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2021.11.10
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印
二泊三日で岡山・鳥取・兵庫「一ノ宮巡り」day3
お風呂や考える必要のない食事を提供してくれたホテル泊。
岡山・鳥取・兵庫「一ノ宮巡り」も三日目の最終日が始まった。

朝起きてカーテンを開ければ円山川対岸の山並みに朝もやがかかり、竹田城とは言わないけれど幻想的な光景が広がっていた、思わず外に出て眺めていた。
一瞬のドラマも終わり、ホテルに戻り朝食を済ませ、最終日最初の目的地「玄武洞」に向け走りだす。
大江戸温泉物語「きのさき」
所在地 / ​ 兵庫県豊岡市城崎町桃島1232

ホテルから玄武洞までは、譲り合う気持ちがなければ通れない「城崎大橋」を渡り車で10分程。


普段の生活で狭くもない道でさえ、「お前が下がれ」と睨みあ合う光景を見ると、渡り始めていれば手前で待つ、待避所に近い側が寄せて待つ、当たり前の事ができない便利な街の日常を見ると、中途半端に整備し過ぎな気がしてならない。
この三日間運転中にストレスを覚える場面は一度もなかった、

10分程で円山川上流にある「玄武洞公園到着」
施設は「玄武洞ミュージアム」と柱状節理の露出した5つつの岩壁で構成される山陰海岸ジオパークの一つ。
展望広場からは眼下に円山川と対岸に山陰本線が良く見える。
河口が近い事もあるのか、玄武洞へ続く苔むした歩道には真赤な蟹の多い事。

玄武洞
160万年前の火山活動に伴う玄武岩の大露頭で、 高熱の溶岩が急激に冷える事で生じる割れ模様「柱状節理」が美しく、断面は人が作ったかのように綺麗な5~6角形をしている。
洞窟になっていますが、これは人の手により採掘された結果のもの。
この石は人々の生活に不可欠なものとして古くから採取され、街中の石垣や漬物石、地蔵湯で見た庭石など利用されてきてそうだ。
こうした柱状節理の露頭は他にも青龍洞、白虎洞、北朱雀洞、南朱雀洞があり、その断面の美しさだけではなく、溶岩流が複雑に蠢いた道筋や、岩盤の上の僅かな地表に根をおろす樹々など、人の及ばない自然の力を感じさせられる。


玄武洞
所在地 / ​ 兵庫県豊岡市赤石1362

さあ、次は「但馬國一宮出石神社」に向かいます。
円山川を遡り(南下)ながら但馬の小京都と呼ばれる出石市まで小一時間程の移動時間。

豊岡盆地の東の山裾に位置し、周囲はコウノトリを育む田畑が広がり、その中に島の様に出石神社の杜が見えてくる。
但馬の国の一宮として周辺では一宮(いっきゅうさん)と呼ばれ親しまれている神社。
神社解説によると。
「神社の創立年代はあきらかではない、社伝の一宮縁起に谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀り、
天日槍命を祀ったと伝え、諸書によると、およそ千三百年前にはこの地で祭祀がおこなわれていたことがうかがわれる。
天日槍命(あめのひぼこのみこと)が新羅の国よりお持ちになった八種の神宝を出石八前大神(いずしやまえのおおかみ)として、また天日槍命の大御霊を御祭神として斎祀している。

天日槍命は、古事記、日本書紀ともに新羅国王の王子であり、日本に渡来されたとし、その事蹟は記紀の
ほか古語拾遺、播磨国風土記等からうかがうことができる。
八種の神宝とは、古事記には珠二貫・振浪比礼・切浪比礼・振風比礼・切風比礼・奥津鏡・辺津鏡と記している。
天日槍命の子孫には、田道間守命(たじまもりのみこと)や神功皇后があります。
天日槍命は泥海であった但馬を円山川河口の瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、現在の豊沃な但馬平野を造り、円山川の治水、殖産興業に功績を遺された神として尊崇を集めている」
鳥居はニノ鳥居(中門)まで構え、狛犬が守護するニノ鳥居は、流麗な曲線を描く屋根の付いた両部鳥居で「一宮」の額が掲げられている。
現在の社殿は大正三年に再建されたもので、神門と入母屋造りの拝殿、切妻造りの幣殿と祝詞殿、その先は透塀に囲まれた流造の本殿が主な伽藍。
杉木立に包まれた参道の先に朱に彩られた神門があり、蟇股など彫と色彩は見事だった。
神門から左右に繋がる塀にも朱が塗られ、派手な印象に思えるけれど、周囲の木々の緑と調和する上品なものだ。

場所により紅葉が始まり、祝詞殿や拝殿周辺は色づき始めてきていました。
境内には写真の様に苔も多く見られ、鮮やかな緑色の絨毯が広がっています。
写真の赤い社は夢見稲荷社、祭神は天日槍の妃神。
その奥が比売社で宇賀能魂を祀る、写真の右手方向に絵馬殿がある。
境内にはこのほか市杵島比売神社、菅原神社などが祀られている。

更に後方には玉垣で囲われた禁足地があり、その昔は天日槍廟所と称されていたようで、禁足地に立ち入ると良くない事が起こるとか。

現在の伽藍は南北に長く、一ノ鳥居から続く長い参道始め、今でも十分広大な印象を持ちます。
幾度となく火災に見舞われ、規模や配置なども変わっていったようです。
古来の伽藍は更に大きな規模を誇ったようで、西方向に流れる出石川付近では古い鳥居の遺物が掘り出され、神門の横に安置されています。因みに発見された場所の地名は出石町鳥居として残っている。
往古は東西に長い社地を誇っていたようです。

当日は祈祷や、ウォーキングイベントも重なり、撮影には随分待つことが多く、境内も賑やかでした。
しばらく時間を待っていると賑やかだった境内はいつしか静かさに包まれていた。
「但馬國一宮出石神社」
建立 /   不明(現社殿1914年の造営)
主祭神 /   伊豆志八前大神、出石八前大神、天日槍命
境内社 / 夢見稲荷社、比売社、市杵島比売神社、菅原神社、
所在地 /  ​ 兵庫県豊岡市出石町宮内99 ​​

出石神社を後にして出石市営西の丸駐車場まで10分程の移動時間、目的は出石そば。

出石町は「古事記」「日本書紀」にも記されている程の歴史ある町で、但馬の小京都とも称されるだけに
どことなく京都の雰囲気が漂う落ち着いた街並みが残っている。
但馬開発の祖神とされる新羅の王子天日槍は垂仁天皇3年(BC27年)に渡来し但馬を拓いたと伝えられ、町名の出石は天日槍の宝物『出石小刀』からきているとされる。
古くは但馬の国衙が置かれたとも伝えられ、それらを裏付けるように袴狭地区の田多地公園付近の遺跡から祓いの道具(人形や斎串)が発見されているという。

辰鼓楼
大手前通り沿いに建ち、マンホールにも描かれている出石町のシンボル的な建物。
1871年(明治4 )旧三の丸大手門脇の櫓台に1881年大時計が寄贈され以降は時計台として親しまれている。現在の時計が3代目で今も時を刻み続けている。
写真を撮っていると観光協会の方だろうか、他府県の新聞を手に最近記事として取り上げられた事を説明してくれた、地元に住む者のシンボルとして辰鼓楼やこの街並みを大切に保存していると熱く語ってくれた。
古いものは取り壊し建て替える都会では、子供の頃に見慣れたシンボルは残っていないものです。
幼稚園の散歩コースなんだろう、辰鼓楼を指さして通り過ぎて行く子供たちがいた。
彼らが大きくなり、辰鼓楼はじめ情緒ある町並みに誇りを持ち受け継いで行ってくれると思いますよ、そう話すと「そうなんだよ、取材があるから」と云って立ち去って行った。
熱く語れるものがあって羨ましい限り、我が町の誇り?あったかな。

下はこれも出石町のシンボル出石城跡の登城橋。
1604年(慶長9)、出石藩主小出吉英により有子山の麓に築城された城で、この城と共に城下町が整備され
現在の町並みが作られていった、小出氏、松平氏、仙石氏と城主を代えながら、1868年(明治元)廃藩置県により城が取り壊されるまで威容を誇っていました。
それでも辰鼓楼や野面積みの石垣、堀などは残り、1968年(昭和43)隅櫓、1994年(平成6)登城門など復元され、登城橋河川公園として出石の観光スポットになっているようです。
城下街の名残を強く感じる街並みを出石そばを目指し徘徊する。
街並みには歳月を経た赤い土壁や酒蔵が残り、昨晩堪能した地酒「楽々鶴」の蔵元(右上)もある。
出石明治館(右下)
城下街に明治の香りが漂う建物は、1887年(明治20)に郡役所として建造された木造洋風建築の建物で、桜井勉をはじめ郷土の偉人を伝える出石明治館として残っている。
街並みに溶け込む様に小さな地蔵堂や稲荷などが点在し、これら見て廻るだけでも歩く楽しみがある。
出石そば
街にはとにかく蕎麦屋が多い、その数は50軒ほどあるらしい、
そもそもが1706年(宝永3)、出石藩主松平氏と信州上田藩の仙石氏の国替えにより、出石でも食べ慣れた「蕎麦が食べたい」と信州からそば職人を呼び在来のそばに信州の技術に加え誕生したのが出石そばの発祥だとされます。
そんなことで少し歩けば蕎麦屋にあたる、どこで食べようか迷うところです。
彷徨った挙句、お地蔵様の近くにある「そば庄 鉄砲店」を選択。
割り子そばの様に出石焼きの小皿に盛られた蕎麦、出石そばの特徴といってもいい。
五枚一組が一人前で、わさび、ねぎ、大根おろし、とろろ、玉子などの薬味に徳利に入れられた鰹と昆布の出汁でいただく、もちろん蕎麦湯も出してもらえます。
小さな小皿に盛られた蕎麦が机に並ぶ、朝食を普段以上に食べた事もあり5枚の蕎麦は手ごわかった。
食べ歩きスタンプラリーもあるようですが今日は無理。
美味しく個性的なそばを頂き、この遠征がとても充実したものになった。

さて十分すぎるほどお腹は満たされた、腹ごなしにもう少し散策を続ける。


上左
天満宮 
九州大宰府天満宮の分社で祭神は菅原道真。
明治の初めの神仏分離に伴い現在地に祀られたものだという。
所在地 / ​ 兵庫県豊岡市出石町材木25
上右
呉服神社
京都の祇園社より勧請したもので、勧請年月日は不明。
祭神は織物の神、袴幡千々姫命を祀る、現在の社殿は明治の大火災で焼失以降に再建、大正6年に本殿改築、昭和6年に鳥居や狛犬が建築されたもの。
所在地 / ​ 兵庫県豊岡市出石町魚屋43

諸杉神社
式内社で、旧社格は県社。
有子山北麓の出石城東に鎮座し、創建は不詳。
社伝によれば、当初は出石神社近くの水上村に鎮座していたとされ、この地に遷座したのは1574年(天正2)の頃とされる古くから鎮座する神社。
こちらも両部鳥居でその先に拝殿、本殿と続く、特に本殿の各所に施された彫飾りは見る価値がある。
境内には川上神社、天神社、厳島神社、社日神社、新田神社、三柱神社、八幡神社、稲荷神社、大國神社など境内社が多く祀られている。
創建 / 不明
祭神 / 多遲摩母呂須玖神
所在地 / ​ 兵庫県豊岡市出石町内町28


町内にはこうした寺社が集中しあっという間に時間が過ぎ去っていきます。
1日そばを食べ歩き、寺社を巡る、ゆっくり滞在したい場所かもしれない。
とはいえ帰りの時間を考えると最終目的地「但馬一宮粟鹿神社」に移動しなければ、走り出すか。

出石市営西の丸駐車場
所在地 / ​ 兵庫県豊岡市出石町小人129-19


次の目的地、粟鹿川左岸に鎮座する但馬一宮粟鹿神社まで移動時間はほぼ1時間程の工程です。


社頭駐車場へは粟鹿川に架かる趣のある橋を渡った右に無料の参拝者駐車場があります。

社伝によれば
粟鹿の名の由来は粟をくわえた鹿が粟鹿山から現れ、人々に農耕を教えたと伝えられ、その鹿が祀られているとされるのが但馬国随一の古社粟鹿神社、2000年以上の歴史を持つとも云われるそうだ。
町名も神社から来ているのかもしれません。

駐車場から鳥居はすぐそこ、石の明神鳥居には大きな「粟鹿神社」と記された額が架かる。
鳥居の先の参道には勅使門と奥に髄神門が見えている。

勅使門
その名の通り勅使が神社に参向の際出入りする門、記録から4回の参向があったという。
建立年は不詳で屋根は以前は檜皮葺だったようで、過去に幾度が火災に見舞われながら免れてきた門。
シックな佇まい唐様の門で、特に扉は長い時間の経過を感じさせてくれる。

髄神門(日の出門)
瓦葺の随身門は入口側には一対の随身像、内側には狛犬一対が安置され、それらは朝来市指定有形文化財に指定されているもの。
こちらの髄神門も長い時間の経過を感じるもので、そろそろ何とかしないといけない時期に来ている。
門をくぐった左側に天満宮、拝殿右に猿田彦神社が祀られている。

苔むした狛犬が守護する社殿の全景。
手前の拝殿と奥に1880年(明治13)造営の流造の本殿と並び、本殿の後方には小高く盛られた小山が見える。こんもりは怪しいよね。
この小山は日子坐王の墓だと伝わるようで、古墳調査も行われていない神聖な場所のようです。
古くから国土開発の神とされ崇敬されてきた。
神社境内には由緒書きはなく創建は不詳です。
主祭神は天美佐利命、日子坐王命、日子穂穂手見尊
配祀神が阿波奈岐尊、伊弉奈岐尊、天照大御神、籠神、鵜草葺不合尊、月讀尊、素盞嗚尊、豊玉姫尊
社殿左に境内社が複数祀られていて、床浦神社(大己貴神)、稲荷神社(保食神)、厳島神社(市杵島姫命)、茗荷神社(草野姫命)が点在する。

但馬一宮としてそれなりの参拝客を想定していました、しかし訪れる方は意外に少なかった(この御時世だからと思いたい)。
静寂で神々しい空間に包まれた神社とするのもいいけれど、歴史のある神社や寺など修復の手が届いていない姿を見ると、どうなんだろうといつも思う。
我々からお国が取り立てていった年貢、有効に使われているのか疑問に思う事が多いだけに、尚更そう感じる。多くの参拝客が訪れ、賽銭や御朱印で潤えばいいのだが、どこも実態は苦しいのではないだろうか。

但馬一宮 粟鹿神社
所在地 /   ​ 兵庫県朝来市山東町粟鹿2152

これで今回の二泊三日で岡山・鳥取・兵庫「一ノ宮巡り」の予定は全てコンプリート、欲を出して竹田城まで行きたいとこですが、ここから高速に乗り名古屋に帰る事にします。
この三日間、日本海の先にある大陸の香りを感じることも多かった、砂丘や柱状節理等自然の圧倒的なパワー、我が町を熱く語れるパワーを見せつけられ有意義な小旅行でした。
かみさんも今回参拝した神社を塗り潰す事が出来て満足気です。
総走行距離は1000k越え、燃費の悪い愛車も良く頑張ってLiter/8km程度走ってくれました。

関連記事 / 二泊三日で岡山・鳥取・兵庫「一ノ宮巡り」​ day1 ​ /  ​ day2





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Last updated  2022.02.09 08:52:33
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