仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.07.09
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カテゴリ: 東北
青森県三沢市の地図を開くと、太平洋に面した淋代海岸に、ミスビードル号記念広場、太平洋無着陸横断記念碑、などの記載が見える。

リンドバーグの大西洋無着陸横断が成功した昭和2年(1927)以後、太平洋を渡る冒険に世界の目は注がれていた。通信機の貧弱な当時、途中でエンジン不調をきたして大海原に不時着すれば救助の見込みがない命懸けの冒険だった。1930年代、挑戦者たちは離陸の場所として三沢村を選び次々とやって来た。北米大陸に近く、また堅い砂浜が滑走路として利用できたからである。

三沢村の人たちは、飛行士の宿泊の世話、滑走路を造る工事、海岸までの道路工事などで忙しい毎日となったが、村長の指導のもと農作業を中断しても協力を惜しまなかった。

最初の挑戦は、アメリカ人2人組のタコマ市号だが、離陸に成功したものの排気管からガスが操縦席に漏れだしたため霧の中を帰還し下北半島に不時着。

第二の挑戦、一人のアメリカ退役軍人のパシフィック号は重い機体を浮上できずに断念。三番目の挑戦者は、若いアメリカ人2人によるクラシナマッジ号で、離陸したもののガソリン漏れでベーリング海の島に着陸したことで記録にならなかった。

そして4番目の挑戦が、アメリカ人2人組、パングボーンとハーンドンが乗るミス・ビードル号という朱色の飛行機だった。昭和6年(1931)10月4日午前7時1分、ミス・ビードル号は離陸に成功。途中の暴風雨は高く飛ぶことでやり過ごし、寒さと戦いながら41時間10分の飛行でついに北米大陸に到達。現地時間10月5日午前7時11分、大勢の出迎えが待つワシントン州ウェナッチの飛行場に胴体着陸した。車輪と脚は重量と空気抵抗のため離陸直後に投下していたのだ。

全米のヒーローとなったパングボーンとハーンドンだが、飛行の話を求めれられると、必ず三沢村の温かいもてなしと支援について深く感謝していることを熱心に話した。

これを契機に、三沢とウェナッチは現在も町をあげた交流をさかんに行っている。

■参考 『伝えたいふるさとの100話』財団法人地域活性化センター、2004年





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最終更新日  2011.07.09 08:15:42
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