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コスモス8月号あすなろ集より、印象に残った作品空港でマスクのままにキスをする別れの男女の写真が載りぬ(西川立雄) 普段はなかなか見られないところを捉えたカメラマンさんと、その写真に目をとめてさっそく作品にした作者。どちらも、アンテナを張っていたからできたことだと思う。カナダにいると、マスクそのものも違和感があるので、余計にそのインパクトを感じるのかもしれない。 十余年別居の妻が戻るとふ何はともあれ煩はしきかな(佐野 邦司)四句、五句が、妻が戻る喜びをひとひねりして照れくさそう。いかにも日本男児的表現で微笑ましい。でも、うれしいときは嬉しいといわないと、そこを察してくれるような女性はだんだんに少なくなりますよ。 犀川の中洲に佇む鷺一羽さうかお前も独りが好きか(洞田 哲子)一人になりたくて、犀川を見にきた作者か。そうは言っても、自分と同じように見える鷺に親しみを感じるところが、人間らしいところだろう。 夢を追ひ輝きてゐし若き日よされど老いたる今も夢もつ(三嶋道子)若いときの夢とはまたちがった夢があって・・・ 花びらのおのが重さに白牡丹床に崩れるその音を聞く(高田文代)崩れるように終わる白牡丹の花。「音」を聞くというところに、作者の気持ちが入っている。 厨とはすさまじき場所袖まくり腹割り皮剥ぎ頭を落とす(近藤 倫)普段はそこまで思わずに作業をしていたが、考えてみればその通り。「食」はきれいごとではすまない。 住む人もなきゆえお城は寂しいと山下清の絵に添えし言葉(太田いずみ*)そうか、住む人がいないからだったのか・・・。なるほど。いくら手入れをされていても、そこに命が宿らないのかもしれない。 ドラえもんスーパーマンにオバマさん田んぼは多彩な案山子の世界(菅谷幸美) オバマ大統領まで案山子にされているとはびっくり。多忙な農作業の中で、ユーモアのセンスを失わない様子が伺われて楽しい。 職場の短歌つくりたけれど立ちはだかる地方公務員法守秘義務の壁(新宅道和)いつも心にかかっていることを詠めないもどかしさがあるのだろう。もっとも、他の職業の人でも、仕事については何もかも詠むというわけにはいかないと思う。私も、翻訳業に関しては「内容について、他に漏らさない」という文書に、公証人立会いの上で署名している。 「この気持ちは口語だなあ」といふ時と「文語の景色」と思ふ時があり(森本武子)まったく同感。口語で底抜けに喜び、かっかと怒り、文語で悩み悲しみ、口語の情景に参加し、文語の景色を眺める・・・ついでに漢文調で詠嘆し、スペイン語で激しい愛を交わすなんていうのはどうでしょう。 虹色に穂先かがやく朝掘りの筍の皮わくわくと剥ぐ(千葉喜美子)こういう筍は、さぞおいしいだろうと思わされる一首。「虹色に穂先かがやく」にまず感動し、「わくわくと剥ぐ」に羨望の念が湧く。 歌誌を読み入門書読み歌集読めば紙背に汝あきらめよとあり(曾 有宮)気持ちがよくわかる歌。私も、本(特に、入門書や歌論)を読むたびに、あきらめるしかないように思う。でも、その中で時々なにか、励まされるものを感じて気をとり直すのだけれども・・・。
August 30, 2009
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6月には4時過ぎだった日の出が、どんどん遅くなり、今日は6時すぎにやっと東の空が染まりはじめた。これから秋分の日までの一ヶ月弱で、昼夜が半分になるのだから、大急ぎだ。 この数日、早くも雁が渡り始め、大声でなきかわしながら、群れを作って南へ南へと羽ばたいていく。下からみると、鈎や矢に見える雁の隊列は、11階のベランダから見ると、微妙に高度をたがえた一列。なんでも、一番空気抵抗が少なくてすむ高度の差があるという。その情報が、すべて、あの カオカオカオカオという声に含まれていると思うと、すごいものだと改めて感服する。 もう、自然は、秋に向けてまっしぐら。なんとなく気がせかれる。
August 27, 2009
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Ron L.Zhung氏の Poetgraphy collections を見に行った。要するに、英語のTANKAと写真を組み合わせた作品で、フォト五七五 のTANKA版と言ったところか。上は、その展覧会の案内に載っていたコラボ。vancouver summerit seems to pass so quicklylife has its seasonsone blink and it is winterall you have are memoriesと、これが、写真の左上にプリントされたTANKA。いろいろ難しいこともあるが、カナダの状況はカナダ語で表現した方が的確になる可能性は高いかもしれない。写真だけ、あるいは TANKAだけでは表現しきれない部分を補いあって、より広く深く表現できるよさと、そのことに頼ってしまって、自立しきれない弱さとの間で、一番効果的になるポイントを掬い取って作っていっくことが私にも出来たら、また新しい分野として楽しいことになりそうだ。それがどこの言葉を使ったものであるにしても。
August 26, 2009
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特殊教育(Special Education for Deaf Students) が専門のヨメの話だが・・・彼女が、職場の夏休みを利用して受講した大学院のクラスで、その一環として日本の教室の様子を撮影したビデオと見たのだそうだ。なんでも、日本人は感情表現が苦手だから、そこを克服させようと、教室では、嬉しければ大声で笑ったり、ハグしたり、哀しければ大声で泣いたりし、また、回答を求められた時にはYESとNOもはっきり言ったりするという訓練をしていた情景だという。「そういうのって、普通にやってるの? それとも、ごく特殊な学校なの?」と質問する彼女に、主人も私も「さあ・・・」と首をかしげるばかり。「特殊だから、話題性があってとりあげたんじゃないかしら? 学校の名前は言ってた?」と聞いてみたら、「言ってたかもしれないけど、記憶にない」とのこと。私も、日本を離れて久しいから、最近の事情に詳しいとはとてもいえないけれども、教室内で、生徒同士が日本語で話をしながら「練習のために」ハグしている情況は想像しにくい。もし、あったとしても、かなり特殊な教育理念を持った私立学校ではないかと思い・・・いくらゆとり教育といっても、普通の公立学校でそんなことまでしている「ゆとり」はないのではないかと思い・・・しかも、そういう教育が身に付いた人は、日本で、フツーの社会人になったとき、ちょっと変わり者として苦労するような気もするし、一世代年長の上司とうまくやっていくのがたいへんだと思い・・・どうも、「なるほど、そういう教育は良いわね。」と言い切る気持ちにはなれない。私は、言語と感情表現はセットとなっていると考えているので、日本語で話すときには、ジェスチャーも感情表現も日本語に適したものがあるはずだから、英語で話すときと同じジェスチャーで感情表現をすれば、それで国際的になれるというものではないと思うが、それって、時代遅れなのだろうか。英語を話すとき、フランス語を話すとき、ロシア語を話すとき、中国語を話すとき、韓国語を話すとき・・・と、頭に浮かべてみると、人々はみな違ったジェスチャーをし、それぞれの言語にふさわしい感情表現をしている。時代と共に交流が多くなって、だんだんに共通するものが増えてきても、それは、学校で教えるような性質ものとは違うのではないだろうか。「日本では、どこの学校でもそういう教育をしている」と思ってしまうカナダの教育学博士の卵さんたちを思うと、私だって、自分の知らない国については、どんな誤解をしているものかわかったものではないと、改めておそろしくなった。
August 25, 2009
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電車に乗った。なんか、まあ、すごい時代遅れの書き出しだけれども、会う人ごとに、「電車に乗った?」が挨拶になっている昨今なので、いいかげんに "Oh, yes!"とか答えたいではないか。駅には、切符の自動販売機があり、切符の買い方の説明は、何もしなければ英語ででてくるが、下の方に言語選択ボタンがあり、英語・中国語・フランス語・ドイツ語・日本語・インド語の中から選べる。日本人は、マイノリティーだから、こういうところに日本語が選択できるのは、とても珍しいことだ。 大騒ぎする割りに、全体で15キロしかない路線だから、切符販売機も単純。切符を買ったら、駅構内に入るのだが、 「ここから先に行くには、切符が必要です。」と掲示してあるだけで、改札口があるわけでもないし、駅員が立っているわけでもない。聞いてはいたが、なんとのんきなことだろう!!昔ののどかだったリッチモンド市と違うから、私みたいに良心的な人ばかりではないのに・・・エスカレーターに乗ってホームに上がると 昼間のことだから、なんとなくゆったりとしていて、景色もよい。職員らしい人が一人、あたりを見回しながら立っていた。とりあえず何をするということもなく、「まだ人々がなれないから待機している」という感じ。電車は、運転手も車掌もいない自動運転の二両連結。昔、神戸のポートアイランドで乗った電車と感じがよく似ている。(ただし、神戸には、自働改札がありました・・・もちろん)発車した車内から町を見下ろし・・・ 鉄橋にのって・・・ 河を渡って・・ バンクーバー市に入るとじきに地下に潜って・・ あとは、ウトウトッとすれば、もう終点。駐車場を探す必要もなく、さっさと電車を降りて、町へ・・・・・・・というのは、普通の人のすることで、小学生が二人、終点が来ても降りずに、またそのまま電車に乗り続けて、「来し方」に戻っていった。自動運転の電車だから、見咎められることもなく、遊園地気分らしい。(思えば、遊園地の乗り物よりも、かなり安い。)ま、私とたいして変わらない・・・かな?
August 24, 2009
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五歳の孫が父親と、ウイスラーに四泊の旅行に行ってきた。ウイスラーは今度の冬季オリンピックのスキーなどの会場になる、バンクーバーから100キロほど北に行った山の中の美しい保養地である。かえってきて早々のに、彼は ”Whistler trip was FUN ! ”と言って、泊まったホテルの部屋の見取り図を描いて、いろいろ説明をしてくれた。 ドアを入ったところから始めて描いているうちに、トイレとベッドルームの大きさが同じくらいだったり、最後に書いたリビングルームの壁が曲線になってしまったりはするものの、台所と洗濯場のついた、1ベッドルームのアパートのような、使い勝手のよさそうな部屋だと推測するには充分な程度の図。中でも一番、彼の印象に強く残ったのは、トイレと風呂場の間にドアがあったことらしい。なるほで、こちらでは、トイレと風呂場は一つの空間を共有していることが大部分だし、普通の家では二個以上のバス・トイレユニットがある。ホテルでは1区画に2~3人で泊まったりするから、一人が入浴している間は、もう一人はトイレも使えないという情況は、いつも不自由に感じていたのだが、最近できたホテルは、安いところでも、こういうところには工夫がされて、使いやすいようになっていると見える。テレビがリビングと寝室の両方に一台ずつあったのも、ベランダでバーべキューをしたのも、見取り図を描きながら、早口に説明してくれた。また、父親がトラックの後ろに子供用自転車を積んでいってくれたので、広い場所でたくさん自転車に乗れて気持ちがよかったこと、知らない子と友だちになったことも、聞かせてくれた。先生をしている父親にしてみれば、新学年の準備で多忙になる前のサービスだったのだろうが、膝の擦り傷とともに、五歳児には夏の思い出が一つ増えて楽しそうだった。
August 23, 2009
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バンクーバーの短歌会、10月の詠題は「夢」。 前月(つまり9月)の歌会で作品を提出することになっているので、8月の会がおわるとなんとなく「夢」の字がちらちらし始めるという寸法。 今、松尾佳津予さん第三歌集『ひだまり』を読んでいるが、その中でも、「夢」を読み込んでいて楽しい作品が四首見つかった。 歌集全体の感想は2~3日うちにUPするけれども、とりあえず、「夢」の作品をUP. 古稀すでにすぎしが夢は自在にてマッキンリーの頂上に立つ もちろん、夢は自在だけれども、マッキンリーの頂上に立つ夢を見る70歳の女性はそう多くはない。痛快! なつかしき雰囲気だけが残りゐて思ひだされぬあけがたの夢 なんだか忘れてしまったけれども、なんだか心がほっかりするような夢だった・・・・(「怖い夢を見たとだけしか記憶がないことは、私も経験しているけれども) ふるさとの夢を見し朝ふるさとのなまりとびだし 夫たんまげる 私の記憶が正しければ、これは宮英子氏のお教室で「方言をつかう」が課題だったときに詠まれた一首だったはず。結句が、とても楽しい。何年か前に、初めて読んだとき、私も「たんまげた」 うたたねの夢の小鳥が右肩で足ふみをする春のゆふぐれ これもかわいらしい夢で・・・ さて、こうやって「ゆめ」のうたをひろっていくうちに、よい案が浮ぶか、それとも絶望的になるか・・・・あと数週間で答えがでる。
August 22, 2009
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夕方になって、天気雨が降った。陽光に照らされて白く光る雨は、現実離れをした美しさで、シューシューと音をたてながら、11階のベランダの外を落ちていく。こんなときには虹が出るのではないかとみていたら、まもなく東の空に(日没間近な虹は、この季節、南南東に出る)、いつもより低い虹の弧が、円周の上部三分の一くらいの感じで掛かり始めた。それもすぐ目の前の家と家の間に右側の脚が立っていて、そのうしろにあたる家や森も虹の色に染まっている。 虹は何度も見るのだけれども、こんなに近くの虹を見ることはあまりない。うちの棟ベランダは見られないのだけれども、うちの棟と中庭を囲んで直角に立っている棟のベランダには、何人かが出てきた。家の中にいる人に「虹がでた」と教えているらしい人や、デジカメで撮影している人や、ひたすら眺めている人やいろいろだけれども、みんなはしゃいでいて楽しそう。ちょっと目があった人がいたので、手を振ったら、THUMB UP をして、二人でにこにこしてくれた。他の老カップルは、奥さん(らしい人)を、虹を背中にしてベランダに立たせて、写真撮影をしている。・・・・・そういえば、この人、この前虹が出たときも、虹を背景にした奥さんの写真をとっていたっけ。集合住宅も、連帯感があってなかなかよいものだ。
August 21, 2009
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IOCの方が、バンクーバーを視察して、「町の中に、オリンピックの広報掲示が殆ど無いが、もっとそういう活動が欲しい」とコメントを残されたそうだ。たしかに、どこにもここにもポスターがあるというわけではないけれども、それなりに、記念品だの切手だのまあいろいろ売り出されてもいるし、「オリンピックまであと何日何時間何分何秒」という電子掲示も町の中心部の美術館の前で時を刻んでいる。 まあ、あんまりけばけばしい町になるよりも、このくらいでよいのではないか・・・しら?
August 20, 2009
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車社会の当地も、少しずつ公共交通機関が便利になってきて、とうとう、長い間の懸案だったバンクーバーの中心部とバンクーバー国際空港、バンクーバー中心部とリッチモンド市中心部をつなぐ電車が、今日開通した。本来は、11月開通予定だったのが、9月には開通できそうだという話になり、さらに8月中には開通できると発表され・・・そして、8月に入ってから8月17日という具体的日付が発表になり、試運転の電車が走っているのを度々みかけるようになった。今日の午前中は、市長さんや市会議員や功労者、報道関係などが試乗して、午後は一般向けの無料公開。始発駅がうちの近くなので、午後3時頃にどんな具合か覗いてみたら、とんでもなく長い行列ができていた。(あとで、テレビのニュースをみたら、平均待ち時間3時間だったと言っていた。)これでは、めでたく電車に乗ることができたとしても、帰りの電車に乗れるかどうかわからず、かといって、車はないし・・・で、困ることになるのではないかと、他人サマのことなのに、ちょっと心配。 遠くから電車が見えたが、そんなに混んでいるようには見えない。 駅に行ってみてわかったのだが、ロープをはって、職員+警官で入場制限しているので、そのロープを通過した後は、ゆったりと歩き、ゆったりと電車に乗れるらしい。 駅はお祭り気分で、電車をおりたところから、駐車場を横切れば入れるショッピングセンターの入口まで、二頭立ての馬車がでたりしていた。ながいこと、話題に上がっては立ち消えになっていたこの電車の建設は、2010年のオリンピックがきっかけになって、とうとう実現したのだが・・・たいへんな経費がかかっているらしい。 2.3ミリオンドルと言っていたが・・・その位大きい金額になると、私には実感がわかない。高架の軌道を見ると、「そういえば、東京でオリンピックが開かれた時には、首都高速ができて、頭上を自動車が通り始めたっけ」と思い出して、懐かしい気持ちになる。。今、日本で話題になっている村上春樹の「1Q84」の初めの部分にでてくる青豆さんが梯子で下りる高速道路の三軒茶屋あたりも、あの1964年のオリンピックの少し前に開通した箇所だ。今では、首都高速がなかった時代などもう考えられなくなっているから、当地の電車も、一年もたてば、もう「当然」のことになってしまうのだろうが、とにかく画期的。(昭和の初めに、小田急や京王線が開通したときの、東京の人たちもこんな風に興奮したのかな?)
August 17, 2009
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バンクーバー短歌会の8月例会に出席。今日は、題詠「オノマトペ」で、最高点歌は、風立ちてふはりと揺れし蜘蛛の囲(ゐ)の幾何学図形一瞬ゆがむ(S.N) 私も一票投じていた作品だったのでうれしかった。互評の中では、下の句の表現に人気があり、また、「囲」という言葉の使い方もよいという意見も多かった。その上でマイナス面としては1)初句の「風立ちて」だと、風がふきはじめたということしかわからないが、これをたとえば、「朝風に」とすれば、まだ露の降りていて白く光る蜘蛛の糸が想像されるし、「夕風に」とすれば、暑かった日の終りのほっとした風の肌にふれる様子までが想像できるから、「風たちて」よりも、もう少し具体性のある風の姿を言った方がよい。私はこの意見を聞いたときは、「なるほど、『朝風に』はいいなあ」と思ったのだが、今読み返して、いままで風もなく、蜘蛛の巣もじっと動かなかったところに、ふと風が立ち、そこで幾何図形のような蜘蛛の巣の周りの形がゆがんだという瞬間を捉えるには、やはり、「風たちて」がその静けさまであらわして適切だと思いなおしている。 2)オノマトペとしてみるには、「ふはり」は多少平凡か? これはたしかにそうかもしれないけれども、ここにも何か注目を引くオノマトペを持ってきてしまったら、下の句への注目度が下がってもったいないかもしれない・・・と、これは私の考え。という意見などがでた。 それはもう、歌会だから、会員はその場ではいろいろ意見は言うけれども、実際のところ、こういうよい作品が出されると、勉強にも身が入ろうというもの。Nさんは、夏だけをバンクーバーですごされ、日本では俳句を詠んでおいでの方だが、カナダにいる間は、気持ちを切り替えて短歌を詠んでみようかということで、一昨年から短歌会にきてくださっている「夏会員」。日本ではカルチャー教室で源氏物語の講義をしていらっしゃるということで、会員のお願いに応えて短歌会終了後2時間半ほど、源氏物語のお話をしてくださった。膨大な物語を2時間半で・・・というとんでもないリクエストなのに、全体像と構成と、歴史的背景などを前半に、会員からの質問を中心とした話を後半と、実りの多いお話をしてくださったし、会員の質問も、それぞれの知識が伺われるものが活発に出て、改めてみなさんを尊敬してしまった。「折角、休暇でいらしているところをお願いしてしまって・・・」と終了後にNさんにお礼とおわびを言ったら、「私は源氏物語フリークですから、私が話すことによって、興味を持ってくださる方が増えれば、うれしいことだから」と、寛大なお答え。少々背伸びをした私だったが、楽しい会だった。
August 14, 2009
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ラジオのトークショーをつけていたら、番組に電話をかけてきた人が 「キチラノ・ハイスクールで、卒業30周年の同期会があります。このラジオを聴いている人のなかに、同期生や、当時の先生が居たらぜひ連絡してください。チケットは45ドル、場所はXXX、日時はX月X日X時よりで、私の名前はXXX.電話番号はXXXで、世話役をしています。すでに、イギリスやオーストラリアやアメリカや日本からも参加する人がいて、にぎやかな会になるはずですから、みんなで楽しみましょう。」 と個人情報の公開も構わずに、広報に勤めていた。パーソナリティーの女性が、その件でひとしきり談笑したあと、By the way, how long will you be dieting for that reunion?(その同期会の、どのくらい前から、食事を控えるの?)と質問し、電話をかけてきた幹事さんがはっきりとは応えなかったら、”Come on! No, I would be dieting at least six months!"と言って大声で笑っていた。なんでも、高校時代の体型には、誰でも戻りたいものだそうだ。それって、ふつうに女心なのだろうか。それとも、最近では、男性もクラス会に行くために体重を落としたりするのだろうか?実は、うちの息子の妻も、8月半ばに高校の同期会があるからと言って、6月はじめ頃から、レタスとゆで卵しかたべていない。忙しい人が、小さい子供もいるのに、ちゃんと食事をしないのは、問題だなあと、心配していたのだけれども、みんなやっているのだったら、しょうがないかな?思えば、体重を落とすのが「美容のため」から「健康のため」に変わる時期あたりから、老化が始まるのだろう。「美容のため」に体重を急速に落として「健康のため」にならずに多少具合が悪くなっても、じきに回復できるのが若さ。「健康のため」に体重を落としても、皮膚がついていかなくて皺がとれずに「美容のため」にはならないのが、老い。・・・・と、これは私の体験的定義である。
August 10, 2009
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追いついたときと追いつかれたときじゃ意味が正反対「同点だ」(千葉聡 角川短歌)同じことばでも、歓びの表現になったり焦りの表現になったり・・・まったくそのとおりなのだけれども、わざわざ歌に詠むこともなくとおりすぎてきた事実。思えば、けっこう含蓄がある。
August 7, 2009
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美しく齢を取りたいと言ふ人をアホかと思ひ寝るまへも思ふ(河野裕子『母系』)うーむ・・・・。すごい。「アホかと思ひ」しかも、その時だけでなく、思い出して「寝るまへも思ふ」。そういう言葉が歌の中で、品格を落とさずに収まっているのは、きっと、生きることの厳しさを身をもって経験している作者の強みだろう。「齢をとる」のが美しかろうと、醜かろうとたいした問題ではない。齢をとることができるのは、それだけでありがたいことなのに。アホか。と言っているのか、美しく齢をとるなんてできっこないじゃないの。齢をとるのは、もっと厳しくて切実なものなのよ。アホかと言っているのか・・・もしかすると、そういうことを考えること自体がすでに「アホか」なのかもしれない。
August 6, 2009
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日本からの季節移住者(?)Oさんご夫妻の結婚40周年のお祝いの会に招いていただいた。会場は、Oさん所属のゴルフクラブの宴会場。名門クラブで、お料理がおいしいのも評判である。15年前の銀婚式では、ホテルバンクーバーで、100人近くの人を集めて、当地一番のDal Richardのバンドを入れて華やかな銀婚式のお祝いをなさったOさんだが、今回は、「その時に居た人で今回もまだ出席できる人」を招こうと写真を見ながら連絡をなさったら、半分以上いたNON-JAPANESEが1人を残して、亡くなっていたり、夫婦のどちらかが病気だったり、引っ越していたりで、また、その残った1人も、ロスでお孫さんの結婚式があり、バンクーバーを留守にしているということで、出席者は全部、日本人。また、その日本人も、亡くなった方や、日本に帰った方や、離婚した方(離婚していたら、お祝いの席に招かれないらしい)が多くて、びっくりした・・・とおっしゃる。結局、ご本人たちを入れて30人の、日本語ばかりのこじんまりした会になり、それも懐かしい人ばかりなので、同窓会にでも行ったように話しが弾んだ。以下、失敗談2つ。1)「何かお祝いを・・・お花でも持っていきましょうか?」と主人に言ったら、「てぶらで来てくださいということだったから、何も持っていかない」との答え。「どうなのかなあ・・・。そうは言っても、日本の方が日本語でそうおっしゃったのだから、何かお祝いをするのが普通じゃないのかなあ」と更に言ったら、「貰ったら迷惑のことだってあるぞ」とうるさそう。 まあ、考えてみると、これからお引越しをなさるということも聞いているし、今の段階で「きれいだけれども、不要だし趣味に合わない」ものなど増えても却ってご迷惑かもしれないようにも思えるので、私も「それでは」ということで納得し、私たち夫婦は本当に「てぶら」で出かけた。 ところが、いざとなると、他のみなさんは、何やら大きなプレゼントをあげていらっしゃる。「まあ、てぶらでと申しあげたのに」とオクサマはおっしゃてはいるけれども、やはり「ではせっかくですからありがたく」ということになる。 しかも、各席には、「妻がこういうこともあろうかと思って、お礼を作りました」ということで、オクサマのお手製のアップリコットジャムの瓶が可愛らしく包装されて置かれていた。瓶のラベルは、ご主人の製作とのこと。 そうなると、お料理上手のオクサマだと知っているから嬉しかったけれども、本当に「てぶら」で失礼でなかったかと、かなり気に掛った。(でも、うちの主人がそういう人だということをご存知のカップルだから、今更どういうということもないのだろうけれども)2)最後に挨拶に立ったKさんが「次回は45周年に、同じメンバーでぜひ集まりましょう」とおっしゃたら、主人がすかさず「ああ、五年後はワタシは、もうだめです」と大声で言い、それがなんだかあまりに真に迫った言い方だったので、思わず、ワタシは率先して大笑いをしてしまった。他の方も続いて笑ってくださったからよかったけど、夫が五年以内死ぬと宣言しているようなものなのに、まっさきに笑いだす妻なんて、なんだかずいぶんひどいなあ・・・。ひょっとしたら、うちはかなり「普通でない」怪しい夫婦ではあるまいか。あと数ヶ月で、46年目に入るのだけれども、なんだか相変わらずピントがはずれている。
August 5, 2009
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「近所の、公園 兼 樹木園に、小さな合歓の木が花をつけている」と、散歩から帰った主人が教えてくれたので、早速行ってみた。寂しそうな合歓確かに小さな木だけれども、花が咲いていたので、すぐに見つけることができた。ポツンと寂しそうな感じがしたけれども、説明によると、成長が早く、じきに12メートルくらいまで大きくなる樹だということなので、このくらいのスペースを最初からとっておくことが必要なのだろう。合歓の木の説明 合歓は、中国からイランにかけてが原産地で、今はもっと広域に見られるけれども、バンクーバーのあたりが普通に育つ北限ではないかと、説明書には書いてあった。ここは、世界各地から、いろいろな樹を持ってきて、実験的に育てている公園なので、銀杏も日本の紅葉も松もあるけれど、いままで合歓があるのに気づかなかったのは、花が咲いていないときには、本当に目立たない小さな樹だったからだろう。よそのお宅の庭にあるのを見せていただくのとちがって、公園だし、しかも家から近いしで、これから成長を楽しみにしながら、何年も見守っていきたい。初々しい合花。こんな風に咲いてくれると「あえか」という形容詞にぴったり。
August 3, 2009
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先週、「ほつほつと、ピンクの花のきざしがあるな」と思ってとおりすぎた合歓の木、そろそろ沢山咲いている頃かと、見に行った。案の定、道の反対側から見ると、大きな木の南側には、特にたくさんの花がついていた。これだけ太陽の光が強い季節であっても、さらに日当たりのよい方にたくさんの花が咲くのだと見える。(人間は、寒いときは日向が好きだけれども、暑いと日陰ばかりに入りたくなるのに) こんなに大きい木で。ついでに、木に近寄らせていただき目の高さにある花を撮影。 海からの風が吹いていて、花は常に揺れているので、なかなかうまく撮れない。見た目にはやさしそうだけれども、実は太陽に向かって咲く力強くて、しかも気難しい美女のようだ。道端にあるとはいえ、そして垣根はないとはいえ、よそさまの敷地の中の木だから、お留守にそうそう長く立ち止まって眺めているわけにも、まして時間をかけて写真をとるわけにもいかず、少し残念。こういう花は、むしろ、霧雨の中で見たら情緒があるのかもしれない。
August 1, 2009
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