仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.11.07
XML
カテゴリ: 仙台
仙台生まれの志賀理和は長谷家に嫁いで病弱な夫を10年後に失う。幼い頃から養母に針仕事や行儀作法を習っていた理和は、明治3年(1870年)、北一番丁に長谷塾を開いて裁縫を教える。明治20年(1887年)、私立学校の認可を得て、私立長谷柳絮学校と改称。和裁の技術は東北一とされ、長物習わば長谷につけ、と言われた。長谷理和は1911年に教育功労者。大正7年(1918年)死去。

柳絮とは、白い柳の綿毛のことで、それが四散して地に根をおろして柳の木を茂らせるように、女性ともしっかりと家庭を築いて欲しいという願いから名付けられたという。

支倉町の長谷柳絮のことである。平成9年には長谷柳絮福祉専門学校設立、そして今年平成21年には「仙台青葉服飾・医療福祉専門学校」と校名を変更した。長谷柳絮の名は学校法人名に残っている。

赤痢菌の発見者で仙台市名誉市民の志賀潔博士は、創立者の甥にあたり、教壇に立ったこともあったそうで、博士による校名の由来を示す書額が残っている(学校法人長谷柳絮学園サイト)。

戊辰の敗戦と維新の混乱にあったはずの仙台で、和裁の技術と女子教育によって新しい時代を支えようとした遥かなる建学の心に、思いを致したい。

■参考
 仙台文化出版社『仙台きょうはなんの日』(せんだい新書2)仙台文化出版社、1988年
 学校法人長谷柳絮学園サイト





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009.11.07 14:27:51
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

コメント新着

おだずまジャーナル @ Re:仙台「6時ジャスコ前」の今むかし(11/14) 仙台フォーラスは来月3月から長期休業。再…
クルック@ Re:黒石寺蘇民祭を考える(02/18) ん~とても担い手不足には見えませんけどネ…
おだずまジャーナル @ Re:小僧街道踏切(大崎市岩出山)(12/11) 1月15日のOH!バンデスで、不動水神社の小…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: