仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2024.03.19
XML
カテゴリ: 宮城



(過去の記事  亘理町を知る(地域区分、大字など) (2024年03月10日)を参照ください)。
しかし、むしろ興味を抱くのは、地理的範囲や中心性の一般的認識と齟齬をきたしたり混乱を招いたりするケース、具体的には、その広域地名(郡名や旧国名など)の中心地と言えないような一部地域が新町名に採用するような場合である。そんな観点で、宮城県内のケースを取り上げてみる。
■関連する過去の記事  地名(市町村名)の付け方の類型論 (2024年03月05日)

1 名取市
 昭和30年4月1日に2町4村が合併。名取町とされた(昭和33年市制)。
 名取郡は、伊達氏所領下では66か村があり、南方(増田に会所)と北方(長町に会所)に二分された。明治11年の郡区町村制により、郡役所を茂ヶ崎村(長町)に置く。大正10年に郡制は廃止されるが、昭和17年、県庁の地方事務所が、名取郡と亘理郡の2郡を範囲として岩沼町に置かれた。以上は、『名取市史』(名取市史編纂委員会、昭和52年3月)による。

■関連する過去の記事  組合立だった名取高校、岩ヶ崎高校、岩出山高校など (2024年03月21日)
なお名取市増田の名取北高校は昭和54年創立。

以下には、『名取市史』(上記)から、合併の経緯を記す。


昭和28年10月の町村合併促進法施行以後、県町村合併推進協議会及び名取亘理地方事務所等の関係町村に対する働きかけの積極化に伴い関係町村の動きも漸く活発化し、増田町・下増田村・高館村・愛島村・館腰村はそれぞれ合併研究会若しくは協議会を設置して、住民の啓発宣伝につとめ、積極的な合併の促進をはかるに至ったが、閖上町は法に規定する標準規模の人口八千以上を理由とし、合併には極めて関心薄くしたがって当局の住民え(ママ)の啓発も消極的であり、むしろ仙台市との合併を強力に要望する傾向が強かった。
 このような状勢の中に、同年末及び翌29年2月と相次いで増田町・閖上町・下増田村・愛島村・高館村及び館腰村のうち植松・飯の坂(ママ)を一地区とする県の合併試案が発表された。
 この試案によって分割合併が想定されていた館腰村では、岩沼ブロックに編入を予定されていた同村堀内及び本郷地区住民は、岩沼ブロック賛成と増田ブロック賛成の二派に分かれて対立するという事態が起り、村当局の寧日のない奔走によっても収集がつかなかったため、地方事務所のあっせんによって、その帰すうを住民投票で決定することに両派代表者の妥協が成立、住民投票の行われた結果、全村一致で増田ブロックによる合併が決定された。
 このような紆余曲折を経て昭和29年8月10日に至り独立か或いは、仙台合併を強力に主張する閖上町を除く1町4カ村による合併協議会の設立を見た。
 しかる時たまたま大仙台市構想が発表されたために、愛島、高館両村民の動向は変化し、両村一部住民が仙台合併えの(ママ)研究を始め、閖上町と共に署名運動を展開するなどの動きが起り、このため1町4ケ村による協議は中断された。
 しかし、その間にあって残る3ケ町村による協議会は続けられていたが、下増田村がこれ又仙台市との合併方向に傾く様相を見せるに至ったため、ここに県試案による合併は一頓挫をきたした。
 かかる情勢を憂慮した県当局及び地方事務所は、越えて30年3月8日9日の両日関係町村代表者を招き、協議を行い、最悪の場合には知事勧告も辞さないという強硬方針を以て関係町村当局及び議会等に協力に勧奨し、続いて宮城県町村合併促進審議会の勧奨もなされた結果、遂に関係町村が県試案に同調するに至り、かくて同月14日2町4ケ村から成る町村合併協議会が開催され、施行年月日を昭和30年4月1日とし、又町名を名取町とし、その他合併諸般の具体的事項を決定し、翌15日関係町村一斉に合併関係議案を議決するに至り、ここに昭和30年4月1日、名取町が誕生したのである。



 新町名の採用の事情は『名取市史』には記載がない。新町名としての「相応しさ」には微妙さもあるが、今では駅名にも採用されて(増田駅→名取駅)、他方で郡は既に消滅し、若い人たちは名取市こそ名取郡の中心だったと自然に思うのだろう。
 なお、字名の表記については、合併に伴う協定事項で、字名については旧高館村と旧愛島村は新町名(名取町)の後に旧村名をつける、とされた。

2 柴田町
 『柴田町史 通史編Ⅰ』(柴田町史編さん委員会編、平成元年3月)から記す。舟岡村は、政宗の時代に名を改められた(風土記御用書出)。その前は四保(シノオ)と呼ばれた。シノオは、湿気を示す(シトドニ濡れる、と同義)。白石川、荒川と四保山(船岡館山)が造った自然堤防の後背地の沼沢地をシノオとよんだと解される。四保氏は本姓に復して柴田氏となったと伝えれるが、地名は四保から舟岡となった。四保山の山容が舟のようだからと考えてよいのでないか。

 舟岡村、上名生村、中名生村、下名生村、舟迫村、入間野村、入間田村、四日市場村、上川名村、海老穴村、小成田村、成田村、富沢村、葉坂村
 明治22年市制町村制では、次の通り。
 ・船岡村←船岡、上名生、中名生、下名生
 ・槻木村←入間野、入間田、四日市場、上川名、海老穴、小成田、成田、富沢、葉坂、船迫
 昭和29年9月22日県の合併計画答申では、柴田郡は3つのブロックとされた。

 ・柴田郡二 村田町
 ・柴田郡三 川崎町、富野村
 同日の通知によると、特に第一ブロックについて、答申の際には村田町は地理的及びその他の事情にかんがみ一応保留の意味を持ってブロック外としたが、同町の現在の規模をもってしては将来における行財政の合理的能率的な運営の確保を期待することは困難と思われ、また四囲の合併町村の規模等を勘案し大同合併することが最も適切と考えられるのである、とされた。
 昭和28年12月に船岡町議会は合併の方向を伊具郡北郷村、東根村と定めて検討していたが、29年8月に県案は変更しないとされたため、船岡は、早々に自主案(槻木との単独合併)で進むことに。他方、槻木町では、県案、自主案の対立があった。大合併案(5か町村。6町村の意見も)は町長が、小合併案(2町)は議会が与した。
 9月22日県の最終案とされる答申案を受けて、船岡町議会は既定方針通り満場一致で二町合併を促進する決議。槻木町は、時期尚早とする大沼金治町長の行政執行に批判的な議会が合併推進に動く。30年3月31日の議会は翌日午前1時まで延長の上で、町長不信任の動議を可決して0時30分閉会。町長による議会解散により4月30日選挙。5月20日初の臨時会で、町長の退職承認の議案が上程されるも、不信任を先議して可決。6月12日町長選挙は接戦だが、神谷重雄が当選し、大沼が負ける。昭和30年中は合併の議論をせず、31年2月の臨時会で、「大」「小」の記載をする投票を行い15対7で船岡との合併が決まる。
 なお、新町の名称については、『柴田町史 通史編Ⅱ』は、自然にこれしかないという趣旨の書き方だ。伊達家重臣の柴田氏の存在などに触れられているが、合併の際に町名が論議されたなどの記述はない。

3 (旧)宮城町
 『宮城町誌(本編)』(昭和44年3月、宮城町誌編纂委員会)による。
 昭和30年2月1日、広瀬村と大沢村の二か村合併で、宮城村と称した。なお、大字名は、広瀬と大沢の村名の次の表記を新村名に続けることとした。
 同年4月1日には名取郡域の新川地域を編入して、昭和38年11月3日町制に。
 新村名採用の事情などは記載がないが、宮城郡のなかではもっとも西にある新村が名乗るのはかなり「大物狙い」だったと言えよう(おだずま感想)。現在、仙台市の宮城総合支所の名称に残っている。また、仙台宮城ICの名は、開通当時の仙台市と宮城町の存在が関係しているが、若い人たちや転入者は違和感を持つかも知れない。

4 (旧)本吉町
 『本吉町誌Ⅱ』(昭和57年3月、佐々久監修、本吉町誌編纂委員会編集)による。


本吉(モトヨシ)の語源は、夷語のモトウシュで、モトは起元、原始、土着者の意、ウシュは場所の義。さらば元蝦夷の部落なりしを何等かのじこありて転住したる蹟だろう。また、モトは小沼の義にも謂いウシュイは湾の義ともなる。(藤原相之助「日本先住民族史」より抜粋して説明)
 志津川町が以前、本吉村と呼ばれ、古くはこの地方が本吉荘・本吉郷といわれた。
 昭和30年3月30日、津谷町、大谷村、小泉村が合併し本吉町となったが、この町名は本吉郡の中央部に位置し、中央町村として将来の発展を期待して命名された名である。



 新町名の論議の有無や経緯はわからないが、理由付けは郡の中央ということのようだ。

5 その他

明治8年にできた大崎村(その後、東大崎村と西大崎村)や、旧栗駒町にある栗原の字などは、歴史的には明治の頃に一部地域が大きい地名を取るという構図だったのではないか。別途検討したい。今回取り上げた4つの新町村名、亘理町のほかにも、桃生町(明治の市町村制で桃生村)、牡鹿町(昭和の合併、鮎川町+大原村)は当てはまる(大物狙い?)かもしれない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.04.02 00:02:15
コメント(0) | コメントを書く
[宮城] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

コメント新着

おだずまジャーナル @ Re[1]:荒巻地区の新町名と宅地開発史(12/14) 荒巻昭和人さんへ コメントありがとうご…
荒巻昭和人@ Re:荒巻地区の新町名と宅地開発史(12/14) 団地名なつかしいですね。広告に使われて…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: