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2021.11.27
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印

街中の大きな一ノ鳥居から続く石畳の参道は杜に続き、社殿は町を見下ろす高みに鎮座する。

住宅街に一ノ鳥居があり、そこから続く石畳は狛犬が守護する石段に続きます。
石段付近は駐車場になっていて、駐車場はここ以外にも右手の坂を上がりきった所、一の鳥居から2~3分離れた場所の3か所が用意されているようです。

石段は比較的緩やかでここまでの段数はありません。
右に「國弊中社宇部神社」の社号標。

石段前を守護する狛犬。

そこから一の鳥居方向の眺め。
石段を上ると境内は杜に包まれ既に灯篭には灯が灯っています。
参道はここから左に続きます。

正面にニノ鳥居とその先に石段が続く。

ニノ鳥居の額「因幡一宮宇倍神社」
鳥居右には県指定無形文化財の「宇部神社獅子舞」と同有形民俗文化財「宇部神社御幸祭祭具」の解説。

参道の石段は大きく三つに分かれていて、最初の石段を上ると常夜灯が並び、参道左側に素朴な形をした天保14年(1844)と刻まれた灯篭がある。

杜に包まれた参道の先に境内が見えてきた。
「頑張ろう日本 丑の歩み着実に 疫病退散」の大きな幕、毎年こうした世相を表す幕が張られるようです。
次々に変異を繰り返す見えない脅威、委縮しなくてもいい世の中が訪れる様、個人でやれることを実践する以外に動いていかないのかも知れない、牛の歩みの様に。

正面に拝殿の全景が見えてくる、境内は拝殿右に神饌所、手前右に真新しい参集殿と授与所。
境内左脇に手水、社務所、拝殿の左に双履石、国府神社が鎮座している。

上が手水鉢、訪れた時は整備中、手前に仮設の手水が用意されていた。
この水は七宝水(しっぽうすい)と呼ばれ七つのご利益を授かる事ができるそうで、平安時代には百人一首にも詠まれ、病や延命長寿の霊験があらたかで他には飲用すれば美人になるという不思議な水。

下が社務所。

宇倍神社の創建は古く、648年(文化4)の創建だという、
幾度か盛衰に伴う再建や兵火に見舞われ、1581年の羽柴秀吉の鳥取城攻めで社殿全てを焼失。
現在の社殿は、1898年(明治31)に完成しました。

入母屋造妻入の向拝屋根を持つ拝殿と切妻造妻入の幣殿、その先の本殿は1898年のもので三間社流造の正面に縋破風向拝が付き、斜めから見る姿は優美なものがある。

祭神は武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)で第十二代景行天皇から成務、仲哀、応神、仁徳天皇の5朝に仕えたとされ、信じられない程長命の方。
歴史上最初の大臣と云われ、そうした事から長寿の神、子供の神、大臣の神とされ、端午の節句の武者幟でもお馴染み。

1899年(明治32)には全国の神社としては初めて、祭神の武内宿禰命と社殿が五円紙幣にデザインとして採用され、その後も大正、昭和と紙幣の図柄として取り上げられ、お金に縁がある事から商売繁盛の神様としても崇敬されているそうです。

石段脇に右近のたちばな、左近のさくらがありますが樹齢はそれほどでもないようです。

当日は早目の七五三の御祈祷を受けに訪れる客も多かった、本来はもっと参拝客で賑わうはずの神社。
多いとはいえ、まだまだこうして写真が撮れるのだから参拝客は少ないのかもしれません。
上は社殿全景で下が流造本殿。
本殿後方の小高い場所の頂が武内宿禰命の昇天の地とされる双履石がある。

社殿域は一段高く石垣が一段高く積まれ、周囲を玉垣で囲い門の目の前が拝殿。
向拝柱の像の木鼻彫刻と拝殿額、幣殿には個性的なユニコーンの様な狛犬も見えていましたが参拝者も多くこれより下が撮れなかったのが残念。取り敢えず参拝させてもらいました。

拝殿左側には、「福徳亀」と呼ばれる亀に似た石があり、撫でると願いが叶うと信じられている。
右には金色に輝く飛翔の鳥、これも撫でると願いが叶うのか?


苔むした檜皮屋根の神門と拝殿脇の由緒書き。
栞のフォントは老眼の始まった自分にはつらいけれど、こうした解説が多数掲げられているはありがたい。
神饌所
「宇部神社は平安時代には鳥取県で唯一の名神大社、因幡國一ノ宮として崇敬され、明治4年に国幣中社に列せられた」


本殿左に頂に続く石段があります、これを上りきり奥に進むと玉垣に囲まれた石「双履石」に続きます。

解説は以下
「武内宿禰命第十二代景行天皇から仁徳天皇までの五朝にお仕えされ、大臣の祖として日本の国造りに御活躍の後、仁徳天皇五十五年春三月、この亀金の岡に双履を遺し360余歳でお隠れになりました。
その石を双履石と称し命御昇天の霊石として今に伝わる当社の原点です」

ここは日本一長寿の神さま御昇天の地で宇部神社発祥の地という事の様です。
であるならば、この石段を上り岡に向かうしかない。

最初の石段を上りきると右方向に僅かばかりの石段があり、その先に玉垣が見えている。
少しばかり歩きを覚悟していたが意外に近かった、丁度本殿の斜め後方あたり。

双履石周辺は樹々に包まれ薄暗く、玉垣の中には二つの石があります。
薄暗い杜に木漏れ日で照らし出される双履石を見ると特別な空間なのが感じ取れます。

双履石から右手を眺めると本殿を良く見渡す事ができる。
入口から双履石は見通せないので遠いと思って諦めずに最初の石段を上ってみて下さい。

国府神社
双履石入口の左から奥に続く参道があります。
ここも境内から見通せない位置なので見落としがちになる。
奥に続く参道には常夜灯とその先で苔むした狛犬が拝殿を守護しています。

国府神社正面全景。
瓦葺の妻入りで向拝を持ち、シックな外観の拝殿。

元々は宮下神社と称して、建御雷神と宇迦之御魂命を祀っていたそうです。
1918年(大正7)、近隣の坂折神社(日本武尊)、小早神社(速佐須良比咩神)、下山神社(武内宿禰命)、白山神社(伊弉諾尊、菊理姫命)、上神社(武甕槌命)、安田神社(土御祖神、奧津彦命、奧津姫命)の6社を合祀し国府神社に改称したようです。

この辺りの境内は苔が多く、地面は苔のカーペットを敷き詰めたよう。
足に伝わる石段の固い感触から苔のふんわりした優しい感触が伝わってくる。


拝殿前の苔むした狛犬。
大きなものではないが随分古そうで、阿形の足元に寄り添う子の姿が妙に魅かれる。

拝殿に掲げられている額、拝殿のシックな外観にマッチした違和感のない意匠のもの。

祭神は以下。
建御雷神、日本武尊、速佐須良比咩神、武内宿禰命、伊弉諾尊、菊理姫命、土御祖神、奧津彦命、奧津姫命、宇迦之御魂命の10柱が祀られています。
ここに男女の神が10柱、狭いような賑やかな様な。
創建等は不明ですが、現在の社殿は恐らく宇部神社と同時期に再建されたものかと。

拝殿左から本殿後方に回り込め、そこから社殿が一望できます。
周囲にはもみじも多く、訪れた時にはまだ青々としていましたが、今頃は鮮やかに色づいている事でしょう。

長い歴史を持つ因幡一宮宇部神社、杜に包まれ落ち着いた佇まいの社殿は一ノ宮の風格が漂う、個人的には双履石と国府神社の雰囲気が印象に残ります。


創建 / 648年(文化4)
主祭神 / 武内宿禰命
境内社 / 国府神社
所在地 / 鳥取県鳥取市国府町宮下651
駐車場 / ​
鳥取県鳥取市国府町宮下1008





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Last updated  2021.11.27 18:58:49
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