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「去る明治38年に二宮尊徳先生の50年祭が、栃木県今市町の報徳二宮神社で催された。その時、父はそれに参列して、尊徳翁が心血を注がれた遺著約1万巻が相馬の二宮家に蔵されていることを聞いて、その複本を作って報徳教研究者に公開すると同時に、原本に万一のことがあった場合に備えたいと思った。そこで、嫡孫二宮尊親氏にそのことを相談したところ快諾されたので、翌39年1月から筆生20名を雇ってその謄写を開始した。それが満3ヶ年かかって完成したので、総数9,014巻を2,500冊に綴って、この年の11月に同神社へ奉納した。これと同時に、同社境内へ御影石の大鳥居と神饌所と、上記の書冊を貯蔵して希望者に閲覧させるための石造二階建の報徳文庫一棟とを建造して奉納した。」(「黎明日本の一開拓者」p333)
報徳文庫
(「今市市史」通史編・別編1p372)
二宮尊徳没後「50年祭」のとき、遠州静岡県の報徳社員鈴木藤三郎が、祭典に参列のため今市に来たが、二宮家に尊徳の各種の著述1万巻が残されていることを聞き、この写本を作成して、今市の二宮神社に納め、報徳の教義研究の資料にするべく、「報徳文庫」の設立を計画した。二宮家当主尊親の許可を得て、その筆写事業は原本の保存されていた相馬で行われた。筆生20余人を雇い、明治39年1月から41年(1908)11月までかかって、9,014巻2,500冊の写本の作成を完了、238帙に収めて、今市に送り神社に寄付した。経費7,000余円は藤三郎が個人で負担した。明治42年(1909)5月、神社内に石造の「文庫」建物が創立され、そこに収められた。現在、明治百年記念事業として昭和43年に新築された「新報徳文庫」の二階に収納されている。
相馬において作業を行ったため、用紙を静岡から求め、筆生を集めるのに苦心し、表紙は東京で購入して、製本の職人は仙台から雇うなど、さまざまな苦心の結果が実ったものであった。もちろんそのすべては現在では、刊行された「全集」に収められている。しかし、「50年祭」に行われたこの「報徳文庫」の設立は、今市の報徳運動の歴史にとって極めて大きな事業であった。
「報徳物語」 (井口丑次著)第2編
第1 報徳文庫大観 1 文庫の由来
二宮翁遺書1万巻が野州今市の官舎に保存され、戊辰の変に際して遙かに奥の相馬に運ばれ、更に数ヶ所に転々し、相馬家倉庫に納められたる次第については、さきに「報徳物語」第1編で、翁の令孫尊親氏の談話をそのままに掲載した。さらに新たにその全部を写し、これを今市の報徳二宮神社に献納して文庫を設け、保存を図るとともに、公衆の閲覧に便利にしようとする動きのあることを記しておいた。この謄写の件については、いよいよ一昨年の冬結了して、昨春今市に輸送されて、5月30日に献納の祭式があり、文庫は公開された。それ以来篤志者や篤学者が数十里の外から来て、閲覧する者が若干ある。参詣のついでの参観者は、日に月にますます多く、その閲覧する者が大いに学ぶ所あるべきは疑いがなく、単に参観望見する者であっても、この偉大な遺物によって、激励感化されることは少なくないであろう。(略)翁がこのような繁劇多忙の生涯において、このように浩瀚な書類を結集した、その精力の絶大であることは、何人も認めざるを得ないところであろう。 実に当文庫の真価は、その内容が閲覧者の知識・道徳に与える功益の外、翁がほとんど一代で、このような大部の書を述作編成及び実行したという事実が、社会人心に深く感ずる点にある。 ほとんど一の奇蹟としてこれを永久に伝えるべきものである。 次に鈴木氏の献本願文、二宮氏の謄写全書の序、及び大槻氏の謄本事略を掲げて、文庫の由来を明らかにする。
願文 (原文はカタカナ表記だが、句読点をつけ、ひらかな表記とした)
報徳社徒不肖藤三郎誠恐誠惶謹で二宮尊徳先生の神霊に白(もう)す。恭く惟れば先生畢生唱道し給へる報徳の教義は、洋の東西を論ぜず、人種宗教の如何を問はず、古往今来幾千万歳を経るも、凡そ世界に生存する人類に於て、貴賎貧富男女老幼の別なく、允に克く遵守せざる可からざる要道にして、若し之れ無くば、人道廃頽して民衆安息すること能はざるなり。先生の世に在すや、憂国の至誠外に溢れ、熱血の注ぐところ感奮興起せざる者なく、済世恤民の良法諸州に亙って其効実に顕著なり。
而して其実践躬行の跡は歴々として、先生の遺書に存し、其書殆ど万巻を以て算す。然りと雖も之を知る者多からず。知らざれば行うこと能わず。行はざれば世を済ひ民を理すること能はず。是猶名玉を懐中に蔵するが如し。豈痛惜せざるべけむや。是を以て令孫尊親先生の允許を得て、之を謄写せしめ、全部九千巻を得たり。之を二千五百冊と為し、文庫一宇に収め、併せて之を神社に奉納し、衆庶の熟覧研究に備ふ。将来幸に有志の士之を繙き、明晰なる識見を以て。先生の教旨を解釈し、熱誠以て之を世に拡張し、忍耐以て実践して息まざらば、民風頓に興り。富強期して埃つべし。仰ぎ冀くば先生が神霊の冥護に依り、人類必至の要道たる報徳教義の広く天下に普及し、真正なる文明の実を見るを得んことを。 不肖藤三郎誠恐頓首頓首敬て白す
明治四十二年五月三十日 報徳社徒 鈴木藤三郎 九拝
<二宮尊親氏の「序文」の現代語訳(原文略)>
(略)亡祖父尊徳は、生涯、産業を盛んにし、民を救助する事業に粉骨砕身し、大は幕府・諸侯の領内及び旗本の領地が衰廃しているのを興復し小は一村一家の窮貧の回復に至るまで努力すること多年。その間、仕法を行った事跡を書に残したものはほとんど一万巻になります。幸いに志士仁人がひもといて世の中の利益に貢献するところがあれば、尊徳の泉下の霊もまた安らかに眼を閉じることでしょう。このために更にその謄本を別所に所蔵して、たとえ非常の災害があっても原本と写本のいずれかその一つを永遠に存し、人民の観覧の参考の利便を失わないことを欲して、まだ果すことができないことを残念に思って数年がたちました。
遠州の人、鈴木藤三郎氏は従来から深く尊徳の遺教を信じ、これを工業に応用して成功するもの一つだけでは足りません。また常に最も遺教の普及に努めています。
氏はたまたま二宮尊徳の遺書があるを知って、喜んで速やかにその謄本を野州今市報徳二宮神社の境内に実蔵し、一には保存上の安固をはかり、一につは志士研究の材料に供しようとし、すなわち原書謄写の承諾を予に求めました。
予は喜んでこれを承諾しました。以来3年を経て本年本月に謄写が終了し、全部九千巻を二千五百冊となし既に築造の報徳文庫に納めることができました。
ああ予の宿昔の希望はここにに始めて達成できました。・・・深く氏の篤い志に感じ、記して序とする次第です。以上。明治41年(1908)初冬 二宮尊親しるす
報徳全書謄本事略 <大槻吉直氏の「報徳全書」作成の由来の現代語訳、原文略>
二宮尊徳先生の世に在るや、一意至誠、興国安民の事業に慎みかしこまって全力を尽くして日もまた足らないとされました。その麗しく立派な徳と良法の恵沢によって地を開き産業を増やし風俗をよくし、人民の生活を安んずるものは数えることができません。そしてその教えや人民の救助に関する書類は積んで棟に充ち、今なお厳存します。ああこの書は、これ皆先生の涙と血とが結晶したものです。(略)
報徳社徒鈴木藤三郎君はまた常に先生の遺教を拡張して、国家の元気を発揮しようと望んで努力すること歳月を経ました。 明治38年11月二宮尊徳先生の五十回忌日に野州今市の報徳二宮神社において大祭典を行うに当って、遠近諸州の信徒が来って礼拝する者がおよそ3万人。 鈴木君もまた来拝し、石造の大きな鳥居一基と神饌所一棟及び境内に檜の木いくらかを寄付し 、まさに去ろうとするに際し、たまたま先生が生涯心血をそそがれた 遺書がほとんど一万巻が二宮家に所蔵されていると聞くや 、こおどりして喜ぶことただならず、 すぐに決断し神社境内に報徳文庫を建造して遺書の謄本を宝蔵し、永久の保存及び教義の研究の両益を挙げようとし、すなわち令孫尊親先生にそのお許しを求め、文庫建築の指揮はこれを今市の町の篤志家に委託し、去年既に落成して謄写完成の時期を待ちました。そして謄写の指揮・監督は相馬在住の同志者に委託し明治39年1月にその事業を始め今年今月完成を告げました。
全部9,014巻、これを2,500冊とし、236帙(チツ)に収めて今市に輸送し、鈴木君に渡しました。文庫の建築及び謄本一切の費用はおよそ七千金である。相馬の地は、由来東のはての辺境にあって用務は不便で用紙は遠く駿河に仰ぎ、筆生は四五里内外に招いて、製本職工は仙台に、書冊の表紙は東京に求めたために、おのずから事業完成に長い歳月をついやし、したがって多額の費用を要するのもまた止むを得ないところである。しかし事業に要した家屋、倉庫及び諸什器等はことごとく相馬子爵の好意によって3年間無償で借用することを得たのは不便中の便であって、その厚意は実に感激するところである。ここに謄本に関する顛末をおおむね記して後の参考にあてる。
(略)将来、有志の士が先生の神前にぬかづき、その清澄な頭脳とその堅実な信念とで先生の足跡というべき遺書をひもとくならば、先生はどのような教えによって衆生を救済したのか、その熱い涙、熱い血のそそぐ所、どのように感化を与えたであろうか。そしてどのように人道、世益に貢献したかを反復、討究して感奮興起、涙が溢れ血が沸き、 報徳的活動が各地に勃興するようになれば、すなわち次第に人民は仕事に励み、物産は増殖し、真心からの推譲の徳風が行われ、ついに先生のいわゆる真楽国が実現することを見るにいたるでしょう。想うに鈴木君がこの文庫を神社境内に建設するの意旨もまたここにあるであろう。ああ善なるかな。
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