室内楽だ。父が持っていなかった曲で、室内楽を演奏するようになってから好きになった曲も多いが、それは派生と捉えることができる。 そうやって好きになった室内楽のほとんどすべてを関西にいる間に手掛けることができた。関西以前つまり東京にいた大学生・大学院生の時代から就職して千葉にいた時代までは、室内楽を演奏できてもそれは単発的で合奏として練習する時間・回数は少なかった。関西ではもっとたっぷりと時間をかけて合奏として仕上げていくことが可能だった。平均して月に一回で一年間かける、というペースだった。最後にどこかの機会に本番で人前で演奏して次の曲に移る。また、合奏を共にするメンバーの質も非常に高く、演奏技術だけでなく音楽への理解度も人格も高い人が多かった(人格面では?がつく人もいたが、それは私自身もそうかもしれない)。 そういう恵まれた室内楽生活のすべてを断ち切って木更津市に転居するのは苦痛を伴う決断だった。もう二度と弦楽四重奏ができないかもしれない。
2023.12.26
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バッハのインヴェンション13番、モーツァルトのピアノソナタK.545の第2楽章、バッハのフーガの技法の第1曲目という3曲を毎日弾いてきた。暗譜で弾くから譜面台は不要だ。ほぼ間違えずに弾き通せる。チェロを弾くときのようにアナリーゼをしてそれらしく演奏するように心がけている。そろそろ新しい曲に取り組んで良いだろう。 フーガの技法の最後の未完のフーガも考えたが、第1曲にあれだけ手間がかかったことを思うと尻込みしてしまう。ふと思いついたのはベートーヴェンの悲愴ソナタだ。あれを習っていた小学生の頃の技術が戻るとは思えないが、どのくらい難しいのだろう?と思って試しに楽譜を取り出してみた。 驚いたことに、曲はほぼ覚えているし指も勝手に動いていく。もちろん記憶も不正確で細部は間違えている。指も頻繁に隣の鍵盤に触る。だが、この曲を身体は忘れていない。11歳ごろに習い、30歳くらいまではキープしようと触っていたとして、それから40年間使うことのなかった記憶だが、残っている。 長期記憶を非陳述記憶、意味記憶、エピソード記憶に分けるとすると、悲愴ソナタを覚えているのは非陳述記憶だろう。最強の記憶。ひとたび自転車に乗れるようになると一生乗れるというのが非陳述記憶だ。楽器演奏を支えるのはこの非陳述記憶と思われる。ひとたびチェロを弾けるようになると弾かなくてもあまり錆びつかないように思われるのは非陳述記憶の強さで説明できると思うが、ピアノにはあてはまらない。ピアノは弾き続けていないと弾けなくなる。去年ピアノを弾き始めてから取り組んだベートーヴェンのピアノソナタ「田園」の緩徐楽章だって、弾かなくなって半年ほど経つ今では弾けない。非陳述記憶が日々消えていく。 子供の頃に練習したピアノ曲の数は膨大だが、非陳述記憶に残っているのは悲愴ソナタを含めた少数の曲だと思う。小学生のとき習い、中学生の頃も友人のリクエストに応えて弾いていたモーツァルトのK.331の第1楽章だって、今は速い変奏曲には歯が立たないだろう。残る曲と残らない曲との違いは何なのだろう?
2023.12.01
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去年の春、ピアノの買い替えを考え始めた時、カミさんだけではなく自分でも店でピアノを試弾したいと思い、ピアノの練習を始めた。その後FAZIOLIのピアノを買ったらピアノを弾きたくなり毎日短時間だが弾いている。 ピアノの独奏はチェロの無伴奏曲と同じで、一緒に合奏する相手がいないから仲間に迷惑をかけることがない。どう弾こうと自分の勝手だ。通常のチェロ演奏は室内楽だから一緒に良い演奏を目指すから身勝手に弾くことはない。だからピアノはカミさんなどにレッスンしてもらう気は全く無く、基本的な練習曲で基礎技術を上げるということもしない。ただ好きな曲を毎日弾く。ピアノの譜読みには時間がかかる。チェロの音域外の音符はとっさに読めないし、同時にたくさんの音を弾くからその指の形にするのに時間がかかる。毎日の練習時間も短いから一曲をつっかえずに弾けるようになるのに一ヶ月以上、フーガの技法の第1曲めなど三ヶ月くらいかかった。ピアノは暗譜することにしているが、つっかえずに弾けるようになる頃には暗譜もできている。
2023.11.30
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小学生の頃ピアノを習わされていて、いつも止めたい止めさせて欲しいと母に頼んだが止めさせてもらえなかった。そう言い続けていても徐々にピアノが好きになってもいた。好きな曲を弾いているとそれなりに楽しい。その好きな曲の筆頭がベートーヴェンのピアノソナタ第8番ハ短調Op.13だった。 3歳から習っていた先生は東京藝術大学のピアノ科の卒業生で若く美しく厳しい先生だった。この先生に専門家への道を勧められて断ったため気まずくなったこと、中1からヤマハ音楽教室でチェロを習い始めていたからピアノもヤマハ音楽教室で、ということになったことで、中1からはヤマハのピアノの先生に習った。この先生は島根大学を出た優しくおとなしい女性で、何でも私の弾きたい曲をレッスンしてくれた。私の技量では到底無理、と思われるワルトシュタイン・ソナタ、熱情ソナタなどもこの先生にレッスンしてもらった。私の中ではこの時に弾いた曲はちゃんと弾いたという扱いになっていない。小6までの先生に与えられみっちり習った曲は自分の当時の実力に見合っておりちゃんと取り組んだという位置づけだ。それらの中で好きだったのがベートーヴェンの悲愴ソナタだった。 非常に美しい第2楽章も風が吹き抜けていくような終楽章も大好きだが、大仰で情念のこもった第1楽章が特に気に入っていた。私のハ短調好きはこの曲で形成されたのだと思う。 中3で東京に転校しチェロは新しい先生に習うようになったが、ピアノはこれをきっかけにレッスンを受けなくなり、自然に練習しなくなり、当然弾けなくなっていった。10年以上それなりの時間をかけて作ったピアノの技量が無になるのが悔しくて、何曲かの好きな曲は時々練習して維持に努めた。だんだんそれも失われ、最後までしがみついていたのが悲愴ソナタの第1楽章だった。 カミさんの話によると結婚した頃(26歳)はまだピアノはそこそこ弾けていたし悲愴ソナタも弾いていたという。結婚してからはピアノだとカミさんに大差で負けるし、ピアノ連弾よりチェロ・ソナタの方が楽しいし、ということでピアノからさらに遠ざかった。それでも長男が生まれた翌年、グランドピアノを選ぶときは私も一緒にピアノ屋に行き、インヴェンションなどを弾いた記憶がある。それからさらに30年以上経ち、ピアノの腕は落ちるところまで落ちていた。
2023.11.29
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転居する前はたくさんの室内楽を抱えておりそれらの練習が頻繁にあったのだが、木更津に転居してそれがぷっつりと無くなった。前から予想できたことだが暇になった。本番の予定はラフマニノフのソナタの1,2楽章というものと、2楽章だけ、というもの。5月にバッハのヴィオラ・ダ・ガンバとハープシコードのためのソナタの1番、来年の11月のバッハの無伴奏チェロ組曲第3番。これまでに比べると激減だ。 と言っても、これまでだって室内楽の練習を家で一人でする時間はとても短かったので、家での練習の時間は同じようなことをやっている。 チェロの前にピアノをちょっと弾く。ピアノは弾かないと恐ろしい勢いで弾けなくなるので、せっかく弾けるようになった三曲(バッハのインヴェンションからイ短調、モーツァルトの後期のハ長調のソナタの緩徐楽章、バッハのフーガの技法の最初のフーガ)を暗譜で2回づつ弾く。 今度の家の音楽室は12畳くらいで建てる時に防音をしてある。完全に漏れないわけではないので隣家に気を使いながら弾いている。その防音のせいか、音が吸われる。関西の家のようには響かない。引越の荷物が片付かないせいかと思っていたが、相当物が減って板張りの床と壁、ガラス窓になっても変わらない。片側の壁の半分くらいを埋めている楽譜棚が音を吸っているのかもしれない。あまり気になるようならアクリルかなんかで蓋をして音響を改善しようと考えている。
2023.11.28
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私がチェロを弾いていてあがるのは無伴奏チェロ組曲を弾く時だけだ。ピアノとのチェロ・ソナタや室内楽を弾いていてあがることは無い。無伴奏チェロ組曲を本番を弾いているとき不随意的に右手が震えたり左手指から汗が出たりということはよくある。 このバッハ無伴奏チェロ組曲の会でも、あがって右手が震えたことが何度もあった。だが、不思議なことに去年は全くその症状が出なかった。去年はバッハの無伴奏チェロ組曲第1番の前半三曲(プレリュードからクーラントまで)を演奏した。プレリュードを昔の名人のように16分音符8個を一弓で弾くという弓順にしたから右手が震えると大変なことになるのだが大丈夫だった。 この曲は小学生のとき父のレコードを聴いて覚えてしまったから暗譜で弾いた。覚えているのは音だけで、弓順や指使いを覚えるのは別のことだが、一年練習しているから自然に身につく。いつも家で暗譜で練習しているから楽譜を見ると日ごろと違うことをすることになり危険でもある。だから暗譜で弾いたのだが、そのせいかあがらなかった。そういえば数年前にチェロの発表会で6番全曲を暗譜で弾いたときもあがらなかった。 今年はその続きで1番の後半三曲だから自然に暗譜してる。練習も常に暗譜だ。本番も当然暗譜で演奏した。暗譜だとあがらない、という理論を実証してみる意味もある。結果として全くあがらなかった。今年は初対面の楽器と弓を使うという悪条件があったのだが、それもうまくいかなかった時の言い訳になるというメリットになるという考えも浮かんでいた。 来年は3番を弾くことにした。これも暗譜で演奏できるだろう。暗譜なら無伴奏チェロ組曲でもあがらない、という理論の実証実験は続く。
2023.11.25
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関西の友人が毎年バッハの無伴奏チェロ組曲の会を開催してくれている。これは肩身の狭い思いをせずに無伴奏チェロ組曲を弾くことのできる貴重な機会なので、関西を離れてからも参加し続けるつもりだ。毎年決まった日に開催され、そこで来年どの曲を弾くかを紙に書いて世話人に渡す。多少の調整が入ることもあるが、ほぼ希望通りの曲を演奏できる。 私は去年1番の前半を演奏したので今年はその続きで1番の後半(サラバンドからジークまで)の3曲だ。木更津から関西までチェロを持って行くのが億劫なので、参加することがわかっている友人に楽器を貸して欲しいと前もって頼んでおいた。そのチェロがどんなものかも記憶していないのだが、頼み易い友人を選んだ。私は初対面のチェロでもたいがいそこそこの演奏ができる自信がある。 木更津から関西までどうやって行く?これは、木更津駅までどうやって・木更津駅から東京駅までどうやって・東京駅から大阪梅田までどうやって・とい3段階のチョイスがある。木更津駅までは家から約3キロで、バス、車、歩き、から選択だ。バス停まで3分だがバスは1時間に2本ほど。駅前に駐車しても一日400円だからそれも良い。今回は往復とも歩いた。木更津駅から東京駅はアクラライン経由のバスが1500円で1時間から2時間くらいかかる。内房線で行くと千葉乗り換えが多いがたまに久里浜行の直通快速がある。今回は行きは内房線の直通快速のグリーン車(+1000円の価値はある)、帰りはバス。東京駅から大阪梅田は新幹線もあるが、今回は往復とも夜行バスにした。3列シートで6000円前後だ。 本番の前夜歩いて木更津駅、そこから内房線快速で東京駅まで、八重洲バスターミナルからバスで大阪駅桜橋。あまり眠れなかった。本番が午後で打ち上げが終わってから3時間ほど梅田で暇をつぶし、22時発のバスで、今朝の6時すぎに東京駅。八重洲バスターミナルで近くの乗り場で木更津駅行きのバスに乗り木更津駅へ。朝食を駅前の吉野家で食べ家まで歩いた。
2023.11.24
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ラフマニノフのチェロ・ソナタは「今年の曲」で、今年の3月頃から練習を始め、来年の春まで本番でこの曲を弾く。すでにこちらの先生の発表会で終楽章を弾き、今回自分主催のコンサートで全楽章、来年の東京の先生の発表会で2楽章、東京の例会で1,2楽章を弾く。この間こちらの先生には5回、プロのヴィオラ奏者である息子に数回のレッスンを受けた。やれるだけのことはやってきた。 今回のコンサートでは第1楽章の繰り返しも含めて全楽章を演奏した。35分ほどの長い曲だ。演奏中はほぼ冷静な心理状態で、一つずつの自分への命令を順次実行していくという営みだった。「気持ちがこもる」とか「燃えるような演奏」などと言うが、気持ちがこもっているように聞こえるにはそのような弾き方を使うことが大事で、たまたまノッてきた、というような話ではない。長い練習過程で、先生たちの助言を参考にしつつ、どこをどうすれば聞き手の心に届くような演奏になるかを考え、そのためにやるべきことを自分への命令書のように楽譜に割り振った。それをその通り実行するように演奏する。 言うまでもなく練習と本番は違う。選りすぐりの聴衆(人数は20人くらいに過ぎないが)の食い入るような視線を感じるから気持ちが良い。表現が練習より少しだけ大きくなる。それを許し制御しつつ演奏を続ける。 もちろんミスは頻繁に出るが、全体として思い通りの演奏ができたと思う。聴衆からもポジティブな感想をもらい、嬉しく思った。
2023.10.26
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今習っている先生のレッスンで得たものは多いが、3/4は右手の技術に関するものだ。次に多いのがその曲の演奏の設計に係るもので、左に関するものも少量ある。 チェロだけでなくヴァイオリンでもヴィオラでも、弓を扱う右手の技術は微妙なもので、初心者にはそこに技術があることを見抜けない。美しく歌う時右手の高度な技術を駆使しているのだが、その技術を持っていない奏者にはそれが理解できない。技術を獲得した者には、その技術を持っている奏者と持っていない奏者の区別がつく。この技術は対面のレッスンを繰り返して受けてようやく獲得できる。できているかどうかを先生に判定してもらう過程が必要なのだ。この技術の獲得には金がかかる。 今回、APAの合宿でたくさんの人と合奏したのだが、一人だけこの右手の技術を持っているヴァイオリン弾きと出会った。空き時間にその奏者としばらく話をしたのだが、やはりたっぷりと個人レッスンを受け続けてきたそうだ。金をつぎ込んできているのだ。
2023.10.02
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APA(アマチュア演奏家協会)の合宿に行ってきた。行く前から思っていたことだが、この合宿の準備は大変だ。合奏の部屋を9室ほぼフル稼働で使う。合奏の時間は2時間で、初日は3コマ、二日目は4コマ、最終日は2コマ、合計9コマだ。準備する側は9室☓9コマ=81の合奏の組み合わせを考える必要がある。実際には最終日の最後のコマは3コマ空き、初日の最初のコマは1コマ空いていたのが、それでも大変だ。60名以上という参加者たちは予め3曲まで演奏希望を出していて、事務局はその希望曲にメンバーを割り振ってくれる。当然一人はある時間帯に一曲の合奏にしか参加できないから、重複のないようにしなければならない。希望する曲は大きめの編成(三重奏よりは五重奏以上)が多いので必要演奏者数も多くなる。 事務局の人は参加者の多くを個人的に知っていて、この人にこの曲は無理、などという知識のデータベースを持っている。そのへんを勘案しながら組み合わせを考えたらしい。私はほとんど彼らに知られていないのだが、私を知っている人に事務局の人が問い合わせをしていた。 こうやって作り上げた進行表だが、その後キャンセル、病欠が出る。このへんの対応もさぞや大変だったと思われる。 こういう事務を遂行できるのは、ある種のプロフェッショナルだけだろう。私自身、やればできる能力を持っていると思うが、やる気にはならないだろう。みんなの役に立ちたい、というハートも必要だ。
2023.09.26
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APA(アマチュア・プレイヤーズ・アソシエーション)という組織がある。基本的にクラシック音楽を演奏するアマチュアの親睦会だ。東京と関西が会員数が多く、他の都市にも会員がいる。合奏相手を見つけたり、例会で本番をやったりする。私たち夫婦はこれまで関西支部に所属してたくさん仲間を見つけてきた。11月に木更津に転居すると、また新たに仲間を見つけたいと思う。その手段としてAPAの合宿に参加することにした。これは掛川にある大きな施設(ヤマハの関係だったと思うが)をAPAで2泊3日貸し切り、練習室を9室使い同時進行でさまざまな室内楽を演奏して楽しむ。曲は3曲までリクエストできて、事務局の方で適当に相手を探してくれる。 普段だとあえて知らない人と合奏する必要はない。気の合った上手な人とやっていればそれで良い。今回は関東の会員を知ることが目的で、その中で気の合いそうな人が一人でも見つかると良い。私個人の予定表では7曲に参加する。1曲2時間なので、結構ハードだ。自分がリクエストした曲は弾いたことのある曲ばかりだが、割り振られた中には一度も演奏したことがなく、なおかつかなり難しい曲(ブラームスの弦楽五重奏曲第2番)もある。曲が決まってから少しずつ練習してきたが、大変だ。
2023.09.21
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本番でのチェロの演奏のために4年前に第3世代のiPad Pro 12.9インチを購入したが、普段使いしているわけではない。紙の楽譜で演奏できるなら紙を使う。紙の方が大きいし見開きで2ページ表示される。多くは自分で買った原譜だから紙の色も見やすい。 iPadを本番で使うのは、どうしても譜めくりできない箇所がある曲だ。コピー譜を用意してもそれを動かす時間が無いときはiPadしかない。シューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」がそうだった。ほとんど長い休符が無いのだ。チェロの譜めくりはヴァイオリンなどより時間がかかる、という事情もある。 病院でのコンサートのような本番はiPadを使うことが多い。一回のコンサートで演奏する曲の楽譜を曲順に並べたpdfファイルを作り、それをiPadに入れる。こういうコンサートの場合、楽譜はコピー譜かスキャンしたpdfで渡される。バラ紙で演奏すると事故が多いが製本するのも面倒だ。また、本番で楽譜が抜けていた、などの事故も防ぐことができる。 私は10年ほど昔に右の顔面神経麻痺(ベル麻痺)にかかった後遺症があり、右目のウインクが不自由なので、多くはフットペダルを使っている。右足で踏むが、ときどきペダルを蹴っ飛ばしてしまうことがあり、神経を使う。可能なら床にガムテープで固定したいところだ。
2023.09.09
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先日、一回きりの遊びということでブラームスの弦楽六重奏曲第1番を弾いて楽しんだ。私は第1チェロを指名された。始める前に不安に思ったのは第2チェロがちゃんと全軍を支えてくれるか?という点だ。クラシック音楽は低音の支えの上に構築される。アマチュアの世界では上手な人が第1、下手が第2、と割り振るのが常識となっているが、チェロについては間違っている。私は高校生の頃から通奏低音を弾くのが好きだったから、全軍を支えることに慣れている。だからブラームスの六重奏曲では常に第2チェロを率先して担当してきた。今回は発起人の指名で第1チェロを担当するが、だいじょうぶかな?と思っていた。 当日弾き始めてすぐ、この心配は杞憂だということがわかった。初めて一緒に弾いた、もうひとりのチェロは通奏低音愛好家で、しっかり支えてくれる。支えがある上で弾く第1チェロはとても楽しい。初めての経験だった。 こうなると、シューベルトの弦楽五重奏をこの人と弾いてみたくなる。シューベルトも頼りになる第2チェロがいるのなら第1チェロが楽しいのだが、これまでにそんなチェロと遭遇したことがなかった。発作的にそのチェロの人にそのアイデアを話したら、シューベルトの弦楽五重奏は知らないがやってみたいと言う。ヴァイオリン二人はすぐに確保できそうだが、ヴィオラは難しい。考えてみたら、プロのヴィオラ弾きになった息子が夏休みでパリから帰ってきている。親の権限で頼めるだろう。ということで、一回限りの合奏を計画できた。
2023.08.28
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也松浦晋氏というライターがいる。最初に彼を意識したのは宇宙開発の分野で、「はやぶさ」の記事を読んだときだ。その後日経ビジネスで認知症になった母親の介護をレポートする「介護奮闘記」が興味深かった。最近彼は日経ビジネスで「チガサキから世間を眺めて」という連載を始めた。まだ3回めが出たところだ。日経ビジネスは昔は無料会員でもかなりのものが読めたのだが、今は有料会員(月に2500円も徴収される)でないとサワリしか読めない。たぶんそのうち単行本になるだろう。その連載の3回目が「担当は「ゼル伝」の話をしたかったらしいのだが」というものだ。タイトルを見ても何のことかわからないが、実はクラシック音楽の話だ。 構造的に構築されているのがクラシック音楽(特にベートーヴェン)の特徴だが、そのような音楽を理解し楽しむためには「聴く耳」が必要になる、と彼は言う。それは「スキーマ(物事を理解するにあたって事前に持っておくべき認知の体系)」とも考えられ、クラシック音楽を聴く耳(=スキーマ)を作る唯一の手段は一曲を繰り返し聴くことだ、と言う。スキーマが出来るのに何回聴かなければならないのかは明言されていないが、少なくとも10回は必要でクラシック音楽の多くは30分程度なので300分(5時間)は必要ということになる。 私は小学生の時父のレコードを勝手に聴いていた。当時は父のレコードコレクションはせいぜい100枚前後だったから全部聴いたあとは気に入ったものを繰り返し聴いていた。こうして私の「聴く耳」が形成されたのだ。
2023.07.15
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「欲望の見つけ方」によると、欲望は模倣に導かれているということになる。小学生の時チェロを弾きたいという欲望が生じたのは、父の持っていたレコードに影響を受けているから、確かに模倣に導かれている。オーケストラではなく室内楽に惹かれたのも、父が持っていた音楽関係の本の影響かもしれない。ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲は高校生の頃は良いとは思わなかったし、モーツァルトの室内楽も特に好きではなかったのだが、これらを理解できなければクラシック音楽のファンとは言えないと考えて理解に努めたのも、当時の音楽評論家の模倣と言えるだろう。 だが、それから50年以上チェロを弾き続けてきて、大好きな(彈かずには死ねない!)曲はほぼすべて一年くらいの練習を経て演奏会で弾いてきたという営みはすでに模倣からかなり遠ざかっている。「欲望の見つけ方」でいう「濃い欲望」つまり「人生で何かをうまくやって、深い充足を得る体験」を目指す営みだったと言えると思う。
2023.07.05
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モーツァルトのピアノ四重奏曲第2番変ホ長調K.493の初めての練習があった。カミさんのピアノ、男性のヴァイオリンとヴィオラだ。この曲は大好きな曲(モーツァルトはほとんど大好きだ)だが真剣に取り組むのは初めてだ。1786年の作曲だから弦楽四重奏曲第20番ニ長調K.499ホフマイスターと同じ時期になる。 ロマン派のピアノ四重奏曲は、ピアノ三重奏曲+ヴィオラという性格が強いと思う。ピアノ三重奏というジャンルが確立していて、そこにヴィオラの音色を必要としたときにピアノ四重奏曲が作曲される。だが、以前モーツァルトのピアノ四重奏曲第1番ト短調K.478を演奏した時、これは最小のオーケストラによるピアノ協奏曲だと思った。今回第2番を弾いていて、この曲はそう単純ではないと感じた。ピアノ・パートはピアノ協奏曲的な技巧的な要素を持つが、ヴィオラ・パートは相当に美味しそうだし、ピアノ抜きの弦楽トリオの部分も多い。モーツァルトは初演ではピアノでなくヴィオラを担当したという説があるらしいが、そうかもしれない、と思わせるものがある。
2023.07.03
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クラシック音楽に対して積極的に支援活動を継続してきた「ローム株式会社」が、今年は音楽大学に対してピアノの買い替え費用を出すという支援を行う。総額5億2千万円で、1校5000万円を上限とする。メーカーも台数も学校の自由。運搬費なども含む。 これが発表されて起こったことが、スタインウェイのピアノの価格の値上げだという。この助成を受ける大学のほとんどがスタインウェイの最高機種を一台は買うだろう。だとすれば値上げしても黙って10台のフルコンサートグランドが売れる。値上げして利益を増やそうとするのは当然のことだ。このような地位を築いてきたブランドイメージがあればこそ、こんなうまい商売ができる。大したものだ。
2023.06.30
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バッハのフーガの技法BWV1080の第1曲を練習中だが、これは手強い。4声のフーガだから4つの声部が独立して動く。左手の独立性が高く、パターンの繰り返しはない。iPadに入れてPiascoreで表示させた楽譜にapple pencilでどこを右手でどこを左手で彈くかの境界線を書き込む。そして、指使いを吟味してすべて書き込む。この指使いを忠実に守って彈く。片手ずつの練習を繰り返すが左手の方が思うに任せないので、左手3回に対して右手2回くらいの割合で繰り返す。それが終わったら非常にゆっくりと両手で彈く。こんな練習を聞かされると頭にくるだろうから、電気ピアノでの練習も増やしている。せっかくFazioliのグランドピアノがあるのに、とも思うが、この練習は音楽という領域に達していない。ひたすら指に(実際には小脳に)覚え込ませるために弾いている。わずか2ページの曲だが、去年ピアノを再開してから弾いたどの曲よりも苦労している。それでも徐々に間違えずに弾ける速度が上がってきている。そのうち曲の要求する速度で弾けるようになりそうだが、暗譜ができるかどうか自信がない。
2023.05.30
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師匠に調整してもらった自作のチェロで毎日練習をしている。駒を高く作り直し指板の反りを完璧にしナッツも上げたことで、ピチカートは気持ちよくできるようになった。弦と指板との距離は明確に増えた。左指の負担ははっきりと増した。特に気になるのは1番線のBとHという低いポジションの音だ。高くなったナッツに近いので相当にしっかり押さえないと楽音が出ない。 昨日の夕食後、カミさんとラフマニノフのチェロ・ソナタを練習していたら、ときどき左指を弦にひっかけて音が出ることがある。たまたまだろうと思っていたが、今朝一人で練習している時も同じようにひっかける。すぐに検討してみたら、左の人差し指の親指側の角が胼胝(タコ)になって肥厚している。この膨らんだ角が弦にひっかかっている。この胼胝は以前よくできていたが、最近は無くなっていた。低い駒だと左指の負担は軽いので消滅していたのだろう。学生時代はこのくらいの高い駒にしていたし、当時の先生も高い駒でしっかり押さえるように指導してくれていたから胼胝ができていたのだ。
2023.05.21
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帰宅して調整直後のチェロを弾いてみる。まず調弦。一応電子チューナーを使って一音づつ慎重に調弦し、次いで重音を可能な限り美しく弾いてチェックする。次に先生から勧められているエチュードを彈く。下二本の弦を重音で強い圧力をかけて弓をゆっくりと動かして彈くものだ。4番線は開放弦のままで3番線だけ半音階を一音づつ弓を返して一オクターブ彈く。次にバッハの無伴奏チェロ組曲第1番を全楽章暗譜で彈く。 ここまでで、ずいぶん変わったことが明らかになる。駒が高くなったから弦の張力が上がっている。これによって音色が変わったし弦が要求する圧力が増している。これまでの圧力で彈くと3番線の開放弦は鳴らない。そろそろ弦が寿命なのだが、駒が高くなったことで弦がまだ使えるような音色を取り戻している。 注文通り、弦と指板との間隔はだいぶ増えた。駒の位置で2ミリほどは上がっているしナッツも高くなった。左指はこれまでより仕事が増えた。しっかりした音を出す時は強く力で押さえることになる。空気の混ざったような音を出す時は弦を指で押さえるが指板に触らせないというテクニックを使うが、この制御はやり易くなった。ラフマニノフのソナタを弾いてみると、弱奏の制御が楽にできる。 これから各種の室内楽の練習で使ってみて様子を見ることになる。
2023.05.13
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自作の1号チェロが自分のメイン楽器だが、去年の夏に初めての職人に調整を任せたらすっかり性格が大人しくなってしまった。この職人が下手というわけではなく、彼の客には弾きやすさを評価する人が多いのだろう。私は弾きやすさはどうでも良い。それは自分が対処する。正しい弾き方をしたときにどこまで能力を発揮できるかが問題なのだ。今年の初めに高齢の師匠の店に行って魂柱を作り直してもらったら、以前のような能力を取り戻してくれた。だが、まだ問題が残っている。ピツィカートがうまくいかない。強くはじくとノイズが出るのだ。指板と弦が接触している。これは駒の高さが低くなっていること、指板の反りが正しくないことが原因だろう。初心者は左手の指の力が弱いから、駒の高さが高いと弦を指板に押し付ける距離が増えて指の負担が増える。だからその職人は低めの駒を作ったのだ。 今練習しているラフマニノフのチェロ・ソナタは激しいピツィカートが必要だ。このままでは大人しくはじくしかない。そこで今回、再び師匠の店に行き再調整を依頼した。師匠は高齢で、以前のようにてきぱきと作業ができない。上京の行きに寄って預け、二日後になる帰りに寄って回収するという計画にした。 さきほど、店に寄り引き取ってきた。店で弾いた限りピツィカートでノイズは出ない。ナッツも足をはかせてわずかに上げてくれていた。左指の負担は明確に増えている。弾いているうちに疲れて困るようなら駒の高さを下げることになるかもしれないが、しばらくこれで弾いてみる。
2023.05.12
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ピアノで毎日彈く曲がまた増えた。今度はバッハのBWV1080「フーガの技法」の第1曲だ。バッハ最後の作品で未完のまま残された。一つのテーマを用いて対位法の技法の限りを尽くした曲集だ。最後の未完のフーガももちろんそのテーマを使っているが、3つ目のテーマがバッハの名前(Bシのフラット、Aラ、Cド、Hシ)になっている。バッハは楽器の指定をしていない。ピアノ、オルガン、チェンバロといった鍵盤楽器、弦楽四重奏、管楽器のアンサンブルなどで演奏される。 第1曲は4声のフーガでピアノ譜では2ページというものだ。高校生のとき一学年上の学生が中心となって小さな音楽演奏団体を作った。私は2年生から入団した。同時に1年生も数人入団したが、このメンバーは名手揃いだった。ヴァイオリン弾きが4人もいたが、全員大学オーケストラのコンサートマスターになった。フルートもクラリネットも上手だった。経験者しか入団させないという同好会だったので楽器が偏っていたためピッタリの編成の曲など無い。3,4人でできる曲を適当に弾いていた。クラリネット吹きの男が自分で編曲してきたのが、このフーガの技法の第1曲だった。フルート、ヴァイオリン、クラリネット、チェロという編成だったと思う。フーガの技法は父のレコードコレクションに無かったので私には初めて聴く曲だったが、とても気に入って何度も合奏を楽しんだ。文化祭でも演奏したように思う。 その曲をピアノで演奏しようと思う。ピアノをしっかり習っていた子供のときも4声のフーガは弾いていない。たいへん難しいのだが、その難しさはどちらかと言えば指ではなく頭にある。なんとかなるのではないかと思う。
2023.05.06
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チェロの練習とピアノの練習はかなり違う。チェロの毎日の練習時間は1時間ちょっとの日が多い。内容は、まず先生に教わったエチュード、次に11月の本番で彈くバッハの無伴奏チェロ組曲(今年は1番の後半3曲)。これは毎日やっている。バッハ無伴奏チェロ組曲は、他の曲を彈くときに失敗しそうな要素を多数含んでいるのでエチュードとしても便利だ。重音の発音を理想的にする、移弦の際ノイズを出さない、弓がどこにあっても綺麗な音だけを出す、和声に沿った音色を使う。曲を弾くときに必要な右手の技術の多くが出てくる。また、暗譜で弾くから、自分で出した音を厳しい耳でチェックする訓練を心がけている。ちょっとした音程のミス、発音の不具合、重音の音のバランス、不必要なグリサンドなど、チェック項目は多い。 バッハの次は、ピアノとのチェロ・ソナタの練習をすることが多い。今はラフマニノフのソナタとベートーヴェンの2番を抱えている。ラフマニノフは音色の制御を重点に練習する。ヴィブラートが弱いという欠点を自覚しているので常にヴィブラートを意識している。録音してみると音程が悪いことに気づくことが多いので、そういう練習もする。1楽章を通して彈くことはほとんどない。細部を研いでいることがほとんどだ。 室内楽をたくさん抱えているが、あまり練習はしない。合奏の場で個人練習が必要な箇所に印をつけておき、ときどき練習する。室内楽は手持ちの基礎技術の組み合わせで弾けることが多い。基礎技術はエチュード、バッハ、ソロ・ソナタの練習で磨くほうが効率的だ。
2023.04.26
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子供の頃ピアノを習っていたから、どういう練習をすれば早く上達するかはわかっている。片手ずつ練習したり、弾けないところだけ取り出して練習したり、必要なら運指のエチュードをやったり、などなど。でも今はあまりそういう練習はしない。目標など何もないのだ。そもそもピアノという楽器をアマチュアが彈く場合目標はないように思う。チェロだったら弦楽四重奏のチェロパートを担当して合奏するという目標があるが、ピアノにそういう機会は無い。発表会に出たいのならそれが目標になるかもしれないが、多くの人はそれも求めていないようだ。一人で彈くだけだ。だったら退屈なエチュードや片手練習などやりたくない。つっかえながらでも毎日弾いていればそのうちつっかえずに弾けるようになる。子供の頃に弾いていたような大曲(ベートーヴェンの熱情ソナタとかワルトシュタイン・ソナタとか)に挑戦したら大変なような気がするが、そこそこの練習で弾けるようになりそうな曲の中にもたくさん好きな曲はある。
2023.04.25
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Fazioliのピアノを買おうかと考え始めた1年ほど前からピアノを弾く日課が始まった。3歳から15歳までピアノを習っていてその後練習しなくなったが、結婚した26歳の頃はまだ多少ピアノが弾けていたらしい。カミさんとフォーレのドリーとかモーツァルトの連弾曲を弾いた記憶がある。その後はどんどん彈くことが無くなった。 再開したのは、Fazioliのピアノを買うかどうか決めるときに自分でも試奏したかったからだが、買ってからも弾き続けてきている。毎日弾いていると弾けるようになっていくのが嬉しいし、Fazioliのピアノの音色は美しいので自分で弾いていても気持ち良い。毎回必ず屋根を全開にし、暗譜している曲は譜面台も外して最高の音が出るようにして彈く。 最初に練習を始めた曲はバッハのインヴェンション13番イ短調BWV784、次がモーツァルトのピアノソナタ16番ハ長調K.545の第2楽章Andante、次がベートーヴェンのピアノソナタ15番ニ長調「田園」の第2楽章Andante、次がモーツァルトのピアノソナタ14番ハ短調K.457の第1楽章Molto Allegroだ。ここまではすべて暗譜していて毎日1度は弾いている。ざっと30分くらいはかかる。 好きな曲の楽譜を開いて、これはなんとかなりそう、と思う曲を選んでいる。どれも何とか弾けるようになったので、自分の選曲は正しかったのだと思う。
2023.04.24
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2年前の3月に購入した弓が故障した。弾く前に弓を張ろうとネジを回したが張れない。ネジを抜いて毛箱を外してみたら、毛箱に着いている雌ねじから金属の破片が落ちてきた。これは雌ねじがナメてしまっている。これだとネジを回しても雌ねじが噛まないから空回りして毛箱が動かず張れない。 去年の4月に製造元に送って毛替えをしたので、そろそろ毛替えの時期だ。修理と毛替えをやってもらうことにした。このメーカー(杉藤)は朝が早い。9時に電話をしたら通じて、宅急便で送ってくださいとのことだった。すぐに発送した。翌日の昼に到着したというメールが来たので電話をしたら、もう修理も毛替えもできていますとのこと。すぐに代金をインターネット・バンキングで支払った。その翌日には届いた。ちゃんと治っていた。雌ねじの交換で400円ほど余分にかかった。 これまでに我が家ではこの故障が2回あった。どちらも強い弓だった。雌ねじは材料が真鍮のようで、弓の竿が強いと負担が大きくて壊れるのだろうか。 こういう状況のとき、インターネット・バンキングでないと、銀行まででかけなければならない。未だにインターネット・バンキングを使わない人は不便だと思うのだが、周囲にそういう人は多い。
2023.04.07
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自分で演奏したい曲を思いつくとメンバーを考え、一人づつ声をかけて承諾してもらえば(ほとんど拒否されたことはない)練習日を決めて練習に入る。これが同時にたくさん進行しているから、逆に声をかけられることはめったにない。そのめずらしい状況があって、モーツァルトの弦楽四重奏曲を一緒にやってもらえませんか?と声をかけられた。ハイドン・セット以後ならどれでも、と言われ、私が決めることになった。 私が選んだのは、ハイドン・セットの第5番イ長調K.464だ。なぜか、この曲を選ぶことが多い。自分の結婚式の余興、カザルスホールのアマチュア室内楽フェスティバルでも、そうだったし、11年かけることになったモーツァルトの後期10曲の弦楽四重奏曲のプロジェクトでも最初にやった。ハイドン・セットの一番、二番(ニ短調)、狩り、不協和音はよくやられるから、それを除くと変ホ長調とこのイ長調になる。プロシア王の1番はよく演奏されるし、ホフマイスターとプロシア王の2番、3番は初顔合わせで演奏するには難しすぎる。そういう言い訳をするが、実のところ、この曲が一番好きなのだ。
2023.04.01
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シューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」は先月のコンサートで終わりになったが、最後の練習のときに全員にお願いしてもう一曲に取り組んでもらうことになった。次はベートヴェンの弦楽四重奏曲第8番「ラズモフスキー第2番」だ。 ベートヴェンの作品は、初期、中期、後期に分けて考えるとわかりやすい。まだ初々しい初期、傑作の森と言われる中期、神聖な後期、というイメージだろうか。私が子供の頃大好きになったベートヴェンの作品はすべて中期だった。高校生の頃ようやく後期の作品の良さが理解できるようになったくらいで、それまでは中期ばかり聴いていた。弦楽四重奏曲では、初期が作品18の6曲、中期がラズモフスキーの3曲とハープとセリオーソ、後期が12番以降の5曲と大フーガとなる。 ベートヴェンの中期の弦楽四重奏曲は大好きだったが自分で演奏するとなると大変だ。まず自分がチェロ・パートを弾けるか?という問題があるが、それを考えなくてもあとの三人を探してくるのが難しい。それぞれに高度な技術が要求されるし、ベートヴェンに対する信仰心が無ければならない。大学生から大学院を出るまでの期間に組んでいた弦楽四重奏団では到底無理だった。ヴァイオリンの先生なんかと一、二度やるという形でハープ(Op.74)をちょっとやったくらいだった。 上の息子が中学三年でヴィオラを弾くようになったとき、自分が生涯最高のヴィオラ弾きを持っていることに気づいた。ちょうど周りに3人のヴァイオリンの名手がいたので、早速ベートヴェンの中期の弦楽四重奏曲に取り組んだ。こういう時は常に一番やりたい曲から始める。次が無くなる可能性は常にあるし、自分の寿命だってわからない。そこで、まずラズモフスキー第3番、次にハープ、そして、ラズモフスキー第1番を演奏した。当時は焦っていた。息子がつきあってくれるのは高校生の間だろうし、ヴァイオリンの一人は就職したばかりの男だったからいつ転勤でいなくなるかわからない。だから1曲にかけるのは半年くらいと短かった。ベートヴェンの中期はこの3曲で一応気が済んだので、ブラームスやモーツァルト、ハイドンに進んだ。 今回、やり残した中期の2曲、つまりラズモフスキー第2番(Op.59-2)とセリオーソ(Op.95)のどちらでも良かったのだが、2楽章の美しさに惹かれてラズモフスキー第2番に決めた。 明日から練習が始まる。楽しみだ。
2023.03.28
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友人夫婦が遊びに来た。我が家と同様、夫がチェロ、妻がピアノを弾く。二人でシューマンを弾いてくれるというので、グランドピアノの屋根を全開にしておいたのだが、奥方はピアノをちょっと触って、蓋を閉じて欲しいという。音が大きすぎて、というのだ。 こういうピアノ弾きは多い。自分がピアノを弾いていると、譜面台を立てて屋根を閉じると音が弱くなったように感じる。99%以上のピアノ弾き(グランドピアノを持っている人の話)は自宅のグランドピアノの屋根は閉じっぱなしで、屋根の上にはうず高く物を積み上げている。屋根を開けようにも開けられない。そういう人が屋根を開けたピアノを弾くと、音量が上がって制御出来ないと感じる。屋根を閉めれば弱くなり、チェロの音量を圧倒する心配がなくなる、と誤解する。 実際には屋根を閉じてもピアノの音は響板の下から普通に出てくるから、周囲や客席で聴いていると音量は弱くはならない。単に音色が湿気て安っぽい音になるだけで、相変わらずうるさいのだ。屋根を閉じて弱く聞こえるのはピアノ弾きの位置にいるときだけなのだ。 ピアノ弾きにはそのことを肝に銘じておいて欲しいし、日常の練習の時から常に屋根を全開にしておき、タッチだけで音量を制御できるように訓練しておいて欲しい。暗譜している曲を譜面台を除去した状態で弾くことで、そのピアノの最高の音色を出す訓練も必要だ。
2023.03.26
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テレビでチェロ・ソナタ(チェロ+ピアノ)の演奏をやっているのを見ると、チェロの音が程よく聞こえてくる。映像を観るとチェロのすぐ前と、ピアノの屋根の真ん前とに独立したマイクが必ず立っている。テレビに流す音声はピアノの音を弱く、チェロの音を大きくなるようにバランスをいじることができる。そして、長年このジャンルの音楽を演奏してきた経験で、テレビでは必ず大幅にバランスをいじっていることを確信している。ピアノでもチェロでも音量を出しているときの音色と音量を抑えているときの音色は区別がつく。ピアノからあの音色が出ているということはこのくらいの音量になっているはずで、その音量で弾かれたらチェロの音など聞こえるはずがない、という風にわかる。 テレビで放映する音楽会にたまたま足を運んで聴衆として聴いていたという経験はないが、間違いは無いと思う。もし、生でもバランスよく聞こえたとしたら、ホールに仕込んだスピーカーから増幅した音を出しているのだろう。 私など未熟なので、ピアノの音量がうるさいとつい大きな音でチェロを弾こうとしてしまう。すると、楽譜に P と書いてあるのに f の音量、そして f の音色で弾いてしまう。コンサート・チェリストはそうではないらしい。ピアノがいかにうるさくてもかまわず P の音色・音量で弾き続けられるのだろう。この音量で弾くと聴衆にチェロの音は聴こえない、と感じても気にせず弱く弾く根性がある。 今、ラフマニノフのチェロ・ソナタをカミさんと練習中なのだが、一貫してピアノがうるさい。ピアノ・パートは超絶技巧の連続だから音量など制御できない、とカミさんは言う。これに対抗していたら全編 ff で弾き続けることになり(そうやったところでかき消されるのだが)音色が一色になってしまう。聴衆に聞こえるかどうかなど気にせず、自分の出したい音量・音質で弾くことにしようと考えている。その方が精神衛生上、プラスだろう。
2023.03.19
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今年の1月にゴムキャップを着けたまま使うエンドピンの当板(エンドピンストッパー)を作ったが、弾いている間に少しずつ動くことがわかった。エンドピンに錘を着けると動きが少なくなるようだから、重量が足りないせいだと思う。ゴムキャップを外して刺すために作ったエンドピンストッパーは動かないから、こちらと同じように重くすれば良い。またエンドピンストッパーの注文が来たので、同時にゴムキャップを着けたまま使う物も並行して作ることにした。 注文は刺す方で、上の板は自作2号チェロの横板の端材を使うがこの材料はこれで使い切る。中に入れる鉄板(Z角座金:厚さ4.5mm 一辺40mmの正方形)も底に貼る滑り止めシートも無くなったのでホームセンターに買いに行き、上面に使う木材を物色する。ちょうどハガキくらいの大きさのメープルの板を売っていたのでこれを使うことにした。5枚並んでいたので、慎重に吟味して反りの無い1枚を選んで購入した。5mm厚で100mm✗150mmくらいだ。メープルとはカエデのことだから硬い。これを上面に使えば、注文が来た方と同じようにゴムキャップを外して刺すときにも使える。 刺して使う方は11cmの正方形だが、ゴムキャップを着けたまま使える方は少し大きくなる。基本的に家だけで使うことになると思うが持っていくこともあり得るので、チェロのケースのポケットに入る方が良い。これを考慮して、ゴムキャップを着けたエンドピンが入る穴は20mm径にすることに決め、そのサイズの木工用ボアビットも買ってきた。これを念頭に置いて設計を決めた。 内部構造はこれまでと同じだ。滑り止めシート(「株式会社イトー」の「トマルデ」というシート)と木とを接着する方法として、両面テープ(3種類持っている)とボンドGクリヤとの比較実験を行った。結局どの両面テープよりもボンドGクリヤの方がしっかり接着することがわかったので、これを採用した。両面テープより安価なので嬉しい。底や角で怪我しないことと、使っているうちにシートがめくれて剥がれてくることを防止するため、シートは側面まで周りこませ、角を接着し、ここに木ネジをワッシャーを介して打って固定した。 完成後、フローリングの上と絨毯の上で、テストした。エンドピンにゴムを着けた状態と外して直接刺す状態(穴が一つ写っている)とでテスト(ベートーヴェンのチェロ・ソナタを弾く)したが、完璧だ。どの状態でも全く動かない。今後、注文が来たときはこちらを勧めるかもしれないので、設計図の写真を保存しておくことにした。
2023.03.03
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音程に問題があるとき、原因としては頭が間違えているときと、体が間違えているときとがある。頭が間違えていると、頭の命令通りの音を体が出すがそれが正しくなくなる。これをチェックするには録音して聞き直すのが良い。一分以内の少部分を録音しながら弾く。このくらいなら弾きながら全部正しかったとか、ここは自分が出したかった音程より高かったとか覚えておける。全部正しいと思って弾いたのに聴き直すと高かったなら、それは頭で考えた音程がずれていることになる。この録音にはiPad ProでPiascoreの録音機能を使っている。今回、このチェックをベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番の第1楽章の全部で行ったが、4箇所くらいで問題が発見された。これは平均律的には許せるけれど旋律的には高めに取りたいとか低めに取りたいとかのレベルだった。これは声を出して歌ってみると納得できる。歌い、頭で鳴らし、チェロでその音程で弾く、という練習をする。その後もう一度録音してチェックする。これでだいたい克服できたと思う。 体が間違えている点を探すには少しゆっくり弾き、弾く前にその音程を頭で鳴らし、その後実際に出た音程と比較する、というやり方を使う。楽譜を見ずに弾く方が集中できるが、指使いを間違えると意味がないので気をつける。これを毎日少しずつやると進歩する。この練習は結構消耗するので10分くらいで切り上げる。
2023.02.25
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チェロの音程が悪いとき、原因としては頭が間違えているときと、体が間違えているときとがあると思うが、前提として音程が悪かったことに気づいていない、という要素がある。たっぷりと練習を積んできた曲を演奏するとき、演奏以外のことを考えていても自動的に体が演奏してくれる。暗譜でピアノを弾いているとそういう状況になることに気づく。「ピアノの練習をしたあと、何をしようか?」などという想念が浮かんだまま弾いている。 チェロでベートーヴェンのソナタを本番で演奏するときは、「ここはこのことに注意して弾こう」と意識していることが多い。楽譜にそのことを書き込んだりもする。ここを長いフレーズに感じられるように弾きたいから弓の返し際で音量が落ちないようにしよう、などという注意だ。このとき、それ以外のことは体が勝手に弾いている。どうやら意識は同時にたくさんのことを並行処理できないらしく、フレーズのことを考えていると「音程監視機構」の活動が落ちる。よっぽど悪いと意識に報告が来るが、他のことに意識が向いていると耳から入ってきた音ではなく記憶されている正しい音程を脳の中で鳴らして済ませてしまう。私の音程が悪かったのは録音を「音程が悪いと言われたというバイアス」をかけて聴いて初めて意識された。 これから音程を良くする練習をするわけだが、最初にやることは「音程監視機構」の活動レベルを上げることだ。つまりとりあえず他のことには目をつぶって音程が正しいか?という問題意識を持って練習する。
2023.02.24
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先日の主催コンサートではシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」とベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番を演奏した。打ち上げの席で「死と乙女」の第2ヴァイオリンの奏者からチェロ・ソナタの感想を聴いた。第1楽章の冒頭での音程のブレが気になったとのことだった。アマチュア同士でネガティブな感想を告げるのはめったにないことだが、この奏者とは40年近い付き合いだし室内楽の演奏でヴァイオリン弾きを探すときには常に私のファーストチョイスだ。室内楽の練習では互いに遠慮なく意見を言う間柄だ。また、私がこの曲をもう一度公開で演奏することを知っていてアドヴァイスをしてくれたのだ。 家に帰って録画を見てみると、確かに音程の問題がある演奏だ。この曲の冒頭はチェロのソロで始まり途中でピアノが入ってくる。ピアノが入ってきた瞬間、ピアノの音程が低いと感じる。つまりチェロの音程が高かったのだ。同じベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ「クロイツェル」も同じ問題が起こる要素があり、プロの演奏会でピアノが入ってきた瞬間「ピアノの音程が正しくない」と感じたことがある。これもヴァイオリン側が無伴奏で弾いている間に音程がぶれてきていたのだ。自分の録画を音程に注意しながら聴くと、随所に問題があることに気づく。本番の演奏中にこれに気づいていなかった。これは問題だ。 次の本番まで3週間ほどあるので、対処することにする。
2023.02.23
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私の周囲には楽器演奏を続けている高齢者(私も含めて)がたくさんいる。多くは子育てや仕事で忙しかった時期も歯を食いしばってなんとか演奏を続けてきて、今は思う存分楽器演奏を楽しんでいる。楽器演奏の形態はさまざまで、市民オーケストラの団員として活動していたり、弦楽器ならピアノとのデュオに取り組んでいたり、室内楽のグループを組んでいたりする。 彼らの人生を考えると、今は音楽活動の収穫期で、これまで演奏技術を高め維持してきた努力が報われる時期だ。そして、その時期はそれほど長くないかもしれない。人はいつか必ず死ぬしいつ死ぬかはわからない。ただテレビの前に座って生きているのも良いが、好きな音楽を自分で演奏することに喜びを感じる人ならそれが人生の目的になるだろう。好きなことをやらずに生きていても、それは生きているとは感じられない。身体と脳が働いている限り音楽活動を続けたいと思う人がたくさんいる。 それをコロナ・ウイルスの感染拡大に反応して社会活動を禁止する動きが破壊してきた。市民オーケストラや市民合唱団の練習、演奏会を禁止に追い込み、楽器を持って電車に乗る人に肩身の狭い思いをさせ、音楽教室での個人レッスンも閉鎖させた。それを推進する人は命の危険があると声高に居丈高に言うが、人は必ず死ぬものだし、感染症だけが死の原因ではない。年間死亡者の総数は特に増えていないではないか。 家に閉じ込められて弱って死んでしまった高齢者を数人知っている。楽しみにしていた合奏の練習が全部禁止になり、楽器を持って外出すると白い目で見られるという風潮が死をもたらしている。死なないまでも足腰が弱って動けなくなったり認知症が進行した人もいる。閉じ込められることも命の危険があるのだ。 医療機関が疲弊しているのは本当だが、これもコロナ・ウイルスの感染に対する過剰反応が原因のように見える。家族に発熱者が出ると看護師や技師などの職員が出勤停止になり、補充もきかず残った人員への負担が重くなる。もっと理想と現実との間のバランス感覚を持って対処する、ということがでいないものか?と思う。
2023.02.22
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昨日は自分で主催する室内楽のコンサートだった。関西に来てから室内楽の本番はAPA(アマチュア演奏家協会?)の例会がメインだったが、数年前から自分で会場を予約してコンサートを開くようになった。APAの例会は、出演したい人が多く(一部の会員が集中的に出演しているような気がする)エントリーが難しくなっているし、聴きたくない演奏も多い。私は嫌いな音楽が多いし、2,3回合わせただけで本番という練習不足の演奏はプロであっても聴きたくない。ましてアマチュアだと辛いのだが、こちらも出演しているからには客として聴くのは義務だろう。 自分で主催するコンサートは自分が参加している室内楽が優先だ。カミさんが参加しているグループも優先だ。それで時間が余ると、このメンバーのこの曲を聴きたいと思うグループに声をかけてプログラムを組む。すべて招待制で、参加したいのだがという要望には応えていない。変な人が聴きに来ると困るからコンサートは公開しない。演奏者の友人だけだ。我ながら傲慢な感じがするが、全部の準備は私がやるのだから許してもらっている。費用はホールの借賃とピアノの借賃、プログラムの印刷費(ワードでA4で4ページの原稿を作ってコンビニでA3に両面コピーをして二つ折りにするだけだから一部20円)だけだ。音響が良く雰囲気も上等で置いてあるピアノもまずまずという県立のホールが安く借りられ、予約も苦労せずに取れるので、そこを使っている。費用合計は2万円以下なので10人を集めて一人2000円徴収すれば赤字は出ない。このホールの一角にまずまずのレストランがあり、貸し切りで打ち上げをさせてくれる。コロナ・ウイルスの騒ぎの最中でも打ち上げができたのはありがたいことだった。 打ち上げは不要不急などではない。互いの演奏を褒め合い、これまで一緒に演奏したことのない人に声をかけて新たなグループを作る、重要な場だ。楽器を演奏する人間にとって最重要なもので命より大事と言っても良い。昨日の打ち上げでも何組かの計画が決まったようだ。 今回ので17回目くらいになるように思うが、最初から「第N回」とはつけなかった。それを言い出すと存続させるのが目的になる危険がある。あくまでも、自分が練習している室内楽にケリをつける手段として本番を開くのが目的だ。もし参加者が少なかったら赤字を被っても構わないし、嫌になったらすぐにやめる覚悟だ。
2023.02.20
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数ヶ月前からシューベルトの弦楽四重奏曲ニ短調「死と乙女」に取り組んでいる。この曲を演奏するためにメンバーを私が選び、一人ずつ声をかけて集まってもらった。月に一度くらいのペースで活発な議論をしながら合奏の練習を楽しんでいる。この曲は全楽章とも素晴らしい出来栄えで演奏も難しい。全員に高い技術と音楽に対する正しい直感が要求される。 カミさんは私より念入りにテレビの番組表をチェックしていて、私が興味を持ちそうな番組も録画しておいてくれる。テレビでやっていたクラシック番組で弦楽四重奏が録画リストにあったのでカミさんに聞いたら「死と乙女」だという。早速二人で一緒に見始めた。 初っ端のユニゾンから音程が完璧でない。最初の小節は全員が付点二分音符で4分音符3つ分伸ばすが、その最初の音程がおかしい。そして4拍目は全員が三連音符だが、その入るタイミングが合っていない。プロにあるまじき失態だ。最初の小節からこの調子だから、アラが多く没頭して聴くことができない。第一ヴァイオリンが独裁者らしく、他のパートの都合におかまいなく第一ヴァイオリンが突っ走り、後の三人はこれに後からついていく。 チェロは弱い。常に駒から離れた場所を弓がこすっているから当然だ。テレビ録画で四人全員ともマイクが直前に置かれているから後からチェロだけ大きく編集することもできただろうが、それもしていないのは演奏者たちがこのバランスで良しとしているということかもしれない。また、このチェロは大事な場面になると準備の時間が必要になるらしく、出が遅れる。 全般にフレーズが短い。三楽章のトリオが8小節ずつで切れるのが気になってしかたがない。作曲者はそこで切られないようにいろいろ細工しているのだが、それは無視される。最初のユニゾンで感じた音程に関する不満は全楽章で現れる。ピアノの平均律のレベルを外すこともあるくらいで、作曲家が思い描く色を表現するところまで来ていない。しばしば第1ヴァイオリンとチェロが同音になるのだが、その音程が合わないことが多い。 アマチュアの演奏なら、ここまで弾けたらブラボーものだが、金を取って聴いてもらおうというプロの演奏としては問題だらけだ。少なくとも私はチケットを買って聴きに行くことはない。
2023.01.25
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ヴォルフの「モーツァルト最後の四年」という本を読んで以来、モーツァルトの晩年の室内楽を演奏するように務めてきた。弦楽三重奏曲は大分以前に演奏したし、弦楽四重奏曲も数年前に全部演奏している。クラリネット五重奏曲も同様だ。あとはピアノ三重奏曲と弦楽五重奏曲が残っていた。ピアノ三重奏曲は曲を決めるときにモーツァルトに誘導するようにして、すべての曲を演奏することができた。そして5年ほど前から弦楽五重奏のプロジェクトが始まった。ここではK.515から始めて、K.516, K.593と演奏してきて、昨日から最後のK.614の練習が始まった。 モーツァルトの K つまりケッヘル番号はK.626(レクイエム)で終わりなので、K.600以後はモーツァルト最後の年である1791年だ。特別に扱われる曲が多い中で、この弦楽五重奏曲は演奏されることが少なく、CDもYouTubeも有名なK.515, K516に比べると驚くほど少ない。私も、今回モーツァルト最後の作品群に特別な関心を寄せるまではこのK.614を聴いたことがなかった。 父のレコードやCDのコレクションを聴いて育ったので、モーツァルトの室内楽は演奏する前からしつこく聴いており、知らない曲は少ない。今回のK.614はモーツァルトの知らなかった曲を演奏するという非常に稀なケースになる。せっかくなので、最初の練習まで音源を聞かないように努力し、個人練習もあえてせず、合奏の練習で始めてパート譜を開いて初見で演奏するようにした。初めて聴く曲の衝撃を味わいたかったのだ。 特に意識せずに聴いたらK.200番台くらいに感じるような、ハイドン的な整った感じがある。シンプルに聞こえる。だが、細部は後期独特の凝りに凝った作りだ。終楽章にはこのころのお約束でフーガが出てくるが、これはよくあるフーガっぽいというレベルではなく、かなり厳密だ。緩徐楽章では明らかに音がぶつかる箇所があり、耳障りの良いモーツァルトの音楽を逸脱している。チェロはこの頃の室内楽としては負担が軽い。古典的な支える仕事を担当する場面が多く、プロシア王の弦楽四重奏曲やK.515からK,593の弦楽五重奏曲で見られるような名人芸は要求されない。 演奏していてとても良い曲だと思うが、聴いていると地味に感じられるのかもしれない。この曲もまた、一年ほどかけて練習し、どこかで本番ということになる。
2023.01.20
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カミさん以外のピアノ弾きとベートーヴェンのチェロ・ソナタ第2番を弾くことになり、今月下旬の初合わせに向けて練習をしている。相手はピアノの先生をしている女性で、去年チェロ・ソナタを何か合わせて欲しいと頼まれ、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第1番を演奏した。引き続き、ということで2番に取り組む。 音楽大学を卒業したピアノの先生が弦楽器との合奏をしようとしても難しいだろう。ピアノはレパートリーも膨大にあるから他の楽器との合奏など必要がないと考える人がほとんどだろう。合奏をしたいと思っても弦楽器奏者は別の世界に生きていて接点はない。弦楽器奏者の上手な人はオーケストラに居るか弦楽四重奏に向かうかが多く、ピアノとの合奏には消極的だったりする。弦のプレイヤーから見るとピアノ弾きは気位が高く付き合いにくい。だから今回の相手もチェロ・ソナタは去年の私との共演が初めてだったという。 私はチェロを始めた中学1年生の時から姉のピアノと合わせていた。このベートーヴェンの第2番も、高校生か大学生の頃姉と合わせた。カミさんと見合いをして婚約してからすぐにこの曲を合奏したが、我々の最初の喧嘩はこのソナタを弾いているときだった。結婚してからも何度も弾いたし、本番だって2回はやっている。鼻歌のように覚えている曲だ。 それでも初合わせに向けて練習する必要はある。
2023.01.07
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