仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2005.10.28
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カテゴリ: 教育
この問題、いつも正面から考えたいと意識はあるのですが、考え方の整理がつきません。これまで知事憎しで空転していた面もあると思われ、知事交替で冷静に議論が進むことを期待しています。まちがいなく今年来年は本格的な議論をしなければなりません。
 なのに、まだ整理がつきません。ただ、女性・女帝天皇容認論も出たので(というのは関係ありませんが)、未整理を理由に甘えるわけにもいかず、とりあえず序論的なことですが、記します。議論の整理の観点を3点。

 第1に、「別学は宮城の誇る文化」論の取扱い。ノスタルジー表明合戦と教育論とが全くかみ合わないことをしっかり認識して、教育論として議論すべし。
 純粋にノスタルジーあるいは文化論の問題なのなら一致点を見いだす必要もない。阪神ファンと中日ファンの議論と同じ。俺はこっちが良い、はいそうですか、でおしまい。
 しかし、問題はこれからの若者の教育の議論です。昔若者だった人のノルタルジーの議論では決してありません。「文化」論者は、単なるノスタルジーではない、これからの若者をどう育てるかの教育論に根ざしているとどれほど意識しているのでしょうか。
 私は共学の高校で過ごしたので共学の思い出しかない。これは当たり前。別学の良さは体感はしていない。体感していないから解らないだろう、と言われたら、ハイというだけ。どうしようもない。かと言って、私自身は、アンタね共学の方が優れているよ、共学に賛成しないのはおかしいよ、とまで言えないと思っているし言う気もない。せいぜい、共学で「俺は」良かった、といえるだけである。いや正確には、自分の過ごした高校は共学だったと説明する方が正しい。
 例えれば、男きょうだいだった(私も)人と、女きょうだいだった人で、兄と姉とどっちが良かったデスか、と言う議論と同じで、何の生産性もない。私は男二人の弟だが、姉や妹いたら違ったろうなとは一応思うが、かといってガキの頃から面倒見てくれた兄個人には深く感謝しているので、兄を否定することは出来るはずもない。
 私は、「別学文化」論もその程度だと感じている。つまり、今後の高校どうあるべきかという議論ではなくて、自分の過去を否定されたくない。別学をやめても学校を否定するわけではないのに、こんなに強く抵抗するのは、別学という属性が学校のアイデンティティの本質的な要素だと意識しているのだろう。
 私にはハッキリ言って理解できない。学校を無くす訳でもないのに。「文化」論者は、(1)別学がその高校の本質だと思いこみ(他を知らないだけでしょう?)、(2)しかも自分のいた頃の高校とこれからの高校を絶対同一視している(なぜか時代の変化を敢えて無視する)、(3)ノスタルジー重視のあまり現役にもそれを押しつける(本末転倒)、という3つの意味でドグマに陥っていると言わねばならない。


 議論の整理のために、次のような仮想設例を考える。
他の属性(伝統、進学度合い、部活動、交通機関、学校設備など)は全く同じで、県立の別学校B男子高校、G女子高校と共学校K高校の合計3校が仙台市内にあるとします。
 Q1 あなたはどの高校を選びますか。いや、正しくは、保護者であるあなたは子供をどちらに入学させたいと考えますか。
 Q2 県民(一応「納税者」と言い換えても良い。本当は非課税世帯多いのだけど。)として県立高校の(将来)構想を考えた場合、これら高校をどうすべきと思いますか。併存別学、併存共学化、統合共学化、どれかの廃止。
 Q3 与条件として、県財政の制約と適正定員の観点から、1高校だけにしなければならないとしたら、どうですか。

 私の答え。
A1 子供に任せる。相談されたら、自分で決めろ、行かなくても良い、と言う。
  A2 少子化で学校数を減らすことを踏まえ、統合共学化。
  A3 A2と考える以上、なおさら統合共学化と考える。

 筋金入りの別学出身者の答え。
A1 子供に聞かれなくても、B校に入れ、と言う。
  A2 別学文化礼賛だから、併存別学しかない。統合なんて考慮外。
  A3 父親はB高校を、母親はG高校を残せと言う(パラドクスに陥る)。

 設問の趣旨は次の通り。
 Q1は、保護者としての素直な「別学」観の強度を問うもの。Q2は、学校統合の必要性に対する意識を問うもの。Q3は、ギリギリの条件下でも「別学」なる属性を他の属性に優先させるかの意識を問うもの。
 「文化」論者は、Q1をQ2やQ3にまで及ぼそうと言うことになる。ちょっと極端な仮想設例だけれど、「文化」論の無茶さがわかると思います。

 第2に、既に上の仮想設例で取り上げてしまいましたが、少子化による学校の再編、また財政効率化の要素を認識すべし。換言すれば、「別学文化」維持にいくら負担するのか、というシビアな議論を覚悟しているのか、ということ。もっと別言すれば、二高OBのノスタルジー観のために県民がカネを出しますか、ということだ。

 第3は、これが私は実質的な問題の所在だと思うのだが、宮城県のリーディングな地位にある進学校が別学であること。具体的には仙台二高、仙台一高、宮城一女、宮城二女です。これが決定的な問題です。これは、少子化とか学校の再編とかとは理論的に別の問題です。

 わが県の公立高校は大学進学教育を本気で考えなければなりません。 9月6日の日記(宮城の進学率と公立高校を考える)
 いつも私が言っている(エッどこで?と言われそう)宮城のデータ3つの不思議(人口規模や拠点都市仙台を抱えながら、(1)県民所得、(2)進学率、(3)投票率が全国的に顕著に低いことを指します。)の1つです。
 そのためには、リーディング的な地位の学校にもっともっと実績がでなければなりません。そして、そのためには人身一新がもっとも有効だと思います。
 私は、共学化論議に際しても、このことをもっと正面から出してもいいのではないか。「別学」が、ナンバースクールの現状安寧意識と停滞の象徴だとさえ思うのです。
 万が一、何かの配慮で、もし仙台二高を男子校として残すとするなら、例えば共学化する新塩釜高校を徹底して進学校にする。人事上も優秀な教員を集めて、姿勢を示す。なんで塩釜か、なんて悪平等な足引っ張りを言っては居られません。もちろん全県一区。塩釜ならJR駅から至近で仙台からも通えます。本当に伝統文化に浸りたい生徒は二高へどうぞ。進学なら、仙石線で育英秀光ミドルスクールか、東北本線で新塩釜高校か、というくらいにして欲しい。

 そのくらいの決意で高校再編を考えないと、ダメです。もちろん、塩釜高校にリソースを集中させるより、伝統ある仙台二高の方が望ましいのです。変な「伝統文化」論で、本来の議論が歪められるのは、何とも残念です。「文化」論者には、本当に母校のことを考えているのか、と言いたくなります。
 なのに、必ず出てきますよね。「いや~、仙台の人はハングリー精神がないからね~」「浪人をしたがるんだよね~」「進学にとらわれない校風?」など、オバケのような奇異な議論が。自由な気風とか良い面ばかり思い出して、ノスタルジーを信仰にまで高めて、しかも他に優先させて後代に押しつけるという図式だけはやめて欲しい。一番大事な議論ができなくなってしまうじゃないか。そういう文化こそ仙台の停滞の象徴だとさえ感じる。宮城の教育を、従って、将来の地域を担う人材をどう考えるか、という問題なのですから。
(ああ、やっぱり冷静でないかも。だから整理がつかないのです...)

 この問題、もっと整理が必要。データも拾って客観的に、また問題の本質が何なのか、教員と現場の本音も聞いて、整理したいと思います。





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最終更新日  2005.10.28 17:55:14
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