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谷口氏のマンガを読むのはとても刺激的な体験でありますが、ふと我に返ると自分が一体何を読んでいるのか分からなくなる時があります。どうしてかなあとちょっと考えてみたのですが、もしかするとその緻密な描写に理由の一端があるような気がするのです。それはキャラクターと風景や事物などが等しい質感というか筆致で描かれて、吹き出しのないつまりはキャラクターが無言のコマが連続すると人物が背景に埋没してしまい、ドラマ性が消し飛んでしまうように錯覚されるのです。多くのマンガ家はその作品において、多くの場合キャラクターをコマの中で目立つように描写するものであって背景はキャラクターを引き立てるためや物語を効率よく語ることに殉ずるようです。しかし、谷口氏の描くマンガ作品ではどちらも等しく平等な密度で描かれるため、人物は風景の一部となってしまうように感じられるのです。谷口氏は世界にあって人というのは自然などと区別される存在でなどではなく、まるで他者というか宇宙人のような視線で世界を把握しているんじゃないかと思うのです。『猟犬探偵 第1巻』(集英社, 2011)『事件屋稼業 第1巻』(双葉社, 1996)『事件屋稼業 第2巻』(双葉社, 1996)『事件屋稼業 第3巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第5巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第6巻』(双葉社, 1997) さて、話はガラリと変わりますが、谷口氏のどの作品をもって代表作とするかは意見の分かれるところでしょうが、人口に膾炙している作品が『孤独のグルメ』であることを否定する人は少ないはずです。と書き出すといかにも酒場ブログらしく同作について語りだすかというとそんなことはなくて、同作の原作者である久住昌之氏が編集者が作画を熱望する谷口氏と引き合わせたのが国分寺「ほんやら洞」であったというのですね。酒場マニアにも喫茶マニアにも共に良く知られるお店でありますが、つい先日もマンガ家のいしかわじゅんが通い詰めたことを書いたばかりだったので、備忘のために記しておくことにしました。ぼくも何度かお邪魔しましたが、あの独特な緊張感が万年睡眠不足の稼業であるマンガ家さんにとっては睡魔から逃れるのに重宝されるのかなあなんて出鱈目なことを思ったのです。
2021/01/31
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「呑み処 けらあん」 北本「居酒屋 千秋」 桶川「居酒屋 のんべえ」 桶川「憩い」 見沼代親水公園「明石屋」 見沼代親水公園「自由亭」 川口元郷「れんこん」 戸田「焼鳥 みやこ」 つきのわ「いこい」 つきのわ「ひかり食堂」 つきのわ
2021/01/30
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谷口氏のマンガ作品の映像化について、ちょっと調べてみました。と書き出したはいいけれど、ぼくには谷口氏のマンガを敢えて映像化しようとする理由が良く分からないのであります。谷口氏が原作付きのマンガを多く執筆したことは、その業績を辿るまでもなく周知の事実でありますが、その逆、谷口氏の作品を果敢に映像化する映画作家なりの無謀さには、正直呆れる思いもあるのでした。 調べてみるとぼくの大好きな『事件屋稼業』もオリジナルビデオやテレビ用ドラマとして製作されていたのですね。こうして改めて作品リストを眺めてみてもちっとも見ていませんね。(OVA)『事件屋稼業』(1992).監督:福岡芳穂、出演:菅田俊(OVA)『男たちの墓標 事件屋稼業』(2000)、監督:小笠原直樹.出演:古尾谷雅人(TV)『事件屋稼業』(2013/14)、演出:山本剛義/酒井聖博、出演:寺尾聰OVA版は、上段には大杉漣、内藤剛志、下段には鹿沼えり、螢雪次朗、井筒和幸なんかが脇を固めているんですね。上段の監督もそうですが、それにしてもこの面々が揃いも揃ってピンク映画やにっかつロマンポルノに関係する人ばかりですね。まあ、OVAというのがもともと低予算作品であるから驚くようなことでもありませんが。『ありふれた愛に関する調査』(1992)、監督:榎戸耕史、出演:奥田瑛二これも『事件屋稼業』が基となっているんでしょうかねえ。実のところかなり昔に見たっきりでさっぱり覚えておらず悪くはなかった気はするのだけれど、もう一度見る気にはならないかなあ。 他の作品としては映画化されたものには『エヴェレスト 神々の山嶺』(2016)、監督:平山秀幸、出演:岡田准一があったり、テレビ用作品として、すでにSeason8までが放映されていて特別編も数多くある『孤独のグルメ』を筆頭に、『センセイの鞄』なんかもあります。『猟犬探偵 第2巻』(集英社, 2012)『事件屋稼業 第1巻』(双葉社, 1996)『事件屋稼業 第2巻』(双葉社, 1996)『事件屋稼業 第3巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第4巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第5巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第6巻』(双葉社, 1997) しかしですね,『事件屋稼業』など多くの作品が関川夏央の原作によるものだったり、とにかく谷口氏のマンガは原作付きの場合が多いのだ。きちんとカウントした訳ではないけれど、実感としては半分以上いや2/3近くが原作付きマンガだと思うのです。となると残りの1/3前後の作品は映像化されているのだろうか。 知らなかったのですが、『遙かな町へ』がベルギーで"Quartier Lointain" (2010)として映画化されたそうです。フランスを中心とした欧州での人気の高さは、谷口氏の作品がアート作品として認知されていることの証左となるかもしれません。監督はサム・ガルバルスキという人らしく、ぼくは名前すら聞いたことがありませんけど、『やわらかい手』なる変態っぽい映画を監督するなどそれなりに実績のある方のようです。『歩くひと』もこの春に井浦新主演によりNHKでドラマ化されたみたいですが、ちっとも知らなかったなあ。NHKだからと毛嫌いせずに番組表をチェックするべきかなあ。しかしまあ、氏の映像化作品をざっと眺めてみても原作の存在を脅かすような傑作はまだ生みだされてはいないようです。竹中直人が『孤独のグルメ』の映画化を企画したようですが、企画倒れに終わったそうです。まあ、これもつげ義春原作の『無能の人』同様に原作を忠実になぞるだけに終始しそうな気もします。
2021/01/30
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2021/01/29
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日暮里駅前の広いロータリーを越えてさらに進むと日暮里中央通り―通称、にっぽりせんい街―があります。日暮里にはこれといったランドマークと呼べるような施設を思い浮かべるのは難儀でありますが、いざ挙げようと決めて掛かればそれなりに目立つビルや施設なんかもありそうです。例えば駅と一体化したビルの中にはオオバコ喫茶の「ニュートーキョー 談話室」がもっともそれに適した場所かもしれません。ステーションガーデンタワー、ステーションポートタワーなる商業施設を足元に備えた巨大マンションもまあランドマークと呼ぼうと思うなら呼べるかもしれません。でもやはりランドマークであれば人が集える場所であって欲しいのです。飲食店何かも二つのタワーの下にはあるけれど、不特定多数の人が集える広場のような場所こそがランドマークとなり得るんじゃなかろうか。となると例えばホテルなんかがそうした公共の場ということに当たるのかなあ。実際、待合せ場所としてホテルを利用することがたまにあります。特に帝国ホテルなどの立派なホテルのロビーは快適だし行き交う人々を眺めるのも楽しいものなのです。そういう場所こそがランドマークを名乗るに相応しいのではないか。ところで、日暮里にはホテルラングウッドというやはり結婚式場も備えた大きなホテルがあるのですが、その存在はあまり知られていません。ぼくは存在は知っていたけれど、実物を目にしたことはありませんでした。で、今でも実物は知らないのだけれど、ネットで見るとなかなか立派な施設のようですね。と長々と引っ張りましたが、この夜にお邪魔したのがこの足元にある一軒の居酒屋だったというだけの話だったのです。 お邪魔したのは、「やじろう 日暮里本店」です。思ったよりこぢんまりした店内で、なのに席数を確保しようとしてか窮屈な印象です。お客はたったお独りだけ、若い娘さんが独り鍋を突いていますねえ。こちらは手羽先の唐揚げが評判がいいらしくどこかのマスコミで宣伝されたとの貼紙があります。気にはなるけれど他にお手頃そうな肴もあるので、結局試すことはできませんでした。さて、しかしその肴ですが別に悪くはないのだけれど、特に変わったところもなくそこらのチェーンと変わらない感じ。酒の薄さもやはりチェーン店っぽくてホッピーの中は5回ほどお替りしてしまい、それでも物足りぬからメガジョッキにてウーロンハイなど2、3杯もらいましたが、翌日は快調でちっとも酔わなかったのです。それはまあ体調が良かっただけかもしれぬけれど、店の方が2名いるのに声を掛けても反応が鈍いのです。注文の度に何度も大きな声を出すのは気疲れします。女性客もしばらくして帰ったから、たった二人の客相手に二名の従業員がいてこの体たらくはやはり見過ごせません。混雑したら酷いことになるんだろうななんて思わされました。とまあ酒の値段はお手頃だからとちょっとイライラしつつも呑み進めた訳ですが、お勘定のえらく高いことに思わず勘定書きをガン見してしまったのですが、確かに結構な注文をしていたようです。それで結果、物足りないというのはやはり残念な気分は拭えぬのでした。
2021/01/29
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谷口ジロー氏は、1947年に鳥取県鳥取市で誕生しました。いちいち名を挙げることは避けますが、戦後生まれのマンガ家に北陸を中心とした日本海側で生まれた方が多いように思うのは気のせいでしょうか。寡聞ながら名前のみしか知らぬ動物漫画を得意とした石川球太のアシスタントとして1966年に上京したそうですが、彼ら雪国の出身者が情熱と野心を胸にしまい夜汽車で東京を目指すという情景は、マンガ道に描かれる典型的なイメージとして想起されますが谷口氏もやはり雪の中を夜汽車に揺られて独り上京したんでしょうか。『猟犬探偵 第1巻』(集英社, 2011)『事件屋稼業 第1巻』(双葉社, 1996)『事件屋稼業 第2巻』(双葉社, 1996)『事件屋稼業 第3巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第4巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第5巻』(双葉社, 1997)『事件屋稼業 第6巻』(双葉社, 1997) 谷口ジロー氏は、2017年に69歳で亡くなりました。偶然でしかありませんが、前回の吾妻ひでお氏も同じ年で亡くなっております。たまたま69歳で亡くなったからといって普遍的なことを語るのはいかにも早計ですがマンガ家の多くが60歳代で亡くなっているように思うのはあながち間違いではなさそうです。手塚治虫、石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄などがすぐに念頭に浮かぶわけですがそれだけ過酷な稼業ということなのではないでしょうか。そんなことを語り始めた途端に水木しげるは93歳没でありますし、藤子氏の片割れ藤子不二雄Aも健在ですし、お仲間のさいとう・たかを、松本零士、ちばてつやも楳図かずおも生きてるみたいだし、何事につけ一般化するのは無理があります。でもぼくがもっとも好きな上記貼付の続編の構想を関川夏生が語っていると聞くと返す返すも早逝が残念に思えるのです。
2021/01/28
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松戸のみのり台といっても都内の酒場好きの方にはまったく聞き覚えのない町かもしれません。いや、先日、酒場放浪記でみのり台の「のぶさん」が放映されたので、それでみのり台を知った方や実際に足を向けた方もおられるかもしれません。松戸というのは不思議なところで、中心となる松戸駅付近には酒場らしい酒場は少ないけれど、その周辺にある駅の方にむしろ訪れるべき酒場は多いようです。みのり台もそんな駅のひとつで、古びた酒場も少なくないし、場末めいた呑み屋街もあったりするからそういうのが好きな人は恐らく喜んでもらえるんじゃなかろうかと思うのです。先般、kouさんにコメントいただいた「田舎屋」に伺おうかと思ったのです。でも変だなあ見当たらないのです。先に書いた場末っぽい呑み屋街、その裏手には松戸ヘルスランドなる古風というよりはいかがわし気なネーミングの銭湯もあったりして、湯上り後の一杯で立ち寄る人もいそうだけれど、いかにも駅近過ぎる気もします。それにしてもこの通り、ちっとも人の往来がありません。どこに立ち寄ろうか往復してみても出会ったのはおばさまがいるだけ。その方もとある店の鍵を開ける仕草から店の方のようです。しかし、通りには人気はなくても先般立ち寄ったお店からはカラオケ大会をしているのかしら、歌声に歓声が響いています。さすがに今般の状況でそれは避けておきたいのでむしろ静まり返った店にお邪魔することにしたのです。 かなり際どい雰囲気の酒場の多い通りにあって「やきとり 福ちゃん」は、とても普通っぽい入門篇のようなお店に思えます。先客はお独りだけ、店を切り回すのはご婦人独りでありました。このお店が混み合ったとしてちゃんと開店するんだろうか、っていらん心配をしてしまいます。頼んだビールが一本空いた頃にお通しの煮物が届きました。どうやら混雑したらかなり待たされることを覚悟しなくてはならないようです。串の10本盛合せをお願いしましたが、お銚子やウーロンハイが空くごとに数本づつ出されるようなのんびり具合で最初はじれったいと思ったけれど、段々これが案外いいペースに感じられるようになってきました。先客は最初ビール大瓶を呑んでいたようですが、次は小瓶に切り替えてなぜかラッパで呑み出しました。精算時にはpaypayを初トライだったようで、苦心惨憺何とかやり遂げたのですが、これでまた焼物の登場は遅れるのです。でもこの盛合せ.楽しいのが変わり串の割合が半数以上なので、普段あまり頼まないようなちょっと値の張る串だったりもあって飽きさせません。二人で1セットのみで十分に満足できる程でした。こういうヴァラエティあるセットものもその日その日の安価な食材を使えるから店側にとってもメリットはありそうです。さて、結局その夜は「田舎屋」を見つけることはできませんでしたが、ネットで調べたら確かに二代目の店があるようです。お休みだとその存在がカメレオンのように風景に溶け込んでしまうタイプの外観なのでしょうか。
2021/01/27
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吾妻氏と深い交流のあったマンガ家にいしかわじゅん―というよりは『漫画の時間』、『漫画ノート』などマンガ評論家としての仕事が知られているのかも―がいます。酒場ブログとしては、国分寺「ほんやら洞」の常連であったことも見逃せませんが、それはともかくとしてとかく喧嘩っ早く激しやすい印象で、その作品もギャグマンガ調に描かれた恋愛譚なんかだったりと、いしかわ氏の性格だったり作家性の有り様がちっとも吾妻氏と重ならなかったりするわけで、かつて大友克洋氏を加えた3人がニューウェーブなどと称されたのが今となっては不可解に思えます。ウィキペディアによればこの2人のファン層は被ることが多いらしくて、それまた不思議な話ですが、まあぼくもご両名のマンガが好きだったりするから案外、ぼくのマンガの受容領域は一般的なのかもしれません。互いに作品内で茶化しあったり、ちっとも覚えていないけれど手塚治虫が「七色いんこ」で二人にキスさせた挙句に結婚までさせてしまったようだから、身近な人たちにとってはちっとも意外な事実ではないようです。『Oh!アヅマ』(ぶんか社, 1995)『アズマニア』(全3巻)(早川書房, 1996)『うつうつひでお日記』(角川書店, 2006)『エイリアン永理』(ぶんか社, 2000)『スクラップ学園 文庫版』(全3巻)(秋田書店, 1981-83)『チョコレート・デリンジャー』(秋田書店, 1982)『銀河放浪』(マガジンハウス, 1995)『失踪日記』(イースト・プレス, 2005)『失踪日記 第2巻 アル中病棟』(イースト・プレス, 2013)『地を這う魚 ひでおの青春日記』(角川書店, 2009)『不条理日記 SFギャグ傑作集』(奇想天外社, 1979) 北澤楽天は日本初の職業マンガ家とも評されておりますが、彼が連載を開始した頃は、ちょうど映画が世界中に拡散された時期と一致します。映画に関わった人々が当時から世界に隔てる障壁は何もないとばかりに国際的な活動を開始したのとは対照的にマンガというメディアが世界に流通し始めたのは遥かに遅れて一世紀を経てからであります。その随分遅れて到来した国際化の先鞭をつけたのが吾妻氏であるかもしれないなどと考えてみたりします。無論、海外で読まれている日本のマンガ作品は数多いようですし、様々な日本のマンガ作品のキャラクターたちが活躍しているけれど、始めて日本のマンガが文化として認知されたのは、実は吾妻氏の『失踪日記』によってだったのかもしれないと思うとやはり彼の死は早過ぎたものと思えてくるのでした。
2021/01/26
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泪橋の側にある商店街、アサヒ会の通りの裏手に古き良き酒場ありなのです。この界隈はどの駅からもそれなりの距離があって、比較的近いとなると東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅か東武伊勢崎線の東向島駅ということになりますでしょうか。ぼくは交通費の関係でそれよりはちょっと遠目のJR常磐線の南千住駅を利用することになります。まあ、ケチりさえしなければ都営バスやコミュニティバスが頻繁に行き交っているから足腰に自身のない方でも不自由はしないだろうと思うのです。何よりここら辺にはお気に入りの酒場もあったりして、ちょくちょくお邪魔しているんですが、どうしたものかこの夜お邪魔した老舗酒場に伺う機会を逸していたのです。数軒挟んだところに以前お邪魔して好ましい印象を持っている「日正カレー」もあり、存在は認識しているもののこの界隈に来るたびにその存在を失念し後から後悔するなんてことを続けていたのです。なので、今回はハシゴお断わりの名酒場の存在は忘れることにして、南千住駅から一目散に目当ての酒場に向かったのでした。 その酒場に向かう途上で、考えたのはその存在を忘れてしまったというよりはもう閉業してしまったもの考えてあえて忘れようとしていたんじゃないかなあということです。これまでも閉業してそうな雰囲気の酒場に再三訪れてみたり、すでに閉業しているのは明白なのに店内に人影が見えたりして未練たらしくもしつこく粘って行ってみたりして、やはり肩透かしされたという苦い経験が数多くあり、やはり「竹乃家」もその轍を踏むことになると思い込んでいたのではないか。そんな悲観的な考えをこの古い酒場は快く裏切ってくれたのです。強くはないけれどはっきりその現役であることを顕示している赤提灯にひと先ずは安堵させられます。未訪の古酒場を訪れる機会もこの一年めっきり減っていたからどうしても気分が高揚するのを抑えきれません。ソワソワと店に入ると早くも3名の馴染みらしき客がてんでんばらばらにお気に入りのカウンター席に腰を下ろして呑んでおられます。卓席もなくカウンターも8席程度だから出遅れたら大変だったかもなんて思ったけれど、その後、長居する客もなく引いては寄せといい具合に客の入れ替わりがあります。そういや今年ももつ焼は余り食べなかったなあと高齢のオヤジさんが焼くのを相好を崩して待つのであります。この待って時間に呑むビールってのが旨いのです。おお、イカのバター炒めもあるんだ。イカもすっかり高値が続いてこちらも滅多に食べる機会がなかったなあ。と懐かしい雰囲気の酒場で懐かしい肴を摘まめてすっかり愉快になるのでした。泪橋の名店にもう一軒外せない酒場ができたことにすっかり満足した夜なのでした。
2021/01/25
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「ドライブイン小牧」 福野「うなぎ 田代」 尾張瀬戸「福田屋」 木ノ本「初ちゃん食堂」 陸前豊里「いまぜき」 大場「居酒屋 すぅちゃん」 鶴ヶ島「満寿屋」 善光寺「キッチン ミナミ」 南甲府「季節料理 おおにし」 北鴻巣「やきとり ふくちゃん」 北本
2021/01/24
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KAWADE夢ムックに『吾妻ひでお〈総特集〉美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』というのがあります。いかにも吾妻氏のマンガ作品を的確に表わしているように思えるし、事実、吾妻氏のマンガでは欠かせぬ要素(失踪を一概に扱うのは無理がありそうですが)でありますし、まあそうだよねえという感想が漏れる程のことでしかありませんが、そんな風に総括してしまっていいのだろうかという疑問も浮かんできます。というのはこの3つの要素というのは不可分とまでは言わぬにしても、かなり親密な関係性が認められるからです。仮に美少女なるフィクショナルな存在を中心テーマに描いたとしたらその作品はどこかしらSFっぽかったりしてくるような気がするし、不条理なギャグもそこではすんなり収まってしまうと思うのです。しかし、だからといって美少女キャラの好きなSFマニアの不条理なギャグを得意とするマンガ家が作品を描けば吾妻氏のマンガになるかというとそういうことはまずありえないのであって、氏の個性はこれらの要素とは違った辺りから放たれているように思えるのです。この3要素は氏の作品の可視的な個所を抽出したに過ぎないのではないか。『Oh!アヅマ』(ぶんか社, 1995)『アズマニア』(全3巻)(早川書房, 1996)『うつうつひでお日記』(角川書店, 2006)『エイリアン永理』(ぶんか社, 2000)『スクラップ学園 文庫版』(全3巻)(秋田書店, 1981-83)『チョコレート・デリンジャー』(秋田書店, 1982)『ななこSOS 文庫版 第3巻』(早川書房, 2005)『やけくそ天使 第2巻』(秋田書店, 2000)『やけくそ天使 第3巻』(秋田書店, 2000)『失踪日記』(イースト・プレス, 2005)『地を這う魚 ひでおの青春日記』(角川書店, 2009)『不条理日記 SFギャグ傑作集』(奇想天外社, 1979)『陽射し』(奇想天外社, 1981) と紋切型の評価のされ方に常々疑問を感じていたけれど、氏の作品に惹かれる理由を具体的な理屈で語る術は持ち合わせていないのです。実のところ氏のマンガは幼い頃から接する機会がそれなりにあったけれど、いつも読了すると物足りない気分がしたものです。読んでる最中は大概楽しんでいるとは思うのですが、後から振り返ってみてもそれがどの作品だったかはっきり思い出せなかったり、すでに読んでいたとしても始めてみたいな気がしたり、逆に始めて読むはずがもう読んでいたりと鮮烈な記憶に留まることがないのです。無論、自伝的な後期作品については、そのテーマの強烈さゆえに忘れることはないけれど、それでもノンフィクションに紛れ込んでくるフィクションはかつて読んだなんとかいうマンガと似通って思えるのです。こうした透明性とでも呼べそうな希薄な印象が吾妻氏のマンガの根底にあるように思えるのです。
2021/01/24
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最近、歩けば歩いただけポイントが貯まるというアプリをスマホにインストールしました。ぼくは今でこそゲーム類は一切受け付けない類の者でありますが、子供の頃は大いに興味があって猛烈に好奇心を揺さぶられたものです。将棋やオセロ、囲碁などは自分の実力の程にとっとと見切りを付けてしまいました―今でも打ち方はちゃんと覚えているから大したものです―。すぐに気持ちはコンピュータ系のゲームに動かされ、特にアドベンチャー系やロールプレイング系のゲームに憧れたものです。PC雑誌で最新のゲームの記事を眺めては実際にプレイできぬ不幸を嘆いたものです。自由にゲームできるようん小遣いなど貰えませんでしたから、雑誌などの情報でやってるつもりになるしかなかったのです。そして結局ハマるまでにゲームに熱中することもなくおっさんに成り果ててしまったのでありますが、今のぼくを満足させてくれるようなゲームは世の中に存在するのでしょうか。現在もしゲームをやるとしたら位置情報ゲームが気になっています。いわゆる「位置ゲー」というやつで、携帯電話などの位置登録情報を利用した机上だけではなく現実に歩いた距離や位置がゲーム上で反映されるというのは面白くなりそうな気がするのです。もっとも有名なのは「Pokemon GO」なんでしょうが、これはどうも位置情報を安直に利用するばかりで興味をそそられません。だったらユニークなアイデアで自ら面白いゲームを開発してみればいいということになりますが、余りにもゲームという遊戯に対して経験値が低すぎてまだいいアイデアを生み出せていません。でも新型コロナの自粛下でGoogleのストリートビューと室内に置いた自転車を連動させて日本を縦断するという仕掛けで楽しんでいる方もおられたようだし、現実の行動と仮想の行動をひっくるめて遊べるようになればいいなあなんて漫然と思ってます。当然、仮想空間でも居酒屋で呑んだりできたら嬉しいのは言うまでもありません。
2021/01/23
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都心から一駅飛び出しただけの至極便利な場所でありながら板橋は今だに田舎臭い雰囲気を留めています。そんなことを言われて喜ぶ住民の方はそんなにいないでしょうが、これは誉め言葉なのでお間違いなくお願いします。そんな田舎者のぼくには親しく感じられる板橋ですが、近頃になって板橋駅がリニューアルしつつあるのです。そんなに混み合う時間帯に利用したことはないからだろうか、ラッシュ時にこんなに狭い通路では大変だったろうにと思っていたあのトンネルが知らぬ間に綺麗になっていたのでした。それで利便性が良くなったかというとそうでもなさそうに思えるのでありますが、かつての駅の暗さが懐かしく思えてしまいます。そんな変わりつつある板橋駅ですが、駅前の風景はちっとも変化してはいないように見えます。そんな駅の西口から徒歩2分。お気に入りのビストロがあります。「パリ4区(Paris 4me)」は、食べログの評価は今ひとつのようですが、プレフィックスのコースにアラカルトメニューも豊富、ワインもお手頃でありまして、貧乏人ながらにフレンチもワインも大好きというぼくにとっては重宝なお店の一軒なのであります。店の外観もパリの下町っぽいし―てそんなに知らん癖に―、赤を基調とした内装も外観を裏切らぬ雰囲気の良さなのです。さて、ウキウキ気分でやってきて、いきなりワインも何だしねとかいいつつスパークリングワインを所望いたすのです。ぼくのような安上がりの舌には、シャンパンと区別など付かぬから気分だけで十分満足できるのです。パテ・ド・カンパーニュ、セロリアックのポタージュ、ブーダン・ノワールと豚肉のソテー(ソテーではないんだろうけどまあ豚肉をしっとりと火を通したもの)、デゼールはサヴァランでありました。一口フロマージュなんかも〆に頂けて、こうしたちっちゃなサービスは実に有難いものです。さてそんな楽しそうなディナーなのですが、実に困ったちゃんのお客さんがいたのであります。どこがどう困ったかはここでは触れぬことにしますが、お手頃フレンチのお店に行くと時折とんでもなく無作法な客がいたりするのです。こういう人たちには店側がちゃんと指導してもらいたいのでありますとお気に入りの店だけれどつい苦言を呈したくもなるのでした。
2021/01/22
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2019年に波乱に満ちた人生を終えた吾妻ひでお氏は、それでも69歳というストレスと無理の多い人生を送ることを余儀なくされるマンガ家としてはしぶとく生き延びましたが、当の本人はそのことをどう思っていたのだろうかと真意をお尋ねしたかった。アルコール依存症をきっかけとした自殺未遂やホームレス生活を含む失踪など人生に喜びよりも苦しみを感じることが多かったのでしょうから、その生涯は生き地獄のように思うことも少なくなかったはずです。お陰でその当時の苦しみを飄々とした筆致で丹念に描き残してもらえたのだから、読者にとってはこんなに有難いことはないのです。苦しみの中からも吾妻氏は自身曰く、ギャクマンガ家として客観的にあらんと振舞ったからこその業績であるのは間違いありません。ぼくのような軟弱な酒呑みでは氏のような冷めた視線を獲得し得なかったはずで、悪夢のような日々を克明かつ時にはユーモラスに描いた後期の作品は生涯を通して繰り返し読み返すことになりそうです。『Oh!アヅマ』(ぶんか社, 1995)『アズマニア』(全3巻)(早川書房, 1996)『うつうつひでお日記』(角川書店, 2006)『エイリアン永理』(ぶんか社, 2000)『スクラップ学園 文庫版』(全3巻)(秋田書店, 1981-83)『チョコレート・デリンジャー』(秋田書店, 1982)『ななこSOS 文庫版 第2巻』(早川書房, 2005)『ななこSOS 文庫版 第3巻』(早川書房, 2005)『やけくそ天使 第2巻』(秋田書店, 2000)『やけくそ天使 第3巻』(秋田書店, 2000)『銀河放浪』(マガジンハウス, 1995)『失踪日記』(イースト・プレス, 2005)『失踪日記 第2巻 アル中病棟』(イースト・プレス, 2013)『地を這う魚 ひでおの青春日記』(角川書店, 2009)『不条理日記 SFギャグ傑作集』(奇想天外社, 1979) 当時の体験を描いた『失踪日記』は、日本漫画家協会賞大賞や文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を初め海外でも高い評価を得たようです。それに続く『逃亡日記』、『失踪日記2 アル中病棟』と巻を追うごとに作品の克明さは増強しますがそこに不思議と悲壮感が溢れ返ることもなく興味深く読了した後にホッとして酒を呑み出してからドクンと鼓動が早まったりしたものです。吾妻氏は晩年は断酒に耐え抜いたということですが、彼のことだから断酒中の自身をも客観的に観察することができたんだろうなと思うのです。
2021/01/21
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東十条でこうと決めて中華飯店巡りをしたことはないけれど、この界隈であれば良さそうな中華飯店や蕎麦屋がたくさんありそうだからいつかしっかりハシゴもしてみたいなんて思っているのです。実際にはお邪魔する酒場がありすぎてなかなかそこまで足が及んでいなかったけれど、さすがに未訪店も尽きてきて機は熟しているのであります。でもまだまだ未練たらしく以前目にした酒場を目当てに訪れてみればすでにそのお店は姿を消していて、やむなく目に留まった一軒の古ぼけた中華飯店に飛び込んだのでした。 外観は少し古ぼけただけの特段変哲のないお店「三ちゃん」ではあります。店に入るとカウンター席のおぢさん二人がこちらに視線を送ってくるけれど、別にこちらを牽制しようという敵意は孕んでおらずどうやらここでの呑み仲間であるかを確認しようという程度の意図のようです。こちらは二人なので2つだけの卓席を感じのいい店のオヤジさんに勧められました。合皮ソファはテープで補修されていて、それは構わぬのですがちょっと座るのに躊躇します。こういうちょっとボロ気味で必ずしも掃除が徹底されているとまでは言えない類の店は今でも少し身構えてしまいます。その構えを惹起するのは見栄えよりもツーンと漂う店の匂いに対してなのです。古い店に限らず知人の家にお邪魔した場合でもそれぞれ独特の香りがあって、ぼくの警戒心は大体においてそこにまず起因するようです。つまりこちらもちょっと中華飯店独特の匂いがして若干他店とは異なる個性があるのでした。まあ、これも立て続けに5回も通って来たらあっという間に慣れてしまってそのファーストコンタクト時の匂いも好きとか嫌いとかの判別すら無用のほとんど意識に上らない要素となるもののようです。実際に立て続けに5回訪れようと思う店などかなり限定されるので、再び訪れるとまたもこの匂いに警戒することになるんだろうなあ。さて、煮付けのお通しに続けて頂いたのは、麻婆豆腐と焼そばでありました。前者は強く主張することのないまあ普通の味わいでそこそこ美味しいのですが、後者は不味い事はないのだけれど、どうしてここまでべちゃっとしているのか不可解な程でした。実家の味噌汁があれこれ研究したけれどどうしても再現できない不味さだったのと同じとは言わぬけれど、べちゃっと系の焼そばも嫌いではないぼくが稀に作るその系の焼そばとはやはりどこか違っていて、最後まで残さず頂いたけれど今ひとつ箸を出し辛かったことは正直に書いておくことにします。
2021/01/20
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2016年に最終話が掲載され全200巻に亘る長期連載を終えた秋本治氏の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』でありますが、ぼくはずっと山上たつひこ氏が本作の口火を切って連載を開始した後に秋本治氏がそれを引き継いだものと思い込んでいました。実際、ぼくの周囲の友人たちもそう思い込んでいたようで、もっともらしく語って聞かされたのを真実であると信じ、特に疑うこともせず信じ続けてきたのでした。今、振り返ってみるとどう考えてみてもこの二人の資質は異なっている訳でありまして、訳知り顔で多くの人に吹聴して回ったような気もして赤面の至りなのです。秋本氏が連載当初に「山止たつひこ」を名乗っていたのを誤解したおっちょこちょいな人がいて、それが拡散されたというのが事実のようです。山上氏のマンガを本腰を入れて読みだす前のぼくにとっての山上氏はご本人によるマンガよりこの逸話による知識がより多くを占めていたのでありました。『光る風(上)』(筑摩書房, 1997)『がきデカ 第1巻』(秋田書店, 1995)『がきデカ 第2巻』(秋田書店, 1995)『中春こまわり君 第1巻』(フリースタイル, 2016)『中春こまわり君 第2巻』(フリースタイル, 2016)『喜劇新思想大系 完全版 上巻 第1巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 下巻 第1巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 上巻 第2巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 下巻 第2巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 上巻 第3巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 下巻 第3巻』(フリースタイル, 2009) ギャグ漫画の王様と呼ばれた『天才バカボン』の赤塚不二夫、赤塚氏と並ぶギャグ漫画界の巨匠と評された『ヤスジのメッタメタガキ道講座』や『アギャキャャーマン』の谷岡ヤスジなど、ギャグマンガでは伝統的なデフォルメされたキャラクターや背景描写によるいかにもなマンガ的表現が定番でした。そこに登場した山上氏のギャグマンガは、劇画のリアルとは異なる繊細で緻密な描線で描いた点が決定的に新しかったと思うのです。また、赤塚氏は出だしは少女マンガなども執筆した模索期があったけれど谷岡氏はけして長くない生涯を一貫してほぼ同じスタイルで執筆活動を全うしたのに対して、山上氏は周期的にスタイルを模索し続けたマンガ家であると思うのです。そうした意味で怪奇マンガの巨匠でありながら『まことちゃん』の楳図かずおと山上氏はどこか共通項がありそうです。ただし、山上氏は各作品からもたらされる印象は明瞭に分かたれているのに対し、楳図氏の作品はギャグであろうとホラーやSFであろうとどこか一貫した冷めた視線があるように思えるのでした。
2021/01/19
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毎日立て続けに通うのは気乗りしないけれど、週に一度とかで通いたい居酒屋というのは案外基調で見つけにくいものであります。それが郊外となるとそれは一層顕著でありまして、地元の住民の方なんかが都心からの勤務を終えた帰り掛けにちょっと一杯なんてできる店があるのは実はかなり幸福なことなのかもしれません。ぼくは比較的都心に住んでいますが、それでも近所にお気に入りの店はほとんどなく、実は数年前まで一軒だけ大好きな酒場があったのだけれど、お決まりの後継者問題に打ち勝てず店の歴史の幕が閉じられたのです。今では2か月に1度程度お邪魔してもいいかななんて酒場があるにはあるけれど、結局はそれよりずっと少ない頻度でしか訪れていません。仮にぼくの暮らす町に北松戸の駅前にある大衆的な居酒屋があったとしたら月に一度は訪れてしまうんだろうなあ。 ともったいぶってみたけれど、登場するのはすでに何度も登場している「た古八」なのだから、知られざる酒場の報告を期待する方には誠に申し訳ないことです。コロナで―と書き方も日増しにぞんざいになっています―酒場巡りも控え気味になってはいるものの依存の気がある―アルコールも多少はそうだけれど、それ以上に酒場巡り依存ですね―から、全くもって余り知られていないと思われる酒場にも時折足を伸ばしているからそちらから順に報告していけばいいのだけれど、横着体質が加速していることもありノルマが溜まらぬようせっせと書き溜めしているから、再訪店も躊躇なく取り上げてしまうのでありました。そのうちまた酒場マニア垂涎のお店も登場してくるはずなので、気長にお待ちいただけると幸いです。といったところで、いつものごとく仕事関係で同世代の仲のいいのと一緒にやってきました。卓席が多い店だから以前は余り気に掛けなかったけれど、こちら案外カウンター席も広くて独り呑みのお客さんも少なくないのですね。ぼくはまだここで独りはないのでいずれやってみてもいいかも。でも酒場ってのはどうもファーストコンタクト時の印象を引き摺ることが多いようで、最初にグループだったりでお邪魔した店はその後もそうなる傾向があります。どうも今更独りというのがしっくりこないのです。同様に注文する肴も似たり寄ったりとなることが多く、ここはサービスでお新香が添えられるから、これに100円のネギちくわがあればもうしっかり呑めてしまう気がする。これまでそうしたことはないけれど、案外試してみる価値がありそう。でも店の方からは嫌がられるだろうなあ。
2021/01/18
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この記事がアップされるのは、1月中旬となりそうですが実際にキーボードを叩いているのが12月中旬で、そう丁度、鳴り物入りで開始されたけれど止め時を知らず突き進んでみたはみたけれど国民の多くにとっても迷惑至極でしかなかったGoToトラベルが全国一時停止と決まったその翌日なのでした。先のことを思い遣っても今の政権じゃあ好転することなど思いもよらぬことだから楽観的なことは言いたくないけれど、ともかく毎日を慎重に乗り切って健康に新年を迎えたいと思うのでした。この年末年始はさすがに町場の人出も少なくなることでしょうし、そうしたら随分久しく経験していない静かな正月を迎えられそうでそれはそれで楽しみです。百貨店が元旦から営業を始めて久しいですが、もうそこまで頑張る必要はないんじゃないかなあ。コンビニだってファミレスだって元旦は店を開ける必要はないと思うのだ。それじゃあ困るという人もいるだろうけれど、そんなちょっとした不便で困る人がぼくにはほとんど理解できないのです。例えば多くの来客があって酒が切れたとかいう理由があるなら仕方ないけれど、この正月はその心配はせずに済ませるべきであろうと思うのです。大体においてコンビニに依存する人には不精な人が多いようでありますが、不精ならわざわざ寒い中を出掛けるなんてことをするのは不条理に思えるのです。こういう不精なキャラクターはマンガによく出てくるのですが、彼らは大体ビンボー生活を送っていて、そんなボンビーブショーピーポーたちが値段の高めのコンビニを愛用しているのも不可解な気がするのです。しかし、昔は年末年始を下らないテレビを漫然と眺めて酒を呑んで過ごすのがそれなりに楽しかったものですが、果たして今のぼくがテレビを眺めつつ怠惰な時間を貪る贅沢を受け止めるだけの余裕があるだろうか。
2021/01/17
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山上たつひこ氏のマンガを受容できるようになったのは、大学生になってからのことでした。当然ながらその存在は幼い時分から知ってはいたし、デビュー後すぐの1970年に発表された初期の代表作と世評の高かった『光る風』は中学生の頃に読んではいたのであります。でも、ギャグマンガに移行してからの山上氏のマンガにはなかなか手が出ませんでした。キャラクターの造形がすこぶる苦手だったのです。今でこそ絵ひとつで苦手意識を感じていては、大変な傑作を見逃しかねぬことは理解したけれど、若い頃はキャラクターひとつで好き嫌いを決めてしまう傾向があったのです。大学生になって初めて、やはり脅迫的なまでの苦手意識を抱いていた少女マンガを浴びるように読むことで、大概の絵とは折り合いが付けられるようになったのです。何事につけ苦手なことを克服するとそれ相応のご褒美が与えられるようです。『がきデカ 第1巻』(秋田書店, 1995)『中春こまわり君 第1巻』(フリースタイル, 2016)『中春こまわり君 第2巻』(フリースタイル, 2016)『喜劇新思想大系 完全版 上巻 第1巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 下巻 第1巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 上巻 第2巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 下巻 第2巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 上巻 第3巻』(フリースタイル, 2009)『喜劇新思想大系 完全版 下巻 第3巻』(フリースタイル, 2009) 山上氏が1972年から連載を開始した『喜劇新思想大系』は、そんなご褒美ともいえる作品でおおいに楽しませてもらったものです。性とかSEXといったテーマを前面に据えたギャグマンガであったのが画期的であると評価された向きもありますが、パイオニアとしての価値はともかくとして現在読んでもしっかりと笑えるのはすごいことです。過激さという意味では現代のものとは比較するのは困難ですが、マンガにとって過激であることが読みへのバイアスとなることが多いことを思うとエロマンガの洗礼を浴びてから同作に辿り着けたぼくは幸運だったのかもしれません。最大のヒット作である『がきデカ』も愉快ではありましたが、前者と比すると対象読者が年少となるためか、ちょっと物足りなく感じた記憶があります。しかし、若い頃に苦手だった山上氏のキャラクターもそれに慣れてしまいさえすれば愛着も沸くものだし、それ以上に背景などの綿密な描き込みに瞠目させられたのでした。その後、『湯の花親子』などエッセイ系マンガなんかに移行した後、『がきデカ』完結編を発表し、突如小説家に転向してしまったのでした。確かに常にマンガ表現のパイオニアでありたいという矜持をもって作家生活を過ごしてきた方ですから息切れしたといったところでしょうか。しかし、2004年になって『がきデカ』の続編『中春こまわり君』で円熟の域に達したかのような余裕ある作品を発表してくれたのは嬉しい事でした。
2021/01/16
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夜の根津は寂しい。人混みは嫌いな癖にあんまり人気がないと寂しいというのは、手前勝手な虫の良い言いざまではありますが、根津界隈の夜の暗さは都心とは思えぬ深さがあるように思うのです。千本鳥居で知られる根津神社などの神社仏閣と東大が取り囲む町だから夜になって静かであっても少しも不思議ではありません。広い東大の敷地内でどんな奇怪な研究が行われていたとしてもそれを窺い知ることは困難なのです。今の時期はもしかすると在宅授業を学生たちは受講しているかもしれぬから町にはほとんど人は存在しないかもしれないのです。住宅もあるにはあるけれど、住民はご高齢者が多いだろうし夜が更けてから出歩く人もそう多くないと思われるのです。それでもこのような通な土地、というよりは物好きな場所に店を構えようなんて方がいたりするのです。 今年、「五十蔵」は2回目です。一応お断わりしておくけれど、ぼくも財布ではこんなお店に年2回も来れるはずがないのです。特段の祝い事があるわけでもありませんし、目立った恩義を作ったりもしていないけれど、とにかくお礼の意味でご馳走してくれると誘われたら行かぬわけにはいかぬ、というより喜び勇んで出向いたのです。人通りのない暗い夜道を歩くけれどお仲間もいるし、これから旨い肴と酒が待っていると思うと足取りも大いに軽くなるのでした。さて、今晩は本来はお休みだったところに頼み込んでお邪魔させて頂いたようです。そんな実は先般お邪魔したばかりだったから別な店にするという提案も隠し持ってはいたのですが、誘ってくれた方がこちらを大いに気に入っている以上、余計な発言で機運を損なってはならぬという大人の判断を下したのでありました。テレビCMに出てきそうな端正なカウンター席は、大人になった気分を盛り立ててはくれるけれど、必ずしも大人になりたいと思っておらぬぼくにはさしたる感慨が惹起することはないのでした。さて、今回の肴のメインとなるのは〆の松茸ご飯に間違いないのですが、クジラのステーキもとても素敵だったし、実はもっとも感心したのは目の前で捌かれたばかりの合鴨の叩きとセリをポン酢で合えた一品です。鴨もセリも大好物だからということもあるけれど、これだけ旨いなら仙台のせり鍋の豚肉を鴨肉にしてみてもきっと当たりに違いないと思うのでした。今度試してみようかなあ。
2021/01/15
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杉浦茂氏は特異な絵柄と驚愕の物語展開など非常に癖があるけれど引っ掛かりどころも多くて、そのせいもあって多くの読者を獲得するに至ったのだと思います。引っ掛かりの一つとして独特というか疑問符が浮かぶことも少なくないオノマトペ、つまり擬声のユニークさも楽しみどころとなっていました。今回は、現役の意欲的なオノマトペの使い手であるマンガ家にご登場いただくことにしました。つばな氏の作風は、端正で乱れの少ないフラットな描線が持ち味で、今回初めて知って合点したのですがマンガ家の石黒正数氏のアシスタントをしておられたようです。現時点読了している範囲では全てが短編作品で、物語の発想からもその資質は長編よりも短編向きであることは間違いなさそうです。『第七女子会彷徨』(全10巻)(徳間書店, 2009-16) 短編連作集の『第七女子会彷徨』は、全10巻に及ぶ長編連作であり今のところの著者の代表作と見做しうる作品であります。友達選定システムにより友達関係を余儀なくされた金やんと高木さんの近未来の日本における日常を描いたファンタジーやSF的な要素を組み入れたユーモラスなマンガとなっています。先に書いたようにオノオマトペが効果的というか思わず吹き出してしまうものが多くて、蓋が閉まった際に「フタッ」となったり、どんよりやつれた描写では「らむーる」、おなかが空いたら「ぐりぐりぐるるる」と実に豊富な擬声の引き出しをお持ちなのです。これは偏見に寄りかかった誤解かもしれませんが、つばな氏は女性マンガ家=少女マンガ家というイメージを抱かれる方も多いのではないでしょうか。というのは、このマンガは男性も当然にあらゆる性差などを超えた間口の広い作品と思いますので、未読の方はぜひお試しを。ちなみにタイトルは、尾崎翠の『第七官界彷徨』から拝借したのでしょうが、受ける印象はまったく違ってますね。
2021/01/14
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町屋という町は、酒場が多いことや都心では規模の大きな町屋斎場があることで知られていて、前者に関しては若干の異議も唱えたいところであるけれど、それは本題ではないから口をつぐむことにします。でも声を大にして言いたいのは、酒場より斎場より中華飯店、所謂町中華が充実していることであります。隅田川が町を取り囲むように流れ、それに沿うように災害時を想定してなのか斎場や学校などの公共施設が設けられているが、その内側は町を分断する尾竹橋通りを除くと住宅や商店が入り組んで密集しているのであります。そしてそんな密集地帯に分け入っていくとちらりほらりと中華飯店が突如といった様子で出没するのであります。できればことごとくを訪ね歩きたいところでありますが、暴飲暴食も憚られるお年頃だから無理は利かぬのでおっとりとお邪魔するしかないのでした。 今回お邪魔したのは、北千住駅から豊島病院に向かう都営バスに乗車した際に見掛けていた「鳥越亭」です。以前は呑んで町屋から王子までとかを歩いたりもしたものですが、今はもうそんな気力はないなあ。ということで、この夜はちょっと贅沢してバスに揺られてやって来たわけですが、無事営業していてほっとするのはこうした古いお店ではお決まりです。店に入ると高齢夫婦がテレビに見入っておられますね。早速カウンター席に腰を下ろしビールを頼むとちわくキューリが添えられています。こちらはちょっと高めの価格設定だけどこうしたおまけが付くだけで気持ちが和んでしまうのはいかにもけち臭い。さっきまではテレビを見ながら談笑していたご夫婦も黙り込んでしまったので店内には碌でもないテレビ番組の音声が虚しく響き渡るのでした。さて、メインディッシュはもやしそばです。何とも個性的なビジュアルですね。いっそ清々しい位に彩に欠けた見た目で、大量に投下したコショーすら画面上では判別しづらい位です。味わいも淡白な鶏ガラ味でありますが、これが案外癖になります。もやしがトロトロ系でなくがっかりした自分の未熟さを知りました。というわけで、思ったよりずっと食べやすくて美味しかったけれど、他の品となると保証の限りではありませんので、自己責任にてお試しを。
2021/01/13
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杉浦作品の外連味に魅せられつつもその唐突な大コマ使いや不意のシュールレアリスム絵画やハリウッド女優の引用だったりが描かれたりして、そこに深遠な思想が込められているのだろう、だからこの稀有な才能を持つマンガ家の真意を解読したいとない知恵絞って考えてみたりもしたものです。結局どうにも理解に至らぬままに理解することを放棄したのであります。図らずも自伝中にとても納得できるとはいえぬ答えがありました。【酒場】『思索ナンセンス選集 第1巻 杉浦茂のおもしろ世界』(思索社, 1983)「ガンモドキー」『杉浦茂の摩訶不思議世界 へんなの……』(晶文社, 2009)「弾丸トミー」【喫茶店】『思索ナンセンス選集 第1巻 杉浦茂のおもしろ世界』(思索社, 1983)「ガンモドキー」『杉浦茂マンガ館 第2巻 懐かしの名作集』(筑摩書房, 1993)「アップルジャム君」【映画館】『思索ナンセンス選集 第1巻 杉浦茂のおもしろ世界』(思索社, 1983)「イエローマン」『杉浦茂マンガ館 第2巻 懐かしの名作集』(筑摩書房, 1993)「少年児雷也」『杉浦茂マンガ館 第3巻 少年SF・異次元ツアー』(筑摩書房, 1993)「ミスターロボット2」「普通は、構想をまとめた後にネームや下書きなどを経てペン入れに至るが、杉浦は頭の中で、大体の構想をまとめた後、下書きをせずに一発でペンを入れ、執筆途中でも『こちらの方が面白い』と思い至ったら話の筋を曲げるようなことを頻繁に行っていた。弟子の斉藤によれば、杉浦は『ぼくはね、話が前とつながってなくてもいいんだよ』と語っていたという(『杉浦茂:自伝と回想』杉浦茂, 筑摩書房, 2002)。 これじゃいくら考えたって理解できるはずはないですね。映画における清順氏の試みも相当に唐突な印象があるけれどそれは辛うじて説話内部に留まっているように思えるけれど、杉浦氏の場合は説話行為から外れたものとしてのコマをまさに思い付きで描いてしまうというのです。杉浦氏にしてみたら、マンガ評論家なんかが自身を批評する文章を読んでいたとしたら失笑を禁じえなかったかもしれませんが、まあそんなの読むような人ではなかったんでしょうね。
2021/01/12
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池袋のことを書くとどうも憎まれ口か思い出話ばかりになってしまって、精神衛生上けして好ましい傾向ではないのですが、全部が全部嫌いということではないのです。池袋が嫌い、というより苦手なのは駅周辺はどこもかしこも人通りが多いところなのです。そんな嫌いだったり苦手なんだったら行かねば良いではないかという意見もあろうかと思うけれど、大人だから苦手だからって避けられない事情もあるのです。しかしですね、都内在住の方でも迷うという池袋駅でありますが、電車から降りて改札口を抜けてからの雑踏が嘘のようにシーンと静まり通路があるのです。実は一つではなく幾つかあるのですが、その一つが西武百貨店の地1階から伸びています。洋菓子売場とおかず市場を分断する通路を突っ切ってさらに階段を降りると明治通りを跨いでさらに先、南池袋公園の手前まで一挙に直進できる地下通路があるのです。まあ知ってる人ならちっとも驚かないだろうけれど、この通路が実に空いていて歩きやすいんですね。こんなに利用者が少ないなんてどうしてなんだろうと懸念を覚えもしますし、この通路の例えば片側に小規模店舗を誘致するなんてことはできないのかなあと思ったりもしますが、きっと法律上の規制があるのでしょうね。この通路の行き止まりの階段を上がると東通りはもう間もなくです。 ジュンク堂書店から雑司ヶ谷霊園に向かって伸びる東通りは、池袋駅からそう遠くないにもかかわらずブクロの喧騒から一歩身を引いて、さほど通行量も多くなく品の良い商店街となっています。通りに面してマスコミ受けのいい大量に販売される老眼鏡で知られるお店があったり、墓地も通りに面していたりと初めて訪れたならそれなりに楽しめそうですが、通りに多く並んで目立っているのはやはりこじゃれた飲食店の数々です。「GRIP」、「RACINES」などの人気店が立ち並び、通りは株式会社グリップセカンド一色に染まりそうな勢いですが、「お酒の美術館」は系列ではなさそうです。こうしたカジュアルなバーやビアパブみたいなの近頃増えましたねえ。と書くとぼくが実はこうした若者たちがちょっと気取って呑んでそうなお店が好きだと誤解されそうですが、そんなことはちっともないのです。ぼくがこの通りで安心できるのは、「幸楽」や「とみー」、ちょっと気取ってるけど「Bar TOO」位なのであります。すでに食事を終えてお腹いっぱいだったのでたまたま見覚えのあったこちらで軽く呑むことにしたまでなのです。洋酒の大部分が500円で呑めて、チャージも掛からないから食後の腹ごなしには丁度いいのです。でもこういう店は若い男女たちこそ似つかわしいのでありまして、おっさんには少しばかり肩身が狭く感じられるのでした。
2021/01/11
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大事なのはマンガでもそれ以外でも構わないけれど、とにかく未知の驚きに遭遇した際に対象となる事物なり出来事を視線などの感覚機能が逸らしたり背けたりしないようにしないといけないと常々思っています。驚きこそが大事なのであって、当たり障りのないぼんやりと好ましい感触しかもたらさない事物や出来事などほとんど無意味であって、そんな温い感触に浸り続けるのは日々緩慢な死を体験しているようなものです。などと言ったことを書いてしまったようだけれど、これはいつもの酔っ払い文章でありまして、酔っ払うとやっぱりノープランで書き出すことが多くてその時は良い事を言ってるなあなんて思っているのだろうけれど、字面を眺めただけでも詰まらぬ話にしかならぬように思えるのです。でもここで言いたいのは杉浦茂というマンガ家が綺想の持ち主であるといった他愛のない評価では満たされない程の驚きを表現してきた人であり、その驚きは今に至るまで持続しているし、ますますその狂気の度合いを増しているように思うのです。『思索ナンセンス選集 第1巻 杉浦茂のおもしろ世界』(思索社, 1983)「さるとび天助」、「ガンモドキー」、「日輪丸」、「イエローマン」『杉浦茂のモヒカン族の最後』(晶文社, 1974)「忍術物語」『杉浦茂マンガ大全集 01 ドロンちび丸 第1巻』(クオーレ, 2014)『杉浦茂マンガ館 第1巻 知られざる傑作集』(筑摩書房, 1993)「キリン号のたび」『杉浦茂マンガ館 第2巻 懐かしの名作集』(筑摩書房, 1993)「アップルジャム君」、ピストルボーイ」、「少年児雷也」『杉浦茂マンガ館 第3巻 少年SF・異次元ツアー』(筑摩書房, 1993)「ミスターロボット1」、「アンパン放射能」、「大あばれゴジラ」、「0人間」、「ミスターロボット2」『杉浦茂マンガ館 第4巻 東洋の奇々怪々』(筑摩書房, 1993)「猿飛佐助」、「少年西遊記」、「聊齋志異」『杉浦茂マンガ館 第5巻 2901年宇宙の旅』(筑摩書房, 1993)「三角星」『杉浦茂ワンダーランド〈別巻〉 杉浦まんが研究 まるごと杉浦茂』(ペップ出版, 1988)「超人猿飛」『杉浦茂の摩訶不思議世界 へんなの……』(晶文社, 2009)「宮本武蔵」、「ミスター・ロボット」 さて、そんな杉浦茂でありますが、ぼくには不幸なことに新作を待望するというリアルタイムでの読書体験がありません。全盛期は1950年代とされているようだから、70代以上の方達でもない限りは杉浦氏の連載を継続して読む僥倖は享受できなかったと考えれば、仕方のない事でしょう。しかも、今だからこそ、こうして主だった作品が復刻され、簡単に楽しめるようになったのだからそれはそれで運の良いことなのかもしれません。とにかくぼくのようなおっさん世代にとっては、杉浦氏のマンガは大人視線で楽しむものであって、これを子供の頃に読んでいたとしたらとんでもない衝撃を受けていたかもしれぬと考えるとやはり残念な気持ちになります。ぼくが初めて杉浦マンガ、その比較的後期の作品を目にした時に感じたのが、どこか鈴木清順のような外連味があるなあということです。清順氏は映画なんてものはサービス精神旺盛なワンショットがあれば他の部分などなくたって構いやしないなんて思い切った発言を残していますが、そんな出鱈目さを杉浦氏にも感じるのでした。
2021/01/10
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マンガ家って子供の頃から、特に『まんが道』の影響をモロに浴びて憧れたものです。しかし、その夢は至極短期的なものでしかなく、やはり同作でプロとして生活を続けることの辛さ苦しさを突き付けられてあっさりとまんが道を断念するのであります。しかしプロになり大賛辞をもらいつつも若くしてまんが道を捨ててしまう方がおられます。マンガというのはマンガ家が描き続けていれば読まれ続けるものだけれど、雑誌連載を止めてしまうと途端に忘れ去られてしまうことが多いものです。赤塚不二夫なんかはあれ程の売れっ子だったのにひと頃ほとんど読めない時代があったように思います。今でこそデジタル化による復刻が普及して往年の有名マンガ家の作品が蘇っているけれど、ローカル的に有名でしかなかったようなマンガ家の作品は未だに古書店で買い求めるしかなさそうです。まあ、それだって今ではネットで幾らでも古書を手に入れられるのだから、ぼくが倉多江美氏を読むために費やした時間とお金は大変なものだったのであります。『静粛に、天才只今勉強中 第1巻』(潮出版社, 1984)『倉多江美作品集1 ジョジョの詩』(小学館, 1991)(「黄楊の木」、「カーキー姫の午後」、「新青春」)『倉多江美作品集2 ぼさつ日記』(小学館, 1991)(「森の小径」) 近頃まったく見掛けないなあと調べてみたら、倉多江美氏は1990年に入った頃には筆を折られていたのですね。1950年の生まれなので、40歳になるとすぐにマンガ家稼業をやめてしまったということになり、余りにも短いキャリアにもったいないなんどうしても思ってしまうけれど、1974年のデビューから14年ばかりをマンガばかり執筆していたら嫌になっても仕方がないのかもしれません。断筆間際には育児マンガを立て続けに発表したから出産を機にキャリアを投げうってしまったのでしょうか。育児マンガ移行前に執筆された『ミトの窓』、『お茶でもいかが』はすでに手元から離れて再読できないけれど、とても可愛らしい愛着の持てる作品でした。世間的には『一万十秒物語』や『静粛に、天才只今勉強中!』が好評らしい―古書店でよく見掛けました―けれど、ぼくはやはり最初期の『ジョジョの詩』、『樹の実草の実』、『ドーバー越えて』などが好きですし、なぜかウィキペディアの作品リストに掲載のない『青春エスプリシリーズ スプリング・ボード』が好みだったりするのでした。
2021/01/09
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黄色いカレーが突如として無性に食べたくなりました。黄色いカレーのレシピを見るとそうしょっちゅういい歳したおっさんが手を出して良いものとはとても思えぬから知らず知らずのうちに自主規制を図っていたのかもしれません。黄色いカレーの純粋な黄色というよりは黄土色というか山吹色にクリームをこぼしたようなその乳濁した感じがラードと知っては、やたらと注文はできぬのであります。大量の動物油脂と小麦粉に白米を摂取するのは中年にとってはかなりの冒険となりかねません。具材も豚肉と玉ねぎのみというのがオーソドックスなタイプであり、片隅に添えられた真っ赤な福神漬けが強烈な色彩として際立つのであります。この夏はぼくにはこれまでにない位にぱったりとカレー欲求が絶えていたのですが、秋めいてきてどうしたものか突如カレー欲求が蘇ってきました。しからば手持ちの黄色いカレー提供店リストを紐解いて早速向かうことにしたのでした。 やって来たのは、「稲廼屋」です。思ったより店の構えは新しいなあ。まあ、今晩のお目当ては見た目は見た目でも建物以外にあります。気になるのは店先の品棚のカレーライスが家庭で作るような茶色のルーカレーにしか見えなかった事です。さて、店内は長卓が3本並行に据えられています。まずは席に着いて瓶ビールを注文します。なるべくあれこれ食べたいのでA氏を伴いました。すると一本のビールを頼んだだけなのにそれぞれに板わさが5切れも突き出されました。これは何とも嬉しいザービスです。カレーとそうねえたまにはおかめそばでもいっておこうかな。しばらくしてまず登場したのはカレーでした。写真は残念な写りになっているけれど見事な明るい黄土色です。具材もてんけいそのものであります。久々の黄色いカレーに独り占めしたくなります。ほんのり出汁の香りが口中に広がりついこれよこれなどと呟きたくなります。インパクトには欠けるしどこかぼんやりした味なんだけど、これがいつまでだって食べ続けたくなるのが不思議なのですね。不思議だなあと思いつつすぐにお腹に溜まってくるのがおぢさんの悲しさ。おかめそばにバトンタッチです。伊達巻にカマボコなどなどの酒の肴になる食材も豊富で昔は好んでいただいたものです。おでんそばなんてのも好きでしたね。ここの出汁は関西の人が見たら卒倒しそうな漆黒具合なのですが、口に含むと案外すっきりして塩辛くも無く飲み干してしまいそうですがそこはぐっと我慢せねばならぬのが大人の寂しさなのです。
2021/01/08
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大友氏は、先達に対する敬意とともに対抗意識も強い人のようです。氏が宮城県の出身であることを知ったのは、つい最近になってからのことで、併せて同郷・同高校の出身である石ノ森章太郎を強く意識していたことを知ったのはこの一連の文章を書くためにウィキペディアを見て初めて知ったのです(『童夢』の悦子は『さるとびエッちゃん』から名付けたそうです)。 ところで,前回まで簡単に触れてきたように、氏はマンガの話法を一旦解体し、再建築するといった批評的な作業を洗練された絵と単純化された物語で実践してきました。その一方でマンガにおける様々なジャンルを代表するマンガ家たちをパロディとして作品化してきました。心ある模倣こそがパロディの精神だとすれば、大友氏はマンガを本当に愛しているようだし、研究熱心であると思うのだ。氏は、天才型と考えられがちだけれど実は努力型のマンガ家なのかもしれないなどと思いたくなるのです。『AKIRA(アキラ) 第2/4巻』(講談社)『Boogie Woogie Waltz』(綺譚社, 1982)(「暗夜行路」、「短距離走者の連帯」)『GOOD WEATHER』(綺譚社, 1981)(「CHUCK CHECK CHICKEN」、「トウキョウ チャンポン」、「GOOD WEATHER」、「カツ丼」、「BOOGIE WOOGIE WALTZ」)『SOS! 大東京探検隊/大友克洋短編集②』(講談社, 1996)(「SOS! 大東京探検隊」)『さよならにっぽん/大友克洋傑作集2』(双葉社, 1982)(「さよならにっぽんV」)『ショート・ピース/大友克洋傑作集3』(双葉社, 1986)(「WHISKY-GO-GO」)『気分はもう戦争』(原作:矢作俊彦)双葉社, 1982 さて、ぼくは残念なことに未見ですが単行本化されていない『饅頭こわい』というマンガエッセイを執筆しているようです。石ノ森章太郎は当然のこと、横山光輝、水木しげる、楳図かずお、鳥山明、永井豪、諸星大二郎、谷岡ヤスジ、高野文子などなど錚々たる顔ぶれをパロディとして描くのだからさすがであります。個人的には、少女漫画を換骨奪胎した「危ない! 生徒会長」が大好きです。またもウィキペディア情報によると『猫はよく朝方に帰って来る』の私立探偵は青池保子『エロイカより愛をこめて』のエーベルバッハ少佐のパロディとのことだし、『AKIRA』の主要人物の名前は『鉄人28号』から取っており、「作品の構造も同作品の一種のパロディ」であるそうです。こう見てくると大友氏という人は単なるマンガ馬鹿のようで一層好きになってしまうのでした。
2021/01/07
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ここ数年、酒場放浪記はめっきりHPで情報収集することはあっても番組そのものを見るのは録画したのをざっと眺める位になりました。別につまらないとか言ってる訳ではなくて、単に優先順位が下がっているだけで、HDレコーダの容量さえたっぷりあれば保存しておいて、将来まとめて見たいとは思うのであります。その頃には、世の中の酒場も数を減らし昔は良かったなあなんて呟きながら呑んだりもするのだろうと思うのです。で、HPで入手する情報とは何かというとご明察のとおり毎週火曜に更新される次週の予定であります。これをチェックするのは火曜の朝の日課になっているのです。で、その週の予定を確認し無理のない範囲で赴けるようであればスケジュールに組み入れるという次第です。なぜそんなことをするのかは説明の必要すらないのでありますが、一応書くとすれば放映後のにわか混雑を避けたいがためなのです。でも、今ではむしろそれよりも積極的な理由、つまり放映前の店側のソワソワした様子を眺めるのが楽しいということを知ってしまったのであります。そういった場合の反応は様々で、まったく知らぬ存ぜぬを通すかもしくはまったく逆に大いに語ってくれるかの両極端である場合が多くて、この夜お邪魔したお店は典型的な後者だったのです。 お邪魔していたのは、「もつ焼き ますだ」です。ここの存在は随分以前から認知していて、実際に一度お邪魔しようと思って近くまで伺ったことがあるのです。でもその際は側にある「ぶんぶく亭」という焼鳥店にうっかり捕まってしまい、そのままになっていたのでありました。こうして改めて来てみると、この外観で見過ごすことにした自分が不思議でならぬのです。都営町屋七丁目アパートの離れの棟の1階にしがみつくようにあって、もし「中華 御食事 和耀」が営業していたら両店をハシゴしなくてはならなかったでしょう。でも「ますだ」で呑んだ後にどこか他所にハシゴするのは困難であることが判明したので、今更ですがお邪魔しようと思われる方はご注意いただきたいのです。店内は小上がりメインの思った以上に狭い造りです。独りだから当然カウンターに腰を下ろします。店は女性二人でやってるんですね。母娘さんでやっていてお二方ともよくお喋りになる。こちらから切り出すまでもなくテレビ出演やら吉田類氏のこと、店の歴史など語ってくれるから面倒はないし、退屈しなくて済むのもありがたいです。でもそんな余裕もかつて肉の卸しをやっていたオヤジさんが築いた仕入れルートを継続して守り手に入れた新鮮なモツの巨大切り身を見たらもう聞いている暇はないのです。これがもうステーキというほどに巨大で3串も食べたら満腹するほどです。特にレバーは凄いので好き嫌いに関わらずお試しあれ。ちょっと苦手なぼくは食べきった時点ですでにお腹が満足を訴えていました。
2021/01/06
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ウィキペディアに「大友のコマ割りなどに大友が敬愛する黒澤明やサム・ペキンパーの影響が強い」とあります。はじめはふうん,なるほどねえと読み飛ばしてしまったのですが,日を追うごとに気になりだしたので少し検証めいたことをしてみたいと思い立ちました。順番はひっくり返りますが、まずはペキンパーの演出から検討してみます。映画批評家の蓮實重彦氏がかつて『ワイルドバンチ』のスローモーションを引き合いに「ペキンパーは無駄な描写を重ねて、だらしなさを繰り返していくことで何かが出てくる人」であり,「描写の経済学というものがもはや機能しないところに立っている」と語ったことがあります。ぼくはこの言葉には大いに賛同しているわけですが、では大友氏のマンガに描写の経済学の機能不全が見られるかというとけしてそんなことはないように思うのです。氏のコマ割りというか連なりには無駄なつまりは経済性を欠いた要素などなさそうに思えます。逆に言えば、一つには映画というものがいざ撮れつもりになれば誰だって撮れてしまうという側面を孕んでいるのに対して、マンガというメディアはたった一つのコマを描くにも相応の労力を要求されるものだし、それが執拗なまでの描き込みを武器とした大友氏であったとすればその労力は甚大なものであるはずですし、そういう意味ではマンガそのものが不経済なメディアと言えるのかもしれません。『さよならにっぽん/大友克洋傑作集2』(双葉社, 1982)(「East of The Sun, West of The Moon」、「聖者が街にやって来る」)『ショート・ピース/大友克洋傑作集3』(双葉社, 1986)(「School-boy on goodtime」、「WHISKY-GO-GO」)『気分はもう戦争』(原作:矢作俊彦)双葉社, 1982 続いて大友氏への黒澤明の影響をみてみたい。ノエル・バーチは『一番美しく』を例に挙げて黒澤のエンプティー・ショット―人物が不在の風景のみのショット―が、心理主義の面からも説話内部の描写として機能しているといったことを語っています(一方で、小津安二郎のエンプティーショットは説話外の描写となる)。この点では大友氏もまたエンプティ・コマを説話内部に還元できるような用い方をしていると思われます。なるほどねえ。でもむしろ頻繁なパースというかアングルに黒澤作品のイメージが見て取れる気もしてくるのでありまして、『蜘蛛巣城』だったり『野良犬』なんかのショットが確かにコマに反映しているなあなんて思えてきたりするのです。でも蓮實氏の言葉を「黒澤は無駄な描写を重ねる素質はあったのに、だらしなさを嫌悪したことで何かを出し損ねた人」であり,「描写の経済学というものが機能不全となった」と言えるかもしれません。って、ハスミストの方に激しく叱責されそうなので、この文章への批判的なコメントは予め固く辞することにさせていただきます。 ところで氏が麻疹のような一過性のブームとなっていたアメリカンニューシネマの影響下で作品を描き始めたらしいといったことを前回書いた気がしますが、実際執筆されたマンガにはそれらの映画が含んでいた叙情的な演出は気迫であり、実は似て非なるもののようだと思い直したので、最後に補足しておきます。
2021/01/05
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ぼくの基本的な好みとして、例えばレトロっぽさを再現した店舗だったり横丁だったりが好きにはなれません。では、なぜ好きになれぬかといえば、それがオリジナルに対するコピー、つまりは似て非なるものでしかないから好きではない、とそう簡単な理由で説明できることではなさそうです。例えば、新横浜ラーメン博物館や横濱カレーミュージアム、ナンジャ餃子スタジアムといった施設にはそれなりの存在意義を認めていますし、実際行ったことはないけれどけして嫌いではないように思います。でも恵比寿でも大塚でもいいけれど、町並みをそれらしい呑み屋街に改造するのはどうかなあと思うのです。そこにあざとい営利主義のこすっからさを見て取ってしまうのです。どうも本気の愛情が感じられないのです。まあ、上手く両者の差異を説明できないのですが、デパートの飲食店街にもちょっと好みのお店があります。百貨店の最上階なんかにある回転式レストランや大食堂などには郷愁を覚えますが、本体自体が改修を済ませ、店内も今風になってしまっては愛情の対象にならなくなった以上、似非でもいいからそれっぽく愛情を込めたお店であれば好きになるのに躊躇していられないのです。 池袋の西武百貨店の8階に飲食店街はあります。スポーツウェアの店などが立ち並ぶエリアの通路を挟んで「ブラッスリー ル・リオン(BRASSERIE LE LION)」があり、それらの売り場が丸見えのテラス席はぼくの選択肢にはありません。通り掛かりの買い物客たちの目に触れるのもあまり気分が良いとは思えませんが、それ以上に席からの眺めが到底フランスの町角には思えぬからです。日本のそれも池袋くんだりでフランスも何もあったもんじゃないですけど、これが住宅街の人通り疎らな路地だったりしたらそれなりの気分に浸れると思うのです。だから当然のように店内にて食事することにします。赤みを活かした落ち着いた店内は書棚が並び、本場リヨンにいかにもありそうな雰囲気が漂っています。わずかに見えるテラス席もその背後までは見通せないから丁度良い具合です。まがい物であろうとそれなりのセンスと愛情さえあれば相応な効果をもたらすのであります。さて.この日はアラカルトであれこれと頂くことにしました。飲食店街の店と侮ることなかれ、ここの料理は手頃で味もちゃんとしていてしかもポーションが立派だからシェアして食べて丁度いいと思います。この夜はジビエとして鹿肉が用意されていて、これがとても美味しかった。量もあるからついワインが進みますが、嬉しいことにデキャンタで提供してもらえるからついもうひとつとちょっと呑み過ぎてしまうのです。この飲食店街の他店は知らぬけれど見たところ内装やらで楽しめそうなのはここ位のようなのが、残念、せっかくだからフロアーごと拘りをもってもらえるともっと愉快になりそうです。
2021/01/04
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「ほりえ」 いづろ通「つたふじ」 尾道「はつね」 西荻窪「たつみや」 茨木市「お座敷洋食 入舟」 大森海岸「珍珍亭」 武蔵境「梅乃家」 竹岡「一二三屋」 矢口渡「珍々飯店」 武生
2021/01/03
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それは、一冊のマンガ批評の記載がきっかけでした。一介のマンガ好きでしかなく十年以上のブランクもあるぼくのような生半可なマンガ好きにとっては、指摘されぬと気付かぬことも多いものです。余談になりますが、ぼくはこれまでいくつかの趣味の泥沼にズブズブに埋もれてきたという過去がありますが、そのいずれもが実作との遭遇というメロドラマチックな出来事とは程遠く、どこもこれもが決定的な読書体験を経由してもたらされたものなのです。マンガに関しては幼児期からの趣味だったこともあり実作がきっかけといえますが、でも十年のブランクの後にマンガ読みに立ち戻ったのはやはり何冊かの映画批評の影響を受けてのことなのでした。これはいかにも恥ずかしいことでありますが、事実を隠すのもみっともないし、大体読書傾向から分かる人には分かってしまうのだから隠しようもないのです。『Boogie Woogie Waltz』(綺譚社, 1982)(「短距離走者の連帯」、「醜悪の軋み」)『GOOD WEATHER』(綺譚社, 1981)(「トウキョウ チャンポン」)『SOS! 大東京探検隊/大友克洋短編集②』(講談社, 1996)(「SPEED」)『さよならにっぽん/大友克洋傑作集2』(双葉社, 1982)(「聖者が街にやって来る」)『ショート・ピース/大友克洋傑作集3』(双葉社, 1986)(「犯す」)映画館『Boogie Woogie Waltz』(綺譚社, 1982)(「チュンバラブギウギチュンバラブギ」)『ハイウェイスター/大友克洋傑作集1』(双葉社, 1979)(「つやのあとさき」)『SOS! 大東京探検隊/大友克洋短編集②』(講談社, 1996)(「SPEED」)『ショート・ピース/大友克洋傑作集3』(双葉社, 1986)(「任侠シネマクラブ」) その執筆者が米澤嘉博だったか四方田犬彦だったか定かではないけれど、大友克洋のマンガでは、スピード線が意図的に排除される場合があるというものでした。スピード線とは例えば疾走するキャラクターの背中から太細幾筋もの直線が伸びる表現で、これによりスピード感を表現するというマンガ読みにとっては、自然な描写として無意識に受容してしまうものです。これには虚を突かれましたが実際に執筆する大友氏はこのスピード線を排した野球漫画を執筆しているのですが、そうして仕上がったマンガは異化効果をもたらしたかといえば必ずしも不自然ではなくすんなりと読めてしまうのでした。主人公などの注意を集めたい人物や物体に映画でいうズームのような感覚をもたらす同様の表現に集中線がありますが、これも特に初期の大友氏ではあまり見掛けないように思うのです。ぼくが前回、コマ中の白抜きのスペースが目立っていると感じたのはこの表現が排されていたからかもしれません。かように実験的で従来のマンガ表現を刷新する、というかマンガ表現の約束事や効果的と考えられてきた手法を立ち止まって実作にて検証するという真に実験的な試みにこそ意味があったのだろうと思うのです。
2021/01/03
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「とんかつ 関平」 石岡「大将」 高崎問屋町「味の栄珍」 南高崎「すみれ食堂」 高崎「山木屋」 安中榛名「満寿池」 安中榛名「大豪」 高崎問屋町「陽気軒」 吉井「太洋軒」 安中榛名「うらしま」 打田
2021/01/02
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いよいよというべきか、それとも大御所ならまだまだいくらだっているだろうにという意見もありましょうが、いざ久し振りに学生時代に好んで読んだ大友克洋氏の作品を振り返って読み返してみると、当時は驚くばかりに斬新に思えた氏の作品がその影響力もあってか人口に膾炙し、多くの模倣者を生んだこともあってか、今や氏の表現が格別に新しいとは思えなくなっていたのです。誤解をしていただきたくないのは斬新さが失われたからといった、氏の執筆した必ずしも多くはない作品群の価値が失墜したということでは決してないということです。実のところ当時は目先の斬新さばかりに目がいっていたのですが、当時は見過ごしていた細部に面白さを見出せて大いに満足しているのです。そんなことぼくが断らなくたって、例えば代表作のひとつである『AKIRA』が100度目の重版となったニュースを見るだけで明らかです。さて、大友氏をめぐっての話題は尽きぬのでありますが、まずは恒例、大友氏そしてその作品とぼくの関りについてから語り始めたいと思います。『AKIRA(アキラ) 第1/2/4巻』(講談社)『Boogie Woogie Waltz』(綺譚社, 1982)(「目覚めよと叫ぶ声あり」、「心中―'74秋―」、「ROCK」)『GOOD WEATHER』(綺譚社, 1981)(「愛の街角2丁目3番地」『ハイウェイスター/大友克洋傑作集1』(双葉社, 1979)(「つやのあとさき」、「さよならのおみやげ」)『SOS! 大東京探検隊/大友克洋短編集②』(講談社, 1996)(「SPEED」、「サン・バーグズヒルの想い出」) はじめて手にしたのは、『童夢』だったか、それとも『気分はもう戦争』だったでしょうか。デビューは1971年とのことですから、すでに10年のキャリアを積んでおられたからこそのすごく完成された作品と興奮したのでした。当時はぼんやりとすごい緻密に描き込まれているなあ―一方で、真白なスペースも大胆に配置されているなあ―と驚かされるばかりでしたが、その後の『AKIRA』もそうですが、絵のすごさに比して物語が淡泊だなあという印象を抱きました。その印象は今でも大きな変化はないのですが、物語より絵の方にずっと興味を持っていたぼくは、その後、映画にハマり今ではすっかり興味を失ったアメリカンニューシネマの洗礼を浴びつつ、同時に大友氏の初期作品へと遡及する過程で、その類縁性に気付き嬉々としたものです―当時、旅先の沼津の古書店で『Boogie Woogie Waltz』を入手したものの後日散逸させたのは返す返すも無念―。でもその頃のぼくはまだまだ少しも大友氏のユニークさを分かっていなかったのであります。続きは次回。
2021/01/02
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新小岩で昼呑みで訪れたその道中、どうにも気になる物件に遭遇したのであります。夜まではまだ当分時間があるし、そもそもの話、この物件が現役である根拠など見出せぬのでありまして、こうした物件を見掛ける度に己の余り当てにならぬ鑑定眼だけを頼りにせねばならぬのはいかにも頼りのないことです。お馴染みのウィキペディアによれば「鑑識とは、専門的な知識を持つ者(専門家)が、科学的、統計学的、感覚的な分析に基づいて行う、評価・判断をいう」そうでありまして、ぼくの場合は大部分が感覚的な分析に基づいた分析であって、本来は科学的、統計学的、感覚的な分析の統合結果に基づいて行う、評価・判断であるべきだろうと思うのです。まあ、そんなしちめんどくさい分析などせずとも近所の店の方でも通行人でもいいけれど、ちょいと聞き込みしてしまえば済んでしまうことなんですね。でも酒でも入れぬと見知らぬ人に語り掛けることのできないぼくには再訪するより厄介に思えるから、人から与えられる情報よりも自身の足で獲得した成果のほうが価値があるなどという妄言で無駄に時間を浪費したりを繰り返すのであります。 標題で掘っ立て小屋と書いてしまったけれど、ちょっと失礼だったかな。平和橋通りと名もない小さな通りが引き込まれた三角地にジャストサイズに小屋が建っているのです。ふとここにカットされたショートケーキを象ったお店などあったらちょっとユーモラスで話題になるかもしれないな、しかもショートケーキなら定期的なメンテナンスは必要だけれど、建設費用は安価もしくは自力でも製作可能ではなかろうかなんてと思ったけれど、建築物件造りと洋菓子作りの職人が双方を兼ねている例はなさそうだしと妄想は膨らみますが、案外すでにそんな物件存在しているように思えてきました。ともかく「おでん いちぜん」は、酒場好きの琴線を掻き鳴らすような魅力を放っていたので、ダメもとで夕暮れを待ちわびていそいそ出向いたのですが、なんのこともなく営業を始めていたのであります。わくわく店内に入ってみればこれは至って無難な感じでちょっと拍子抜け。もっとハードなムードを予想していたけれど、狭いことは狭いけれど至って穏当なお店だったのであります。店の女将さんも極めて温厚なお方でありまして、なるほどこのスペースならお客さんが増えても困ってしまうし、今更見た目を取り繕わずともご常連だけで十分というところでしょうか。そんなことを推測していると、ご同伴前らしき熟年カップルが登場しました。あとからもうお一方合流するようです。ほらね、これでほぼ満席になりました。カラオケが嫌いだわというママがやっているスナックのようなムードのお店といったらつまらないなあ。
2021/01/01
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