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仙台駅の位置に関する経緯について、ふたたび。今回は下記の文献から。(本文のほか、図の解説などからも構成しています。)■『宮城のトリセツ』昭文社、2020年(Part2 監修 原淳一郎)1 東北本線の仙台駅について日本鉄道によって建設された東北本線は、1887年(明治20)に上野-仙台-塩釜間が開通。上野-仙台間は所要時間12時間20分。当初の予定では仙台-野蒜間に敷設のはずが、1884年(明治17)台風で築港計画が白紙になったため仙台-塩釜間に変更された。その後1891年(明治24)青森までの全線が完成。仙台停車場(仙台駅)の建設に当たっては、場所をめぐる議論があった。日本鉄道は、市街地から離れた榴岡(現在の宮城野貨物支線の仙台貨物ターミナル駅付近)へ停車場を設置しようとしていた。これを知った地元商人たちが、城下町の衰退を恐れて反対。移設費用を仙台区民が負担すると申し出て、立地を変更するよう要求した。結局、この要求が通り、東北本線は仙台市街地寄りに引き込まれ、現在地に停車場が建設された。仙台駅の立地問題に限らず、鉄道開通までには、さまざまな問題が発生した。小牛田では汽車の振動で線路脇の農作物の根付きが悪くなる、煙で草木が枯れるなどの反対があったという。そのたび、敷設地の変更といった対応を迫られた。宮城県内の東北本線は、仙台が市街地寄りに駅を置いたため、全体から見ると仙台付近の路線がやや内陸寄りになっている。2 新幹線の仙台駅について1971年(昭和46)東京-盛岡間を走る東北新幹線の建設が決まった。ここで勃発したのが、東北本線開設時と同様の仙台駅立地問題である。停車駅の候補として、既存の駅から、仙台駅、長町駅、宮城野貨物駅が候補に挙がった。高速で走る新幹線の線路はなるべく直線が求められることから、長町や宮城野が適当かと思われるが、そうはいかなかった。地元の人々は市街地中心部への立地、すなわち現行仙台駅への停車を望んだ。このときは国鉄側も仙台駅停車を希望した。そういうわけで新幹線引き入れとともに、駅と周辺設備を刷新する仙台駅新駅舎の工事が行われた。1982年(昭和57)、大宮-盛岡間で開業した東北新幹線が、仙台駅前後で不自然に蛇行するのはこのためである。(文献内容の要約は以上)----------------地図から様々なことを読み解くという文献の趣旨から、各項目の記述はコンパクトなので、これまで調べたこと(下記の記事を参照下さい。)以上のことは基本的にはないが、東北新幹線の建設の際に、仙台駅前後の湾曲を避けるために長町駅も候補になったというのは初めて接する情報だと思う。長町の人たちは誘致運動したのだろうか。そして、もし長町に新幹線駅ができていたら、いまはどんな風景になっていたのだろう。■関連する過去の記事(鉄道敷設の歴史を含む仙台・宮城の鉄道関係の記事です。) 昭和47年仙石線新田踏切事故(続)(2021年10月19日) 新生富谷市はなぜ「駅なし鉄道なし」なのか(2016年10月10日) 仙台以北の東北本線・仙石線ルートと「松島電車」(2016年2月11日) 石巻線と金華山軌道(石巻-女川)の歴史(2016年2月6日) 仙山鉄道 3つのルート(2015年2月13日) 小原新道と白石人車軌道(2014年8月8日) 松山人車と白石人車軌道(2014年8月7日) 幻の鉄道計画 改正鉄道敷設法の予定線(その2)(2013年4月20日) 幻の鉄道計画 改正鉄道敷設法の予定線(その1)(2013年4月19日) 仙台駅の予定地について(その9)(2012年5月23日) 宮城県北部の東北本線ルート(何度目でしょうか)(2012年1月1日) 仙台駅の予定地(その8)(2011年9月26日) やっぱり当初は角田か 東北本線ルート(2011年9月15日) 東北本線ルート 白石か角田か(2011年9月5日) 宮城県北の東北本線ルート(再び)(2011年8月24日) 宮城県北の東北本線ルート(2011年8月20日) 仙台駅の予定地(その7)(10年9月6日) 塩竈市内の仙石線と塩釜線の歴史(10年5月11日) 仙台駅の位置について(その6)(09年10月21日) 仙台駅の位置について(再び)(09年3月10日) 仙台駅の位置について(その4)(07年8月16日) 大河原の尾形安平 東北本線実現に尽力(07年1月5日) 仙台駅の位置について・続々(06年7月15日) 仙台駅のはなし・続(06年7月11日) 仙台駅のはなし(06年7月10日) 宮城県内の東北本線のルートの話(05年11月27日)
2021.11.14
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鹽竈神社は陸奥国一宮と称される東北を代表する神社である。塩竈は、海水を煮沸する釜のことだが、鹽竈神社には塩釜は祀られておらず、本町通りに神器としての塩釜を祀る御釜神社が設置されている。鹽竈神社の本殿の左宮には武甕槌神(たけみかづちのかみ)、右宮には経津主神(ふつぬしのかみ)、向かって右側の別宮に塩土老翁神(しおつちおじのかみ)が祀られている。3神はいずれも古代神話に登場しており、東国平定に派遣された戦いの神である武甕槌神と経津主神が、海の神である塩土老翁神を案内役に進軍を続けて東北地方にまで至ったというのが、3者の関係である。東北平定ののち、引き返した武甕槌神は鹿島神宮の、また、経津主神は香取神宮のそれぞれ祭神となったが、塩土翁神は現地に残って人々に塩作りを教えて塩業を盛んにしたため、鹽竈地区の人々は感謝して塩神として祀ることになったという。ところが、何時の頃からかはっきりしないが、鹿島神宮や香取神宮から武甕槌神と経津主神の神霊を分けてもらって、一緒に祀るようになって現在に至る。以上から、鹽竈神社の塩神は、別宮に祀られた塩土老翁神ということなるのだが、全国に塩竈(釜)の名を持つ神社は多数存在している。その多くは、塩竈市の鹽竈神社に願い出て分社として建てられたもので、当然ながら祀られる塩神はすべて塩土老翁神である。なお、正式に願い出たかどうか不明なものも、その塩神はほとんどが塩土老翁神である。塩土老翁神以外の塩神を祀る塩竈神社もあるが、数も少なくその神の由来もはっきりしないものが多い。いいかえれば、日本の塩神は、古くから今日まで、本社である塩竈市の鹽竈神社、分社である全国各地の塩竈神社に祀られている塩土老翁神ただ1人であるといっても良い。この塩神の塩土老翁神への一元化という事情は、日本の塩神信仰の大きな特色であろう。■東北学院大学文学部歴史学科編著『大学で学ぶ 東北の歴史』吉川弘文館、2020年 から(谷口満執筆担当部分。漢字の表記は引用文献に従いました。)東京新橋の神社に行ってみたことがある。また、高松の友人家族を塩竈市の神社に案内したら、四国にも海運の縁なのか鹽竈神社はあると言われ、実際に寄進札版に四国の人の名を指摘されたことがあった。
2021.11.03
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