仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2005.10.07
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カテゴリ: 宮城
宮城県知事選挙が昨日(6日)告示された。現職の浅野知事が支援する候補の第一声に際して、浅野知事は「宮城県民がつくってきた伝統文化を信じている」と強調したという。これに対し、自民推薦候補の応援に駆けつけた安倍晋三自民党幹事長代理は、「いままでやってきた人にいろいろ指示される県政であっては必ず停滞を招く」と語った(以上7日付け河北新報)。

 私は、いわゆる「脱政党」論議について、本来の政策論議とはかけ離れた議論で、本気で客観的に民主主義かくあるべしと戦い合う議論であってはならないし、当の本人としても自慢したいのが本音だろう。より創造的な議論をするのならば、政党の御輿に乗らないことで他にできないどんな改革でどういう成果を出したのか、を冷静に評価すべきだ、という理解をしている(9月29日日記など参照)。

 そこに、「県民文化を守れ」なる浅野発言の報道に接すると、氏には失礼だが、いよいよ馬脚を現したか、という感を強くする。「県民文化」とまで自分の実績を誇示するのは一政治家の動態として自由だと思うが、問題は、誇示するなら政策の実績を言って欲しいことである。12年間の県政の姿勢と成果をもとに、これを受け継ぐ候補だから支持する、と言う論法が通常の人間には理解されやすい。「脱政党の手法を受け継ぐから支持する」とか「政党主導に危機感があったから脱政党文化を守るべきだ」とかいうのは、極めてわかりにくい。私だけではないだろう。県民は「脱政党」に投票するのではないだろうから。
 本音は、突然の不出馬発表のサプライズで脚光を浴びた後、「後継指名しない」と言いながらも後継選び場面で悠然と影響力を発揮できるかと思いきや、浅野詣でもなかったので寂しくなった、ということでないのか。
 「民主主義」や「県民文化」などという気宇壮大な用語が、かえって底の浅さを露呈するように思えて、残念だ。政策や成果は、もうどこかにすっ飛んで、コトバにすればするほど、プライドと寂しさの渦巻く、意味不明で非生産的なタコツボに自分からヌッと入っていく感じ。

 思えば、宮城県民はなぜ浅野県政を選択してきたのだろう。

 1回目はゼネコン汚職の反動、3回目は不戦勝(共産党には失礼だが)。その間の1997年の2回目は、自民党と新進党の相乗り市川一朗候補にダブルスコアの圧勝。現職の強みと目立ちやすい個性もあっただろうが、決定的なのは既存政党の政策訴求力不足だったと思っている。そして、これが宮城県政史に残るトラウマとなり、3回目には自民党と民主党の擁立回避という大罪を招いてしまった。浅野知事から見れば「脱政党の県民文化」となるのだが。

 今度こそ、政策論議による選挙であって欲しい。前政権の評価が争点になるのは当然だが、「脱政党」かどうか、そんなことはもうコリゴリだ。浅野県政の出力の評価という議論であって欲しい。






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最終更新日  2005.10.08 05:17:01
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