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最近、中高生の殺傷事件や自殺の記事が目に付く。報道されると、何県だ? どこの学校か?と気になる。自分の住んでいる近くだったり、郷里の近くだったりすると知ってる、知ってる、えーっ、あの学校が!。知ってる、知ってる、えーっ、あの場所で!。と、いった具合に驚きと共に身近に感じてしまう。そう、他人ごとではないのです。他地域ごとではないのです。自分の子が被害者に、また加害者に成りうる可能性もあるのです。子供の罪や犯罪は親の責任、自分の問題として受け止めなければいけない。子供ばかりではない、家族も同然だ。そして、殺傷事件ばかりではない。交通事故や飲酒運転も同じだと思う。
2006年10月30日
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義母をショートステイに送っていった。最近では、「行く日」だといえば素直に車に乗ってくれる。もはや、どこが自分の家か分からなくなっているようだ。施設の2階は、鍵がかけられ自由に出入りはできない。初めてだから恥ずかしいという義母を連れて入ると、職員の方が名前を呼んで声をかけて下さる。そこで、義母はホッとする。見渡せば顔見知りばかりだと気がつく。そして再びホッとする。義母の顔色に私もホッとする。体重、血圧、体温測定、そして持ち物のチェックは10分ほどで終わるがいつも30分近く一緒に居てから帰る。その間、そこにすでにいる方たちを見回し、挨拶をしたり声をかけたりする。今日も、義母の前に座ってじっと無表情でいる人に声をかけた。私の顔を見たまま、返事がない。怖そうな人だな。今度は、ニコッと笑ってみた。やっぱり目だけはこちらを見ているが、無表情だ。義母の不安をぬぐうために義母と色々話をする。そしてまだ無表情でこちらを見ているその人に、またニコッと笑って見せた。そしたら、なんとその人がニコッと返してくれた。一瞬でしたが、とても素敵な笑顔でした。心が通じた気がした。義母とまた話していたらその人は安心したように居眠りを始めた。義母の心を落ち着かせ帰って来た。
2006年10月26日
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認知症の特徴を利用してストレス解消の場ができるのではと思うほどだ。話したくても話せない話や、聞いてほしいが話題になるのが嫌な話。聞いてもらうだけでほっとすることなど色々ある。認知症であるが、義母に話せばそれなりのアドバイスや意見が返ってくる。的確とまではいかないが話の内容も通じる。返ってくる言葉になるほどと思うこともしばしばある。都合のいいことに話の内容はすぐ忘れてくれる。数分で誰が話したかも何があったかさえもわからない。たまのお客さんにはストレス発散の相手によさそうだ。トイレ誘導午後3時頃 「おいしいもの食べようか。1回トイレに行っておいで、だいぶ足がこわばってきたよ」と私がいうと、力の入らない自分のふにゃふにゃ足をたたいて「これで骨があるんかな、つかむと硬いわ」と義母骨のあるふにゃふにゃ足でトイレへ。
2006年10月08日
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認知症の共通の症状は物忘れから始まる。そして、あるはずだと思っているものがないと人が盗ったと言う。大体は、本人に一番近い人が犯人扱いになるという。我が家でも例外ではない。一番近い人は私であった。もう10年余りドロボーをしていることになる。毎日のドロボーは慣れたのであまり腹は立たなくなった。しかし、近頃はもう1段階進行したのだろうか。「殺す」という言葉が頻繁に出てくる。「私を殺そうとしているのか?」と聞かれる。初めて聞いたときはたまげた。何をどのように考えたらそのような言葉が発せられるのかと。昨日も買い物から帰ってきたら「○○が私を殺そうとしているが何で?おまえら何をたくらんでいる」と怒り奮闘だ。大体は誰もいない一人のとき妄想が広がるようだ。○○は自分の息子の名前だった。私の驚きと怒りの波が久しぶりに高くなってしまった。「そんなことがあるわけないでしょ!撤回しなさい!」負けじと言い返すいつもの義母。こちらも負けじと・・・。しかし、相手は認知症だと思い直し黙ってキッチンに立った。2人でご飯を食べる頃には笑いが飛んでいた。
2006年10月06日
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義母はショートステイ。夫は出勤。私一人の休日。かねてチラシで情報を得ていた築城450年記念のお祭りがある日だ。その城下町は歩いて30分もかからないほどだ。催事プログラムは分からないが何だか楽しそうなことがありそうだ。祭りに行きたいが誘う友達もいない。よし!一人でも出かけよう。早昼を済ませ、12時半頃家を出た。もちろん徒歩で。10分ほど歩くと銃声が聞こえた。祭りの会場で火縄銃の演武をしているらしい。私の足の歩幅は15cmほど長くなった。沿道にはのぼり、各家には御神灯の提灯が掲げられ祭りムード十分だ。30分ほどで山の麓のメイン会場に着いた。ちょうど火縄銃演武は終了し次回の上演時間を告げていた。テントがいくつも張られステージもあり立派な会場ができていた。築城450年といっても現在城があるわけではない。調査中である城跡一帯を会場としている。まずは天守閣があったという頂上まで登らなければ・・・。今までにも何度か家族で登ったことはあるが30分足らずで登れる楽な山だ。それは、近頃整備した登山道があるからだ。武士は大変だっただろう。一人で登山かぁ。ステージ裏の登山道入り口で受付をして歩き出した。前を見るとお年寄りが杖をついてこれから山を登ろうとしておられる。負けてたまるかと追い抜こうとしたが声をかけた。一緒に登ることにし後についていった。83才のその方は一服の休みもなく頂上に着いた。昨年まで山林で木の枝打ちをしていたという達者な方だった。昔話を聞きながらまた一緒に下山した。次は何があるだろうと考える間もなく、騎馬武者行列が始まっていた。町長が乗馬して、区民総出演の手作り行列はとても温かく感じた。と、そのとき橋本教授にあった。教授らと武者行列の後をぞろぞろ500mほど城下町まで下がった。そして、教授より夕方から国指定重要無形民俗文化財の幸若舞が上演されることを聞いた。唯一伝承されている九州から、わざわざこの日のために来てくださったというのだ。火縄銃の演武をみたら帰ろうと思っていたが帰れなくなった。そこで、また知人にあった。一人で来たという知人にこの話をしたら興味を持った。またぞろぞろと知人と騎馬武者行列の帰り道の後に続いた。そして、またメイン会場に着いた。火縄銃演武の時間までには時間があった。じっとしていられない私は、知人の案内を名目に、また城山を登ることにした。2人で下山してきたら銃声が聞こえた。グッドタイミングであった。その後、また別の知人というより友人に出会った。友人はライトアップを見ようといった。幸若舞を見たら帰ろうと思っていたが、また帰れなくなった。信長もこうして見たのだろうかと思いながら舞を見た。あたりは、もうすっかり暗い。沿道や城址周辺には、2000個の竹灯籠に明かりが灯され、中腹のお寺から眺める夜景は幻想的であった。とうとう、閉会までいた。友人に送ってもらって家に着いたのは20時であった。こんな自由な時間を過ごしたのは初めてだ。
2006年10月01日
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