仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.03.01
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カテゴリ: 仙台
伊達文化とは、決して既存の発想にとらわれず、中央の模倣をせず、気宇壮大で誇り高い。そんな伊達の文化や気風の真骨頂ともいうべき歴史上のエピソードが長崎の対馬にあり、対馬の人々は伊達に恩義を感じているというのだが、実は仙台ではあまり知られていない。

秀吉の朝鮮出兵に際して、全国の大名が忠義立てのため、前線基地の名護屋(佐賀県)に着陣し、半島に渡った。半島攻めは元来無理な戦で、朝鮮側に三十万とも五十万とも言われる犠牲者を出し、また十万の半島住民が日本に連行される悲劇を生んだ。また渡海した日本側も飢餓や病死で数万の死者を出し、帰途の対馬で命を終えた者も多かった。

東北からは26歳の伊達政宗だけが渡海している。途中、壱岐を経て、対馬に寄港する。伊達政宗の出兵は文禄の役の五ヶ月間だけだが、血気盛んな青年武将も、当地にあっては、老太閤の明国征服なる誇大妄想を内心で恨みながら、水が合わずに多くの者が死んでいく様を目の当たりにし、無益の戦を嘆き、また望郷の念を募らせていたようだ。

ところでその40年後の寛永10年(1633年)、対馬藩の国書偽造事件が発覚した。この事件の経緯はこうである。関ヶ原に勝利した家康が、秀吉の侵略で断絶した朝鮮王朝との国交を回復しようと、対馬の宗氏を交渉に立てた。朝鮮側は条件として日本が二度と侵略戦争を行わないことを誓約するよう求めたが、宗氏の口から家康に戦争放棄を誓えとは言えず、窮した対馬藩は国書偽造を計ったのである。これが家光の時代になって、対馬藩の内紛もあって表沙汰になったのである。

このとき、政宗は、宗家当主の義成を、「朝鮮の役で父上の義智公に危機を救って頂いた。今こそ恩義に報いたい」と励まし、死の前年、69歳の老体に鞭うって、三大将軍家光に諫言をした。いわく、昔から親しい朝鮮に向けて秀吉は理由もなく兵を動かし、天の報いで豊臣は程なく滅びた、その過ちを正された家康様に、将軍殿は合わせる顔があるのですか、と。

かりに諫言に失敗し、強気に出がちな家光により戦いが勃発すれば、秀吉の二の舞になり内外に大きな混乱と犠牲が生じる...

果たして、政宗の言葉に家光は諭された。政宗の他に家光にものを言える者はいなかった。政宗が大陸との和平を説き、朝鮮との友好をもたらした。また、幕府を欺く国書の露見で取りつぶしの危機に瀕した対馬藩を、伊達政宗が救ったのである。

なぜ政宗は老体にむち打ってこのような行動に出たのか。

対馬藩十万石は古代から半島を窓口に中国大陸とを結ぶ文明の回廊でもある。古くから朝鮮王朝とも親しく、半島貿易で藩を立ててきた宗氏は、秀吉の理不尽な要求に苦しんでいた。「朝鮮に討つべき罪などない」と漏らした宗義智の声を、若き政宗は深く受け止めていたのだ。朝鮮出兵を経験した自分が、今こそ動かねばならない、歴史を誤った方向に導いてはならない、そう直感したに違いない。


(『仙台藩ものがたり』河北新報社編集局、2002年、第1章 を参考にしました。)





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最終更新日  2006.03.01 06:08:41
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何とはなしに読み返してみたら、せっかくの名文?も誤字だらけ。ああ、恥ずかしくて伊達文化を語れません...(編集長)

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