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先日、送別会をしていただきました。にもかかわらずあまり退職という実感がないのはなぜでしょう。素敵な花束をいただいた時は、唯一「ああ、私の送別会だわ」と思いました。花束に勤続24年が詰まっているように思えました。手動式タイプライターから始まり電動式タイプライター、ワープロ、パソコン。現場との連絡は、当初は「生コンが遅くなるそうです」と現場へ直行しました。やがて、無線、ポケベル、今は携帯電話。考えてみれば、動くことが少なくなりました。監督さん不足の入社当時、カメラや黒板を持って現場へも行きました。レベルの据え方や読み方、計算の仕方も教わりました。完成検査の書類作成。出来型の測定くらいしかしなかったのに成果表や写真をまとめてしまった。今思えば、知らない故に何でも出来た、怖い物無しだったからかも知れません。書類や現場も一つや二つは不備や不具合がある物です。検査時にそれらを指摘されたときのドキドキ感は今も忘れられません。やがて、専務の後継、有能な監督さんの入社で私も事務業務に専念出来るようになりました。十分とはいかなかったかも知れませんが、精一杯勤務したつもりです。多くのことを学ばせていただきました。多くの方との出会いがありました。それらは皆、私の今の姿となっています。社長はじめ、専務、会社の皆さん、そして会社を通じて出会いを下さった方々本当に有り難うございました。退職しても地域社会で繋がっています、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
2006年03月30日
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退職の日が近づいてきた。数年前から、定年になるまでに退職したいと考えていた。それは、いつ、どういう時か、そしてどのような状態になったときか。それは、自分で選択出来るのか。自分の身の引き方に思いを巡らしたときがあった。現在の会社は2度目の就職であるが、最初の退職は、結婚と同時に、周囲はいつ退職するのかという雰囲気だった。2年は勤めますと言い結婚した。職場結婚だった。2年たった頃、事情があって夫と共に退職したのが退職行為の初めてだった。その時は、結婚、妊娠、転居という物語があり簡単に納得した。今回の退職は考えていたストーリーと少し違ってきた。それは、昨年の思いも掛けぬ糖尿病のせいだ。私のストーリーの可能性の中に、病気という言葉はなかった。病気も運のうち、生かさなければというより共に生きなければ。。退職という武器にしてしまった。
2006年03月28日
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有権者9200人ほどの我が町で町議会議員選挙がありました。16人の定員に対して20人の立候補者です。5日間の選挙戦を終えた投票日は静かな朝を迎えました。2年の任期で「明るい選挙推進委員」を仰せつかった私は、一昨年選挙の立ち合いをしました。午前7時から午後8時までの、13時間もの座りっぱなしはとても大変でした。食事時間とトイレに立つのみの座り地獄でした。にもかかわらず今回、また立会人を引き受けてしまいました。実は、昨年も依頼されたのですが、入退院を繰り返していた私は、とても体に自信がなく断ったのでした。今回は、この3月で任期満了だし、激しい運動をする訳ではないし、まあやってみるかと軽い気持ちで引き受けました。前回は、体も口も脳もあまり動かさずの13時間でしたが今回は少し考えました。立会人は3人並んで座っています。他の2人の方は幸いにもよく知っている人でした。隣の人と口は良く動きました。おやつも口を動かしました。体も適当に選挙人のいない時を見はからって動かしました。脳も時間ごとに入場者の数を数え、集中入場時間帯調査をしました。でも、血糖値はさんざんでした。昼はパック弁当、夕方はサンドイッチ。口の動きだけでは血糖値は下がりませんでした。お疲れさま
2006年03月09日
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