仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2016.05.22
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カテゴリ: 国政・経済・法律
安保関連法が施行されて2か月近く。この間、以前なら相容れないはずの小林節と樋口陽一の両氏共著の本が話題になったり(新聞に書評があった)、小林氏にいたっては参院選に打って出るという、まさに憲法学者や学界にも大きなうねりが起きているのか、と勝手に感じていた。

ところで、安保法制をめぐる憲法学あるいは憲法学者の姿勢という意味では、3月末の読売新聞の特集記事がずっと頭に残っていた。(登場する3氏がみな東北大法学部ゆかりの先生という点も印象深いのだが、そのような側面はまったく別にして、)端的にいえば、学者の良心という意味であるべき姿勢なのではないか、という感覚で受け止めていた。

どのような論議だったのか検証してみたく、あらためて新聞縮刷版を読んでみた。

概ね次のようなものだ。(当ジャーナルで要約しました。)



「論点スペシャル」立憲主義とは何か (読売新聞2016年3月30日東京版11ページ)

(解題)
安保関連法や政府憲法解釈変更を違憲とか立憲主義に反するとする声が今もある。では、そもそも 「立憲主義」とは何か 政府の憲法解釈変更は許されないのか

大石眞教授 (京都大学大学院)(末尾に笹森春樹編集委員の名がある。聞き手or文責の意か)
○ 立憲主義=憲法に則って国政を運営すること。その要素としては、国民権利保障と権力分立が強調されてきたが、現在は、憲法の最高法規性と合憲審査制が加えられることも。
○  安倍内閣の解釈変更 立憲主義に反する という人いるが、
(1)およそ憲法解釈の変更が許されないとの議論はありえない。 状況変化あれば解釈変わるのは当然 (だからこそ判例変更も認められる)。
(2)9条に絡むから解釈変更はいけないという人多いが、防衛力や自衛隊を保持しても平和主義の基本原理を捨てるわけではないし、9条解釈には国際的安全保障環境が大きく左右する事実を無視できない。
(3)有権解釈権は 政治部門の国会や内閣も持つ 。法令制定や法案作成するから憲法適合性を判断する権限と義務を持つのは当然で、その解釈の変更もありうる。具体的争訟事件ない限り司法審査行われないから、内閣法制局の解釈が重要な働き。
(4)そもそも 元の憲法解釈が唯一で正しいという保証はあるのか
○ もちろん、野放図な解釈変更はよくない。国民生活上の予測可能性から、一定の安定は必要。
○ また、解釈には一定の作法がある。例えば天皇の国事行為は7条列記以上の拡大解釈は趣旨を損ない許されない。また、どの要素が変わったのでこう解釈変えるときちんと説明が大事。
○  こうした作法を守り丁寧な説明で必要な解釈変更を行う のは、むちゃなことではない。特に、防衛や安保は一種の保険。保険は事後に掛けても遅い。事前の手当ては立憲主義を守るならむしろ必要な作業だろう。
○  集団的自衛権行使に関しては憲法は解答を与えていない
○ ある時代に作られた憲法があらゆる事を想定し答を書いていると考えるのは無理(だからこそ憲法改正手続に意味ある)。憲法の無謬性や完全性を強調すると、何でも取り込んで解釈しなければいけなくなる。
○ 9条の解釈で戦争や侵略の歴史が強調されるのは解釈の作法としてあり得るが、それなら(尚更のこと)、 憲法制定当時に意識されていなかった集団的自衛権の問題に、現行憲法が解答を与えているとは言えない というべき。

山元一教授 (慶応大学大学院)(末尾に舟槻格致調査研究本部主任研究員の名)
○ 国際標準に基づけば、立憲主義=憲法に政治を従わせること。裁判所が憲法違反と判断すれば、政府は政策を諦めるか憲法改正するかだ。
○ 憲法改正反対の人たちの間では「どうしても必要なとき以外は改正すべきでない」との意見も。しかし、国際的に仏などそう考えられていないし、 立憲主義は特定の政策に反対するために使う概念でない
○ 現在の日本では、 立憲主義が統治の品格(政治家がわきまえるべき権力行使への畏怖心をもつこと)のような意味で使われる 。例えば、安倍内閣が法制局に勤務経験のない人物を長官にしたのは好ましくないという見方は可能だが、それが法律に反したわけでも立憲主義が崩壊したわけでもない。そんな意味で立憲主義の語を使うと、結局好き嫌いの問題に帰着するから注意すべき。
○ 政府の新3要件は少なくとも論理的には成立。ただし、実際に当てはまる事例が起きるかは疑問。9条解釈変更は本当に必要だったのかと思う。今後、選挙や国会審議で争点となり国民の判断を仰ぐことになろう。
○ 法律の解釈は親子鑑定のように絶対的ではないが、 あまりにはずれた解釈は認められない との意味で相場観がある。 9条に関してはその幅が極めて広い (自衛権すら認めていないという人から、個別的自衛権までは認められる、さらに、集団的自衛権まで全部、核武装も可能、と全く収拾つかない)。残念ながら戦後に防衛政策のコンセンサス得られなかったことに起因。
○ だから、 9条の議論はどうしても政治性帯びる 。9割の憲法学者が違憲と言ったから学理的に違憲という言い回しは妥当と思わない。学説は戦後大きく変容した。自衛隊違憲論が主流 → 政府による合憲との解釈が市民権得た。国民的熟議のたまものとも言われる。 日本では解釈変更により合意形成が積み上げられてきたとも言え、多くの憲法学者が個別的自衛権や自衛隊を容認するのは、学者も合意形成のプロセスに参加してきたということだ 。現実に対応しながらラジカルでなく緩やかな変化で済ませることも可能になった。これによって自衛隊への信頼が高まり戦後の日本が安定して繁栄したことをプラスに評価しないのはフェアでない。
○ 集団的自衛権は戦後発効の国連憲章で弱小国守るために認められた側面あるから、集団的自衛権が認められない世界は恐ろしい面も。そして、その行使を認めることは、憲法をはじめとする戦後レジームからの脱却ではなく、戦後レジームの追求そのものとも言える。

■上記2氏の記事に挟まれた格好で、舟槻格致氏の署名の解説記事がある。
○ 昨年6月4日衆院憲法審査会で、長谷部教授ら三人が法案を違憲と指摘。長谷部氏は「集団的自衛権の行使が許されるというその点について憲法違反と考える。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない」と語った。
○ 学界では、集団的自衛権行使を違憲とし、政府が憲法解釈を変えたことを立憲主義に反すると批判する声が強い。
○ 一方で、新三要件により厳しく行使を限定したことに一定の評価を示す見解も。元内閣法制局長官の阪田雅裕弁護士。井上武史・九州大準教授。
○ 元最高裁判事で行政法権威の 藤田宙靖東北大名誉教授 が、総合月刊誌「自治研究」2月号に寄稿した論文が関係者で注目されている。論文は、「政府が従来の憲法解釈を変更するのは立憲主義に反するという理屈は、それだけではあまりにも粗雑」との評価を示し、「従来の法制度の運用で処理できる場合には、あえて法改正を求めるのではなく、従来の法規の解釈運用によって済ませるという行政手法は決して珍しくはなく、そのすべてを違法と決めつけることはほとんど不可能」とする。
○ 藤田氏は、読売新聞に、「どの党が政権を持っても通用する解釈の議論をしたかった。憲法解釈も法解釈の一つ。議論を通じて憲法学の足腰が鍛えられればいい」と語った。
○ 安保関連法制定の背景には、日本の安保環境の悪化がある。多くの国や外交安保の前面に立つ当局者達が法制を支持している。むしろ従来の憲法解釈との整合性を重視したため内容が不十分になったとの意見も多い。国家と国民をタテの関係で捉え、憲法で権力の暴走を防ぐという近代の発想は重要でも、それだけでは現代社会を捉えきれないとの指摘もある。学説は現実にどのように向き合うのか、今後の議論見守りたい。




大石教授の説明は極めて論理的で、政治的政策的な価値判断を前提とせずに、憲法の存在意義や機能の点から立憲主義の意義と憲法解釈のあり方を説得的に示していると思う。もっとも、集団的自衛権に関して現行憲法が(制定当時から)解答を与えていないという点は、学界では異論が多いのだろう。

山元教授の説明は、戦後日本の進路の評価や集団的自衛権の現代史的意味なども取り上げ、その点で「政治」に向き合うようにも感じられるが、防衛政策のあり方を憲法解釈の幅の中で国民的熟議で決めていくべきことは、(これまでのプロセスの評価も含めて)政治のあるべき姿とも重なり首肯されるように思う。また、立憲主義を特定の政策や政治姿勢の好き嫌いのために持ち出すべきでないことは、説得的だ。

「政府解釈を変更するから違憲だ」式の議論は、ナンセンスだと思ってはいた。9条を破壊するからいけない、というのも何か教条主義的で、国際情勢や国民生活の現実をあえて考慮しようとしない硬直思考だと感じていた。今回の読売の特集は、憲法の解釈運用の範囲として改正法が許容されることを支持ないし示唆するもので、さらに言えば、舟槻氏の解説も含めて読売の社論を鮮明にしたものとも見られるかも知れない。

注目されているという藤田名誉教授の雑誌論文。「自治研究」2月号の冒頭に掲載されている。私も、昨日読んでみた。内容は次回に譲りたいが、熱意や使命感がほとばしる論文で、次のような部分が印象に強く残る。

安倍内閣の政治的な所作に対する怒りや、法制が真に日本の安全保障に必要かどうかの疑問があるとしても、憲法学者たとえば長谷部教授が「従来の政府解釈を一内閣が勝手に変更するのは法的安定性を害する」とかする発言に規範論理的な意味があるのか。法律学たるべき以上、憲法学(者)もルールとマナーを踏まえるべきで、憲法学が何に答えており何に答えていないかを整理する作業だけは、誰かがやるべきである。同じ公法学者としてやむにやまれず筆を執った。

本稿の公表に際しては、当初は日本法律家協会の「法の支配」に掲載を希望。しかし、現職の裁判官検察官を会員とする協会として当面掲載はできない。元最高裁判事という地位の影響力の強さも考慮された結果という。それでは、日本法律家協会と法の支配が泣く。真に情けない話と言わざるをえない。

こんな事が論文の中に、書かれている。大石教授が集団的自衛権について憲法は特定の姿勢を示していないことを指摘して以後、学界から反論がないことなども指摘されていた。山元教授らの学説も登場する。

読売が言うように、どれだけ学界の波紋となっているのか解らないが、極めて興味深く重要な一稿であろう。もとより憲法の素養も知識もうすいが、藤田論文の内容についてじっくり考えてみたい。

(次回に続く)

■関連する過去の記事
気仙沼の九条 (2015年9月19日)(安保法案成立に寄せて)
新安保法制と憲法学者 (2015年6月6日)





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最終更新日  2016.05.22 12:20:54
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