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2026.03.29
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カテゴリ: 鈴木藤三郎


鈴木藤三郎顕彰第3集の概説の台湾語翻訳が終るめどをつけられて、
「おしゃべり」という標題でメールをくださった。

「G様:

 長い長いトンネルを焦りながら翻訳を続けて来ましたが、やっとトンネルの向こう側からの光が見えて来ました。間もなく翻訳は終わるだろうと思います。
翻訳は中身を吟味しながら仕事を進めて行きますので、過去で起きたことが脳裏を掠めて行きます。
鈴木藤三郎が考えた製糖会社が、自分で土地つまり自営農場を持つことです。
でなければ立っていけない。
これを裏付けることが戦後間もなく起きたのです。
鈴木藤三郎が一人で台湾製糖を守って来たようなもののようにに成りました。
それと言うのは、戦後47箇所あった台湾の製糖所はまず土地を持たない製糖所から順番に閉鎖されて行ったのです。
事業と言うものはただたんにお金を儲ければ良いのではありません。
多くの人を養って行かなければ成りません。
この事は台湾の国民党は百も承知していました。
これは二宮尊徳(=鈴木藤三郎)の教えとマッチします。
だから国民党は農民や製糖に関係する人々を養っていくために、政府が犠牲になってでも製糖所を潰しかねたのです。
土地つまり自営農場を持たない製糖所は自然淘汰の憂き目にあったのです。
台湾の南部、中部、北部を問わず、自営農場を持たない製糖所は次々に閉鎖されて行ったのです。
戦前は官憲の力が猛威を振るっていましたので、農民はおとなしく(植える作物がなかった時代)砂糖キビを植えていた関係もあったのではないかと思います。
鈴木藤三郎が考えた自営農場を多く持った台湾製糖が一番最後に残ったのです。(略)

台湾製糖であった湾里製糖所はいまだに製糖を続けています。
鈴木藤三郎が選んだ第二番目の製糖所は、この湾里製糖所でした。
結論として当時つまり100年前の鈴木藤三郎一人の考えで、製糖所の運命が決まっていたと言うても過言ではありません。   利」






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最終更新日  2026.03.29 14:22:48


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