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ゴルフ場のラウンジで、10人ほどの殿方が、ビールを飲みながら何やら盛り上がっていた。私が傍の席に座ったら、そのうちの一人の英国系の方が「うるさくて失礼。4組くらいで、オカナガンに4泊6ゲームのゴルフ旅行に行く計画をたてているもので・・」と、あくまで紳士的ながらもとても嬉しそう。オカナガンは、バンクバーから見ると内陸の地で、夏のあつさは厳しいけれども、山あり、谷あり、湖あり、ゴルフ場あり、おまけにワイナリーもある、仲間同士のゴルフ旅行には最適な場所である。「昼間は毎日ゴルフ。・・・・・で、夜になったら、ホテルのラウンジで静かにお茶を飲みながら、詩を読む」・・・と、言いながらウインク。(嘘の印だ!)「Drinking TEA and reading POEMS?!」と思わず大きな声で復唱すると、皆が大爆笑した。そうです。だ~れもそんな気は少しも無いし、誰もがそのことは知っている。ダージリンをポットから注ぎ、しみじみと口に含んで、ワーズワーズの一節を・・・なんて、19世紀みたいだし。「で、もし、ご主人も参加したら、留守の夜は、あなたはどうするの?」と聞かれたので、しかたがないから、「Buy some wine and cheese, and have a party」とか、私も大嘘をついて、適当にみんなに笑ってもらった。本当のところ、私は、大きな湯呑みに番茶をたっぷり入れて、短歌の本を読んだりするのだろうけれども、それは英語にすると 「Drinking TEA and reading POEMS」!いくらなんでも、そうはいえない・・・デス。でも、それがちゃんと言えるようになったら、「ユーモアのある会話ができるひと」ということになるのだろう。
May 31, 2009
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ひと言ずつ書くつもりが、ちょっと長くなっているけれども・・・NO.2の続き。たいせつな会議の前に現はれるZack Balanni氏に騙されずそうです。「今日の会議はざっくばらんに」なんていわれて、うっかり本音などを言うものではありません。おとなはあくまでも「建前」の「ざっくばらん」でしっかりと自己防衛をしなくては・・・自分で失敗した人や、失敗した人を見た人はたくさんいますよね。私は自分で失敗しました。をりをりにカメにかけゐるわが声のややに高きを妻は言ひたりやっぱり! 赤ちゃんに声をかけうような調子になるんですよね、犬や猫に声をかけるときは。でも、「カメ」にそうなる方は・・・他に知りません。私は、電話のときにちょと声が高くなるからと言うことで、主人に気味悪がられ、主人の前では極力電話は使わないようにしています。フロッピーディスク専用シュレッダー苦虫を噛むといふごとく噛むそんなシュレッダーがあるのですか。 びっくり!中を開けばぴらぴらした薄いものみたいですが、外側入りだとバリバリバリ・・・とシュレッドするのでしょうか。「苦虫を噛むというごとく」という比喩に想像が広がります。誤植あり。中野駅徒歩十二年。それでいいかもしれないけれど一字のことであまり大きく変わりすぎて、かえって趣があったりして。下の句の半肯定の呟きが、なんともいえない柔軟さ。強調の〈し〉がどうしても要るほどに涙し流る 千葉ロッテ日本一上の句がユニークで、意表をつかれた。普通は「し」はあまり使わない作者が、ここぞという場面に、「使うぞーっ」と使う「し」なのだ。そういう感動ができる作者が少しうらやましかったりするのだが、うちの連れ合いもタイガースが勝つとこういう状態になるので、想像はつく。その人のメールアドレスその中のcogito ergo sumを畏れつつありそういうメールアドレスを持つ人は、きっと教養のある哲学的な人なのだろう。なんだかごく普通のメルアド(メアドではなくて)をもつ自分を後悔しそう。コンピューター<マウス>の複数形にして<マウシーズ>あり英語おそるべしえーっ?とびっくりして辞書を見たけれども、行き当たらず、ネット検索でwikipedia に、以下のように定義されているのにであった。In computing, a mouse (plural mouses, mice, or mouse devices) is a pointing device that functions by detecting two-dimensional motion relative to its supporting surface.mice で悪いこともないらしいけれども、mousesの方が先にでてくる。(なんとなく言いにくいなあ・・・。面倒でもmouse devices と言おうかしらん。)中国語の簡字体に出会ったような、不思議な気持がする。男ゆゑ男への恋が実らずと高校生が保健室で泣くそういう時代なのか・・・日本も。「高校生が」には痛々しくて・・・読む方が泣ける。保健室の先生は本当に大変だ。もしかしたら昔も「男ゆゑ男への恋が実らず」という高校生は居たのだけれども、保健室に行って泣けるような環境ではなく、もっと辛かったのかもしれないから、うちあけることができるだけ、幸せなのかもしれないが・・・。かはいいと思ひ込むのが教育の秘訣とぞ馬の話であれど馬だけではないと思う。思い込むとその気になって、よい教育が出来るのだろう。愛のない教育なんて・・・!(私も、「ひと様にお付き合いいただくには、まず、その人を好きになれ」と、よく父に言われました。)〈高齢者・ニート・女性〉とくくられて妻は怒れり安倍晋三にそうだろうな・・・。私も三十代だったらきっと怒れたし、怒っていた。でも・・・・・今は、1人でその全部をやっているようなものだから、怒るに怒れない。delighted(うれしい)を悲しいと誤訳せし生徒のこころの奥をすこしあやぶむ私は、terrific という言葉が、すばらしい誉め言葉だと知っていても、terrible と音が通じているためか、なんだか自分では使うときに抵抗があるし、awsome もカナダでは普通に「とてもすばらしい」という意味に使われているのに、高校時代に「恐ろしい、すさまじい」の語義の方が先にあたまに入ったために、どうしても誉め言葉として口にできない。awfulという言葉と始まりが同じなのも関係があるかもしれない。その生徒さんも、何か delighted をうれしい意味で使えない理由があるのかな?それとも、ただの間違い?携帯電話を携帯と呼ぶ人々は太平洋戦争を太平洋と呼ぶか呼ばない!しかもその矛盾に気づいていない!一生を終へたことなきわたくしが英語は一生役立つと説くこれも、ちょっとした矛盾。極楽に行ったことが無い人が、何か気持のよいときに「ああ、極楽、ごくらく!」と言うのと同類か?私には、英語が多分、これからの一生にはずっと役立ちそうな気がするけれども、学校で勉強していたころ、英語が一生役立つような立場になろうとは予想もしていなかったし、事実、たいして役にたたない時代もあった。(「英語が受験に役立つ」くらいは事実だろうけれども、一生役立つというと、さて、すべての人に当てはまるかどうか。)一生を終えるときには、どういう結論がでるのだろうか・・・。国産のウナギばかりを善として、とほくナショナリズムとつながるそんな感じ・・・ですね。国産の食べ物でないと安心して食べられないような気がして、例えば中国産の食べ物を恐ろしいと思っている(それも無理はないけれども)人たちが、その一方で、漢方薬だけは中国産を特に愛用するのは、またまた矛盾。心の中の矛盾した要素を拾っていくのも、短歌の種を選別するコツかもしれない。Yes, we can バラク・オバマが言ふときの、we に入らざるわれをさびしむ演説を聴いているときは、なんとなく自分もweに入っているような気持ちになっているけれども、よく考えると、とんでもない。アメリカと日本の国益が同じ問題については、ある程度 weに入った気持ちで唱和してもよいかもしれないが、国益がぶつかるときは、あちらさまがWE CAN で思いを通せば、WEに含まれていないこちらは、譲歩しなくてはならないということで・・・。油断大敵!カナダなどという、アメリカと陸続きの、有刺鉄線を張ったながーいフェンスを国境としただけの国は、アメリカにあれだけ堂々と Yes, we can といわれてしまうと、実は、たいへんな脅威だと思う。GMの問題を見ても、そのあたりは如実だ。 手をつなぐためにたがひに半歩ほど離れたりけりけふの夫婦は「半歩」という距離が何とも言えない。その位離れないと手がつなげないというのも、なかなか面白い。象徴的に見れば、ちょっと離れたことでより近づける夫婦の微妙な関係が、何気ない行動に託されているようで。
May 30, 2009
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ご近所のひさこさんからのメールに、「Van Dussenの黄花藤が、もう満開になっていますよ」と書いてあったので、先週見たて来た黄花藤を見に、もう一度植物園に行った。お天気も上々なので、実物は黄色が金に光って美しかったのだけれども、写真の方にはその美しさが出なくてちょっと残念。フォトショップを「研究」しなくては! 青い芥子の方は、日陰が好きらしい。木漏れ日の中で、下を向いて咲いている。ヒマラヤではどういうところに咲いているのだろうか・・・ ハンカチノキも、まだたくさんの花(ではなくて 苞)をひらひらさせていてとても美しかったが、近寄ってみると、先週にくらべると、白がちょっとくたびれて、表面も張りがなくなっていた。(身につまされて、気の毒だったので写真は撮らなかった。)ハンカチが布巾になってしまったような寂しさ・・・・そういえば・・・・「絹のハンカチが雑巾になった」と言われた政治家がいたけれど、誰だったかな・・と考えながら帰ってきて、家に着く直前に「あっ! 藤山愛一郎氏だった!」と思い出した。それにしても、思い出すのに時間がかかるようになった・・・・実に。
May 29, 2009
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『アスタリスク』(大松達知歌集)を読んでいて、批評とまではいかないのだけれども、その関連で何か言いたくなってしまった歌の中から、ひと言ずつ・・・テロのことてろと書いたらうつすらと畳の上の火薬が匂ふ(*「てろ」には傍点あり)カタカナとひらがなの視覚的な印象の差の表現が見事で・・・なかなかに消せぬテレビよみづからの生をみづから消せないやうに比喩がたくみだし、ユニークだし。「それほどのことはないでしょ」とは思うけれども、まるで、そんな感じでテレビを見ている人が、私の家にもいる。また、他の人から見たら、私もそんな感じでテレビをつけっぱなしにしているのかもしれない。牛丼を食はずに過ごす春の日のBSEのBはボヴァイン病名で有名になる英単語 牛はボヴァイン、豚はスワインbovine も swine も、こんなことでもなければ、日本人にはこんなに広く知られる言葉にはならなかっただろう。(受験の頃には知っていても、ふつうの社会人になったら忘れてしまうような英単語だ。)そうそう、猫のfeline だって、予防注射で覚えた単語だし、犬のcanine も 歯の名前がなかったら覚えなかったかもしれないし・・・よござんす、祖母のたましひ、よござんす、口癖まねて、たましひを呼ぶおばあさまを思い出すとき、その口癖が聞えてくるような気がする作者。「よござんす」から、おばあさまの雰囲気がわかるような気がする読者。よござんすねえ、こんな風に孫から思い出してもらえたら。うちの孫も、「なんだっけ」という言葉から、私を思い出してくれるかな? 今でも口真似をして喜んでいるから。回天に志願したるはバレー部の主将のやうな愛男(えをとこ)なりけん三十代の作者が「回天」をご存知だったことにちょっと驚く。よく笑ふ親の子供はよく笑ふ なんでもなくてしあはせなことそうなのですか・・・。先生ならではの観察。理屈ではない、率直な一首で、なんだか野村清先生からお褒めの言葉がありそう。そういえば、うちの子供たちは、外に出たときよく笑う子だったのかどうか・・・。家庭で親が観察するのとは違う姿があったのかもしれない。なにゆゑかひとりで池を五周する人あり算数の入試問題にそうそう、昔からよくこういう問題があったっけ!小学生時代の私は何の疑問も持たずに計算したけれども、ちょっと距離を置いてみたら、一人で五周する人っていうのも、なんだかよほどの健康オタクのウオーキングででもないかぎり、ちょっと現実的でない。(余談ながら、この種の問題は、代数を使ってはいけない小学生にはかなり難しかった覚えがある。ある時期になると、算数よりも数学の方がやさしいというのも、子供に「算数」を教えたときに実感する父兄も多いのではないだろうか。)出された問題の条件はそのまま既定の事実として受け入れて、計算方法を考える人が多いなかで、ふっと見方を変えてみると、思わず笑いたくなる面白さ。うたがわず〈昇るもの(エレベーター)〉で降(くだ)ることやつぱり人はどこか怪しい最近、エレベーターに乗るたび、この歌を思い出す。私は11階に住んでいるので、外出するときは、まず「上に上げるもの」で「下に下りる。」アヤシイ。イギリス語で言っても「LIFT」だから、これで降りるのは、やっぱりどこか「怪しい」。さらにフランス語はascenseur, スペイン語はascensor でいずれも昇るだけ。ついでに、あまり分からないながらもドイツ語を辞書で見たら「aufzug」。 auf があるということは、やはり上るものの意味だろう。でも、でも・・・日本語には「昇降機」と言う言葉があった、昔は。(昇降機なら広辞苑にも出ている。)日本語より論理的といわれる欧米語(あえてひと括りにして)だが、この場合、あまり論理的ではなくて・・・あやしい、あやしい。思うに、elevatorが作られた当初の目的は、下りることでなくて上ることにあったのではないだろうか。スキー場のチェアリフトのように。ちなみに、私が始めて乗ったエレベーターは、日本橋の三越のエレベーターで、小学三年生の時。昇り始める瞬間にちょっと下りるような感覚があるのが恐ろしかった。エスカレーターに乗ったのは、もう少しあとで、これも日本橋の高島屋だった。どちらに行くときも、渋谷から銀座線に乗って行ったのだが、銀座線だの三越のエレベーターだのは、昔の面影が濃くて楽しい。「わが国」と大観衆を前に言ふ悦楽を思ふ思ふのみなるあ、やっぱりあれは「悦楽」なのだろうな。わき道にそれるが、エリザベス女王様がカナダにいらしてのスピーチは、いつも最初の方に "You, Subject" という言葉が入る。英連邦としての名残なのだろうけれども、観衆はけっこう喜んで聞いている印象がある。慣れていらっしゃるから女王様ご自身には普通のことかもしれないが、イギリス人でもなく、カナダ人にもなりきれてない私など、女王様の誇りとか、喜びとか、毅然とした責任感とか、親のような愛情とか・・まあ、そういう複雑なものを感じとってしまい、また、その場のカナダ人たちが、何とも思わず拍手しているのを見ると、その心理もまたちょっと不思議に思うことがある。そのあたり、案外私の歌材になるのかもしれない。むらさきの房を垂らして文鎮は決してペイパーウェイトではないそのとおり! 断じて違う。「むらさきの房」まで垂らしている優雅なものがペイパーウエイトであってはならない。・・・・・なんて力説したりして。これに限らず。英語に置き換えると似ても似つかぬ印象になってしまうものがたくさんある。(息子達の結婚以来、家庭内の公用語も英語になってしまった私は、この感覚の差にフラストレーションを感じることしきり。たとえば、書道用の筆のことをbrushなんていわれると、ひそかにむっとしたりして・・口数が少なくなり、ブログの字数が増えます。)私は、年に数回、TANKA雑誌にも投稿をしているのだけれども、そのあたりのことでいつも躓く。これは〈魔法のやうに〉あらず〈魔法〉なりクリックしたら玄米が来たオンラインショッピングが魔法であらずして何であろう・・・やっぱり〈魔法〉に違いない。20年前に亡くなった方には、理解の出来ない世界。旧友のミスター・シーバスリーガルに付き合はされて今宵もおぼろいいな。ミスター・シーバスリーガル氏は私とはなかなか友達になってくれない。私は同じシーバスさんの家族でも、ロイヤルサルート21の入っている黄色い房のついたビロードの袋が好き・・・デス。小物を入れるのに、なかなかヨロシイ。 (『アスタリスク』No3に続く)
May 28, 2009
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大松達知歌集『アスタリスク』を読んだ。後書きに、アスタリスク(*)は「小さな星」という意味で、さまざまに使われる記号です。例えば言語学では、ありえない文(非文)を示すのに使ったりします。言葉のようで言葉ではないその役割と、その不思議な名前の響きに惹かれて、歌集名としました。言葉がその意味を超えて自由に飛んでゆくような歌を目指したいと思っていますとあって、さすがにセンスがよい命名。「言葉がその意味を超えて自由に飛んでゆく」 というのは、私だったら多少怖い気もしないではないが、思わぬ楽しみや喜びもあるのだろう。「言葉よ、自由に飛んで実力を発揮してくるんだよ!」とぶとりのアスタリスクを湧き出づるいのちのことばわれは聞くなりまた、アスタリスクは、脚注に使われる場合など、一見、二次的記述の印象ではあるけれども、実は、作者が本文中では言いたりなかった説明をして本文の理解を助けたり、本文中ですらりと述べてしまうのは、「まっとう」すぎてテレてしまうことなどをちょっと斜めに構えて述べる時にも使えて、一筋縄ではいかないところがある。作者の一番言いたいことは、案外、アスタリスクの後に、小さい字で書いてあったりする場合もあったりして。私の読後感は、一口に言うと「痛快」。(「痛快」という言葉は、今ではあまり普通に使われていない言葉かもしれないけれども、あえて。)特に、言語関係を扱った作品には、「私も感じてはいたけれども歌には出来なかったこと」が歌になっていたり、わが意を得た歌があったり、一緒になって面白がったり、笑ったりできる歌があったり・・・、読み進みながら、こんなに言葉を大事にしている「大松先生」に英語を習える生徒さんは幸せだと思った。テンポの良い詠み口も、「痛快」に一役買っているのかもしれない。他の方々の批評分・鑑賞文・紹介文がたくさん発表された後なので、私はそういう面からではなく、あくまで主観的に「好きな歌」という贅沢かつ我儘な基準で、いつものように10首を、以下に抽出する。(太字は、特に気に入っている作品)なにゆゑかひとりで池を五周する人あり算数の入試問題にうたがはず〈昇るもの(エレベーター))で降(くだ)ることやつぱり人はどこか怪しいむらさきの房を垂らして文鎮は決してペイパーウェイトではない旧友のミスター・シーバスリーガルに付き合はされて今宵もおぼろたいせつな会議の前に現はれるZack Balanni氏に騙されずをりをりにカメにかけゐるわが声のややに高きを妻は言ひたりフロッピーディスク専用シュレッダー苦虫を噛むといふごとく噛む一生を終へたことなきわたくしが英語は一生役立つと説くYes, we can バラク・オバマが言ふときの、we に入らざるわれをさびしむ手をつなぐためにたがひに半歩ほど離れたりけりけふの夫婦はこの本は、一般の本屋さんにも出されていると聞いた。特別な短歌用語をしらなくてもわかりやすい作品が多いだけに、これを読んで短歌にご縁ができる人たちもでてくるのではないだろうか。他に、あと二回ほどにわたって、読むだけでなく、「私もなにか一言言いたくなった作品(上の10首も含む)」を、Upしていきたい。
May 27, 2009
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夜の暗渠(あんきよ)みづおと涼しむらさきのあやめの記憶ある水の行く(高野公彦『水行』)ご近所のリッチモンド市役所の庭に作られた流れにそって、この時期になると、アイリスがたくさん咲く。 蕗もたくさん植えられていて (貰ってさっと煮て食べたいけれども・・・まさかねえ・・。野菜を植えているという意識はないでしょうから・・・。でも、蕗は強いから雑草が生えなくて賢い選択だと思います。)なんだか日本のどこかの市役所のようだ。アイリスを巡る水の中には、もう睡蓮も咲きはじめた。固定資産税を納めに行ったのだけれども、そんな用件のときでも、花や水を見ると心が休まる。今年も無事、納税することができてよかった・・・と、感謝したりして。
May 26, 2009
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こんな店を見つけました。ドラえもんを店頭に飾っているのです!!カナダの漁港のギフトショップ(Shooting Star)なのに・・・。後ろ姿を見たときに、まさかと思ったのですが、前にみると、やっぱりドラえもん。「どこでもドア」が実在するんだ!・・・なんてことはアリマセンヨネ。
May 25, 2009
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「コスモス」誌を読んでいると、たくさんのよいご夫婦に出会う。ひとりでは解けないままの問題がふたりなら解ける あぁ夫婦なり(大橋恵美* コスモス6月号)理想的!本当にこうあるべきだと思う。うちの息子達や娘にも、こういう夫婦になってもらいたいものだ。私? うちの場合は・・・・・ひとりでは解けぬ問題ふたりなら迷宮に入る あぁ夫婦なりかな? でも、それなりにまあ続いているということは、解けぬままにしておくか、迷宮に入れたままにしているということ・・・なのでしょう。 藪にゐる蛇はつつかぬやうにして事なく暮らす あぁ老夫婦 ・・・・なんて・・・あんまりよくない夫婦だ。夫婦の先輩としては、反面教師?手をつなぐためにたがひに半歩ほど離れたりけりけふの夫婦は(大松達知 『アスタリスク』)「半歩ほど」という距離がなんともいえない。詠まれているのは具体的事実なのだろうけれども、心象としても、より理解しあうためには、多少の「離」の心境が必要だということが感じられて、意味深長。(作者の意図とは違うかもしれないけれども)価値観のちがふ二人も老さびて「まめなが宝」と労はりて生く(和田久代 こすもす6月号)これも、相手を尊重しあって、労わりあって、なかなか味のあるご夫婦。うちなんか、もう少し人間が出来てきたら、この域に達することが出来るかもしれない。おいしいといはねど夫はよろこびぬおでんの中の結び昆布を(弘中 千恵子 コスモス6月号)日本人らしくて、普段着で、なかなかいいなあ・・・。テレビの料理番組ではないのだから、褒め方の工夫なんかしないで、おいしいと思ったら、うれしそうに食べてもらえるのが一番!夫の指す「あれ」とは「それ」でなかつたか輝く蜜柑を盛れる一皿(井口直子 『蜜の時間』)ご夫君を包み込むような愛情。「あれ」「それ」「これ」で用が足りるようになった夫婦でも、たまにはこういうことがあって、しかも、それだからといって、あまりこだわらない雰囲気。この場合、「夫」は介護を受けているのだけれども、奥様の態度にそういうところが出ないところが、愛だと思う。認知症の夫を施設にゆだねきてひとりの寒さ居ても立ちても(小島静子 コスモス5月号)三、四、五句の寂しさ表現の切なさ、寂しさ、残念さと言ったら・・・。あぁ夫婦なり!祈るほかない。
May 24, 2009
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吉田兄弟のバンクーバー公演に行った。若いからこそできるエネルギッシュな演奏があったかと思うと、しんみりとゆっくり静かな演奏があったり、構成としても充分に楽しませてもらった。(演奏の中ほどに、「朧月夜」がくる意外性など、ほろりとくる)撥を使ってまるで打楽器を演奏するような力強さでだす音に、会場が圧倒されているような様子ももちろんだが、ピアニッシモになるとき、会場の気が一つになって、ひきつけられているような感じもまたよかった。最後の曲は、「じょんがら」。オリジナルがたくさん披露されたのに悪いけれども、やっぱり「じょんがら」は磨きぬかれた曲なのだろう、すばらしかった。ジャズのソロのように、それぞれが自分のインスピレーションで演奏する部分があるとみたが、それものびのびと、技量自慢もあって、楽しかった。パーカッションが加わっての三人で、順次交代しながらのインターミッションなしの1時間半。あっと言う間に終わって、興奮のさめないままに帰途についた。それにしても、体力のなければできない演奏会。二人とも、汗びっしょりになって、信じられない左指の動きと、右手の撥さばき。体全体が三味線の共鳴体になったような恍惚感・・・・・。吉田兄弟の津軽三味線は、よい意味で「スポーツ」であった。*この公演は、バンクーバーの中心部、VOGUE THATREで行われた。ながく住んでいても、中に入るのは初めてだったが、1941年にたったという「伝統的」な劇場。こまかいところに装飾がほどこされた、ちょっと薄暗い建物は、一見の価値があった。音響効果は新しい劇場のようにはいかないが、それでもどことなく、なつかしいような、暖かいような感じのある劇場だ。* プログラム類の配布も販売もなかったし、吉田兄弟からごくかいつまんだ英語で、時々挨拶が入っただけだったので、曲についての知識が入って来ず、それは、音楽を音楽として純粋に楽しむには却ってよかったものの、ちょっと残念。ロビーでCDの販売でもすれば、1000人収容の会場だから、多少は売れたと思うし、私もほしかったのだけれども、それもなかったし・・・家に帰って夫に話したら、「興業主の手落ちで、許可を取り損ねたんじゃないか?」と言っていた。 そういうことかな?* 右隣の席だった白人中年女性が、公演が終わって帰るときに、They ARE cute! と言っていた。うーん・・・。喜ばれないかもしれない。30歳近い青年たちだから。* 左隣の席だった女性連れの大きな若い男性は、デジカメのヴォイスレコーダーを作動させていた。二階席の一番前だったから、それには適しているものの、「撮影や録音は禁止」とアナウンスがあったのに、気にしていないらしい。私が注意するということは・・・・不可能。だって、縦も横も私の倍くらいあるのに、年齢は私の半分以下なんて男性に、注意するなんて、オソロシイ。* 「三味線」という楽器のせいか、かなりの年配の日系女性を何人もみかけたが、ちょっとイメージが違って、がっかりされたのではないかと、気になった。* 吉田兄弟は、私から見ると親子ほどの年の開きがあるので、つい親のような目で見てしまうけれども、ご自分の息子さんたちが、こんなに息のあった演奏でお互いを引き立てあうことができるなんて、吉田家のお父さんやお母さんはどんなにか、うれしく見ていらっしゃることかと思う。愛情いっぱいで育てられたのだろう。きっと。
May 23, 2009
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車で15分ほどのところにある植物園に行った。以前は、そんなに植物に興味がなかったのだが、ここ数年、花を見ると気持ちがリフレッシュできるようになったので、時々一人で出かける。今日の目当ての一つは、黄花藤。 例年より少し花盛りが遅く、あと数日というところか?この花盛りに出会うと、陽に照らされて黄色が金色にみえる。これは「黄花藤」とは言われても、「藤」ではなく「キングサリ科」。足利フラワーパークの園長さんも見学に来られたくらいの自慢の並木道。ハンカチノキは、まさに花盛り。花ではなく「苞」だという白いひらひらが、枝からハンカチのようにたくさん下がっている。今年の花は、特に、しっかりと大きい。大きな木の全貌を見ようと離れると、木全体に、白いハンカチがひらひらひらひら宮英子先生がチベットまで見にいらしたのと多分同じヒマラヤの青い芥子も健在。これも、まだ咲き始めのようだ。あと2週間かな?莟の隙間から、もう青い花びらがわずかに覗いている。この莟は、あと数日で開花かな?今年は、青い芥子の群生の中に、白い芥子が混じっている。 莟の隙間から、白い花びらがほんの少し覗いているのは、青と同じ。青の花のつぼみから青が覗き、白の花のつぼみから白が覗くのは「ふしぎなけれど」州の花、花水木。さすがに元気。でも、露出過剰になって、写真がうまくとれない。 赤いマロニエも花を咲かせ、 枝ごと風にゆさゆさ揺れる。 白いマロニエは、堂々と大きく、 シャンデリアのように咲く。 カツラの木の幹は太くしっかりとして 初々しい丸い葉が重なり合って、日の光を透して濃淡の緑が美しい。 街では、桐の花も元気に美しく咲いているのだが、今年は植物園の桐はちょっとばかり元気がない。ライラックは、街にもたくさん咲いているが、植物園にはとても大きな一本があり、たくさん花をつけていた。見事だったので写真を撮りたかったのだけれども、木の下にカップルがず~っとむつまじく語り合っているので、なんだか悪くてカメラを向けられなかった。色とりどりの石楠花が道の両側に花を咲かせている細道は、今少し盛りをすぎたところ。私の身長の3倍も4倍もある大きなものから、肩までくらいしかない小さいものまで木の大きさもとりどり。花の色もさまざまだが、ごく薄いピンクが原種だと聞いている。♪石楠花色にたそがれた~静かな尾瀬♪という歌を思い出す・・・。桜も藤も終わってしまったけれども、アイリスはあと数日。合歓はまだ数ヶ月かかりそうだ。(四国に行ったときは、六月でも咲いていたけれども)来週あたり、もう一度来るチャンスが作りたい
May 20, 2009
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ご近所の古くからあるマンションの前に、大きな黄花藤の木があり、前を通るたびに気にしていたのだが、今日は、ほぼ満開。豪華にたくさんの黄色い花房を見せていた。こんなに大きな木なのに、花が咲いていないときは、あまり存在感がない。 遠くで見ても、近くで見ても、華やかだけれども、薫はあまり強くない。*ご近所の方へ場所は、Richmond Centreの近く。Buswell St.のPark とCookの間、東側です。まだ数日は美しいと思います。
May 18, 2009
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空に、めずらしい雲がでている一日だった。まるで秋のうろこ雲のような感じだ。地上は、ひさびさに17度まで行ったあたたかさだったけれども、上空はまだまだ寒いのかもしれない。
May 17, 2009
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『ゆきぐも茜』(後藤美子)を読んだ。昨年度のコスモス賞受賞者である作者の、60代から70代にかけての作品が集められている。 まず、はんなりと美しい歌集名だと思ったら、あとがきに、以下のように書かれていた。十一月から二月まで、札幌は雪雲に覆われる日が多くなり、暗い空といつ止むともしれない雪に鬱々とした思いにとらわれるのが常です。しかし、夕方のひととき雲が切れて、その縁が夕陽の茜に染まるのに逢うと、ほっと心が明るみます。憧れの気持ちをこめて歌集名を『ゆきぐも茜』としました。これは、「雪」を「氷雨」に入れ替えると、まさにバンクーバーの11月から2月の情景そのまま。(バンクーバーの方が緯度が高くて、日の出が遅く日の入りが早いから、もっと暗い気持になるのだけれども・・と、競争する気はないが)そして、こういう雲を見るとほっと心が明るむのはまったく同じ。かすかなる茜を帯びて雪雲の縁かがやけり師走に入りぬ同じものをみても、こういう言葉が想いうかぶ作者と、ただ喜んでいる私とでは、やはり感性の質も深さ違うのだと、実感させられてしまうけれども、やはりさすがだ。ちなみに、私は「よいタイトルがあってこそ、歌集は輝く」と思っている。そのほか、たとえば、自然条件に共通なものが多いのと、年齢的にも自分にひきつけて考えられる内容が多いこと、「言葉の斡旋の巧者」(鈴木英夫先生がよく、後藤さんの歌をこういう言葉で誉めていらしたものだった。)であること、言葉の隅々まで神経が行き届いていることなどから、読者としてかつ後輩として、表現上も構成上も、とても学ぶことが多い一冊であった。ただ、少し意外だったのは、作者はキリスト教に信が深く、そういう作品もあるのだけれども、一冊の底流にあるのは、むしろ「方丈記」に見られるような無常観のように思えたことだ。それは、やはりあとがきにある人の死や己の終りを考えることが増えました。ということからきているのかもしれないが、歌集の最後にある二首の作品現在が規則正しく過去となるデジタル時計またたきやまず「さかさにはゆかぬ月日よ」千年をへだてて沁みぬ源氏の嘆きに象徴されているように思えてならない。 以下に、特に印象に残った10首を、自分勝手な基準で抽出する。襟巻きをスカーフに変へ街へ出づ三月の陽ざしぐんと明るし最近あまり聞かなくなったように思う「襟巻き」という言葉だけれども、「格好よりもあたたかさ」みたいな印象があって、それをスカーフに変えて街に出るという上の句に、長い冬のあとの心弾みが感じられて、楽しい。 あふぎつつしだいにわれは羽が欲し桐のてつぺんにつぐみ囀る後藤作品としては、「しだいにわれは羽が欲し」あたりが、ちょっといつもと違う感じで・・・ ただに逝〈時〉に人間が打つ句点いま新しき年に入りたりそういえば、一年ごとの区切りなど、人間が、便宜上、勝手に打つ句点にしかすぎない。そして、それを飽きることなく続けてきた。もっと大きなところからみたら、むなしいほどに小さなことか? けさ生れしエゾハルゼミら啼き出でて夕茜生ふ山にとよもす「とよもす」までになくエゾハルゼミ。生命力を感じさせるとともに、命の短かい蝉の無常観も感じさせられた。(ちなみに、http://www.mediawars.ne.jp/~miyakopp/htmsemi/ezoharu.htmを訪問したら、エゾハルゼミの大合唱の録音が聞けた。エゾというから、北海道にしかいないのかと思ったら、この録音は兵庫県だったのも、意外。)十日余りイベリア半島を南下して日々細りゆく月影あふぐ下の句に表現された時の経過の観察が美しい。イベリア半島と言っても、この場合はポルトガルのことと、小題からわかるのだが、キリスト教者としては、ぜひ見てお置きになりたかったところだろう。(私は、同じイベリア半島でも、スペインをみたい。ゲルニカをみたい。アルタミラの洞窟をみたい。トレドの聖堂をみたい・・・・とか、まあ、いろいろありますが、それは脱線) さささ、さささ、風なき闇の宙(そら)に満ち雪くだり来るひそかなる音「さささ、さささ、」のささやくような擬音がとても魅力的。 死を言へるうつくしき語のひとつなり法王に「天の扉が開く」ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84)崩御のニュースで、私も、この言葉をニュースで聞いた。たしかに、「死を言へるうつくしき語のひとつ」だ。病篤い日々が続いた後についに召される前日、「今夜、キリストは法王に扉を開く」と発表され、これもまた「危篤」を言ううつくしい言葉であったし。つひの日はいついづくにてわれに来む翅透きてすいとアキアカネゆく上の句から下の句への、離れすぎずにつきすぎない流れがすばらしい。 先立たばかく葬れと言ひ合ふは戯言に似てかなり真剣わかる! 本当はとても真剣なのだけれども、真剣に言うにはためらいとかテレとかがあって、「戯言」風に、しかし「かなり」真剣に言うのが、長年連れ添った夫婦。をりをりに知りて寂しむしたいこととできることとが乖離しゆくをあまりによくわかりすぎて、言葉なし。
May 17, 2009
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バンクーバー短歌会会員作品詠題「草」雑草と侮るなかれたんぽぽは春よぶ花ぞわが好きな花 [虹] ひと度の遠雷ききて鍬入るる去年の草の根重き春泥 [のぼる] スーパーマンのマントにさつと早変はり唐草模様の大風呂敷は [のりこ]帯揚げのスカーフ温し草色の絹にはつかな母の香のする [ふみ] 草笛を吹きてホームを慰問すと神戸の地震に被災せし友 [みき]「ヒュルーヒー」草笛上手くふく彼と野道帰りし教師の時代 [みちこ]餅草を競ひ摘みたる友の顔童のままで心に浮かぶ [ゆりこ] 年古りて着よとぞ母の縫ひくれし地味な着物は草木染めなり [よしこ]道草をしようと犬が引つ張りて散歩の帰途は長くなりたり [希]キッチンに早春の香り満ち満ちて蕗みそが運ぶひと時の幸 [茜] 休むなくでんぐり返し続けゐる地球よ春だ草の芽が萌ゆ [あき]遠けれど声健やかに吾子若菜萌ゆる弥生に母となりなむ [粟]今まさに芽吹かんむとする草掘ればその根は深く白く張りたり [唐] 春の陽がやはらかく差す昼下がりゆるりゆるゆる草書の気分 [梢]はやばやと夫の植ゑし桜草やよひの雪にその色を映す [沙羅]雪や雨霜にもめげず芝草は自然の生命(いのち)青々と生く [すみえ] 雪山とまがふばかりにオリーブの白き花咲くポルトガルの春 [とみこ]エチミアジンの教会の扉(と)の紋様の草は命の象徴なりと [友]林道を行きつつ瞬時触れたるは如何なる草や手がしびれくる [奈津]
May 16, 2009
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三ヶ月に一度の血液検査のためLABOに行ったら、入口のドアに「インフルエンザ感染予防のために、ドアを入ったらすぐ、手の消毒をしてください」と英語で張り紙が出されていた。このところ、カナダでは、ニュースの主要項目からは外れた感じのインフルエンザだけれども、やはり、用心するべきところではきちんと用心されるのだと心強く思い、ドアをあけたらまず、受付に行くまえに手の消毒をしてから、コンピュータの画面に触れて、番号札をプリントアウトさせて、待合室の席に座ったのだけれども・・・・次に入ってきた中国系の人は、手の消毒をせずにコンピュータの画面い触れて番号札を取り、そのまま待合室の椅子に座る。その次に入って来た人も中国系で、同じこと。「あれ?」と思ったのは、私だけではないらしく、近くにいた人が英語で注意すると、注意された方は英語がわからないらしくて、きょとんとしている。注意がわからないくらいだから、張り紙を読んでいるわけもない。(結局、他の中国系の人が、中国語で説明して、手の消毒をさせたけれども)こういうことがしょっちゅうあると、自分の手を消毒してから画面に触った私は、きっと、消毒していない手で誰かが触った画面に触ったことになるにちがいない。それも、画面の中央部に、「Touch here to take your number」と書いてある特定の部分に。しかも、そこに触った手でとった番号札を受付に持っていって、手渡したわけだから、受付の人は、場合によっては、たいへん危険な状態で仕事をしていることになる。(受付の人が使い捨ての手袋をしていたのは、そのせいかもしれない。)カナダに居て、英語やフランス語の勉強をしない人がいると、こういうことの徹底はとても難しいとは思うけれども、では、なぜ、張り紙も読めず、人の注意も聞き取れない人が、英語表示のコンピュータの画面には正しく触れることが出来るのか・・・と気づくと、私の後の人や、その後の人が本当に英語が読めないかどうかは、疑わしいような気がするのは、人が悪すぎるだろうか?
May 15, 2009
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海外日系新聞放送協会&海外日系人協会&海外日系文芸祭実行委員会主催 第6回海外日系文芸祭「みなとみらい文芸祭」の作品募集のちらしが届いたのは、5月4日。自分勝手に好きなことを載せているブログのHOMEには早速UPしたものの、ちょっと忙しい時期にあたってしまったので、配布がなかなかはかどらなかった。私の受領とほとんど同時に事務局からちらしが届いたらしい毎週木曜発行のバンクーバー新報からは、早速5日(私が依頼する前に)に、「例年通り、こういう広告を作りましたが、校正をお願いします」とファックスが届き、一箇所だけ誤植を校正して署名して返送したら、もう7日版には掲載されていたし、ハワイの実行委員の亀田さんは、私よりかなりご年配でいらっしゃる上に、体調を悪くされているというのに「あ、そんなのもうさ~っさっとやっちゃったわよ」とおっしゃるしで、少々あせりながらも、なるべく多くの人に情報がいきわたるよう、メール、ファックス、郵便と使い分けながら、やっと今日、終了した(つもり)。手元には、依頼があったら送ることができるようにコピーが数枚と、ファックスの依頼が来たときに供えてオリジナル2枚だけ残してあるから、対応には困らないと思うし、あとは皆さんの作品を待つばかり・・・と思ったら、なんと、今日は、もう、2名の応募があった。う・・・む。みなさんのスピードに完全に置いていかれている感じ!自分以外が早く見えるときは、自分が遅い・・・・んですよねぇ。・・・・でも・・・ま、いいか。(と自分を許す傾向が出てきたのは、この数年のことだ。やはり、信じたくはないけれども、老化現象のひとつ・・・???)来年は、年齢にあったもっと能率的な方法を考えよう。
May 14, 2009
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ジェイムズ・カーカップさん(英詩人)が10日にアンドラで逝去されていたというニュースを朝日新聞のネット版で読んだ。(UKのMSNで見たら、まだご存命のことになっているのに、Wikipediaの英語版でみたら、This article is about a person who has recently died. として出てきたので、Wikipediaもあなどれない。)日本の詩人の詩の英訳もたくさんされていたし、日本旅行記の類も出していられたので、昔は、大学のテキストとして読んだこともあり、他にも何かと作品を目にすることもあったが、The Love that Dares to Speak its Name を読んでからはずっと敬遠してきた・・・・が、後年、TANKAの推進をされた川村ハツエさんを通じて、TANKAの普及にも尽力されて、ご自分でもTANKAを詠まれ、文も書かれていることを知り、また作品に触れるようになったイギリスの有名な詩人である。その主張は、今では少数派になっていると思われる「英文短歌は、音節がきっちりと57577になっていなければ、TANKAと名乗る意味がない」ということで、2008年10月発行のTANKA JOURNAL No33 の冒頭にも TRUE TANKA のタイトルでその主旨の文が掲載されている。「星と森国際短歌会」のTANKAの選評でも、「一音節でも過不足がある場合は採らない」と名言していられたのが記憶にあたらしい。1990年代から住まわれていたAndorraで亡くなられたそうだが、ピレネー山中の小国は、いかにもカーカップさんにふさわしいような気がする。(アンドラにも、バスクにも行ったことがあるわけではなく、カーカップさんにお会いしたことがあるわけでもない私のイメージだけの話だけれど)AT A POET'S GRAVE James Kircup (from Tanka Journal No33) Arthur Rimbaud's tombis not one of those two tall marble sepulchers,all suitably inscribed, inornamental black railings. Both surrounded bythose floral window-boxes of bright spring flowers,Their white marble slab is notwhere his bones are still lying. But just to one side,lost in those tombs' long shadows there lies a small pileof dark, weathered stone that bearsno flower-boxes, no wreathes, just one ornament---a large white notice-board with TOMBE ARTHUR RIMBAUD IN BOLD, PLAIN BLACK CHARACTERSupon a short wooden stump. The sun is blazingon the town's modern buildings, on the other graves.Only his rough resting-placelies deep in shadoes --- without a single flower.all round it, the tall tombs, dumb witnesses stunnedby some traffic accidentwhose cause cannot be explained. --- In this sunny towna kind of life still goes on--- Forgotten, his deathis the one thing alive inthis poet's last resting-place(場合をわきまえない、不遜な感想ではあるけれども、私の印象では、7pieces of Tanka というよりも、1piece of Choka のようで、最後に みじかいhankaを添えたいような気持になるのだけれども・・・ まだ、CHOKA という名称は誰も使っていないようだ。)
May 13, 2009
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Howard(ハワード)に「何偉(はうわあど)」とも併記さるBC州の選挙ポスター明日の12日は、州会議員の選挙である。不在投票は、昨日で締め切った由で、選挙管理事務所でアルバイトをしているK子さんにあったら、今朝、1時半まで仕事が終わらなかったそうだ。なんでも、全部、手作業で書き込んでいくのだそうで、目がしょぼしょぼするとのこと。長時間働いた時でも、間違いは絶対に許されない作業だから、「まあ、なんとたいへんな」と驚いたり、同情したり。それにしても、いまどき、コンピュータを使わないなんて、びっくり! 得票数の計算にしてもコンピュータの得意分野だろうに・・・!!ところで、ちょうどよい相手が見つかったと思って、常々疑問に思っていたことをひとつ、質問してみた。「今回は、このあたりで見かける看板には、政党の名前は英語だけだけど、候補者の名前は英語表記のほかに、中国字やパンジャブの当て字が添えてあったりするわよね。有権者が、そのうちのどれを投票用紙に書いても、有効投票になるの?」「そーおなのよ。なるのよ。」と言うのが、とりあえずの答えで、詳細は、* 一般投票者が投票するときには、その名前が2通りなり3通りなりに印刷された欄が投票用紙にあり、有権者はその欄にチェックマークを入れていくだけである。* 不在投票などをする人は、自分で紙に名前を書かなくてはいけないが、その場合の表記は、かならずしも英語である必要はなく、漢字でもパンジャブ文字でも、その候補者がポスターに書いた名前のどれかを書けば有効票となる。(英語・中国語・パンジャブの三つ共書いた場合有効になるのかどうかは、質問することを思いつかなかった。)ということだそうだ。でも、菅理事務所に勤務する人全員が、その三つの言葉を全部知っているというわけではないから、なんだか間違いも簡単に起きそうな不安があるのではないだろうか。もし、私がその仕事をしたら、中国文字は大丈夫だけれども、パンジャビの文字など一字抜けていようがいまいが区別がつかない。(昔の日本の選挙では、漢字の書き間違いまで無効票になったと記憶しているが、日本でも、そのあたりは今では多少緩やかになっているのだろうか?)しかも、カナダは正式には公用語は英語とフランス語で、交通標識でも、食べ物の名前でも、機械の取り扱い説明書でも、その他何にしろ、英語とフランス語が併記されなければいけないという決まりがあるのに、フランス語を抜かしての中国語、インド語であるから、法律的にこれでよいというのもちょっと不可思議。言い換えれば、中国語やパンジャビを使う人に、いかに英語の読み書きができない人が多いかということの裏返しかもしれず、そのために棄権する人が多かったのかもしれず・・・。フランス語といえば・・・今度のオリンピックのために、わがリッチモンド市が作った長距離用のスケート場。先般、フランス語の表示がないことを指摘されて、それを付け加えるには、どれだけとか(具体的金額は忘れたが、私の考えられない範囲の高額)がかかるというので問題になっている。「どんなにお金がかかるにしろ、クーベルタン伯爵が力を尽くした近代オリンピックの延長である冬季オリンピックのためにたてたリンクにフランス語がないなんて、とんでもない。早速、対応しなさい」という国にたいして、市長は、なにやら弁明しているが、それが通るのかどうか。私もそこには行ったことがあるけれども、中国語のサインがなかったのは記憶に残っている。しかし・・・フランス語があるかないかは、気にもしなかったから、市長と同罪だ。夫などは、「それはもうオリンピックなんだからから、看板類は早速訂正しなくては、IOCに叱られるぞ」と言っているが、その夫ですら、私と一緒に会場を見に言ったときに「フランス語がないぞ」とは言わなかった。(気がつかなかったのか、言わなかっただけなのかは不明)因みに私の住んでいる集合住宅には、中国語と英語で掲示が出されて、年次総会には中国語の通訳がつく。フランス語の掲示や通訳がないことは、一向に問題になっていない。なんだかな・・・、それも。
May 11, 2009
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TVジャパンを見ていると、日本の新型インフルエンザへの警戒は相当なものだ。島だから、入ってさえこないようにすれば安心という気持はわかるが・・・四月末に日本に行った人からは「成田で機内検疫の順番をまって、四時間も機内にいました」という話も聞く。カナダでも、メキシコのニュースは入らないわけではないし、メキシコ行きのツアーをキャンセルした旅行社もあったようだが、カナダ人の立場としては、自分たちは「被害者」だと思っている。ところが、日本の立場とすれば、メキシコもアメリカもカナダも同じようなもので、「カナダから入ってくる人はすべて潜在的加害者」らしい。新型インフルエンザの第一号と認定された学生も、カナダでうつされて、アメリカ経由で成田に帰ったのだから、まあ無理はないといえばないのだが・・・・それにくらべると、カナダの人たちは、SARSのときのようには緊張していない。日本の都市と比べれば、人口密度が低いからかもしれないし、メキシコの患者さんたちよりも、症状が軽いかもしれない。わからないことだらけだけれども、今、日本に行けば歓迎されないことは確かで、お母さんの法事に日本に行く予定だったけれども、お兄さんから「親類が何と思うかわからないから、来ないでくれ」と断って来たとめげている人の話もきいた。「疫病神」扱いとはこういうことを言うのかな?そういえば、SARSのとき、たまたま日本からカナダに来たら、飛行機のドアを出たとたんに、目の前に白衣の人たちが仁王立ちになっていて、どきっとしたことがある。カナダの人には、香港も台湾も中国も日本もあまり心理的には区別がついていないのと同じで、日本の人には、アメリカもカナダもメキシコもおなじようなものなのだろう。カナダの患者は、今は、回復したか、回復しているかのどちらかで、もうひどく苦しんでいる人はいないそうだ。何にしても、はやく収まりますように・・・。
May 10, 2009
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乃木神社門とざさるる際を来てバンクーバーの友と砂利踏む(後藤美子『ゆきぐも茜』) あの日は、国立新美術館でモネの展覧会を見てから、ミッドタウンをぶらぶらし、遅いランチをしてから、さらにあちこち歩いて、すっかり近代化した白っぽい町にちょっと気づかれしたときにたどりついたのが乃木神社だった。境内に入って、木々の緑を見ながら、ゆっくり歩いていると、屋内には明りのともりはじめる気配。まだ五時頃だったと思うが、森の中に入ったように神社の中は外界よりも早く日が暮れる。乃木大将の副官を勤めたことのある祖父のことなども思い出すので、私の場合、かならずしも宗教的な気持だけではないけれども、しつつがあったということ、思い出したりしながら(その話はしなかったけれど)、宗教には流動的な私だけおまいりしてから外にでて、もう一度たたずまいを振り返って写真をとったりしていたら、中から神官の方がでていらして、閉門をなさった。・・・と、こういうことだったのだけれども、雰囲気のある一首になるのだなあ・・・。後藤さんが詠まれると。
May 9, 2009
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数日ぶりに「奥村晃作短歌ワールド」に行ってみようとしたら、ファイル削除になっていた。閉鎖なさると伺ってから更新はなかったけれども、しばらくは開いてみれば開けたのであまり実感はなかたのだが、いざ、削除されているのを見るとやはり寂しい。開設されたのがいつのことだったかはっきり覚えがないが、他のホームページに先駆けて、2000年ころにはもう開設されていたホームページだったように思う。私は、一日の仕事が終わってPCを閉じる前に、会社の帰りに寄り道をする感覚で、立ち寄ったものだった。ブログが一般的になったときに、「私も短歌日記を書いてみようか」と思ったのも、「奥村晃作短歌ワールド」の影響だったかもしれない。今日は感謝しつつ、このブログからのリンクも削除させていただいた。
May 7, 2009
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英語圏ではHAIKUはかなりの市民権を得て、学校の教科書にも出てくるくらいだが、TANKA の方は、なかなかそうは行かない。・・と知ってはいたのだが、今日は、GEKKEIKAN(月桂冠)のHAIKU という日本酒を見つけた。(見回したところ、やはり、TANKA は無かったけれども。) 白ワインみたいな味・・・・ のような気がした。瓶のデザインのせいかもしれない。
May 6, 2009
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スーパーの店頭にチューリップのまだ硬い蕾がたくさんついている花束が、二束5ドルでたくさんならんでいるのに気づいた。折しも、小雨模様で薄暗く気持が落ち込み傾向だったところだ。ふだんは、自分のために花束を買うことなどないのだけれども、まあ、こういうことで、自分で自分の気持を引き立てて行くのも生活の智恵。(チューリップくらいで言い訳がましい?)二束を食料品などと一緒にカートに入れて、キャッシャーに持っていったら、店の人が、実に珍しいことに、「贈り物ですか?」と質問した。「プレゼントだったら、いくら私でも、もう少し立派な花を買うだろうなあ」とは思ったけれども、つい「yes」と言ってしまったら、担当者がきれいに包んでリボンまでかけてくれた。包装紙もリボンも、いつもすぐ捨ててしまうのにもったいないと思っていたのだが、今日はなんだか「うれしい」感じ。いつもなら、もっと地味な花を選ぶのに、チューリップを選ぶところも私らしくなくて、自分ながら上出来。(ただし、一番安いのを買うあたりは、まだ血迷ってはいない。)家に帰って、リボンと包装紙を丁寧に解いて・・・というのも楽しい花をどう活けたらよいものやらもわからないから、ただ花びんに入れただけだし、まだ蕾の硬いチューリップが何色かも分からないのだけれども、部屋の中は暖かいから明日にはきっと色くらいはわかるようになるだろう。色が分かるようになったら、写真を撮ろう。
May 5, 2009
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空港に行ったら、今年の9月に開通予定の電車の駅が大分できていて、試運転の電車が入っているのが見えた。 真中の後ろに見えるのは管制塔道路は、空港ビルの3階の高さにあたる。電車はかなり高いところを走るようになるので、きっと、電車からは山や海が美しく見えるだろう。でも・・・冬は風が冷たそう・・・ターミナルの中も大分あちこち手を入れて、待合室には屋内のトーテムポールまでできた。 なぜか上の方に、漢字で「栄」と書いてあったりして・・・???(他に3文字、合計4字が書かれていたが、何の字だか忘れてしまった。次回、見直してくる。)
May 5, 2009
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BC州の州花のドッグウッド。この季節には、町のどこを歩いても美しく咲いている。白い花の白が、冴え冴えとしている期間は、案外短くて残念だけれども。
May 4, 2009
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日本の空には、鯉幟の泳ぐ季節。カナダでも、息子が、その息子のために、毎年鯉幟をあげている。 こうして写真に撮ると、けっこうな大きさの鯉幟に見えるのだけれども、実は・・・ 孫が生まれる年に、夫が頼まれて徒町で買ってきた団地サイズの小さなもの。トップに飾る金色のくるくるまわる風車(?)も壊れてしまってつけられない。(下の写真のまんなかあたりで、しょんぼりしているのが、上の写真でいばっている鯉幟。)自分で撮っておいて、ナンですが・・・・写真って、なんだか・・・うそつきですね。短歌もこんな傾向があるのかな?
May 4, 2009
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コスモス札幌支部の支部報、「コスモスさっぽろ48」を読む。毎号、「宮先生の歌」として巻頭に宮柊二の作品を掲載し、また、「宮先生の歌を読む」という鑑賞の欄もあり、数あるコスモスの支部報の中でも、宮先生への敬慕の念の伺われる正統的な支部報。この48号は、いつもの、作品集や会員相互間の感銘歌のほかに、散文欄の中には、後藤美子さんのコスモス賞受賞のお祝いもあって記念に残る号になった。15首ずつ掲載されている会員全員それぞれの作品から、一首ずつ一番好きだった作品を上げて感想に代えさせていただく。丸屋根をのぼる朝日が一日を丸く生きよとまんまるとなる(石川幸枝)タイトル「丸く生きむ」がとられた一首を選ぶのも安易かと思って、読み直したが、やはりこれが一番好き。曲間の随所に散歩道ありてたのしきろかも「展覧会の絵」(植村浩司)たしかに、絵と絵の間にプロムナードが入っていて、「展覧会の絵」の曲は楽しい。次の絵への心の切り替えをして受け入れ態勢を整えるための距離なのだろう。絵を音楽にしたムソルグスキーも、音楽を短歌にした植村さんも「たのしきかろも」賭くるごと三年日記書きはじむ書きおほせなば八十八歳(工藤資造)「賭け」とは思いながらも、きっと内心では「書きおおせる」と思っていらっしゃるに違いない、気骨ある八十八歳。天空は限りなく雪をはき出せり町全体をほの朱くして(久保啓子)雪が降り続くときは、本当に「限りなく雪をはき出せり」という感じがする。私も今年の冬、11階の窓から見渡しながら、町が自らの明りを反射して「ほの朱く」ともっているのを何度か見た。紅でも赤でもない「朱」というところが、作者の工夫だと思う。みどり児を宝のごとく抱きて立つ父は穴あきGパンを穿く(久保田静子)若いお父さんという感じで、よいパパさんぶりと、穴あきジーンズとのちょっとしたアンバランスが楽しい。現在が規則正しく過去となるデジタル時計またたきやまず(後藤美子)そのとおりなのだけれども、若いときにはなかった感慨をそこに見出すようになった。何があっても、規則正しく現在は過去になっていき、「さかさにはゆかぬ月日よ」剪られたる篠懸の木のこぶしみな怒るがごとく天に突きあぐ(島上鉄雄)下の句に作者の感情移入があって、力強い。篠懸の木は、大きくて立派な木だったろうから、怒りもひとしおだろう。(篠懸がプラタナスのことだったのですね。)化石にも石炭にもなるゆくすゑを計り得ずしてメタセコイヤを仰ぐ(清水芳洞)大きく育つメタセコイヤ。 育ってひと世を終えても、化石にも石炭にもなりえる可能性のあるメタセコイヤ。畏敬の思いが感じられる。(最近、私は子供達を見るときに、こういう思いを抱く。可能性の限られてしまった自分が、可能性のあったかもしれない時代を、はたしてそれなりに大事にすごしてきただろうかと自問しつつ)御冥福お祈りしますと言ひながらあの世の福をあれこれ思ふ(新保彌代枝)決まり文句で言ってしまうけれども、考えてみればいったいどういう福があるのだろう?あの世にはきつと「福」があると信じなければ、この世の辛苦に耐えられなかったこともあろうし、故人が幸せになりそうに感じることで、残されたものが慰められることmあろうし・・・しつくりと帖に落ちつく恋の歌 返歌たのしみ源氏読み継ぐ(高橋妙子)源氏物語の本文よりも、返歌の方が楽しみ・・・とは歌っていないけれども、私自身はそう思っている。 艶があって、キレがあって、ちょっと辛らつなときもあり・・・「お、こう来るか」というレシーブ。(余談だが、「あさきゆめみし」のバイリンガル版を成田空港で買った。同じスペースのなかに、英語と日本語を入れるのだから字が細かくて、ちょっと疲れるのだが、短歌の翻訳がなかなか巧み。また、会話の部分も、十二単衣の姫君が「Oh, Shiny One・・・」と夢見心地につぶやいているところの日本語を見ると、「光の君・・・・」となっていたりして、翻訳の苦労のあとが身につまされたり面白かったり。)ファシズムへ終(つひ)のピカソの雄叫びか彩り抑へし壁画ゲルニカ(武田馨)これはもう、見た人でなければ歌えないのではないだろうか。ピカソの情熱が見事に文字に表されていると思う。(それにつけても、私も実物を見たい!)夕立ちは潔く去り雲切れてトンボもわたしもスイと陽のなか(谷村善通*)「コスモスさっぽろ」の作品としては、ちょっと詠み口が違って口語調&現代仮名遣い。思わず宇宙花でご年齢を調べてしまった。下の句のスピード感が好きだ。こういう気持ちのよい雨上がりには、きっとどこかに虹がでている。カーテンは閉ぢずに置かう開き初めて月下美人の匂ふこの夜(冨家喜代子)月下美人が咲いた夜の心弾みがよく表現されていると思った。満月あるいは満月に近い夜に咲くことが多いから、閉じずにおいたカーテンの外には、満月が見えるのかもしれない。手芸部に入りしと聞けば送りやるユーカラ織りの朱き針山(鳥谷晶子)東京に住んでいらっしゃる作者の贈物が、ユーカラ織というのも、かつてお住まいだった北海道への愛着か? 贈られて方は、「手芸部に入」ったというところから、中学一年か高校一年のように思うが、作者も嬉しい気持ちだったに違いない。「ユーカラ織の朱き針山」を部活に持っていったら、きっと羨ましがられるだろうな。大切な秘密明かして言ったのに君は一言「フン」で終りぬ(服部浩子)あ、私の身近にもそういう「君」がいます。この歌、私が詠めばよかった・・・。「君」の身になってみると(1)関心がない。 (2)たいしたことじゃないのに、何を大事そうに言ってるんだろう。 (3)あんまり大事なことなので、何と答えてよいかわからないから、一応「フン」と言っておく などのどれかだろうけれども、もし、(3)だとしても、(1)に聞えてしまうのがむずかしいところ。どう見ても月が走つてゐるやうで雲間に消えし月の素早さ(本田禎子)風の強い日など、ほんとうにこういう感じがする。「風」とは一言も述べていないのに、一首の中に風がしっかりと存在する表現だと思った。札幌の夜景見おろすカフェに来て雪降る前のしづけさにをり(松尾祥子)下の句の不思議な静けさがこちらまで漂ってくるような・・・。札幌が夫君の単身赴任先だけに、ちょっと非日常の時間があった感じがする。虹の下へヘリコピターが飛んでゆく虹を掴みにゆくかのごとく(松嶋律子*)虹が出ると、どうしても視線がそちらに行くので、飛行機が見えたり、ヘリコピターが見えたり、鳥が見えたり・・・。でも、その中で「虹を掴みにゆくかのごとく」という比喩がユニークで楽しい。あともう一首、まいまいは雌雄同体つれあいをどんな基準で選ぶのだろう本当に・・まあ、どういう基準なのかしら。だいたい、まいまいAとまいまいBの区別はどうやってつくのかしら。
May 3, 2009
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