仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.09.05
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カテゴリ: 宮城
奥の海と呼ばれた万石浦で塩焼く煙がたなびく風光明媚の地、渡波が、我が国最後の官許仇討ちの舞台となった。安政4年(1857年)、越後新発田藩士久米孝太郎が、父の仇敵滝沢林右衛門を討ち取ったものである。

文化14年(1817年)久米孝太郎の父弥五郎宅を訪問した林右衛門が碁を指し酒を飲んでいた。微細の言い争いから弥五郎が殺害された。時に孝太郎は長男で18歳、弟盛次郎15歳。後見人の伯父留太郎が同行し仇討ちが許可され、虚無僧となり仙台城を後に江ノ島から二組に分かれて捜し、さらに九州、山陰を回ること二十余年、そのうち林右衛門が谷川浜の寺にいることを知った。本吉の海岸を下り石巻仲町の奥の屋に泊まり、安政4年、渡波祝田で本懐を達する。

時に藩公から仇討ちの礼として羽二重三匹と銀二十枚が賜れたと記録にある。谷川浜の洞雲寺には滝沢林右衛門の墓がある。
(菅野照光『奥の細道の誘い 街道探訪編 みちのくの歴史と文化めぐり』2002年、創栄出版 から)

石巻観光タクシーさんのサイトに 紹介 がある。

公許最後の仇討ちとともに、41年間と、日本で二番目に長い期間を経た仇討ちだそうだ。なお、他の資料では、滝沢の方は休右衛門(上掲書では林右衛門)と表記されている。

斬られた老僧の休右衛門は、体は谷川の洞福寺(上掲書では洞雲寺)に、首は祝田浜に塚が設けられ地元の人々に供養されてきたということだ。





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最終更新日  2009.09.05 23:17:29
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