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2021.01.25
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印
鹿児島県薩摩川内市『新田神社』
うねりながら平野に流れ出た川内川、その平野の右岸に亀の形をした里山があります。
平野の中にあって、その存在は恰も島のようにも見えなくもない。
「新亀山」と云われる小高い里山の頂に薩摩国一ノ宮 新田神社は鎮座していました。

土地勘もなく、不慣れなレンタカーでの運転、運転する者よりも高性能なナビゲーションを隣でそれを操作するかみさんの方が悪戦苦闘。その導きで辿り着いたのが県道44号線沿いのこの地。
御親切に駐車場のある一ノ鳥居まで導いてくれるではないか。(それがニノ鳥居だと知ったのは帰り際でした。)

ニノ鳥居と新亀山、こうして見ると亀の甲羅の様に見えなくもない。
控え柱の付けられた朱塗りの明神鳥居、その先の石造りの太鼓橋を経て参道は石段となり杜に消えていきます。

石段の左右には門守社もあるようです。


緩やかに弧を描く石造りの太鼓橋は「降来橋」と呼ばれるもので、この橋と擬宝珠は市の指定文化財に指定されていてるようです。
現在こうして見る降来橋は1892年(明治25)に架け替えられたもの。
全長は8㍍、幅5㍍と云うけれど、目の当たりに見る太鼓橋はひと回り大きく見える。
こうして見ると一つの橋に見えますが、その先にもう一つの小さな石橋が架けられています。

橋の袂に掲げられていた降来橋の解説。
由来は古く「三國名勝図絵」には、1290年(正応3)新田八幡宮の降来橋で雅楽が催された記録が残るという。
擬宝珠は1602年(慶長7)に島津義弘により神殿を修復した際、橋の欄干に刻銘入りの宝珠8個が付けられた。(実物は宝物殿に保管)

右は新田神社の末社で豊磐間戸命(トヨイワマドノミコト)を祀る東門守神社。
左が西門守神社、祭神は櫛磐間戸命(クシイワマドノミコト)を祀る。

門守神社から城壁の様な石垣となり、その間に石段が続きます。

石段の左に赤い社が三社並んで鎮座しています。



左に見えていた三社は新田神社の末社。
石段を踏みしめ参拝に訪れた者をここから見守るように佇んでいます。

門守神社をコピペでもしたように造も大きさもほぼ同じ、社名札が無ければ参拝していても分からないかもしれない。
右から高良神社 祭神は天鈿女命。
中央が中央神社で祭神は大山祇命。



当社は、九州五所八幡宮(大分宮・千栗八幡宮・藤崎八幡宮・新田神社・鹿児島神宮)のうちのひとつとされ、江戸時代までは応神天皇、神功皇后、武内宿禰の八幡三神を祀っていたという。

石段の左で見かけた「がらっぱ大明神」。
いざなぎ河童といざなみ河童とあるけれど、読んでいてもよく分からない。
川内川にはがらっぱ(河童)が普通に生息しているらしい、しかも彼らは共和国まで築いているらしい。
建国式の当日、お祭り広場に2体の「がらっぱ像」が見世物として飾られていたそうです。
ガラッパ像はコンクリート造、制作者も担当者も知らぬ間に、用意されていた高台に入魂の儀まで終え鎮座していたのだとか。
河童の不思議なパワーなんだろうかねェ。
「がらっぱ様」の不思議なパワーは、参拝する者に開運、願望援受、魔除け、商売繁盛、災難逃れなどに御利益を授かる事ができる。ここは賽銭を奮発しておくべきところ。

最初の石段を上り詰めた先に広がる境内、そこから先に再び石段が続きその先に社殿が小さく見えてきます。
1173年(承安3)、新田神社は火災に見舞われ、新亀山中腹にあった社殿を焼失してしまったそうです。
この広い空間は焼失以前、ここに社殿があった名残ということでしょう。
それも朝廷や幕府の支援を受け1176年(安元2)、この石段の先の山頂に再興されたのが現在の『新田神社』。
以後も薩摩国歴代藩主から厚く崇敬され、四百年前の慶長年間に島津義久公により現社殿の原形が造られました。

新たに建てられた社殿に向かう石段の登り口で守護を受け持つ狛犬。
奉納年は見ていないけれど、鼻のあたりに愛嬌を感じるその容姿に隙はない。

阿形、見開いた眼は無表情に見えなくもない、鋭い犬歯が印象的な狛犬。

社殿に続く最後の石段、途中で足を止め一息入れる姿も見える、この石段甘く見てはいけない。
ゴールは見えているけれど長く感じる。

見あげる先に社殿と右手に注連縄が巻かれた大きな楠の樹が見えてきました、あと少し。

見あげる様に聳え立つ「新田神社の大楠」
根回りは13.3㍍、幹回りが9.9㍍と巨大なもので樹高は20㍍を越え、枝張りは約20㍍に及ぶ。
樹齢は2000年を超えると伝わるそうですが、年輪から推定すると650~800年とされる。
大楠の根元は空洞化し、更に「地上2mのところに大穴牟遅神の木造が彫刻されている」とありますが今一つよく分かりませんでした。

大楠の右に社の屋根が見えたので寄り道、そこは駐車場で見えていたのは車祓所の社でした。

新田神社「勅使殿」
唐破風向拝が設けられ。細部に彫飾りと彩色が施された華麗な建物。
棟札から1784年(天明4)の造替とされるもの。

石段を上り詰めた両脇に独特の佇まいの狛犬がある。最初遠目に見た時はガマガエルの様に見えた。
「子だき狛犬(安産狛犬)」と呼ぶそうだ。
古くから安産に大変霊験のある狛犬で、安産を祈願する方はこの狛犬の頭を撫でるとよいというそうです。

この子抱狛犬、案内にある様に子を抱いているけれど、頭部が妙に押し潰されたような形が印象に残る。
こうして見る顔の表情は、かわいいようでどこか哀愁が漂ってくる。

新田神社「勅使殿」
「新田」という名の由来はその昔、瓊瓊杵尊はがらっぱの住むという川内川から水をひき、新たに水田を作ったことからその名が付いたといわれる。
創建は725年(神亀2)と云われますが定かではありません。
始まりは新亀山に瓊々杵尊のお墓を祀られたことに始まるようで、この山のほぼ全体が瓊々杵尊の陵墓とされ、可愛山陵(エノミササギ)と呼ばれるようです、新田神社はその陵墓に鎮座するものです。

唐破風向拝の透かし彫りの鳳凰?から始まり、蟇股に木鼻の獅子や象など細かな手間と彩色が施され、ここだけでも見応え十分。

祭神は瓊々杵尊(ニニギノミコト)、天照大神(アマテラスオオカミ)、天忍穂耳命(アメノオシホミミ)
家内安全、事業繁栄、交通安全、商業繁栄、入試合格、漁業繁栄、心身健康などの御利益を授かる事が出来る。

参拝すると良く見えるのですが、この勅使殿は外部の華やかさ同様、内部の装飾も見事なものがあります。梁の彫飾りに彩色、天井に至っては格子天井の一枚〃に草花の絵が描かれ、参拝後しばらく足が止まります。程よく色褪し嫌みのない上品な華やかさ。

勅使殿から社務所方向の境内の眺め。
コロナ再燃の兆しのなか鹿児島に出向いたけれど、そうした事も影響があるのか参拝者の姿は皆無。

主務所側から勅使殿方向の境内の眺め。
社殿に対し境内は意外に狭い印象を受け、もう少し引いて本殿を含めた全体を見たいところですが、手持ちのカメラでは無理があるようです。

伽藍は勅使殿、舞殿、拝殿、幣殿、本殿が一直線に並び、本殿の両脇には摂社があり、それらは廻廊でつながっているという。

薩摩国一ノ宮は先に掲載した枚聞神社と新田神社の二社がある。
何れも島津家の厚い庇護を受けてきた歴史のある神社。
社格を争うとこうなるのか、大人の事情なのか理由はよく分からないけれど、一ノ宮マップを塗り潰す事に燃えているかみさんには違和感はない様ですが、お供のおやじは「一つの國に二つの一ノ宮」や「社格」、もやもや感は今もすっきりしない。

勅使殿から先の本殿方向は拝めないものか、漸く廻廊とその先の社殿の姿を捉えるがそれが何なのかは良く分かりません。因みに現在の本殿は1850年(嘉永3)に造営されたようです。

二つ目の薩摩国一ノ宮『新田神社』の参拝を終え次の目的に向かう、長い下りの石段を下り、最初の石段までくると「降来橋」の先にニノ鳥居とその先には桜並木の真っすぐに伸びる参道が一望。

一ノ鳥居からニノ鳥居に続く長い参道は「八丁馬場」と称し、参道の両脇に植えられた桜は花見の名所。
嘗てこの長い参道には多くの寺院があり「新田神社一二坊」と称されたそうです。
霞んで分かりにくいけれど遥か先に一ノ鳥居が見えています、その先が川内川の堤という事です。
これが桜の時期であれば嘸かし見事なんだろう。
あまりに長い参道、今更「あそこまで行ってくるわ」とは言えない。

薩摩国一ノ宮 新田神社
創建 / 725年(神亀2)
祭神 / 瓊々杵尊、天照大神、天忍穂耳命
境内社 / 東門守神社、西門守神社、高良神社、中央神社、早風神社等
住所 / ​ 鹿児島県薩摩川内市宮内町1935-2
関連記事 / 薩摩国一ノ宮 ​ 枚聞神社





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Last updated  2021.01.25 20:21:50
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