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2017年12月10日、福岡天神から西鉄の電車に乗って、福岡県大牟田市に行きました。大牟田市の公式キャラクターは「ジャー坊」です。大牟田の夏祭りである大蛇山祭りの蛇の化身で、炭鉱の人たちからもらったヘルメットとつるはしを持ったデザインです。大牟田には世界遺産に指定された場所があり、最初に明治日本の産業革命遺産を構成する「三池港」を見ようと思い、行先を確認せず急いでバスに乗ると、三池港ではなくイオンモールに行ってしまいました。三池港へ行くバスは便が少ないとの事です。モールの先にある石炭産業科学館を見るかどうか迷いましたが、別の遺産を見るためにバスで大牟田駅まで引き返しました。↑ 大牟田市公式キャラクターのジャー坊。↑ 西鉄大牟田駅。↑ 明治日本の産業革命遺産 三池炭鉱関連資産。↑ 西鉄の特急電車。↑ 大牟田駅前。↑ おおむた観光案内所。↑ ジャー坊の紹介。大蛇の化身。炭鉱のまちの人々からもらったつるはしとヘルメットがお気に入り。↑ 全国ご当地キャラエントリーをした。 (2018年は、四日市市のこにゅうどうくんと競っていた。結局2位になった。)↑ 大牟田大蛇山祭りの大蛇。↑ 大蛇の山車。↑ 大量の花火や煙幕を山車に付けて、練り歩く祭り。↑ 大牟田市の世界遺産マップ。↑ 三池港。↑ 世界遺産の三池港を見に行こうと思い、バスに飛び乗った。↑ 終点はイオンモールだった。↑ 行先をよく確認すれば良かったと後悔。モールの先に石炭産業科学館があるが、今回は大牟田駅に戻る。
2018.11.21
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子供達は時々、沖縄に遊びに行ってはお土産を買ってきます。長女が那覇や伊江島で買ったお土産です。伊江島の手作りピーナッツ糖は美味しく、すぐに空になってしまいました。↑ 手作りピーナッツ糖。 封を開け、食べかけている所。
2018.09.14
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2018年7月24日、博多駅前で九州ビーム祭があり、「博多いちじくとよみつひめハイボール」を飲みました。ほのかに甘かったです。
2018.08.23
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2018年7月3日に福岡・博多駅でお土産を買いました。「努努鶏(ゆめゆめどり)」は冷やして食べるから揚げで、「決して温めないでください」と書いてあります。「梅ヶ枝餅」は太宰府天満宮で有名な餅です。↑「努努鶏(ゆめゆめどり)」。729,000円の人形。↑ 「梅ヶ枝餅」。大宰府名物。
2018.08.22
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2018年7月24日に福岡へ行き、博多駅でネジチョコ(Chocolate bolt)を購入しました。ネジチョコは北九州市の「グランダジュール」が販売しています。雄ネジと雌ねじにはらせん状の溝があり、回すとちゃんとはまります。チョコと、ココアパウダーで錆びを表現した2種類があります。家に帰り、家族で食べました。↑ ネジチョコ。(chocolate bolt)
2018.08.10
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2018年7月3日に台風7号が九州地方に接近したため、交通機関に混乱がありました。博多駅では鉄道の遅延が発生し、テレビ局が改札前で中継をしていました。博多駅の横には、博多祇園山笠が飾られていましたが、雨のため一時閉鎖になっていました。予約をしていた福岡発羽田行きの飛行機が欠航となり、最終便に振り替えて東京に戻ってきました。欠航便は台風の強い風のため福岡空港に着陸できず、そのまま羽田に引き返したそうです。結局、午前様で家に帰りました。↑ 博多駅改札前。↑ 博多祇園山笠。↑ ゴリパラ見聞録。↑ 激しい雨と突風が吹く福岡空港。↑ 20時の20分前に、欠航の発表があった。ゲートを戻り、カウンターで手続きをし直す。↑ 21時20分発にチケットを変更して待っていた所、飛行機が到着し、羽田に戻ることができた。この便が欠航したらどうしようか、待つ間考えていた。
2018.07.04
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JR九州の観光列車「或る列車」が14時53分に長崎駅を出発するので、写真を撮ろうとグラバー庭園から急いで路面電車で長崎駅に行くも間に合わず、2分前にすでに出発していました。残念ですが、またいつかチャンスがあれば撮影したいと思います。路面電車で引き返し、「出島和蘭商館跡」を見学しました。出島は1636年にポルトガル人の住居用に造られた人工島ですが、1639年に鎖国令が出され、ポルトガル人は入国禁止になり、その後1641年に平戸のオランダ商館が出島に移されました。ここは興味を引くものが沢山ありすぎ、困るほどです。特に面白いと思ったものを一部紹介します。① ヘトル部屋の上に造られた物見台。有名な川原慶賀の「蘭船入港図」には、物見台でオランダ人が望遠鏡で長崎に入港するオランダ船を覗いている姿が描かれています。絵の中の白い服の男性はシーボルトで、その横が妻の滝、子供のイネと言われています。② 天球儀(1844年)。天球を外から見たように描かれているため、地上から見る星座とは逆です。絵を見ていると、ヘルクレス座のそばに「ケルベルス座」が描いてあるのに気付きました。「ケルベルス」は頭が3つある地獄の番犬です。天球儀では、犬ではなく蛇として描かれています。今は全天88星座に決まったため「ケルベルス座」は消滅し、ヘルクレス座に含まれました。③ 阿蘭陀通詞・木本正英の英和辞書、仏日辞書、蘭日辞書など。よく辞書を作ったなと感心します。↑ 出島和蘭商館跡。↑ 川原慶賀の「蘭船入港図」。白い服のシーボルト、その右は妻子の滝とイネと言われている。↑ ヘトル部屋(次席商館長の部屋)に造られた物見台。↑ 夜に撮影した物見台と冬の星座。オランダ人も夜に物見台から星を見たかもしれない。↑ 水門。出島で取引される品物は、全てここで荷揚げ、積み込みが行われた。↑ 塀。↑ 出島の街並みが少しずつ復元されている。↑ オランダ一番船船長の部屋。一般の船員は、係留の船中で生活したらしい。 ↑ 一番船船長の部屋。↑ 一番船船長の部屋。↑ オランダ商館員の部屋。一等書記官ヘルマヌス・スミットが出島で亡くなり、遺品が競売にかけられて持ち物リストが残り、それを元に部屋の再現ができたとの事。↑ オランダ商館員の部屋。↑ 輸出される伊万里焼。↑ 地球儀。↑ 天球儀(1844年)。星座の絵が描かれている。↑ 右下に「ケルベルス座」がある。現在は全天88星座になり、「ケルベルス座」は消滅した。ヘルクレス座の横に蛇の絵があったので気が付いた。↑ みなみじゅうじ座、みなみのさんかく座など、南半球でしか見られない星座が描いてある。↑ 左側にろくぶんき座、りゅうこつ座など、遠洋航海に必要な道具や船の一部の名前がある。オランダと日本を、喜望峰、インド洋、マラッカ海峡、東シナ海を通り、星の位置や時計を使い、緯度、経度を確認しながら航海してきた事を考えると、驚きでいっぱいの気持ちになる。↑ 出島を通じて日本にもたらされたものとして、ビールやジンの酒類、コーヒー、チョコレート、ドロップ、バター、チーズ、ハム、ソーセージ、カメラ、レンズ、時計、ピアノなど多くの物がある。↑ 出島から日本に、象、ラクダ、ハリネズミ、オラウータン、ロイアルト(ナマケモノの一種)などが紹介された。↑ 出島から日本に持ち込まれた砂糖は、長崎から小倉へ運ばれたが、その街道では砂糖菓子の文化が花開いた。↑ シーボルト著「日本」。シーボルトが1823年~1829年まで日本で収集した資料を元に出版した。↑ シーボルト著「日本」。↑ 阿蘭陀通詞の本木正栄らが編集した英和辞書。4年かけて1814年に完成。↑ 英和辞典。トリモチ(birdlime)、官名(教主)Bishop、ビスコイト(ビスケット)biscuit、くつわ bit など、当時良く使われた言葉なのかなと想像する。↑ 佛郎察辞範草稿。阿蘭陀通詞の本木正栄が商館長ヘンドリック・ドゥーフの指導のもとに1804年過~1817年に編纂した仏日辞書。↑ フランス語と日本語で、月の名前が記載されている。↑ ドゥフ・ハルマ辞書。商館長ヘンドリック・ドゥーフと阿蘭陀通詞で作った蘭日辞書。↑ 杉田玄白の蘭学事始。杉田玄白らの解体新書。↑ 出島の土の中から見つかった西洋陶器のかけら。↑ オランダ・デルフト陶器。↑ オランダ・マッカム焼き。 オランダの友人がマッカムに住んでいて、年賀状を送っている。↑ 出島の遊女の紹介。↑ 川原慶賀の「蘭船入港図」。この絵は気に入っている。↑ ビリヤードをしている。↑ オランダ人の食事。
2018.03.21
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長崎の大浦天主堂、グラバー庭園、そして三菱重工長崎造船所に入渠するLNG運搬船の写真です。グラバー庭園はあまりにも有名な場所なので、内部の写真は割愛します。大浦天主堂の先にグラバー庭園があります。庭の一番高い所には、旧三菱第二ドックハウスがあり、これは対岸の第二ドックのそばにあった建物を移築したものです。上野彦馬が撮影した坂本龍馬の等身大のパネルがありました。旧グラバー住宅では、グラバー氏と妻つるの写真が紹介されていました。LNG船が三菱重工長崎造船所に入渠するため港に入ってきました。タグボートが船の方向を変えて、入渠できるようにしていました。↑ 大浦天主堂。修理中。↑ グラバー庭園の丘を登っていく。↑ 旧三菱第2ドックハウス。対岸の第2ドックそばにあった建物を移築した。↑ 第2ドックハウスからの景色パネル。世界遺産の建物が紹介されている。①長崎造船所・第3船渠。②長崎造船所・占勝閣。③長崎造船所・旧木型場。④長崎造船所・ジャイアント・カンチレバークレーン。↑ 坂本龍馬の等身大写真。↑ 上野彦馬が撮影した。↑ ドックハウス前の公園。↑ 西洋料理発祥の碑。↑ 旧グラバー住宅。↑ グラバー氏。↑ 妻のつる。↑ 稲佐山と長崎造船所。↑ 長崎造船所第2ドック。↑ 第2ドックの中。↑ 三菱重工長崎造船所・香焼(こうやぎ)工場。右側の小さい島は、髙鉾島。↑ LNG船が入ってくる。↑ タグボートが船体に近づく。↑ 右舷にもタグボートが近づく。↑ LNG船が造船所前に来た。↑ タグボートの力を借りて、船体の方向を90度変える。↑ ヤードに向かう。↑ ボウリング発祥の地。
2018.03.19
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軍艦島(端島)に上陸しました。2001年に三菱マテリアル株式会社から長崎市に島の所有が移り、今は市が許可した見学通路しか通ることができません。軍艦島は1974年1月15日に閉山し、同年4月20日に全ての住民が島から離れました。身の回りのものしか持ち出すことができず、部屋にある生活用品、家電製品はそのまま置いて行かざるを得なかったそうです。部屋には当時の物が置いたままになっています。坑内での事故に巻き込まれないよう、家族はいつも心配していたそうです。隣の家の音や声も良く聞こえ、トイレで出した物が下水管を通ってアパートの下まで落ちるのですが、その音も筒抜けだったそうです。プライベートはあまりないものの、共同生活をしている分、人間関係はとても強かったという話を聞きました。今後、見学コースが拡張される可能性もあり、その時はまた行きたいと思います。↑ 船が軍艦島のドルフィン桟橋に接岸し、皆が島に上陸した。↑護岸の石積みは、「天川(あまかわ)の護岸」と呼ばれ、石灰と赤土を混ぜた天川(あまかわ)という接着剤を使った石積みになっている。 ↑ 赤いレンガの建物は、総合事務所跡。↑ 事務所跡の中には、共同浴場があった。炭鉱作業者は真っ黒になった体を、海水の風呂で綺麗にし、最後は別に造られた真水の風呂に入って出たとの事。↑ 丘の上には燈台と水の貯蓄槽がある。下は第二竪坑桟橋跡。↑ 第二竪坑桟橋跡。ほとんど建物が崩壊しているが、ここには巨大な鉄の櫓(やぐら)が建っており、巨大な滑車が設置され、巻き付けたワイヤーロープで作業員を載せたケージが昇降していた。↑ 石炭の採掘がされていた頃は、24時間操業で島全体が不夜城の状態だったので、燈台は無かった。閉山後に島に光が無くなったので、船舶航行用に燈台が設置された。↑ 会議室、鍛治工場。↑ 見学ルートが決まっており、島の南東部分だけが認められている。↑ 左は仕上工場跡。その横は1916年(大正5年)に建てられた30号棟。↑ 30号棟は鉱員住宅で、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りの高層アパート。↑ 植物が生えている。↑ 劣化が激しい。↑ 台風の影響が大きく、窓も壊れたまま。↑ 右は30号棟、真ん中は26号棟、左は31号棟。↑ 天川の石積み。↑ 建物の劣化が激しい。↑ 奥は端島小中学校。左は65号棟。↑ 学校の窓。↑ 1958年(昭和33年)にできたこの小中学校は、5階と7階が中学校、6階は講堂、図書館、音楽室。4階から下は小学校。1970年(昭和45年)には体育館や給食施設も新設された。給食を運ぶエレベーターもあった。右側にある連続した支柱枠は、石炭を貯炭場に運ぶためのベルトコンベアーの支柱。↑ 端島小中学校を東側から撮影。↑ 台風から島を守る護岸。丘の上は端島神社の祠が見える。↑ アパートの階段。↑ 各棟を結ぶ渡り廊下が沢山造られており、一階まで下りなくても良い。端島神社の鳥居と祠。↑ 土地が無いので、9階建てのアパートの屋上に幼稚園が造られた。ウォータースライダー付の滑り台がある。最盛期は200人近い幼稚園児がいたとの事。↑ 人が住まなくなり、植物が生きている。
2018.03.18
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遊覧船から軍艦島の周りを見ることが出来ました。1974年(昭和49年)に炭鉱を閉山し、住んでいた人たちが島を離れることになりました。軍艦島は東西160m、南北480m、周囲約1,200mの小さな島ですが、約5,000人の人たちが生活していました。島には炭鉱施設はもとより、日本最古の鉄筋コンクリート造りの高層アパート、小中学校、病院、商店、映画館、パチンコホール、スナック、遊郭、屋上菜園、郵便局、共同浴場、海底ケーブル、海底水道などの施設があったことに驚きます。↑ 軍艦島全景。↑ 島の南側。先端部分には1958年にできたプールがあった。25mプールと幼児用プール。画面左の建物は30号棟で、1916年(大正5年)に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート造りの高層アパート。↑ 右側30号棟の横は、31号棟アパート。↑ 許可を得て釣をする人たち。↑ 30号棟、31号棟、端島燈台。↑ 31号棟。↑ 上にある建物は3号棟の職員社宅(幹部用、風呂付)↑ 51号棟。↑ 48号棟。↑ 59号棟。↑ 60号棟、61号棟。↑ 島の北側。↑ 端島小中学校。↑ 65号棟。↑ 端島病院。
2018.03.17
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長崎の港から予約していた船に乗り、「軍艦島(端島)」に行きました。長崎港から19km沖合にある海底炭田がある島で、1974年に炭鉱は閉鎖されましたが、2015年に産業遺産として世界文化遺産に登録されました。長崎港からは三菱重工長崎造船所を見ながら沖へと進みます。途中は波が高く、船の窓側は防波用のシートで被われました。30分もすると、軍艦島(端島)が見えてきました。↑ 常盤桟橋。↑ 予約していた船に乗る。↑ 長崎港。↑ 稲佐山。↑ 液化天然ガス(LNG)運搬船.↑ 三菱重工長崎造船所。↑ ミサイル護衛艦「しらぬい」。↑ ミサイル護衛艦「あさひ」。↑ ミサイル護衛艦「あしがら」。↑ ミサイル護衛艦「あしがら」。↑ ドックヤード。↑ ながさき女神大橋。↑ 神の島協会と岬のマリア像。↑ 岬のマリア像。↑ 伊王島大橋。波が高いので、波除けの透明シートで覆われた。↑ 軍艦島(端島)が見えてきた。
2018.03.15
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長崎の平和公園に行きました。小学校の修学旅行以来です。長崎の彫刻家・北村西望氏の平和祈念像、平和の泉にある少女の手記が刻まれた石碑を見ました。ここは長崎刑務所浦上刑務支所があった所で、その跡が紹介されていました。浦上天主堂に行こうとして公園の横を下ると、美しい紅葉が目に入りました。↑ 長崎平和公園。↑ 長崎の彫刻家・北村西望氏の平和祈念像。↑ 平和の泉。↑ 平和の泉にある少女の手記の石碑。↑ 公園入口にある案内図。↑ 長崎刑務所浦上刑務支所跡。↑ 公園の横にあった降り口。↑ 紅葉が美しかった。
2018.03.14
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長崎・稲佐山山頂を21時30分過ぎに出発し、道なりに下っていきました。浦上川を越えて出島まで行くと、復元された商館の物見台の上には、オリオン座と冬の大三角がはっきり見えました。23時頃に出島近くのホテルに入り、やっと荷物を降ろしました。その後思案橋横丁まで歩き、特製皿うどんを頂きました。↑ 長崎・稲佐山山頂。↑ 稲佐山を歩いて下る。誰にも会わない。↑ 時々、夜景が見える。↑ 途中で淵神社行きの路地の階段があった。↑ 稲佐山の斜面に、沢山ホテルが建っていた。↑ どんどん下る。↑ 旭大橋。↑ 旭大橋で浦上川を越える。↑ 路面電車。↑ ひたすら歩く。↑ 出島和蘭商館跡が見える。↑ 出島和蘭商館跡↑ 商館が復元されている。↑ ヘトル(商館長次席)部屋。屋根に物見台がある。↑ 物見台の上には、オリオン座と冬の大三角が見える。↑ 旧長崎内外クラブ。↑ 旧長崎神学校。↑ 長崎・思案橋横丁。↑ 思案橋横丁。↑ 中華料理屋 よこはま。↑ 皿うどん。美味しかった。
2018.03.13
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長崎市・稲佐山山頂からの夜景です。途中から稲佐山展望台に登り、再度写真を撮りました。寒くて震える中で写真を撮ったところ、手持ちのため、ほとんどぶれてしまいました。沢山撮れば、中にはぶれない写真もあると考えて撮ったため、似たような写真が多くなりましたが、ご容赦下さい。↑ 長崎港の1,000万ドルの夜景。↑ 夜空に見える星座はオリオン座。↑ 稲佐山電波塔。↑ 稲佐山展望台の中のパネル。↑ 福山雅治さん。長崎市出身。↑ 電波塔は色々な色にライトアップされていた。↑ 展望台の屋上。↑ 展望台から改めて写真を撮る。↑ 長崎女神大橋。
2018.03.12
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2017年12月1日、佐賀駅から787系つばめに乗り、長崎駅に行きました。長崎1,000万ドルの夜景を見たくて稲佐山ロープウェー淵神社駅にいくと、残念ながら修理のためロープウェーは休止中でした。ロープウェーならば5分で山頂に行けると考えて10キロ以上ある荷物をそのまま持ってきたのですが、駅のロッカーに入れておくべきだったと後悔しました。二つのカバンを肩に掛けて稲佐山を目指すことにし、住宅街の細い路地の坂道を歩いて行きます。ライトアップされた電波塔と路地の景色を見ていると、学生の頃に住んでいた広島市南区にある黄金山の景色にとても似ていることに気が付き、驚きました。黄金山も山頂に電波塔があり、広島市内の夜景を撮影するため、夜に塔を見ながら住宅街の細い坂道を登って行った事を思い出し、懐かしい気持ちになりました。やっと大きな道に出たので、稲佐山に向けて道なりに進みました。稲佐山山頂から見る長崎の夜景は美しく、景色を堪能しましたが、冷たい風が吹き付けてくるので、ずっと震えていました。長崎駅から淵神社まで30分、淵神社から住宅街を通って大きな道に出るのに30分、そこから山頂まで30分で、結局1時間30分掛かってしまいました。↑ JR九州787系つばめ 長崎行き。↑ 特急つばめの自由席。↑ 長崎駅到着。↑ 長崎駅にある眼鏡橋の模型。↑ 葉加瀬太郎さんの「長崎夜曲」の紹介。↑ 長崎駅構内のクリスマスイルミネーション。↑ 長崎駅遠望。↑ 浦上川と稲佐橋。奥には稲佐山があり、赤い電波塔が見える。↑ 稲佐山ロープウェー淵神社駅。ロープウェーは運休でがっかりした。↑ 淵神社。↑ 淵神社から稲佐山まで歩くことにする。↑ くねくねと住宅街を歩く。↑ 広島市南区の黄金山への道を思い出す。住宅街を抜ける景色、雰囲気がとても良く似ている。↑ 荷物が10キロ以上あるので、荷物を左右均等にして肩に掛けた。後悔することしきり。↑ 細い道を進んでいく。↑ 稲佐山の電波塔が目印。↑ やっと大きな道に出た。↑ 住宅街を見ながら歩く。↑ ひたすら歩く。とても寒い。↑ 林の間から夜景が見えた。浦上方面。↑ 歩く人は私だけで、誰とも会わなかった。↑ バス停が近くにあった。↑ 稲佐山遊歩道に入る。↑ 稲佐山ロープウェー山頂駅。これが動いていたら、5分で来れたはず。↑ 電波塔。↑ 長崎市夜景。長崎の夜景を見るのは2回目。小学校の修学旅行で対岸の矢太樓(やたろう)というホテルに宿泊し、景色を見た記憶がある。
2018.03.11
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佐賀県鳥栖駅で必見なのは駅舎の支柱として使われている外国製古レールです。プラットフォームの支柱には、明治時代に製造されたイギリスCAMMELLS社、ドイツUNION社、KRUPP社の名前が入ったレールがあります。九州新幹線の新鳥栖駅ができましたが、急がないときは在来線で鳥栖駅に行き、レール支柱を見ます。駅前にはベストアメニティスタジアムがあり、サガン鳥栖のホームグラウンドです。駅の近くには明治38年(1905年)製造の268号機関車が展示されていました。↑ JR九州 鳥栖駅。↑ イギリスCAMMELLS社の古レールを使った駅舎の支柱。↑ 鳥栖駅前のベストアメニティスタジアム。↑ 鳥栖駅前。↑ 787系リレーつばめ。↑ 九州のサッカーチーム。↑ 268号機関車。 230型機関車として明治38年(1905年)北越鉄道用に造られ、鳥栖駅に来たものです。
2018.03.10
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第30回・関門海峡花火大会が、2017年8月13日19:50からスタートしました。門司側と下関側から花火が打ち上げられるため、両方の花火を楽しむ事ができます。門司の関門海峡ミュージアム近くから見ていましたが、当然ながら門司側の花火は大きく迫力ある姿を見ることができ、下関側の花火は遠いので、小さい花のように見えました。一部の写真を紹介します。↑ 門司の会場から関門橋を見る。↑ 対岸の下関側。海峡ゆめタワーや観覧車が見える。
2017.08.19
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門司が発祥とされる「焼きカレー」を食べました。ご飯の上にカレー、チーズが乗り、グラタン風にオーブンで焼いてありました。中には卵やクルミが入っています。お祭りで行列ができているせいか、焼きカレー代800円の他にチャージ料が500円上乗せされ、がっかりしました。↑ 門司で食べた焼きカレー。
2017.08.18
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鹿児島中央駅にアミュプラザ鹿児島という商業施設があり、屋上に観覧車アミュランがあります。15分で一周し、鹿児島市内がよく見えました。駅近くに「かごっまふるさと屋台村」があり、黒豚横丁という店で黒豚ヒレカツ定食を食べました。大隅半島の養豚場直営だそうです。大久保利通像を見て川沿いに歩き、維新ふるさと館に行きました。一番面白かったのは、君が代のメロディーをイギリス人のフェントンが作曲し、その曲を聴くことができたことです。今の君が代とかなり違いますし、洋風です。篤姫の部屋も再現されていました。↑ 鹿児島中央駅。↑ 観覧車アミュラン。↑ 足元が透明で、下もよく見える。↑ JR九州・鹿児島中央駅と新幹線。↑ ナポリ通り。↑ 天文館通り。↑ 桜島。↑ JR九州 787系つばめ。↑ かごっまふるさと屋台村。↑ 黒豚横丁で食事をする。↑ 黒豚ヒレカツ定食。↑ デザート。↑ 大久保利通像。↑ 維新ふるさと館。↑ 日の丸が制定された歴史。↑ 君が代の作曲の歴史。フェントンが作曲したメロディを聴くことができる。↑ 天璋院篤姫の部屋の再現。
2017.08.12
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指宿の砂むし会館「砂楽」で、砂風呂に入りました。15分くらいで汗びっしょりになり、その後お湯の温泉に入り直しました。1904年に与謝野晶子が夫の与謝野寛と指宿に旅行に来て、句を詠んでいます。砂風呂へ行く途中の壁に、二人の句が紹介してありました。↑ 砂風呂に入ったところ。↑ 砂むし会館「砂楽」。↑ 与謝野晶子の句。↑ 15分ほど入りました。
2017.08.11
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